『右大臣実朝』と宿命(連載第2回) 川喜田八潮

  • 2017.10.28 Saturday
  • 22:16

 

     2

 

 先の引用でもうひとつ興味深いのは、母の尼御台政子と実朝の、恐ろしいほどの視線の〈隔絶〉である。

 天上的な次元から、己れ自身も含めたこの世の人々の身体を静かに「見おろしている」かのような実朝とは対照的に、政子は、徹頭徹尾、地上的な視線に身を置いている。政子の眼が象徴するものは、生臭い酷薄な実人生の諸相や醜部を平然と直視し、リアルに生き抜ける人間たちの世界だといっていい。

 実朝は、こういう人間たちのただ中にひとりでぽつんと置かれている。彼の魂を知る者は周囲に誰もいない。

 しかし、実朝の方からは、周りの者たちの場所が本源的な意味でよく視えている。

 実朝の眼に映じた人間どもの実相とは、おそらく、仮りそめの有限な生を、得体の知れない脂ぎった貪欲な生活欲によって、もがきにもがき抜きながら、タフに乗り切ってゆく人間たちの姿である。

 地上的な関係性の場の渦中で翻弄され、極限的に狭い痩せ細った貧しい生活世界の中に、現世的な価値を倦むことなく求め続け、他者をねじ伏せようとあがく、我執にこり固まった悪業深い生きざまであり、蒼白い死の恐怖を無意識の奥底にこびりつかせ、絶えず、生を何ものかによって紛らわし、すり替えようともがき続ける、浅ましく切ない人間のありのままの姿である。

 同類を求めてもがき、傷口をなめ合い、抗争の無限の連鎖の中に、己れの貧寒で散文的で有限な人生の無聊(ぶりょう)を慰めようとする人間どもの狂気の実相。

 それが、実朝が幼時から肌で感じ、凝視し続けた、大人どもの〈気配〉に違いなかった。

 彼が、少年期を通じて繰り返し垣間見、鮮烈な刻印を受けたのは、頼朝亡き後の、有力御家人たちの凄まじい確執・共食いの修羅相であった。とりわけ、自身を二重三重に絡めとっている肉親・一族であり幕府の中枢を握っている祖父北条時政や叔父義時、さらには生母政子の、貪欲な生活欲と権力への飽くことを知らぬ執念であった。

 北条時政によって血まつりにあげられた兄の将軍頼家とその幼な子、さらに兄の妻の実家比企氏のむごたらしい最期。そして、「誠忠廉直の士」であった畠山重忠とその子重保が時政・義時の奸策のため「無実の罪」によって非業の死をとげたこと。これらの血ぬられた記憶は、青年実朝にとって、いまだ、なまなましい傷痕をとどめるものであった。

 年を重ねるごとに「我身ヒトツト思ホユル」実朝の透徹した覚悟性は、肉親・一族といえども寸分も心を許すことのできぬ、ひき裂かれた悪因縁の渦中において形成されていた。

 実朝は、太宰治と同じく、生みの母の乳のぬくもりというものをほとんど知らずに育った。ふたり共、母の妹、つまり叔母の手で育てられたのであり、彼らに共通する本源的な寂寥感は、そういう胎乳児期の原初的な〈欠損〉と〈渇き〉の感触の記憶に根ざしているともいえよう。

 その原風景が、形を変えながら、幼児期・少年期と繰り返し塗り重ねられ、実朝独自の、深い諦念に満ちた、透明な〈孤絶〉の意識を形作っていったようにおもえる。幼時よりの母政子との冷ややかな隔たりの意識や叔父の義時・祖父時政にまつわる北条一族の血なまぐさい空気は、実朝にとって、おそらく、この世に生まれ落ちて以来のひき裂かれた世界風景の象徴でもあったに違いない。

 しかし、北条一族の政敵に対する容赦の無いむごたらしい所業の数々にもかかわらず、意外にも、尼御台政子や執権義時の〈素顔〉は、決して、とり立てて残虐・非道な性情の持ち主ではなく、むしろきわめて律義で、将軍・幕府への忠誠心も厚く、法・秩序の遵守に厳しい、リアルでカラッとした性質の人間たちであったと、「私」は視ている。

 

「下々の口さがない人たちは、やれ尼御台が専横の、執権相模守義時が陰険のと騒ぎ立てていた事もあったようでございますが、私たちの見たところでは、尼御台さまも相州さまも、それこそ竹を割ったようなさっぱりした御気性のお方でした。ずけずけ思うとおりの事をおっしゃって、裏も表も何もなく、そうして後はからりとして、目下のものを叱りながらもめんどうを見て下さってそうして恩に着せるような勿体(もったい)を附ける事もなく、あれは北条家にお生れになったお方たちの特徴かも知れませぬが、御性格にコツンと固い几帳面なところがございまして、むだな事は大のおきらい、隅々までお目がとどいて、そんなところだけは、ふざけたい盛りの当時の私たちにとって、ちょっとけむったいところでございました。そうして、それから、どうもこれは申し上げにくい事でございますが、思い切って申し上げるならば、下品でした。(中略)どうも、北条家のお方たちには、どこやら、ちらと、なんとも言えぬ下品な匂いがございました。そうして、そのなんだかいやな悪臭が少しずつ陰気な影を生じて来て、後年のいろいろの悲惨の基になったような気も致します。」

 

 この指摘は、鋭い洞察だといってよい。『吾妻鏡』に記されたさまざまなエピソードが語るように、「竹を割ったようなさっぱりした」ケレン味の無い直情的な激しさと果断さは、頼朝との馴れ初め以来の政子の人物像に特徴的なものであるし、「御性格にコツンと固い几帳面なところが」ある義時の、私情を殺せる実務官僚的な有能さや律義さも、史実に丁寧に則した自然な見方であるとおもえる。

 つまり彼らは一見まっとうな人間たちなのだが、それにもかかわらず、そのまっとうさの内に秘められた何ものかのために、恐るべき悪業の数々が産み出されてくるというのが、太宰治のこだわりの場所なのである。

 太宰は、この作品で、北条時政や娘の政子のような、己れの感情や欲求を素直に表出できる、人間らしい生臭さや激しさを備えた、生活力の旺盛な脂ぎった人物たちに対しても〈異和〉の念を表明しているが、それよりもむしろ、相州義時のような類型への強烈な 〈嫌悪〉にアクセントを置いている。

「いったいにあの相州さまは、奇妙に人に憎まれるお方でございました。」と「私」は語っている。

 

「はじめにもちょっと申し上げて置きましたように、私たちの見たところでは、人の言うほど陰険なお方のようでもなく、気さくでひょうきんなところもあり、さっぱりしたお方のようにさえ見受けられましたが、けれども、どこやら、とても下品な、いやな匂いがそのお人柄の底にふいと感ぜられて、幼心の私どもさえ、ぞっとするようなものが確かにございまして、あのお方がお部屋にはいって来ると、さっと暗い、とても興覚めの気配が一座にただよい、たまらぬほどに、いやでした。よく人は、源家は暗いと申しているようでございますが、それは源家のお方たちの暗さではなく、この相模守義時さまおひとりの暗さが、四方にひろがっている故ではなかろうかとさえ私たちには思われました。父君の時政公でさえ、この相州さまに較(くら)べると、まだしもお無邪気な放胆の明るさがあったようでございます。それほどの陰気なにおいが、いったい、相州さまのどこから発しているのか、それはわかりませぬが、きっと、人間として一ばん大事な何かの徳に欠けていたのに違いございませぬ。その生れつき不具のお心が、あの承久の乱などで、はしなくも暴露してしまったのでございましょうが、そのような大逆にいたらぬ前には、あのお方のそのおそろしい不具のお心をはっきり看破する事も出来ず、或いは将軍家だけはお気づきになって居られたかと思われるふしもないわけではございませぬけれども、当時はただ、あのお方を、なんとなく毛嫌いして、けむったがっていたというのが鎌倉の大半の人の心情でございました。なんでもない事でも、あのお方がなさると、なんとも言えず、いやしげに見えるのでございますから、それはむしろ、あのお方にとっても不仕合せなところかも知れませぬ。以前はそれほどでもなかったのでございますが、将軍家が立派に御成人なされ、政務の御決裁もおひとりで見事にお出来になるようになってから、目立って下品に陰気くさくなりました。」

 

 ここで太宰は、ある種の不透明な〈悪〉の本質に肉薄しようとしている。

 北条義時のような、職務に忠実な、理知的でエネルギッシュな人物は、近代的な市民社会の価値基準から言えば、少しも非のうちどころの無い、有能で模範的なテクノクラートということになろう。

 しかし、私たちの〈近代〉のメカニズムが繰り返し産出し続けてやまない恐るべき悲惨事というものは、実は、そういう何の変哲も無い、一見「良心的」な無数のスペシャリストたちの生きざまの中に胚胎している、ささやかな〈悪〉の巨大な〈連鎖〉によってひき起こされてゆくのではないか。そして、そういう何でもないように見える不透明な悪の芽というものは、実は、私たち現代人のすべての者の内部に大なり小なり秘められており、その本体を見極め、それに戦慄をおぼえ、その内なる悪と真にたたかうことは、私たちにとって、最も困難な仕事ではないのか。

 それが、太宰治の直面した課題だった。

 義時によって象徴されるこの〈悪〉のかたちは、つかまえようと思えばすり抜けてしまうような、きわめて不透明なものであるが、たとえば、次のような「私」の観察と見解にさりげなく込められているといっていい。

 

「またあの元久二年に、時政公は牧の方さまにそそのかされ、重成入道などと謀(はか)り、当時の名門、畠山御一族に逆臣の汚名を着せ、之を誅戮(ちゅうりく)しようとなさった時にも、相州さまは、平気な顔をして御父君に対し、およしなさい、あれは逆臣でありません、と興覚めな事を言って、少しも動こうとなさらず、父君や牧の方さまが何かと猛(たけ)り立って興奮すればするほどいよいよ冷静におなりになって、あれは逆臣でありません、畠山父子は共に得がたい忠臣ですよ、ばかな真似はおやめなさい、何をそんなに血相をかえて騒いでいるのです、みっともない、などとずけずけいやな事を申すので、牧の方さまはとうとう泣き出して、なんぼう私が継母(ままはは)だからとてそんなに私をいじめなくてもいいではないか、継母というものはそんなに憎いものですか、いや、憎いだろう、憎いであろう、これまでも何かにつけて私ひとりを悪者にして、いったいどこまで私を苦しめるおつもりか、たまには私にも親孝行の真似事でもいいからして見せておくれ、と変な事を口走る始末になったので、若い相州さまは、苦笑して立ち上り、じゃまあ、こんど一度きりですよ、と言って畠山御一族討伐に参加なされたとかいうお話でございます。普通のお人の場合では、一度きりですよ、とは言っても、またさらにもう一度と押してたのまれると、だから前に一度きりと断って置きましたのに、仕様がないな、などと言いながらも渋々また応ずるものでございますが、相州さまの場合には決してそのような事はなく、一度きりと言えばまさにそのとおりに一度きり、冗談も何もなく、あとはぴたりとお断りになるのでございます。その証拠には、すぐつづいて時政公が、またも牧の方さまにそそのかされ、当将軍家弑逆(しいぎゃく)の大それた陰謀をたくらんだ時には、もうはじめっから父君、義母君を敵として戦い、少しの情容赦もなくそのお二人の御異図を微塵に粉砕し、父君をば鎌倉より追放なされ、継母の牧の方さまには自害をすすめて一命をいただいておしまいになりました。その御性格には優柔不断なところが少しもなく、こわいくらいに真面目に正確に御処置なさってしまうのでございます。(中略)少しも間違った御態度ではなく、間違いどころか、まことに御立派な、忠義一途の正しい御挙止のように見えながらも、なんだか、そこにいやな陰気の影があるような心地がいたしまして、正しさとは、そんなものでない、はっきり言えませぬが、本当の正しさと似ていながら、どこか全く違うらしい、ひどく気味の悪いものがあるような気がするのは、私だけでございましょうか。」

 

 北条時政の後妻牧の方が自害させられたというのは太宰のデフォルメで、実際には、政子・義時姉弟のクーデターによって、時政共々伊豆に隠退させられたらしい。もっとも、実朝を廃し、その代わりに将軍に据えようとはかったといわれる牧の方の娘婿平賀朝雅は、まもなく京都で殺されている。『吾妻鏡』の元久二年の記事には、なぜか、時政失脚後の牧の方の消息が全く記されていないので、太宰は、義時の性格から判断して、てっきり自害させられたものと推測したのであろう。

 しかし、そういう事実の誤認は、ここでは大して重要なことではない。肝心なのは、『吾妻鏡』にも記されているように、畠山重忠の潔白を主張し、一度は父親を諫めておきながら、継母にゴネられただけで易々と討伐の大将に豹変するような北条義時の人間性の不気味さである。しかも、彼は、重忠を殺害した後でさえ、その無実を時政に主張してゆずらない。この時代、武士社会における親の権威はたしかに絶大なものがあったが、それにしても、長年姉の政子と冷ややかな関係にあり彼女とさほど年も違わぬ継母のいいなりになるような、しおらしい人物とは、到底思えないのである。そんなけなげな親孝行者ならば、父や継母と、二か月間にもわたって軍事的な一触即発のにらみ合いを続けたあげく、姉と共にクーデターを引き起こしてふたりを追放するような措置を講ずるはずがない。

 畠山重忠の人柄の廉直さを知りながら平然と彼を殺戮できる義時という人物は、たとえそれがどんなに非道なことであっても、必要とあらば、敢えて鼻をつまんでさっさと事務的に片付けてしまうことのできる人間であるようにおもえる。

 ここには、太宰治が、生涯を通じて凝視し続けた〈近代悪〉の不透明な本質が象徴されている。それは、本質的に「鈍感な」人間たちのもたらす〈悪〉のかたちだといってよい。

 畠山一族を滅ぼす際に、親子の義理のために仕方なしに協力する義時は、人並みの肉親の情や世間的な義理は備えているが、本当は、きわめて冷ややかな情しかもってはいない。制度的な規範の中で与えられた社会的な〈役割〉の内に、己れ自身のアイデンティティーを完全に解消しうるような人間であるようにおもえる。

 義時は、鬱病親和気質の強い、謹厳実直なエリートであるが、病理の〈本体〉は、彼のそういう真面目さにあるのではない。

 この人物の不気味さは、〈血〉のぬくもりを通じた人との生ける〈接触〉のできぬタイプだという点にある。

 政子には、夫頼朝の浮気のために嫉妬で荒れ狂うような〈血〉の熱さがある。しかし、義時には、そういう血の通った人間らしいぬくもりや切なさの匂いは微塵も無い。

 常に、〈観念〉と〈規範〉のフィルターを通して他者と関わり、世俗に対処し、徹頭徹尾の「リアリスト」であり、「現世主義者」である。

 真の倫理を可能ならしめ、他者や世界との真の〈生身〉の接触を可能ならしめる、人の子としての原初的な〈渇き〉や〈痛覚〉というものの欠落した人間なのだ。

 こういう人間たちは、本質的には決して「傷つかない」し、常に良心の「免罪符」というものを持っている。しかも、はなはだ「悪気の無い」好人物ですらありうる。

 太宰治が『新ハムレット』で「新型の悪」として造型した「クロージヤス」や、「後期」の作品『家庭の幸福』で見据えた「官僚悪」の世界に通じる類型だといっていい。

 こういう人間は、本当は、誰とも心を通わすことのできないままに、無機的な〈断片〉のように冷ややかな〈観念〉と〈制度〉の海の中に浮遊しているにすぎないのだが、そういう己れ自身の孤立した生きざまを「孤独」だと感じることさえできない。

〈生身〉の寂寥感を〈痛み〉として感じ取る能力というものが、初めから完璧に封じられているからだ。

 義時は、ひたすら幕府と将軍の安泰のために、敢えて、冷徹で果断な合理性を発揮して、実朝の愛顧深かった武骨で忠義一徹の老臣和田義盛とその一族を挑発し、容赦無く全滅させてしまうが、その乱の二ヶ月後に開かれた歌会のありさまを、「私」は次のように描写している。

 

「相州さまも、その頃は故左衛門尉義盛さまのお跡を襲ってこのたびは侍別当をも兼ね、いきおい隆々たるもので、けれども決してあらわには高ぶらず、かえって頭を低くなされて、私ども下々の者にも如才なく御愛嬌を振撒(ふりま)き、将軍家に対しては、また別段と、不自然に見えるくらいに慇懃鄭重(いんぎんていちょう)の物腰で御挨拶をなされ、将軍家もまた、以前にくらべると何かと遠慮の、お優しいお言葉で相州さまに応対なさるようになり、うわべだけを拝見するとお二人の間は、まえにもまして御円満、お互いにおいたわりなされ、お睦(むつまじ)げでございまして、そのとしの七月七日に、仮御ところに於いて、合戦以来はじめての和歌御会がひらかれました時にも、めずらしく相州さまがその御会に御出席なされ、松風は水の音に似ているとか何とかいう、ほんの間に合せ程度の和歌を二つ三つお作りなさったりなど致しまして、どなたも感服なさいませんでしたが、将軍家だけはそのようなお歌をもいちいちお取上げになり、さすがに人間の出来ているお方はお歌もしっかりして居られる、とまんざら御嘲弄でもなさそうな真面目の御口調でおほめになりまして、なるほどそうおっしゃられて見ると、相州さまのお歌は、松風は水の音にしても、また鶉(うずら)が鳴いて月が傾いたとかいう歌にしても、なんでもない景物なのに相州さまがおよみになると、奇妙に凄いものが感ぜられない事もないような気もいたしまして、まことに相州さまというお人は、あやしいお人柄の方でございます。」

 

 相州の歌云々については、もちろん、作者の虚構ではあるが、ここには、義時のようなタイプの人物の眼に映るであろう世界風景の酷薄な感触というものが、太宰治特有の反リアリズム文学的な視線によって、さりげない形で鮮やかにすくい取られている。

 義時の和歌は、あるがままの景物をあるがままの景物としてうたい、一切の私情や感興を削ぎ落とした〈客体〉としてのモノそれ自体の、非情でリアルな光景を淡々と描写したものだ。こういう視線には、伝統的な自然詠の風土的な潤いも、アララギ派的な生活苦に即した苦吟や感傷や自虐も無縁だ。そこに漂うのは、己れ自身の〈身体〉すらひとつの〈モノ〉として客体化しうるような冷やかで無機的な地上的リアリズムの匂いだけである。(この稿続く)

 

JUGEMテーマ:日本文学

JUGEMテーマ:日記・一般

JUGEMテーマ:批評

〈生き難さ〉のアーカイブス〜「詩を描く」若者たち〜(連載第5回) 川喜田晶子

  • 2017.10.28 Saturday
  • 10:36

 

天と地

 

 学生たちの作品が、作者の意図を超えて、近現代史に通底する〈生き難さ〉の極北のあり方の象徴として鑑賞し得るのと同様に、明治以降の古典的とも言える詩歌作品もまた、作者の個人的な生活史の文脈から解き放たれて、〈現在〉にも通じる魂の苦闘、まなざしの挑戦として読み解くことができよう。

 

『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する「ATフィールド」と「人類補完計画」になぞらえるなら、学生たちの作品には、過剰な自意識(「ATフィールド」的なもの)と、「人類補完計画」的な他者との融合への甘い夢など抱きようも無い酷薄な世界風景とが表出していた。しかし、そのような「地」に縛り付けられた彼らの表現と身体にも、あるべき「天」への飢渇が「幻肢痛」のように湧き起っている。

 

 以下に掲げる作品も、同様の「天」と「地」の分極を超えようとする格闘の、近代の表現史上の振幅を鮮やかに示している。

 

わだつみの底にあを石ゆるるよりさびしからずやわれの寝覚は   若山牧水

 

魔法つかひ鈴振花(すずふりばな)の内部(なか)に泣く心地こそすれ春の日はゆく   北原白秋

 

白き蓮沼に咲くごとく/かなしみが/酔ひのあひだにはつきりと浮く   石川啄木

 

人間のつかはぬ言葉/ひよつとして/われのみ知れるごとく思ふ日   石川啄木

 

胸の内いちど空(から)にしてあの青き水仙の葉をつめこみてみたし   前川佐美雄

 

ゆふ風に萩むらの萩咲き出せばわがたましひの通りみち見ゆ   前川佐美雄

 

 若山牧水と北原白秋が明治18年、石川啄木が明治19年の生まれ、前川佐美雄は少し遅れて明治36年の生まれである。同質の〈生き難さ〉ではあっても、それぞれの表現における闘い方の差異が見えて面白い。

 牧水の短歌には、近代人としての孤愁を類的イメージに融かし込んで歌い流すことのできた、コスミックで甘美な資質が顕著である。「わだつみ」「あを石」「さびし」「寝覚」といった語句が、前近代的な匂いを帯びたまま斡旋されているのだが、そういう前近代性を存分に活用することで逆に近代人の孤の愁いを表現し得た手腕と資質は稀有で気高くさえある。伝統的な〈型〉の美しさをこれほど素直に生かし得た近代の歌人は他にいない。

 

 白秋の作風は、はるかに自覚的に近代的である。「ATフィールド」の強まりを感じる。

 牧水が、「あを石」を「わだつみの底」で揺らしてみせたよりも、「魔法つかひ」を「鈴振花の内部」で泣かせてみせることの、当時においてどれほど斬新であったことか。四句までと五句との間には、俳句のようにすっぱりと「切れ」、つまり断絶がある。四句までのモダンなモチーフとはうって変わって五句は「春の日はゆく」と伝統的な情趣で歌い納めて見せる。断絶によって引き立て合う取り合わせが、視覚的・聴覚的に不安定なイメージのコラージュとなって、作者の世界への異和の念を適確に伝えてくる。

 鈴振花の内部で泣く「魔法つかひ」には、魔法を使わずにすむ(=詩歌を書かずにすむ)大衆に対して疎隔感をおぼえ、己れの異能をもてあます白秋の表現者意識が象徴されていようか。それでいてその孤独な表現者意識は、「春の日はゆく」といった類的イメージに痛くも甘美にも包まれて、淡い頽廃的官能性を響かせる。

 

 啄木の「ATフィールド」はさらに過激さを帯び、自虐的・批判的な戯画となる。

「蓮」「かなしみ」「酔ひ」などは伝統的に機能し得るモチーフだが、「かなしみ」が「酔ひのあひだにはつきりと浮く」とき、「白き蓮」が「沼に咲く」という喩えは、己れの「かなしみ」を徹底的に客体視している作者の眼を冷徹に伝え、牧水のように類的に融かすことも、白秋のように孤と類の断絶をそれでも情緒的な一首としてまとめ上げることも拒否した、批評的まなざしの戯画を現出させている。

「人間のつかはぬ言葉」を知っているのは自分だけだと思う、その自意識にもまた、自分だけが世間から浮き上がっていることを情緒では処理できないで、批評としての短歌を成立させてしまう哀しみが滲む。「われのみ知れる」に甘美さが伴うとしても、甘美に思う己れを冷徹に見据える視線が一首を成立させている。「短歌を虐使する」と宣言した啄木の真骨頂である。

 

 孤独を類的イメージに融かす牧水、孤と類の断絶を際立たせ合う白秋、自意識を戯画化する啄木、いずれの表現に惹かれるか、上述のような批評解説を行なってから、学生にアンケートをとってみたことがある。

 結果は白秋が圧倒的に1位。次いで啄木、牧水、の順であった。

 世界をコスミックに感受し孤独を類的に歌い流すことからはるかに遠い身体性を持つ、現在の学生の正直な反応であろう。啄木は、その精緻な批評精神ゆえ、真に継承し得ている表現が「啄木以後」に乏しいが、白秋の技は、現在にもつながる「型」とも把握できる。コラージュ的な手法で対極的なモチーフをまとめ上げ感覚を解放するのは、美大の学生にはなじみやすい表現と言えるだろう。

 

 近代短歌から現代短歌へと切り替わったことを如実に感じさせるのが前川佐美雄の表現である。

 世界との神経症的な異和は肥大化し、己れの身体と伝統的な言葉の魂との疎隔は、短歌という器を壊しかねないのだが、それでもあえて「短歌」という「型」を択ぶとき、己れの身体の貧しさを突き詰めることで暴発する幻想世界を、この「型」はアクロバティックに許容・拡張してみせるのだ。神経症と幻想的な跳躍とが表裏一体となった、昭和初期ならではの表現が、佐美雄の歌集『植物祭』(昭和5年)や『大和』(昭和15年)には充満する。

「胸の内」を一度空(から)にして詰め込もうとする水仙の青き葉。己れの身体を幻想的に操作し、現世的なものをデトックスした場所に詰め込まれる清浄さへの過剰な渇望には、牧水、白秋、啄木ら〈藤村操世代〉に通じる、汚濁と清浄との潔癖な峻別感情が見られるが、世代が下ることで、佐美雄の身体には、生れた時から天地(あめつち)としてのコスモスを知らない、その貧しさを憎む激しさがある。〈現在〉を生きる学生たちの表現に通じる激しさである。

 品格のある伝統的な歌の姿とも見えるが、夕暮れに咲き出す萩の花によって「わがたましひの通りみち見ゆ」と歌う感性にも、自身の存在を、現世から超越した、言わば「貴種」として肯定してみせねばならない過剰な幻想的跳躍力が潜んでいる。

〈藤村操世代〉の〈生き難さ〉が、時代とともに一層昂進した姿であると言えよう。

 

   月夜の浜辺   中原中也

 

月夜の晩に、ボタンが一つ

波打際に、落ちてゐた。

 

それを拾つて、役立てようと

僕は思つたわけでもないが

なぜだかそれを捨てるに忍びず

僕はそれを袂(たもと)に入れた。

 

月夜の晩に、ボタンが一つ

波打際に、落ちてゐた。

 

それを拾つて、役立てようと

僕は思つたわけでもないが

   月に向つてそれは抛(はふ)れず

   波に向つてそれは抛れず

僕はそれを、袂に入れた。

 

月夜の晩に、拾つたボタンは

指先に沁み、心に沁みた。

 

月夜の晩に、拾つたボタンは

どうしてそれが、捨てられようか?

 

 明治40年生まれの中原中也のこの作品は、観念的な天上も、散文的な地上も、ともに拒否しようとする、柔和だが透明な力わざを感じさせる。

 この観念的な天上と散文的な地上とは、どちらかを拒めば拒むほどに実は双方が密通してしまうような世界観の狭窄をベースに、明治・大正・昭和という時代を分極したまま染め上げてきたが、この「月夜の浜辺」のような作品には、それに抗うひそやかな息づかいを感じることができる。

 月夜の晩に浜辺で拾ったボタンを、作者は「役立てようと」思ったわけではない。地上的現実には役に立ちそうもないボタンである。しかし、その「月夜」の「波打際」という天上性をひっそりと身に帯びたボタンを、「月に向つて」も「波に向つて」も投げることができない。「月」という天上に向っても、現世から異質の彼方へとつらなる「波」に向っても、それは投げるにふさわしくないものだとおもわれて「袂に」入れられたボタン。「指先に沁み、心に沁み」るボタンの在りようは、作者が丁寧に己れの存在の行き場の無さを吟味し、安易に「天」の幻想性に己れを投げ出さぬようにしている、粘り強い内省を感じさせる。「地」を生きながら、あくまで己れに固有の「天」の匂いをその身に沁み入らせつつ。

 

「天」と「地」。

 双方が融合した「天地(あめつち)」から遠ざかった身体にとって、分極を超えるのは生易しいことではない。己れの身体や世界との対峙や超越の技、そして問うべき問題を問い続ける全身的な苦闘の痕跡が、すぐれた〈表現〉には精緻に滲み出ていて、ときに涙ぐまれるのだ。(この稿続く)

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

JUGEMテーマ:批評

JUGEMテーマ:日本文学

東映初期カラーアニメーションのコスモス―『少年猿飛佐助』と『白蛇伝』を中心に―(連載第3回) 川喜田八潮

  • 2017.10.24 Tuesday
  • 18:03

 

     3

 

 一九五八年から六一年にかけて公開された東映初期カラーアニメーション映画は四作品あり、それぞれが独自の個性をもっているが、この内、一九五〇年代後半に制作され、五〇年代末に公開された『白蛇伝』・『少年猿飛佐助』と、六〇年代初めに公開された『西遊記』(一九六〇年)・『安寿と厨子王丸』(一九六一年)の間には、大きなギャップがある。

 前二作は、完成度の高い、美事な芸術作品といってよいが、後者の二作は、残念ながら失敗作である。その理由は、これから説明する。

『白蛇伝』は、中国の民話に材を取っており、宮崎駿がアニメーターを志すきっかけとなった、運命的な出逢いの作品だという。

 なるほど、この日本初のカラーアニメーション映画には、後の宮崎アニメの本質的な特徴・モチーフが出揃っているといっても過言ではないほどで、宮崎駿の表現者的な資質の形成において、この作品がいかに深いインパクトを与えたか、察するに余りあるといっていい。

『白蛇伝』は、優しいけれども無力な主人公の青年と、彼がかつて助けた白蛇の化身である美女との恋物語である。

 主人公の青年「許仙(シュウセン)」は、少年の頃、市場で籠に閉じ込められた一匹の白蛇を買って、見せ物の境遇から救い出し、大切に飼っていたが、家の者に見とがめられ、泣く泣く白蛇を野原に捨てて、生き別れとなってしまう。

 歳月が経ち、青年となった許仙は、ある日、「白娘(パイニャン)」と名乗る美しい娘の奏でる胡弓(こきゅう)の音色に心ひかれ、ふたりは運命的にめぐり逢い、恋に陥る。白娘は、かつて許仙が救い出し、生き別れとなったあの白蛇の化身であった。

 しかし、妖怪を不吉なる、まがまがしき〈異形(いぎょう)の者〉として忌避し、憎悪する僧の法海(ほっかい)は、白娘の正体を見破り、彼女と許仙の仲を引き裂こうとする。

 法海の奸計にはまり、王宮の宝物を盗んだ罪人として故郷を追われた許仙は、白娘との仲を引き裂かれ、遠い異郷の地・蘇州で、舟曳きの苛酷な日雇い労働に従事しながら、あとでの無い、極貧のその日暮らしの日々を送っていた。

 白娘が忘れられない許仙は、恋人の魂が身近に寄り添っている気配を感じ取るが、白娘の霊気を己れの妖術の「玉」を使って探り当てた法海に、彼女が実は「白蛇」の化身であることを告げられ、恋を断念するように忠告される。しかし、白娘が、自分が昔、野原に捨てた白蛇にほかならない事を悟った許仙は、なんとしても白娘に会いたいと切望し、ついに、朽ち果てた古い塔の中に隠れ棲んでいる恋人を見つけ出す。

 しかし、またも白娘のありかを嗅ぎつけた法海が、ふたりの仲を引き裂こうとして、恋路の邪魔をする。

 許仙との恋を守り抜こうとする白娘は、法海と壮絶な妖術のたたかいをくりひろげるが、敗れ去り、幻の女と化したまま、恋人の許から離れ去ろうとする。追いすがる許仙は、足を踏み外して崖から転落し、あえなく死んでしまう。

 白娘は、なんとか恋人を甦らせようと、消滅寸前の幻の女体を抱えたまま、天空の星辰に宿る妖精の元締「龍王」の許におもむき、己れの妖精としての永遠の命と魔性の霊力を棄て去る代りに、龍王から「命の花」をもらい受け、〈生身〉の肉体をもった、ただの非力な人間の女性へと変えてもらう。

 再び人間の地上界に降り立った白娘は、動物たちの助けにより、「命の花」の力で許仙を甦らせることに成功するが、またも法海は、法力を使ってふたりの仲を引き裂こうとする。

 しかし、今や妖怪としての霊力を失って、ただの人間の女性に成り切った白娘の心を知り、ついに、恋人たちの愛の力の前に頭(こうべ)を垂れ、ふたりの門出を祝福することとなる。

 

     4

 

 このアニメには、宮崎駿の資質的なこだわりのポイントが、とてもよく表われているようにおもえる。まず第一に、蛇という〈異形の者〉と少年との、閉ざされたふたりだけの絆という設定である。そして、その〈異形の者〉を、不気味で不吉なものとして排除しようとする大人たちのあり方への強烈な〈異和〉の感覚である。

 ここには、あのアニメ『風の谷のナウシカ』に描かれた、幼女時代のナウシカと、腐海の異形の蟲「オーム」の幼虫との秘められた絆と、幼女から無理やり幼虫を取り上げ、捨て去ろうとする大人たちへの〈異和〉の記憶を物語る、痛々しい悪夢のシーンをダブらせることができるのだ。

 この〈異形の者〉への排除の視線は、主人公の男女の仲を引き裂こうとする僧・法海のアクの強い存在感によって、さらにグレード・アップする。

 法海は、許仙のために良かれと思って、己れの独善的な正義感に駆られて、おせっかいにも、人の恋路の邪魔をするのである。

 妖精という〈異形の者〉は、世間の大人たちにとって、己れのアイデンティティーを脅かす、得体の知れない四次元的な霊力の象徴にほかならない。

 それは、可視的で散文的で物質主義的な世界、制度的な価値と世俗的な通念の支配する社会の対極にある感覚・まなざしを体現する者の場所である。

 だからこそ、世間の大人たちは、異形の者を、不吉なるものとして排除せんとするのだ。

 宮崎駿にとって、〈異形の者〉とは、〈子供〉の魂を温存しながら成長した者のことであり、その魂を完璧な形で体現し得ているのは、七歳頃までの〈幼児〉だということになるらしい。

 かつて私は、(たしか二〇〇七〜八年頃だったと記憶しているが、)テレビで宮崎駿が、「人間は、七歳ぐらいまでで(あるいは「五歳」頃までで、だったか?)良いものは全て出揃っているのであって、後は堕落する一方だ」というような趣旨の発言をしているのを聞いて、「とんでもなくひどい事を言うなァ」と思ったことがあったものだが、なるほど、彼の作品には、そういう幼児性への理想化された感覚があって、恋愛でも何でも、その理想的な原型は、全て「幼児期」までの魂の賜物(たまもの)なのである。

 近年の『崖の上のポニョ』の幼児的な恋愛は、その理念の露骨な表われだが、遡れば、『ハウルの動く城』の主人公ハウルとソフィー、『千と千尋の神隠し』における千尋とハク、『もののけ姫』のアシタカとサン、『天空の城ラピュタ』のパズーとシータ、『ルパン三世・カリオストロの城』のルパンとクラリス、そして『未来少年コナン』のコナンとラナなど、……全て、その愛の本質は、人見知りしないで済む、兄弟−姉妹的ないし双子的な親密さにも似た、幼児的なエロスの感覚にあるといっていい。

 その幼児的なエロス性の中心に、四次元的な〈闇〉の霊性・コスモスが位置しているのである。

 そして、その感覚は、そのまま『白蛇伝』の許仙と白娘の恋のかたちに通じている。

 

 私は、宮崎駿のように、子供や幼児性というものを一面的に美化することはできない。

 子供は残酷な生き物である。

 大人には到底口にすることができないような残酷な言葉を、平気で人に投げかける。

 少年期、特に思春期にさしかかった十歳から十二歳頃の子供は、とりわけ残忍である。

 ストレスのたまった子供による「弱い者いじめ」はざらだし、己れとは匂いの違う、〈異形〉の空気感を漂わす子供を、陰湿に「集団的」に排除したりもする。

 子供は、いったん「偏見」にとり憑かれると、その対象に対して、いともチープなレッテルを貼り付けて、大人顔負けの「いじめ」「シカト」をする生き物である。

 動物への面白半分の虐待なども行う。

 男の子の場合には、それに加えて、権力的なヒエラルキー、支配欲という奴も、頭をもたげてくる。

 特に、何かに夢中になって、他者が視えなくなった時の子供ほど、怖ろしいものはない。

 こういう残忍さは、主として少年期に特有のものではあるが、幼児とて、すでに立派に「悪のひな型」は備えているのだ。フロイトが言うように、幼児期の成長過程の中には、「サディズム的肛門愛期」という奴があって、何かに噛みついたりするなどの攻撃衝動や排泄器官へのエロス的な関心の高まりを示すような発達段階があり、その習性への〈固着〉、すなわち〈快感〉の記憶が、後に、少年期・思春期から大人への成長過程の中でも残存することによって、人間の「サド・マゾ的」嗜好という〈悪〉の温床になると考えられるのである。

 人間が、強度のストレスを受けて、それを、なんらかの芸術上ないし生活上の〈表現〉行為によって代償的に「昇華」できぬ時、彼(彼女)は、己れのストレスを、幼児期に刻印された「サディズム的―肛門愛的」段階への〈退行〉によって、「サド・マゾ的」なフェティシズムという、精神病理的ないし犯罪的な〈変態〉的嗜好の形で解消せんとする衝動に駆られる。

 その際、退行への内面的な〈抑圧〉がかかっていれば、「強迫神経症」になるのであるが、〈抑圧〉が欠如している場合には、純然たる「サド・マゾ的」な変態的表現となるのである。

 嗜虐的な欲求を芸術によって代償的に満たそうとするのは仕方のないことであるが、その衝動を、現実生活の中に持ち込まれては、たまったものではない。

 少年期の子供にみられる「いじめ」や「動物への虐待」、〈異形の存在〉への「集団的シカト」などは、こういうサド・マゾ的悪の表現形態の一種と解釈できるケースが多いのではあるまいか。

 ついでに言えば、大人もまた、悪事や狂気に陥る時には、しばしば、こういう「幼児的退行」の症状を示すのではなかろうか。

 その意味で、歪んだ大人とは、実は、歪んだ子供に転落した者のことだといってよいだろう。(この稿続く)

 

 

JUGEMテーマ:アニメ映画全般

JUGEMテーマ:批評

JUGEMテーマ:日記・一般

東映初期カラーアニメーションのコスモス―『少年猿飛佐助』と『白蛇伝』を中心に―(連載第2回) 川喜田八潮

  • 2017.09.30 Saturday
  • 16:21

 

     2

 

『少年猿飛佐助』では、「夜叉姫」も「佐助」も姉の「おゆう」も、夜叉姫の手先となっている凶悪な「山賊たち」も、全ての登場人物たちは、誰一人として、個性的な〈人格〉としては描かれていない。

 このアニメでは、〈人〉は、森羅万象の一存在として、あくまでも〈風景〉の一部として描かれている。主人公は〈風景〉であり、世界(コスモス)をつかさどっている〈気〉の流れなのである。

「夜叉姫」とは、生命と虚無の両義性を備えて渦巻いている、渾沌(カオス)としての本源的な〈闇〉が紡ぎ出した、死と虚無の象徴であり、それが人間的な場において〈邪悪さ〉となって顕われるのは、「嫉妬」や「我執」や「憎悪」のような諸々の負の情念が、みずみずしい生命的な歓びや自然な優しさ・温かさの感覚を踏みにじり、破壊するからである。

 真の善悪とは、いたずらに罪業の意識に毒された道徳的なものではない。

 人間が、自他の生命への価値的な優先順位をつけ、己れのエゴのために他の生き物や人間を犠牲にする、罪深い存在であろうとも、罪業意識によって「生を呪う」ことは、いたずらに悲しみによって魂を蝕み、自他への憎悪という不毛さを招き寄せるだけである。

 真の善とは、固有のいのちへの愛であり、「生きる」ことの心底からの歓びであり、充溢・充足のことである。

 そして、真の悪とは、「生きる」ことを憎むこと、「生への怨念(ルサンチマン)」のことである。

 人間にとっての善悪が、個々人の置かれた状況によっていかに限界づけられていたとしても、人が幸せに生きるためには、その人なりの善悪のけじめが絶対に必要となる。

 そしてまた、人は幸せになるために、己れ自身のいのちのあり方に充ち足りることを知らねばならない。

 あるがままの己れ自身のいのちに充ち足りることを知らず、他者との比較・優劣によって自らの値打ちを決めようとする者は、常に不安と不満を抱え込み、他人の幸福そうな表情に苛立ち、嫉み、生を濁らせる。

「夜叉姫」とは、そのような不毛さ、生へのルサンチマンの象徴なのである。

 この妖怪の圧倒的な存在感が美事に描出されているのが、配下の山賊たちの前で演じられる、能舞台のような夜叉姫の「舞い」のシーンである。

 彼女の背景に描かれた風景が、途中で明から暗へと激変する。

 あでやかな夜桜を背景に、鼓と三味線・琴によるゆったりとした演奏に合わせて優雅に踊っていた夜叉姫が、突如、殺気溢れる鬼女の形相(ぎょうそう)に変貌する。

 それに伴い、背景には、不気味な青黒い渦巻き型の抽象絵画が立ち顕われ、それが毒々しい紅に変じ、どす黒い緑青色の渦巻のうねりへと移っていく。

 凶暴な〈闇〉の象徴としての夜叉姫の凄みが、白(着物)と黒(髪の色と着物の紋様=コウモリ)と紅(唇)によって彩られた彼女の容姿と、この渦巻きのどす黒い深淵のイメージの、鮮烈なコントラストによって浮き彫りとなり、それが、踊りに合わせて烈しくせり上がってゆく鼓と三味線・笛によるハイテンションのリズムと相まって、中世的な怨霊の空気感を漲らせ、私たちの戦慄的な身体感覚を、いや応なく励起させるのである。

 この「夜叉姫」の圧倒的な四次元的存在感・象徴性があってこそ、そのダークな〈闇〉に対峙する「佐助」の〈光〉の象徴性の力強さが浮き彫りとなるのだ。

「佐助」もまた、両義的な渾沌(カオス)としての本源的な〈闇〉が、「夜叉姫」という虚無の〈気〉に対峙する形で、おのずと紡ぎ出した、生命の〈光〉という、コスミックな〈風景〉にほかならない。

 宇宙(コスモス)とは、この本源的な〈闇〉の中から紡ぎ出された生命と虚無の〈気〉のうねりによる重層的な葛藤のダイナミズムが織り成す、〈存在の生成史〉という物語的な光芒(こうぼう)にほかならないのである。

 それが、このアニメーションが示唆する世界観、〈存在へのまなざし〉だといっていい。

 佐助と夜叉姫の対決という、ミクロ・コスモスのささやかな物語が、宇宙・万物の本質を象徴的に照らし出すほどの効果を生み出しているのだ。

 

 夜叉姫の妖術に破れた佐助は、姉に置き手紙を残して、単身、仙人の住むという戸隠山(とがくれやま)に登って、忍術を習おうとする。

 少年佐助が峻厳な戸隠山の絶壁を必死によじ登る姿に合わせて、勇ましいスピーディーな、鼓のリズムと一体となったマンドリン・ギター・トランペットによる演奏が入り、私たちの高揚感はいやが上にもつのってゆく。

 この高揚感は、戸沢白雲斎のもとでの、三年に及ぶ厳しい修行を終えて、いよいよ夜叉姫とたたかうべく下山する時にも訪れる。主題歌に沿って、忍術を会得した佐助の勇姿に胸が躍る。

 そして圧巻は、最後の、夜叉姫との妖術と忍術の一大決戦のシーンである。

 このアニメの注目すべき特長の一つは、登場人物や動物たちの身体曲線の滑らかさと、生身の感触を励起する表現のゆたかさである。

 夜叉姫の妖気溢れる黒髪のなびき方、長い爪、不気味にくねった身体の動き、着物の風になびくさま、佐助が鹿を助けようと、沼の中に飛び込んで泳ぎ、水中で大山椒魚とたたかう描写、戸隠山の断崖を登る時の力の入り方、崩れる石と共に今にも落下しそうになる姿、動物たちの生き生きと飛び跳ねるさま、そして、クライマックスにおける夜叉姫と佐助の、全身から発せられる凄まじい気と気の激突の迫真性……その全てが、流れる舞いのような、身体曲線のすばらしい滑らかさと生身の手応え・痛覚のきめ細かな描写によって、力強いリアリティを与えられている。

 佐助の白雲斎のもとでの修行の描写も、周到に組み立てられており、弟子入りを許された少年は、まず基礎体力をつくるために、重い水涌を天びん棒で担がされるのだが、このシーンが、いかにもしんどそうな青息吐息の感覚を伝えてくる。

 以下、四季の移ろいの中で日常生活を送りながら、徐々に技を磨いてゆく姿が、場面の点綴によって簡潔に描かれるが、身体の動きはあくまでナチュラルであり、その延長上に初めて、忍術の会得による四次元的な超常能力が立ち顕われてくる。

 私たちは、厳しい修行を経て、人間的にもたくましく成長した少年・佐助の忍法の力を自然に受け容れられるような気分になって、夜叉姫と少年の対決の予感に胸が高鳴るのである。佐助の忍術、超常能力とは、そのまま、少年の魂の成長の軌跡、彼の解き放つ〈気〉の靭(つよ)さの表現にほかならないのだ。

 ナチュラルで丁寧な身体の描写力の積み重ねがあって初めて、〈風景〉は、登場人物たちの三次元的な〈生身〉を包摂する、四次元的な〈気〉としての神秘的なリアリティの輝きを放ちうる。

 四次元的な〈気〉を演出する中心は、あくまでも夜叉姫と佐助にあるが、彼ら以外の、動物たちを含む全ての生きものたちの身体表現のリアリティが、物語の〈風景〉全体を、四次元的なレベルへと押し上げることを可能ならしめているのである。

 もちろん、気品ある古典的な日本画空間がかもし出す光と闇のふくらみ・奥ゆきや、物語と連動・呼応する音楽の効果は、言うまでもない。

 人や生き物の身体表現は、〈風景〉の一部として溶かし込まれているのであって、主役は、あくまでも〈風景〉なのである。

 クライマックスの夜叉姫と佐助の決戦のシーンでは、こういった身体表現のリアリティとそれを包摂する風景描写の地道で丹念な積み重ねが一気に集約され、生命と虚無の〈気〉の激突という形をとって、最高の迫真力をもって象徴的に描出されている。

 ふたりの対決のイメージは、メタフィジカルな〈水〉と〈火〉の紡ぎ出すたたかいのドラマでもある。

 暗転した大気に雷雲を呼び、凄まじい嵐をひき起こす夜叉姫を追う佐助の首に、植物のツルのような化物が絡みつき、絞め上げるが、彼は気合を込めて、断ち切ってみせる。

 夜叉姫は渾身の力を込めて〈水〉を呼ぶ。鬼女の操る悪龍の水気に襲われ、せり上る荒波にさらわれそうになった佐助は、心気を澄ませ、水の流れを押し戻し、生命的な水龍の気に変じてみせる。

 少年の存在の軸は、悪霊の邪気を浴びても、まったく動ずることがない。

 少年の紡ぎ出す澄み切った〈火〉の威力は、夜叉姫の邪気の炎を凌駕する鋭さをもつ。水龍の気に包まれ、〈風〉に乗って、嵐のただ中を、まっすぐに夜叉姫めがけて飛翔するのである。佐助の〈火〉に繰り返し己れの妖術を打ち砕かれ、全身を叩きのめされた夜叉姫は、ついに追いつめられて少年に斬りかかるが、逆に斬り返されてしまう。妖怪は次第に痩せ衰えながら、風雨の中を、己れの棲み家である沼の洞窟めざして、必死に這うように逃げてゆく。

 急速に髪の毛が抜け、肉が剥がれ落ち、骸骨に変貌してゆく夜叉姫のリアルな描写の迫真力は実に怖ろしいもので、このアニメの最大の見せ場となっている。

 わずかに残っていた髪のひと房までも抜け落ちた凄惨な骸骨が、やっとの想いで泳ぎ着いた、どす黒い洞窟の岩場に這い上がり、最後の力をふり絞って、追ってきた佐助に邪炎を吐きかけるが、少年の投げつけた刃(やいば)は、まっすぐに、夜叉姫の頭蓋骨の額を刺し貫いてしまう。

 骸骨がバラバラと崩れ落ち、それと同時に沼の水がせり上り、不吉な鬼女の洞窟は水没する。死と虚無を象徴する青黒い不気味な沼の風景は、秋の夕焼け空に包まれた、生命的でみずみずしい、清澄な湖水のイメージへと変貌してゆく。

 まさに、メタフィジカルな次元としての〈水〉と〈火〉の両義的本質を美事に演出しているといっていい。

 私たちは、この息づまる対決のシーンを無心に凝視させられることで、まぎれもなく、己れの深奥から立ち昇る、闇と光の四次元的なダイナミズムの感触を、理屈抜きに、瞬間的に、象徴的に体感させられているのだ。

 これは、凄いことである。

 私は、今に至るまで、アニメーションの中に、これほどに凄い、四次元的な身体感覚の解放を覚えたことはない。

 日本アニメ史の黎明期の金字塔を打ち立てた東映初期カラーアニメーション映画の中で、私が、この『少年猿飛佐助』を空前絶後の名作だと評価するゆえんも、そこにある。初期のアニメ史においてだけではない。

 今に至るまでの戦後のありとあらゆるアニメ作品を通じて、四次元的な魂の解放感の象徴的演出の美事さという点で、この作品に匹敵できるものは、おそらく他にあるまいとおもわれる。

 近世後期以降の私たちの伝統的な日本的美意識の体現として視ても、固有の美的伝統を通じて普遍的なリアリティを表現し得ているという点でも、近代文明の閉塞感を超えてゆく生命的な世界観、存在へのまなざしを象徴的に描出してみせているという点でも、空前絶後の作品なのである。

 偏狭な合理主義によって武装された現代人の〈大人〉という種族にまんまと成りおおせている、私たちの魂の深奥に、今もなお、観念的で散文的な物質主義的精神に汚染されていない、ういういしい少年のような生存感覚がいささかでも息づいているのなら、その事はわかるはずだと私には思えるのだが、さて、どうであろうか?(この稿続く)

 

 

JUGEMテーマ:アニメ映画全般

JUGEMテーマ:日記・一般

JUGEMテーマ:批評

JUGEMテーマ:日本文学

 

『右大臣実朝』と宿命(連載第1回) 川喜田八潮

  • 2017.09.29 Friday
  • 21:37

 

*この「『右大臣実朝』と宿命」は、「1999年・春」に発行された「星辰」第二号に掲載されたものである。すでに、「『中期』太宰治の変容」の初めにも断ったように、旧「星辰」誌上においては、「太宰治と〈悪〉」という統一タイトルのもとに組まれた連載評論の「第二回目」として発表された。これから、その内容を五回に分けて再掲してゆく予定である。「『中期』太宰治の変容」と併せて味読いただければ、本望である。(二〇一七年九月 筆者)

 

     1

 

『右大臣実朝』は美しい小説である。

 太宰治の鮮やかな魂の結晶のうちで、これほどに透明で、抑制された深い静けさを感じさせる作品は他にない。

 太宰にとって、おそらく、〈死〉のかたちをこれほどの澄んだまなざしで間近に見据えながら、同時にそれと拮抗する形で、〈生〉のうたを、いささかの高ぶりも無くきちんと率直にうたい得たという作品は、他にあるまいとおもう。

 その意味では、最も太宰らしくない作品であると共に、魂の孤独な真髄のかたちが、この上なくつつましくデリケートに、純潔な光を放つ形で浮き彫りにされた、珠玉の作品でもある。

 私は、主観的な感情移入によって対象をわしづかみにし己れ自身の固有のうたへと変貌させてしまう小林秀雄の実朝論や、『新古今集』成立に至る和歌の表出史とそれに拮抗する実朝歌の独自性の本質を丁寧に論じた吉本隆明の労作『源実朝』を熟知しているけれども、それでも今もってなお、太宰の実朝像ほど、身近になまなましく感じられながら、『吾妻鏡』を中心とする関連史料に忠実な人間像は、他に無いような気がしている。

 実朝の〈資質〉に己れ自身の〈分身〉を色濃く重ね合わせながら、これほどまでに虚心に、あるがままに対象を浮かび上がらせるには、よほど痛切な愛情がなくてはならない。

 太宰の実朝像は、なによりもまず、『金槐和歌集』に収められた歌を丁寧に読み込むことを通して紡ぎ出された、なまなましい文学的直観の産物であり、太宰治自身の孤独な魂の主調音と同調(シンクロナイズ)させられ、その切り口に沿って抽象化された、独特の純粋な人間像として造型されたものだ。

 そして、その純化された人間像を常に身体的にイメージしながら、『吾妻鏡』を中心とする関連史料を、矛盾の無い形で素直にあるがままに読み解こうとしている。この〈解読〉の仕方は、個々の具体的な場面における小説上の粉飾を別とすれば、私には、ひとつの歴史研究としてもきわめて説得力のあるものにおもえる。

 もし私たちが、『金槐和歌集』を味わうことによって私たちなりの切実な実朝像を彷彿とさせることができ、それが、太宰の実朝像によって強調された生々しい生の〈位相〉と本質的に重なり合うものであるとすれば、私たちは、『右大臣実朝』を、関連史料を整合的に解釈した上で実朝の内面的な生活史の実相にまで踏み込んでみせた、恐るべき歴史的洞察の産物として認めるのに、やぶさかではないであろう。

『右大臣実朝』には、ごく少数ではあるが、実朝自身の和歌が、小説の展開に合わせて随所に配置されている。もちろん、『金槐和歌集』に収められた作品のほとんどは、その具体的な作歌時期を「特定」することが不可能であり、そういう意味では、この配置は、太宰の文学的直観と物語の展開の必要によってなされた、はなはだ恣意的な作業であるともいえる。

 しかし、実朝の生きざまと魂の孤絶した純潔なかたちに対する、太宰治のメタフィジカルな洞察の象徴とみなすなら、歌への読み込み方も、その小説上での配置も、いささかも恣意的なものではないし、史実を歪めたものでもない、と私は考える。

 この作品の実朝には、「中期」太宰の〈分身〉としての、最良の形で蒸留された〈生活思想〉のエキスともいうべきものが、みずみずしい肉体をもって息づいている。この作品「前半」の実朝像には、「かくありたい」と希う、当時の太宰治の祈りと憧憬がたしかに込められているようにおもえる。

 しかしそれと同時に、作品全体を通じて、その透明な理想像を包摂するかのようなおもむきで、次第に拡散し浸透する時代の〈滅び〉の予兆が、残照のように静かに描き込まれてもいる。

 この作品は、元、実朝の近習として仕えていた語り手の「私」が、主君の死後、出家して山奥に隠棲し、二十年ほど経た後に、求められるままに「昔語り」をする、という体裁で創られている。

 作品の冒頭において、「私」は、実朝のことを、一切の批評がましい言葉を無意味に感じさせるような、ただ「なつかしいお人」であると語っている。

 

「……そろそろ二十年、憂き世を離れてこんな山の奥に隠れ住み、鎌倉も尼御台(あまみだい)も北条も和田も三浦も、もう今の私には淡い影のように思われ、念仏のさわりになるような事も無くなりました。けれども、ただお一人、さきの将軍家右大臣さまの事を思うと、この胸がつぶれます。念仏どころでなくなります。花を見ても月を見ても、あのお方の事が、あざやかに色濃く思い出されて、たまらなくなります。ただ、なつかしいのです。人によって、さまざまの見方もあるでしょうが、私には、ただなつかしいお人でございます。」

 

 この「なつかしい」という言葉には、語り手の「私」と共に、作者太宰治の、実朝への万感のおもいが重ね合わせられている。今では喪失してしまったが、かつては鮮やかに息づいていたなにものかに対する無量のおもいと、その〈感触〉を、ある及びがたい距離を隔てながら、忠実に「復元」してゆこうとする「私」=太宰治のまなざしが透けて見える。

 この醒めた、深い喪失感を伴った絶妙のスタンスの取り方が、『右大臣実朝』を、無類の透明度を備えた深みのある作品にしている。

 ここでは、作者太宰の分身である「私」が、実朝のふるまいを、溢れるおもいを厳しく抑制しつつ静かに回想しながら、随所で主君の気持を控え目に推し測っているのだが、実朝自身はきわめて寡黙で、ごくたまに、そのセリフが現代風の軽妙な「カタカナ書き」の語り口調で、異邦人のようにぽつりぽつりと吐かれるのみである。

 しかし、「私」の推量と「実朝」の鷹揚(おうよう)なふるまいや言葉の、この〈空隙〉の大きさが、実は、作者太宰治自身の〈無意識〉の領域の大きさの象徴になっているのだ。

 両者の〈ズレ〉が実朝の〈沈黙〉の巨大なふくらみを表現していると同時に、そのまま太宰治自身の秘められた無意識の奥ゆきや陰影を鮮やかに浮き彫りにし、浮上させてみせるのである。

 この作者の視線の多元的なふくらみの大きさが、『右大臣実朝』の魅力の真髄をなしているといっていい。

 ここには、太宰治特有の対人恐怖症的なひねこびた〈自意識〉というものが見られない。

 われわれをへとへとにさせる、あの猫の目のようにすばやく転換する神経症的な話体のリズムという奴が無いのだ。ゆったりとしたのびやかな自然体の文体に成り切っており、近代の時空意識を脱して、実朝自身の体液のリズムと歩調を合わせながらしみじみと語られている。そこには、私たち現代人が完全に喪失してしまった、かけがえのない、柔らかで深々としたアジア的な〈農〉の時間が、いまもなお微風のように優しく息づいている。

 薄幸な実朝の生涯というと、源家の血ぬられた宿命から推し測って、陰鬱で殺伐とした空気の中で張りつめた日常を送っていたかのように見えるが、実際には決してそうではなく、実朝自身は「いつもゆったりして」「のんきそうに見え」る日々を送っていたと「私」は語っている。彼の周囲には不思議と柔らかい光に満ち溢れた空気が漂っていた。

 物語は、「私」が初めて将軍の御所にあがった十二歳の時から始まる。当時十七歳の少年であった実朝には、すでに、御所の誰よりも深く大人びた、思慮深げで透徹したまなざしが備わっていた。

 

「私が御ところへあがったのは私の十二歳のお正月で、問註所の善信入道さまの名越のお家が焼けたのは正月の十六日、私はその三日あとに父に連れられ御ところへあがって将軍家のお傍の御用を勤める事になったのですが、あの時の火事で入道さまが将軍家よりおあずかりの貴い御文籍も何もかもすっかり灰にしてしまったとかで、御ところへ参りましても、まるでもう呆(ほう)けたようにおなりになって、ただ、だらだらと涙を流すばかりで、私はその様を見て、笑いを制する事が出来ず、ついくすくすと笑ってしまって、はっと気を取り直して御奥の将軍家のお顔を伺い見ましたら、あのお方も、私のほうをちらと御らんになってにっこりお笑いになりました。たいせつの御文籍をたくさん焼かれても、なんのくったくも無げに、私と一緒に入道さまの御愁歎をむしろ興がっておいでのようなその御様子が、私には神さまみたいに尊く有難く、ああもうこのお方のお傍から死んでも離れまいと思いました。どうしたって私たちとは天地の違いがございます。全然、別種のお生れつきなのでございます。わが貧しい凡俗の胸を尺度にして、あのお方のお事をあれこれ推し測ってみたりするのは、とんでもない間違いのもとでございます。人間はみな同じものだなんて、なんという浅はかなひとりよがりの考え方か、本当に腹が立ちます。それは、あのお方が十七歳になられたばかりの頃の事だったのでございますが、おからだも充分に大きく、少し伏目になってゆったりとお坐りになって居られるお姿は、御ところのどんな御老人よりも、分別ありげに、おとなびて、たのもしく見えました。

 老イヌレバ年ノ暮ユクタビゴトニ我身ヒトツト思ホユル哉(かな)

 その頃もう、こんな和歌さえおつくりになって居られたくらいで、お生れつきとは言え、私たちには、ただ不思議と申し上げるより他に術(すべ)がございませんでした。」

 

 ここには、人間の原存在としての〈孤独〉というものを、あたかもこの世に生まれ落ちた時から宿命的に熟知しているかのような、不動の老成ぶりを示す実朝の姿がある。身辺の一切の出来事を、ひとつの〈自然〉のように受容し、受け流してゆくまなざしは、こういう実朝の魂の芯部を成す独特の孤独さのかたちから湧出して来るようにおもえる。

 もうひとつ挙げてみよう。

「私」が御所にあがってまもなく、実朝は突然「疱瘡」にかかって発熱し、危篤状態にまで陥る。ようやく持ち直して病後さめやらぬころ、母親の「尼御台」(北条政子)が実朝の御台所を連れて見舞いに来る時の描写である。

 

「忘れも致しませぬ、二十三日の午剋(うまのこく)、尼御台さまは御台所さまをお連れになって御寝所へお見舞いにおいでになりました。私もその時、御寝所の片隅に小さく控えて居りましたが、尼御台さまは将軍家のお枕元にずっといざり寄られて、つくづくとあのお方のお顔を見つめて、もとのお顔を、もいちど見たいの、とまるでお天気の事でも言うような平然たる御口調ではっきりおっしゃいましたので私は子供心にも、どきんとしていたたまらない気持が致しました。御台所さまはそれを聞いて、え堪えず、泣き伏しておしまいになりましたが、尼御台さまは、なおも将軍家のお顔から眼をそらさず静かな御口調で、ご存じかの、とあのお方にお尋ねなさるのでございました。あのお方のお顔には疱瘡の跡が残って、ひどい御面変りがしていたのでございます。お傍のお方たちは、みんなその事には気附かぬ振りをしていたのですが、尼御台さまは、そのとき平気で言い出されましたので、私たちは色を失い生きた心地も無かったのでございます。その時あのお方は、幽(かす)かにうなずき、それから白いお歯をちらと覗(のぞ)かせて笑いながら申されました。

 スグ馴レルモノデス

(中略)融通無碍(ゆうずうむげ)とでもいうのでございましょうか。お心に一点のわだかまりも無い。本当に、私たちも、はじめはひどく面変りをしたと思っていたのでございますが、馴れるとでも言うのでしょうか、あのお方がだいいち少しも御自身のお顔にこだわるような御様子をなさいませぬし、皆の者にもいつのまにやら以前のままの、にこやかな、なつかしいお顔のように見えてまいりました。」

 

 ここにも、先の引用の中にあった、驚くべき老成ぶりを示す和歌と同様に、人間存在の本源的・原初的な〈孤独さ〉の不動のかたちを真に見据えた者のみがもちうる、透徹した覚悟性が鮮やかににじみ出ている。すなわち、この世のありとあらゆるめぐり合わせと生の移ろいに対する絶対的な〈受容〉の姿勢が深々と息づいているのである。

 こういう実朝の生きざまへの憧憬に満ちた描き方を見ていると、太宰文学を知悉している読者なら、一切の不条理、災厄を黙々とやり過ごしてゆく兄妹の澄み切ったまなざしを描いた中期初期の名作『新樹の言葉』や、疎開した「私」の妻の実家が空襲で焼けたのに、その焼跡を無邪気にほほ笑んで眺めている子供の眼を描いた『薄明』、さらには、後期の『斜陽』における、直治とかず子の「母」の像を想い浮かべる人も多いであろう。苛酷で数奇な一切のめぐり合わせを、あるがままに受け入れ、従容として死に臨む『斜陽』の「母」の端正な静けさは、「右大臣実朝」の変形した姿だといってもよい。

 こういう実朝の生存感覚に象徴される位相は、「中期」の太宰治が、生活者の純粋な〈原点〉として繰り返し回帰しようとしたアジア的な〈農〉のまなざしなのである。(この稿続く)

 

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

JUGEMテーマ:日本文学

JUGEMテーマ:批評

〈生き難さ〉のアーカイブス〜「詩を描く」若者たち〜(連載第4回) 川喜田晶子

  • 2017.09.27 Wednesday
  • 18:24

 

天と地

 

 天上的価値と地上的現実とが分極し、自分たちの世界がわびしい限定をこうむっていることを、学生たちはくっきりと自覚している。しかしその醒めたまなざしは、饐え切ったニヒリズムには転落せずに、欺瞞的な〈天〉を拒絶することで本来的な〈天〉のあり方を問い、不屈のアクセスを試みてもいる。

 

   紛争   K・G

 

武器を持たなければ君を守れない

   武器を持ったままでは君を抱き締められない

 

 庵野秀明監督のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のテーマを想起させる。

 講義においてしばしば引き合いに出したのだが、このアニメの主人公たちは、「エヴァ」というロボットとシンクロすることで自分の潜在能力を解放しながら「使徒」という敵と闘う。そこで武器になるのが「ATフィールド」と呼ばれるものだ。敵の攻撃を強力に防ぐ。実はアトミックに分断され切った〈現在〉の人間の「自意識」のメタファーである。

「使徒」の攻撃はファシズム的な結社をイメージさせる「ゼーレ」によって仕組まれたもので、主人公の操縦する「エヴァ」を憑り代として、分断された個であることに疲れ切った人類を、一つのスープのように融合させてしまう「人類補完計画」推進の布石なのだ。

「ATフィールド」と「人類補完計画」に象徴される個と類のジレンマ、自意識が強まるほどに他者と完璧に融合したいという渇望が暴走する、近代精神史の暗部に迫った壮大な近未来SFアニメ作品が『エヴァ』である。

 

 学生たちの作品には、しばしばこの「ATフィールド」の強烈さとそれを自身からそぎ落とせない悲哀とが立ち現われる。

 この「紛争」という作品における「君」は、恋愛の対象、あるいは自身の内なる純度の高い幼児性など、なんらかの天上的価値と言えよう。それを守るためには、「ATフィールド」的な武器が必要だが、この「ATフィールド」がある以上、「君」を完全に抱き締めることが出来ない。

 天上的価値を守るために〈地上〉を生き抜くことで、かえって〈天上〉から遠ざかるというジレンマとして、簡潔に〈生き難さ〉の核心を表現し得ている。

 

   生産   C・N

 

陣痛が始まった、ヒッヒッフー。

煮えたぎる憎悪に孕まされた、

そして産まれた可愛いボーヤ。

   とても醜い。

 

   オアシス   C・N

 

辛いなら、その視界をふさごう。

キミの好きなものだけを見せてあげるよ。

だから良いかい? キミは僕に付いてきて

   ボクだけを見ていてね。

 

 

 自分たちの表現や関係がどれほど歪んだ狭窄をこうむっているか、彼らは痛いほどよくわきまえている。

 自他と世界への憎悪をモチベーションとして生み出さずにはいられない表現。産まれた作品を愛おしくおもってはいるが、それが他者から見れば「とても醜い」ことを知っている。

 同様に、「キミ」と「ボク」は現実の関係における痛みや苦さを都合よく捨象した世界を構築する。「僕」という全体ではない、好都合な「ボク」だけを見ている「キミ」。

 このような表現と関係への冷徹な見切りを前提にしなければ、自身の内からとんでもない渇望が溢れ出し、暴走するのではないか。そんな不穏な渇望への怖れさえ感じるほどに、「見切り」は明晰でシビアである。

 

   沼   Y・R

 

もう足首まで沈んでいる

危機感はないのか

むしろ沈んでいく事に喜びを感じるぐらいだ

そのうち息ができなくなるぞ

苦しさよりも喜びが大きいんだ

葛藤の末

私は沼を進み始めた

どんどん沈んでいく

しかし私は夢中で白いしっぽを追いかけた

もう誰にも分かってはもらえない

 

 この作品では、〈表現〉は作者の究極の拠り所としてしっかりと位置づけられている。誰にも理解されなくとも、「白いしっぽ」を追いかけるしかない作者。「苦しさよりも喜びが大きい」ことだけを根拠に、固有の〈表現〉の追求へと突き進む。それは、社会からはドロップアウトしてゆく姿、「沼」にはまり込んだだけだと思われるだろう。あえて、「沼」に沈んでゆく姿として描写したところに、社会から見られている姿への自意識がひらめく。

 社会・他者には見えず、見えたとしても危険をかえりみずに手に入れる価値など無いものとされる、自分だけの「白いしっぽ」。作者は、「白い(反社会的な純度の喩)」からというよりも、それを追い求める「喜び」の大きさに衝き動かされている。そのことが逆に、しっぽの「白さ」を保証しているかのようだ。

 

   傷   S・H

 

曇天の空

上着の黒

吹く風を焼くような

鉄臭い禍

彼岸の赤

光る瞳

鮮やかに

一つ一つ突き刺すの

肌を伝う熱を

輪唱する拍動を

望みは

眼前の死を叩きふせる

その一点

打ち壊し 薙ぎ払い

切りつめる

雷轟と共に

叩き割られ 射貫かれ

切り裂かれる

それでもまたYesと答え

顔を上げるのを止めず

10進法の果てを目指す。

 

 この作品から強く発せられているのは、男性的な戦闘的まなざしである(作者は女性であるが)。既成のよどんだ禍々しい世界観と、そこになずんでいた作者を打ちのめしては鼓舞する鮮烈な世界観との対比があり、いずれにも囲い込まれずに己れの地平を切り拓かねば生きることにはならないと感じている作者の、初々しくも昂然たる自己更新の表現、とおもわれる。

 曇天にたなびく「鉄臭い禍」と、「彼岸の赤」の対比の中には、「10進法」的世界観が存在の奥ゆきを奪い、理知の光で覆い尽くされてのっぺりと狭窄された現実と、それを鮮烈に転倒する手触りに満ちた世界観との対決を目の当たりにした作者がいるようにおもう。

 新たな世界観によって「肌を伝う熱を/輪唱する拍動を」一つ一つ突き刺されることに、作者は歓びをおぼえているのだろう。己れの内に眠っていた生命を、突き刺されながら蘇生させている臨場感がある。

「望みは/眼前の死を叩きふせる/その一点」。作者はもはや、「鉄臭い禍」から身をもぎ離し、世界と存在に死臭をそそぎ込んでいたものに、闘いを挑み始めている。

 己れと世界に見切りをつけていた彼らの、どこにこれだけの戦闘意欲が潜んでいたのか、という想いが込み上げる。

 

 未生以前の〈天〉の記憶は、地上を欺瞞なく生き抜く闘いの内に、おもいがけず鮮やかに蘇生し得るのである。(この稿続く)

 

JUGEMテーマ:日記・一般

JUGEMテーマ:日本文学

JUGEMテーマ:批評

JUGEMテーマ:アニメ映画全般

 

東映初期カラーアニメーションのコスモス―『少年猿飛佐助』と『白蛇伝』を中心に―(連載第1回) 川喜田八潮

  • 2017.08.31 Thursday
  • 11:49

 

     1

 

 一九五〇年代は、日本アニメ史の黎明期である。

 高度経済成長が始まった一九五五年の翌年、一九五六年、東映動画株式会社が誕生し、カラーアニメ映画制作に向けての企画がスタートした。そして、翌一九五七年六月末、日本初のカラーアニメーション映画『白蛇伝』の制作が正式に発表され、一九五八年の十月に劇場公開された。

 森繁久彌と宮城まり子が声優として、あらゆる役柄をこなし、劇作家の矢代静一が台詞構成を担当するという、ユニークなものだった。

 この作品は、ベニス国際児童映画祭特別賞をはじめ、内外の賞を受け、日本アニメ史の画期的な第一歩を記すことになった。『白蛇伝』は中国の民話に材を取ったものであったが、翌一九五九年の十二月に公開された、東映カラー長編アニメ映画・第二作『少年猿飛佐助』は、日本を舞台とする初めての時代劇の名作として、満を持して登場することとなった。

 壇一雄の新聞小説を原作とし、血湧き肉躍る勧善懲悪の冒険活劇として作られたこの作品は、『白蛇伝』同様、ベニス国際児童映画祭グランプリ受賞をはじめ、内外で高い評価を受けた。『白蛇伝』と『少年猿飛佐助』の制作には、当時の日本アニメ界の最高水準の力量をもったスタッフが集結していた。

『少年猿飛佐助』では、『白蛇伝』で演出と脚本を担当した薮下泰司が、ひき続いて(大工原章と共に)演出を担当し、脚本には村松道平、原画の作成には、大工原章・森康二らベテラン組に加え、(東映動画第一期生として入社し、後に七〇年代に、テレビアニメの『ルパン三世』や宮崎駿が演出を担当した『未来少年コナン』などで作画監督をつとめることになる)大塚康生をはじめとする新進気鋭のアニメーターたちが当たり、美術では進藤誠吾と小山礼司、音楽は、昭和三十年代初めに頭角を顕わし、後に、高度経済成長期の日本人の心を歌って、演歌作曲家の大御所となった船村徹が担当した。(作詩は、星野哲郎・岩瀬ひろしが担当。)

 演出・美術・音楽・原画と並んで、初期東映アニメーションの死命を制するといってよい、「ライヴ・アクション」を踏まえた(舞いのような、滑らかな身体曲線を生み出す)緻密な動画の作成は、後に、六〇年代半ばに、白土三平マンガを原作とする忍者物のテレビアニメ『風のフジ丸』(一九六四年)の作画監督をつとめた楠部大吉郎をはじめとする、デッサン力のたしかな強力スタッフ陣が担った。

 東映動画のスタッフが総力を挙げて、鬼気迫る執念をもって作り上げた、この日本を舞台とする本格的なカラー長編アニメーション時代劇は、私の観るところでは、(これから詳細に論ずるように)他のアニメに類をみない、空前絶後といってよい、名作中の名作である。その理由を、CGやVFXなどの、ハイテク映像の極致ともいうべき最先端の高画質の作品を見慣れている、今の世の読者諸氏に、果たして、説得力のある言葉で伝えることができるであろうか?

 これから本稿で順次取り上げる『少年猿飛佐助』・『白蛇伝』・『安寿と厨子王丸』の三本のカラーアニメーション映画はDVDで市販されており、インターネットなどで入手可能であるから、実際に映像を観ていただいた方々には、なんとか私の感覚を伝えることができそうに思えるのだが、そうでない読者の方々に、言葉だけで伝えることができるのかどうか。

 正直、心もとないのであるが、力の限り表現してみたいとおもう。

『少年猿飛佐助』の冒頭には、いきなり、安土・桃山時代の画家・長谷川等伯の「枯木猿猴図」が登場する。等伯六十歳頃の作とおもわれるが、松の枯木の荒々しい描線と、猿の親子の生気ある、軽やかなしぐさが、コントラストをなしつつ一体となった、水墨の名品である。

 序曲と共に登場するこの絵に続いて、画面には、四季折々の樹木と森を描いた、気品溢れる、柔らかな水彩日本画をバックとするオープニングが展開する。

 水彩画をバックに、風格のある、鮮烈な朱色の文字によるスタッフ名と共に、勇ましいマーチ風の主題歌が流れる。

 

《力よ力、雲に乗ってこい/山の仲間は猿・クマ・小鹿・オォーッ/胸に友情 瞳に正義/やるぞ 負けずに ついて来い/僕は 少年猿飛佐助 オーッ》

 

 この素朴でシンプルな主題歌を聴いただけで、私などは、すでになんとなく、微かな血の高ぶりを感ずるのである。

 オープニングが終り、物語が始まるのだが、その風景は、秋の紅葉した山々や森の樹々の、繊細で透明感のある日本画的な絵画空間として演出され、オープニングの背景として描かれた水彩画の世界とそのままスムースにリンクする。

 美術と音楽とは、まさに、このアニメの、気品ある古典的な日本的美意識を支える車の両輪なのである。

 黄・紅・橙・緑の綾なす紅葉、青・灰色・こげ茶に描き分けられた樹木、茶色の山道と緑の繁み・野原、それとコントラストをなす青い岩肌、清冽な川の流れ、天高く澄み切った秋空……。繊細な筆致ではあるが、細かすぎず、グラデーションがナチュラルで、ふわりと包み込むような、生命的で温かみのある全体感を演出できている。岩肌の硬質なアクセントも、心地良い。

 この秋の野山を舞台に飛び跳ねる、猿・熊・鹿といった動物たちの生気ある所作・表情が、キメ細かく丁寧に描かれる。その身体の流れるような描写は、樹間を移動する動物たちの動きに伴う、木の葉の散り方や木のしなり方も含めて、実にリアルで、〈風景〉の一部として美事に溶かし込まれている。

 私には、このアニメに描かれた風景の色彩感覚は、やがて物語の中に顕われる、まがまがしい妖気溢れる沼や、主人公の少年・佐助が修業のために登ってゆく戸隠山(とがくれやま)の岩壁の暗く険しい表情なども含めて、戦前昭和初期から、戦後の一九五〇年代にかけて息づいてきた、日本人の伝統的な美意識を想起させる。

 それは、私が幼児期に親しんだ『源為朝』や『安寿と厨子王』『ゆりわか大臣』といった絵本に載っていた、気品ある日本画の挿絵の感覚・記憶と重なるものであり、自分にとっては、まことに懐しい想いがする。

 また、大正末から昭和初期・戦中期を経て、一九五〇年代の初めにかけて活躍した京都画壇の鬼才「梥本(まつもと)一洋」の古典的な物語空間を材とする、象徴的な日本画の作品群にも通底する感覚である。

 こういった伝統的な日本的美意識によって支えられた〈風景〉描写が、『少年猿飛佐助』というカラー長編アニメーション映画のバックボーンをなし、物語全体に、光と闇のふくらみと奥ゆきを与えているのである。

 この美しい山々と森の中で、主人公の少年「佐助」とその姉「おゆう」は、俗塵を離れて、たった二人で暮らしている。

 親族も友人も、およそ彼らに身近な人間は、誰も出てこない。

 家族や仲間といえるのは、サル・クマ・リス・鹿の母娘といった、山の動物たちだけである。

 この素朴でシンプルな設定は、この映画が作られてから五十年以上経った今(二〇一五年)、改めて観直してみても、なんとも、ほっとさせられるものがある。

 佐助・おゆう姉弟の家族や仲間が、もし動物たちではなく、人間という生臭い生き物であったなら、なんとなく油断のならない、不安な匂いが漂わぬでもないが、そうでないから、ゆったりとした、温かい気持ちになれるのである。

 もっとも、登場するのが人ではなく動物たちであっても、例えば、イソップや宮沢賢治の寓話作品のように、あるいはゲーテの『ライネケ狐』のように、動物たちが、生臭い人間の邪悪さや弱さの〈喩〉として描かれる場合には、こうは行かない。

 だが、幸いなことに、初期東映アニメーション映画の『少年猿飛佐助』や『安寿と厨子王丸』では、動物たちは、優しく善良な性情の持主として、素朴に可愛らしく描かれており、人間臭さも無いから、私たちは、彼らの所作を心地良く観ることができる。

 むろん、少年少女を主たる観客として想定しているこのアニメでは、動物は人間の狩猟の対象としては描かれない。

 あくまでも、人間と同類の〈友達〉として扱われている。

 動物は、このアニメでは、人間と自然との牧歌的な共生と連続性の側面を強調するための喩として機能しているのである。

 佐助・おゆうと動物たちの家族的な山暮らしは、気心の知れた者同士の、自給自足的な助け合いによって成り立つ、閉じられた生活小宇宙であり、隠れ里で営まれる、邪心の無い、理想的な共同性のイメージを素朴に具象化したものとみなすこともできよう。

 こういったイメージが、もっと複雑に高度化し、洗練されたユートピアとして造型されると、例えば、一九八四年に公開された宮崎駿アニメ『風の谷のナウシカ』に描かれた小共同体国家「風の谷」になるのであろう。「風の谷」を大国間の抗争と侵略の魔の手から救い出すために孤独にたたかう族長の娘ナウシカのように、主人公の佐助もまた、この山奥の生活小宇宙の平和を守るために敢然とたたかうのである。

 物語は、山の動物たちの、牧歌的な戯れ・遊びのシーンから始まる。

 やがて、おゆうが出した山盛りのサツマイモを、サル・クマ・リス・小鹿・佐助たちが皆で分け合い、夢中になって食べるという、素朴な可愛らしいシーンが、丁寧に描かれる。

 最後に皿の上に一つだけ残ったサツマイモを佐助から譲ってもらって大喜びのクマの「コロ」は、他の動物たちに見せびらかしながら、得意気に駈け出してゆくが、そのイモを、一匹のサルがいたずらしてかすめ取り、次々に仲間のサルたちに投げて手渡してゆく。コロは、イモを取り返そうとしてサルたちを追いかけてゆくが、やがて、イモは、奪い合いの最中に「スズメバチ」の巣の中に入ってしまう。

 コロがイモを取り出そうとして、巣の中に首を突っ込んだところを、ハチの群れが襲いかかる。

 ハチに刺され、必死に逃げ回るコロの姿を見て、仲間の動物たちもあわてて逃げ出すが、やがてハチの群れは、逃げ遅れた小鹿の「エリ」に襲いかかり、執拗につきまとう。必死に逃げるエリは、突然現われた大鷲につかまれ、そのまま沼まで運ばれて、水中に落とされる。

 明るいトーンから次第に不穏な気配へと変容しつつあった音楽が、ここで明確に暗へと転じ、不気味さを増してゆく。

 風景は、それまでとは一転した暗鬱な気配の内に包まれる。空は薄暗くなり、ダークブルーの沼とそれを取り囲む、緑青(ろくしょう)色を基調とする毒々しい岩肌や洞窟、コウモリの描写などによって、えも言えぬ、ドロドロとした、まがまがしい死臭を放つようになる。

 私たちは、生命的な温かい、みずみずしい〈光〉の風景のすぐ近傍に、背中合わせのように、このような毒々しい、死と虚無に彩られた〈闇〉が潜んでいる事を皮膚感覚的に感受させられ、戦慄を覚える。

 沼には、一匹の「大山椒魚」が居て、小鹿のエリに襲いかかる。

 鷲にさらわれたエリの悲鳴を聞きつけて、わが子を助けようとした母鹿は、断崖から果敢に沼に飛び込み、必死に大山椒魚の魔手からエリを救い出すが、自らが身代りとなって、怪物の餌食にされてしまう。

 佐助が母鹿を救うべく、刀をくわえて飛び込み、水中で大山椒魚と格闘するが、かなわず、沼から岸辺へと跳ね飛ばされてしまう。

 やがて、沼の中から巨大な水しぶきが上がり、「夜叉姫(やしゃひめ)」の姿が顕われる。

 その揺らめく妖怪の所作となびく黒髪、長い爪、三日月型に口が裂けた、つり目の鬼女の風貌の怖ろしいこと。

 色白の顔とまっ赤な唇、長い黒髪、コウモリの紋様の入った白い着物、といったコントラストの鮮やかさが、ふるえるような鬼女の声と相まって、凄まじい妖気をかもし出している。

 沼の中から浮上し、地上に降り立った夜叉姫は、黒い枯木の点在する、夕暮れ時の荒野を、亡霊のようにひとり歩んでゆく。

 佐助が刀を抜いて鬼女に挑みかかるが、妖術の霊気で、あっという間にはじき飛ばされてしまう。

 家に戻った傷心の佐助に、姉のおゆうは、夜叉姫の正体を教える。

 古い言い伝えによれば、夜叉姫は、何でも人の物を欲しがり、自分より少しでも美しい女や幸せな人を見ると、すぐに嫉妬の念に駆られて、その人を必ず不幸な目に遭わせるという、魔性の妖術使いである。そこで、時の上人(しょうにん)が、はるばる鹿を道案内に、夜叉姫が棲むという森にやって来て、妖怪を一匹の山椒魚に変えてしまったが、やがて上人が亡くなると、時々元の姿に戻って、罪も無い人々を苦しめているのだという。

 ここで、上人が「鹿」を道案内にしているという設定は、面白い。

 鹿は、古来、日本人が「霊獣」として特に尊重し、慈しんできた生き物である。

 平田篤胤も、その霊性について、主著『古史伝』で、次のように語っている。

 

「…鹿は獣(けもの)のあるが中に、其の性(こころ)直く、大らかにて、親子牝牡(めお)の感(あわれみ)いと厚く、(鹿の妻恋ふことは、古(いにし)へより感(あわれ)がりて、歌にも多く詠みなれたり…)また痴愚(おろか)なるが如くなれど、敏(さと)く殊(すぐ)れて聡(みみと)く、…(中略)…本草(ほんぞう)てふ漢籍に、霊獣なる由(よし)云へるも、由縁(ゆえん)ある説にて、いづれにも、神代より在聞(ありきこ)えたる、奇(くす)しく神々しき獣にぞ有ける、と云へり。」(『古史伝』十一之巻・『新修平田篤胤全集』名著出版所収。( )内の文は、原文の二行割註を一行に改めたもの。)

 

 ちなみに、民俗学の知見によれば、日本の民には、昔から、熊のような獰猛な獣でも、狩猟の対象にした後は、その霊を手厚く祀(まつ)ることで、逆に「守護霊」へと転化させることができるという信仰があったらしく、動物の霊威への畏怖・畏敬の念は、きわめて強いものがあった。

「鹿」は、獣の中でも、とりわけその霊性の気高さによって慈しまれ、可能な限り、殺生は戒められていたと思われる。(狩猟の対象にはなったが、乱獲は戒められていたであろう。)古代において、鹿骨を焼いて吉凶を占う「太古(ふとまに)」が行われてきたのも、「直き性」をもち、天地の〈気〉を俊敏に察知する鹿の霊性が重んじられていたからであろう。

 そう考えてくると、夜叉姫がことさらに「鹿」を餌食の対象として選んだ事も、象徴的な意味合いを帯びてくる。

 それは、上人に対する復讐であり、ひいては、性(こころ)直く、繊細で優しい、情愛深い鹿の気高い性情に対する憎悪の顕われなのである。(沼の底には、餌食になった動物たちの死骸の骨がいくつも横たわっており、その形状は全て、鹿の骨を連想させる。)

 この夜叉姫のまがまがしい存在感・象徴性の圧倒的な凄みこそ、このアニメーションの表現の力強さのキイであるといっていい。

 それは誰が観ても明らかな事だが、その内実が意味するものは、実は、単純なようで、決して単純ではないのだ。

 それは、現代に生きる私たちに、「世界観の変容」を迫るほどの、生の本質的な課題につながる象徴的表現となり得ているからである。(この稿続く)

 

JUGEMテーマ:日記・一般

JUGEMテーマ:批評

JUGEMテーマ:アート・デザイン

JUGEMテーマ:漫画/アニメ

JUGEMテーマ:アニメ映画全般

 

「中期」太宰治の変容―表現と実生活をめぐるアポリア―(連載第5回) 川喜田八潮

  • 2017.08.30 Wednesday
  • 17:25

 

     7

 

『散華』(昭和十九年発表)は、その系列の最も美事な、それゆえに最も痛ましい作品である。

 この作品で太宰は、出征した年少の友人の三田循司という青年が、アリューシャン列島の孤島アッツ島で玉砕する直前に自分に宛てて出した一枚の葉書に深く打たれたという、ささやかな重い体験を披瀝している。

 

「御元気ですか。

 遠い空から御伺いします。

 無事、任地に着きました。

 大いなる文学のために、

 死んで下さい。

 自分も死にます、

 この戦争のために。

 ふたたび、ここに三田君のお便りを書き写してみる。任地に第一歩を印した時から、すでに死ぬる覚悟をしておられたらしい。自己のために死ぬのではない。崇高な献身の覚悟である。そのような厳粛な決意を持っている人は、ややこしい理窟などは言わぬものだ。激した言い方などはしないものだ。つねに、このように明るく、単純な言い方をするものだ。そうして底に、ただならぬ厳正の決意を感じさせる文章を書くものだ。繰り返し繰り返し読んでいるうちに、私にはこの三田君の短いお便りが実に最高の詩のような気さえして来たのである。アッツ玉砕の報を聞かずとも、私はこのお便りだけで、この年少の友人を心から尊敬する事が出来たのである。純粋の献身を、人の世の最も美しいものとしてあこがれ努力している事に於いては、兵士も、また詩人も、あるいは私のような巷の作家も、違ったところは無いのである。」

 

 この作品の〈かたち〉をよくよく味わってみよ。

 生活の恐怖とよくたたかい、日々の地味な文学的営みによって風景を塗り変え、現世と彼岸的なるものの危うい〈均衡〉を不断に創造し続けることで、〈奇跡〉のように日常をくぐり抜けてきた中期太宰の繊細で矛盾に満ちた力わざが、〈死〉という究極の純一な〈子宮〉のうちに、恐ろしいほどの透明感をもって収斂していくさまを、まざまざと垣間見るおもいがする。これこそが、太宰の泣きどころであり、ひいては、私たち人間の究極の暗部なのである。

 ここに描かれる、万象を回帰させる〈死〉の不動のかたちは、それほどにも美しいものなのだ。

 この美しさの圧倒的な迫力の前では、一切の判断が瞬時に機能を停止する。

〈生〉という営みが日常的にいや応なく突きつけてくる、容易に解きほぐし難い混沌とした課題、矛盾に満ちた、デリケートで柔らかな生身の痛みや渇きというものが、「純粋な献身」というひとつの幼児的で透明な〈観念〉のもとでは、瞬時に言葉を失い、凍結される。

 一切の現世的な矛盾を消却してくれるこの死の〈大義〉は、実生活の生身の営みを価値的に下位に置くばかりでなく、それらを致命的に破壊しつつ、見せかけの上では矛盾なく〈包摂〉してみせるのである。

 それは、何も、〈献身〉のイデオロギー、〈死〉のイデオロギーの欺瞞性に限ったことではない。

 本来、〈観念〉へののめり込みと生身の〈肉体〉との間に潜在する本源的な〈矛盾〉のあらわれの一つにすぎないのである。ただ、その矛盾が、〈均衡〉の内にとどまることを許容しないほどの、巨大な〈落差〉となってあらわれたというにすぎない。

 アッツ島で玉砕した青年三田循司にとって、〈献身〉と〈死〉の理念は、極限状況の下でいや応なく強いられたぎりぎりの選択肢であったろう。生身の肉体へのあらゆる可能性を封じられた極限性の〈契機〉にさらされた者には、回帰していく場所はひとつしか許されてはいない。

 だが、三田からの便りを受けとって、熱いおもいでその場所に同調し、献身と死の理念に純一に収斂しようとする太宰治の場所は、三田の場所と一見似て、微妙に非なるものである。現実の太宰自身は、あくまで、生身の地上的な肉体をひきずり、家族の生の重さを背負っているからだ。

 三田の置かれた極限的な生きざまとそれに伴って浮上するアジア的な〈無〉へのエロス的な回帰の圧倒的な迫力を前にして、その重さに「拮抗」しようとおもえば、太宰のような凄まじい〈生き難さ〉の業を担う者にとっては、やはり、同じく、文学への〈献身〉というかたちをとった〈死〉の理念を前面に押し出すしかなかったのかもしれない。

 その意味では、太宰のナショナルなのめり込みもまた、不可避なものであり、誰も責めることなどできはしない。

 そのことを重々承知の上で、敢えて、太宰の選択肢の不可避性をカッコに入れて考えてみるならば、ここには、〈観念〉と〈肉体〉の矛盾の深淵、とりわけ、一切の〈生身〉の営みを容赦なく呑み込み、溶解させてしまう死の理念、〈献身〉と〈殉教〉のエロス的な磁場の凄みだけが、今もなお、痛ましい刻印となって遺されているのだ。

 

     8

 

 ところで、『散華』では、もうひとり、三井という文学青年の死についても触れられている。三井は、肺の病のために出征できず、そのまま病床で死を迎えることになる。

 小説を書いては作者のところへ持参するのだが、いつも手きびしい評価しか得られなかったそうだ。青年は、自分の病気についてはあまり語ろうとはしなかったが、作者は、彼の衰弱ぶりを知って、「いますぐ、いいものなんか書けやしないのだし、からだを丈夫にして、それから小説でも何でも、好きな事をはじめるように」と、三井の親友に忠告を依頼する。しかし、それっきり、三井青年は作者のところへは来なくなり、「三箇月か四箇月目に」亡くなったという。

 この青年は、疾患を知りながら、治す気がなかったらしい。

 

「御母堂と三井君と二人きりのわびしい御家庭のようであるが、病勢がよほどすすんでからでも、三井君は、御母堂の眼をぬすんで、病床から抜け出し、巷を歩き、おしるこなど食べて、夜おそく帰宅する事がしばしばあったようである。御母堂は、はらはらしながらも、また心の片隅では、そんなに平然と外出する三井君の元気に頼って、まだまだ大丈夫と思っていらっしゃったようでもある。三井君は、死ぬる二、三日前まで、そのように気軽な散歩を試みていたらしい。三井君の臨終の美しさは比類が無い。美しさ、などという無責任なお座なりめいた巧言は、あまり使いたくないのだが、でも、それは実際、美しいのだから仕様がない。三井君は寝ながら、枕頭のお針仕事をしていらっしゃる御母堂を相手に、しずかに世間話をしていた。ふと口を噤(つぐ)んだ。それきりだったのである。うらうらと晴れて、まったく少しも風の無い春の日に、それでも、桜の花が花自身の重さに堪えかねるのか、おのずから、ざっとこぼれるように散って、小さい花吹雪を現出させる事がある。机上のコップに投入れて置いた薔薇の大輪が、深夜、くだけるように、ばらりと落ち散る事がある。風のせいではない。おのずから散るのである。天地の溜息と共に散るのである。空を飛ぶ神の白絹の御衣のお裾に触れて散るのである。私は三井君を、神のよほどの寵児だったのではなかろうかと思った。私のような者には、とても理解できぬくらいに貴い品性を有(も)っていた人ではなかったろうかと思った。人間の最高の栄冠は、美しい臨終以外のものではないと思った。小説の上手下手など、まるで問題にも何もなるものではないと思った。」

 

 この三井の死のかたちは、殉教や献身や玉砕による死とは対極の場所にある、ひとつの〈自然死〉の美しい完結の姿をよく象徴し得ている。

 この青年が、死の直前の数か月間、果たしてどのような心持ちにあったか。それは、誰にも窺い知ることはできない。しかし、太宰がここで見据えているのは、一見何の変哲も無い、穏やかで地道な日常性の繰り返しと充足の延長に、おのずと訪れるような、ある透明な不動の感触である。

 自分以外の誰にも伝えることができず、了解されることもあり得ない、絶対的な固有性を備えた、言葉の最も奥深い意味における〈自然〉という純粋な実体のことである。

 それは、あらゆる地道な無名の生活者の生涯の果てに想い描かれた、ひとつの理想的な〈完結〉のかたちにほかならない。「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」と詠んだ西行のようなまなざしであるといってもよい。

 ささやかな固有の生活の営みの内に宿りながら、同時にそれを包摂し超越し得る、大いなるいのちの働きのことだ。

 もちろん、『散華』における太宰治は、こういう三井の自然死のかたちを、三田の玉砕と同じく、〈死〉という純一な子宮に回帰してゆく無償の自己抹消の願望という位相から凝視してみせている。

 しかし、それにもかかわらず、この両者の死のかたちは、別の切り口から視れば、完全に対極的な世界視線を象徴するものとしてとらえ直すことが可能なのだ。

〈生身〉の日常性の繰り返しの果てに位置する〈自然死〉の位相と、〈観念〉への献身と殉教の極北の場所に自らを追いやろうとする自己抹消のエロス性の〈矛盾〉のあらわれとして、だ。

 

 太宰の観念的な「のめり込み」が私たちの文学と思想の流れにとって不幸であったのは、傾倒の相手が天皇制ナショナリズムであったからではない。

 こののめり込みによって、大戦前夜までの「中期」太宰文学にかろうじて保持されてきた「実生活」と「表現」の危うい〈均衡〉が崩れ去り、しかも、その崩れがはらむ〈悲劇〉の本質というものが、国民全体のナショナルな熱狂の渦に巻き込まれることで、太宰自身にとって、不透明なものとなってしまったからである。国民全体が、ひとつの巨大な国家幻想のエロス的夢魔にとりつかれ、駆り立てられていったことで、本来なら、(戦後の「後期」太宰のように)〈実生活〉の致命的な破壊を帰結させることになるはずの、〈観念〉への滅私的なのめり込みは、極めて目立たないものであったし、国民全体が国のために滅私奉公することを建て前としていたがために、太宰の文学的営みとそれを支える実生活の維持自体が、何のうしろめたさもなく、自己犠牲的な〈観念〉と「調和」しうるものとなっていたからである。

 このおとし前は、戦後にやってくる。

 天皇制ナショナリズムという〈献身〉の美学が崩壊し去った時、それまで、見せかけの美しさの建て前の底によどんでいた日本近代社会の暗部は、戦後民主主義というヴェールをかぶりつつ明瞭な姿をとって露出してくる。大衆・知識人のこの精神的荒廃の情況に、太宰は素手で立ち向かわなければならなくなる。

 ここで太宰は、餓狼のような狂暴さをむき出しにしつつあった戦後社会のエゴイズムの諸相の発散する、脂ぎった生活欲の修羅場に「拮抗」するために、再び、〈献身〉と〈死〉の理念への一途な忠誠を持ち出さなければならなかった。

 キリスト的観念への滅私的なのめり込みは、この後期太宰の孤絶したたたかいを後押ししてくれる唯一の〈超自我〉となり得たのだった。(了)

 

 

JUGEMテーマ:日本文学

JUGEMテーマ:批評

JUGEMテーマ:日記・一

〈生き難さ〉のアーカイブス〜「詩を描く」若者たち〜(連載第3回) 川喜田晶子

  • 2017.08.29 Tuesday
  • 11:44

 

天と地

 

 天と地。

 非日常と日常、あるいは理想と現実とも言い換えられよう。

 この二元的な対立の図式は古典的だが、現在の若者たちはその両極を、どのように感受しているだろう。

 

   ゴーストタウンに堕ちた鳥   N・M

 

「主」を探して飛ぶ小鳥

理想郷目指して飛び続け

休むことなく飛び続け

「主」を見つけて飛び急ぎ

「主」を映した鏡に衝突

目眩と絶望に包まれて

小鳥は孤独に堕ちてった

 

ある日小鳥を見つけた少年が

小鳥を拾って労わるが

堕ちた哀れな小鳥には

溜め息一つ伝わらなかった

 

「理想郷」にいるはずの「主」を間違えずに見つけることの絶望的な困難さが描かれている。

 そこには、私たちの「地上的」な努力と、それに応える気の無い「天」の意志とが酷薄に断絶した、圧倒的な不条理の相貌がシビアに提示されている。

 

 この作品を読むたびに、そして現在に蔓延する〈生き難さ〉の本質を考えるたびに、想起するエピソードがある。

 谷川健一著『日本の神々』(岩波新書 1999年)では、沖縄でユタと呼ばれる巫女のイニシエーションについて述べられているが、ユタは、一人前の巫女になるために「神ダーリ」という試練の期間をくぐり抜けなければならないという。彼女たちは、この期間の内に、「チヂ」と呼ばれる自分の守護神を発見しなければならず、それが出来ないのは死を意味するのだと。

 試練としての家庭の不和・病気・貧困に直面させられ、精神的な疲労と錯乱に追い込まれ、神の言葉と邪神のささやきとをとりちがえて自死に至る者もいるらしい。

 自分に固有の守護神を見つけられるかどうかが、巫女としてのイニシエーションである、そのことの困難さが、私には〈現在〉の〈生き難さ〉の核心と重なって見える。

 

 ユタにとって、自分に固有の守護神を間違えずに発見できることこそが、共同体の聖なるものを引き受ける資格とみなされているのに対し、〈現在〉の私たちは、共同体の聖なるものなどを引き受ける必要はない。自立においてそのような要件を満たす必要はない。

 しかし、共同体から遠ざかり、共同体とともにあった〈聖なるもの〉からも遠ざかれば遠ざかるほど、共同体とは別の次元において〈聖なるもの〉を個人としてあやまたずに見出し引き受ける必要性と困難さとが、否応なく浮上していると感じられる。この必要と困難に直面している時代を〈現在〉と規定してもよいとおもわれるほどに。

 

「ゴーストタウンに堕ちた鳥」では、小鳥は「主」を間違えて堕ちていった。「主」を映した鏡に衝突することで。つまり虚像と取り違えたのである。自分の「主」を発見できなかったという苦々しい痛み。

 そして、「ある日小鳥を見つけた少年」こそがその「主」だったろうか、少年の労りは時すでに遅く、もはや小鳥には「溜め息一つ伝わらなかった」。小鳥の休みない努力などに世界は応える気が無く、「主」と出会えないようにその枠組みができているという残酷な痛み。

 

 生涯の職業・伴侶・表現の手段等々、何かしらに私たちは「間違えずに」出会いたいと望んでいる。いくつかの選択肢の中から、合理的な判断基準によって、自分にとって相対的に有利・有益なものを択ぶことこそが、賢明なことだと、幸せになる手段だと、思わせられ、そのことを納得しようとしながら、一方ではどこかで、私たちの意志を超えた力が働いており、その力に支配されて出会いが左右されている、とも感じている。

 この作品には、個人のいわゆる主体性の側からも、世界の不条理な力の側からも、「主」との出会いが阻まれているという絶望が、シンプルに表現されていると言えよう。

 

 しかし、はたして私たちの存在は、生きるという営みは、このような合理的な主体性の発揮と、その主体性の手の届かぬ偶然的な(あるいは〈天〉の意志によって定められた)運・不運との分極によって規定され、翻弄されているだけなのだろうか。

 

 現在の若者にとっては少くとも、天と地、というイメージは、圧倒的な不条理の力と、可視的な選択肢の中で相対的な利を求める主体性、といった振れ幅を示し、理想も現実も、非日常も日常も、その酷薄な振れ幅の中でのみ、浅くせわしない呼吸を強いられているようだ。

「ゴーストタウンに堕ちた鳥」の作者には、この天と地の分極したあり方こそが己れの生きる場だという、たじろがぬ認識がある。それ以外の世界のありようが存在することを承知してはいても、今、自分が生きている世界に対して、「それ以外」などという甘い認識をどうして持ち込むことができようか。そんな甘さを剛直に排除してみせることで、彼女は、己れと世界のギリギリの痛い意味を、己れに示し続けようと覚悟しているかのようだ。

 

 

天地(あめつち)を我が産み顔の海鼠(なまこ)かな   正岡子規(1867[慶応3]年生まれ)

 

地はひとつ大白蓮(だいびゃくれん)の花と見ぬ雪の中より日ののぼる時   与謝野晶子(1878[明治11]年生まれ)

 

白鳥(しらとり)はかなしからずや空の青海の青にも染(し)まずただよふ   若山牧水(1885[明治18]年生まれ)

 

双六(すごろく)の賽(さい)に雪の気かよひけり   久保田万太郎(1889[明治22]年生まれ)

 

   ぬかるみ   金子みすゞ(1903[明治36]年生まれ)

 

このうらまちの

ぬかるみに、

青いお空が、

ありました。

 

とおく、とおく、

うつくしく、

すんだお空が、

ありました。

 

このうらまちの

ぬかるみは、

深いお空で、

ありました。

 

 

降りながらみづから亡ぶ雪のなか祖父(おほちち)の瞠(み)し神をわが見ず   寺山修司(1935[昭和10]年生まれ)

 

 正岡子規から寺山修司まで、生年順に作品を並べてみた。

 

 子規のように、カオスとしての「天地(あめつち)」を丸ごと客体化する自我のパワーは近代の産物ではある。しかし、そこで海鼠に「この天地は私が産んだのだ」といった顔をさせてみせるユーモアの内に、天と地の痛ましい分極の感触はない。子規の溌溂とした身体の巨(おお)きさが伝わる。

 

 与謝野晶子にあっては、仮りに天と地が分極していようとも、どちらも手に入れてどこが悪い、といわんばかりの浪漫的自我の解放が官能的である。地を、一つの大白蓮と見ることで、日常に、これ以上ないほどのゴージャスな非日常性・天上性を盛り付けてみせる。

 

 若山牧水は、天と地の分極したそのあわいに、いずれにも属することの出来ない近代人の孤愁を歌い流してみせる。「天地」というコスモスからはぐれ始めた世代の、行き場の無い魂に刻印されたうぶな痛みが、みずみずしく抒情的に発露する。

 

「双六の賽」は、思いのままにならない人生の象徴であるが、そこに「雪」という非日常の「気」が通っている久保田万太郎の句。この「雪」という天上性・非日常性こそが、実は「双六の賽」を支配し、人の生の禍福をあざなうのだが、その「雪」は、人の生と別ものであるとはおもわれていない。「双六の賽」にも人々の身体にも沁み入るこの「雪の気」の陰翳を触知した瞬間が、ほの暗くもドラマチックに顕ち上がる。

 

 金子みすゞの「このうらまちの/ぬかるみ」には、「青いお空」がある。大衆の生活の〈底〉に、「とおく、とおく、/うつくしく、/すんだお空」という、手に入れ難い純度があると認識するみすゞが、この「ぬかるみ」をつきつめる時、「ぬかるみ」はそのまま「深いお空」として転生し得る。天と地が分極しているからこそ、〈地〉を〈天〉と一体化させ、至上の〈天〉として転生させようとする力わざが、短いメルヘン的詩篇に滲む。

 

「雪」を、そして「祖父の瞠し神」を、「降りながらみづから亡ぶ」と規定する寺山。土俗的・伝統的な「雪」や「神」を、自分は「見ない」と宣言する自由が、「前衛」と呼ばれて戦後の表現世界を揺さぶった。たとえるならば、わざと翼を折ることで流れ出る血と痛みによって、〈鳥〉の本質をおどろおどろしく顕ち上げようとするかのような試みだ。己れの内にも流れる土俗の〈血〉をあえて侮辱することで、土俗への逆説的な愛を歌う寺山の、倒錯的な荒業である。

 

「ゴーストタウンに堕ちた鳥」の作者にあっては、寺山のようにわざとにもせよ折ることのできる〈翼〉をそもそも持ち合わせていない。〈翼〉というものがあるはずの部位に「幻肢痛」が生じることで知る〈翼〉、そして〈鳥〉の姿。

 天と地の分極の相貌以外の世界の姿を酷薄に拒絶しているかのような文体の、その硬度を通して、彼女の感じている「幻肢痛」と幻の「天地」の巨きさが伝わってくる。(この稿続く)

 

JUGEMテーマ:批評

JUGEMテーマ:日記・一般

JUGEMテーマ:日本文学

〈生き難さ〉のアーカイブス〜「詩を描く」若者たち〜(連載第2回) 川喜田晶子

  • 2017.07.22 Saturday
  • 16:24

 

歪む世界

 

 学生たちにとって、表現の原点となり、起爆剤となっているのは、自分の存在を肯定する難しさであるようだ。〈個〉を超えたものに存在を支えられているという安らぎからの遠さを、明晰に見極めた表現が繰り出されてゆく。

 

   ラッシュ時の改札     Y・R

 

慈悲はいらない

慈悲は私を脱落させ

慈悲は私を焦らせ

慈悲は私を敗者にする

敗者は時を奪われ

勝者は時を制す

ほんの些細な出来事だろうか

されどこれも一つの世界

時を懸けたシビアな世界

 

「ラッシュ時の改札」を通り抜ける瞬間の「時を懸けた」勝敗をめぐる異和感を契機として、作者は社会への屈折した批判を展開する。

 改札風景を、いわゆる優勝劣敗の社会システムの喩とするだけなら、ありふれた批判にとどまる。この作品の批判の対象は「優勝劣敗」のシステムではなく、「慈悲」である。

「優勝劣敗」によって勝者と敗者が生み出されるのではなく、「慈悲」によって「敗者」の場所に立たされることの不機嫌がこの作品のテーマである。

 冒頭から4つの観点でたたみかけられる「慈悲」への異和感は強烈である。「優勝劣敗」というシステムを優雅に超えているかのような貌で、作者を否応なく巧妙に「敗者」の場所に追い込む者がある。そんなカラクリに常時囲繞されているようなプレッシャーを抱えた作者の、切迫した世界風景は実に現在的であるとおもう。

 

 尾崎豊(1965〜1992)の「シェリー」(1985年)の歌詞を想い出す。「シェリー/あわれみなど受けたくはない/俺は負け犬なんかじゃないから」。あるいは「僕が僕であるために」(1983年)の「僕が僕であるために/勝ち続けなきゃならない」というフレーズも。1980年代というバブル期に、時代の表層を支配した「大人の論理」に抗い続けたシンガーソングライターの叫びである。

 尾崎には、社会の虚ろさや欺瞞に対峙する純度というものが、現実に「勝ち」をおさめなければ社会が変わらないという、倫理的な意固地さがあり、その闘いの歌は、社会を覆う価値観から置き去りにされた、人々の内なる想いに幅広く訴えかけることが出来た。己れの純度へのこだわりが時代に共有されることへの「信」が、作品には甘美に通底していた。

 

 この「ラッシュ時の改札」の作者もまた「勝ち」にこだわるのだが、それは、幼児的な純度と大人の論理との闘い、というよりは、この世界の枠組みから脱落させられるかさせられないか、土俵に上がれるか上がれないか、そんな狭窄された世界観の場所におけるサバイバルへの切迫した執念である。

「ほんの些細な出来事だろうか」とあるように、たかがラッシュ時の改札での勝敗であると思われるかもしれないが、作者は、日々、同様の些細な場所における闘いに数知れず直面し、その度に、負けたら全てを奪われる、という強迫観念に身構えているように感じられる。些細な事柄が、常に全ての象徴と感受されているのだろう。

 しかも、「慈悲」によってフェアなサバイバルですらなくなることがある。勝者が敗者に対して勝ち誇るといった野蛮さから免れているかのような貌をして、戦利品を独占などしませんよという貌をして、「慈悲」が作者を巧妙に「敗者」に仕立て、土俵から追い出してしまうというカラクリがある。相手が「慈悲」であるだけに、批判する方が野蛮なのだとさえ思われかねない。

 幾重にも息苦しい小さな土俵の上で、「勝つ」ことへの執念を強いられている若者たちの実存が苛立たしく伝わってくる。

 

   Doll     谷屋 愛

 

足を切り、僕から離れなくしよう。

腕を切り、僕の愛を拒めなくしよう。

目を抉り、視界は僕で終らせよう。

喉を切り裂き、可愛い泣き声は僕だけのもの。

 

次は誰にしようかな・・・。

 

 1980年代というバブル経済期、すなわち爛熟期に達した高度消費資本主義社会の表層的な繁栄とは裏腹に、時代の深層で進行していた病理・課題を真摯に表現してカリスマ性を獲得した尾崎豊(1965〜1992)。〈自由〉〈正しさ〉〈存在価値の根拠〉を倫理的に追求した彼の死後、入れ替わるように、1990年代はビジュアル系バンド(X JAPAN、L’Arc-en-Ciel、MALICE MIZER等)が音楽界を席巻する。バブル崩壊後の不況の中、それまで潜行していた病理はヴァーチャルな身体性として噴出し、阪神大震災やオウム事件、酒鬼薔薇事件等による不条理感・終末観の強い世相を象徴するように、〈倫理〉は棚上げされ、虚構世界・幻想世界・倒錯的美意識への吸引力あふれる退廃的表現が一世を風靡する。

 この「Doll」という作品は、先ほどの「ラッシュ時の改札」が尾崎的なものを連想させたのに対して、極めて1990年代ビジュアル系バンド的な美意識を示している。

 時代の閉塞感の中、他者性が欠落し、関係性の不毛に囲繞され、「倒錯」という形で他者や自分の手応えを求めて足掻く表現は、1990年代の作品において見慣れた風景である。

 この「Doll」も、相手を所有し尽くそうとする愛の形のブラックな表現であることは一目瞭然なのだが、作者とこの作中の「僕」との間には、実にくっきりとした距離が見てとれる。作者=僕、ではない。もちろん、自身の内にも潜む病理を相対化して表現していることも確かではあるが、他者と時代に蔓延する病理として主題を明晰に把握し切っていることで、1990年代のモードからも距離を置くことができているようにおもう。

「Doll」の足、腕、目、喉、という順番で切り刻んでゆくことで、相手が自分から「離れて行くこと」、自分を「拒むこと」、「目移り」すること、誰かほかの人と「共有」されることを遮断してしまうこのストーリーづくりは、他者を所有しようとする病理の実に適確な表現である。

 精密に「独占」の形が構成されることで、本来、人の身体は他者によって所有できないものだということを、さらに身体機能で象徴される魂もまた、所有されてはならないものだということを、巧妙に浮き彫りにしている。

 そして「次は誰にしようかな」では、実は相手が誰でもよい、自愛・我執の表現としての「独占」でしかないことが暴露される。

 ただただ己れの病理を吐き出すだけではない、鋭利な批判の対象としての「倒錯」が実現しているところに強靭なしたたかさがある。自分、他者、世界との、甘美な連続感など薬にしたくても無い、そのシビアな認識を逆手にとって、冷徹な距離感を表現に定着させている。

 

   胎内ブラックホール     N・M

 

胎内に黒一つ

私の闇を喰らい尽くして

抱えきれない重みをもつ

私の涙さえ吸い尽くしたなら

かたちを成さないブラックホール、

私はお前に「かたち」をやろう

負の集約である黒いお前が

誰かに愛してもらえるように

誰かがお前を「愛してあげる」と言うのであれば

私はお前を孕み生むサイクルの中 生きてゆこう

お前が誰かの安らぎとなるのであれば

 

私もお前を愛してあげる。

 

 この作者にも、甘美なところがない。自身の「負」の集約であるブラックホールのようなものへの「愛」を歌い上げているようだが、このブラックホールは、作者の「闇を喰らい尽くし」た相手である。

 ここでの「闇」は、〈個〉の存在を支え、類的な拡がりを持つ〈闇〉というよりは、己れの内面の否定的な感情を指しているだろう。そういう「闇」を喰いものにして、「抱えきれない重み」を獲得してしまったブラックホール。

 そのブラックホールに「かたち」を与える、すなわち〈表現〉することで、作品がもし、誰かに愛されるならば、作者は初めて自身のブラックホールを愛することができる。類的な拡がりを持つ〈闇〉に存在を支えられていない者が、〈表現〉によって生き延びようとする時の、ぎりぎりの自己肯定の手段であろう。

 

 かつて、〈闇〉が他者と共有できていた時代があった。伝統的な「型」に乗せて、あるいは伝統に逆らうという新たな「型」の主張によって、存在を支える〈闇〉も、〈闇〉の表現も、大衆的な規模で共有することが可能だった。

 今、若者たちは、そのような他者と共有可能な〈闇〉に支えられているという安堵からはるかに遠いところで表現を模索する。〈闇〉に支えられてこそ可能な「自己肯定」からも遠い。肯定が可能であるとすれば、己れの「負」の集約の「かたち」が他者に「安らぎ」を与え得ることに気づいたときだけ、とこの作品では認識されている。

 

 尾崎豊にも、ビジュアル系バンドにも、どこか他者や世界と共有可能である〈闇〉への(逆説的ではあっても)甘美な「信」があり、それが表現を大衆的な場所へと解き放っていたけれど、ここで取り挙げた学生たちの作品には、そういう甘美さが無い。

 甘美な共有の夢を拒否したところから発せられる〈痛み〉の表現はしかし、的確に現在の〈痛み〉、大衆的な規模で〈闇〉が喪失され、歪む世界の〈痛み〉を衝いているのであり、“固有の〈痛み〉”という普遍性にリンクしている。そして、絶望的なほどの喪失や痛みによってなお、ネガのように浮かび上がるはるかな〈闇〉の手触りにも。(この稿続く)

 

 

JUGEMテーマ:日記・一般

JUGEMテーマ:批評

JUGEMテーマ:文学

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM