〈藤村操世代〉の憂鬱(連載第16回) 川喜田晶子

  • 2017.05.26 Friday
  • 13:18

 

折口信夫の〈青あざ〉

 

『海やまのあひだ』からぬき出した20首の中で、未だ触れていない歌が一首ある。最後にこの歌に触れておきたい。

 

 山深きあかとき闇や。火をすりて、片時見えしわが立ち處(ド)かも

 

 この歌は、寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」(『空には本』所収、昭和33年)を想起させるが、寺山の歌は、戦後の短歌表現の〈自由〉に向かって解き放たれながら、逆に「祖国」という語によって、当時の政治的な文脈に回収されてしまうような輪郭をまとっている。彼がここで見ようとしたものは「祖国」か「霧」か、という対比であり、戦後的な〈身〉は、もはや「祖国」に回収されないけれども、それなら回帰すべき土俗的な母胎であるコスミックな〈闇〉の象徴としての「霧」は、深く豊かに〈身〉を迎え入れるかといえば、マッチの火に照らされたつかのま、そのカオスとしての表情を垣間見せるばかりである。戦後的な〈個〉をまさぐる自我の〈自由〉、すなわち〈前衛〉と呼ばれた衝迫と、伝統的・土俗的な生存感覚の基盤としての〈闇〉とが、互いに侮辱し合うかのように対比されることの野性味が寺山短歌の真骨頂であるが、この歌にも、ケレン味のある劇的空間を顕ち上げながら、〈自由〉にも〈闇〉にも安らぐことが出来ない寺山が解き放つ、濃密な苛立ちを感受し得るだろう。

 

 対して折口の一首には、寺山のような表立った野性味はないが、火に照らされて一瞬浮かび上がる己れの限定された「立ち處」のめぐりに無辺の闇のひろがりを感受しておののく、しずかな狂暴さが息づいている。政治などとは無縁の、〈存在〉の振幅をいかほどの広大さで想い描くべきかについての信と不信を賭けたドラマが、片時の火のほとりで繰り広げられている。

 ここには、山深き場所と平地、あかときの闇と真昼間、闇と火、片時と永劫、そして己れの「立ち處」とそれを巡る「無辺」という時空間の、鮮烈な対比が幾重にも潜んでいる。

 一首の感動の中心は「山深きあかとき闇」でもあり、それに対比される「片時見えしわが立ち處」でもあるように、この歌は顕ち上がっている。寺山のように両者が互いに侮辱し合うというのではないが、そこには、互いの本質を晒し合う不吉さが潜んでいる。

 全てを永劫・無辺へと呑み込む「闇」の不吉さ。呑み込まれる宿命を帯びた「立ち處」の狭さ・短さ。火に照らされた「立ち處」が見えることは、実はそれを取り巻いている「闇」が見えることでもある。

 これまで見てきたような折口の生存感覚からすれば、己れの「立ち處」を生きることは、それを呑み込む「母なる〈死〉」としての「闇」を生きることでもあろう。彼はその「闇」を忌避してはいない。むしろ、そこに回帰したいと願い、表現によってわずかずつ回帰しながら生き永らえていたとも言えよう。

 しかし大衆は、世間は、その「立ち處」をのみ生きていて、実は「闇」を生きていながら、よほどのことがない限り、そのことを意識の上に昇らせることなくやり過ごしている。折口だけが「闇」を生きていることに気づいている異形の民、〈まれびと〉である。

 その覚悟と矜持が、短歌という〈型〉に委ねられることで、どこか古代の神の呪言のように鮮烈に哀切に響いてくる。これが世界のあり方だ、と。神が見ているあり方だ、と。

 自身の異形性の帯びている「のろひ」が、そのまま「ことほぎ」でもあるような世界観。

 生きながら「母なる〈死〉」と一体化するような世界観。

 そういう世界観によって、かろうじて民俗の魂の原形質との(あるいは師である柳田との)異質性・同質性のドラマを紡ぎ出し、表現し続けた折口の、静謐だが狂暴な立ち姿をこの一首に鮮やかに感受できるようにおもう。

 

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 私は、折口の業績をどう評価するか、ではなく、あくまで〈藤村操世代〉としての折口の〈表現〉を読み解くことだけに意義を見出してこの論を書いてきた。

 彼の民俗学の成果も、柳田への憧憬も、詩歌も、社会的に評価されるべき「業績」として読み解いたのではその本質がこぼれ落ちてしまうということを、折口の「贖罪」という詩篇に触れて鮮烈に洞察せざるを得なかったからだ。

 その生い立ちに刻まれた〈青あざ〉、戦前・戦後を貫く表現と変容する表現、柳田との、そして民俗の原形質との関係を通して露わになる世界観、短歌という〈型〉にゆだねられて解放される率直なタナトス。

 大衆的な規模で蔓延していた時代の病理を、折口はどのように病み、どのようにそれを表現することで生き延びようとしたのか。時代の病理に通じる普遍性と、折口ならではの超克への模索の質とを、いささかなりとも浮上させられたのではないかとおもう。

 

 彼ら〈藤村操世代〉にとって、「生き延びる」ことの困難さは、筆舌に尽くしがたいものがあったはずである。多くの若者が藤村操というたった一人の少年の投瀑に感応して死を択んでいた時代である。「生き延びる」ことにむしろ壮絶な覚悟や困難がつきまとっていたのだ。「生き延びる」ためにこそ彼らは〈表現〉していたのであり、その命懸けの〈表現〉を読み解くことが、〈現在〉にまで続く〈生き難さ〉の質や原因を明晰にすることになるはずだ。〈藤村操事件〉以来、どれほど表層的に浮かれて見える時代があったとしても、その〈生き難さ〉が時代の深層から消えたことはない。

 

 折口の次のような言葉は、〈表現〉によって生き延びようとする者の胸には、今もよく響く言霊を帯びている。

「かうして不思議な物語りと、多くの人の憧憬とを負うてゐた異郷は、明治大正の科学の光に逢うて、忽ち姿を消してしまうたが、また新なる意味に於ける異郷が、われわれの胸に蘇り更に蘇らねばならぬ。いつまでも」

(「異郷意識の進展」大正5年「アララギ」に初出 『折口信夫全集20』 中央公論社 1996年)

「新なる意味に於ける」と折口も断っている。折口的な「異郷」である必要はない。柳田的「日常」である必要もない。柳田と折口のどちらを評価すべきかと比較吟味するのではなく、両者がめくるめく懸隔を抱えつつ鏡の表裏であったことこそが刺激的であり、「異郷」と「日常」との本質的な蘇りを可能にする世界観を希求せよと、語りかけているのだとおもわれる。(「折口信夫の〈青あざ〉」了)

 

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芥川龍之介と闇(連載第4回) 川喜田八潮

  • 2017.05.25 Thursday
  • 12:53

 

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 己れの人生を嘲弄し、破滅と死に向かって刻一刻と自身を追いつめてゆく、目に視えぬ悪魔的な力の存在を、象徴的・暗示的に感受する「歯車」の作者の体験には、幼児期から少年期にかけて彼の魂の〈下地〉を培ってきた、江戸後期以来の下町共同体的な〈闇〉の感覚の残滓が、正常な〈表現〉を封じられたがために、歪められた形で痛ましく露呈しているとみることもできる。

 それは、土俗的でアニミズム的な、野性味のある生命感覚に対する、近代合理主義的なまなざしによる〈抑圧〉によってもたらされた、一種の強迫神経症的な〈幼児退行〉の表われであり、〈関係妄想〉という形をとった、〈闇〉のエロスの歪んだ代償表現とみなすことができる。

 しかし、「歯車」の中には、例えば、自分にはまったく覚えがないのに、知人たちが「第二の僕」を、「帝劇の廊下」や「銀座の煙草屋」で見かけたという「ドッペルゲンゲル」(分身)の体験とか、朝目覚めてベッドをおりようとすると、いつも不思議にも「スリッパ」が片っぽしかないという体験に恐怖を覚えるといった、作者の白昼夢状態での〈記憶の欠落〉を示すとしか思えない現象や、明らかに「錯覚」あるいは「幻覚」「妄想」と思われるような体験の叙述もみられるが、そうではなく、「偶然事」とはとても思えぬような摩訶不思議な体験もたしかにみとめられるのである。

 遺稿「歯車」は、死が目前に迫った芥川が、己れの狂気の症状をあるがままに正直に吐露した、唯一の私小説である。その切迫した、真剣味溢れる筆づかいからみて、そこで述べられた体験が、芥川自身にとっての〈真実〉であったことは、疑い得ない。柳田国男が聞き書きした『遠野物語』に出てくる、摩訶不思議な体験談の数々が、遠野の村人にとっての、紛れもない〈真実〉であったように、である。

 たとえ、その体験の内に、「錯覚」や「幻覚」「妄想」としてしか解釈できないような出来事が含まれていたとしても、なお、そのような合理主義的解釈なるものに「還元」することが決して許されないような、摩訶不思議な〈質感〉が、そこには息づいている。

 芥川の「歯車」にも、柳田の『遠野物語』にも、それだけのたしかな文学としてのリアリティ、手応えというものがあるのだ。芥川の場合には、死を目前にした実存的な切迫感が、柳田の場合には、無告の民である遠野の村人の秘められた心の闇に対する畏怖感が、その言葉に、いや応のない〈真実味〉を与えている。その力は、私たちの襟を正させ、書かれた〈真実〉を〈真実〉としてあるがままに受け取るべきだという、無私の「謙虚さ」を呼び起こす。

 吉本隆明の芥川論には、残念ながら、そういった「謙虚さ」が無い。「歯車」における作者の体験を、ありふれた関係妄想や幻覚・錯覚のたぐいとみなして、事足れりとしている。私は、強い異和感を覚えずにはいられない。

 この感覚は、私にとっては、吉本の主著の一つである『共同幻想論』における、『遠野物語』への解釈の手つきに対する異和感と重なっている。

『共同幻想論』は、周知のように、自己幻想(個人の心的領域)・対(つい)幻想(男女や同性のペアにおける心的領域)・共同幻想(三人以上の共同体・集団を支配する心的領域)という、互いに緊張・疎外関係にある三つの幻想的次元を基軸に据えて、個人や対、あるいは家族の次元から、それを包摂する種々の共同体、さらには国家へと遠心的に「疎外」されながら、形づくられてゆく共同幻想の呪縛のメカニズムを読み解き、権力の成立過程を追跡せんとした野心作である。

 吉本は、共同幻想論を、彼の哲学体系の総称ともいうべき「心的現象論」の一環として位置づけているようにおもえる。吉本理論は、ヘーゲル・マルクス・フロイトの理論に共通する〈疎外〉というキイ・コンセプトをベースに据えて、あらゆる心的現象を「客観的に」説明可能なものとして包摂せんと志す、壮大な体系であり、そこでは一切の神秘現象、存在の本質的な〈不可知性〉、人間の小ざかしい知を凌駕する主・客融合的で霊妙不可思議な意味や価値の次元は、あらかじめ黙殺されてしまっている。

『共同幻想論』においては、『遠野物語』の民譚の世界は、共同幻想・対幻想・自己幻想の間の〈疎外〉関係のダイナミズムという抽象的・理論的な視座によって、一面的に限定され解釈されることによって、その魅力の神髄ともいうべき、土俗の霊妙な〈闇〉に対する強烈な〈畏怖感〉は、完全に黙殺され、合理主義的に〈解毒〉されてしまっているといっていい。

 共同幻想をめぐる心的メカニズムを考察するための素材として『遠野物語』を取り上げることが、間違っていると言いたいのではない。ただ、そのような合理主義的・客観主義的な解釈なるものに、『遠野物語』のコスモスを一元的に「回収」されては、たまったものではない、と言いたいだけだ。

 この吉本の知的な〈解毒〉の手つきは、あらゆる神秘体験や宗教的な感情を、克服されていない〈幼児的心性〉の表われと断じ、己れの精神分析学のコンセプトによる解釈の内に回収せんとしたフロイトの姿勢と似ている。

 両者共に、〈知〉を過信し、あらゆる心的現象を〈記号化〉することで、ニュートラルな合理主義的解釈の内に存在の〈闇〉を回収し、〈解毒〉せんとする執念に憑かれているように、私には感じられる。

 裏を返せば、彼らは、それほどにも、存在の〈闇〉という、不可知なるカオスが怖かったのかもしれない。だから、必死になって、世界を、己れの理論体系という、ちっぽけな「知の袋」に封じ込めることで、観念的な自我を強化し、不動心を得ようとしたのかもしれない。

 芥川龍之介もまた、彼の小説空間という「知の袋」の中に、人生の地獄図と世界の不条理を封じ込め、理知によって「統御」せんとした。「歯車」には、そのほころびが痛ましく露呈しているのだ。

 その「ほころび」の意味をきちんと読み解くことは、吉本理論にも、フロイト理論にも、決してできはしない。

 彼らの尊大な主知主義的姿勢では、芥川が直面した、とても「偶然事」とは思えないような、摩訶不思議な体験のもつ意味は視えてこない。

 例えば、「歯車」の冒頭にある、「レエン・コオト」を着た幽霊の話に端を発し、真冬だというのに季節はずれの「レエン・コオト」を着た男に繰り返し遭遇した直後に、「姉の夫」が鉄道自殺したという電話を受け、しかも彼もまた、「季節に縁のないレエン・コオト」をひっかけていたという、不気味な事実の連鎖。また、「僕」が「東京へ帰る度に必ず火の燃えるのを見た」という体験。

 これらの出来事は、偶然といえば偶然のようにもみえる。だが、芥川(語り手の「僕」)は、これらの体験を実に注意深く観察し、記録し、その中に、神秘な〈意味〉を読み取っている。

 先に引用した「歯車」の文章における、「『罪と罰』の綴(と)じ違えのページ」の場面や「往来でのすれ違い」の体験の描写なども、同様である。

 たとえそれが、悪意ある不可視な何物かに対する関係妄想と絡み合っていたとしても、その不吉さの連鎖が示す不可思議さの感覚は拭えない。

 私たちは、「歯車」における芥川の体験をまず、そのような彼にとっての〈真実〉として、あるがままに受け取ってやるべきなのだ。

 すると、そこに、私たちは、合理的な〈必然〉とそこからこぼれ落ちた〈偶然〉という、事象への主知主義的解釈(近代主義的解釈)の先入観とは全く異なる、新たな〈存在へのまなざし〉に出逢っている自分を発見することになる。

「歯車」における体験の描写は、一面では、たしかに病的で痛ましいものではあるが、遭遇した出来事の連鎖に、(たとえ不吉なものではあっても)意味深い暗示を感じ取らずにはいられないという作者の感受性のあり方それ自体は、本来的には、決して病的なものではない。(同様に、「凶」や「鵠沼(くげぬま)雑記」のような未発表の日録風の覚書[共に大正十五年記。『芥川龍之介全集』第二十二巻 岩波書店 1997年 所収]に記されている不吉な出来事の連鎖も、単なる病的現象として片づけるべきものではない。)

 実際、そういう不思議な象徴的・暗示的な出来事というものは、この世にいくらでもあり、また、それに気づくだけの注意力と、とらわれのない素直な感受性があれば、誰にでも、大なり小なり体験の覚えがあるはずである。

 前近代の民衆は、誰しもがそういう霊妙不可思議さに対する〈畏怖〉の感覚を備えており、それは、主・客の融合した〈生身〉の感覚を通じて、森羅万象に生の〈意味〉と〈価値〉と〈象徴〉とをつねにみずみずしく感受していた、前近代的な土俗のコスモスを生きた人々の伝統に根ざしたものであった。

 芥川龍之介は、幼少期の中で、そのような土俗のコスミックな香りに包まれた育ち方をしていたとおもわれる。「大川の水」や「老年」にも、その育ち方によって培われた魂の〈下地〉は看取されるのである。

 例えば、芥川中期の小説「妖婆」(大正八年作)の冒頭には、次のような叙述が見受けられる。

 

「あなたは私の申し上げる事を御信じにならないかも知れません。いや、きっと嘘だと御思いなさるでしょう。昔なら知らず、これから私の申し上げる事は、大正の昭代にあった事なのです。しかも御同様住み慣れている、この東京にあった事なのです。外へ出れば電車や自働車が走っている。内へはいればしっきりなく電話のベルが鳴っている。新聞を見れば同盟罷工(ひこう)や婦人運動の報道が出ている。――――そう云う今日、この大都会の一遇でポオやホフマンの小説にでもありそうな、気味の悪い事件が起ったと云う事は、いくら私が事実と申した所で、御信じになれないのは御尤(ごもっと)もです。が、その東京の町々の燈火が、幾百万あるにしても、日没と共に蔽いかかる夜をことごとく焼き払って、昼に返す訣(わけ)には行きますまい。ちょうどそれと同じように、無線電信や飛行機がいかに自然を征服したと云っても、その自然の奥に潜んでいる神秘な世界の地図までも、引く事が出来たと云う次第ではありません。それならどうして、この文明の日光に照らされた東京にも、平常は夢の中にのみ跳梁(ちょうりょう)する精霊たちの秘密な力が、時と場合とでアウエルバッハの窖(あなぐら)のような不思議を現じないと云えましょう。時と場合どころではありません。私に云わせれば、あなたの御注意次第で、驚くべき超自然的な現象は、まるで夜咲く花のように、始終我々の周囲にも出没去来しているのです。」

「たとえば冬の夜更などに、銀座通りを御歩きになって見ると、必ずアスファルトの上に落ちている紙屑が、数にしておよそ二十ばかり、一つ所に集まって、くるくる風に渦を巻いているのが、御眼に止まる事でしょう。(中略)もう少し注意して御覧になると、どの紙屑の渦の中にも、きっと赤い紙屑が一つある――――活動写真の広告だとか、千代紙の切れ端だとか、乃至(ないし)はまた燐寸(まっち)の商標だとか、物はいろいろ変(かわっ)ていても、赤い色が見えるのは、いつでも変りがありません。それがまるでほかの紙屑を率(ひきい)るように、一しきり風が動いたと思うと、まっさきにひらりと舞上ります。と、かすかな砂煙の中から囁(ささや)くような声が起って、そこここに白く散らかっていた紙屑が、たちまちアスファルトの空へ消えてしまう。消えてしまうのじゃありません。一度にさっと輪を描いて、流れるように飛ぶのです。風が落ちる時もその通り、今まで私が見た所では、赤い紙が先へ止まりました。こうなるといかにあなたでも、御不審が起らずにはいられますまい。私は勿論不審です。現に二三度は往来へ立ち止まって、近くの飾窓(ショウウインドウ)から、大幅の光がさす中に、しっきりなく飛びまわる紙屑を、じっと透かして見た事もありました。実際その時はそうして見たら、ふだんは人間の眼に見えない物も、夕暗にまぎれる蝙蝠(こうもり)ほどは、朧げにしろ、彷彿(ほうふつ)と見えそうな気がしたからです。」(「妖婆」)

 

 ここには、芥川の土俗的・アミニズム的な感受性の片鱗が繊細に息づいている。

 万象に霊妙不可思議さを覚える、こういう感覚は、もちろん、一歩まちがえると、〈迷信〉や悪しき〈暗示〉や恐ろしい〈関係妄想〉の地獄へと転落する危うさをはらむものでもある。だが同時に、その〈闇〉としての不可知性、主・客が一体となった生命的なダイナミズムの感覚は、私たちの身体の深奥に眠る野性を目覚めさせ、活力をひき出す源泉ともなりうるのである。

 

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 この「妖婆」という物語は、芥川自身をモデルとする作者の「私」が、知り合いの「出版書肆(しょし)の若主人」である「新蔵」という青年の体験談を聞き書きするという体裁で創られているが、現代(大正期)の大都会・東京の下町に、まるで江戸時代さながらの呪術師の妖婆を登場させるという、一種のホラー的なオカルト小説となっている。

 本所に住むこの妖婆は、「お島婆さん」といって、「婆娑羅(ばさら)の大神」という得体の知れない土俗神を信仰し、その霊験によって占いと加持祈祷(かじきとう)を行い、依頼人の願いに応えるという評判の呪術師である。

 お島婆さんは、遠縁にあたるみなし子の「お敏」という娘を閉じ込めて、彼女を「神下ろし」による婆娑羅の大神のお告げをひき出すための憑き代(つきしろ)=巫女として利用している。

 お敏には恋人がいて、それが、かつて女中として奉公していた家の若旦那である新蔵なのである。新蔵は、突然行方不明となった恋人のお敏を探し出し、お島婆さんの魔手から救い出そうとするが、ふたりの心の動きを事前に察知する妖婆の霊視能力によって妨げられ、お敏は、新蔵との仲が呪われたものだという不吉な〈暗示〉をかけられて、ほとんど金縛りの状態に陥ってしまい、新蔵に逢うこともままならない。

 実は、お島婆さんは、大金を積んだ客の相場師「鍵惣」の依頼によって、お敏を鍵惣の妾にさせようともくろんでおり、そのために新蔵との仲を引き裂こうとしていたのだ。

 必死になってお敏を救わんとする新蔵の想いと、「神下ろし」に利用されながらも、恋人に逢いたさのあまり、夢遊状態のうちにお島婆さんの〈暗示〉の呪縛を断ち切り、言いなりにならなかったお敏の愛の力によって、ついに妖婆の〈邪気〉は払いのけられ、霊気の激突によって起こった豪雨の中、鍵惣と密談をしていたお島婆さんは雷に打たれ、新蔵は気を失ってしまう。熱にうなされて昏睡状態に陥った新蔵が、数日後にようやく目覚めると、彼の枕元には、お敏が居て、ふたりの愛の成就を祝福するかのように、雨の日に咲いた一輪の瑠璃色の「朝顔」の花が、不思議にも枯れることなく咲いていた。

 ほほえましい、ファンタジーのような作品であるけれども、ここには、芥川龍之介の、目に視えぬ霊気に対する感覚、森羅万象へのアニミズム的な感覚が、とても素直に、幸せな形で表われているといっていい。

 芥川の霊気への感受性は、東洋思想の伝統に由来するものである。

 中国哲学の「易(えき)」の宇宙観では、人間の心身も森羅万象も、陰陽二気の離合集散によって説明される。陰陽の気は、「太極(たいきょく)」という宇宙的な〈虚〉の源泉から生み出されるが、太極はまた、陰陽二気に内在しつつ、万有の生生流転を超越的につかさどる宇宙生命の化身でもある。人間の心身に宿った固有の霊気の流れは、つねに個の殻を超えて他者や存在に拡がり、その霊気と交わり合い、不可視の葛藤と吸引のドラマを紡ぎ出すのである。

 私が先に言及した言葉で言うなら、〈個〉を包摂する〈類〉的な無意識としてのコスミックな〈闇〉の次元ということになる。

 中国では、この太極・陰陽の思想は、易から老荘の哲学、朱子学、さらには陽明学へと継受されてゆき、日本でも、古代から近世に至る神道の諸流派や密教・陰陽道・修験道への影響は元より、日蓮宗や近世の朱子学・陽明学、道教的な習俗の影響を受けた民間土俗信仰など、広範囲にわたって、深い痕跡を残している。

 芥川の育った、江戸後期文明の流れを汲む土俗的な下町共同体社会には、このような前近代的・東洋的な〈気〉の思想に根ざしたアニミズム的な生存感覚の伝統が、衰弱しながらも脈々と息づいていたのである。

 このような類的な拡がりをもつ、主・客融合的でコスミックな〈闇〉の感覚は、改めて繰り返すまでもなく、主・客の分離を前提とした上で、客体としての現象を、ニュートラル(没価値的)な自然法則に基づく因果律による〈必然〉の顕われとして解釈し、そこからこぼれ落ちた出来事を、(確率という概念と結びついた)単なる〈偶然〉に解消せんとする、西洋近代科学的な機械論的世界観とは、完全に対極にあるまなざしだといっていい。近代科学のまなざしが切り捨ててかえりみない、人と人、人と出来事との縁(えにし)をはじめとする、偶然とは思えない、この世の事象の霊妙不可思議さというものに対して、前近代的・東洋的な〈気〉の思想は、きちんと応えてくれるだけの生命的なゆたかさと畏怖の感覚を蔵しているのである。

 もちろん、先にも断ったように、このようなアニミズム的な、存在の〈闇〉への感受性は、迷信や関係妄想の地獄と紙一重の危うさをはらんでいる。

 しかし同時に、不条理に抗し、人をして苛酷な現世を生き抜かしめる力を生み出す源泉ともなりうるのだ。

 人は、不安や悲しみ、恐怖、嫉妬・愛憎の苦しみ、欲望や我執などによって醸成された己れの魂の汚れ・濁りを洗い浄め、〈気〉の力を澄んだ生気ある形に鍛え上げることで、身を守り、良きえにしを招き寄せることができる倫理的な存在であるという認識は、神道や儒教・道教・密教・日蓮宗など、さまざまな東洋思想の中に、根強く生き続けてきた。

 芥川中期の小説「妖婆」には、そのような〈気〉の感覚の〈残滓〉が、ファンタジックな形で息づいている。新蔵とお敏の、互いを求め合う愛の純粋さと、悪しき暗示による恐怖・ためらいを乗り越えんとする無私のひたむきさが紡ぎ出す生気の強さが、妖婆の邪気に打ち勝つのである。

 その〈奇跡〉の成就を象徴するように、「枯れない朝顔」が一輪咲き残っている。

 同じ「大正八年」に書かれた「魔術」というファンタジーの小品と並んで、作者芥川龍之介の祈り、少年のようなういういしい憧憬が、そこはかとなく立ち昇っている幸福な作品である。

 

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 しかし、資本制が拡大・膨張をとげ、大衆の前近代的な土俗共同体社会が解体し、アトム的な〈個〉としての生存感覚が強まった「大正期」において、主・客融合的なアニミズム的感覚、東洋的な〈気〉の感覚を、現代小説の世界でリアルに立ち上がらせることは、至難のわざであった。

 そのような冒険を試みても、せいぜい、荒唐無稽なファンタジーやオカルト小説とみなされるか、さもなくば、精神病理の世界を喩的に描いた怪奇物として、深層心理学的な解読の対象になるのが、関の山である。

 事実、「妖婆」という作品は、今日まで、そのような文脈で扱われてきたと思われる。

 芥川龍之介が、幼少期において己れの魂の〈下地〉を培ってきた土俗的な〈闇〉の感覚の記憶を、〈無意識〉の深みから立ち上がらせ、小説という言語空間の中で存分に自在に解放してやるためには、歴史物の舞台、とりわけ古代的・神話的な時空意識が必要だった。

 芥川最後のファンタジーの力作といってよい「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」「老いたる素戔嗚尊」(大正九年作)は、まさしく、そのような舞台装置の下で展開された、素戔嗚(すさのお)という『古事記』に登場する異形(いぎょう)の荒ぶる神、野性味溢れる〈闇〉の化身・英雄の物語である。

 もちろん、そこで表現された〈喩〉としてのリアリティは、大正期という、散文的で殺伐とした〈現代〉の世相を生きる芥川にとっては、あくまでもヴァーチャルな〈憧憬〉の対象であり、一種のロマン主義的な〈超越〉への志向の産物であったろう。

 彼の〈身体〉の中に、今もなお息づき、表現を求めて疼(うず)いているアニミズム的・土俗的な闇の感覚の〈残滓〉と〈記憶〉の延長上に「接木的」に構築された、壮大な〈虚構〉のコスモスといってよかった。

 嫉妬深い小人(しょうじん)どもの〈秩序〉に適合できず、つまらぬ争いに端を発した激情のほとばしりによって、己れの内に秘められていた狂暴な野性を解き放ってしまった素戔嗚が、高天原(たかまがはら)の国を追放されてさまよい、えにしをとり結んだ、得体の知れない「十六人の女たち」と共に、洞穴の中で、放縦な淫蕩の暮らしを送ったあげく、誤って大気都姫(おおけつひめ)を刺し殺し、逃走する。

 明け方に大きな湖の岸に辿り着いた素戔嗚は、やがて雷雲の接近に見舞われ、茫然自失したまま豪雨に打たれる。

 

「素戔嗚はずぶ濡れになりながら、未(いまだ)に汀(なぎさ)の砂を去らなかった。彼の心は頭上の空より、さらに晦濛(かいもう)の底へ沈んでいた。そこには穢(けが)れ果てた自己に対する、憤懣(ふんまん)よりほかに何もなかった。しかし今はその憤懣を恣(ほしいまま)に洩(も)らす力さえ、――――大樹の幹に頭を打ちつけるか、湖の底に身を投ずるか、一気に自己を亡すべき、最後の力さえ涸れ尽きていた。だから彼は心身とも、まるで破れた船のように、空しく騒ぎ立つ波に臨んだまま、まっ白に落す豪雨を浴びて、黙然(もくねん)と坐っているよりほかはなかった。/天はいよいよ暗くなった。風雨も一層力を加えた。そうして――――突然彼の眼の前が、ぎらぎらと凄まじい薄紫になった。山が、雲が、湖が皆半空に浮んで見えた。同時に地軸も砕けたような、落雷の音が耳を裂いた。彼は思わず飛び立とうとした。が、すぐにまた前へ倒れた。雨は俯伏(うつぶ)せになった彼の上へ未練未釈なく降り濺(そそ)いだ。しかし彼は砂の中に半ば顔を埋(うず)めたまま、身動きをする気色(けしき)も見えなかった。……/何時間か過ぎた後、失神した彼はおもむろに、砂の上から起き上った。彼の前には静な湖が、油のように開いていた。空にはまだ雲が立ち迷ってただ一幅の日の光が、ちょうど対岸の山の頂へ帯のように長く落ちていた。そうしてその光のさした所が、そこだけほかより鮮かな黄ばんだ緑に仄(ほの)めいていた。」

「彼は茫然と眼を挙げて、この平和な自然を眺めた。空も、木々も、雨後の空気も、すべてが彼には、昔見た夢の中の景色のような、懐しい寂寞(せきばく)に溢れていた。「何かおれの忘れていた物が、あの山々の間に潜んでいる。」――――彼はそう思いながら、貪るように湖を眺め続けた。しかしそれが何だったかは、遠い記憶を辿って見ても、容易に彼には思い出せなかった。/その内に雲の影が移って、彼を囲む真夏の山々へ、一時に日の光が照り渡った。山々を埋める森の緑は、それと共に美しく湖の空に燃え上った。この時彼の心には異様な戦慄が伝わるのを感じた。彼は息を吞みながら、熱心に耳を傾けた。すると重なり合った山々の奥から、今まで忘れていた自然の言葉が声のない雷(いかずち)のように轟(とどろ)いて来た。/彼は喜びに戦(おのの)いた。戦きながらその言葉の威力の前に圧倒された。彼はしまいには砂に伏して、必死に耳を塞ごうとした。が、自然は語り続けた。彼は嫌でもその言葉に、じっと聞き入るより途(みち)はなかった。/湖は日に輝きながら、潑溂(はつらつ)とその言葉に応じた。彼は――――その汀にひれ伏している、小さな一人の人間は、代る代る泣いたり笑ったりしていた。が、山々の中から湧き上る声は、彼の悲喜には頓着なく、あたかも目に見えない波濤のように、絶えまなく彼の上へ漲って来た。」

(「素戔嗚尊」)

 

 素戔嗚の魂の浄化と蘇生を象徴する、雄渾な叙事詩的名場面である。

 少々理知的に過ぎるきらいはあるが、十分におごそかな空気感の漂う、メリハリのきいた、正確で無駄の無い描写となり得ている。

「空も、木々も、雨後の空気も、すべてが彼には、昔見た夢の中の景色のような、懐しい寂寞に溢れていた」という言葉に注意したい。私はここに、作者芥川龍之介の〈身体〉に深く沁み込み、今もなお彼の〈無意識〉の奥で、表現を求めて疼いている、コスミックな土俗の〈闇〉の原風景への痛切な〈渇き〉を感じずにはいられない。「大川の水」に息づいていた、「寂寥」と「慰安」とに包まれた、魂の原風景への渇きを。

 この〈闇〉の原風景は、大正九年の芥川龍之介にとっては、もはや、幻燈のようなヴァーチャルな〈追憶〉の対象に成り果てていたようにおもわれる。

 だが、彼の〈身体〉に今も息づく、無意識的な闇の感覚の〈残滓〉は、魂の〈原郷〉への遡行の想いを誘発させずにはおかない。

 素戔嗚のこの〈転生〉の場面を、自然体験を彷彿とさせるリアルで稠密な風景描写と無駄の無い内面描写を通して、象徴的に紡ぎ出すことで、作者は、いまだ死に絶えていない、己れの内なる生命的な〈闇〉の残滓を、可能な限り、みずみずしい生存感覚として立ち上がらせ、それに、〈原郷〉の記憶への思慕・遡行の想いをリンクさせることで、壮大な神話的・アニミズム的な物語空間へと膨れ上がらせてみせようと、懸命に工夫を凝らしているようにおもわれる。

 

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 芥川龍之介は、「素戔嗚尊」において、古代を舞台としながら、『古事記』のコスミックで壮大な神話世界を、敢えて、神性を宿した〈生身〉の人間を主人公とする近代リアリズム小説風の物語へと理知的につくり変えるという、なんとも中途半端で強引な冒険を試みている。

 王朝物などの、芥川の他の歴史物においては、彼のリアリズム文学的姿勢は欠点とはならず、むしろ新鮮な強みとなることが多いのであるが、神話世界となると、そうもいかない。ヘタをすると、荒唐無稽な戯作物に堕してしまいかねない、ある意味で無謀な創作姿勢ともいえる。

 この時期の芥川は、それほどの思い切った試みをしなければならぬほどに、己れの内なる〈闇〉の表現に渇いていた、ということもできよう。

 より正確に言うなら、天地の息づかいを肌身で感じていた、野性味溢れる素朴な古代人の生存感覚に想像的に想いを馳せ、その想像力を、己れの内なる〈闇〉の感覚とリンクさせながら、スケールの大きい、解放感のある物語的時空を立ち上がらせることで、「大正期」という資本制近代を生きる芥川自身の閉塞感と不条理感を打破せんと切望していた、ということだ。

 その冒険の甲斐はあったと思う。

「素戔嗚尊」は、たしかに、あまりにも理知的・人工的につくり込まれたヴァーチャルな物語空間という印象は残るが、この時期における芥川なりの〈闇〉の解放は、精一杯できていると、私にはおもえるからである。

 それだけに、改めていぶかしく思わずにはいられないのだ。

 これほどの美事な生命的描写を紡ぎ出すことのできていた作家が、なにゆえに、晩年期の芥川のような、痩せ細った、神経症的な近代文学者の場所に「縮退」してしまったのか?と。

「素戔嗚尊」「老いたる素戔嗚尊」が書かれた大正九年までは、存在へのコスミックな闇の感覚と倫理的な気高さへの希求は、たしかにこの作家の中で、生き生きと命脈を保っていたようにおもわれる。

 しかし、彼の神経衰弱が悪化し始めた「大正十年」頃からは、メタフィジカルな闇の感覚は急速に消失していく。

 繊細な文体の中にも温存されていた闊達な野性味やのびやかさが失われ、まなざしは、酷薄な地上の散文的・三次元的現実に緊縛され、生存感覚の振幅は狭窄されて、作品世界は息苦しさを増してゆく。

 少年期における心の変容を描いて、大人になることへの強烈な痛みを覚えさせる名作「トロッコ」(大正十一年作)を最後に、芥川の文体の中に残存していた独特の繊細な温かさの感覚、抒情的な潤いといったものも希薄になっていき、小説は、「一塊の土」(大正十二年作)や「玄鶴山房」(昭和二年作)のように、冷やかで乾いた客観的写実の性格を強めていくのである。

 なぜ、このような変容が生じたのであろうか?

 ひとつ考えられるのは、小穴隆一宛の遺書の中で告白されている「秀夫人」との恋愛(密通)関係による傷である。芥川によれば、秀夫人との関係が起こったのは、彼が「二十九歳」の時だという。数え年だとすれば、「大正九年」の出来事である。この年に書かれた「素戔嗚尊」には、高天原を追われた後の素戔嗚の、大気都姫を中心とする女たちとの洞穴内での淫蕩な暮らしぶりが、実に執拗に描かれている。素戔嗚は、愛欲の泥沼に溺れながらも、地獄の苦しみを味わっており、繰り返し懸命に脱出を試みるのだが、そのつど女たちの怪しい色香の誘惑に負けて、洞穴に舞い戻ってしまう。

 やがて女たちは、素戔嗚に代わって、一匹の精悍で不気味な牡(おす)の「黒犬」を可愛がるようになる。ついに女たちの獣姦の対象にまでなった黒犬への嫉妬に駆られた素戔嗚は、犬の代りに誤って大気都姫を刺し殺してしまい、それを機に、ようやく魔窟から脱出することができる。

 これらの一連の淫蕩の日々は、過剰といってもよいほどの粘っこさで描写されており、その後に、すでに引用した素戔嗚の魂の浄化(転生)の場面が登場するわけである。

 この劇的な〈浄化〉のシーンに、〈喩〉としてのリアリティを与えるために、作者は、これだけの粘着的な〈淫蕩〉の物語を紡ぎ出さねばならなかったのだ。

 作品を素直に読む限り、作者芥川が、この時期(大正九年)、ある痛切な愛欲の地獄を抱え込んでおり、その中でもがき苦しみながら懸命に脱出を図っている、という印象は拭えない。古代を舞台とする虚構作品ではあるが、それだけの〈喩〉としての迫真性・リアリティを、私は、この「素戔嗚尊」に感じずにはいられないのである。

 この作品によって気持がふっ切れたのか、芥川は、翌年(大正十年)の中国旅行の後に、秀夫人との関係を一応断ち切ってはいる。小穴隆一宛の遺書には、「秀夫人の利己主義や動物的本能は実に甚しいものである」という言葉があり、夫人と別れた後の次第については、「その後は一指も触れたことはない。が、執拗に追ひかけられるのには常に迷惑を感じてゐた。僕は僕を愛しても、僕を苦しめなかった女神たちに(但しこの「たち」は二人以上の意である。僕はそれほどドン・ジュアンではない。)衷心の感謝を感じてゐる」と記されている。(『芥川龍之介全集』第二十三巻 岩波書店 1998年 参照。)

 よほど苦しめられていたとみえる。

 その恋愛の後遺症は、彼の作品にも暗い影を落としている。(例えば、小説「藪の中」(大正十年作)や、遺稿「或る阿呆の一生」の中で「狂人の娘」として暗喩的に語られている女性像のように。)

 秀夫人との恋愛関係から受けた傷は、おそらく、深刻な女性不信とエロス的な呪縛への恐怖、どす黒い自己嫌悪と後悔といった形をとって、大正十年以後の芥川を苦しめたようにおもわれる。秀夫人との関係の後遺症の他にも、毎日新聞社海外視察員として中国に旅行した折の(上海での病も含めた)体験や関東大震災との遭遇も、芥川の人生への挫折感・不条理感を悪化させるものであったかもしれない。

 もちろん、よく知られているように、彼の家族を近親憎悪的に囲い込んでいた親族、特に龍之介を溺愛していた「伯母」や義父母との葛藤、職業作家として成功し続けなければならないという切迫感、文壇における「立ち位置」への自意識なども、生き難さをつのらせる要因であったろう。

 芥川は、生涯にわたって、人生=実生活に対して、救いようのない暗い想念を抱き続けた。

 人生とは、人間という得体の知れない生き物が、悪因縁のしがらみの中でもがき苦しみ、互いに傷つけ合い、胸の底に癒し難い孤独を抱えながら頼りなく浮遊している、悪夢の連鎖のようなものだという、つらいイメージをふっ切れなかった。

 彼は、関係の障害のるつぼであり、不条理性の別名である、実生活という〈カオス〉を、ひたすら忌避し、怖れたのだ。

 実生活の荒波にいや応もなくさらされ、それに対して、果敢に、即自的に身を投げ入れることのできる、大衆のタフな生きざまに、彼は内心、去勢されるような蒼ざめた恐怖を覚えていたに違いない。

 だからこそ芥川は、己れの理知的・観念的な〈意識〉によって了解し、統御しうる、小説空間という多彩な「人生の地獄図」を紡ぎ出すことで、実生活という〈闇〉のカオスに対峙せんとしたのだ。

 前期から中期にかけての芥川小説の中心が「歴史物」に置かれていたのも、現代人の実生活に垣間見える醜悪な生臭さに対して、彼の繊細で傷つきやすい精神が息苦しさを覚えていたからではあるまいか。

「現代物」が強いてくるモチーフの内、「歴史物」に移せる限りのものは、全て移していったようにおもえる。現代物のモチーフを歴史物に移すことで、窮屈な道徳的・社会的通念の制約から解き放たれ、大胆で残酷な実験も可能となるし、アトム化の風圧にさらされていた大正期の資本制近代の殺伐とした「裟婆苦」の世相から、巧みに距離をとることもできる。歴史物と現代物の創作のバランスをとることで、精神の安定を図っていたといってもよいだろう。

 このバランスが、大正十一年以後一気に崩れ去っていったのは、だから、芥川の精神の安定が失われていったことを物語っている。

 歴史物が減り、現代物の比重が圧倒的に高まっていくわけだが、このことは、芥川の〈現実〉への対峙の仕方、たたかい方に、ある重要な変化が生じていた事を示している。

 すなわち、かつてのように、「裟婆苦」の現実から距離をとるのではなく、逆に、現代物というフィルターを通してみつめられた、狭窄された現実に、自身を同化させようとしていたということだ。

 晩年期の芥川作品に、「私小説」(もしくは私小説的作品)のウェイトが高まるのも、そのせいではないかとおもわれる。

 彼は、休む間もなく、がむしゃらに書き続け、〈自意識〉を酷使し続けることで、芸術という〈砦〉を膨れ上がらせているうちに、いつしか不可知なる〈闇〉の中に、素直に〈身体〉をゆだねることができなくなってしまったのではあるまいか。

 何もかもを、己れの〈意識〉によって神経症的に統御せんとする、デモーニッシュな情熱に魂を食われてしまったのだ。己れ自身のライフ・ヒストリーも、己れの生きる大正から昭和初年の現実も、全てを、己れの〈意識〉によって仕切ろうとした。

〈無意識〉の広大無辺さへの〈畏怖〉の心を、いつしか忘れ果てていた。

 裏を返せば、それだけ、いつの間にか、〈無意識〉への窓口である身体感覚の〈振り幅〉は狭窄され、冷え切ったものと化していたということだ。身体の〈悲鳴〉に素直に耳を傾けることができないほどに、〈自意識〉は、傲慢に肥大化していたともいえよう。

 不条理感の高まりによって、〈無意識〉が痛めつけられ、身体が冷却化の一途を辿るにつれて、芸術家としての〈自意識〉は逆に先鋭化し、私小説を含む「現代物」への傾斜が強まっていったと考えられる。

 芸術の言葉によって一面的に規定された、酷薄な観念的現実を、敢えて己れ自身の〈棲み家〉として択び取ることで、晩年期の芥川は、自らの〈身体性の衰弱〉をカバーし、あるがままのカオスとしての現実に、〈意識〉の力によって対峙せんとした。

 しかも、芸術という名の人生の散文的な地獄図は、例の地動説的イデオロギー(アトミズム的・機械論的世界観)によって、強固な認識論的裏付けを獲得していた。

 彼の〈自意識〉はもはや引っ込みがつかず、意固地な身構えを崩すことができないままに、行き着く所まで行き着くほかはない、内面的な地獄の渦中をひたすら突き進んでいった。

 おまけに、芥川は、世間体を恐ろしく気にかける人物であり、また、(おそらく芥川夫人を除けば)身内にも友人にも、己れの病への〈恐怖〉を正直にリアルに伝えることは、至難のわざであった。精神病院に入れられることも、ひどく怖れていた。どこにも、出口はなかったのである。(この稿続く)

 

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「中期」太宰治の変容―表現と実生活をめぐるアポリア―(連載第2回) 川喜田八潮

  • 2017.05.24 Wednesday
  • 19:31

 

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「作者オイレンベルグ自身が小説の女房の夫である」という仮説を前提とした上で、太宰は、原作の文章を適宜「引用」しつつ、(鴎外の翻訳文にはほとんど手を加えず)原文はそのままにした上で、巧みに、登場人物の心の背景を読み込んでゆき、原作を「補足」するかっこうに見せかけて、太宰独自の小説に仕立て上げてゆく。

 まず冒頭で、鴎外の翻訳小説の「面白さ」、読者への「親切心」(サービス精神)が強調され、そこに、太宰の芸術観の隠し味が伏線のように張られている。次いで今まで述べてきたような、オイレンベルグの小説のリアルでドライな迫力への強烈な〈異和〉のおもいが語られ、前述の〈仮説〉のもとに、作品の思い切った「作り変え」(補足)が施される。そして、女房と愛人の「決闘」を木陰に隠れて「観察」し、後に、女房の死後、事件の顛末(てんまつ)を非情に「作品化」する男の〈芸術家根性〉への批判的な視線が語られる。

 こういった展開の中に一貫して流れるものは、太宰の、リアリズム的な文学観への強烈な〈異和〉〈反措定〉の情熱であるといっていい。

 それは、先に引用した作者オイレンベルグの原作への強烈な〈異和〉の言葉を見ても、はっきりとわかるはずだ。

 体験や観察を忠実に(本当は「まことしやかに」なのだが)まるごと「客体化」して提示しようとするリアリズム的・私小説的な文学理念というものを解体し、〈虚構〉による象徴表現を通じて、無意識のデリケートな異和や渇きや祈りの感触を、深層のメタフィジカルな〈真実〉として抽出すると共に、「戯作者」的な面白さや軽さを付与することで、なまの現実がむき出しにする散文的・地上的な酷薄さの位相を緩和し、現実に拮抗しながら、同時に癒し、くぐり抜けてゆくという方法。

 それが、「中期」太宰治の無意識的な文学理念の悪戦の場所であったといってよい。

 このたたかい方は、太宰改作による『女の決闘』においては、「芸術家」としての夫の場所へのまなざしに凝縮されている。

 この人物の場所をまとめてみるとこうなる。

 まず、この男は、女房と女学生の決闘をあらかじめ知っていながら、むざむざそれを放置し、あまつさえ、木陰に身を潜めて、決闘の成り行きを「写真機」のごとく「観察」し、女房の死後、事件の顛末をこの上なく的確に描写しうるような人物である。すなわち、「表現の虫」というサタンを胸の内に飼う芸術家という因業な存在である。

 また、この作家は、功成り名とげて「倦怠」に陥り、若い女学生との浮気に刺激を求めていた中年男である。

 女房に対しては、長い年月にわたって愚直に自分に奉仕してきた無知な女とみくびり、世間体をつくろいながら、子を育て、生活の便法上の必要を満たしてゆくための道具的存在とみなしてきた。(さらにいうなら、この男は密かに、「女」一般への根深い侮蔑心を抱いている。)

 要するにこの男は、「女」も「実生活」も「世間」も、本質的にタカの知れたものとみなしてなめくさっている。それでいて、世の批評家からは「精緻な描写」を絶賛される重厚なリアリズム文学の大家である。

 人生への深い侮蔑の念をもち、シニカルな眼でその種々相をリアルに活写しうる手腕の持ち主であり、己れの芸術の砦を拠り所に世間を冷眼視する、よくあるダンディストのタイプなのだ。

 太宰は、こういう芸術家の夫の生きざまを、女学生と女房の目を通じて痛烈に相対化し、ぶち壊してゆく。

 女学生にとっては、この男は単なる経済上の「パトロン」にすぎず、真の恋愛の対象でもなんでもない。おまけに、「市民を嘲(あざけ)って芸術を売って」おきながら「市民と同じ生活をしている」芸術家という、奇怪な思い上がった種族への、毒々しい知的好奇心を満たしてくれる、冷ややかな「観察」の対象でもある。

 他方、女房の方は、ひねこびて自意識の強い女学生とは対照的に、夫のことをつゆ疑うことも無く、長い年月にわたってひたすら家庭を守り、そこに生きることの意味のすべてを託してきた、つつましい素朴な主婦として描かれている。

 その一見ありふれた女と見えた彼女が、夢想だにしなかった夫の裏切りによって、一瞬にして己れの存在の根拠が崩れ去るような衝撃を受けたとき、それまでの夫や子供たちへのおもいも、過去の生活のあらゆる哀歓に満ちた思い出も、すべて忘却の淵に葬り去り、断固たる冷酷な〈自己抹殺〉への意志の化身へと変貌してしまう。

 たったひとつ残された遺品である、牧師への回心を拒絶する「書きかけの手紙」には、そういう凄まじい、一途(いちず)な女の心情がにじみ出ている。

 

「……わたくしはこの檻房から、わたくしの逃げ出して来た、元の天国へ帰りたくありません。よしや天使が薔薇(ばら)の綱をわたくしの体に巻いて引入れようとしたとて、わたくしは帰ろうとは思いません。なぜと申しますのに、わたくしがそこで流した血は、決闘でわたくしの殺した、あの女学生の創(きず)から流れて出た血のようにもう元へは帰らぬのでございます。わたくしはもう人の妻でも無ければ人の母でもありません。もうそんなものには決してなられません。永遠になられません。ほんにこの永遠と云う、たっぷり涙を含んだ二字を、あなた方どなたでも理解して尊敬して下されば好いと存じます。」

「わたくしはあの陰気な中庭に入り込んで、生れてから初めて、拳銃と云うものを打って見ました時、自分が死ぬる覚悟で致しまして、それと同時に自分の狙っている的は、即ち自分の心の臓だと云う事が分かりました。それから一発一発と打つたびに、わたくしは自分で自分を引き裂くような愉快を味いました。この心の臓は、もとは夫や子供の側で、セコンドのように打っていて、時を過ごして来たものでございます。それが今は数知れぬ弾丸に打ち抜かれています。こんなになった心の臓を、どうして元の場所へ持って行かれましょう。よしやあなたが主御自身であっても、わたくしを元へお帰しなさる事はお出来になりますまい。神様でも、鳥よ虫になれとは仰(おっし)ゃる事が出来ますまい。先にその鳥の命をお断ちになってからでも、そう仰ゃる事は出来ますまい。」

「わたくしの為には自分の恋愛が、丁度自分の身を包んでいる皮のようなものでございました。若(も)しその皮の上に一寸(ちょっと)した染(しみ)が出来るとか、一寸した創(きず)が付くとかしますと、わたくしはどんなにしてでも、それを癒やしてしまわずには置かれませんでした。わたくしはその恋愛が非常に傷つけられたと存じました時、その為に、長煩いで腐って行くように死なずに、意識して、真っ直ぐに立った儘で死のうと思いました。」

 

 なにもかもなくしてしまった自らの苦しみの本質を、あるがままに冷徹にみきわめた上で、直截にわしづかみにするような、女房のこの率直な告白の文面に、「芸術家」の夫は心底戦慄をおぼえる。

 そこには、人生の一切の虚飾をはぎとった時に浮上する、恐ろしいほど興ざめのする「リアル」な生活者の情念と行為の〈凄み〉がにじみ出ていたからだ。

 男は生まれて初めて「実人生の、暴力的な真剣さ」の真のかたちというものをまざまざと目のあたりに見せつけられる。とうてい「小説」にも「詩」にもなりようがない生の実体の深淵、あらゆる文学表現=芸術なるものをはじき返してしまう強固で赤裸々な肉質というものを初めて触知して、打ちのめされる。

 自分がそれまで、知ったかぶって書き散らし、読みかじってきた〈文学〉の世界などは、「ガキの遊び」にすぎないものであることを思い知らされ、茫然自失した男は、ふいに死にたくなるような衝動に駆られる。

 オイレンベルグの原作では、女房の手紙の文章が披瀝されたところで終っているのであるが、太宰の改作では、その後に、興味深い〈落ち〉が付け加えられている。

 決闘の一部始終を小説に仕上げるために、女房の手紙のドスのきいた真剣勝負の言葉を、ひとつひとつ書き写しているうちに、「異様な恐怖」に襲われた「芸術家」の夫は、途中で筆を投じてしまい、ふいに死にたくなるような衝動に駆られる。そのまま、机の引き出しから拳銃を取り出して「胸に銃口を当てて引金を引いた」と書けば、「多少はロマンチックな匂いも発して来る」のだが、「現実は、決して、そんなに都合よく割り切れず」、人生の「興覚めの強力な実体」を見せつけられた芸術家は、それからも、「別に変った事も無く、翌(あく)る日も、その翌る日も、少くとも表面は静かな作家の生活をつづけて」いく。

 失敗の短編『女の決闘』も、間もなく、「平気を装って」しゃあしゃあと新聞に発表してしまう。

 そして、「驚くべきことには、実にくだらぬ通俗小説ばかりを書くようになり」大成功して、俗物として一生をまっとうするのである。

 

「いちど、いやな恐るべき実体を見てしまった芸術家は、それに拠っていよいよ人生観察も深くなり、その作品も、所謂(いわゆる)、底光りして来るようにも思われますが、現実は、必ずしもそうでは無いらしく、かえって、怒りも、憧れも、歓びも失い、どうでもいいという白痴の生きかたを選ぶものらしく、この芸術家も、あれ以来というものは、全く、ふやけた浅墓(あさはか)な通俗小説ばかりを書くようになりました。かつて世の批評家たちに最上級の言葉で賞讃せられた、あの精密の描写は、それ以後の小説の片隅にさえ、見つからぬようになりました。次第に財産も殖(ふ)え、体重も以前の倍ちかくなって、町内の人たちの尊敬も集り、知事、政治家、将軍とも互角の交際をして、六十八歳で大往生いたしました。その葬儀の華やかさは、五年のちまで町内の人たちの語り草になりました。再び、妻はめとらなかったのであります。」

 

 もちろん、太宰は、実際のオイレンベルグ氏がそんな転落ぶりを示したというわけではなく、あくまで、自分の小説上の〈結末〉にすぎないと断ってはいる。

 しかしそれにもかかわらず、この太宰の痛烈な結末のつけ方は、ゆるがせにできぬ重要な問題を提起している。それは、リアリズム的なまなざしというものが、人間の生をどういう場所に追い込んでいくのか、という問題だ。

 

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 リアリズム文学は、人生の〈地獄〉に固執する。近代文学の原点が、やむにやまれぬ己れの〈個〉としての固有の〈異和〉のおもいを忠実に吐き出し、そのとらえがたい感触を能う限り精緻に、生々しく「再現」することで、己れの生の混沌を対象的に「支配」し、不安をなだめ、生きようとする意志と理性を再編・強化しようとする営みにあるとすれば、いきおい、描写のリアルな迫真性を重んずることになる。その意味で、リアリズム小説や私小説という素朴な方法は、素朴な直截性ゆえに、近代文学のアルファでありオメガであるような性格を最初から帯びているともいえる。

 私たちが、生の〈風化〉をまぬがれ、実人生や人間性の真の暗がりや奥ゆきをひるまずに凝視しつつ、なお、その圧倒的なふくらみと重さに「拮抗」しようとすれば、リアリズム的なまなざしは、正道を行く文学のあり方として、私たちを繰り返し強制して来ざるを得ないものだ。

 しかし「だからこそ」、私たちは、そういう視線に限定的に囲い込まれることを拒否するほかはない、という表現理念があり得るのだ。

 それが、太宰がここで提起している問いかけなのである。

 私たちが、世界への〈異和〉や〈渇き〉を精緻なリアリズム的凝視に「偏執」することによって吐き出し、表現してゆこうとする限り、私たちの世界風景は、いきおい、地上的な〈地獄図〉に囲い込まれた、いびつで一面的な〈自虐〉の産物に収斂するほかはない。

 真にドスのきいたリアリズム的迫真性というものは、生理の限界を超えるほどの〈魂への破壊力〉をもちうるのであり、無意識の深層に秘められ、凍結されていた「嬰児のすすり泣き」のような原初の〈痛覚〉を強烈に刺激・励起させることで、私たちをひとつの地獄図絵の内に囲い込もうとする。真の第一級のリアリズム作品というものは、それだけの凄まじいエロス的な磁場を形成し得るのだ。

 そのマゾヒズムの凄惨さに耐え得る特有の〈資質〉を有する少数の表現者を別とすれば、人間にとって、酷薄な散文的リアリズムの世界を棲み家にすることは、まっとうな生活者としては〈死〉をもたらすやり口でしかないのではないか。

 それが、太宰がここでこだわっている問題なのだ。

 誤解を恐れずにいうなら、マゾヒズム的な表現世界を棲み家にし得るリアリズム作家・私小説作家という人種は、ある意味では、その作品を「享受」する読者よりも、良い意味でも悪い意味でも、鈍感な種族なのだともいえよう。繊細で傷つきやすい神経をもった読者なら到底耐え得ないような、泥沼のような生老病死の修羅の実相を、舌なめずりするように描出し、その劇痛に耐え、長年月にわたってその苦しみを飼いならしているうちに、少々のことでは突き刺さらないような、ぶ厚い〈観念〉の皮下脂肪を〈第二の肉体〉のようにつくり上げてしまった、強靭で脆弱で不幸な人間たちなのだ。

 もちろん、幼児期までの〈傷〉の深さの度合によっても人さまざまだろうが、いずれにせよ、柔らかで傷つきやすい生身の魂をもったデリケートな生活者や表現者とは、どだい、視えている風景も生存感覚もまるっきり違うのである。

 痛ましいことに、〈近代〉という奴は、大なり小なり、あらゆる人間たちに、こういう酷薄なリアリズム的視線によって切り取られた地上的散文的な世界風景を、偏執的に強要してくるのであり、誰もが、無意識を囲い込もうとするその酸鼻な〈死臭〉によって、魂を痛めつけられているのである。

 特に、私たちの〈現在〉のような冷えきった世の中ではなおさらのことだ。

 極度に細分化された神経によって、日々、自他に対する無数の関係意識の障害に苦しめられている人々にとって、こういう世界視線は、ほとんどがまんならぬものとなっているはずだ。

 それだけに、「中期」太宰の反リアリズム的姿勢のはらむ〈現在性〉は、とても貴重な意味をもっている。太宰治自身が、誰よりも、こういう散文的な酷薄さに耐えられぬ神経の持ち主であったからだ。

『女の決闘』の芸術家が、「実人生の、暴力的な真剣さ」に打ちのめされ、己れの芸術的な視線と手腕にすっかり自信をなくし、ふやけた通俗小説ばかり書くようになったのも、彼が、柔らかで傷つきやすい魂の持ち主であったからだ。

 そういう繊細な人間が、地上的な酷薄さに対峙してなお、己れの〈異和〉や〈渇き〉を忠実に吐き出し、固有の表現を与えることで、生活者としてのすこやかな肉体と生への肯定的な視線を保ち得るとしたら、改めて、文学を、ひとつのメタフィジカルな真実を喩的に体現する〈虚構〉とみなす、真に肚(はら)のすわった「戯作者」的な表現理念が必要となる。

 こういうことは、そのまま、私たちの時代の物書きの病につながっている。

 私たちの現在の社会では、クソまじめなリアリズム文学や私小説が全盛を極めていた戦前の文壇世界とは全く逆に、それこそ「ガキの遊び」にすぎないような、ハシにも棒にもかからないふやけたエンターテインメントや通俗小説が氾濫しきっている。

 作者当人の〈人間認識〉が「その程度」にすぎない場合もあれば、(『女の決闘』の芸術家と同様に)実生活や人間性の底知れぬ深淵を無意識裡に触知しているがゆえに、逆に、その〈恐怖〉から目をそらし、気を紛らわそうとするかのように、エンターテインメントに逃避・埋没する作者たちもいる。

 いずれにせよ、現在の私たちの社会における、多くのエンターテイナーたちの〈戯作者意識〉という奴が、実人生や人間性の真の堅固な実体に「拮抗」できるようなしろものでないことはたしかだ。

 私の見るところでは、メタフィジカルな〈喩〉のレベルで時代の激変に耐え得るような、真に優れた達成を示す作品は、残念ながら、現在の時点では本当に数えるほどしかない。

 それは、利害関係的な局面を除けば、稀薄で幼稚な人間的〈接触〉しかなし得ない、現代人の酸鼻な関係意識と観念的で抽象的な生きざまを正確に反映するものだといってよい。

 太宰治の戯作者的なまなざしは、現在の多くのエンターテイナーたちのふやけた表現理念とは逆に、また『女の決闘』の芸術家の末路とは逆に、文学なぞ真剣勝負の「実人生」に比べれば「ガキの遊び」にすぎないことを真にわきまえた上で、それゆえにこそ、敢えて、その戯れに徹しようとするようなシビアな場所なのだ。

 太宰にとって、真剣勝負の「実人生」とは、本当は、限りなく恐ろしい、自他への関係意識の障害の底無し沼のような世界であり、彼にとっては〈異類〉ともいえる、得体の知れない強靭な肉体に裏打ちされた、生への悪魔的な獰猛さを備えたタフな生活大衆の〈沈黙〉の世界にほかならない。

 生への去勢感情の強さ、生存感覚の芯から立ち昇る生得の虚無感、あるがままのリアルな実生活者たちの生きざまに生気を奪い取られるような〈生き難さ〉の実感。

 それが、太宰的感覚(あるいは芥川―太宰的感覚)なのであり、それゆえにこそ、彼は、実人生から締め出される己れの固有の〈渇き〉に、文学という「ガキの遊び」によって表現を与えることで、修復と救いをもたらそうとしたのである。

 それは、生活の恐怖におののき、そこから逃れようと半狂乱になって、もがきにもがき抜いたあげく、実生活の強固な実体にどうしようもなく突き返され、その脂ぎったどす黒い深淵に真に拮坑し得る唯一の砦として、いや応なく択びとるほかはなかった、ぎりぎりの捨て身の場所だといってよい。

 太宰が、『女の決闘』における(女房の手紙に接する以前の)芸術家の夫のように、世間や人生や大衆に対する侮蔑の念と芸術至上主義的な居直りに自足するようなタイプであったとしたら、あるいは、芸術を自分の「仕事」と割り切って、実生活の「一部」として抵抗なく組み込み、実生活者としても自信に満ち溢れた、生活をエンジョイできるタフな人物たりえたとしたら、ここで言うような「実生活への真の拮抗」としての芸術は必要ではない。

 生活大衆の「体を張った」ドスのきいた〈沈黙〉の世界に真に拮抗すると共に、自身もまた、ひとりのつつましい〈生活者〉として、家族を守り、しあわせになろうとする、まっとうな真剣勝負の世界を生き抜いていたからこそ、「中期」の太宰は、文学=表現という営みをこの上もなく大切にすることで、自らの〈実生活〉にいのちとふくらみを与え、かつ、人間らしい〈生身〉の叫びを見失うまいとしていたのだ。

『女の決闘』でいうなら、女房と女学生の決闘をむざむざ放置し、冷酷に観察していながら、ある瞬間には、ふたりの女の無事と和解を心から祈り、止めに入ろうかという切迫した情動に駆られる男の瞬時の心の推移を強調し、弁護しようとする姿勢に、当時の太宰の生活者的な真面目(しんめんもく)が表われている。

 

「男は、あの決闘の時、女房を殺せ! と願いました。と同時に、決闘やめろ! 拳銃からりと投げ出して二人で笑え、と危く叫ぼうとしたのであります。人は、念々と動く心の像すべてを真実と見做(みな)してはいけません。自分のものでも無い或る卑しい想念を、自分の生れつきの本性の如く誤って思い込み、悶々している気弱い人が、ずいぶん多い様子であります。卑しい願望が、ちらと胸に浮ぶことは、誰にだってあります。時々刻々、美醜さまざまの想念が、胸に浮んでは消え、浮んでは消えて、そうして人は生きています。その場合に、醜いものだけを正体として信じ、美しい願望も人間には在るという事を忘れているのは、間違いであります。念々と動く心の像は、すべて『事実』として存在はしても、けれども、それを『真実』として指摘するのは、間違いなのであります。真実は、常に一つではありませんか。他は、すべて信じなくていいのです。忘れていていいのです。」「薄情なのは、世間の涙もろい人たちの間にかえって多いのであります。芸術家は、めったに泣かないけれども、ひそかに心臓を破って居ります。人の悲劇を目前にして、目が、耳が、手が冷いけれども、胸中の血は、再び旧にかえらぬ程に激しく騒いでいます。芸術家は、決してサタンではありません。かの女房の卑劣な亭主も、こう考えて来ると、あながち非難するにも及ばなくなったようであります。眼は冷く、女房の殺人の現場を眺め、手は平然とそれを描写しながらも、心は、なかなか悲愁断腸のものが在ったのではないでしょうか。」

 

 一歩踏み誤ると奈落に転落するようなきわどい理念ではあるが、これが、「中期」太宰治のりりしい立ち姿だ。

 たとえ、文学を棲み家とし、実生活上の種々の営みに軋轢をかけざるを得ない日々に見舞われようとも、中期太宰の生きざまは、この点で本質的にすこやかなものであり、われわれ生活者の生きる営みにも深く通じるものだといってよい。〈現世〉にはまり切らずに苦しみ、もがきつつ〈生活〉に夢をはせ、日々生身でたたかう者の胸を打つものがあるといえるのだ。(この稿続く)

 

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「中期」太宰治の変容―表現と実生活をめぐるアポリア―(連載第1回) 川喜田八潮

  • 2017.04.26 Wednesday
  • 14:30

 

*この「『中期』太宰治の変容」は、「1998年・秋」に発行された「星辰」創刊号に掲載されたものである。当初は、「太宰治と〈悪〉」という統一タイトルのもとに、連載評論の「第一回目」として発表された。この連載は、「星辰」創刊号〜第四号までの計四回にわたり、その内、創刊号と第二号には「中期」太宰論、第三号と第四号には「後期」太宰論が分載されたが、今回、ブログ「星辰」に再掲するにあたり、改めてその内容を慎重に検討した結果、「中期」太宰論の二論考(「『中期』太宰治の変容」及び「『右大臣実朝』と宿命」)のみをここに掲載することとした。

 ブログ「星辰」では、この二論考を、それぞれ数回に分けて、これから順次掲載してゆく予定である。

 併せて味読いただければ幸甚である。(二〇一七年四月 筆者)

 

     1

 

 中期太宰治の傑作に『女の決闘』という風変わりな実験小説がある。

 森鴎外の翻訳小説を引用しながら、その〈文体〉を足がかりに、巧みに原作内容に手を加えつつ、いつの間にか、太宰治自身のモチーフに即した固有の作品に変容させてしまうというものである。

 原作は、十九世紀後半のドイツの作家ヘルベルト・オイレンベルグの『女の決闘』という短編小説で、粗筋はきわめて単純なものだ。

 妻子ある男と関係をもつロシヤの医科大学の女学生に対して、夫の浮気に気づいた貞淑な妻が密かに「決闘」を申し込む。生まれて初めて拳銃を買い求めた女房は、射撃上手な女学生の手にかかって死のうと決意してのぞむが、逆に、相手を射殺してしまう。

 自首して未決囚となった彼女は、獄中で夫との面会を一切拒否したまま、絶食して餓死する。あとには、牧師あての、回心を拒絶する書きかけの手紙が一通残される。

 その手紙には、女房の、夫への愛情の真剣さと彼の裏切りに対する絶望の深さが赤裸々に吐露されていた。

 太宰はまず、この作品の文体の、リアルでドライな冷ややかさのもつ意味に着目する。

〈文体〉とは、表現者自身の〈生きる姿勢〉の本質を容赦なく垣間見せるものである。

 ケチくさい奴はケチくさい文体を、カラッポな奴はカラッポな文体を、冷酷な奴は冷酷な文体を、ハートのある奴はハートのある文体をしているものだ。

 原作は、書き出しの一行目から、能う限りムダの無い、非情ともいえる簡潔的確でスピーディーな文体によって書かれている。太宰の言い回しを借りれば、「ぶんなぐる」ような、素っ気ない乱暴な書き出しで始まっている。

「古来例の無い、非常な、この出来事には、左の通りの短い行掛りがある。/ロシヤの医科大学の女学生が、或晩の事、何の学科やらの、高尚な講義を聞いて、下宿へ帰って見ると、卓の上にこんな手紙があった。宛名も何も書いて無い。」という、唐突で不親切な書き出しに始まり、このあとただちに女房の「決闘状」の文面が続いている。

 作品全体を通じて、登場人物の生活史や家庭や現在の暮らしぶりはもとより、物語の舞台となる時と場所すら、はっきりとはしない。

「どうしても、この原作者が、目前に遂行されつつある怪事実を、新聞記者みたいな冷い心でそのまま書き写しているとしか思われなくなって来る」ような異様な文体なのだ。

 しかも、「事件」の経過を示す事実関係だけをいきなり叩きつけるような、余裕もふくらみも遊びも一切無い、ドライでスピーディーな文体に加えて、女房の心象風景の微細な推移に対する、虚構とは思えぬほどの、なまなましい、精緻でリアルな内在的描写が展開されてゆく。

 一例を挙げてみよう。死を決意し、女学生に決闘状を届けた女房が、銃砲店におもむいて密かに拳銃を買い求め、店の裏にある陰気な中庭で射撃の練習を行う場面である。

 

「中庭の側には活版所がある。それで中庭に籠(こも)っている空気は鉛の匂いがする。この辺の家の窓は、ごみで茶色に染まっていて、その奥には人影が見えぬのに、女の心では、どこの硝子(ガラス)の背後にも、物珍らしげに、好い気味だと云うような顔をして、覗(のぞ)いている人があるように感ぜられた。ふと気が付いて見れば、中庭の奥が、古木の立っている園に続いていて、そこに大きく開いた黒目のような、的が立ててある。それを見たとき女の顔は火のように赤くなったり、灰のように白くなったりした。店の主人は子供に物を言って聞かせるように、引金や、弾丸を込める所や、筒や、照尺をいちいち見せて、射撃の為方(しかた)を教えた。(中略)

 女は主人に教えられた通りに、引金を引こうとしたが、動かない。一本の指で引けと教えられたのに、内内二本の指を掛けて、力一ぱいに引いて見た。そのとき耳が、がんと云った。弾丸は三歩ほど前の地面に中(あた)って、弾かれて、今度は一つの窓に中った。窓が、がらがらと鳴って壊れたが、その音は女の耳には聞えなかった。どこか屋根の上に隠れて止まっていた一群の鳩が、驚いて飛び立って、唯さえ暗い中庭を、一刹那の間、一層暗くした。

 聾(つんぼ)になったように平気で、女はそれから一時間程の間、矢張り二本の指を引金に掛けて引きながら射撃の稽古をした。一度打つたびに臭い煙が出て、胸が悪くなりそうなのを堪えて、その癖その匂いを好きな匂いででもあるように吸い込んだ。余り女が熱心なので、主人も吊り込まれて熱心になって、女が六発打ってしまうと、直ぐ跡の六発の弾丸を込めて渡した。

 夕方であったが、夜になって、的の黒白の輪が一つの灰色に見えるようになった時、女はようよう稽古を止めた。今まで逢った事も無いこの男が、女のためには古い親友のように思われた。」(ちくま文庫版『太宰治全集』による。以下の太宰作品の引用も同全集による。)

 

 こういう文体に対して、太宰は、作者の「書く」姿勢とこの作品の「素材」(事件)への〈距離〉のとり方に対する強烈な〈異和〉のおもいを次のように吐露してみせる。

 

「どうです。少しでも小説を読み馴れている人ならば、すでに、ここまで読んだだけでこの小説の描写の、どこかしら異様なものに、気づいたことと思います。一口で言えば、『冷淡さ』であります。失敬なくらいの、『そっけなさ』であります。何に対して失敬なのであるか、と言えば、それは、『目前の事実』に対してであります。目前の事実に対して、あまりにも的確の描写は、読むものにとっては、かえって、いやなものであります。殺人、あるいはもっとけがらわしい犯罪が起り、其の現場の見取図が新聞に出ることがありますけれど、奥の六畳間のまんなかに、その殺された婦人の形が、てるてる坊主の姿で小さく描かれて在ることがあります。ご存じでしょう? あれは、実にいやなものであります。やめてもらいたい、と言いたくなるほどであります。あのような赤裸々が、この小説の描写の、どこかに感じられませんか。この小説の描写は、はッと思うくらいに的確であります。もう、いちど読み返して下さい。中庭の側には活版所があるのです。私の貧しい作家の勘で以てすれば、この活版所は、たしかに、そこに在ったのです。この原作者の空想でもなんでもないのです。そうして、たしかに、その辺の家の窓は、ごみで茶色に染まっているのであります。抜きさしならぬ現実であります。そうして一群の鳩が、驚いて飛び立って、唯さえ暗い中庭を、一刹那の間、一層暗くしたというのも、まさに、そのとおりで、原作者は、女のうしろに立ってちゃんと見ていたのであります。なんだか、薄気味悪いことになりました。その小説の描写が、怪(け)しからぬくらいに直截(ちょくせつ)である場合、人は感服と共に、一種不快な疑惑を抱くものであります。うま過ぎる。淫する。神を冒す。いろいろの言葉があります。描写に対する疑惑は、やがて、その的確すぎる描写を為した作者の人柄に対する疑惑に移行いたします。そろそろ、この辺から私(DAZAI)の小説になりかけて居りますから、読者も用心していて下さい。

 私は、この『女の決闘』という、ほんの十頁ばかりの小品をここまで読み、その、生きてびくびく動いているほどの生臭い、抜きさしならぬ描写に接し、大いに驚くと共に、なんだか我慢できぬ不愉快さを覚えた。描写に対する不愉快さは、やがて、直接に、その原作者に対する不愉快となった。」

 

 この考え方をふまえて、さらに太宰は、こういう冷酷で迫真的な〈文体〉を作者にとらせるに至った原因を、二通りに想定する。ひとつは、原作者の肉体的疲労ということで、「人間は肉体の疲れたときには、人生に対して、また現実生活に対して、非常に不機嫌に、ぶあいそになるもの」であり、そういうときには、かえって、秘められていた人間の冷酷無残な本性が露出してくるものだから、というものだ。

 もうひとつは、「作者オイレンベルグ自身が小説の女房の夫である」という思い切った〈仮説〉である。太宰によれば、描写の的確さとは「憎悪の一変形」であり、この小説に秘められた作者の異常な憎悪感は「作中の女主人公に対する抜きさしならぬ感情から出発して」おり、この小説は「徹底的に事実そのままの資料に拠ったもので、しかも原作者はその事実発生したスキャンダルに決して他人ではなかった」という興味ある仮説を引き出すことができるのだという。

 もちろん、まともに考察するなら、私たちは何も、オイレンベルグの原作における描写力の迫真性を、必ずしも、私小説的体験に還元しなければならぬ必要はない。ただ少なくとも、この作品の女房のこうむった痛手の深さが、作者にとって、ある内的なモチーフの痛切さの〈喩〉になっていることだけはたしかだといってよい。この小説通りの「事件」に直面しなかったとしても、少なくとも、作者にとっての、ある〈内的な真実〉を象徴的に込めるにふさわしいだけの生々しさを帯びた「設定」であることだけはまちがいない。その意味では、作者=「女房の夫」という太宰の〈仮説〉も、あながち、誤りであるとは言い切れないのだ。

 また、普段は押し隠されていた人間の残忍な本性が、作者の肉体的疲労を契機として浮上するとき、酷薄なリアリズム的まなざしというものが発生し得るという第一の想定も、それなりに鋭い洞察だといってよい。人間の得体の知れない不連続的な〈狂暴性〉というものに、絶えず、全身的な恐怖の念を抱き続けてきた太宰らしい認識であるともいえよう。

 しかし、重要なのはその先にある。つまり、これらの〈仮説〉を前提とすることによって、太宰が、このオイレンベルグの小品を、巧みに己れの痛切なモチーフに即した固有の物語に変容させてゆくという点にあるのだ。

 この変容を通して、太宰は、私たち読者に「表現するとはどういうことか」という重い原初的な問いかけを行なっている。

 すなわち、「人を表現に駆り立てるものは何か」「表現はどのような意味で実生活に真に拮抗し得るのか」「実生活を真に支え得るような表現のあり方とはどのようなものか」といった、表現と実生活をめぐる根源的なアポリアへの白熱した肉薄を行なってみせるのである。(この稿続く)

 

 

 

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芥川龍之介と闇(連載第3回) 川喜田八潮

  • 2017.04.24 Monday
  • 12:33

 

     7

 

 このような芥川の世界視線は、彼の〈無意識〉を痛めつけ、身体感覚を冷え切ったものとし、その苦しみへの〈反動〉は、この作家を狂気の表現形態へと追いつめていった。

 行き着いた場所は、もちろん、遺稿「歯車」(昭和二年)に描かれた、関係妄想の無間地獄の風景であった。

 

「僕はこのホテルの外へ出ると、青ぞらの映った雪解けの道をせっせと姉の家へ歩いて行った。道に沿うた公園の樹木は皆枝や葉を黒ませていた。のみならずどれも一本ごとにちょうど僕等人間のように前や後ろを具えていた。それもまた僕には不快よりも恐怖に近いものを運んで来た。僕はダンテの地獄の中にある、樹木になった魂を思い出し、ビルディングばかり並んでいる電車線路の向うを歩くことにした。しかしそこも一町とは無事に歩くことは出来なかった。」(「歯車」二 復讐)

「僕は僕の部屋へ帰ると、すぐにある精神病院へ電話をかけるつもりだった。が、そこへはいることは僕には死ぬことに変らなかった。僕はさんざんためらった後、この恐怖を紛らすために「罪と罰」を読みはじめた。しかし偶然開いた頁は「カラマゾフ兄弟」の一節だった。僕は本を間違えたのかと思い、本の表紙へ目を落した。「罪と罰」――――本は「罪と罰」に違いなかった。僕はこの製本屋の綴(と)じ違えに、――――そのまた綴じ違えた頁を開いたことに運命の指の動いているのを感じ、やむを得ずそこを読んで行った。けれども一頁も読まないうちに全身が震えるのを感じ出した。そこは悪魔に苦しめられるイヴァンを描いた一節だった。イヴァンを、ストリントベルグを、モオパスサンを、あるいはこの部屋にいる僕自身を。……」(「歯車」五 赤光)

「この往来はわずかに二三町だった。が、その二三町を通るうちにちょうど半面だけ黒い犬は四度も僕の側を通って行った。僕は横町を曲りながら、ブラック・アンド・ホワイトのウイスキイを思い出した。のみならず今のストリントベルグのタイも黒と白だったのを思い出した。それは僕にはどうしても偶然であるとは考えられなかった。」(「歯車」六 飛行機)

「何ものかの僕を狙っていることは一足毎に僕を不安にし出した。そこへ半透明な歯車も一つずつ僕の視野を遮(さえぎ)り出した。僕はいよいよ最後の時の近づいたことを恐れながら、頸(くび)すじをまっ直(すぐ)にして歩いて行った。歯車は数の殖(ふ)えるのにつれ、だんだん急にまわりはじめた。同時にまた右の松林はひっそりと枝をかわしたまま、ちょうど細かい切子硝子(ガラス)を透かして見るようになりはじめた。僕は動悸(どうき)の高まるのを感じ、何度も道ばたに立ち止まろうとした。けれども誰かに押されるように立ち止まることさえ容易ではなかった。……」(「歯車」六 飛行機)

 

 あたかも目に視えぬ悪魔の嘲弄のように、作者の人生と運命を、死と虚無と不条理の不吉な想念によってギリギリと強迫的に締めつけてくる暗示的な出来事・風景の数々。

 その点綴・連鎖によって構成された己れの妄想的日常に対する、異様なまでの恐怖心。

 それが、「歯車」で私小説的に吐露された、芥川龍之介の地獄だった。

 吉本隆明は、晩年期の芥川が陥ち込んだ程度の関係妄想の世界は、「症状としてだけいえば、ほんの軽度なパラノイアや鬱病や分裂病者の世界にもおとずれるものであったろう」と述べ、芥川の場合痛ましいのは、症状そのものよりも、むしろ、己れの症状に対する極度の〈恐怖心〉であったと指摘している。

 

「ことに「歯車」では症状がありふれた関係妄想や幻覚と錯視なのに不安と恐怖との切迫性がはげしすぎている。人は誰でも精神がこの程度に病みつくことができる。そしてある識閾を超えたとき関係妄想の世界に入りこむことは有りがちである。けれどそのことは厳密にいえば不安や恐怖とは無関係な世界だといっていい。遭遇するあらゆる事象が偶然とはおもわれないように羅列されているとしたら、信じられる自己の存在が限りなく環をせばめようとしている証左である。そのために事象が欠けているときは存在しないのに創り出す(幻覚)ことをしなければならない。また代同物で置き代え(錯視)たりして補わなければならない。強い関係を渇望する心性が病んでいるからである。これだけのことを病者はすこぶる朗らかに、あるばあいには攻撃的にやってのけることができる。けれど芥川にはこんな有りふれた精神の病いが死に至る恐怖や不安でありえた。」(吉本隆明「芥川龍之介」『悲劇の解読』ちくま文庫1985年所収。)

 

「関係妄想の世界に入りこむこと」は、「厳密にいえば不安や恐怖とは無関係」であるという意見には、同意できない。芥川の場合、関係妄想の発生は、明らかに彼の実存的な〈不安〉に根ざしたものであるというのが、私の考えだからである。

 人は通常、己れを取り囲む世界が自分の存在に脅威を与えるようなものではないという、何の根拠も無い、漠とした〈安心感〉、すなわち、己れの存在が世界に親和的に包摂されているという無意識的な〈信〉の感覚を抱いている。

 人が正気でいられるのは、そのためである。だから、人は通常、己れの日常生活世界において接触する無数の存在・出来事・風景に対して、いちいち意識的な〈意味づけ〉をせずに、無意識的に、ごく自然に身体を動かし、行為することができる。

 しかし、晩年の芥川のような関係妄想の病者は、日常の中で遭遇する〈風景〉に対して、いちいち過剰な〈意味づけ〉をしないではいられない。それは、当人を取り巻く生活世界が、無意識的な〈安心感〉を与えることができていないからであり、己れの生が、得体の知れない不条理な〈カオス〉の中に浮遊しているという、漠とした〈不安感〉を抱え込んでいるからである。〈カオス〉の与える不安をなだめるには、たとえそれが、非合理的な悪しき関係妄想であろうとも、ともかく、当人の〈意識〉が納得できるなんらかの〈意味〉を与えることのできるような形に、遭遇する事象を組み変えてみせねばならない。

 「偶然」とは、この場合、病者にとっては、己れの生存そのものの〈意味〉を抹殺するほどの〈不条理性〉の表われとして感じ取られているからだ。

 世界そのものが、生命存在としての彼に根源的な〈安心感〉を与えてくれないのだから、「偶然」は、本来のすこやかな、敵意の無い、ただの「偶然」ではなくなってしまう。彼にとって「偶然」という〈無意味〉は、〈不条理性〉の別名でしかないのである。

 世界を信じられない者にとって、「偶然」は、関係妄想によって「意味づけ」られなければならないのだ。

「遭遇するあらゆる事象が偶然とはおもわれないように羅列されているとしたら、信じられる自己の存在が限りなく環をせばめようとしている証左である」という吉本の言葉を、私は、以上のような文脈で受け取ることにする。

 この場合、病者にとって最も怖ろしい事は、世界が、自分の存在となんの生命的・価値的な結びつきも持たない、ただの偶然的な客体として立ち現われるという事態である。

 たとえ不吉さを暗示する、何者かの悪意に満ちた関係妄想であろうとも、「偶然」という〈無意味〉に比べればマシなのだ。

 なぜなら、関係妄想であろうと、納得のゆく形に「意味づけ」られてさえいれば、病者は、(絶えず、悪意ある存在からの襲撃に備えねばならないという〈緊張〉を強いられてはいても)ともかく、己れの〈意識〉によってかなりの程度にまで統御しうる幻想世界の住人であり続けることができるからであり、それは、〈意識〉の統御を超えた、得体の知れない〈カオス〉の闇のただ中に、無意味な偶然的存在として漂流しているという無力な生存感覚に、あからさまに直面させられるよりはマシだからだ。

 関係妄想とは、だから、ある意味では、病者にとっては、生命存在としての一種の防御本能の表われなのである。

 だが、カオスの喚起する〈不安〉をなだめるための関係妄想は、芥川の場合皮肉なことに、その〈非合理性〉によって、かえって彼の不安を極限的な〈恐怖〉にまで励起させてしまった。

 私の考えでは、それは、芥川が、カオスの強迫的なイメージからの脱出の手だてを、〈身体〉によって開示される〈無意識〉の領域の「再発見」に求めるのではなく、ひとえに、理知的な〈意識〉による自我の統御という次元に求めたことによる。

 

 病者が直面している真の問題は、実は、関係妄想の内実にあるのではない。

 彼を包摂している世界風景というものが、彼の〈無意識〉に「生きてゆく」のに必要な世界に対する根源的な〈安心感〉を与えることができないほどに、不条理感の強い、反生命的な〈カオス〉としての表情を帯びるに至ってしまったことにある。

 それは、彼の資質的な〈生き難さ〉が、さまざまな条件によって不可避的に追い込まれてしまった、魂の地獄にほかならない。

 もちろん生き難さを醸成する要因は、生育環境や時代の風圧などに規定され、人さまざまである。それは、当人の持って生まれた生理的・動物的な〈血〉の濃さの度合や、胎乳児期から幼少期・思春期にかけての成長過程におけるトラウマ(心的傷害)の質と深さ、そして、ある意味ではそのパターン的な再現ともいえる、青年期以降におけるさまざまな人生体験の傷・挫折の累積などによって、左右される。傷とコントラストをなす、〈ぬくもり〉の体験・記憶のもつ象徴的な意味も重要である。

 だが、芥川の場合に、私がここでこだわってみたいのは、己れの〈生き難さ〉に立ち向かうための武器として形成された、彼の芸術家としての〈資質〉のもたらした痛ましさである。

 私の考えでは、晩年の芥川を苦しめていた、まがまがしい〈カオス〉への不安は、この作家が、現世の不条理に拮抗するための〈虚構〉の砦として択んだ己れの芸術世界というものを、ひたすら理知的な〈意識〉によって徹底的に自覚的に造型し、統御せんと試みたこと、そして、その虚構の砦を自らの〈棲み家〉となし、〈実生活〉を、己れの芸術上の言語=〈観念〉のフィルターを通して、いびつに(一面的に)規定せんとしたことに由来している。

 人生のダークサイドを凝視し続けたこの作家の行き着いたいびつな既成観念、地上的・散文的な世界視線の貧しさ、救いのなさが、彼の〈無意識〉を痛めつけ、無意識への窓口であった身体感覚を冷却させ、その〈振り幅〉を狭窄させていったにもかかわらず、〈意識〉なるものの芸術的優位性に、あくまでも神経症的に固執し、そこに唯一のプライドを置き続けたのだ。

 フローベルやボードレールをはじめとする、十九世紀後半以降のフランス近代作家の芸術至上主義の病理は、この作家の精神をとことん蝕んでいた。

 どんなに〈無意識〉が悲鳴をあげても、己れの深奥から立ち昇る非合理的で生命的な〈闇〉への渇き、〈本能〉の声を、正直にすくい上げることはできなかった。

 手に負えない〈無意識〉の悲鳴は、意固地なまでに、理知=〈意識〉の力によって強引に抑え込まれ、鬱屈した無意識の〈闇〉は、徹頭徹尾散文的で地上的なリアリズムの酷薄な目線に塗りつぶされた晩年期の芥川作品の〈空隙〉を衝くように、反生命的なまがまがしい〈カオス〉としての相貌を浮上させ、この作家の〈不安〉をかき立てたのである。理知に対する〈本能〉の反逆の叫びともいうべき、その得体の知れない〈不安〉に対して、彼の生命は、無意識のうちに〈関係妄想〉による生の〈意味づけ〉という形で防御的な対応に出ることで、意識の混乱を鎮め、カオスから身をかわそうと図るのだが、その〈非合理性〉は、逆に、「理知の権化」であるこの作家の意識を、異様なまでの〈恐怖〉へと追い込んでいったと考えられる。

 

     8

 

「合理的に見て、そんな事がありうるはずがない」と思われるような、不吉な出来事の連鎖による負の〈暗示〉。

 それは、どんな人間であっても、脅かされずには済まないものであり、とりわけ、理知の勝った者ほど、己れの合理的確信が揺らいだ時の〈恐怖〉は強烈なものとなる。

 私たち人間は通常、己れを取り巻く不可知なるカオス、未知なるカオスとしての世界に対して、大なり小なり、理知の行使による観念的な〈記号化〉と〈抽象化〉を施すことで、恐怖を〈解毒〉し、正気を保ち得ているといっていい。

 その〈解毒〉が通用せず、非合理的なカオスが突如として意識の前面に浮上する時、私たちは、観念的なヴェールを取り払われて、むき出しとなった〈生身〉の生存感覚を通して、ダイレクトに世界の〈表情〉に直面する。

 天変地異や生老病死の危機的な状況に直面させられた時、人はまさに、そのような精神状態に見舞われる。文明のコントロールをはるかに凌駕する大自然の猛威の前に、人間の無力さ・小ささを痛感させられ、己れの人生を己れの力で思い通りに仕切っているといったうぬぼれや、人智の合理主義的な尊大さを打ち砕かれる。

 その時、世界は、存在をつかさどる類的な〈無意識〉としての本性、普段は無意識の底に抑えつけられていた類的でアニミズム的な〈闇〉としてのダイナミズムの本性を浮上させる。生命と虚無の両義性をはらんで渦巻く、得体の知れない、渾沌たる〈闇〉の表情をとり、私たちの生存感覚を一気に呑み込んでしまう。幼児や少年の頃のような、存在と生身で交流し得ていた時の魂の息吹、ふるえが甦るのだ。

 それは、理知に対する、〈本能〉の反逆にほかならない。

 その少年のおののきのような感覚が浮上した時、既成の合理的な〈意識〉があくまでもその風景を拒絶せんとするなら、〈闇〉は〈意識〉に対して牙をむき、敵意に満ちた反生命的な表情をとり、〈不安〉をかき立てるだろう。そして、もし〈意識〉が、その実存的な〈不安〉を、芸術その他のなんらかの〈表現〉手段によって代償的に解消してやることができない場合には、〈意識〉は〈不安〉をなだめるために、自他に対する〈関係妄想〉やそれに伴う幻覚・錯覚といった非合理的な表現形式をとることで、自らを「補完」(フォロー)しにかかるであろう。精神病理という意識の「補完」形態もまた、〈不安〉と同様、〈闇〉の歪んだ代償表現なのである。

 しかし、非合理的な闇のカオスの浮上は、人を、アイデンティティー喪失の危機に陥れるが、同時に、偏狭な合理主義的身構え、すなわち地上的=三次元的な〈既成観念〉のとらわれを脱して、己れの生存空間を切り拓く、四次元的な新たな世界視線を獲得するための魂の試練ともなりうる。

 それは、身体感覚の〈変容〉を通じて、封印・凍結されていた〈無意識〉の次元を「再発見」することで、生存感覚を脱皮させ、生への肯定的なまなざしへとリンクさせることができるように、自我の「再構築」を図るという冒険的な試みなのである。

〈既成観念〉の皮膜がぶ厚くて、プライドの強い者にとっては、恐ろしくつらいことであり、また危険で困難なことでもある。

 旧い自我にとどまる方が楽だというのなら、それでもよいのだ。

 だが、晩年の芥川のように、その〈殻〉に閉じ込められる事が、狂気を招き寄せるほどの〈苦痛〉を強いられることになる、という者もいる。

 だとしたら、そのような場所に置かれた者は、自我の〈脱皮〉をめざしてたたかうしかないではないか。

 芥川には、しかし、不幸なことにそのたたかいは許されなかった。

 

 フロイトは、生命存在を無意識の根底から衝き動かしている、本能的な欲望や情念の次元、すなわち類的な拡がりをもつ〈闇〉のカオスの次元を「エス」と呼び、人間の「自我」を、「現実界」と「エス」と(親や社会によって植え込まれた抑圧装置である)「超自我」の三方の〈要求〉からせめ立てられて、「生きる」ために必死に「適応」を強いられている、哀れな存在とみなした。フロイト理論によれば、神経症やヒステリー、躁鬱病や統合失調症といった精神病理は、この「適応」に失敗した者が、「幼児期」や「胎乳児期」の心的段階へのエロス的な〈退行〉によって、己れのトラウマを疑似的に修復せんとする、苦しまぎれの試みだということになる。

 晩年の芥川が追い込まれたパラノイア的な関係妄想もまた、そのような神経症の一種であったようにおもわれる。(この稿続く)

 

 

 

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〈藤村操世代〉の憂鬱(連載第15回) 川喜田晶子

  • 2017.04.23 Sunday
  • 13:17

折口信夫の〈青あざ〉

 

「葛の花」の一首と同様の〈死〉の風景への憧憬は、次の歌にも顕著である。

 

 人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。旅寝かさなるほどの かそけさ

 

「葛の花」の歌ほど、〈死〉に鮮やかさを見ているわけではないが、この情景に感受した「かそけさ」に、折口が憧憬を抱いていることがわかる。

 人の生き死にと馬の生き死にとの重さに大きな違いを見出していない歌いぶりである。その違いを薄れさせてゆくかのような旅寝の重なりこそが主題とも見える。人も馬も旅の内に疲れ果てて死んでしまう姿を想い、己れもまた、旅寝を重ね、さらに重ねてゆくならば、いずれその果てに〈死〉へと静かに連続してゆくことが出来るのではないかと、どこか確信に満ちたまなざしが潜む。

 己れのタナトスに素直な折口の表現には、〈断絶〉をバネとして跳躍するような無理が無い。風景に、〈死〉へのなだらかな連続の相貌を見出した時のこの「かそけさ」には、むしろほっとした居心地のよい憧憬がすべり込んでいるといってもよい。

 

 山中(ヤマナカ)は 月のおも昏(クラ)くなりにけり。四方(ヨモ)のいきもの 絶えにけらしも

 

 このような情景も、折口の「悸り(いきどほり)」をそそっただろうか。山の奥深いところで面(おもて)を昏くする月。これもいわば月の〈死〉である。表面的な〈明〉に対しての〈暗〉ではなく、存在の内に抱え持つ〈死〉の時間を、人から遠く孤絶した山中という場所においてなら月が率直に見せてくれる。その瞬間の世界の気配の在りようを描き出しているのだ。

 月が〈死〉の相貌を見せる時間、四方のいきものもすべて命絶えてしまったかのように感じられる。個体としての命が「絶え」、種としても「絶え」るほどの、徹底した〈死〉の相貌を月が主導する。世界を月が統(す)べていることの気配を、〈死〉で統べられている時間の気配を、純粋に感じられる場所。その懐かしさに、折口は恍惚と身を浸していたであろう。

 

 山々をわたりて、人は老いにけり。山のさびしさを われに聞かせつ

 友なしに あそべる子かも。うち対(ムカ)ふ 山も 父母も、みなもだしたり

 

 山の人の暮らしに触れる時、折口は己れをエトランゼとして意識しもするが、彼らのさびしさが極限的な孤絶として感じられる折には、シンパシーを抱きもしたろう。山々を歩み渡りつつ老いてゆく姿。子どもには友もなく、対峙する山も父母も「もだしている」つまり沈黙している、そんな育ちをする子の姿。

 情愛の薄い家庭に育ち、都会の関わりと表層を接して生きている者には、この沈黙の内に育ち老いる姿への羨望があったろう。民俗の究極の姿に、折口自身の内なる孤絶を重ね合わせられる時の、しみじみとほの暗い幸福感が漂う。

 民俗学においては、肉体と魂、現世と他界の〈断絶〉の相を認識の根底に据えて〈まれびと〉〈妣(はは)が国〉を想定した折口であるが、短歌表現においては、素直な〈連続〉の相が浮上する。短歌という器に抱かれて、対象の内の、己れと同質のものへの率直なシンパシーが流れ出るかの如くである。

 

 庭土に、桜の蕋(シベ)のはらゝなり。日なか さびしきあらしのとよみ

 

 嵐によって桜の〈花〉が散ったことを折口は描かない。〈蕋〉が散っている情景への着眼は、〈花〉の全体から切り離されて生殖器のみがむき出しになった〈死〉への着眼とも見える。子孫を遺すことのない自己イメージの喩として、伝統的な〈桜〉とはおよそかけ離れた身体性の主張である。

「日なか」つまり真昼間の光によって、折口とは異質な日常の力強さにさらされて、眼前にはあらしに散らされた〈蕋〉がその本質をむき出しにしている。花を散らしたあらしの「とよみ」すなわち〈気〉のざわめきがまだ庭を満たしている。

 桜、蕋、日なか、あらし、とよみ、といったモチーフが、互いの異質さによって互いの不吉な本質を晒し合うかのような歌の姿は、現世と己れとの異質さによって、互いの本質を酷く晒し合っているような生存感覚をもつ折口だからこそ可能になるものだ。(このような近代性が、戦後の寺山修司の短歌表現に受け継がれ、己れの内なる土俗的・伝統的な体液と、戦後的〈前衛〉を主張する自我とが、互いの貧しい身体性を侮辱し合う劇的空間をどぎつく立ち上げることとなる。)

 

 水底に、うつそみの面わ 沈透(シヅ)き見ゆ。来む世も、我の 寂しくあらむ

 

 水に己れの貌を映してみる。水底に沈み透けて見える貌は、己れの現世における〈生〉の本質を映すにちがいない。そこには、現世の枠組みに縛られてひたすらに寂しい己れの本質が見える。巡り会うべきものと巡り会えない寂しさである。来世もまた、自分は同じ寂しさを背負って生きていることだろう。現世で巡り会えなかったなにものかと、来世で巡り会えるような〈生〉の本質を孕んでいるならば、水底の貌にはそれが見えて然るべきであろうから。水底の貌は、永劫の「巡り会えなさ」を露呈していたのである。

 折口には、己れの前世、現世、来世という連続の相の中で、現世の己れの相が、連続する〈永劫〉という時間軸の象徴であるかのような認識が潜んでいたようにおもわれる。その認識ゆえに、現世の本質が〈永劫〉の本質、ときには万象の本質と感受されてしまうのであろう。

 だから、折口の背負っている「のろひ」は、短歌という〈型〉の背負っている「のろひ」、とも認識されていたと感じさせるものがあり、その陰鬱な連続性が、啄木や白秋とは異質な近代性を実現しているのだと言えようか。啄木や白秋は、あくまで短歌という〈型〉との対立感をベースとして己れの近代性を主張すべく表現しようとした。そこには、伝統的な〈型〉のもつ幸福感からの疎外感情が如実なのだが、折口は、伝統的な民俗や〈型〉の原形質からの疎外感を持ちつつも、ひとたびその原形質に己れと同質の異形意識を見出すや否や、徹底した〈連続〉の相として歌い上げるという特異な資質が見られるようにおもう。

 折口の柳田への憧憬においても同じことが起こっていただろう。

 短歌という〈器〉は、己れの内の、世界への〈連続〉の相貌を委ねるにふさわしい〈器〉である。折口はそのことを無自覚に活かし切っているのだとも言えよう。

 

 とまりゆく音のまどほさ。目に見えぬ時計のおもてに、ひた向ひ居り

 

 暗いせいで眼前の時計が見えない、という生活の一コマを写生することによって象徴性を獲得した歌、というよりも、この歌は、初めから己れの宿命を刻む本質的な〈時計〉への対峙がテーマなのであり、眼前の時計を折口はいつも異次元の時計の象徴として見ているのである。折口は常にその異次元の「目に見えぬ」方の「時計」にひた向かっているのだ。ちょうど、水底の己れの貌が〈永劫〉の貌として己れの本質を露呈するように、眼前の時計の「とまりゆく音のまどほさ」は、そのまま異次元において己れの宿命を司り、徐々に間遠くなりながら終局に近づいてゆく時計のあり方なのだ。

 陰鬱な方向性ではあるが、〈短歌〉という〈型〉によって現実の振幅が押し広げられるときの本質的な力を、折口は身体的に素直に熟知していたようにおもわれる。

 

 さ夜なかに 覚めておどろく。夜はの雪 ふりうづむとも 人は知らじな

 

 夜なかにふと目覚めてはっとする。雪が降っている。その雪が、全てを降りうずめてしまっても、自分以外の者はだれも知ることはないであろう。

 この情景においても、〈雪〉は現実の雪であると同時に異次元の〈雪〉である。人の〈生〉の源に、人の〈生〉を呑み込み、埋もれさせてしまう、いわば「母なる〈死〉」をイメージする折口がいる。その「母なる〈死〉」は、この世の〈生〉を常に包摂しながら存在しているのであるが、世間の者はみな、この世の〈生〉だけを見て、生きている。「母なる〈死〉」の訪れとしての〈雪〉も眠ってやり過ごしており、その〈生〉を降りうずめられていることにも気づいていないのである。折口だけは、目覚めて〈雪〉の本質の姿を直視している。直視しながら、自分が、自分だけが、この〈雪〉に降りうずめられて〈雪〉の一部になってしまう感覚の恍惚と矜持に身を浸している。

「さ夜なか」の「さ」という接頭語は、語調を整えているだけではなく、ただの「夜なか」を異次元へとさらりと転換するかの如くだ。

 

 十方の蟲 こぞり来る聲聞ゆ。野に、ひとつ燈を守(モ)るは くるしゑ

 

 野に「ひとつ燈(ひ)を守る」とは、現世において「ひとり」を守る覚悟のことであろう。いたるところから「蟲」がその「燈」に向かって一斉に集まってきて、燈を掻き消そうとしているかのように感じて苦しい折口がいる。己れと異質な欲望を持ち、異質な〈生〉を全うする人々に満ちた世間というものを、化け物じみて感じてしまう瞬間の喩として解釈できよう。

 

 木の葉散るなかにつくりぬ。わが夜牀(ヨドコ)。うづみはてねと、目をとぢて居り

 

〈雪〉にうずもれることへの憧憬があったように、木の葉の中に夜牀(ヨドコ)をつくり、埋(うず)み果ててしまってくれ、と目を閉じる折口がいる。

 現世における己れの異形の輪郭に傷つき疲れた魂は、過剰な類的イメージへの埋没を希求し、自我の輪郭を融解し切って甘く虚無の内にまどろもうとする。

 それが許されない現世であるがゆえに、「うづみはてね」という激しさが一首を逆に屹立させる。

 沈潜していた女性原理が不意に鋭利に暴発する、〈藤村操世代〉の過剰さのさやばしる姿である。(この稿続く)

 

 

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近代批評の終焉―小林秀雄の病理をめぐって―(連載第3回) 川喜田八潮

  • 2017.03.28 Tuesday
  • 15:44

 

     4

 

 D・H・ロレンスの思想に傾倒し、激しい反近代主義的イデオロギーと、個を超えたナショナルな〈連帯〉を唱えた福田恆存もまた、本当は何ひとつ信ずるものをもたぬ、孤独で傲岸な近代主義者であった。

 彼も小林秀雄も、西欧近代の病理の泥沼、〈関係の解体〉にもとづく神経症的な修羅場の凄まじさというものを、早くから熟知していた。

 だからこそ、福田恆存もまた、小林秀雄と同じく、己れの〈仮面〉を剥がして真の自己自身へと到ろうとする近代文学の過酷な〈自意識〉の手法を拒絶し、「演戯」によって自らの生をひとつの幻想的な〈虚構〉として捏造(ねつぞう)しようとする「劇的人間」の生きざまを提唱してみせたのである。

 小林が、己れの自意識の苦しみから逃避するために、古今東西の偉人たちの〈宿命歌〉を鑑賞者的にうたい上げることで、己れの観念的な生の劇化された〈自画像〉を濫造してみせたように、福田もまた、「演戯」という独特の自意識の解体の手法を編み出すことで、彼なりの振幅の大きい〈自画像〉の投影による〈虚構〉としての生のドラマを描き上げたといってよい。

 福田は、そのユニークなハムレット論において、シェイクスピア劇に対する己れの解釈に則しながら、面目躍如たる演戯的人生観を披瀝してみせている。『ハムレット』の解題より引用してみよう。

「……ハムレットの最大の魅力は、彼が自分の人生を激しく演戯しているということにある。既にハムレットという一個の人物が存在していて、それが自己の内心を語るのではない。まず最初にハムレットは無である。彼の自己は、自己の内心は、全く無である。ハムレットは自己のために、あるいは自己実現のために、語ったり動いたりはしない。自己に忠実という概念は、ハムレットにもシェイクスピアにもない。あるのはただ語り動きたいという欲望、すなわち演戯したいという欲望だけだ。この無目的、無償の欲望はつねに目的を求めている。その目的は復讐である。決して自己実現などという空疎な自慰ではない。欲望の火はそんなものには燃えつかないのだ」「ハムレットは演戯し、演戯しながらそれを楽しんでいる。そのことはシェイクスピア劇の主人公すべてについて言えることで、ハムレットの場合、それが今日の私たちの眼には度を超えるほどに過剰だというだけのことに過ぎない。というのは、人生を演戯したいというハムレットの欲望は、復讐という目的を得て燃えあがるのだが、そうしてひとたび燃えあがった火は、今度は周囲のあらゆるものに燃えつき、それらを焼き尽そうとする。その激しい演戯欲のために、ハムレットは本来の自己を失う。もしそういうものが在りうるなら、彼は本来の自己を見失って、その他のあらゆるものになりうる。ハムレットは意地悪であり、無邪気であり、冷静であり、情熱的であり、軽率であり、慎重であり、上品な王子であり、下劣な悪友であり、信頼しうる人物であると同時に自分勝手なわがままな男でもある」「ハムレットを演じる役者には、ほんの一寸(ちょっと)した心がけが必要である。シェイクスピア劇においては、自分の役の内面心理の動きや性格をせりふから逆に推理し帰納して、その表現を目ざすという写実主義的教養は有害無益である。ハムレットの演戯法はハムレットに教わることだ。シェイクスピア劇の演戯法はシェイクスピアに教わることだ。そのハムレットは演戯し、演戯しながらそれを楽しんでいる。そういうハムレットを役者は演戯すればいい。演戯ということが既に二重の生であるがゆえに、そこには二重の演戯がある」「これは私の持論だが、人生においても、そのもっとも劇(はげ)しい瞬間においては、人は演戯している。生き甲斐とはそういうものではないか。自分自身でありながら自分にあらざるものを掴(つか)みとることではないか」

 まことに風格のある堂々たる文体で、小林秀雄の独我論的なもの言いに接する時と同様、そのいささかの躊躇(ちゅうちょ)も無い確信に満ちた押しの強さのために、ついうかうかと首肯してしまいそうになるが、ここには、福田恆存の病める近代人意識の自己投影としての歪められたハムレット像・シェイクスピア像が、はっきりと浮き彫りにされているといってよい。

 福田はここで本当は、ずいぶんとひどいことを言っているのだ。

 彼の論法では、実人生の生きがい=「演戯」=役者の生きざま=ハムレット的生ということになる。

 ハムレットの生きざまを「演戯」とみなすことは、もちろん、一つの解釈としては可能であるし、福田の自由な好みに則した解釈にすぎないが、それが〈実人生〉の本質を象徴するものだと言われると、ひどいもんだと言わざるを得ない。まったくもって、病める近代インテリの自己投影による不幸な人生観・人間観であると言うしかない。

 自己の本体を〈空無〉とみなす福田恆存の歪んだ人間観にもかかわらず、彼の訳したハムレット像は、(むろん、ウソっぽい、芝居っ気たっぷりの像ではあるが)生き生きとした、空疎なところのない人間像、われわれの〈生身〉の身体性をそれなりに見事に喚起し得る像になり得ている。つまり、優れた役者同様、ハムレットという〈憑き代(つきしろ)〉を得た時の福田恆存という翻訳者は、(希釈された形態ではあれ)己れの〈生身〉を内奥より呼び覚ますことができているのだ。

 しかし、それにもかかわらず、彼の〈本体〉は空無であり、彼はただ、作品を「演戯」する時にのみ、魂の宿る〈肉体〉の所有者の如く振る舞うことができるにすぎない。

 彼がハムレットの生きざまについて語ることは、あくまで、訳者の福田恆存自身の生きざまについての自己解釈とみなすべきなのだ。

 ドストエフスキーは、こういう病像を、『地下室の手記』において、四十歳の独身の退職下級官吏による一人称の独白という形式をとって鮮やかにえぐり出し、具象化してみせた。

 この「地下室」の主人公は、何十年もの間、人生の真の意味も、〈生身〉を賭けた活動の対象も、一切見い出すことのできぬまま、〈無為〉と熱病のような〈空想〉の海の中に漂っている。彼は、恐ろしいほどとぎすまされた〈自意識〉と過敏にふるえる繊細な感受性をもち、それがために、かえって、〈関係の貧困〉を神経症的に病み、一切の活動から遠ざけられ、孤独地獄の内に引きこもって一人悶々と過ごすほかはない。

 唯一、彼の慰みとなるのは、職場の同僚や往来で行き交う無数の人々に対して、空想をたくましくすることである。彼は、己れの鋭敏な心理学的観察眼と長年にわたって耽溺してきた文学や思想の世界によって醸成された認識と夢想と渇きの表現を踏まえて、種々さまざまな人物像を頭の中で物語的に「演戯」してみせる。

 しかしそこには、常に〈生身〉を欠落させた恐ろしい生存感覚の空洞が横たわっている。

 地下室の主人公は、その空洞を代償せんとして、信と不信、善と悪、美と醜の激しい〈相剋〉のドラマを空想的に「演戯」し、その引き裂かれた葛藤の〈痛覚〉によって生きる手ごたえを得ようともがいてみせるが、彼には、その演戯の底にある荒涼とした孤独地獄とたえず頭をもたげる〈退屈さ〉をどうすることもできない。時に彼は、その空虚さに耐え切れずに、発作的に、他人とのさまざまな偶然的な行きがかりを憑き代として、わざわざ自分に唾を吐きかけるような、醜悪で神経症的なトラブルを引き起こそうとする。

 自分のそれまでの毒念に満ちた境遇を打開するような女性との〈出会い〉も起きかかるが、結局、己れの生身の生を未知に賭け、〈生活者〉としての一歩を踏み出さんとする意志の喪失された地下室の主人公には、そういう良きえにしもまた、遠ざけられてしまうほかはない。

 彼は、「演戯」以外何も無い人生の中で、狂気とスレスレのところで、無機物の如き感覚に浸されつつ、緩慢な死へと向かう過程の内に囲い込まれ、蝕まれている。

 『地下室の手記』は、現在の私たちがじっくりと読み込んでも、思わず身ぶるいするほどの生々しい病理への洞察に満ち溢れた作品だといってよい。

 重要なのは、地下室の主人公にあっては、己れの本体が〈空無〉であることが、生の充実をもたらすような「欲望の火」を燃え上がらせる契機とはならず、逆に、一切の生きた活動から遠ざけられて、己れの孤立した内面の中で観念的な遊戯にふける以外何もできない生活不能者の場所を強いられる要因となっているという点である。

〈虚無〉に全身を蝕まれた人間には、そもそも、己れの体内から自然に湧き上がるみずみずしい「欲望の火」は封じられているのであり、観念的で不自然な努力によって自己の欲望を痙攣的にかき立ててやる以外に手だてがないのだ。

 福田恆存が「演戯」という概念に託した、一見情熱的な、虚構捏造(ねつぞう)のエネルギーに溢れた楽天的な人生の見取り図は、ドストエフスキーにあっては、正反対の意味をもつものとして、〈生身〉と〈血〉を欠落させたヴァーチャルな身体像として、冷徹な批判の対象にさらされている。

 ドストエフスキーは、「演戯」という、現世からの一見スマートな身のかわし方の深部に横たわっている、生活者としての根無し草的な生存感覚の〈空洞〉を、恐るべき認識力で洞察していた。

 この生の空洞こそ、ドストエフスキーが見据えていた、現代ロシアの深層に秘められた真の病理の実体であり、また、私たちの〈現在〉の病の核心につながるものでもある。

 自己の本体を〈空無〉とみなし、「無目的、無償の欲望」を備えた己れの空虚な身体を、仮構された「目的」意識に則して強引にエロス的にかき立ててゆこうとする福田恆存流の人生観は、一九八〇年代に日本のジャーナリズムを席巻したポスト・モダンの主張する欲望理念、己れの身体をありとあらゆるエロスの対象にひらかれた「n個の性」として拡散させてゆこうとするニヒリズムに酷似するものである。

 この空無化した身体観・自己像に根ざしたエロス的なニヒリズムが、消費社会のただれた享楽的感覚と結びついて、例の「おたく」とよばれる病める流行語を産み出したことは、記憶に新しい。

 福田恆存も小林秀雄も、今日のポスト・モダンの知識人たちや「おたく」の連中とは比較にならないほどの優れた人間認識・文学観の持ち主ではあるが、彼らの準備した理念が、〈自己喪失〉を代償として〈虚無〉の波間に漂いながら、舌なめずりするように「鑑賞」したり「演戯」したりすることで人生を意味づけようとする、アイロニーに満ちた病める近代主義の産物にすぎないものである以上、彼らの理念から今日のポスト・モダンまでの道は、実は、地続きなのである。

 

     5

 

 私の考えでは、『ドストエフスキイの生活』の「序」で展開されたような文学理念・世界観こそが、昭和初期から敗戦・戦後社会を経て現在に至るまでの、〈現代〉という近代の病理の極相の時代を、常に深層から支配しリードし続けてきた隠されたイデオロギーであり、世界視線だということになる。

 それは、現代日本文学と思想の根底を貫き、呪縛してきた不幸で狭隘な固定観念であり、不信と毒念に満ちた痛ましい生存感覚である。

 そこに流れる焼けただれたような虚無の意識、絶望的でありながらも、それゆえにこそはなはだ感傷的でもあるニヒリズムこそ、敗戦後から現在に至るまでの多くの第一級の文学者・思想者たちのパトスを支えたものにほかならず、小林秀雄が「近代批評の祖」と評される真の所以(ゆえん)を示すものにほかならない。

 彼の影響を直接受けようが受けなかろうが、この本で展開された小林の認識論の〈型〉こそが、〈現代〉という時代の病を根本的に規定するものなのである。

 たとえば、小林とは種々の点で異質な、ある面では対立者ですらある埴谷雄高の〈虚体〉の理念、彼の現世と実生活への凄まじい呪詛、現世の不条理へのどす黒い偏執は、『ドストエフスキイの生活』の「序」における認識論といかに激しく共振していることか。

 そしてまた、戦後の左翼世代の魂を呪縛してきたサルトルの『存在と無』や吉本隆明の認識論・存在論は、なんと小林的世界観に似ていることか。

 たとえば、『心的現象論序説』で展開された、生命を無機的な物質世界からの「原生的疎外」としてとらえる吉本隆明の思想は、一面では、ヘーゲル=マルクス的存在論(ないしはフロイト的存在論)の継受であるが、他方では、はなはだ小林秀雄的なのである。(ちなみに、ヘーゲル=マルクス的な意味での〈疎外〉という概念は、ある存在様式に対する異和=〈抵抗〉の表現であると共に、その抵抗に対する〈打消し〉の表現として使われる。例えば、「生命は存在からの〈疎外〉形態である」という命題は、生命は、無機的物理的な存在形態への〈抵抗〉としての、有機的な秩序創造のエネルギーによる〈生〉の表現様式であると共に、その抵抗を解消して無機的自然に回帰せんとする〈死〉の欲望のあらわれでもある、という意味になる。)

 私のみるところでは、吉本の幻想論には、根底において、人間世界を、互いに逆立し合う地上的=物質的・形而下的世界と天上的=幻想的(観念的・形而上的)世界に二元的に分裂させ、生命・精神・意識を存在からの疎外形態に由来する幻想領域として規定しようとするマルクス的認識論が横たわっているようにおもえるが、それは同時に、既に私たちが見てきたように、小林秀雄の芸術=表現理念(生命=生活理念)にもつながるものなのだ。小林が、人間の生きる営みを、「自然を人間化する能力」としてとらえ、〈芸術〉を、本来われわれ人間とは無関係に存在する無意味な自然に立ち向かい、これを幻想的に超えんとする主観的努力の産物とみる思想は、マルクス・フロイト・サルトル・吉本らの理念に通底するものなのである。

 そこには、〈存在〉の本質を生命的・流動的なコスモスとしてとらえ、私たちの生きざまや魂のあり方と緊密につながるものとみなすようなまなざしは微塵も無く、非人間的な因果律的法則にのみ従う非情で無意味なカオスとしての物理的自然と、主観的幻想(幻影)としての精神という、(主としてユダヤ=キリスト教的世界観に由来する)西欧的二元論が、頑とした先入観として横たわっている。

 こう言ったからといって、私はなにも、吉本隆明の共同幻想・対幻想・自己幻想という三次元から成る幻想論体系を認めないというわけでは毛頭ない。彼が、人間の精神領域をこれら三つの次元に区別して、その相互の関係を基軸に据えて、国家の起源や、共同幻想に抗う〈個〉としての思想的な自立をめぐる問題をはじめ、文学・思想上の種々の本質的課題について展開してみせた考察の数々に対しては、私も深い畏敬の念をもつものである。 私は、吉本を過大評価したりカリスマ視するような、いわゆる「吉本主義者」なんぞでは決してないが、それでも、私は私なりに吉本思想とのシャドウ・ボクシングによって思想的な〈単独者〉としての自覚を形成してきた人間の一人であり、彼の仕事の細部に対する自分なりの思想的な評価尺度はきちんと持ち合わせているつもりである。*

 しかし、今は、吉本の具体的な仕事のあれこれのもたらした思想的な功罪を論じようというのではない。

 

 *私自身の「吉本隆明論」は、雑誌「道標」(人間学研究会発行)に掲載された「闇の水脈―日本近代詩人論4 吉本隆明」(「道標」6号 二〇〇四年)において、簡潔ながら総括的に展開しているので、参照頂ければありがたい。

 人間学研究会:〒862−0952 熊本市東区京塚本町55−8

 辻 信太郎 方 筺090-9401-5899

 メールアドレス tsuji-shin@lib.bbiq.jp

(ちなみに、私は、この雑誌の3号〜8号、10号〜11号の計八回にわたって、「闇の水脈―日本近代詩人論」というタイトルで、戦前・戦後の六人の詩人たち(萩原朔太郎・金子光晴・中原中也・吉本隆明・谷川雁・寺山修司)の作品を論じている。関心のある方は、注文してお読み頂ければ幸甚である。)

 

 私がここで問題としているのは、あくまで、小林や埴谷や吉本のような、昭和初期以降、特に戦後社会に思想的な〈鉄人〉として君臨しカリスマ性すら獲得してきた知識人たちの、思想の根底に横たわっている認識論=存在論の基本的な〈枠組〉〈型〉のことなのである。お望みなら、彼らのように、生命や人間の精神領域を、自然からの〈疎外〉形態として規定するのもよかろう。

 ただしそれは、〈意味〉や〈価値〉を剥奪された、自然科学的因果律と確率論に支配される、不条理でメカニックな実体(客体)としての〈自然〉という唯物論的な存在概念と、それに対する打消しとしての主観的幻想的な精神世界という物心二元論を、不可欠の前提とするものではない。

 存在に対するあらゆる〈意味づけ〉〈価値づけ〉を剥奪され、生きる意味の根拠の一切を〈自由〉という美名の下に解体させられてきた近代の極北の場所にあるわれわれにとって、そのような二元論は、もはや、時代遅れの産物でしかない。

 人が人生という苛酷な試練を生き抜いてゆけるのは、無意識の深部に、世界=存在に包まれてある〈肉〉としての己れ自身の運命に対するなにがしかの非合理的な〈信頼〉の感覚を備えているがためである。いかなるニヒリストといえども、心中ひそかに抱いている己れ自身の生へのこの漠とした信頼の念なくして、決して生き続けることはできない。

 この信頼感覚の形成条件は、その人のもって生まれた動物的な〈血〉の濃さの度合と、胎乳児期から幼児期に刻印された(親との関係を中心とする)種々の対人的・対環境的な〈傷〉とそれとコントラストをなす〈ぬくもり〉の記憶(イメージ)、それに、(ある意味では、そのパターン的な〈再現〉の繰り返しでもある)児童期・思春期における世界体験の質によって左右されると考えることができよう。

 私のみるところでは、わが国の場合、この生存感覚をすこやかに形成し得る条件は、一九七〇年前後の高度経済成長完成以後の社会において致命的な破壊をこうむっており、とりわけ、七〇年代後半の高度消費資本主義社会の形成と八〇年代以降におけるその爛熟によって、ほとんど壊滅的な状態に追い込まれたといっても過言ではない。

 現在の三十代前半より下の世代(一九六〇年代半ば以後に誕生した世代)、とりわけ、十代から二十代初めの青少年たちにあまりにもしばしば見受けられる、生存感覚の稀薄さをまざまざと示すグロテスクな事件やふるまいが、なによりも、それを証明しているようにおもえる。

 青少年たちにあっては、おそらく、成長過程において受けた〈傷〉の大きさに比して、それとコントラストをなす〈ぬくもり〉の記憶は、あまりにも稀薄なのである。

 もし、私たちの〈現在〉が、「生きる」力を生み出す源泉としての生に対する信頼感覚を形成する土台となる〈ぬくもり〉の記憶・世界体験を、大きく損なうような条件のもとにあるとすれば、〈存在〉に対するあらゆる人間的な〈意味づけ〉〈価値づけ〉を剥奪し、〈自由〉の美名のもとに一切の生きる意味の根拠を解体してきた(ポスト・モダンの言説に至るまでの、西欧的な物心二元論の流れを汲む)近代主義的イデオロギーは、もはや、完全に時代遅れの反動的なしろものに成り下がったといってよいであろう。

 なぜなら、生きる上で最も肝心な、世界への無意識的な〈信頼感〉がいちじるしく稀薄な人間に向かって、〈存在への不信〉に根ざした価値破壊のニヒリズムを不断に注ぎ込むことは、その人間に「死ね」と言っているようなものだからである。たとえそれが、自殺だろうと、緩慢な自死に等しい廃人への道だろうと、同じことである。

 しかも、事態はなにも青少年に対して当てはまるだけではない。かつては暖かい血縁・地縁的風土の中で種々の生きた哀歓の記憶を累積してきた中高年においても、今や、このような近代主義的ニヒリズムのイデオロギーは、苛烈な産業社会の渦中で疲労困憊し片時も安らぎを得ることのない彼らのすり切れた魂に隠微に浸透し、老醜と無機的な死の強迫観念に苦しむ「更年期障害」を悪化させる猛毒と化しているのである。

 人々は、何ひとつ信ずるものをもたない己れの生存感覚の恐ろしい空洞と孤独地獄から眼をそらしたままで、それを代償せんとするかのように、社会的な業績や富や地位や虚名の追求にのめり込んだり、賭け事や不倫に溺れたり、ボランティアや趣味・道楽に精を出したりしているが、私には、それらはすべて、肝心の生の内燃機関無しに己れの身体を強引に燃え上がらせようとする痛ましい悪あがきのようにおもわれてならない。

 人それぞれなのだから、仕事に精を出すのも、富や地位を追求するのも、ボランティアや趣味・道楽も大いに結構である。

 しかし、私たちの〈近代〉が長い年月をかけて人々の無意識の奥深く浸透させてきた無機的な〈死〉の感触に拮抗し、これを癒すことのできるような世界風景の変容なくして、いかなる生きる営みも、真の魂の安らぎを与えてはくれまい。

 今、われわれに真に必要なのは、存在を〈虚無〉に求めるような認識論ではなく、われわれ自身をも含む存在=自然を、生命的なコスモスの場として蘇生させるような全く新しい世界視線なのである。それも単なる哲学的思弁や知識人的鑑賞なんぞではない、〈生活〉という営みに根ざしたみずみずしい生身の生存感覚として獲得されるべきものなのである。

 ある意味では、自然=存在からの〈疎外〉形態であり、それへの打消しでもある生命や精神といった働きが、それ自体、新たな生ける〈存在〉の一部として、森羅万象との間に、コスモスとしての神秘な〈意味づけ〉を誕生させ、創造してゆく。

 それが、死と虚無のカオスへの抗い=克服としての〈存在〉それ自体のはらむ闇と光の光芒のドラマであり生命や人類の進化の本源的なあり方である、とみなすような生存感覚を、私たちは必要としているのではあるまいか。

 私が、澄み切った冷気のもとで木洩れ日に輝く冬の山道をひとり歩く時に出会う老樹の一本一本のふしくれ、陰翳、精妙な〈表情〉のひとつひとつは、決して、私という〈主観〉のみが創り出す幻影でもなければ、対象たる樹木という〈客体〉に由来する単なる物理的反映でもない。

 その樹木と私とそれを取り巻く環界との、一瞬一瞬の絶対的に固有な〈出会い〉の場が産み出す、神秘なコスモスの顕われにほかならないのである。

 私の足が一歩一歩ゆっくりと踏みしめる大地と私の全身の血の脈動との生ける接触もまた、同じ本質をもっている。

 私たちという主体は、世界という客体との間に、不断の生命的な〈意味づけ〉を創りながら、日々、世界と共に生成しているのである。

 このような生存感覚においては、日月星辰の輝きや風の息吹もまた、私たちの魂に応じて表情を変えるばかりでなく、事実、存在としても変容してゆくのである。

 たかが二・三百年の小ざかしい散文的精神に毒されてきたわれわれ近代人とは違い、前近代の民は、何千年もの間、こういうコスモスとしての生存感覚を生き生きと保ち続けてきたのである。

 西欧近代科学によってもっともらしく武装された物心二元論的な〈観念〉のとらわれを脱し、私たちは、再び〈生身〉の皮膚感覚に根ざした全く新たな世界へのまなざしに向かって、力強く踏み出すべき時代にさしかかっているのではないだろうか。

「近代批評の祖」としての小林秀雄と彼の同類たち、それに彼らの影響を受けた後続するさまざまな現代知識人たちの群れが注入した隠微な毒は、六十年の歳月をかけて日本人の体内深く浸透し、われわれの魂をほとんど瀕死の状況にまで立ち至らしめた。

〈近代〉という不信に満ちた根無し草の生がもたらす砂粒のような魂の地獄をくぐり抜けたわれわれは、もはや、このような〈観念〉の毒をきれいさっぱりと洗い流す、長い〈浄化〉の時代に入ってもいい頃だ。(了)

 

 

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芥川龍之介と闇(連載第2回) 川喜田八潮

  • 2017.03.18 Saturday
  • 18:30

 

     4

 

 かつて芥川龍之介は、処女小説「老年」(大正三年[一九一四]作)において、次のような描写を紡ぎ出すことができていた。

 

「長い廊下の一方は硝子障子(ガラスしょうじ)で、庭の刀柏(なぎ)や高野槙(こうやまき)につもった雪がうす青く暮れた間から、暗い大川の流れをへだてて、対岸のともしびが黄いろく点々と数えられる。川のそらをちりちりと銀の鋏(はさみ)をつかうように、二声ほど千鳥が鳴いたあとは、三味線の声さえ聞えず戸外(そと)も内外(うち)もしんとなった。きこえるのは、藪柑子(やぶこうじ)の紅い実をうずめる雪の音、雪の上にふる雪の音、八つ手の葉をすべる雪の音が、ミシン針のひびくようにかすかな囁きをかわすばかり、話し声はその中をしのびやかにつづくのである。」(「老年」)

 

 暗い大川の流れを背景に、人生の究極の寂蓼を深々と包摂しながらどこまでも静かに息づく、しんしんとした「雪の音」の描写は、繊細この上ない、豊饒な〈闇〉の気配を立ち上がらせている。

 息を呑むほどに美しい、完璧な叙景であり、その叙景は、たしかにアララギ派的な意味での近代的な「写生」には違いないが、その写生によって実現された表現の内実は、むしろ前近代的な、主・客の融合した土俗的な闇の伝統を感じさせる。

 安藤広重の描いた浮世絵「東海道五十三次」の「蒲原(かんばら)の図」を彷彿(ほうふつ)とさせるひとこまであるといっていい。

 ここに描かれた寂静(じゃくじょう)の風景は、作者自身の魂の〈孤独〉を象徴するものであると同時に、この短篇小説の主人公である「房さん」という、若い頃から放蕩と遊芸に明け暮れた生活破綻者的な老人のうらぶれた孤独な余生の風貌と重ね合わせられている。

 料理屋の奥にある無人の座敷の中で、置炬燵(おきごたつ)にあたりながら、猫を相手に、ひそひそとなまめかしい「芝居」の口説き文句をつぶやいている「房さん」の孤影を、しんしんと降り続く雪と闇の気配が優しく深々と包み込んでいる。

 初期の「大川の水」「老年」と晩年の「大導寺信輔の半生」「玄鶴山房」の間には、めくるめくような〈落差〉があるといっていい。

 芥川龍之介の文学活動のすべてが、この〈両極〉の間に位置づけられるように、私には感じられる。それは、「大正期」という資本制近代が膨張をとげてゆく時代、大衆の前近代的な土俗共同体社会が温存していたコスミックな〈闇〉の感覚が、アトム化の風圧の中で急速に蝕まれ、衰弱を余儀なくされていく時代の病理を象徴するものでもあった。

 しかし、私はここで、芥川作品のあれこれを具体的に取り上げて、この作家の文学世界の全体像を俯瞰的に論ずる気は毛頭ない。それは、吉本隆明や磯田光一、中村真一郎をはじめとする過去のさまざまな論客たちによる優れた芥川論の数々に任せておけばよい。

 私のこだわりは、ただ一つ、芥川龍之介における〈闇の喪失〉がもたらした悲劇のかたちにある。あるいは、生命的でコスミックな〈闇〉から、ダークでいびつな〈闇〉への変容の本質を問うことにある、といってもよい。

 改めて言うまでもなく、芥川龍之介は、ひたすら人生の地獄を見つめ続けた作家である。

 胎乳児期から幼少期にかけて深いトラウマを抱え込み、成長過程における家族及び自他に対する関係意識の障害感に苦しんだ作家だった。その中で形成された不幸な〈資質〉は、彼に、己れ自身も含めて、人間という生き物のあらゆる型の偽善、偏見、エゴイズム、愛への不信と嫉妬といった諸々の卑しさや脆さへの鋭い観察眼を磨かせた。彼は、西洋近代文学の写実主義の文体を活かして、歴史物と現代物の両面にわたって、己れ自身の異和と渇きのありかを、多種多様な〈虚構〉の物語を通して華麗なパノラマのように象徴的に描き上げてみせた。優れたエンターテイナーとして、その天才ぶりをいかんなく発揮した。

 しかし、人生の不条理と地獄の実相を見つめれば見つめるほど、彼の神経は繊細にとぎすまされ、〈自意識〉は観念的に肥大化していった。

 そして、それとは対照的に、〈身体〉は硬直し、冷え切っていったのである。

 文学(芸術)という、彼が現世の不条理から身をかわし、現世に拮抗するために、そこの住人になりたいと切望していた〈虚構〉の砦は、作家活動の初期には保持し得ていた、彼のすこやかな身体性を完全に呑みつくし、枯渇させてしまった。

〈個〉の深奥に息づきながら、個の輪郭を超えて森羅万象へと拡がる、〈類〉的な生存感覚、すなわち深々とした生死一如の〈闇〉の母胎へとリンクする彼の〈無意識〉のゆたかな領域は見失われ、無意識への窓口であった彼の身体感覚の〈振り幅〉は、急速に狭められていったのだった。

 それは、芥川の成長過程を包み込み、彼の魂の〈下地〉を培ってきた、江戸後期文明の流れを汲む下町共同体的な〈闇〉の感覚が、彼の内部で崩壊にさらされ、まがまがしい、ダークでいびつな相貌へと変質をとげていった事を意味している。

「大導寺信輔の半生」に描かれた陰惨な「百本杭」の記憶は、その崩壊と変質の象徴であり、冷え切った身体と地獄図と化した世界風景の中で、改めて、この作家の〈原風景〉のように立ち顕われてきたようにおもわれる。

 

     5

 

 晩年の芥川龍之介の世界風景が、主・客の分離を前提とする、西洋近代科学的な客観主義的・合理主義的精神、すなわち物質主義的精神によって、いかに狭窄されたものと化していたか。意識を酷薄な地上の散文的・三次元的現実に緊縛されることで、いかに魂を痛めつけていたか。

 それは、例えば、昭和二年(一九二七)三月の作品「誘惑」に綴られた、次のような心象風景の一節にも、端的に表われている。

 

「星ばかり点々とかがやいた空。突然大きい分度器が一つ上から大股に下って来る。それは次第に下るのに従い、やはり次第に股を縮め、とうとう両脚を揃えたと思うと、徐(おもむ)ろに霞んで消えてしまう。」

「月の光を受けた樟(くす)の木の幹。荒あらしい木の皮に鎧(よろ)われた幹は何も始めは現していない。が、次第にその上に世界に君臨した神々の顔が一つずつ鮮かに浮んで来る。最後には受難の基督(キリスト)の顔。最後には?―――いや、「最後には」ではない。それも見る見る四つ折りにした東京××新聞に変ってしまう。」(「誘惑」)

 

 晩年の芥川の<意識>を規定し、染め上げていた世界風景が、コスミックなゆたかさを奪われた、無意味で荒涼とした物質主義的現実でしかなかったことが、よくわかる。

 また、大正十二年から死の年の昭和二年にかけて綴られたアフォリズムの集成「侏儒の言葉」の冒頭の一節「星」には、次のような言葉が記されている。

 

「太陽の下に新しきことなしとは古人の道破した言葉である。しかし新しいことのないのは独り太陽の下ばかりではない。/天文学者の説によれば、ヘラクレス星群を発した光は我我の地球へ達するのに三万六千年を要するそうである。が、ヘラクレス星群といえども、永久に輝いていることは出来ない。いつか一度は冷灰のように、美しい光を失ってしまう。のみならず死はどこへ行っても常に生を孕(はら)んでいる。光を失ったヘラクレス星群も無辺の天をさまよう内に、都会の好い機会を得さえすれば、一団の星雲と変化するであろう。そうすればまた新しい星は続々とそこに生まれるのである。/宇宙の大に比べれば、太陽も一点の燐火(りんか)に過ぎない。況(いわん)や我我の地球をやである。しかし遠い宇宙の極、銀河のほとりに起っていることも、実はこの泥団(でいだん)の上に起っていることと変りはない。生死は運動の方則のもとに、絶えず循環しているのである。そう云うことを考えると、天上に散在する無数の星にも多少の同情を禁じ得ない。いや、明滅する星の光は我我と同じ感情を表わしているようにも思われるのである。この点でも詩人は何ものよりも先に高々と真理をうたい上げた。/真砂(まさご)なす数なき星のその中に吾に向ひて光る星あり/しかし星も我我のように流転を閲(けみ)すると云うことは―――とにかく退屈でないことはあるまい。」(「星」)

 

 痛ましい宇宙観である。ここで語られている星々へのまなざし、存在へのまなざしは、一見、「大川の水」で活写された、生死の両義性をつかさどる、不可知なるコスミックな渾沌=闇へのまなざしと同型のものに見えるが、実は、完全に対極にある生存感覚を表わしているといっていい。

 ここに描かれているのは、無限大の宇宙に対する存在の〈無意味さ〉を強調する視線、すなわち、森羅万象を物理法則による因果律に規定された物質の必然と偶然の運動に解消し、存在から一切の意味と価値を剥奪せんとする、(西洋近代科学の暗黙の〈前提〉=作業仮説となっている)アトミズム的な機械論的世界観にほかならない。

 いわば、地動説的視点から、地球と人間存在を相対化し、無意味な物質的存在へと卑小化せんとする、(今やわれわれ現代人の固定観念と化している)陳腐きわまりないイデオロギーにすぎない。そこでは、地球は、大宇宙から視れば一天体にすぎない太陽系の中のゴミのような惑星であり、人類などは、そのゴミの上に「たまたま」繁殖した一種の雑菌のような存在にすぎない。

 宇宙における生死の両義性・循環を強調しようと、一見東洋思想めかした諸行無常の理念を称えようと、ここにみとめられるのは、人生の意味を根源的に抹殺するニヒリズム以外の何物でもない。近代人は、こんな怖ろしいニヒリズムを、百年以上も、後生大事に崇め奉ってきたのである。ルネサンス以後の歴史から振り返れば、四百年以上にもなる。

 私たちは、このような地動説的イデオロギーなるものをきれいさっぱりとぬぐい去って、正しき天動説的世界観を取り戻すべき時代にさしかかっているのではあるまいか。

 それが、私の思想的な立場である。

 近代人は、地動説が正しくて、天動説が誤っていると思い込んでいるが、それは大きな間違いである。

 地動説か天動説かというのは、私たちの〈立ち位置〉の問題にすぎない。

 地動説とは、太陽に存在の中心を置いた時に視られた、太陽系の星々の運動形態の事に過ぎず、天動説とは、地球上の、私たちの住む大地を中心にしてみつめられた大いなる星辰の配置と動きの姿にほかならない。どちらに存在の中心を置くかという〈立ち位置〉の問題であり、中心軸の置き方によっては、どちらも正当な視点となりうる。

 さらに言えば、太陽系といえども、銀河系から視れば、その一小部分にすぎず、銀河系も、さらに巨きな宇宙から視れば微々たるものとなるのであるから、中心軸の置き方を変えれば、太陽を中心として世界を視る地動説も、太陽系以外の銀河系の天体から視れば、ひとつの天動説的視点の表われにすぎず、銀河系を中心とする視点もまたしかりである。

 地動説的視点の確立とは、実は、銀河系内外のあらゆる星雲の中心軸を相対化することに通じているのである。私たちが、天動説的視点を放棄して、地動説的視点に移行することは、そのまま、私たち人間の存在の中心を、大宇宙の中に解消することを意味する。自然科学によってのみ探究可能なこの物理的な大宇宙なるものは、かつて天動説の時代に、人間の生に意味と価値を与えていた生命的で神秘的な象徴的存在であるコスモスとは違い、ただのメカニックなユニヴァースでしかない。

 私たちは、地動説によって、いつしか、己れの存在の根拠を、ユニヴァースという〈虚無〉の内に解消してしまっている。

 だから、中心軸をどこに置くかということは、実は、真理性の問題ではなく、私たちの生きざまを支える〈価値観〉の問題なのだ。

 地動説的イデオロギーが致命的なのは、それが、存在から意味と価値を剥奪するアトミズム的・機械論的な世界観を内包しているからであり、近代科学の諸成果が、その西洋近代的なイデオロギーを作業仮説とする探究によってもたらされ、物理学・化学・医学を中心とする、宇宙の物質的側面のみを一面的に肥大化させた知識の数々によって、あたかも、機械論的な宇宙観こそが正当であるかのごとき〈錯覚〉を、私たちに植えつけてしまったからである。

「大宇宙に比べれば、地球も人類もゴミのような存在にすぎない」という強迫観念は、極大の膨張宇宙から、微生物以下素粒子に至る極小の宇宙までも包み込む、存在そのものへの〈蔑視〉、ニヒリズムの感覚に通底するものである。

 芥川もまた、この手のニヒリズムにいや応もなく屈服させられながらも、それに対してささやかな〈異和〉を表明している。

 

「もしいかなる小説家もマルクスの唯物史観に立脚した人生を写さなければならぬならば、同様にまたいかなる詩人もコペルニクスの地動説に立脚した日月山川を歌わなければならぬ。が、「太陽は西に沈み」と言う代りに「地球は何度何分廻転し」と言うのは必(かならず)しも常に優美ではあるまい。」(「唯物史観」、「侏儒の言葉」より)

 

 芥川の言葉を笑うことはできない。現代人は、今日、「日食」も「月食」も、コスミックな神秘・啓示として、〈畏怖〉の念をもって受け取るだけの感受性を持てず、それらを物理的な天体現象としてしか視ないではないか。

 現代人にとって、森羅万象は、己れの生と何のコスミックな結びつきも有しないのである。

「大導寺信輔の半生」に描かれた「大川端」の風景が、「大川の水」で活写された、コスミックな闇のふくらみとは似ても似つかない、散文的・物質的な地獄図にすぎなかったように。

 

     6

 

 このような近代主義的ニヒリズムを根底から払拭するには、私たちは、正しき天動説的視点を取り戻さなければならない。

 すなわち、私たちの存在の中心を、己れの固有の〈生活〉という大地の上に据え直さなければならないのだ。

 日々マスコミをにぎわす世界情勢や時事問題の知識などに、生活意識を回収されるようなことがあってはならない。

 私は、ここで「正しき」天動説と断っている。

「正しき」とは、己れの固有の天動説のみを善しとする独善に陥らぬことである。

 己れと同様に、己れ以外のすべての他者にも、各々の固有の手作りの「天動説」を構築してほしいという希い・理想を抱くことである。

 それは、決して価値観の相対化をとなえるものではない。

 自分は、自分の信ずる、自分なりの天動説を生きればよいのだ。

 ただし、他者のいのちの固有性というものを、どこまでも尊重するということだ。

 そして、いかなる意味でも、他者の魂を「強制」しないこと、またされないことだ。

 己れの天動説を、責任をもって「主張」することは、かまわない。

 当方の主張を「強制」と感じるかどうかは、受け取る人の自由だ。

 こちらには「強制」する気は毛頭ないのだから、後は、メッセージを受け取る人の「責任」だし、また「器」次第である。

 その事を前提とした上で、私はここで、私なりの「天動説」をごく簡略に提唱してみたい。

 まず、私たちは、己れの固有の〈生活〉を通して日々みつめられる、生きた〈風景〉の内に、美しき〈意味〉と〈象徴〉とを見出すことができねばならない。

 ささやかな草花や樹木や動物たちの中に、存在の繊細な気配の移ろいの内に、そして、月や日輪や星辰の輝きと息づかいの中に。

 さらにまた、日々の労働・労役の手応えと疲労とささやかな癒しやいこいの中に……。

 私たちの固有の生活小宇宙(コスモス)は、実は、無限を映す鏡なのである。

 私たちの意識世界は、存在としての個の殻を超えて、類的な〈無意識〉の闇の世界(コスモス)とつながっている。同朋とつながり、風土とつながり、人類とつながり、森羅万象とつながっている。意識などは、その広大無辺な〈闇〉の中に浮かぶ「氷山の一角」にすぎないのだ。

 だが、私たちは、意識という〈風景〉の中で、日々、無数の存在と精妙な〈出逢い〉を果たしており、その〈出逢い〉は、私たちの意識的・合理的な了解能力などをはるかに超えた、霊妙不可思議な出来事なのであって、私たちの身体に宿り、身体をつかさどっている類的な〈無意識〉の所産と考えるほかはない。

 私たちの個的な意識及び無意識は、より巨きな類的無意識に包摂され、つかさどられているのだ。

 私たちは、その無意識の深みから、生きるエネルギーを与えられ、日々無数の感覚とイメージを汲み上げながら、己れの固有の内的時間を紡ぎ出すことで、現実に真向かい、適応し、たたかい、道を切り拓いてゆく。

 生きる営みのすべてが、単なる個的な出来事ではなく、個を包摂しつつ個を超えた、類的な無意識という、生命と虚無、創造と解体の両義性を備えて流動する、大いなる〈闇〉のコスモスの一環なのだ。

 人間は、逃れようのない関係のしがらみの中でもがき、己れのはからいを超えた無数の契機に直面させられながら、翻弄されて生きる存在である。人の心も身体も、大いなる〈闇〉に包摂され、つかさどられているのであり、そこでは、あらゆる倫理も主体性も、個々人の置かれた関係性や内的契機、運不運によって、その可能性は限定され、相対化されてしまう。価値や倫理の相対主義をとなえ、主体性という概念そのものまでも否定的に扱い、人間の無力さや生の不条理性、みじめさを強調するニヒリズムが猖獗(しょうけつ)を極めるのも、無理からぬものがある。

 だが、私たち人間の生が、不可知なる渾沌(カオス)という〈闇〉につかさどられ、翻弄されているとしても、だからといって、「生きる」という行為、主体性という概念が無意味であったり、無力であったりするわけではない。

 私たちの生は、〈闇〉に包摂されているけれども、私たちの生もまた、〈闇〉という無限を映し出すという形で〈闇〉を包摂し、そこから生きるエネルギーを汲み上げることができるのだ。

 人は、己れの固有の〈生活〉を主体的に紡ぎ出し、織り上げてゆくという営みを通して、〈闇〉の中から豊饒な感覚とイメージを汲み上げ、己れの生存感覚を、生命的で自己充足的な〈絶対感〉へと脱皮・変容させてゆくことのできる存在である。

 その意味で、人生とは、不断の修行の連続だというのが、私の考えである。

 自分自身に則して言えば、至らない未熟者の身ではあるが、時を超え、齢(よわい)を超えて、日々無心に生きられるよう、精一杯努めてはいるつもりだ。「生きる」ことは、本当に大事業だ。

〈生活〉という大地の上に真に存在の中心を置く時、私たちの生の風景は、根底から相貌を一変する。

 世界情勢や政治・経済の激変や時事的現象などに鼻づらを引きずり回されない、真に地に足の着いた、うつろではない〈生活者〉の場所に歩み寄ることができる。

 たとえどんなに、未知への不安にさらされていようとも、日々の暮らしの中に、一抹の心のゆとりと、充ち足りたひと時を持つことが許されるであろう。

 私たちの〈生活〉は、生死一如の大いなる〈闇〉のコスモスに抱かれ、また〈闇〉の根源から生きる力を汲み上げることができる。そこには、意味と価値と良き啓示があり、ささやかな日々の〈物語〉がある。そしてまた、その蓄積の中から、生涯にわたる生の物語性、年輪の厚みが紡ぎ出される。

 芥川初期の作品「大川の水」には、哀切な気配が立ち込めてはいるが、そのような無名の〈生活者〉のコスモスにきちんとリンクしうるだけの、ゆたかな天動説的視点が息づいているのである。

 しかし、晩年の「侏儒の言葉」の冒頭文「星」には、それは無い。

 あるのは、酷薄な地動説的イデオロギー(アトミズム的・機械論的イデオロギー)のみである。

 この一文には、「真砂なす数なき星のその中に吾に向ひて光る星あり」という正岡子規の短歌が引用されている。

 この歌には、己れの生命に、選ばれたる孤独な星辰の輝きと呼応する、固有のコスミックな意味と宿命とを誇り高く感受し得た者の、気宇広大な生存感覚が息づいている。

 歌人・子規の紡ぎ出した、気迫溢れる生命的な表現世界の全体感をふまえた上で、この歌を素直に味わうなら、その事は誰にでも感じ取られるはずである。

 しかし、せっかくのこの秀歌も、晩年の芥川の観念的なまなざしのフィルターを通して視れば、人の生死の〈卑小さ〉、散文的な自然現象でしかない生死の〈無意味さ〉と類比的にとらえられた、寒々とした天体物理学的現象としての星を歌ったものでしかない。

 星に「感情」を読み取る芥川の眼には、星もまた、人間と同じく、不条理で卑小なもがきの苦しみ、悲しみの宿命を抱えた、はかなく救いのない存在にしか視えないのであろう。

 酷薄な近代科学的・地動説的視点は、人生の地獄を凝視し続けたこの作家の文学的帰結点である、散文的・物質主義的現実を認識論的に裏付けてくれるものであった。(この稿続く)

 

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〈藤村操世代〉の憂鬱(連載第14回) 川喜田晶子

  • 2017.03.17 Friday
  • 14:04

 

折口信夫の〈青あざ〉

 

 葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり

 

 折口の代表歌とされる一首である。

『日本近代文学大系』に収められた『海やまのあひだ』(千勝重次・奈良橋善司の注釈による)の補注には、この一首に関して面白いいきさつが記されている。

 

「作者は、「自歌自註」で「もとより此歌は、葛の花が踏みしだかれてゐたことを原因として、山道を行つた人を推理してゐる訣(わけ)ではない。人間の思考は、自ら因果関係を推測するやうな表現をとる場合も多いが、それは多くの場合のやうに、推理的に取り扱ふべきものではない。これは、紫の葛の花が道に踏まれて、色を土や岩などににじましてゐる処を歌つたので、……この色あたらしの判然たる切れ目が、今言つた論理的な感覚を起し易いのである。」と述べている。つまり作者は、葛の花が踏みしだかれているのは、山道を行った人があるからだ、という推理的な受け取り方を危ぶんでいるのだ。御歌所の歌人武島羽衣(はごろも)は、かつて実際にそのような解釈をして、まことに幼稚な歌であると批評し、「心なく山道行きし人あらむふみしだかれぬ白き葛花」と添削してみせた。「白き葛花」といった無知もさることながら、「心なく山道行きし人あらむ」は、この歌の解釈・鑑賞法としては、まさに反対である。第三句の休止に作者の深い感動がこめられている点に注目すべきである。下句はおのずから山道を歩いて行った人の孤独に思い至る作者の心が、たくまずに表現され、それはそのまま旅人である作者の孤独をも伝えているのである。この歌が作者の最も代表的なものの一つであるのも当然であろう。」

(『日本近代文学大系・折口信夫集』角川書店 1972年)

 

 作品に対する作者自身の解釈は、決してあてになるものではない。作品は、作者の無意識を表現してこそ意味があるし、批評という営為は、作品を通して、作者にさえ隠された無意識を掬い上げることであるから、ここでも私は、折口の自註こそが正しい解釈であるなどと言いたいわけではない。

 むしろ、この一首に対して、武島羽衣なる歌人の誤読、折口自身の自註の限界、注釈者の限界、という幾重もの誤読や限界が張り巡らされているのが興味深いのである。

 武島の誤読は、折口のあやぶんだように、この歌を、葛の花が踏みにじられた「原因」を主題とした骨ばった一首と解釈したことによる。骨ばった理屈の勝った作歌が良くないからと添削したわけである。その結果、「白き葛花」などと、葛の花の色に対する無知をさらけ出した上に、「心なく」葛の花を踏みにじった人の無風流を責めるといった主題にすり替えてしまった。

 踏みにじったことを責めてなどいない、先にこの山道を行った人の孤独と作者自身の孤独を思う歌である、と解釈した補注は、少なくとも武島の誤読は指摘し得ている。

 だがその孤独とはどのようなものであったろうか。

 折口の自註はむしろ、あっさりと「孤独」などという言葉で片づけられない内実を主張したいのだと語っている。「原因」を主題に据えた解釈を拒んでいるのだが、それと同時に、〈写生〉によって叙した風景の質感の重さを、自身でも別の観念にすり替えたくなくて、語ろうとしていない感触がある。これは誠実な態度である。

 そもそも、自身で解説できるような感動なら短歌や詩にする必要はないのである。折口が〈写生〉を重んじたのも、己れ自身にも説明し難い内実を〈写生〉によって語らしめることが可能だからであり、〈写生〉による叙景・抒情が観念的な概念に置きかえらえることを忌避したのだ。

 

 この一首は、〈孤独〉といった概念では片づけられない特異な印象を訴えかけてくる。

 その異様な感触は、「踏みしだかれて、色あたらし。」によって生じるものだ。「あたらし」は今の「新しい」ではなく、折口の自註にもあるように、鮮やかさのことである。

 葛の花が踏みしだかれることで生じたこの「色あたらし」という事態への作者の感動は、いわば花の〈死〉の意外な姿によってかきたてられた感興を内実としている。

 この〈死〉の姿の鮮やかさが、先に山道を行った人と己れとを繋ぎ合わせているのである。

 共に孤独である、といった粗雑な情趣にからめとられている折口ではなかったであろう。己れの目にするもの、耳に入るもの、それらからなにがしかのシンボリックな呪言を聴き取ろうとするような感性を持つ者にとって、たまたま山道で目にした花の〈死〉の鮮やかさは、己れと他者、己れと世界との接触のあり方の象徴として感受されたに違いない。

 鮮やかな花の〈死〉によってこの世界を意味づけよと、世界から提示されたかのような瞬間。〈死〉によってこそ「あたらし」となる命への感動が、この一首の主題であると言えよう。

 己れが他者や世界と関わることができるのは、このような花の〈死〉の鮮やかさによってなのだ、という感覚は、これまで述べてきたような〈藤村操世代〉としての折口の生存感覚から見るならばきわめて自然なものである。

 

 人は、そのまなざしによって、世界風景を招き寄せる。

 〈死〉への渇望を秘めた者は、いたるところに〈死〉の風景を見出す。

 折口は、たまたま同じ山道をいくばくかの時間の隔たりをはさんで相前後して歩んだもう一人の人物と、あたたかい生命的な風物を通してつながるのではなく、花の〈死〉を通して触れた。折口自身がそういう接触を招き寄せているかのように。

 だが、その花の〈死〉の姿に喚起された不吉さを、折口は忌避していない。踏みにじられて実に鮮やかに紫を主張する葛の花。〈死〉によってこそ、その命の「ことほぎ」と「のろひ」の両方の振幅を全うしたかのような葛の花の姿に、異様な興奮をおぼえたのだったろう。

 

 たとえば次のような一首では、そのような興奮を「いきどほる心」として表現している。

 

 いきどほる心すべなし。手にすゑて、蟹(カニ)のはさみを もぎはなちたり

 

 歌集では次の一首が続く。

 

 澤の道に、こゝだ逃げ散る蟹のむれ 踏みつぶしつゝ 心むなしもよ

 

「いきどほる」は、今日の「憤る」ではなく、「動悸」の「悸」の文字を折口は意図していたかとおもわれる。つまり恐れや驚きで興奮して胸さわぎがする、そしてそれが身のわななきにまでつながるような昂ぶりである。次のように「悸」の文字を用いた歌も収められているからだ。

 

 山なかに、悸(イキドホ)りつゝ はかなさよ。遂げむ世知らず ひとりをもれば

 

 同じ心境を次のようにも歌う。

 

 かたくなにまもるひとりを 堪へさせよ。さびしき心 遂げむと思ふに

 

 これらの、「ひとりをまもる」折口における「悸(いきどほ)り」とはどのようなものだと言えるだろうか。

 蟹のはさみをもいでちぎってみたり、逃げ散るたくさんの蟹をふみつぶしてみたり、といった嗜虐的な行為をそそのかす「いきどほる心」を、折口はもてあましている。そのような行為を抑えるすべもなく、心むなしいだけ、はかないだけであるとの自覚が見える。

「ひとり」の対極に意識されているのは、フィールドワークで触れる民俗の姿、柳田的〈日常〉の姿であり、折口とは異なって、まっとうに女性を愛し、家族を営み、子孫を遺す生活者の姿でもあったろう。

 柳田的〈日常〉に焦がれればこそ、民俗の姿を明らかにすべく旅をするのだが、その旅は、己れのエトランゼとしての異形意識を激しくかきたてるものとならざるを得ない。

 

 この島に、われを見知れる人はあらず。やすしと思ふあゆみの さびしさ

 ほがらなる心の人にあひにけり。うやうやしさの 息をつきたり

 この家の人の ゆふげにまじりつゝ、もの言ひことなる我と思へり

 

 エトランゼだからこそ、本来の自分でいられる旅でもあったろうが、心惹かれながらも決して自分には手の届かぬ民俗の原型質を感受して、彼らとの〈断絶〉に衝たれもする。「ほがらなる心の人」に対して「うやうやしさの息」をつく折口。「ゆふげ」に交じって「もの言ひことなる我」を意識する折口。とうてい彼らのようには生きられぬ己れを、その隔たりの大きさを、思い知る旅でもある。

「遂げむ世知らず ひとりをもれば」には、何度生まれ変わっても、自分には彼らのようには生きられまい、という認識の痛みが滲んでいる。そういう痛みによって昂進するタナトスを、どうすることも出来ずに蟹を虐げてみる。

 

 世界との〈断絶〉の意識をかろうじてなだめつつ生き永らえてきた折口である。ともすれば藤村操のように華厳の滝に投身したいという願望を、彼らの世代は身の内に抱え持ちながら生きていた。もちこたえらえなかった者たちが数多く、既に藤村操の後を追っている。

「悸り」の心とは、ふとした折に暴発せんとする身の内のタナトスであり、その欲動を刺激された時の抑え難い昂ぶりのことであったろう。

 

 タナトスにはめられたタガは、ふとした風景でいとも容易にはずれそうになる。

〈死〉を通した鮮やかな存在証明を激しく印象づけた「葛の花」に対しても、「悸り」は生じていたのである。

 

 そして、この「悸り」は折口だけのものではなかった。

 大衆的な規模においても、〈藤村操世代〉が抱えていた「悸り」は遍在したのであり、それが昂進したとき、昭和初期のウルトラナショナリズムへとなだれ込んでいったことについては、既に見てきたとおりである。

 大衆の魂にも、折口の魂にも、柳田的〈日常〉をたたき潰されることで荒廃した虚無が巣食っていたことを認識させられた時、「贖罪」(昭和22年)という詩篇が生まれたのであり、折口の凄惨なニヒリズムが炸裂する。

 

 この『海やまのあひだ』という歌集が編まれた大正末の折口にとって、「すさのを」はまだ生産的な魂を持っていた。

 

 うつそみの人はさびしも。すさのをぞ 怒りつゝ 國は成しけるものを

 

 その「怒り」によって、なりふりかまわぬ幼児的なまでの感情の炸裂によって、国を作ることのできる神であった。この歌では、「すさのを」のような激情の発露によっては〈生〉を意味づけられず、不条理に押しひしがれるしかない、自身も含めた「うつそみの人」が対置されている。そのギャップの内に、「すさのを」への折口の生産的な憧れがまだ滲んでいた。

 これが戦後の「贖罪」においては、徹底した虚無の塊りとしての「すさのを」に変容する。全てを滅ぼし尽しておくことだけが、「すさのを」の、そして折口自身の「贖罪」であるとの認識へ、激変したのである。(この稿続く)

 

 

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〈藤村操世代〉の憂鬱(連載第13回) 川喜田晶子

  • 2017.02.23 Thursday
  • 15:35

 

折口信夫の〈青あざ〉

 

 近代短歌が前近代への反発から成り立ったという経緯は、「何物も、生れ落ちると同時に、「ことほぎ」を浴びると共に、「のろひ」を負って来ないものはない。」(「歌の円寂する時」)という折口の言葉を再び想起させる。折口は伝統的な命脈を保ってきた短歌という形式についてこう語りながら、己れを含めた万物の宿命を陰鬱に塗り上げてみせたが、近代短歌に限ってみると、あるいは的確な批評と言えるかもしれない。

 正岡子規の提唱した〈写生〉によって、短歌に近代的な命が吹き込まれたことは「ことほぎ」であったが、この〈写生〉が短歌を屹立させるという理念は、近代化による矛盾が人々の世界観を狭窄し、コスミックな身体性が失われてゆくにつれ、むしろ「のろひ」として機能し始めたのであり、歌人たちは己れのやせ細った身体と病理を短歌という器に盛ることで、この形式の生命との逆説的な交感を試みるしかなくなってゆく。その身体の狭隘さと引き換えに、精緻な内面性の表現を獲得するのであるが、そこには常に呪わしい痛みが伴うようになる。

 

 何処やらに沢山の人があらそひて

 鬮(くじ)引くごとし

 われも引きたし

 

 怒る時

 かならずひとつ鉢を割り

 九百九十九(くひやくくじふく)割りて死なまし

 

 実務には役に立たざるうた人(びと)と

 我を見る人に

 金借りにけり

 

 けものめく顔あり口をあけたてす

 とのみ見てゐぬ

 人の語るを

 

 一度でも我に頭を下げさせし

 人みな死ねと

 いのりてしこと

 

 何がなしに

 頭のなかに崖ありて

 日毎に土のくづるるごとし

 (以上6首、石川啄木)

 

 春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外(と)の面(も)の草に日の入る夕

 ひいやりと剃刀(かみそり)ひとつ落ちてあり鶏頭の花黄なる庭さき

 鳳仙花うまれて啼ける犬ころの薄き皮膚より秋立ちにけり

 (以上3首、北原白秋)

 

 斎藤茂吉のフェティシズムについては既に述べた。〈連続〉の相において生きているつもりの茂吉に、〈断絶〉の象徴としての風景が不安を突きつける時、彼は無意識にそれを〈不安〉とは別のものにすり替えずにはいられなかった。そのすり替えに対して無自覚であったという意味でも、彼は〈藤村操世代〉よりやや上の世代としての身体性をもっていたと言えるだろう。彼の主張する〈実相観入〉なる写生理念、つまり対象に自己を投入することで実現される表層的でない〈写生〉理念には、無意識の〈不安〉と意識の上での〈生命性〉の主張とのグロテスクな融合がにじみ出ている。

 

 石川啄木、北原白秋は、いずれも純然たる〈藤村操世代〉の感性を持つ表現者である。啄木が明治19年、白秋が明治18年の生まれである。

 石川啄木は、短歌と言う形式を〈虐使〉することでひび割れた生活の情趣を叩きつけるように歌った。冷徹な世間の貌、啄木の魂の幼児的な柔らかさに侮蔑のまなざしで遇する他者の貌。それらとの厳しい〈断絶〉は、短歌という器に盛られて悲鳴を上げる。自虐的な痛みの戯画が逆説的な抒情を立ち昇らせている。

 

 北原白秋は、一首が〈連続〉によって完結することを強いてくる短歌という器に、あえて〈断絶〉を盛り込むことで象徴的な絵画性を頽廃的に際立たせた。〈意味〉が連続するのか不連続なのか危うげな、俳句における〈切れ〉や〈とり合わせ〉の意識にも似た、つかずはなれずのモチーフの斡旋が鮮やかな絵画性を実現し、清新な近代的抒情を可能にしている。「春の鳥」も「鶏頭」も「鳳仙花」も、「あかあかと」不安をそそる「夕」や「剃刀」や生まれてすぐに啼く犬ころの「薄き皮膚」ととり合わせられて、伝統的な意味や情趣の体系からしなやかに離脱し、世界から断絶した身体性ゆえの退嬰的抒情が張りつめている。

 

 この両者においては、対象や世界との〈断絶〉こそが意図的な主題である。伝統的な〈型〉に盛られたことのないこの〈断絶〉を、本来不似合いな器にいかに盛れば表現として屹立し得るのか。その表現が成功した場合には、〈断絶〉を生きるしかない身体性を高度に象徴するものとなることで、〈近代性〉が短歌として呼吸し得る。

 一見、定型の音楽性と完結感の内に収まっているかのようだが、啄木はいわば〈型〉にひっかき傷を入れるように歌い、白秋は世界からトリミングされた非完結的なモチーフをシンボリックにコラージュしながら画面をまとめ上げてみせる。両者とも、捨て身の戦略とも言うべきデザイン性が鮮やかだ。

 

 伝統的な〈型〉とは恐ろしいもので、歌人が己れの我で〈型〉をねじ伏せようとするならば、その我執のみすぼらしさを露呈させずにはおかない。狭小な身体性によっていくら精密な〈写生〉を試みても、過ぎ去った〈浪漫〉を歌おうとしても、それらが観念的であること、病理的であること、身体がもはやコスミックな振幅を失っていることを、短歌という〈型〉はあからさまにしてしまう。

 この〈型〉への、自覚的・無自覚的な抗いによって表明される〈近代〉は、歌人の身体性の振幅を映し出さずにはおかず、その振幅が狭小であるならば、表現は病理のカミングアウトとならざるを得ないのである。

 病理をカミングアウトしつつも、〈型〉との葛藤を生産的な抒情へと昇華させるには、優れた内省力が必要である。啄木と白秋は、そういう意味で精緻な内省力を駆使して斬新な境地を切り拓いてみせた。

 

 釋迢空、すなわち折口信夫は、この短歌という〈型〉の強大さを最もよくわきまえていた歌人の一人であったとおもわれる。

 歌人としてはアララギ派に属し、後にそこから離れて行った経緯を持つ折口の短歌は、技法的には素直な近代的写生に即しているかに見える。しかし、その〈写生〉によって、近代歌人は概ね〈前近代〉から離脱しようと志向し、短歌という〈型〉への身構えを固持するのだが、折口にはむしろ、この〈型〉の大いなる器に身を浸してしまおうと企図しているかのような趣きがある。そのことで露呈する己れの自我のデザイン、そしてそのデザインによって屹立させられるべき短歌の近代性には、無頓着であったと感じられる。そこが啄木や白秋とは異質なところであろう。

 しかし、緊迫した技巧を感じさせぬ、どこかけだるいほど〈型〉に委ねた表現によって、自然に滲み出るのはやはり〈近代性〉であり、根深いタナトスに彩られた病理的な身体の表白である。

 

 葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり

 

 この島に、われを見知れる人はあらず。やすしと思ふあゆみの さびしさ

 

 いきどほる心すべなし。手にすゑて、蟹(カニ)のはさみを もぎはなちたり

 

 澤の道に、こゝだ逃げ散る蟹のむれ 踏みつぶしつゝ 心むなしもよ

 

 山中(ヤマナカ)は 月のおも昏(クラ)くなりにけり。四方(よも)のいきもの 絶えにけらしも

 

 山深きあかとき闇や。火をすりて、片時見えしわが立ち處(ド)かも

 

 山々をわたりて、人は老いにけり。山のさびしさを われに聞かせつ

 

 友なしに あそべる子かも。うち対(ムカ)ふ 山も 父母も、みなもだしたり

 

 人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。旅寝かさなるほどの かそけさ

 

 ほがらなる心の人にあひにけり。うやうやしさの 息をつきたり

 

 山なかに、悸(イキドホ)りつゝ はかなさよ。遂げむ世知らず ひとりをもれば

 

 庭土に、桜の蕋(シベ)のはらゝなり。日なか さびしきあらしのとよみ

 

 かたくなにまもるひとりを 堪へさせよ。さびしき心 遂げむと思ふに

 

 うつそみの人はさびしも。すさのをぞ 怒りつゝ 國は成しけるものを

 

 水底に、うつそみの面わ 沈透(シヅ)き見ゆ。来む世も、我の 寂しくあらむ

 

 とまりゆく音のまどほさ。目に見えぬ時計のおもてに、ひた向ひ居り

 

 この家の人の ゆふげにまじりつゝ、もの言ひことなる我と思へり

 

 さ夜なかに 覚めておどろく。夜はの雪 ふりうづむとも 人は知らじな

 

 十方の蟲 こぞり来る聲聞ゆ。野に、ひとつ燈を守(モ)るは くるしゑ

 

 木の葉散るなかにつくりぬ。わが夜牀(ヨドコ)。うづみはてねと、目をとぢて居り

 

 歌集『海やまのあひだ』(大正14年[1925年]刊)から20首を抽き出した。折口の生存感覚をシンボリックによく伝える作品を列挙してみた。(明治37年頃から大正14年までの691首が収められたこの歌集は、逆年順で編まれている。抽き出した20首も逆年順である。引用は『日本近代文学大系 折口信夫集』より、旧漢字は適宜新漢字に改めた。 角川書店 1972年)

 

 ことさらな技巧を感じさせぬ素直な作歌であり、観念的に昂ぶったイメージを追い求めることのない、地に足の着いた〈写生〉態度が感受される。民俗探訪の旅における、熊野や壱岐といった場所の人々の暮らしや風景に触発された感慨を歌ったものが多い。

 しかし、これらの歌を数首も読めば、折口のタナトスの陰鬱な質感が読み手の身体を冷たく浸し始めることに気がつく。その冷たさをきちんと伝える激しさにもまた、気づき始める。並々ならぬ異形意識と、人の気配の無い風景を原郷として渇望するときの、「かそけさ」に向かってほとばしる屈折したパトスが、一見地味な写生にしたたかな生命を与えているように感じ始める。(この稿続く)

 

 

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