芥川龍之介と闇(連載第3回) 川喜田八潮

  • 2017.04.24 Monday
  • 12:33

 

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 このような芥川の世界視線は、彼の〈無意識〉を痛めつけ、身体感覚を冷え切ったものとし、その苦しみへの〈反動〉は、この作家を狂気の表現形態へと追いつめていった。

 行き着いた場所は、もちろん、遺稿「歯車」(昭和二年)に描かれた、関係妄想の無間地獄の風景であった。

 

「僕はこのホテルの外へ出ると、青ぞらの映った雪解けの道をせっせと姉の家へ歩いて行った。道に沿うた公園の樹木は皆枝や葉を黒ませていた。のみならずどれも一本ごとにちょうど僕等人間のように前や後ろを具えていた。それもまた僕には不快よりも恐怖に近いものを運んで来た。僕はダンテの地獄の中にある、樹木になった魂を思い出し、ビルディングばかり並んでいる電車線路の向うを歩くことにした。しかしそこも一町とは無事に歩くことは出来なかった。」(「歯車」二 復讐)

「僕は僕の部屋へ帰ると、すぐにある精神病院へ電話をかけるつもりだった。が、そこへはいることは僕には死ぬことに変らなかった。僕はさんざんためらった後、この恐怖を紛らすために「罪と罰」を読みはじめた。しかし偶然開いた頁は「カラマゾフ兄弟」の一節だった。僕は本を間違えたのかと思い、本の表紙へ目を落した。「罪と罰」――――本は「罪と罰」に違いなかった。僕はこの製本屋の綴(と)じ違えに、――――そのまた綴じ違えた頁を開いたことに運命の指の動いているのを感じ、やむを得ずそこを読んで行った。けれども一頁も読まないうちに全身が震えるのを感じ出した。そこは悪魔に苦しめられるイヴァンを描いた一節だった。イヴァンを、ストリントベルグを、モオパスサンを、あるいはこの部屋にいる僕自身を。……」(「歯車」五 赤光)

「この往来はわずかに二三町だった。が、その二三町を通るうちにちょうど半面だけ黒い犬は四度も僕の側を通って行った。僕は横町を曲りながら、ブラック・アンド・ホワイトのウイスキイを思い出した。のみならず今のストリントベルグのタイも黒と白だったのを思い出した。それは僕にはどうしても偶然であるとは考えられなかった。」(「歯車」六 飛行機)

「何ものかの僕を狙っていることは一足毎に僕を不安にし出した。そこへ半透明な歯車も一つずつ僕の視野を遮(さえぎ)り出した。僕はいよいよ最後の時の近づいたことを恐れながら、頸(くび)すじをまっ直(すぐ)にして歩いて行った。歯車は数の殖(ふ)えるのにつれ、だんだん急にまわりはじめた。同時にまた右の松林はひっそりと枝をかわしたまま、ちょうど細かい切子硝子(ガラス)を透かして見るようになりはじめた。僕は動悸(どうき)の高まるのを感じ、何度も道ばたに立ち止まろうとした。けれども誰かに押されるように立ち止まることさえ容易ではなかった。……」(「歯車」六 飛行機)

 

 あたかも目に視えぬ悪魔の嘲弄のように、作者の人生と運命を、死と虚無と不条理の不吉な想念によってギリギリと強迫的に締めつけてくる暗示的な出来事・風景の数々。

 その点綴・連鎖によって構成された己れの妄想的日常に対する、異様なまでの恐怖心。

 それが、「歯車」で私小説的に吐露された、芥川龍之介の地獄だった。

 吉本隆明は、晩年期の芥川が陥ち込んだ程度の関係妄想の世界は、「症状としてだけいえば、ほんの軽度なパラノイアや鬱病や分裂病者の世界にもおとずれるものであったろう」と述べ、芥川の場合痛ましいのは、症状そのものよりも、むしろ、己れの症状に対する極度の〈恐怖心〉であったと指摘している。

 

「ことに「歯車」では症状がありふれた関係妄想や幻覚と錯視なのに不安と恐怖との切迫性がはげしすぎている。人は誰でも精神がこの程度に病みつくことができる。そしてある識閾を超えたとき関係妄想の世界に入りこむことは有りがちである。けれどそのことは厳密にいえば不安や恐怖とは無関係な世界だといっていい。遭遇するあらゆる事象が偶然とはおもわれないように羅列されているとしたら、信じられる自己の存在が限りなく環をせばめようとしている証左である。そのために事象が欠けているときは存在しないのに創り出す(幻覚)ことをしなければならない。また代同物で置き代え(錯視)たりして補わなければならない。強い関係を渇望する心性が病んでいるからである。これだけのことを病者はすこぶる朗らかに、あるばあいには攻撃的にやってのけることができる。けれど芥川にはこんな有りふれた精神の病いが死に至る恐怖や不安でありえた。」(吉本隆明「芥川龍之介」『悲劇の解読』ちくま文庫1985年所収。)

 

「関係妄想の世界に入りこむこと」は、「厳密にいえば不安や恐怖とは無関係」であるという意見には、同意できない。芥川の場合、関係妄想の発生は、明らかに彼の実存的な〈不安〉に根ざしたものであるというのが、私の考えだからである。

 人は通常、己れを取り囲む世界が自分の存在に脅威を与えるようなものではないという、何の根拠も無い、漠とした〈安心感〉、すなわち、己れの存在が世界に親和的に包摂されているという無意識的な〈信〉の感覚を抱いている。

 人が正気でいられるのは、そのためである。だから、人は通常、己れの日常生活世界において接触する無数の存在・出来事・風景に対して、いちいち意識的な〈意味づけ〉をせずに、無意識的に、ごく自然に身体を動かし、行為することができる。

 しかし、晩年の芥川のような関係妄想の病者は、日常の中で遭遇する〈風景〉に対して、いちいち過剰な〈意味づけ〉をしないではいられない。それは、当人を取り巻く生活世界が、無意識的な〈安心感〉を与えることができていないからであり、己れの生が、得体の知れない不条理な〈カオス〉の中に浮遊しているという、漠とした〈不安感〉を抱え込んでいるからである。〈カオス〉の与える不安をなだめるには、たとえそれが、非合理的な悪しき関係妄想であろうとも、ともかく、当人の〈意識〉が納得できるなんらかの〈意味〉を与えることのできるような形に、遭遇する事象を組み変えてみせねばならない。

 「偶然」とは、この場合、病者にとっては、己れの生存そのものの〈意味〉を抹殺するほどの〈不条理性〉の表われとして感じ取られているからだ。

 世界そのものが、生命存在としての彼に根源的な〈安心感〉を与えてくれないのだから、「偶然」は、本来のすこやかな、敵意の無い、ただの「偶然」ではなくなってしまう。彼にとって「偶然」という〈無意味〉は、〈不条理性〉の別名でしかないのである。

 世界を信じられない者にとって、「偶然」は、関係妄想によって「意味づけ」られなければならないのだ。

「遭遇するあらゆる事象が偶然とはおもわれないように羅列されているとしたら、信じられる自己の存在が限りなく環をせばめようとしている証左である」という吉本の言葉を、私は、以上のような文脈で受け取ることにする。

 この場合、病者にとって最も怖ろしい事は、世界が、自分の存在となんの生命的・価値的な結びつきも持たない、ただの偶然的な客体として立ち現われるという事態である。

 たとえ不吉さを暗示する、何者かの悪意に満ちた関係妄想であろうとも、「偶然」という〈無意味〉に比べればマシなのだ。

 なぜなら、関係妄想であろうと、納得のゆく形に「意味づけ」られてさえいれば、病者は、(絶えず、悪意ある存在からの襲撃に備えねばならないという〈緊張〉を強いられてはいても)ともかく、己れの〈意識〉によってかなりの程度にまで統御しうる幻想世界の住人であり続けることができるからであり、それは、〈意識〉の統御を超えた、得体の知れない〈カオス〉の闇のただ中に、無意味な偶然的存在として漂流しているという無力な生存感覚に、あからさまに直面させられるよりはマシだからだ。

 関係妄想とは、だから、ある意味では、病者にとっては、生命存在としての一種の防御本能の表われなのである。

 だが、カオスの喚起する〈不安〉をなだめるための関係妄想は、芥川の場合皮肉なことに、その〈非合理性〉によって、かえって彼の不安を極限的な〈恐怖〉にまで励起させてしまった。

 私の考えでは、それは、芥川が、カオスの強迫的なイメージからの脱出の手だてを、〈身体〉によって開示される〈無意識〉の領域の「再発見」に求めるのではなく、ひとえに、理知的な〈意識〉による自我の統御という次元に求めたことによる。

 

 病者が直面している真の問題は、実は、関係妄想の内実にあるのではない。

 彼を包摂している世界風景というものが、彼の〈無意識〉に「生きてゆく」のに必要な世界に対する根源的な〈安心感〉を与えることができないほどに、不条理感の強い、反生命的な〈カオス〉としての表情を帯びるに至ってしまったことにある。

 それは、彼の資質的な〈生き難さ〉が、さまざまな条件によって不可避的に追い込まれてしまった、魂の地獄にほかならない。

 もちろん生き難さを醸成する要因は、生育環境や時代の風圧などに規定され、人さまざまである。それは、当人の持って生まれた生理的・動物的な〈血〉の濃さの度合や、胎乳児期から幼少期・思春期にかけての成長過程におけるトラウマ(心的傷害)の質と深さ、そして、ある意味ではそのパターン的な再現ともいえる、青年期以降におけるさまざまな人生体験の傷・挫折の累積などによって、左右される。傷とコントラストをなす、〈ぬくもり〉の体験・記憶のもつ象徴的な意味も重要である。

 だが、芥川の場合に、私がここでこだわってみたいのは、己れの〈生き難さ〉に立ち向かうための武器として形成された、彼の芸術家としての〈資質〉のもたらした痛ましさである。

 私の考えでは、晩年の芥川を苦しめていた、まがまがしい〈カオス〉への不安は、この作家が、現世の不条理に拮抗するための〈虚構〉の砦として択んだ己れの芸術世界というものを、ひたすら理知的な〈意識〉によって徹底的に自覚的に造型し、統御せんと試みたこと、そして、その虚構の砦を自らの〈棲み家〉となし、〈実生活〉を、己れの芸術上の言語=〈観念〉のフィルターを通して、いびつに(一面的に)規定せんとしたことに由来している。

 人生のダークサイドを凝視し続けたこの作家の行き着いたいびつな既成観念、地上的・散文的な世界視線の貧しさ、救いのなさが、彼の〈無意識〉を痛めつけ、無意識への窓口であった身体感覚を冷却させ、その〈振り幅〉を狭窄させていったにもかかわらず、〈意識〉なるものの芸術的優位性に、あくまでも神経症的に固執し、そこに唯一のプライドを置き続けたのだ。

 フローベルやボードレールをはじめとする、十九世紀後半以降のフランス近代作家の芸術至上主義の病理は、この作家の精神をとことん蝕んでいた。

 どんなに〈無意識〉が悲鳴をあげても、己れの深奥から立ち昇る非合理的で生命的な〈闇〉への渇き、〈本能〉の声を、正直にすくい上げることはできなかった。

 手に負えない〈無意識〉の悲鳴は、意固地なまでに、理知=〈意識〉の力によって強引に抑え込まれ、鬱屈した無意識の〈闇〉は、徹頭徹尾散文的で地上的なリアリズムの酷薄な目線に塗りつぶされた晩年期の芥川作品の〈空隙〉を衝くように、反生命的なまがまがしい〈カオス〉としての相貌を浮上させ、この作家の〈不安〉をかき立てたのである。理知に対する〈本能〉の反逆の叫びともいうべき、その得体の知れない〈不安〉に対して、彼の生命は、無意識のうちに〈関係妄想〉による生の〈意味づけ〉という形で防御的な対応に出ることで、意識の混乱を鎮め、カオスから身をかわそうと図るのだが、その〈非合理性〉は、逆に、「理知の権化」であるこの作家の意識を、異様なまでの〈恐怖〉へと追い込んでいったと考えられる。

 

     8

 

「合理的に見て、そんな事がありうるはずがない」と思われるような、不吉な出来事の連鎖による負の〈暗示〉。

 それは、どんな人間であっても、脅かされずには済まないものであり、とりわけ、理知の勝った者ほど、己れの合理的確信が揺らいだ時の〈恐怖〉は強烈なものとなる。

 私たち人間は通常、己れを取り巻く不可知なるカオス、未知なるカオスとしての世界に対して、大なり小なり、理知の行使による観念的な〈記号化〉と〈抽象化〉を施すことで、恐怖を〈解毒〉し、正気を保ち得ているといっていい。

 その〈解毒〉が通用せず、非合理的なカオスが突如として意識の前面に浮上する時、私たちは、観念的なヴェールを取り払われて、むき出しとなった〈生身〉の生存感覚を通して、ダイレクトに世界の〈表情〉に直面する。

 天変地異や生老病死の危機的な状況に直面させられた時、人はまさに、そのような精神状態に見舞われる。文明のコントロールをはるかに凌駕する大自然の猛威の前に、人間の無力さ・小ささを痛感させられ、己れの人生を己れの力で思い通りに仕切っているといったうぬぼれや、人智の合理主義的な尊大さを打ち砕かれる。

 その時、世界は、存在をつかさどる類的な〈無意識〉としての本性、普段は無意識の底に抑えつけられていた類的でアニミズム的な〈闇〉としてのダイナミズムの本性を浮上させる。生命と虚無の両義性をはらんで渦巻く、得体の知れない、渾沌たる〈闇〉の表情をとり、私たちの生存感覚を一気に呑み込んでしまう。幼児や少年の頃のような、存在と生身で交流し得ていた時の魂の息吹、ふるえが甦るのだ。

 それは、理知に対する、〈本能〉の反逆にほかならない。

 その少年のおののきのような感覚が浮上した時、既成の合理的な〈意識〉があくまでもその風景を拒絶せんとするなら、〈闇〉は〈意識〉に対して牙をむき、敵意に満ちた反生命的な表情をとり、〈不安〉をかき立てるだろう。そして、もし〈意識〉が、その実存的な〈不安〉を、芸術その他のなんらかの〈表現〉手段によって代償的に解消してやることができない場合には、〈意識〉は〈不安〉をなだめるために、自他に対する〈関係妄想〉やそれに伴う幻覚・錯覚といった非合理的な表現形式をとることで、自らを「補完」(フォロー)しにかかるであろう。精神病理という意識の「補完」形態もまた、〈不安〉と同様、〈闇〉の歪んだ代償表現なのである。

 しかし、非合理的な闇のカオスの浮上は、人を、アイデンティティー喪失の危機に陥れるが、同時に、偏狭な合理主義的身構え、すなわち地上的=三次元的な〈既成観念〉のとらわれを脱して、己れの生存空間を切り拓く、四次元的な新たな世界視線を獲得するための魂の試練ともなりうる。

 それは、身体感覚の〈変容〉を通じて、封印・凍結されていた〈無意識〉の次元を「再発見」することで、生存感覚を脱皮させ、生への肯定的なまなざしへとリンクさせることができるように、自我の「再構築」を図るという冒険的な試みなのである。

〈既成観念〉の皮膜がぶ厚くて、プライドの強い者にとっては、恐ろしくつらいことであり、また危険で困難なことでもある。

 旧い自我にとどまる方が楽だというのなら、それでもよいのだ。

 だが、晩年の芥川のように、その〈殻〉に閉じ込められる事が、狂気を招き寄せるほどの〈苦痛〉を強いられることになる、という者もいる。

 だとしたら、そのような場所に置かれた者は、自我の〈脱皮〉をめざしてたたかうしかないではないか。

 芥川には、しかし、不幸なことにそのたたかいは許されなかった。

 

 フロイトは、生命存在を無意識の根底から衝き動かしている、本能的な欲望や情念の次元、すなわち類的な拡がりをもつ〈闇〉のカオスの次元を「エス」と呼び、人間の「自我」を、「現実界」と「エス」と(親や社会によって植え込まれた抑圧装置である)「超自我」の三方の〈要求〉からせめ立てられて、「生きる」ために必死に「適応」を強いられている、哀れな存在とみなした。フロイト理論によれば、神経症やヒステリー、躁鬱病や統合失調症といった精神病理は、この「適応」に失敗した者が、「幼児期」や「胎乳児期」の心的段階へのエロス的な〈退行〉によって、己れのトラウマを疑似的に修復せんとする、苦しまぎれの試みだということになる。

 晩年の芥川が追い込まれたパラノイア的な関係妄想もまた、そのような神経症の一種であったようにおもわれる。(この稿続く)

 

 

 

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〈藤村操世代〉の憂鬱(連載第15回) 川喜田晶子

  • 2017.04.23 Sunday
  • 13:17

折口信夫の〈青あざ〉

 

「葛の花」の一首と同様の〈死〉の風景への憧憬は、次の歌にも顕著である。

 

 人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。旅寝かさなるほどの かそけさ

 

「葛の花」の歌ほど、〈死〉に鮮やかさを見ているわけではないが、この情景に感受した「かそけさ」に、折口が憧憬を抱いていることがわかる。

 人の生き死にと馬の生き死にとの重さに大きな違いを見出していない歌いぶりである。その違いを薄れさせてゆくかのような旅寝の重なりこそが主題とも見える。人も馬も旅の内に疲れ果てて死んでしまう姿を想い、己れもまた、旅寝を重ね、さらに重ねてゆくならば、いずれその果てに〈死〉へと静かに連続してゆくことが出来るのではないかと、どこか確信に満ちたまなざしが潜む。

 己れのタナトスに素直な折口の表現には、〈断絶〉をバネとして跳躍するような無理が無い。風景に、〈死〉へのなだらかな連続の相貌を見出した時のこの「かそけさ」には、むしろほっとした居心地のよい憧憬がすべり込んでいるといってもよい。

 

 山中(ヤマナカ)は 月のおも昏(クラ)くなりにけり。四方(ヨモ)のいきもの 絶えにけらしも

 

 このような情景も、折口の「悸り(いきどほり)」をそそっただろうか。山の奥深いところで面(おもて)を昏くする月。これもいわば月の〈死〉である。表面的な〈明〉に対しての〈暗〉ではなく、存在の内に抱え持つ〈死〉の時間を、人から遠く孤絶した山中という場所においてなら月が率直に見せてくれる。その瞬間の世界の気配の在りようを描き出しているのだ。

 月が〈死〉の相貌を見せる時間、四方のいきものもすべて命絶えてしまったかのように感じられる。個体としての命が「絶え」、種としても「絶え」るほどの、徹底した〈死〉の相貌を月が主導する。世界を月が統(す)べていることの気配を、〈死〉で統べられている時間の気配を、純粋に感じられる場所。その懐かしさに、折口は恍惚と身を浸していたであろう。

 

 山々をわたりて、人は老いにけり。山のさびしさを われに聞かせつ

 友なしに あそべる子かも。うち対(ムカ)ふ 山も 父母も、みなもだしたり

 

 山の人の暮らしに触れる時、折口は己れをエトランゼとして意識しもするが、彼らのさびしさが極限的な孤絶として感じられる折には、シンパシーを抱きもしたろう。山々を歩み渡りつつ老いてゆく姿。子どもには友もなく、対峙する山も父母も「もだしている」つまり沈黙している、そんな育ちをする子の姿。

 情愛の薄い家庭に育ち、都会の関わりと表層を接して生きている者には、この沈黙の内に育ち老いる姿への羨望があったろう。民俗の究極の姿に、折口自身の内なる孤絶を重ね合わせられる時の、しみじみとほの暗い幸福感が漂う。

 民俗学においては、肉体と魂、現世と他界の〈断絶〉の相を認識の根底に据えて〈まれびと〉〈妣(はは)が国〉を想定した折口であるが、短歌表現においては、素直な〈連続〉の相が浮上する。短歌という器に抱かれて、対象の内の、己れと同質のものへの率直なシンパシーが流れ出るかの如くである。

 

 庭土に、桜の蕋(シベ)のはらゝなり。日なか さびしきあらしのとよみ

 

 嵐によって桜の〈花〉が散ったことを折口は描かない。〈蕋〉が散っている情景への着眼は、〈花〉の全体から切り離されて生殖器のみがむき出しになった〈死〉への着眼とも見える。子孫を遺すことのない自己イメージの喩として、伝統的な〈桜〉とはおよそかけ離れた身体性の主張である。

「日なか」つまり真昼間の光によって、折口とは異質な日常の力強さにさらされて、眼前にはあらしに散らされた〈蕋〉がその本質をむき出しにしている。花を散らしたあらしの「とよみ」すなわち〈気〉のざわめきがまだ庭を満たしている。

 桜、蕋、日なか、あらし、とよみ、といったモチーフが、互いの異質さによって互いの不吉な本質を晒し合うかのような歌の姿は、現世と己れとの異質さによって、互いの本質を酷く晒し合っているような生存感覚をもつ折口だからこそ可能になるものだ。(このような近代性が、戦後の寺山修司の短歌表現に受け継がれ、己れの内なる土俗的・伝統的な体液と、戦後的〈前衛〉を主張する自我とが、互いの貧しい身体性を侮辱し合う劇的空間をどぎつく立ち上げることとなる。)

 

 水底に、うつそみの面わ 沈透(シヅ)き見ゆ。来む世も、我の 寂しくあらむ

 

 水に己れの貌を映してみる。水底に沈み透けて見える貌は、己れの現世における〈生〉の本質を映すにちがいない。そこには、現世の枠組みに縛られてひたすらに寂しい己れの本質が見える。巡り会うべきものと巡り会えない寂しさである。来世もまた、自分は同じ寂しさを背負って生きていることだろう。現世で巡り会えなかったなにものかと、来世で巡り会えるような〈生〉の本質を孕んでいるならば、水底の貌にはそれが見えて然るべきであろうから。水底の貌は、永劫の「巡り会えなさ」を露呈していたのである。

 折口には、己れの前世、現世、来世という連続の相の中で、現世の己れの相が、連続する〈永劫〉という時間軸の象徴であるかのような認識が潜んでいたようにおもわれる。その認識ゆえに、現世の本質が〈永劫〉の本質、ときには万象の本質と感受されてしまうのであろう。

 だから、折口の背負っている「のろひ」は、短歌という〈型〉の背負っている「のろひ」、とも認識されていたと感じさせるものがあり、その陰鬱な連続性が、啄木や白秋とは異質な近代性を実現しているのだと言えようか。啄木や白秋は、あくまで短歌という〈型〉との対立感をベースとして己れの近代性を主張すべく表現しようとした。そこには、伝統的な〈型〉のもつ幸福感からの疎外感情が如実なのだが、折口は、伝統的な民俗や〈型〉の原形質からの疎外感を持ちつつも、ひとたびその原形質に己れと同質の異形意識を見出すや否や、徹底した〈連続〉の相として歌い上げるという特異な資質が見られるようにおもう。

 折口の柳田への憧憬においても同じことが起こっていただろう。

 短歌という〈器〉は、己れの内の、世界への〈連続〉の相貌を委ねるにふさわしい〈器〉である。折口はそのことを無自覚に活かし切っているのだとも言えよう。

 

 とまりゆく音のまどほさ。目に見えぬ時計のおもてに、ひた向ひ居り

 

 暗いせいで眼前の時計が見えない、という生活の一コマを写生することによって象徴性を獲得した歌、というよりも、この歌は、初めから己れの宿命を刻む本質的な〈時計〉への対峙がテーマなのであり、眼前の時計を折口はいつも異次元の時計の象徴として見ているのである。折口は常にその異次元の「目に見えぬ」方の「時計」にひた向かっているのだ。ちょうど、水底の己れの貌が〈永劫〉の貌として己れの本質を露呈するように、眼前の時計の「とまりゆく音のまどほさ」は、そのまま異次元において己れの宿命を司り、徐々に間遠くなりながら終局に近づいてゆく時計のあり方なのだ。

 陰鬱な方向性ではあるが、〈短歌〉という〈型〉によって現実の振幅が押し広げられるときの本質的な力を、折口は身体的に素直に熟知していたようにおもわれる。

 

 さ夜なかに 覚めておどろく。夜はの雪 ふりうづむとも 人は知らじな

 

 夜なかにふと目覚めてはっとする。雪が降っている。その雪が、全てを降りうずめてしまっても、自分以外の者はだれも知ることはないであろう。

 この情景においても、〈雪〉は現実の雪であると同時に異次元の〈雪〉である。人の〈生〉の源に、人の〈生〉を呑み込み、埋もれさせてしまう、いわば「母なる〈死〉」をイメージする折口がいる。その「母なる〈死〉」は、この世の〈生〉を常に包摂しながら存在しているのであるが、世間の者はみな、この世の〈生〉だけを見て、生きている。「母なる〈死〉」の訪れとしての〈雪〉も眠ってやり過ごしており、その〈生〉を降りうずめられていることにも気づいていないのである。折口だけは、目覚めて〈雪〉の本質の姿を直視している。直視しながら、自分が、自分だけが、この〈雪〉に降りうずめられて〈雪〉の一部になってしまう感覚の恍惚と矜持に身を浸している。

「さ夜なか」の「さ」という接頭語は、語調を整えているだけではなく、ただの「夜なか」を異次元へとさらりと転換するかの如くだ。

 

 十方の蟲 こぞり来る聲聞ゆ。野に、ひとつ燈を守(モ)るは くるしゑ

 

 野に「ひとつ燈(ひ)を守る」とは、現世において「ひとり」を守る覚悟のことであろう。いたるところから「蟲」がその「燈」に向かって一斉に集まってきて、燈を掻き消そうとしているかのように感じて苦しい折口がいる。己れと異質な欲望を持ち、異質な〈生〉を全うする人々に満ちた世間というものを、化け物じみて感じてしまう瞬間の喩として解釈できよう。

 

 木の葉散るなかにつくりぬ。わが夜牀(ヨドコ)。うづみはてねと、目をとぢて居り

 

〈雪〉にうずもれることへの憧憬があったように、木の葉の中に夜牀(ヨドコ)をつくり、埋(うず)み果ててしまってくれ、と目を閉じる折口がいる。

 現世における己れの異形の輪郭に傷つき疲れた魂は、過剰な類的イメージへの埋没を希求し、自我の輪郭を融解し切って甘く虚無の内にまどろもうとする。

 それが許されない現世であるがゆえに、「うづみはてね」という激しさが一首を逆に屹立させる。

 沈潜していた女性原理が不意に鋭利に暴発する、〈藤村操世代〉の過剰さのさやばしる姿である。(この稿続く)

 

 

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近代批評の終焉―小林秀雄の病理をめぐって―(連載第3回) 川喜田八潮

  • 2017.03.28 Tuesday
  • 15:44

 

     4

 

 D・H・ロレンスの思想に傾倒し、激しい反近代主義的イデオロギーと、個を超えたナショナルな〈連帯〉を唱えた福田恆存もまた、本当は何ひとつ信ずるものをもたぬ、孤独で傲岸な近代主義者であった。

 彼も小林秀雄も、西欧近代の病理の泥沼、〈関係の解体〉にもとづく神経症的な修羅場の凄まじさというものを、早くから熟知していた。

 だからこそ、福田恆存もまた、小林秀雄と同じく、己れの〈仮面〉を剥がして真の自己自身へと到ろうとする近代文学の過酷な〈自意識〉の手法を拒絶し、「演戯」によって自らの生をひとつの幻想的な〈虚構〉として捏造(ねつぞう)しようとする「劇的人間」の生きざまを提唱してみせたのである。

 小林が、己れの自意識の苦しみから逃避するために、古今東西の偉人たちの〈宿命歌〉を鑑賞者的にうたい上げることで、己れの観念的な生の劇化された〈自画像〉を濫造してみせたように、福田もまた、「演戯」という独特の自意識の解体の手法を編み出すことで、彼なりの振幅の大きい〈自画像〉の投影による〈虚構〉としての生のドラマを描き上げたといってよい。

 福田は、そのユニークなハムレット論において、シェイクスピア劇に対する己れの解釈に則しながら、面目躍如たる演戯的人生観を披瀝してみせている。『ハムレット』の解題より引用してみよう。

「……ハムレットの最大の魅力は、彼が自分の人生を激しく演戯しているということにある。既にハムレットという一個の人物が存在していて、それが自己の内心を語るのではない。まず最初にハムレットは無である。彼の自己は、自己の内心は、全く無である。ハムレットは自己のために、あるいは自己実現のために、語ったり動いたりはしない。自己に忠実という概念は、ハムレットにもシェイクスピアにもない。あるのはただ語り動きたいという欲望、すなわち演戯したいという欲望だけだ。この無目的、無償の欲望はつねに目的を求めている。その目的は復讐である。決して自己実現などという空疎な自慰ではない。欲望の火はそんなものには燃えつかないのだ」「ハムレットは演戯し、演戯しながらそれを楽しんでいる。そのことはシェイクスピア劇の主人公すべてについて言えることで、ハムレットの場合、それが今日の私たちの眼には度を超えるほどに過剰だというだけのことに過ぎない。というのは、人生を演戯したいというハムレットの欲望は、復讐という目的を得て燃えあがるのだが、そうしてひとたび燃えあがった火は、今度は周囲のあらゆるものに燃えつき、それらを焼き尽そうとする。その激しい演戯欲のために、ハムレットは本来の自己を失う。もしそういうものが在りうるなら、彼は本来の自己を見失って、その他のあらゆるものになりうる。ハムレットは意地悪であり、無邪気であり、冷静であり、情熱的であり、軽率であり、慎重であり、上品な王子であり、下劣な悪友であり、信頼しうる人物であると同時に自分勝手なわがままな男でもある」「ハムレットを演じる役者には、ほんの一寸(ちょっと)した心がけが必要である。シェイクスピア劇においては、自分の役の内面心理の動きや性格をせりふから逆に推理し帰納して、その表現を目ざすという写実主義的教養は有害無益である。ハムレットの演戯法はハムレットに教わることだ。シェイクスピア劇の演戯法はシェイクスピアに教わることだ。そのハムレットは演戯し、演戯しながらそれを楽しんでいる。そういうハムレットを役者は演戯すればいい。演戯ということが既に二重の生であるがゆえに、そこには二重の演戯がある」「これは私の持論だが、人生においても、そのもっとも劇(はげ)しい瞬間においては、人は演戯している。生き甲斐とはそういうものではないか。自分自身でありながら自分にあらざるものを掴(つか)みとることではないか」

 まことに風格のある堂々たる文体で、小林秀雄の独我論的なもの言いに接する時と同様、そのいささかの躊躇(ちゅうちょ)も無い確信に満ちた押しの強さのために、ついうかうかと首肯してしまいそうになるが、ここには、福田恆存の病める近代人意識の自己投影としての歪められたハムレット像・シェイクスピア像が、はっきりと浮き彫りにされているといってよい。

 福田はここで本当は、ずいぶんとひどいことを言っているのだ。

 彼の論法では、実人生の生きがい=「演戯」=役者の生きざま=ハムレット的生ということになる。

 ハムレットの生きざまを「演戯」とみなすことは、もちろん、一つの解釈としては可能であるし、福田の自由な好みに則した解釈にすぎないが、それが〈実人生〉の本質を象徴するものだと言われると、ひどいもんだと言わざるを得ない。まったくもって、病める近代インテリの自己投影による不幸な人生観・人間観であると言うしかない。

 自己の本体を〈空無〉とみなす福田恆存の歪んだ人間観にもかかわらず、彼の訳したハムレット像は、(むろん、ウソっぽい、芝居っ気たっぷりの像ではあるが)生き生きとした、空疎なところのない人間像、われわれの〈生身〉の身体性をそれなりに見事に喚起し得る像になり得ている。つまり、優れた役者同様、ハムレットという〈憑き代(つきしろ)〉を得た時の福田恆存という翻訳者は、(希釈された形態ではあれ)己れの〈生身〉を内奥より呼び覚ますことができているのだ。

 しかし、それにもかかわらず、彼の〈本体〉は空無であり、彼はただ、作品を「演戯」する時にのみ、魂の宿る〈肉体〉の所有者の如く振る舞うことができるにすぎない。

 彼がハムレットの生きざまについて語ることは、あくまで、訳者の福田恆存自身の生きざまについての自己解釈とみなすべきなのだ。

 ドストエフスキーは、こういう病像を、『地下室の手記』において、四十歳の独身の退職下級官吏による一人称の独白という形式をとって鮮やかにえぐり出し、具象化してみせた。

 この「地下室」の主人公は、何十年もの間、人生の真の意味も、〈生身〉を賭けた活動の対象も、一切見い出すことのできぬまま、〈無為〉と熱病のような〈空想〉の海の中に漂っている。彼は、恐ろしいほどとぎすまされた〈自意識〉と過敏にふるえる繊細な感受性をもち、それがために、かえって、〈関係の貧困〉を神経症的に病み、一切の活動から遠ざけられ、孤独地獄の内に引きこもって一人悶々と過ごすほかはない。

 唯一、彼の慰みとなるのは、職場の同僚や往来で行き交う無数の人々に対して、空想をたくましくすることである。彼は、己れの鋭敏な心理学的観察眼と長年にわたって耽溺してきた文学や思想の世界によって醸成された認識と夢想と渇きの表現を踏まえて、種々さまざまな人物像を頭の中で物語的に「演戯」してみせる。

 しかしそこには、常に〈生身〉を欠落させた恐ろしい生存感覚の空洞が横たわっている。

 地下室の主人公は、その空洞を代償せんとして、信と不信、善と悪、美と醜の激しい〈相剋〉のドラマを空想的に「演戯」し、その引き裂かれた葛藤の〈痛覚〉によって生きる手ごたえを得ようともがいてみせるが、彼には、その演戯の底にある荒涼とした孤独地獄とたえず頭をもたげる〈退屈さ〉をどうすることもできない。時に彼は、その空虚さに耐え切れずに、発作的に、他人とのさまざまな偶然的な行きがかりを憑き代として、わざわざ自分に唾を吐きかけるような、醜悪で神経症的なトラブルを引き起こそうとする。

 自分のそれまでの毒念に満ちた境遇を打開するような女性との〈出会い〉も起きかかるが、結局、己れの生身の生を未知に賭け、〈生活者〉としての一歩を踏み出さんとする意志の喪失された地下室の主人公には、そういう良きえにしもまた、遠ざけられてしまうほかはない。

 彼は、「演戯」以外何も無い人生の中で、狂気とスレスレのところで、無機物の如き感覚に浸されつつ、緩慢な死へと向かう過程の内に囲い込まれ、蝕まれている。

 『地下室の手記』は、現在の私たちがじっくりと読み込んでも、思わず身ぶるいするほどの生々しい病理への洞察に満ち溢れた作品だといってよい。

 重要なのは、地下室の主人公にあっては、己れの本体が〈空無〉であることが、生の充実をもたらすような「欲望の火」を燃え上がらせる契機とはならず、逆に、一切の生きた活動から遠ざけられて、己れの孤立した内面の中で観念的な遊戯にふける以外何もできない生活不能者の場所を強いられる要因となっているという点である。

〈虚無〉に全身を蝕まれた人間には、そもそも、己れの体内から自然に湧き上がるみずみずしい「欲望の火」は封じられているのであり、観念的で不自然な努力によって自己の欲望を痙攣的にかき立ててやる以外に手だてがないのだ。

 福田恆存が「演戯」という概念に託した、一見情熱的な、虚構捏造(ねつぞう)のエネルギーに溢れた楽天的な人生の見取り図は、ドストエフスキーにあっては、正反対の意味をもつものとして、〈生身〉と〈血〉を欠落させたヴァーチャルな身体像として、冷徹な批判の対象にさらされている。

 ドストエフスキーは、「演戯」という、現世からの一見スマートな身のかわし方の深部に横たわっている、生活者としての根無し草的な生存感覚の〈空洞〉を、恐るべき認識力で洞察していた。

 この生の空洞こそ、ドストエフスキーが見据えていた、現代ロシアの深層に秘められた真の病理の実体であり、また、私たちの〈現在〉の病の核心につながるものでもある。

 自己の本体を〈空無〉とみなし、「無目的、無償の欲望」を備えた己れの空虚な身体を、仮構された「目的」意識に則して強引にエロス的にかき立ててゆこうとする福田恆存流の人生観は、一九八〇年代に日本のジャーナリズムを席巻したポスト・モダンの主張する欲望理念、己れの身体をありとあらゆるエロスの対象にひらかれた「n個の性」として拡散させてゆこうとするニヒリズムに酷似するものである。

 この空無化した身体観・自己像に根ざしたエロス的なニヒリズムが、消費社会のただれた享楽的感覚と結びついて、例の「おたく」とよばれる病める流行語を産み出したことは、記憶に新しい。

 福田恆存も小林秀雄も、今日のポスト・モダンの知識人たちや「おたく」の連中とは比較にならないほどの優れた人間認識・文学観の持ち主ではあるが、彼らの準備した理念が、〈自己喪失〉を代償として〈虚無〉の波間に漂いながら、舌なめずりするように「鑑賞」したり「演戯」したりすることで人生を意味づけようとする、アイロニーに満ちた病める近代主義の産物にすぎないものである以上、彼らの理念から今日のポスト・モダンまでの道は、実は、地続きなのである。

 

     5

 

 私の考えでは、『ドストエフスキイの生活』の「序」で展開されたような文学理念・世界観こそが、昭和初期から敗戦・戦後社会を経て現在に至るまでの、〈現代〉という近代の病理の極相の時代を、常に深層から支配しリードし続けてきた隠されたイデオロギーであり、世界視線だということになる。

 それは、現代日本文学と思想の根底を貫き、呪縛してきた不幸で狭隘な固定観念であり、不信と毒念に満ちた痛ましい生存感覚である。

 そこに流れる焼けただれたような虚無の意識、絶望的でありながらも、それゆえにこそはなはだ感傷的でもあるニヒリズムこそ、敗戦後から現在に至るまでの多くの第一級の文学者・思想者たちのパトスを支えたものにほかならず、小林秀雄が「近代批評の祖」と評される真の所以(ゆえん)を示すものにほかならない。

 彼の影響を直接受けようが受けなかろうが、この本で展開された小林の認識論の〈型〉こそが、〈現代〉という時代の病を根本的に規定するものなのである。

 たとえば、小林とは種々の点で異質な、ある面では対立者ですらある埴谷雄高の〈虚体〉の理念、彼の現世と実生活への凄まじい呪詛、現世の不条理へのどす黒い偏執は、『ドストエフスキイの生活』の「序」における認識論といかに激しく共振していることか。

 そしてまた、戦後の左翼世代の魂を呪縛してきたサルトルの『存在と無』や吉本隆明の認識論・存在論は、なんと小林的世界観に似ていることか。

 たとえば、『心的現象論序説』で展開された、生命を無機的な物質世界からの「原生的疎外」としてとらえる吉本隆明の思想は、一面では、ヘーゲル=マルクス的存在論(ないしはフロイト的存在論)の継受であるが、他方では、はなはだ小林秀雄的なのである。(ちなみに、ヘーゲル=マルクス的な意味での〈疎外〉という概念は、ある存在様式に対する異和=〈抵抗〉の表現であると共に、その抵抗に対する〈打消し〉の表現として使われる。例えば、「生命は存在からの〈疎外〉形態である」という命題は、生命は、無機的物理的な存在形態への〈抵抗〉としての、有機的な秩序創造のエネルギーによる〈生〉の表現様式であると共に、その抵抗を解消して無機的自然に回帰せんとする〈死〉の欲望のあらわれでもある、という意味になる。)

 私のみるところでは、吉本の幻想論には、根底において、人間世界を、互いに逆立し合う地上的=物質的・形而下的世界と天上的=幻想的(観念的・形而上的)世界に二元的に分裂させ、生命・精神・意識を存在からの疎外形態に由来する幻想領域として規定しようとするマルクス的認識論が横たわっているようにおもえるが、それは同時に、既に私たちが見てきたように、小林秀雄の芸術=表現理念(生命=生活理念)にもつながるものなのだ。小林が、人間の生きる営みを、「自然を人間化する能力」としてとらえ、〈芸術〉を、本来われわれ人間とは無関係に存在する無意味な自然に立ち向かい、これを幻想的に超えんとする主観的努力の産物とみる思想は、マルクス・フロイト・サルトル・吉本らの理念に通底するものなのである。

 そこには、〈存在〉の本質を生命的・流動的なコスモスとしてとらえ、私たちの生きざまや魂のあり方と緊密につながるものとみなすようなまなざしは微塵も無く、非人間的な因果律的法則にのみ従う非情で無意味なカオスとしての物理的自然と、主観的幻想(幻影)としての精神という、(主としてユダヤ=キリスト教的世界観に由来する)西欧的二元論が、頑とした先入観として横たわっている。

 こう言ったからといって、私はなにも、吉本隆明の共同幻想・対幻想・自己幻想という三次元から成る幻想論体系を認めないというわけでは毛頭ない。彼が、人間の精神領域をこれら三つの次元に区別して、その相互の関係を基軸に据えて、国家の起源や、共同幻想に抗う〈個〉としての思想的な自立をめぐる問題をはじめ、文学・思想上の種々の本質的課題について展開してみせた考察の数々に対しては、私も深い畏敬の念をもつものである。 私は、吉本を過大評価したりカリスマ視するような、いわゆる「吉本主義者」なんぞでは決してないが、それでも、私は私なりに吉本思想とのシャドウ・ボクシングによって思想的な〈単独者〉としての自覚を形成してきた人間の一人であり、彼の仕事の細部に対する自分なりの思想的な評価尺度はきちんと持ち合わせているつもりである。*

 しかし、今は、吉本の具体的な仕事のあれこれのもたらした思想的な功罪を論じようというのではない。

 

 *私自身の「吉本隆明論」は、雑誌「道標」(人間学研究会発行)に掲載された「闇の水脈―日本近代詩人論4 吉本隆明」(「道標」6号 二〇〇四年)において、簡潔ながら総括的に展開しているので、参照頂ければありがたい。

 人間学研究会:〒862−0952 熊本市東区京塚本町55−8

 辻 信太郎 方 筺090-9401-5899

 メールアドレス tsuji-shin@lib.bbiq.jp

(ちなみに、私は、この雑誌の3号〜8号、10号〜11号の計八回にわたって、「闇の水脈―日本近代詩人論」というタイトルで、戦前・戦後の六人の詩人たち(萩原朔太郎・金子光晴・中原中也・吉本隆明・谷川雁・寺山修司)の作品を論じている。関心のある方は、注文してお読み頂ければ幸甚である。)

 

 私がここで問題としているのは、あくまで、小林や埴谷や吉本のような、昭和初期以降、特に戦後社会に思想的な〈鉄人〉として君臨しカリスマ性すら獲得してきた知識人たちの、思想の根底に横たわっている認識論=存在論の基本的な〈枠組〉〈型〉のことなのである。お望みなら、彼らのように、生命や人間の精神領域を、自然からの〈疎外〉形態として規定するのもよかろう。

 ただしそれは、〈意味〉や〈価値〉を剥奪された、自然科学的因果律と確率論に支配される、不条理でメカニックな実体(客体)としての〈自然〉という唯物論的な存在概念と、それに対する打消しとしての主観的幻想的な精神世界という物心二元論を、不可欠の前提とするものではない。

 存在に対するあらゆる〈意味づけ〉〈価値づけ〉を剥奪され、生きる意味の根拠の一切を〈自由〉という美名の下に解体させられてきた近代の極北の場所にあるわれわれにとって、そのような二元論は、もはや、時代遅れの産物でしかない。

 人が人生という苛酷な試練を生き抜いてゆけるのは、無意識の深部に、世界=存在に包まれてある〈肉〉としての己れ自身の運命に対するなにがしかの非合理的な〈信頼〉の感覚を備えているがためである。いかなるニヒリストといえども、心中ひそかに抱いている己れ自身の生へのこの漠とした信頼の念なくして、決して生き続けることはできない。

 この信頼感覚の形成条件は、その人のもって生まれた動物的な〈血〉の濃さの度合と、胎乳児期から幼児期に刻印された(親との関係を中心とする)種々の対人的・対環境的な〈傷〉とそれとコントラストをなす〈ぬくもり〉の記憶(イメージ)、それに、(ある意味では、そのパターン的な〈再現〉の繰り返しでもある)児童期・思春期における世界体験の質によって左右されると考えることができよう。

 私のみるところでは、わが国の場合、この生存感覚をすこやかに形成し得る条件は、一九七〇年前後の高度経済成長完成以後の社会において致命的な破壊をこうむっており、とりわけ、七〇年代後半の高度消費資本主義社会の形成と八〇年代以降におけるその爛熟によって、ほとんど壊滅的な状態に追い込まれたといっても過言ではない。

 現在の三十代前半より下の世代(一九六〇年代半ば以後に誕生した世代)、とりわけ、十代から二十代初めの青少年たちにあまりにもしばしば見受けられる、生存感覚の稀薄さをまざまざと示すグロテスクな事件やふるまいが、なによりも、それを証明しているようにおもえる。

 青少年たちにあっては、おそらく、成長過程において受けた〈傷〉の大きさに比して、それとコントラストをなす〈ぬくもり〉の記憶は、あまりにも稀薄なのである。

 もし、私たちの〈現在〉が、「生きる」力を生み出す源泉としての生に対する信頼感覚を形成する土台となる〈ぬくもり〉の記憶・世界体験を、大きく損なうような条件のもとにあるとすれば、〈存在〉に対するあらゆる人間的な〈意味づけ〉〈価値づけ〉を剥奪し、〈自由〉の美名のもとに一切の生きる意味の根拠を解体してきた(ポスト・モダンの言説に至るまでの、西欧的な物心二元論の流れを汲む)近代主義的イデオロギーは、もはや、完全に時代遅れの反動的なしろものに成り下がったといってよいであろう。

 なぜなら、生きる上で最も肝心な、世界への無意識的な〈信頼感〉がいちじるしく稀薄な人間に向かって、〈存在への不信〉に根ざした価値破壊のニヒリズムを不断に注ぎ込むことは、その人間に「死ね」と言っているようなものだからである。たとえそれが、自殺だろうと、緩慢な自死に等しい廃人への道だろうと、同じことである。

 しかも、事態はなにも青少年に対して当てはまるだけではない。かつては暖かい血縁・地縁的風土の中で種々の生きた哀歓の記憶を累積してきた中高年においても、今や、このような近代主義的ニヒリズムのイデオロギーは、苛烈な産業社会の渦中で疲労困憊し片時も安らぎを得ることのない彼らのすり切れた魂に隠微に浸透し、老醜と無機的な死の強迫観念に苦しむ「更年期障害」を悪化させる猛毒と化しているのである。

 人々は、何ひとつ信ずるものをもたない己れの生存感覚の恐ろしい空洞と孤独地獄から眼をそらしたままで、それを代償せんとするかのように、社会的な業績や富や地位や虚名の追求にのめり込んだり、賭け事や不倫に溺れたり、ボランティアや趣味・道楽に精を出したりしているが、私には、それらはすべて、肝心の生の内燃機関無しに己れの身体を強引に燃え上がらせようとする痛ましい悪あがきのようにおもわれてならない。

 人それぞれなのだから、仕事に精を出すのも、富や地位を追求するのも、ボランティアや趣味・道楽も大いに結構である。

 しかし、私たちの〈近代〉が長い年月をかけて人々の無意識の奥深く浸透させてきた無機的な〈死〉の感触に拮抗し、これを癒すことのできるような世界風景の変容なくして、いかなる生きる営みも、真の魂の安らぎを与えてはくれまい。

 今、われわれに真に必要なのは、存在を〈虚無〉に求めるような認識論ではなく、われわれ自身をも含む存在=自然を、生命的なコスモスの場として蘇生させるような全く新しい世界視線なのである。それも単なる哲学的思弁や知識人的鑑賞なんぞではない、〈生活〉という営みに根ざしたみずみずしい生身の生存感覚として獲得されるべきものなのである。

 ある意味では、自然=存在からの〈疎外〉形態であり、それへの打消しでもある生命や精神といった働きが、それ自体、新たな生ける〈存在〉の一部として、森羅万象との間に、コスモスとしての神秘な〈意味づけ〉を誕生させ、創造してゆく。

 それが、死と虚無のカオスへの抗い=克服としての〈存在〉それ自体のはらむ闇と光の光芒のドラマであり生命や人類の進化の本源的なあり方である、とみなすような生存感覚を、私たちは必要としているのではあるまいか。

 私が、澄み切った冷気のもとで木洩れ日に輝く冬の山道をひとり歩く時に出会う老樹の一本一本のふしくれ、陰翳、精妙な〈表情〉のひとつひとつは、決して、私という〈主観〉のみが創り出す幻影でもなければ、対象たる樹木という〈客体〉に由来する単なる物理的反映でもない。

 その樹木と私とそれを取り巻く環界との、一瞬一瞬の絶対的に固有な〈出会い〉の場が産み出す、神秘なコスモスの顕われにほかならないのである。

 私の足が一歩一歩ゆっくりと踏みしめる大地と私の全身の血の脈動との生ける接触もまた、同じ本質をもっている。

 私たちという主体は、世界という客体との間に、不断の生命的な〈意味づけ〉を創りながら、日々、世界と共に生成しているのである。

 このような生存感覚においては、日月星辰の輝きや風の息吹もまた、私たちの魂に応じて表情を変えるばかりでなく、事実、存在としても変容してゆくのである。

 たかが二・三百年の小ざかしい散文的精神に毒されてきたわれわれ近代人とは違い、前近代の民は、何千年もの間、こういうコスモスとしての生存感覚を生き生きと保ち続けてきたのである。

 西欧近代科学によってもっともらしく武装された物心二元論的な〈観念〉のとらわれを脱し、私たちは、再び〈生身〉の皮膚感覚に根ざした全く新たな世界へのまなざしに向かって、力強く踏み出すべき時代にさしかかっているのではないだろうか。

「近代批評の祖」としての小林秀雄と彼の同類たち、それに彼らの影響を受けた後続するさまざまな現代知識人たちの群れが注入した隠微な毒は、六十年の歳月をかけて日本人の体内深く浸透し、われわれの魂をほとんど瀕死の状況にまで立ち至らしめた。

〈近代〉という不信に満ちた根無し草の生がもたらす砂粒のような魂の地獄をくぐり抜けたわれわれは、もはや、このような〈観念〉の毒をきれいさっぱりと洗い流す、長い〈浄化〉の時代に入ってもいい頃だ。(了)

 

 

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芥川龍之介と闇(連載第2回) 川喜田八潮

  • 2017.03.18 Saturday
  • 18:30

 

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 かつて芥川龍之介は、処女小説「老年」(大正三年[一九一四]作)において、次のような描写を紡ぎ出すことができていた。

 

「長い廊下の一方は硝子障子(ガラスしょうじ)で、庭の刀柏(なぎ)や高野槙(こうやまき)につもった雪がうす青く暮れた間から、暗い大川の流れをへだてて、対岸のともしびが黄いろく点々と数えられる。川のそらをちりちりと銀の鋏(はさみ)をつかうように、二声ほど千鳥が鳴いたあとは、三味線の声さえ聞えず戸外(そと)も内外(うち)もしんとなった。きこえるのは、藪柑子(やぶこうじ)の紅い実をうずめる雪の音、雪の上にふる雪の音、八つ手の葉をすべる雪の音が、ミシン針のひびくようにかすかな囁きをかわすばかり、話し声はその中をしのびやかにつづくのである。」(「老年」)

 

 暗い大川の流れを背景に、人生の究極の寂蓼を深々と包摂しながらどこまでも静かに息づく、しんしんとした「雪の音」の描写は、繊細この上ない、豊饒な〈闇〉の気配を立ち上がらせている。

 息を呑むほどに美しい、完璧な叙景であり、その叙景は、たしかにアララギ派的な意味での近代的な「写生」には違いないが、その写生によって実現された表現の内実は、むしろ前近代的な、主・客の融合した土俗的な闇の伝統を感じさせる。

 安藤広重の描いた浮世絵「東海道五十三次」の「蒲原(かんばら)の図」を彷彿(ほうふつ)とさせるひとこまであるといっていい。

 ここに描かれた寂静(じゃくじょう)の風景は、作者自身の魂の〈孤独〉を象徴するものであると同時に、この短篇小説の主人公である「房さん」という、若い頃から放蕩と遊芸に明け暮れた生活破綻者的な老人のうらぶれた孤独な余生の風貌と重ね合わせられている。

 料理屋の奥にある無人の座敷の中で、置炬燵(おきごたつ)にあたりながら、猫を相手に、ひそひそとなまめかしい「芝居」の口説き文句をつぶやいている「房さん」の孤影を、しんしんと降り続く雪と闇の気配が優しく深々と包み込んでいる。

 初期の「大川の水」「老年」と晩年の「大導寺信輔の半生」「玄鶴山房」の間には、めくるめくような〈落差〉があるといっていい。

 芥川龍之介の文学活動のすべてが、この〈両極〉の間に位置づけられるように、私には感じられる。それは、「大正期」という資本制近代が膨張をとげてゆく時代、大衆の前近代的な土俗共同体社会が温存していたコスミックな〈闇〉の感覚が、アトム化の風圧の中で急速に蝕まれ、衰弱を余儀なくされていく時代の病理を象徴するものでもあった。

 しかし、私はここで、芥川作品のあれこれを具体的に取り上げて、この作家の文学世界の全体像を俯瞰的に論ずる気は毛頭ない。それは、吉本隆明や磯田光一、中村真一郎をはじめとする過去のさまざまな論客たちによる優れた芥川論の数々に任せておけばよい。

 私のこだわりは、ただ一つ、芥川龍之介における〈闇の喪失〉がもたらした悲劇のかたちにある。あるいは、生命的でコスミックな〈闇〉から、ダークでいびつな〈闇〉への変容の本質を問うことにある、といってもよい。

 改めて言うまでもなく、芥川龍之介は、ひたすら人生の地獄を見つめ続けた作家である。

 胎乳児期から幼少期にかけて深いトラウマを抱え込み、成長過程における家族及び自他に対する関係意識の障害感に苦しんだ作家だった。その中で形成された不幸な〈資質〉は、彼に、己れ自身も含めて、人間という生き物のあらゆる型の偽善、偏見、エゴイズム、愛への不信と嫉妬といった諸々の卑しさや脆さへの鋭い観察眼を磨かせた。彼は、西洋近代文学の写実主義の文体を活かして、歴史物と現代物の両面にわたって、己れ自身の異和と渇きのありかを、多種多様な〈虚構〉の物語を通して華麗なパノラマのように象徴的に描き上げてみせた。優れたエンターテイナーとして、その天才ぶりをいかんなく発揮した。

 しかし、人生の不条理と地獄の実相を見つめれば見つめるほど、彼の神経は繊細にとぎすまされ、〈自意識〉は観念的に肥大化していった。

 そして、それとは対照的に、〈身体〉は硬直し、冷え切っていったのである。

 文学(芸術)という、彼が現世の不条理から身をかわし、現世に拮抗するために、そこの住人になりたいと切望していた〈虚構〉の砦は、作家活動の初期には保持し得ていた、彼のすこやかな身体性を完全に呑みつくし、枯渇させてしまった。

〈個〉の深奥に息づきながら、個の輪郭を超えて森羅万象へと拡がる、〈類〉的な生存感覚、すなわち深々とした生死一如の〈闇〉の母胎へとリンクする彼の〈無意識〉のゆたかな領域は見失われ、無意識への窓口であった彼の身体感覚の〈振り幅〉は、急速に狭められていったのだった。

 それは、芥川の成長過程を包み込み、彼の魂の〈下地〉を培ってきた、江戸後期文明の流れを汲む下町共同体的な〈闇〉の感覚が、彼の内部で崩壊にさらされ、まがまがしい、ダークでいびつな相貌へと変質をとげていった事を意味している。

「大導寺信輔の半生」に描かれた陰惨な「百本杭」の記憶は、その崩壊と変質の象徴であり、冷え切った身体と地獄図と化した世界風景の中で、改めて、この作家の〈原風景〉のように立ち顕われてきたようにおもわれる。

 

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 晩年の芥川龍之介の世界風景が、主・客の分離を前提とする、西洋近代科学的な客観主義的・合理主義的精神、すなわち物質主義的精神によって、いかに狭窄されたものと化していたか。意識を酷薄な地上の散文的・三次元的現実に緊縛されることで、いかに魂を痛めつけていたか。

 それは、例えば、昭和二年(一九二七)三月の作品「誘惑」に綴られた、次のような心象風景の一節にも、端的に表われている。

 

「星ばかり点々とかがやいた空。突然大きい分度器が一つ上から大股に下って来る。それは次第に下るのに従い、やはり次第に股を縮め、とうとう両脚を揃えたと思うと、徐(おもむ)ろに霞んで消えてしまう。」

「月の光を受けた樟(くす)の木の幹。荒あらしい木の皮に鎧(よろ)われた幹は何も始めは現していない。が、次第にその上に世界に君臨した神々の顔が一つずつ鮮かに浮んで来る。最後には受難の基督(キリスト)の顔。最後には?―――いや、「最後には」ではない。それも見る見る四つ折りにした東京××新聞に変ってしまう。」(「誘惑」)

 

 晩年の芥川の<意識>を規定し、染め上げていた世界風景が、コスミックなゆたかさを奪われた、無意味で荒涼とした物質主義的現実でしかなかったことが、よくわかる。

 また、大正十二年から死の年の昭和二年にかけて綴られたアフォリズムの集成「侏儒の言葉」の冒頭の一節「星」には、次のような言葉が記されている。

 

「太陽の下に新しきことなしとは古人の道破した言葉である。しかし新しいことのないのは独り太陽の下ばかりではない。/天文学者の説によれば、ヘラクレス星群を発した光は我我の地球へ達するのに三万六千年を要するそうである。が、ヘラクレス星群といえども、永久に輝いていることは出来ない。いつか一度は冷灰のように、美しい光を失ってしまう。のみならず死はどこへ行っても常に生を孕(はら)んでいる。光を失ったヘラクレス星群も無辺の天をさまよう内に、都会の好い機会を得さえすれば、一団の星雲と変化するであろう。そうすればまた新しい星は続々とそこに生まれるのである。/宇宙の大に比べれば、太陽も一点の燐火(りんか)に過ぎない。況(いわん)や我我の地球をやである。しかし遠い宇宙の極、銀河のほとりに起っていることも、実はこの泥団(でいだん)の上に起っていることと変りはない。生死は運動の方則のもとに、絶えず循環しているのである。そう云うことを考えると、天上に散在する無数の星にも多少の同情を禁じ得ない。いや、明滅する星の光は我我と同じ感情を表わしているようにも思われるのである。この点でも詩人は何ものよりも先に高々と真理をうたい上げた。/真砂(まさご)なす数なき星のその中に吾に向ひて光る星あり/しかし星も我我のように流転を閲(けみ)すると云うことは―――とにかく退屈でないことはあるまい。」(「星」)

 

 痛ましい宇宙観である。ここで語られている星々へのまなざし、存在へのまなざしは、一見、「大川の水」で活写された、生死の両義性をつかさどる、不可知なるコスミックな渾沌=闇へのまなざしと同型のものに見えるが、実は、完全に対極にある生存感覚を表わしているといっていい。

 ここに描かれているのは、無限大の宇宙に対する存在の〈無意味さ〉を強調する視線、すなわち、森羅万象を物理法則による因果律に規定された物質の必然と偶然の運動に解消し、存在から一切の意味と価値を剥奪せんとする、(西洋近代科学の暗黙の〈前提〉=作業仮説となっている)アトミズム的な機械論的世界観にほかならない。

 いわば、地動説的視点から、地球と人間存在を相対化し、無意味な物質的存在へと卑小化せんとする、(今やわれわれ現代人の固定観念と化している)陳腐きわまりないイデオロギーにすぎない。そこでは、地球は、大宇宙から視れば一天体にすぎない太陽系の中のゴミのような惑星であり、人類などは、そのゴミの上に「たまたま」繁殖した一種の雑菌のような存在にすぎない。

 宇宙における生死の両義性・循環を強調しようと、一見東洋思想めかした諸行無常の理念を称えようと、ここにみとめられるのは、人生の意味を根源的に抹殺するニヒリズム以外の何物でもない。近代人は、こんな怖ろしいニヒリズムを、百年以上も、後生大事に崇め奉ってきたのである。ルネサンス以後の歴史から振り返れば、四百年以上にもなる。

 私たちは、このような地動説的イデオロギーなるものをきれいさっぱりとぬぐい去って、正しき天動説的世界観を取り戻すべき時代にさしかかっているのではあるまいか。

 それが、私の思想的な立場である。

 近代人は、地動説が正しくて、天動説が誤っていると思い込んでいるが、それは大きな間違いである。

 地動説か天動説かというのは、私たちの〈立ち位置〉の問題にすぎない。

 地動説とは、太陽に存在の中心を置いた時に視られた、太陽系の星々の運動形態の事に過ぎず、天動説とは、地球上の、私たちの住む大地を中心にしてみつめられた大いなる星辰の配置と動きの姿にほかならない。どちらに存在の中心を置くかという〈立ち位置〉の問題であり、中心軸の置き方によっては、どちらも正当な視点となりうる。

 さらに言えば、太陽系といえども、銀河系から視れば、その一小部分にすぎず、銀河系も、さらに巨きな宇宙から視れば微々たるものとなるのであるから、中心軸の置き方を変えれば、太陽を中心として世界を視る地動説も、太陽系以外の銀河系の天体から視れば、ひとつの天動説的視点の表われにすぎず、銀河系を中心とする視点もまたしかりである。

 地動説的視点の確立とは、実は、銀河系内外のあらゆる星雲の中心軸を相対化することに通じているのである。私たちが、天動説的視点を放棄して、地動説的視点に移行することは、そのまま、私たち人間の存在の中心を、大宇宙の中に解消することを意味する。自然科学によってのみ探究可能なこの物理的な大宇宙なるものは、かつて天動説の時代に、人間の生に意味と価値を与えていた生命的で神秘的な象徴的存在であるコスモスとは違い、ただのメカニックなユニヴァースでしかない。

 私たちは、地動説によって、いつしか、己れの存在の根拠を、ユニヴァースという〈虚無〉の内に解消してしまっている。

 だから、中心軸をどこに置くかということは、実は、真理性の問題ではなく、私たちの生きざまを支える〈価値観〉の問題なのだ。

 地動説的イデオロギーが致命的なのは、それが、存在から意味と価値を剥奪するアトミズム的・機械論的な世界観を内包しているからであり、近代科学の諸成果が、その西洋近代的なイデオロギーを作業仮説とする探究によってもたらされ、物理学・化学・医学を中心とする、宇宙の物質的側面のみを一面的に肥大化させた知識の数々によって、あたかも、機械論的な宇宙観こそが正当であるかのごとき〈錯覚〉を、私たちに植えつけてしまったからである。

「大宇宙に比べれば、地球も人類もゴミのような存在にすぎない」という強迫観念は、極大の膨張宇宙から、微生物以下素粒子に至る極小の宇宙までも包み込む、存在そのものへの〈蔑視〉、ニヒリズムの感覚に通底するものである。

 芥川もまた、この手のニヒリズムにいや応もなく屈服させられながらも、それに対してささやかな〈異和〉を表明している。

 

「もしいかなる小説家もマルクスの唯物史観に立脚した人生を写さなければならぬならば、同様にまたいかなる詩人もコペルニクスの地動説に立脚した日月山川を歌わなければならぬ。が、「太陽は西に沈み」と言う代りに「地球は何度何分廻転し」と言うのは必(かならず)しも常に優美ではあるまい。」(「唯物史観」、「侏儒の言葉」より)

 

 芥川の言葉を笑うことはできない。現代人は、今日、「日食」も「月食」も、コスミックな神秘・啓示として、〈畏怖〉の念をもって受け取るだけの感受性を持てず、それらを物理的な天体現象としてしか視ないではないか。

 現代人にとって、森羅万象は、己れの生と何のコスミックな結びつきも有しないのである。

「大導寺信輔の半生」に描かれた「大川端」の風景が、「大川の水」で活写された、コスミックな闇のふくらみとは似ても似つかない、散文的・物質的な地獄図にすぎなかったように。

 

     6

 

 このような近代主義的ニヒリズムを根底から払拭するには、私たちは、正しき天動説的視点を取り戻さなければならない。

 すなわち、私たちの存在の中心を、己れの固有の〈生活〉という大地の上に据え直さなければならないのだ。

 日々マスコミをにぎわす世界情勢や時事問題の知識などに、生活意識を回収されるようなことがあってはならない。

 私は、ここで「正しき」天動説と断っている。

「正しき」とは、己れの固有の天動説のみを善しとする独善に陥らぬことである。

 己れと同様に、己れ以外のすべての他者にも、各々の固有の手作りの「天動説」を構築してほしいという希い・理想を抱くことである。

 それは、決して価値観の相対化をとなえるものではない。

 自分は、自分の信ずる、自分なりの天動説を生きればよいのだ。

 ただし、他者のいのちの固有性というものを、どこまでも尊重するということだ。

 そして、いかなる意味でも、他者の魂を「強制」しないこと、またされないことだ。

 己れの天動説を、責任をもって「主張」することは、かまわない。

 当方の主張を「強制」と感じるかどうかは、受け取る人の自由だ。

 こちらには「強制」する気は毛頭ないのだから、後は、メッセージを受け取る人の「責任」だし、また「器」次第である。

 その事を前提とした上で、私はここで、私なりの「天動説」をごく簡略に提唱してみたい。

 まず、私たちは、己れの固有の〈生活〉を通して日々みつめられる、生きた〈風景〉の内に、美しき〈意味〉と〈象徴〉とを見出すことができねばならない。

 ささやかな草花や樹木や動物たちの中に、存在の繊細な気配の移ろいの内に、そして、月や日輪や星辰の輝きと息づかいの中に。

 さらにまた、日々の労働・労役の手応えと疲労とささやかな癒しやいこいの中に……。

 私たちの固有の生活小宇宙(コスモス)は、実は、無限を映す鏡なのである。

 私たちの意識世界は、存在としての個の殻を超えて、類的な〈無意識〉の闇の世界(コスモス)とつながっている。同朋とつながり、風土とつながり、人類とつながり、森羅万象とつながっている。意識などは、その広大無辺な〈闇〉の中に浮かぶ「氷山の一角」にすぎないのだ。

 だが、私たちは、意識という〈風景〉の中で、日々、無数の存在と精妙な〈出逢い〉を果たしており、その〈出逢い〉は、私たちの意識的・合理的な了解能力などをはるかに超えた、霊妙不可思議な出来事なのであって、私たちの身体に宿り、身体をつかさどっている類的な〈無意識〉の所産と考えるほかはない。

 私たちの個的な意識及び無意識は、より巨きな類的無意識に包摂され、つかさどられているのだ。

 私たちは、その無意識の深みから、生きるエネルギーを与えられ、日々無数の感覚とイメージを汲み上げながら、己れの固有の内的時間を紡ぎ出すことで、現実に真向かい、適応し、たたかい、道を切り拓いてゆく。

 生きる営みのすべてが、単なる個的な出来事ではなく、個を包摂しつつ個を超えた、類的な無意識という、生命と虚無、創造と解体の両義性を備えて流動する、大いなる〈闇〉のコスモスの一環なのだ。

 人間は、逃れようのない関係のしがらみの中でもがき、己れのはからいを超えた無数の契機に直面させられながら、翻弄されて生きる存在である。人の心も身体も、大いなる〈闇〉に包摂され、つかさどられているのであり、そこでは、あらゆる倫理も主体性も、個々人の置かれた関係性や内的契機、運不運によって、その可能性は限定され、相対化されてしまう。価値や倫理の相対主義をとなえ、主体性という概念そのものまでも否定的に扱い、人間の無力さや生の不条理性、みじめさを強調するニヒリズムが猖獗(しょうけつ)を極めるのも、無理からぬものがある。

 だが、私たち人間の生が、不可知なる渾沌(カオス)という〈闇〉につかさどられ、翻弄されているとしても、だからといって、「生きる」という行為、主体性という概念が無意味であったり、無力であったりするわけではない。

 私たちの生は、〈闇〉に包摂されているけれども、私たちの生もまた、〈闇〉という無限を映し出すという形で〈闇〉を包摂し、そこから生きるエネルギーを汲み上げることができるのだ。

 人は、己れの固有の〈生活〉を主体的に紡ぎ出し、織り上げてゆくという営みを通して、〈闇〉の中から豊饒な感覚とイメージを汲み上げ、己れの生存感覚を、生命的で自己充足的な〈絶対感〉へと脱皮・変容させてゆくことのできる存在である。

 その意味で、人生とは、不断の修行の連続だというのが、私の考えである。

 自分自身に則して言えば、至らない未熟者の身ではあるが、時を超え、齢(よわい)を超えて、日々無心に生きられるよう、精一杯努めてはいるつもりだ。「生きる」ことは、本当に大事業だ。

〈生活〉という大地の上に真に存在の中心を置く時、私たちの生の風景は、根底から相貌を一変する。

 世界情勢や政治・経済の激変や時事的現象などに鼻づらを引きずり回されない、真に地に足の着いた、うつろではない〈生活者〉の場所に歩み寄ることができる。

 たとえどんなに、未知への不安にさらされていようとも、日々の暮らしの中に、一抹の心のゆとりと、充ち足りたひと時を持つことが許されるであろう。

 私たちの〈生活〉は、生死一如の大いなる〈闇〉のコスモスに抱かれ、また〈闇〉の根源から生きる力を汲み上げることができる。そこには、意味と価値と良き啓示があり、ささやかな日々の〈物語〉がある。そしてまた、その蓄積の中から、生涯にわたる生の物語性、年輪の厚みが紡ぎ出される。

 芥川初期の作品「大川の水」には、哀切な気配が立ち込めてはいるが、そのような無名の〈生活者〉のコスモスにきちんとリンクしうるだけの、ゆたかな天動説的視点が息づいているのである。

 しかし、晩年の「侏儒の言葉」の冒頭文「星」には、それは無い。

 あるのは、酷薄な地動説的イデオロギー(アトミズム的・機械論的イデオロギー)のみである。

 この一文には、「真砂なす数なき星のその中に吾に向ひて光る星あり」という正岡子規の短歌が引用されている。

 この歌には、己れの生命に、選ばれたる孤独な星辰の輝きと呼応する、固有のコスミックな意味と宿命とを誇り高く感受し得た者の、気宇広大な生存感覚が息づいている。

 歌人・子規の紡ぎ出した、気迫溢れる生命的な表現世界の全体感をふまえた上で、この歌を素直に味わうなら、その事は誰にでも感じ取られるはずである。

 しかし、せっかくのこの秀歌も、晩年の芥川の観念的なまなざしのフィルターを通して視れば、人の生死の〈卑小さ〉、散文的な自然現象でしかない生死の〈無意味さ〉と類比的にとらえられた、寒々とした天体物理学的現象としての星を歌ったものでしかない。

 星に「感情」を読み取る芥川の眼には、星もまた、人間と同じく、不条理で卑小なもがきの苦しみ、悲しみの宿命を抱えた、はかなく救いのない存在にしか視えないのであろう。

 酷薄な近代科学的・地動説的視点は、人生の地獄を凝視し続けたこの作家の文学的帰結点である、散文的・物質主義的現実を認識論的に裏付けてくれるものであった。(この稿続く)

 

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〈藤村操世代〉の憂鬱(連載第14回) 川喜田晶子

  • 2017.03.17 Friday
  • 14:04

 

折口信夫の〈青あざ〉

 

 葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり

 

 折口の代表歌とされる一首である。

『日本近代文学大系』に収められた『海やまのあひだ』(千勝重次・奈良橋善司の注釈による)の補注には、この一首に関して面白いいきさつが記されている。

 

「作者は、「自歌自註」で「もとより此歌は、葛の花が踏みしだかれてゐたことを原因として、山道を行つた人を推理してゐる訣(わけ)ではない。人間の思考は、自ら因果関係を推測するやうな表現をとる場合も多いが、それは多くの場合のやうに、推理的に取り扱ふべきものではない。これは、紫の葛の花が道に踏まれて、色を土や岩などににじましてゐる処を歌つたので、……この色あたらしの判然たる切れ目が、今言つた論理的な感覚を起し易いのである。」と述べている。つまり作者は、葛の花が踏みしだかれているのは、山道を行った人があるからだ、という推理的な受け取り方を危ぶんでいるのだ。御歌所の歌人武島羽衣(はごろも)は、かつて実際にそのような解釈をして、まことに幼稚な歌であると批評し、「心なく山道行きし人あらむふみしだかれぬ白き葛花」と添削してみせた。「白き葛花」といった無知もさることながら、「心なく山道行きし人あらむ」は、この歌の解釈・鑑賞法としては、まさに反対である。第三句の休止に作者の深い感動がこめられている点に注目すべきである。下句はおのずから山道を歩いて行った人の孤独に思い至る作者の心が、たくまずに表現され、それはそのまま旅人である作者の孤独をも伝えているのである。この歌が作者の最も代表的なものの一つであるのも当然であろう。」

(『日本近代文学大系・折口信夫集』角川書店 1972年)

 

 作品に対する作者自身の解釈は、決してあてになるものではない。作品は、作者の無意識を表現してこそ意味があるし、批評という営為は、作品を通して、作者にさえ隠された無意識を掬い上げることであるから、ここでも私は、折口の自註こそが正しい解釈であるなどと言いたいわけではない。

 むしろ、この一首に対して、武島羽衣なる歌人の誤読、折口自身の自註の限界、注釈者の限界、という幾重もの誤読や限界が張り巡らされているのが興味深いのである。

 武島の誤読は、折口のあやぶんだように、この歌を、葛の花が踏みにじられた「原因」を主題とした骨ばった一首と解釈したことによる。骨ばった理屈の勝った作歌が良くないからと添削したわけである。その結果、「白き葛花」などと、葛の花の色に対する無知をさらけ出した上に、「心なく」葛の花を踏みにじった人の無風流を責めるといった主題にすり替えてしまった。

 踏みにじったことを責めてなどいない、先にこの山道を行った人の孤独と作者自身の孤独を思う歌である、と解釈した補注は、少なくとも武島の誤読は指摘し得ている。

 だがその孤独とはどのようなものであったろうか。

 折口の自註はむしろ、あっさりと「孤独」などという言葉で片づけられない内実を主張したいのだと語っている。「原因」を主題に据えた解釈を拒んでいるのだが、それと同時に、〈写生〉によって叙した風景の質感の重さを、自身でも別の観念にすり替えたくなくて、語ろうとしていない感触がある。これは誠実な態度である。

 そもそも、自身で解説できるような感動なら短歌や詩にする必要はないのである。折口が〈写生〉を重んじたのも、己れ自身にも説明し難い内実を〈写生〉によって語らしめることが可能だからであり、〈写生〉による叙景・抒情が観念的な概念に置きかえらえることを忌避したのだ。

 

 この一首は、〈孤独〉といった概念では片づけられない特異な印象を訴えかけてくる。

 その異様な感触は、「踏みしだかれて、色あたらし。」によって生じるものだ。「あたらし」は今の「新しい」ではなく、折口の自註にもあるように、鮮やかさのことである。

 葛の花が踏みしだかれることで生じたこの「色あたらし」という事態への作者の感動は、いわば花の〈死〉の意外な姿によってかきたてられた感興を内実としている。

 この〈死〉の姿の鮮やかさが、先に山道を行った人と己れとを繋ぎ合わせているのである。

 共に孤独である、といった粗雑な情趣にからめとられている折口ではなかったであろう。己れの目にするもの、耳に入るもの、それらからなにがしかのシンボリックな呪言を聴き取ろうとするような感性を持つ者にとって、たまたま山道で目にした花の〈死〉の鮮やかさは、己れと他者、己れと世界との接触のあり方の象徴として感受されたに違いない。

 鮮やかな花の〈死〉によってこの世界を意味づけよと、世界から提示されたかのような瞬間。〈死〉によってこそ「あたらし」となる命への感動が、この一首の主題であると言えよう。

 己れが他者や世界と関わることができるのは、このような花の〈死〉の鮮やかさによってなのだ、という感覚は、これまで述べてきたような〈藤村操世代〉としての折口の生存感覚から見るならばきわめて自然なものである。

 

 人は、そのまなざしによって、世界風景を招き寄せる。

 〈死〉への渇望を秘めた者は、いたるところに〈死〉の風景を見出す。

 折口は、たまたま同じ山道をいくばくかの時間の隔たりをはさんで相前後して歩んだもう一人の人物と、あたたかい生命的な風物を通してつながるのではなく、花の〈死〉を通して触れた。折口自身がそういう接触を招き寄せているかのように。

 だが、その花の〈死〉の姿に喚起された不吉さを、折口は忌避していない。踏みにじられて実に鮮やかに紫を主張する葛の花。〈死〉によってこそ、その命の「ことほぎ」と「のろひ」の両方の振幅を全うしたかのような葛の花の姿に、異様な興奮をおぼえたのだったろう。

 

 たとえば次のような一首では、そのような興奮を「いきどほる心」として表現している。

 

 いきどほる心すべなし。手にすゑて、蟹(カニ)のはさみを もぎはなちたり

 

 歌集では次の一首が続く。

 

 澤の道に、こゝだ逃げ散る蟹のむれ 踏みつぶしつゝ 心むなしもよ

 

「いきどほる」は、今日の「憤る」ではなく、「動悸」の「悸」の文字を折口は意図していたかとおもわれる。つまり恐れや驚きで興奮して胸さわぎがする、そしてそれが身のわななきにまでつながるような昂ぶりである。次のように「悸」の文字を用いた歌も収められているからだ。

 

 山なかに、悸(イキドホ)りつゝ はかなさよ。遂げむ世知らず ひとりをもれば

 

 同じ心境を次のようにも歌う。

 

 かたくなにまもるひとりを 堪へさせよ。さびしき心 遂げむと思ふに

 

 これらの、「ひとりをまもる」折口における「悸(いきどほ)り」とはどのようなものだと言えるだろうか。

 蟹のはさみをもいでちぎってみたり、逃げ散るたくさんの蟹をふみつぶしてみたり、といった嗜虐的な行為をそそのかす「いきどほる心」を、折口はもてあましている。そのような行為を抑えるすべもなく、心むなしいだけ、はかないだけであるとの自覚が見える。

「ひとり」の対極に意識されているのは、フィールドワークで触れる民俗の姿、柳田的〈日常〉の姿であり、折口とは異なって、まっとうに女性を愛し、家族を営み、子孫を遺す生活者の姿でもあったろう。

 柳田的〈日常〉に焦がれればこそ、民俗の姿を明らかにすべく旅をするのだが、その旅は、己れのエトランゼとしての異形意識を激しくかきたてるものとならざるを得ない。

 

 この島に、われを見知れる人はあらず。やすしと思ふあゆみの さびしさ

 ほがらなる心の人にあひにけり。うやうやしさの 息をつきたり

 この家の人の ゆふげにまじりつゝ、もの言ひことなる我と思へり

 

 エトランゼだからこそ、本来の自分でいられる旅でもあったろうが、心惹かれながらも決して自分には手の届かぬ民俗の原型質を感受して、彼らとの〈断絶〉に衝たれもする。「ほがらなる心の人」に対して「うやうやしさの息」をつく折口。「ゆふげ」に交じって「もの言ひことなる我」を意識する折口。とうてい彼らのようには生きられぬ己れを、その隔たりの大きさを、思い知る旅でもある。

「遂げむ世知らず ひとりをもれば」には、何度生まれ変わっても、自分には彼らのようには生きられまい、という認識の痛みが滲んでいる。そういう痛みによって昂進するタナトスを、どうすることも出来ずに蟹を虐げてみる。

 

 世界との〈断絶〉の意識をかろうじてなだめつつ生き永らえてきた折口である。ともすれば藤村操のように華厳の滝に投身したいという願望を、彼らの世代は身の内に抱え持ちながら生きていた。もちこたえらえなかった者たちが数多く、既に藤村操の後を追っている。

「悸り」の心とは、ふとした折に暴発せんとする身の内のタナトスであり、その欲動を刺激された時の抑え難い昂ぶりのことであったろう。

 

 タナトスにはめられたタガは、ふとした風景でいとも容易にはずれそうになる。

〈死〉を通した鮮やかな存在証明を激しく印象づけた「葛の花」に対しても、「悸り」は生じていたのである。

 

 そして、この「悸り」は折口だけのものではなかった。

 大衆的な規模においても、〈藤村操世代〉が抱えていた「悸り」は遍在したのであり、それが昂進したとき、昭和初期のウルトラナショナリズムへとなだれ込んでいったことについては、既に見てきたとおりである。

 大衆の魂にも、折口の魂にも、柳田的〈日常〉をたたき潰されることで荒廃した虚無が巣食っていたことを認識させられた時、「贖罪」(昭和22年)という詩篇が生まれたのであり、折口の凄惨なニヒリズムが炸裂する。

 

 この『海やまのあひだ』という歌集が編まれた大正末の折口にとって、「すさのを」はまだ生産的な魂を持っていた。

 

 うつそみの人はさびしも。すさのをぞ 怒りつゝ 國は成しけるものを

 

 その「怒り」によって、なりふりかまわぬ幼児的なまでの感情の炸裂によって、国を作ることのできる神であった。この歌では、「すさのを」のような激情の発露によっては〈生〉を意味づけられず、不条理に押しひしがれるしかない、自身も含めた「うつそみの人」が対置されている。そのギャップの内に、「すさのを」への折口の生産的な憧れがまだ滲んでいた。

 これが戦後の「贖罪」においては、徹底した虚無の塊りとしての「すさのを」に変容する。全てを滅ぼし尽しておくことだけが、「すさのを」の、そして折口自身の「贖罪」であるとの認識へ、激変したのである。(この稿続く)

 

 

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〈藤村操世代〉の憂鬱(連載第13回) 川喜田晶子

  • 2017.02.23 Thursday
  • 15:35

 

折口信夫の〈青あざ〉

 

 近代短歌が前近代への反発から成り立ったという経緯は、「何物も、生れ落ちると同時に、「ことほぎ」を浴びると共に、「のろひ」を負って来ないものはない。」(「歌の円寂する時」)という折口の言葉を再び想起させる。折口は伝統的な命脈を保ってきた短歌という形式についてこう語りながら、己れを含めた万物の宿命を陰鬱に塗り上げてみせたが、近代短歌に限ってみると、あるいは的確な批評と言えるかもしれない。

 正岡子規の提唱した〈写生〉によって、短歌に近代的な命が吹き込まれたことは「ことほぎ」であったが、この〈写生〉が短歌を屹立させるという理念は、近代化による矛盾が人々の世界観を狭窄し、コスミックな身体性が失われてゆくにつれ、むしろ「のろひ」として機能し始めたのであり、歌人たちは己れのやせ細った身体と病理を短歌という器に盛ることで、この形式の生命との逆説的な交感を試みるしかなくなってゆく。その身体の狭隘さと引き換えに、精緻な内面性の表現を獲得するのであるが、そこには常に呪わしい痛みが伴うようになる。

 

 何処やらに沢山の人があらそひて

 鬮(くじ)引くごとし

 われも引きたし

 

 怒る時

 かならずひとつ鉢を割り

 九百九十九(くひやくくじふく)割りて死なまし

 

 実務には役に立たざるうた人(びと)と

 我を見る人に

 金借りにけり

 

 けものめく顔あり口をあけたてす

 とのみ見てゐぬ

 人の語るを

 

 一度でも我に頭を下げさせし

 人みな死ねと

 いのりてしこと

 

 何がなしに

 頭のなかに崖ありて

 日毎に土のくづるるごとし

 (以上6首、石川啄木)

 

 春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外(と)の面(も)の草に日の入る夕

 ひいやりと剃刀(かみそり)ひとつ落ちてあり鶏頭の花黄なる庭さき

 鳳仙花うまれて啼ける犬ころの薄き皮膚より秋立ちにけり

 (以上3首、北原白秋)

 

 斎藤茂吉のフェティシズムについては既に述べた。〈連続〉の相において生きているつもりの茂吉に、〈断絶〉の象徴としての風景が不安を突きつける時、彼は無意識にそれを〈不安〉とは別のものにすり替えずにはいられなかった。そのすり替えに対して無自覚であったという意味でも、彼は〈藤村操世代〉よりやや上の世代としての身体性をもっていたと言えるだろう。彼の主張する〈実相観入〉なる写生理念、つまり対象に自己を投入することで実現される表層的でない〈写生〉理念には、無意識の〈不安〉と意識の上での〈生命性〉の主張とのグロテスクな融合がにじみ出ている。

 

 石川啄木、北原白秋は、いずれも純然たる〈藤村操世代〉の感性を持つ表現者である。啄木が明治19年、白秋が明治18年の生まれである。

 石川啄木は、短歌と言う形式を〈虐使〉することでひび割れた生活の情趣を叩きつけるように歌った。冷徹な世間の貌、啄木の魂の幼児的な柔らかさに侮蔑のまなざしで遇する他者の貌。それらとの厳しい〈断絶〉は、短歌という器に盛られて悲鳴を上げる。自虐的な痛みの戯画が逆説的な抒情を立ち昇らせている。

 

 北原白秋は、一首が〈連続〉によって完結することを強いてくる短歌という器に、あえて〈断絶〉を盛り込むことで象徴的な絵画性を頽廃的に際立たせた。〈意味〉が連続するのか不連続なのか危うげな、俳句における〈切れ〉や〈とり合わせ〉の意識にも似た、つかずはなれずのモチーフの斡旋が鮮やかな絵画性を実現し、清新な近代的抒情を可能にしている。「春の鳥」も「鶏頭」も「鳳仙花」も、「あかあかと」不安をそそる「夕」や「剃刀」や生まれてすぐに啼く犬ころの「薄き皮膚」ととり合わせられて、伝統的な意味や情趣の体系からしなやかに離脱し、世界から断絶した身体性ゆえの退嬰的抒情が張りつめている。

 

 この両者においては、対象や世界との〈断絶〉こそが意図的な主題である。伝統的な〈型〉に盛られたことのないこの〈断絶〉を、本来不似合いな器にいかに盛れば表現として屹立し得るのか。その表現が成功した場合には、〈断絶〉を生きるしかない身体性を高度に象徴するものとなることで、〈近代性〉が短歌として呼吸し得る。

 一見、定型の音楽性と完結感の内に収まっているかのようだが、啄木はいわば〈型〉にひっかき傷を入れるように歌い、白秋は世界からトリミングされた非完結的なモチーフをシンボリックにコラージュしながら画面をまとめ上げてみせる。両者とも、捨て身の戦略とも言うべきデザイン性が鮮やかだ。

 

 伝統的な〈型〉とは恐ろしいもので、歌人が己れの我で〈型〉をねじ伏せようとするならば、その我執のみすぼらしさを露呈させずにはおかない。狭小な身体性によっていくら精密な〈写生〉を試みても、過ぎ去った〈浪漫〉を歌おうとしても、それらが観念的であること、病理的であること、身体がもはやコスミックな振幅を失っていることを、短歌という〈型〉はあからさまにしてしまう。

 この〈型〉への、自覚的・無自覚的な抗いによって表明される〈近代〉は、歌人の身体性の振幅を映し出さずにはおかず、その振幅が狭小であるならば、表現は病理のカミングアウトとならざるを得ないのである。

 病理をカミングアウトしつつも、〈型〉との葛藤を生産的な抒情へと昇華させるには、優れた内省力が必要である。啄木と白秋は、そういう意味で精緻な内省力を駆使して斬新な境地を切り拓いてみせた。

 

 釋迢空、すなわち折口信夫は、この短歌という〈型〉の強大さを最もよくわきまえていた歌人の一人であったとおもわれる。

 歌人としてはアララギ派に属し、後にそこから離れて行った経緯を持つ折口の短歌は、技法的には素直な近代的写生に即しているかに見える。しかし、その〈写生〉によって、近代歌人は概ね〈前近代〉から離脱しようと志向し、短歌という〈型〉への身構えを固持するのだが、折口にはむしろ、この〈型〉の大いなる器に身を浸してしまおうと企図しているかのような趣きがある。そのことで露呈する己れの自我のデザイン、そしてそのデザインによって屹立させられるべき短歌の近代性には、無頓着であったと感じられる。そこが啄木や白秋とは異質なところであろう。

 しかし、緊迫した技巧を感じさせぬ、どこかけだるいほど〈型〉に委ねた表現によって、自然に滲み出るのはやはり〈近代性〉であり、根深いタナトスに彩られた病理的な身体の表白である。

 

 葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり

 

 この島に、われを見知れる人はあらず。やすしと思ふあゆみの さびしさ

 

 いきどほる心すべなし。手にすゑて、蟹(カニ)のはさみを もぎはなちたり

 

 澤の道に、こゝだ逃げ散る蟹のむれ 踏みつぶしつゝ 心むなしもよ

 

 山中(ヤマナカ)は 月のおも昏(クラ)くなりにけり。四方(よも)のいきもの 絶えにけらしも

 

 山深きあかとき闇や。火をすりて、片時見えしわが立ち處(ド)かも

 

 山々をわたりて、人は老いにけり。山のさびしさを われに聞かせつ

 

 友なしに あそべる子かも。うち対(ムカ)ふ 山も 父母も、みなもだしたり

 

 人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。旅寝かさなるほどの かそけさ

 

 ほがらなる心の人にあひにけり。うやうやしさの 息をつきたり

 

 山なかに、悸(イキドホ)りつゝ はかなさよ。遂げむ世知らず ひとりをもれば

 

 庭土に、桜の蕋(シベ)のはらゝなり。日なか さびしきあらしのとよみ

 

 かたくなにまもるひとりを 堪へさせよ。さびしき心 遂げむと思ふに

 

 うつそみの人はさびしも。すさのをぞ 怒りつゝ 國は成しけるものを

 

 水底に、うつそみの面わ 沈透(シヅ)き見ゆ。来む世も、我の 寂しくあらむ

 

 とまりゆく音のまどほさ。目に見えぬ時計のおもてに、ひた向ひ居り

 

 この家の人の ゆふげにまじりつゝ、もの言ひことなる我と思へり

 

 さ夜なかに 覚めておどろく。夜はの雪 ふりうづむとも 人は知らじな

 

 十方の蟲 こぞり来る聲聞ゆ。野に、ひとつ燈を守(モ)るは くるしゑ

 

 木の葉散るなかにつくりぬ。わが夜牀(ヨドコ)。うづみはてねと、目をとぢて居り

 

 歌集『海やまのあひだ』(大正14年[1925年]刊)から20首を抽き出した。折口の生存感覚をシンボリックによく伝える作品を列挙してみた。(明治37年頃から大正14年までの691首が収められたこの歌集は、逆年順で編まれている。抽き出した20首も逆年順である。引用は『日本近代文学大系 折口信夫集』より、旧漢字は適宜新漢字に改めた。 角川書店 1972年)

 

 ことさらな技巧を感じさせぬ素直な作歌であり、観念的に昂ぶったイメージを追い求めることのない、地に足の着いた〈写生〉態度が感受される。民俗探訪の旅における、熊野や壱岐といった場所の人々の暮らしや風景に触発された感慨を歌ったものが多い。

 しかし、これらの歌を数首も読めば、折口のタナトスの陰鬱な質感が読み手の身体を冷たく浸し始めることに気がつく。その冷たさをきちんと伝える激しさにもまた、気づき始める。並々ならぬ異形意識と、人の気配の無い風景を原郷として渇望するときの、「かそけさ」に向かってほとばしる屈折したパトスが、一見地味な写生にしたたかな生命を与えているように感じ始める。(この稿続く)

 

 

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芥川龍之介と闇(連載第1回) 川喜田八潮

  • 2017.02.22 Wednesday
  • 22:30

 

     1

 

 芥川龍之介が小説家としてデビューする前、大正元年(一九一二)、数え年で二十一歳の時に書かれた最初期の小品に、「大川の水」という印象深いエッセイがある。己れの生まれ育った本所を中心とする東京下町を流れる大川(隅田川)の風情(ふぜい)を、素直に、ありのままの心象風景としてスケッチしてみせた、みずみずしいパセティックな名文である。

 

「自分は、大川端に近い町に生まれた。家を出て椎(しい)の若葉におおわれた、黒塀の多い横網の小路をぬけると、すぐあの幅の広い川筋の見渡される、百本杭(ひゃっぽんぐい)の河岸(かし)へ出るのである。幼い時から、中学を卒業するまで、自分はほとんど毎日のように、あの川を見た。水と船と橋と砂洲と、水の上に生まれて水の上に暮しているあわただしい人々の生活とを見た。」

「自分はどうして、こうもあの川を愛するのか。あのどちらかと云えば、泥濁りのした大川のなま暖い水に、限りないゆかしさを感じるのか。自分ながらも、少しく、その説明に苦しまずにはいられない。ただ、自分は、昔からあの水を見るごとに、何となく、涙を落としたいような、云い難い慰安と寂寥とを感じた。まったく、自分の住んでいる世界から遠ざかって、なつかしい思慕と追憶との国にはいるような心もちがした。この心もちのために、この慰安と寂寥とを味わい得るがために自分は何よりも大川の水を愛するのである。」

「この三年間、自分は山の手の郊外に、雑木林のかげになっている書斎で、静平な読書三昧に耽っていたが、それでもなお、月に二三度は、あの大川の水を眺めにゆくことを忘れなかった。動くともなく動き、流るるともなく流れる大川の水の色は、静寂な書斎の空気が休みなく与える刺戟(しげき)と緊張とに、切ない程あわただしく、動いている自分の心をも、ちょうど、長旅に出た巡礼が、ようやくまた故郷(ふるさと)の土を踏んだ時のような、さびしい、自由な、なつかしさにとかくしてくれる。大川の水があって、始めて自分はふたたび、純なる本来の感情に生きることが出来るのである。」

「自分は幾度となく、青い水に臨んだアカシアが、初夏のやわらかな風にふかれて、ほろほろと白い花を落とすのを見た。自分は幾度となく、霧の多い十一月の夜に、暗い水の空を寒むそうに鳴く、千鳥の声を聞いた。自分の見、自分の聞くすべてのものは、ことごとく、大川に対する自分の愛を新にする。ちょうど、夏川の水から生まれる黒蜻蛉(とんぼ)の羽のような、おののき易い少年の心は、その度に新な驚異の眸(ひとみ)を見はらずにはいられないのである。殊に夜網の船の舷に倚(よ)って、音もなく流れる、黒い川を凝視(みつ)めながら、夜と水との中に漂う「死」の呼吸を感じた時、いかに自分は、たよりのない淋しさに迫られたことであろう。」

「……遠くは多くの江戸浄瑠璃作者、近くは河竹黙阿弥翁が、浅草寺の鐘の音と共に、その殺し場のシュチンムングを、最も力強く表すために、しばしば、その世話物の中に用いたものは、実にこの大川のさびしい水の響きであった。」

(「大川の水」『芥川龍之介全集』第一巻 岩波書店 1977年所収。ただし、旧漢字は新漢字に、旧仮名づかいは新仮名づかいに変え、ルビを増やし、漢字を一部仮名に改めた。)

 

 ここには、芥川龍之介という作家の〈資質〉が、いささかも歪みをこうむることなしに、その本来のありうべき〈振幅〉の内部で、ういういしくのびやかに息づいている。「大川の水」は、芥川にとって、生死を両義的につかさどり、包摂する、魂の〈故郷〉としての根源的な〈闇〉のコスモスを象徴するものである。

 人が、そして生きとし生けるありとあらゆる存在が、不可知なる渾沌(カオス)の海の中にひっそりと生み落とされ、固有の絶対的な〈孤独〉を宿命づけられながら、漂い、翻弄され、いつしか死という闇の胎内へと回帰してゆく。

 その移ろいゆく無数の生の種々相に心ひかれるたびに、作者は、それら生きとし生けるものをつかさどる無限なる原初の〈闇〉の息づかいを触知して、少年のようにおののき、驚異の念を新たにする。

 人の営みの内に、森羅万象の内に、フロイトの言う「タナトス」(死の欲動)の気配を感じ取らずにはいられない作者は、そこに、限りない「寂寥」と共に、この現世のありとあらゆる関係の地獄、不条理、業苦を洗い流してくれる、安らかな生命の故郷への回帰のおもいを重ね合わせ、たとえようもない「慰安」を覚えているようにおもわれる。

 生死の両義性の気配を内包しつつ、悠然と流れる大川の水の表情は、老船頭の漕ぐ「渡し船」からみつめられた、光と闇の交錯する「たそがれ時」の風景の中で、一段と繊細でダークなおもむきをたたえる。

 

「殊に日暮、川の上に立こめる水蒸気と次第に暗くなる夕空の薄明(うすあかり)とは、この大川の水をして殆(ほとんど)、比喩を絶した、微妙な色調を帯ばしめる。自分はひとり、渡し船の舷に肘をついて、もう靄(もや)の下りかけた、薄暮の川の水面を何と云う事もなく見渡しながら、その暗緑色の水のあなた、暗い家々の空に大きな赤い月の出を見て、思わず涙を流したのを、恐らく終世忘れることが出来ないであろう。」(「大川の水」)

 

 明から暗へと移りゆく繊細なたそがれ時の薄明と暗い家々の上にかかった月の表情に、作者は、存在を包摂する〈闇〉の底知れぬ深さを触知し、その中で微かに淡い光のように点滅し、棲息を許されている、人という生き物の、絶対的な孤独と宿命の相を想い、涙する。

 

     2

 

 しかし、作者にとって、「大川の水」とは、決して、純然たる海洋の水のように非人間的なものではない。

 本所の吾妻橋から両国橋、新大橋、永代橋を経て東京湾に至る大川の水は、淡水と潮水が交錯し、寒色と暖色の入り混じった、独特の「人間くささ」をかもし出すのである。

 

「……同じく市の中を流れるにしても、猶(なお)「海」と云う大きな神秘と絶えず、直接の交通を続けている為か、川と川とをつなぐ堀割の水のように暗くない。眠っていない。どことなく、生きて動いていると云う気がする。しかもその動いてゆく先は、無始無終にわたる「永遠」の不可思議だと云う気がする。」

「吾妻橋、厩橋、両国橋の間、香油のような青い水が大きな橋台の花崗石と煉瓦とをひたしてゆくうれしさは云う迄もない。岸に近く、船宿の白い行燈をうつし、銀の葉うらを翻す柳をうつし、また水門にせかれては三味線のぬるむ昼すぎを、紅芙蓉の花になげきながら、気のよわい家鴨の羽にみだされて、人気(ひとけ)のない厨の下を静に光りながら流れるのも、その重々しい水の色に云うべからざる温情を蔵している。」

「たとえ、両国橋、新大橋、永代橋と、河口に近づくに従って川の水は、著しく暖潮の深藍色を交えながら、騒音と煙塵とにみちた空気の下に、白く爛(ただ)れた日をぎらぎらとブリキのように反射して、石炭を積んだ達磨船(だるまぶね)や白ペンキの剥げた古風な汽船をものうげに揺(ゆす)ぶっているにしても、自然の呼吸と人間の呼吸とが落ち合っていつの間にか融合した都会の水の色の暖さは容易に消えてしまうものではない。」(「大川の水」)

 

 作者にとって、「大川の水」の風情は、「船宿」と「三味線の音」に象徴される江戸後期文明の残り香を濃厚に漂わせた、吾妻橋から両国橋にかけての本所・深川・浅草沿いの風景と緊密に結びついている。それは、北斎や広重がみつめた江戸下町共同体の〈闇〉のコスモスとつながり、庶民の生活の息づかい、哀歓と汗の匂いを伝えるものであった。

 このエッセイにおける大川の水への作者のまなざしは、死の色に一面的に染め上げられてはいない。大川に象徴される〈闇〉の深さに、死を間近に意識させられながらも、作者の魂は、生死紙一重の危うい線上で、かろうじて生への肯定的なベクトルを志向することができている。

 作者は、海とつながる大川の水に、「無始無終」にわたって生死を円環的につかさどる神秘なる〈永遠〉の相を視る。しかし、その〈永遠〉は、スタティックな死の色に染まってはいない。常に「生きて動いている」のである。

 人間の生きる営みの根底に、無機的な死への回帰衝動(タナトス)を視たフロイトとは対照的に、人間の魂の深奥に息づく生命的な大洋感情への畏怖と郷愁のおもいを語ったロマン・ロランのように、芥川もまた、冷やかなタナトスを喚起する原初の〈闇〉のカオスの中に、同時に、生命を育む母なる〈子宮〉のごとき温もりを感受するのである。

「裟婆苦」に翻弄される人の世の暮らし、その浅ましく切ない、卑小なるもがきの種々相への凝視の内に、若き芥川は、おそらく、死への暗い傾斜と共に、人をして活かしめる、得体の知れない、大いなる力の遍在を認め、おののき、無量の思いに浸されている。

「暗い家々の空に大きな赤い月の出を見て、思わず涙を流した」のも、この世の地上的な生活の圧倒的な卑小さと対比的にとらえられた、幽暗なる母胎のごとき生死一如の実相に対する、強烈な畏怖感のゆえであろう。

 

     3

 

 その〈覚知〉のたしかな手ざわりは、芥川の最初期の戯曲「青年と死」(大正三年[一九一四]作)においても、鮮やかにわしづかみにされている。

 死を忘れるために、ひたすら刹那の快楽を貪り続ける青年「B」に対して、死の化身である「黒い覆面をした男」は、次のように語る。

 

「お前は今日まで己(おれ)を忘れていたろう。己の呼吸を聞かずにいたろう。お前はすべての欺罔(ぎもう)を破ろうとして快楽を求めながら、お前の求めた快楽その物がやはり欺罔にすぎないのを知らなかった。お前が己を忘れた時、お前の霊魂は餓えていた。餓えた霊魂は常に己を求める。お前は己を避けようとしてかえって己を招いたのだ。」

「己はすべてを亡(ほろ)ぼすものではない。すべてを生むものだ。お前はすべての母なる己を忘れていた。己を忘れるのは生を忘れるのだ。生を忘れた者は亡びなければならないぞ。」(「青年と死」)

 

 死を忘れようとして死を招き寄せてしまった、うつろな青年「B」とは対照的に、つねに死を想い、その苦しみをバネとして、逆説的に生きる術(すべ)を模索してきた青年「A」は、死の化身である「男」の顔が、意外にも「美しい」ことを知る。「男」は「お前の命をとりに来たのではない」と語り、「よく己の顔を見ろ。お前の命をたすけたのはお前が己を忘れなかったからだ。しかし己はすべてのお前の行為を是認してはいない。よく己の顔を見ろ。お前の誤りがわかったか。これからも生きられるかどうかはお前の努力次第だ。」とクギを刺す。

 その声は、もはや、「A」を脅かし、誘(いざな)う、タナトスの化身としての「男」の声ではなく、いのちの源泉としての母なる〈闇〉の化身ともいうべき「第三の声」へと変容している。

「夜明だ。己と一緒に大きな世界へ来るがいい。」と静かにささやく「第三の声」に促されて、「A」は「黒い覆面をした男」と共に「黎明(れいめい)の光の中」に出て行くのである。

 

「大川の水」や「青年と死」ですくい取られた、存在の根源としてのメタフィジカルな〈闇〉の次元への、ふくらみのある両義的なまなざしを、生存感覚として、生涯にわたって保持し続けることが許されたなら、芥川龍之介の文学は、その晩年期のような痩せ細った、散文的で地上的なリアリズムの目線に一元的に囲い込まれた、酷薄で酸鼻な袋小路に追いつめられることはなかったであろう。

 しかし、彼にはそれが許されなかった。

 龍之介の晩年にあたる大正十三年(一九二四)十二月九日付の「附記」が添えられた自伝的小説「大導寺信輔の半生」において描かれた「大川端」は、次のようなものであった。

 

「ある朝焼けの消えかかった朝、父と彼とはいつものように百本杭(ひゃっぽんぐい)へ散歩に行った。百本杭は大川の河岸(かし)でも特に釣り師の多い場所だった。しかしその朝は見渡した所、一人も釣り師は見えなかった。広い河岸には石垣の間に舟虫(ふなむし)の動いているばかりだった。彼は父に今朝に限って釣り師の見えぬ訣(わけ)を尋ねようとした。が、まだ口を開かぬうちにたちまちその答を発見した。朝焼けの揺らめいた川波には坊主頭の死骸が一人、磯臭い水草や五味(ごみ)のからんだ乱杭の間に漂っていた。―――彼は未(いま)だにありありとこの朝の百本杭を覚えている。三十年前の本所は感じ易い信輔の心に無数の追憶的風景画を残した。けれどもこの朝の百本杭は―――この一枚の風景画は同時にまた本所の町々の投げた精神的陰影の全部だった。」(「大導寺信輔の半生」)

 

「大川の水」で、コスミックな〈闇〉のふところ深く包摂されていた「百本杭」の河岸(かし)の風景は、ここでは、「本所の町々」に生きる人々の人生の地獄図=不条理の不吉で陰惨な〈喩〉として立ち顕われている。

「大川の水」から「大導寺信輔の半生」に至るまでの十二年の歳月の間に、芥川龍之介の魂に生命的な潤いを与えていた〈闇の水脈〉は、完全に干上がってしまっていることが看取されるであろう。(この稿続く)

 

 

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近代批評の終焉―小林秀雄の病理をめぐって―(連載第2回) 川喜田八潮

  • 2017.02.21 Tuesday
  • 19:10

 

     3

 

 ところで、これまで私が展開してきた、〈存在への不信〉とそれを超克(超越)せんとする〈独我論〉的認識論に根ざした芸術至上主義者としての小林秀雄の像は、大戦期の日本古典に回帰した『無常といふ事』以後の、とりわけその延長上にある戦後における反近代主義的で非合理主義的な思想家としての彼のイメージを知る者にとって、一見なんとも面妖な印象を与えるはずである。

 なぜなら、本居宣長やベルクソンに傾倒する小林秀雄の世界観は、存在と現象、客観と主観、物質と精神という西欧的二元論を拒否し、一切の観念的な先入見を排して、己れの魂に直截に映じた〈経験〉事象のみずみずしい動的な生命の感触を、あるがままに紡ぎ出さんとする姿勢に貫かれていたからである。

 本居宣長が『古事記伝』によって示した古代人の「言霊(ことだま)」の手ざわりをどこまでも忠実になぞろうとする姿勢。

 散文的に平板化した現代の合理主義的実証主義的な史家の眼にとっては到底受け入れがたいような、古代の神々の天地を行き交う生成と光芒の息吹とおののきの感触を、古代人にとってのあるがままの〈事実〉=生ける生身の体験として素直に受容せんとする姿勢。

 その異様なまでの執念に、小林秀雄もまた憑(つ)かれていた。

 古代人の言霊を辿る宣長に己れ自身を重ね合わせ、自らもまた、宣長という人物の紡ぎ出した、〈喪失感〉の強い不幸な近世人の言霊をなぞろうとしてみせた。

 晩年の小林は、そのような文献的追体験によって、ついに、宣長の(すなわち宣長によって幻視された古代人の)他界観・幽冥観までも共有し、己れの〈死〉を超えて、究極の安心立命を得たかのような相貌を呈していた。

 しかし、私には、小林秀雄の労役、彼が紡ぎ出した長い年月にわたる言葉の習練の軌跡というものは、ついに、良くできた生命の〈模造品〉、一片の「言葉の上だけの安心」「言葉の上だけの悟り」の境地を産み出したにすぎなかったのではないか、という印象を、どうしても拭い切れないのである。

 もちろん、そのような悟りを非難しているのではない。〈言葉〉の世界のみに己れの身体を疎外し、安心立命を得ることのできる人物はそれなりに幸せであるし、それはそれでいい。

 しかし、私自身は、そういう場所に決して安住できぬ人間であり、それはまた、この現世を体を張って黙々と生き抜いてきた、多くの無名の生活者の深層に秘められた〈肉〉の渇きのありかとも重なるものなのではないかという、ささやかなプライドをもっているのだ。

 私に言わせれば、小林秀雄も、彼の尊崇してやまぬ宣長やベルクソンも、偉大な知識人ではあるが、所詮は、真の実人生に対する〈鑑賞者〉であり、〈傍観者〉にすぎなかった。彼らが幻視する主客の融合した「あるがままの」経験事象とは、決して、存在と現象の融合した真の〈生身〉の生存感覚ではなく、常に、膜ひとつ隔てられた鑑賞者の位相から眺められた「紙の上の人生」でしかなかった。それはなによりも、論ずる対象に対する彼らのとどこおりのない、妙に口当たりの良い流麗な〈文体〉そのものが証明していることである。

 鮮やかなレトリックにごまかされずに、正直に、落ち着いて、己れ自身にしかと問うてみるがよい。

 彼らの文体は、ひとつの反近代主義的な〈認識〉の見取り図としてはそれなりに美事なものであるけれども、決して、私たちの生身の身体感覚を奥底から立ち昇らせる力をもち得てはいないということがわかるはずである。

 誤解されては困るのだが、私はなにも、われわれの〈生身〉の身体感覚を喚起しないようなヴァーチャルな言語表現が、文学として無意味だといっているわけでは毛頭ない。

 言葉はその創り手から独立した生命をもって存在しているが、言葉に宿る力はあくまで創り手の生きざまが生み出すものだ。ヴァーチャルな言語表現もまたしかりである。

 〈虚無〉に全身を蝕まれ、生身のみずみずしい生存感覚が宿命的に封じられている不幸な人間が、己れの〈欠損〉感覚の痛切さのゆえに、ほとばしるように紡ぎ出してみせた天上的彼岸的な〈幻〉のかたちというものは、私たちの存在的な〈渇き〉の泣き所を強烈に刺激するだけの力をもっているものだ。

 人間という存在そのものが、この世に生まれ落ちた時から(正確には母の胎内に宿った時から)、既に世界との間にさまざまの宿命的な〈傷〉を刻印され、それゆえに全き存在としての彼岸的な〈自然〉への回帰願望=幻としての〈子宮〉への退行願望を秘めた生き物だからである。

 観念的でヴァーチャルな文学表現が、その天上的な憧憬の激しさのゆえに、かえって生身のわれわれの存在的な〈欠如〉意識を衝くという逆説は、近代において、絶えず繰り返されてきたロマン主義的なドラマであり、悲喜劇でもあった。

 私たちの戦後社会においては、例えば三島由紀夫・埴谷雄高・谷川雁のように、この種のヴァーチャルで極彩色溢れる天上的な美の創り手はことのほか巨大な影響力をもち得たし、それはそのまま、〈戦後〉という時代の地上的現実の痩せ細った散文的な貧寒さの裏返しでもあった。

 彼らは、ドストエフスキーが『悪霊』で創造したスタヴローギンに大変よく似ている。

 虚無に全身を蝕まれて、存在への〈生身〉の共感能力を封じられたこの不幸な主人公は、その生存感覚のヴァーチャルな空虚さのゆえに、地底の闇からはるかな天を仰ぎ見るような狂暴な〈渇き〉の衝迫に駆り立てられて、彼岸的な哲学的夢想を紡ぎ出してみせる。

 その思想は、シャートフとキリーロフという孤独で繊細な偏りをもつ知的な青年たちの欠如意識を強烈に衝き、彼らの魂をわしづかみにしてしまう。

 原初的な〈欠損〉によってどす黒い虚無を宿命づけられたスタヴローギンの渇きの激しさが、その〈虚構〉としての言葉に、かえって恐ろしい生々しさを付与するからである。

 小林秀雄は、スタヴローギンのような激しいエロス的な飢渇感に苛まれるタイプではないが、それでも、ランボーに傾倒した青年期から三十代の『ドストエフスキイの生活』に至る戦前の彼もまた、本来は、存在への異和に根ざした観念的でヴァーチャルな言語理念を身につけた、いかにも現代風の妖気を漂わせる文学者であったはずである。

 しかしその彼が、『無常といふ事』から「モオツァルト」を経て、戦後の『本居宣長』に至る道程の中で追求した理念は、そういうダンディズム的な美意識とは正反対の、存在と現象の二元論を解体して己れの魂に直截に映じる生命的な〈経験〉事象に迫ろうとする主客融合的な世界観であった。

 もし小林が、本当にそのような生命理念を身につけているとすれば、それはなによりも、彼の〈文体〉の上に重大な変化となって表われてこなければならないはずである。

 私のみる限り、そういう変化は、小林の文章の中には全く認められない。

 私はかつて、己れの〈死〉をぎりぎりまで見据えながら、流れるように透明にみずみずしい生のうたを奏でてみせた小林秀雄の気迫みなぎるモーツァルト論を読み、深い感銘を受けたことがある。今でも私は、「モオツァルト」を、小林の批評作品の最高傑作とみなすことに躊躇(ちゅうちょ)しない。

 しかし、その「モオツァルト」でさえ、繰り返し読み返しているうちに、やはり、膜で隔てられたところから〈距離〉をおいて言葉づらのみをなぞっているような、なんとも言い表わしがたい手ごたえの無さを感じて、苛立つことがしばしばであった。

 また私は、小林秀雄ともあろう思想家が、なぜ、吉田兼好のような人物を、最も偉大な批評家とみなすのか、さっぱりわからなかった。

 兼好などは、真剣勝負の実人生から撤退して、斜に構えた余裕のある隠者の場所から、さびをきかせたセンチメンタルな無常感をふりまきながら、たわいもない好事家的世俗的好奇心にかられて世相をつまみ食いする、どこからどう見ても、二流の傍観者的な小インテリでしかない。

 しかし、今なら、こういう途方もない過大評価の根拠も十分に了解できる。

 それは、小林の人生観・世界観とそれを支える認識論の本質が、結局のところ、鑑賞者=傍観者の殻を破るようなものではなく、彼の見つめる文人・偉人たちの生が、所詮は、彼の自画像の鋳型に沿って刈り込まれた「紙の上の人生」でしかなかったからである。

 もちろん、『無常といふ事』から始まる彼の古典論には、それなりに花も実もあるし、講演文も含む彼の著作のいたるところに散りばめられた、人生の深い哲理を示す思わせぶりな片言隻句の価値も、私はよくわかっているつもりである。

 その上で、敢えて、そう主張しているのである。

 そして、この小林秀雄の生への鑑賞者的な姿勢の根底には、実は、『ドストエフスキイの生活』の「序」で展開されたような、〈存在への不信〉とそれの裏返しともいうべき〈独我論〉的な表現理念が横たわっていると私は考えるのである。

 「モオツァルト」の中でもらされた「不平家とは、自分自身と決して折合わぬ人種を言うのである。不平家は、折合わぬのは、いつも他人であり環境であると信じ込んでいるが、環境と戦い環境に打勝つという言葉も殆ど理解されてはいない。……命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ。この思想は宗教的である。だが、空想的ではない。これは、社会改良家という大仰な不平家には大変難かしい真理である。彼は人間の本当の幸不幸の在処を尋ねようとした事は、決してない」という含蓄ある言葉には、この孤独な批評家の不幸な病のありかが、さりげなく端的に表われているといってよい。

 「社会改良家」云々は、ここではどうでもよろしい。

 小林がモーツァルトの「現世へのくぐり抜け方」を語ることで垣間見せた、生へのまなざしが興味深いのである。

 小林秀雄の「モオツァルト」は、そのほとんどが小林自身の独りよがりな自画像のコピイでしかない批評作品群の中にあって、己れ自身の歌と批評対象の主調音との幸福な一致を見せた、まことに稀有な作品のひとつである。

 それほどに、小林秀雄という人物の魂は、モーツァルトという、生涯にわたって孤独な「ひとり遊び」のような透明な歌を奏で続けた幼児的な資質の天才と、鮮やかにシンクロナイズしているのだ。

 そこには、醜悪なカオスとしての〈外界〉が強いる印象から即座に眼をそらして、それを、内なる幻想の主題歌にすり換えてゆこうとする独我論的な姿勢が明瞭に見てとれる。

 「命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ」という言葉は味わい深く、ある意味では、まぎれもない真理ではあるが、そもそもこのように、人間存在のあり方を「外的偶然」と「内的必然」に二分してしまうこと自体、すでに、西欧近代的な物心二元論の轍(わだち)にはまり込んでいることを示している。

 真の実在は、〈偶然〉と〈必然〉という二分法を止揚したところにある、主客一体となった生命的な事象としての〈流れ〉であると見る認識論が、真に体得されているならば、こういう言葉は出てこないはずだ。

 小林の無意識の底には、存在の本質を不条理な「外的偶然」とみて、人間の内面を、それに抗する「内的必然」としての幻想領域とみる物心二元論が頑として横たわっている。

 少なくとも、彼の生涯の仕事を見る限り、『ドストエフスキイの生活』の「序」であけすけに正直に語られた不幸な認識論の〈呪縛〉を解体した形跡は無いのだ。

 彼の批評方法は、初期以来一貫して、膜で隔てられた鑑賞者の場所から、他者の作品世界の根底に流れる生の主調音を、己れ自身の〈歌〉として固有の感情移入を通して忠実になぞるという、独我論的モノローグの手法によって支えられている。ただ、その批評の対象として、初期の神経症的な近代文学者の病の〈宿命歌〉に代わって、ベルクソンや本居宣長の読み解きに代表されるような主客融合的な生命理念の演奏が、前面に押し出されてきたというにすぎない。

 私たちは、その表面的な転換によって見事に欺かれてきたのである。

 彼の認識論の枠組そのものが、思想的な苦闘を経て、真に転倒されたような形跡は全く無いのだ。

 この小林の独我論的な身構えは、おそらく、青年期に確立された彼の〈資質〉の表現形態によって強いられたものであり、彼自身どうにも逃れようのない宿命的な色合いを帯びたものであったとみてよいであろう。

 この批評家には、もともと、あるがままの生ける存在と即自的生命的な〈交感〉を行うような、生身の生活人としての〈肉体〉というものが、決定的に欠けていた。

 生ける存在そのものも、存在の一部である生身の肉体をもった〈現世〉の人間たちとの具体的な関わり合いも、この冷ややかで過剰に内向的な、硬直した〈自意識〉の固まりのような書斎型の文人にとっては、ただ疎遠で煩わしい〈異物〉でしかなかったはずである。

 中原中也との長谷川泰子をめぐる三角関係における、小林秀雄の冷ややかでスマートな〈逃避〉の仕方は、小林とは対照的に幼児が手足をばたばたさせるように荒れ狂った中也の反応とは違って、私を無性に苛立たせるものがあるが、この苛立ちの感触は、小林の批評文に対して常に私が感じてきたものと、たしかに同質の型をもっている。

 要するに、私は、口先だけで生命の歌をうたおうとする、小林の観念的で冷ややかな、そのくせ悟りすましたようなポーズが小癪でならぬのである。

 そして、この観念的な身構えには、〈存在への不信〉という不幸な蛇が、分かちがたく絡みついているのだ。

 私が言いたいのは、戦後の主客融合的な生命的理念をふりかざす小林秀雄の根底に、彼の否定してやまぬ物心二元論的な西欧近代的認識論の足枷が、ひとつの〈観念の肉体〉のようにこびりついていたにちがいない、ということなのである。

 小林秀雄を、土俗的な伝統に根を下ろした稀有な思想家とみなす論者もいるが、それは、彼の見かけのスタイルにだまされた皮相なとらえ方である。彼ほど、徹底して近代主義的な書き手はいない。

 その根本的な認識論・世界観においても、また、その不幸な近代的自我意識の病を古典作品への独我論的読み込みによってなだめようとする逆説的な志向においても、いちじるしく近代主義的なのである。

 本当は心の底では「何ひとつ信ずるものをもたない」険しく硬直した近代的な自我意識の持ち主でありながら、それゆえにこそ、古今東西の異質な思想家・文人・芸術家たちの生の〈宿命〉の主調音を膜ひとつ隔てられた鑑賞者的な場所から、己れの〈自画像〉のように華麗な修辞を尽くしてうたい上げてみせる。たとえその歌が、戦後の小林秀雄の仕事に顕著にみられるように、それぞれの国の風土に根ざした〈伝統〉の宿命を奏でるものであったとしても、どうして、こういうタイプの表現者を土俗的な思想家とよぶことができようか。

 小林秀雄に最もよく似たタイプの文学者は、福田恆存であろう。

 福田が小林に強いシンパシーを感じていたのも、十分にうなずけることである。(この稿続く)

 

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書評:スピノザ『エチカ』(連載第7回) 川喜田八潮

  • 2017.01.29 Sunday
  • 12:39

川喜田八潮評論集『コスモスの風』

書評篇

スピノザ『エチカ』(畠中尚志訳)岩波文庫(連載第7回)

 

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 私は、これまでの前半生の中で、四人の偉大な思想者・芸術家と運命的な出逢いを果たしている。

 始めに出逢ったのは、ドストエフスキーで、十四歳の時であった。

 ドストエフスキーは、〈地〉の芸術家である。

 ロシアの大地に跪(ひざまず)き、母なる大地に宿りたる神の懐(ふところ)に抱かれんとした人である。そのことで、〈生活〉という大地を見失い、観念的な根無し草と化した近代人の〈虚無〉を超えんとした。

 次に私がめぐり逢ったのは、中国古代・戦国乱世を孤高の哲人として生き抜いた、〈非知〉の人・荘子(そうじ)である。二十二歳の時であった。

 荘子は〈水〉の人である。

 彼は、紀元前四世紀の戦国乱世という、分立する大国間の抗争の時代、殺戮と不条理に覆われた絶望的な暗黒の時代を、一切の人間的・知的な〈作為〉を捨てて、あるがままの〈自然〉に身をゆだねることで超越せんとした。

 物事への大小・美醜・善悪などの人間的な価値差別を相対化し、解体・一掃せんとした。

 ただひたすらに、生命と虚無の両義性を備えて渦巻く、無限なる闇の渾沌(カオス)=〈水〉の世界(コスモス)との一体化を図ることで、現世の不条理を超越し、解脱せんとしたのである。

 実は、私は、この荘子という思想家に二度、出逢っている。

 初めてその著作に触れたのは、満二十二歳となった一九七四年の秋であった。

 理論物理学者・湯川秀樹のエッセイを通して知り、『荘子』の原典を読みふけった。

 当時の私にとって、荘子は、老子と同様の、「無為自然」を説く、厭世的なアジア的ニヒリストとしてしか映らなかった。しかし荘子は、実は、『老子』にみられるような、没主体的で反生命的な、徹底した脱現世主義=絶望の哲学とは、明確に一線を画する思想の持主であった。

 荘子の主体的な生命思想の真の深み、人性と人間界・宇宙(コスモス)への透徹した畏るべきまなざし、その凄さに真に気づかされるには、自分の二十代後半の実存的な危機の時代、魂の地獄の試練をくぐり抜けた後の、一九八二年の春、二十九歳の時まで待たねばならなかった。その思想的覚惺は、福永光司氏の畢生(ひっせい)の名著『荘子』(中公新書)との出逢いによってもたらされた。福永氏の訳による『荘子・内篇』(中国古典選・朝日新聞社)を、当時私は、繰り返し熟読した。

 三番目に私が運命的な出逢いを果たしたのは、三十代の後半で、D・H・ロレンスであった。ロレンスは、〈火〉の芸術家である。

 彼もまた、ドストエフスキーや荘子と同様、孤高の思想者・表現者であった。

 己れの〈身体〉という窓口を通して、森羅万象のコスモスと共に生き、深々とした水性の〈闇〉の深奥から、情熱的で官能的な〈火〉を紡ぎ出した人物だった。

 そして、最後に、私が運命的にめぐり逢ったのが、〈風〉の人スピノザであった。

 このように振り返ってみると、私は、これまでの前半生の生涯の中で、〈地〉・〈水〉・〈火〉・〈風〉を象徴的に体現する四人の人物と、運命的にめぐり逢ったことになる。(もっとも、ドストエフスキー思想の真髄を「再発見」するには、「四十代初め」まで待たねばならなかったが。)

 それらの出逢いは、いずれも、人生の危機的な節目節目に訪れており、私を支え、ぎりぎりの懸崖から、私を救い出してくれたのである。

 それは、私自身にとっては、まことに霊妙不可思議な縁(えにし)というほかはない。

 というのは、これら四人とのめぐり逢いは、「ソクラテス以前」の古代ギリシア「イオニア派」の自然哲学者エンペドクレスの地・水・火・気の四元素説を想起させるからである。

 地・水・火・気(風)の四元素は、私たちの〈生身〉の具象世界を司(つかさど)る根元的な存在形態であると同時に、空間的・三次元的な、形而下の物質世界に宿りながら、それを包摂し、超越的に司る不可視の四次元的な形而上的実在を象徴するものである。

 それは、太古以来の人類の神話的な想像力の源泉であり、コスモスとの主・客融合的な一体化と交流の感覚によって支えられ、その中から紡ぎ出された表象である。

 万物の根元をメタフィジカルな〈水〉に視たターレスも、森羅万象を活かしめる生命の根元に〈火〉を求めた、誇り高い情熱の哲人ヘラクレイトスも、宇宙を司る「炎の輪」を想い描いたアナクシマンドロスも、皆、主知主義的な懐疑の哲人ソクラテスの登場以前に活躍した、イオニア派のコスミックで生命的な自然哲学者たちであった。

 わが国でも、十九世紀の前半に活躍した平田篤胤のように、古代の神話宇宙に、イザナギ・イザナミによって産み出された火・風・水・土の四神の働きを幻視した思想家もいる。

 もっとも、篤胤は、「実(げ)に、火ばかり奇霊(くしび)なる物は有(あ)らじ」(『古史伝』)という言葉にもあるように、ヘラクレイトスやニーチェ、ロレンスと同様、あくまでも〈火〉を価値的に優位に据えんとした。

 だが、私の考えでは、地・水・火・風の四つの次元は、いずれかを価値的に優先すべきものではない。

 その全てを等価に扱うことこそが肝心なのであり、この四つの次元が、私たちの魂を支えるまなざし、存在のメタフィジカルな根元として、価値的な〈均衡〉を保ちながら〈円環〉を成すことが必要なのである。

 

     14

 

 もっとも、中心をなすのは、あくまでも〈水〉と〈火〉のイメージである。

〈水〉は、宗教学者のミルチャ・エリアーデも言うごとく、森羅万象を司るメタフィジカルな渾沌(カオス)の次元を象徴するものであり、「生きる」という営みは、生命と虚無の両義性を備えて渦巻く、この〈水〉=〈闇〉の深奥から、〈火〉=〈光〉を紡ぎ出すことだからだ。

 人類にとって、いのちの〈火〉を紡ぎ出し、燃え上がらせることは、大地の〈重力〉に拮抗し、日輪の輝きに呼応することである。それが、「直立二足歩行」するようになった「異形(いぎょう)の猿」である人類の偉大な進化史の〈奇跡〉なのであり、それはそのまま、主・客を分離することによって、自然を対象化し、〈制作〉という行為を通して自然を改造することで、大脳の働きを促し、ひいては、〈文明〉という反自然的な構築物を産み出してゆくプロセスでもあった。

 しかし、その進化史の軌跡は、同時に、人類に、大脳新皮質的な〈知〉の尊大さをもたらし、人類を、自然から切り離された「観念的存在」たらしめるという危うさに導くものでもあった。

 人が「生きる」という営みのエネルギーの源泉は、実は、大脳に在るのではない。

 内臓の働きと血液の流れを支える「自立神経叢」、すなわち、D・H・ロレンスの言う「太陽叢」、近年ヨガや東洋医学で言われるところの「太陽神経叢」の働きにあるのだ。

 脳の視床下部ともつながる、この自立神経叢の働きがあってこそ、内臓はすこやかに機能し、血液が滞りなく全身を循環し、毒素を体外に排出し、栄養が細胞にゆき渡るのである。

 われわれの生きる風景が、五感を通してみずみずしい表情を帯び、生気ある充溢感をもたらしてくれるのは、この太陽神経叢によって司られた内臓や血液の無意識的な働きのおかげなのである。

 この意味で、内臓の働きと血液の流れを支える〈無意識〉の領域は、実は、〈個〉の輪郭を超えた、主・客の融合とダイナミックな交流の感覚の織りなす〈生身〉の生の風景=コスモスを司る、より巨きな、「類的」な〈無意識〉とつながっていることになる。

 神話的・形而上的表象を通して言い換えるなら、われわれの〈無意識〉の世界は、森羅万象に宿り、それを司る、大いなる〈水〉のコスモスに連動し、拡がっているのだということになる。

 人間にとって「生きる」という営みは、この〈水〉の中から〈火〉を紡ぎ出さんとすることであり、それはそのまま、大脳新皮質的な理知=意識によってではなく、〈無意識〉の宿り手たる自立神経叢に支えられた内臓の働きと血液の流れによって生きること、すなわち、みずみずしい官能的で生命的な身体感覚によって生きることにほかならない。

 スピノザの思想が示すように、理性・知性というものは、その生気ある無意識的な身体性の逆説的な〈解放〉のためにこそ、行使されなければならないのだ。透徹した、澄み切った叡智・聡明さという〈風〉が、それを可能ならしめるのである。

 創造行為における芸術的な直観や手仕事における職人的な技も、本当は、この生気ある身体性に支えられてこそ可能となる。

 だが、人のいのちの〈火〉は、〈生活〉という「大地」に包まれてこそ、すこやかで幸せなものたりうる。そして大地とは、固有の〈風土〉に包まれた存在である。

 風土とは、その土地に固有の風景であり、動植物・自然であり、建造物であり、人々の無数の記憶・想いが沁み込んだ歴史的な場である。

 そしてまた風景とは、そこに縁(えにし)をもった一人ひとりの人間と対象との間に生ずる主・客融合的な固有の〈意味づけ〉によって、日々形作られる固有の感覚にほかならず、人々のその感覚の総体こそが、〈風土〉という生命的な場を紡ぎ出し、織り上げるのである。

 個々の人間の生きる風景が風土をつくり出し、逆に、風土は個々の人間を包摂し、そのいのちを賦活(ふかつ)すると共に、良きにつれ悪しきにつれ、その生を規定するのである。

 風土に根ざした人と人、人と風景のつながりに支えられてこそ、〈生活〉もまた、個々人に固有の輪郭を与え、他者には伝え難い、無量の哀歓の歴史を通して、個々人の身体に生の年輪=厚みを刻みつけ、「生き抜いてきた」ことのたしかな証し、生涯の物語性というものを可能ならしめるのである。

 〈個〉としての真の〈主体性〉というものも、その風土、〈生活〉という大地に支えられてこそ、初めて、人に生の充実をもたらしてくれるものとなりうる。

 だから、大地とは、人間にとって、一方的に征服すべき対象ではないし、また、たまたま「仮りずまい」を強いられて「点在」しているだけの、無機的な生活空間でもない。

「生かされながら共に生きる」という、〈共生〉の場としての風土でなければならないのだ。

 しかし、〈地〉とは、〈水〉の位相のひとつである。

 〈水〉が、海・月・闇と連なる、生命と虚無の両義性を備えた渾沌(カオス)の象徴であり、森羅万象を四次元的に包摂し、司るメタフィジカルな実体である以上、大地もまた、〈水〉によって司られている。

 実際、三次元的な存在としても、大地は〈水〉の一種なのである。

 地球物理学の「大陸移動説」に言うごとく、地球上の大陸や島々もまた、海と同様に、常に地殻と共に移動している流体=〈水〉なのであり、その「マントル対流」の中で、地震やマグマの活動による火山の噴火などの非日常的で不連続的な暴発も発生したりするわけである。人の〈生活〉を成り立たしめ、恵みをもたらしてくれる大地とて、渾沌(カオス)としての〈水〉によって司られている以上、人間を不条理に陥れる危険を併せもった両義的存在であることを忘れてはならない。

 だからこそ、人は、「祈る」という心、祈りつつ身を「ゆだねる」という、大いなる存在への〈畏怖〉の心を大切にしなければならぬのである。

 人もまた、大地・風土と共に、動植物と共に、不可視の〈水〉によって活かされ、〈水〉によって司られている両義的存在にほかならない。

 ドストエフスキーの言うように、人が「大地に跪(ひざまず)く」という行為は、たしかに、大いなる存在=神への〈畏怖〉の心を表わすものではあるが、同時に、己れを超えた自然、運命のはからいによって不条理の淵に叩き落とされ、翻弄されるという不幸に対する、圧倒的な無力感を象徴するものでもある。無常感に蝕まれ、虚無の淵に呑み込まれることを甘受するという、アジア的な諦観=ニヒリズムに通底するものである。

 それはまた、大地によって象徴される〈闇〉のカオスの中から紡ぎ出され、大地に育まれ、包摂されながらも、母胎たる大地との闘争によって自らの世界を開示せんとする、存在の生成史のドラマを、酒神の戯れのごときものとみなし、その興亡の物語を通して、逆説的に、存在を回収する根源としての大地=〈闇〉の圧倒的な巨大さを浮上させるという、ハイデガーのドイツ・ロマン主義風の陰鬱な〈無〉の思想にも通じている。

 大地の〈重力〉に屈服し、全身をまるごと〈闇〉に包み込まれる事を運命として甘受し、それをもって、存在の母胎たる大いなる原初の〈自然〉(ピュシス)への回帰とみなす、歪んだ「地母神」信仰の姿だ。

 同じく、ディオニュソス的な生の陶酔をうたいながら、闇の深奥から炎を紡ぎ出し、日輪に向かって屹立(きつりつ)し、生命的に飛翔せんとしたニーチェの思想との、紙一重の、しかし決定的な、倫理の身構えの差異でもある。

 世界を盲目的な〈意志〉の戯れによって司られた不条理な幻影(マーヤ)とみなすショーペンハウアーの被虐的なペシミズムも、もちろん、ハイデガーの陰鬱な地母神崇拝と同じ穴のムジナであるといっていい。

 ハイデガーもショーペンハウアーも、重々しい深刻ぶった哲学者づらをしながら、陰鬱な諦観を披瀝したり、ロマン主義的な挽歌をうたい上げたりしてみせるが、その背後には、死と不条理の想念を弄び、絶えざる痙攣的な刺激の中で感覚をマヒさせ、苦痛の中に快楽の昂進を求めて止まない、倒錯的な美学のカラクリという奴が透かし視える。

 人間のサド・マゾ的病理の底知れぬ闇という奴が。

 人類が、〈文明〉と呼ばれる巨大システムを生み落としてからこのかた、何千年も昔から、性懲りもなく繰り返してきた、陳腐極まりないニヒリズムの系譜だ。

 それこそ、まさに、スピノザが凝視してみせた「悲しみの受動的感情」の一種にほかならない。

 それは、己れの本性に根ざした、純粋で内発的な欲望を解き放ち、開花させ、生気溢れる喜びに満ちた感情の内に生きんとする姿勢とは対極にあるものであり、〈生活〉を肯定し、幸せになりたいと希う者にとっては、明瞭に悪なのである。

 人類が大地の〈重力〉に拮抗して直立二足歩行し、太陽に向かって屹立することが、人類にのみ許された、偉大な進化史の第一歩であり、日輪と呼応する、いのちの〈炎〉を赤々と燃え上がらせる営みであった事、〈水〉の深奥から〈火〉を紡ぎ出さんとする官能的で生命的な力わざであった事を忘れてはならないのだ。

 だから、私たちには、二つの次元へのまなざしの〈均衡〉が必要なのである。

 大いなる〈水〉への畏怖の心と、〈水〉に拮抗し、いのちの〈火〉を立ち上がらせんとする雄々しき魂の二つが必要なのだ。

 そして、この二元的均衡を支えるものこそ、透徹した理性・知性の導きによるスピノザ的な〈風〉であり、また、〈火〉を生活の内に根づかせる、風土=〈地〉への共生と畏怖の両義的なまなざしなのである。

 このように、人が幸せに生きんとする上で、地・水・火・風の四つの次元へのまなざしは、相補いつつ均衡を保ちながら、円環を成すべきなのである。

 私がこれまでの己れの恥多き、試行錯誤の繰り返しであった悪業深い前半生を、とにもかくにも生き抜いてこられたのは、もちろん己れの力を超えた摩訶不思議な加護と導きがあったればこそであったが、それと同時に、その過程で、四人の思想家・芸術家たちに象徴される四つの次元によって、からくも、奇跡的に支えられてきたからであった。この四大次元の円環的均衡を握りしめて離さぬこと、内省的な導きの糸とすること。それが、これからの、六十代以後の自分の後半生を支えてくれるまなざし、生の心棒であると、私は確信している。

 スピノザとの運命的な出逢いは、私にとって、その円環の最終局面、すなわち完成の局面を準備してくれるものとなった。

 この私のささやかな主観的感慨・思想が、私以外の縁(えにし)ある読者にとっても、どうか、普遍的な意義をもつものとなりますように。(了)
 

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近代批評の終焉―小林秀雄の病理をめぐって―(連載第1回) 川喜田八潮

  • 2017.01.28 Saturday
  • 15:54

 

*この評論は、1999年の3月に発行された「星辰」第二号で発表されたものである。

 当初は、「近代批評の終焉」(上)・(中)・(下)と題して、「星辰」第二号〜第四号の三回にわたって連載されたが、その内、(上)だけを今回独立した論考として掲載することとした。(ただし、ごくわずかな字句と文の手直し・補いを施したことをお断りしておく。)

 小林秀雄は、私にとって縁の深い文学者の一人である。「無常といふ事」「モオツァルト」などの古典論の数々には、かつて強いインパクトを受けたことがあるし、講演集『考えるヒント3』に収められた「信ずることと知ること」など、今でも深い共感を覚える批評文も少なからずある。その孤独な風貌といい、人の思惑を気にせぬマイペースな仕事ぶりといい、できることなら、批判の対象にはしたくないタイプの表現者なのだが、いかなる因縁か、そうもいかなくなってしまった。ここに掲載する「近代批評の終焉」は、私が四十代の後半に執筆した文章である。十八年以上も昔に書かれたもので、今の私なら、こんなケンカ腰の、殺気走った文体では書けぬし、書こうとは思わぬだろう。

 だが、今読み返してみても十分に鮮度のある文章であり、自分で言うのもなんだが、活を入れられるというか、背筋をシャキッとさせられるような想いになるので、改めて掲載することにした。

 小林秀雄ファンの方も含め、読者のご寛恕を乞う次第である。

        二〇一七年一月   筆者

 

     1

 

 昭和十年に「文学界」の中心に立って、事実上、文壇のボス的存在の一人となった小林秀雄が、この雑誌を己れの個人編集誌の如く扱い得るという結構な身分に立って、この年から昭和十二年にかけて存分に書きたい放題の論を展開してみせた労作が、彼の代表的著作のひとつとされる『ドストエフスキイの生活』である。その「序」には、小林の歴史と古典作品への認識方法のあり方がきわめて鮮明に吐露されており、この認識論はそのまま、小林の芸術=表現理念であると共に、彼の世界観(存在論)でもあり、ひいては生活理念ともなっているという、すこぶる印象的なしろものである。

 彼の認識論のベースとなっているのは、私たち人間の生存様式とは無関係に独立して存在している、非情なる客観的(外在的)実在としての「自然」という概念規定にある。

 小林は言う。「自然は人間には関係なく在(あ)るものだが、人間が作り出さなければ歴史はない。(中略)地球上に人類が現れた事が、自然にとって一偶然事に過ぎないならば、自然は、人間の手で附けられた様々な痕跡を、例えば氷河の附けた痕跡とか、貝殻のつけた痕跡とかと区別する術(すべ)を知らないに相違ない。地球が人類その他の生物を乗せているのも暫(しばら)くの間だ。その暫くの為に、自然が、その機制を変えるとは誰も考えやしない。そういう自然の世界に、自然科学的精神という人間の一能力が対応する。そしてこの一能力は、その純粋な形に於いては、出来るだけ人間臭を脱した『自然常数』の確立を目指さざるを得ない事は言うまでもない。この言わば人間が自ら厳密な一尺度と化する能力は、自然が僕等に強(し)いたのかも知れぬ。(中略)だが、歴史は僕等に何を強いるのか、もし僕等が作らなければ歴史はないならば」「自然は疑いもなく僕等の外部にある。少くとも、自然とは、これを一対象として僕等の精神から切離さなければ考えられないある物だ。だが、歴史が僕等の外部に在るという事が言えるだろうか。僕等は史料のないところに歴史を認め得ない。そして史料とは、その在るがままの姿では、悉(ことごと)く物質である。それは人間によって蒙(こうむ)った自然の傷に過ぎず、傷たる限り、自然とは、別様の運命を辿(たど)り得ない。自然は傷を癒そうとするのに人間の手を借りやしない。岩石が風化を受ける様に、史料は絶えず湮滅(いんめつ)している。湮滅が人間の手で早められるとすれば、それは自然にとっては勿怪(もっけ)の幸いに過ぎまい。そういう在るがままの史料というものが、自然としてしか在り様がないならば、其処(そこ)に自然ではなく歴史を読むのは、無論僕等の能力如何(いかん)にだけ関係する。そしてこの能力は、史料という言葉を発明した能力と同一である他はあるまい。この能力には史料を自然の破片として感ずる事が出来ないのである。それなら、史料を自然の破片と観ずるもう一つの能力に対する或る能力があるわけで、古寺の瓦(かわら)を手にする人間は、その重さを積る一方、そこに人間の姿を想い描く二重人なのである」「この二つの能力は、つまり人間を自然化しようとする能力と自然を人間化しようとする能力は、僕等の裡(うち)で、なるほど離し難く混合しているが、仮りに、と言うのはこの文章の技術上、ここに区別して考えてみているわけだが、この二つはまったく逆の方向に働いているばかりではなく、その性質も似ていない。それぞれの性質を誇張してみればよい。自然は僕等に疎遠になればなる程、僕等の理解に好都合な世界として現れる。別言すれば、僕等は外物による検証の段階を踏み、真理とは何物かを知らないとしても、少くとも検証に堪えない物は除き得る真理の世界を、自然に対応させるに至る。この世界の支えは言葉ではないのだ。だが、これに反し、自然を人間化する能力は、言わば生き物が生き物を求める欲望に根ざす、本質的に曖昧な力である。無論これは非合理的な力であり、自然は元来人間化なぞに応ずるものではない。従って人間化された自然とは、その純粋な形では、神話に他ならず、言い換えれば僕等の言葉に支えられた世界である」

 小林秀雄が述べていることはきわめて明晰だ。「自然」とは、私たち人間の生きざまや魂のあり方とは全く無縁に「客体」として外在している非情酷薄な物理的存在にすぎず、自然科学的精神という仮説検証のプロセスによってのみ探求し得る(非人間的な科学的言語によってとらえられる)真理の世界にほかならない。それに対して、人間の手によって再構成された「歴史」という世界は、そういう客観的(非人間的)な「自然」に拮抗して、「生き物が生き物を求め」ようとして人間的な言語が編み出す、主観的な幻想としての「神話」にほかならないということである。「歴史」という、「自然を人間化する能力」によって創り出された物語は、小林にいわせれば、「歴史という言葉に支えられた世界」であり、「言わば存在しないものに関する能力」の産物であるということになる。

 私たちは、この「歴史」という「神話」を、「史料」という、乏しい断片的痕跡を元に創造してゆくのだが、史料は、私たちの想像力に対する強力な「抵抗物」であり、この抵抗物を乗り超えて飛翔せんとする人間的な渇きが、私たちの固有の「神話」を誕生させることになる、というのである。

「……歴史の認識はどうしても純粋な姿を取り得ない。言わば歴史を観察する条件は、又これを創り出す条件に他ならぬという様な不安定な場所で、僕等は歴史という言葉を発明する。生き物が生き物を求める欲求は、自然の姿が明らかになるにつれて、到る処で史料という抵抗物に出会うわけだが、欲求の力は、抵抗物に単純に屈従してはいない。この力にとって、外物の検証は、歴史の世界を創って行く上で、消極的な条件に過ぎないので、どんなに史料が豊富になっても、その網の目のなかで僕等の想像力は、どこまでも自由であろうとするだろう。僕等の日常の生命が、いつも外物の抵抗を感じて生きている限り、歴史にあっても同じ事だ。既に土に化した人々を蘇生させたいという僕等の希いと、彼等が自然の裡に遺(のこ)した足跡との間に微妙な釣合いが出来上がる」

 小林がこの序論で語っている「歴史」への姿勢は、そのまま、彼の思想のあり方からすれば、われわれの「生活」や「生きる」という営みにおいても、また、「芸術」や「表現」という行為においても妥当するものだといってよい。

 なぜなら、小林秀雄の理念の枠組においては、人が「生きる」あるいは「創造する」という事実は、私たちの地上的肉体そのものとは別次元の、いわば存在からの〈疎外〉形態としての幻想領域による、存在の制約への抵抗ないし超越にほかならないからだ。

 そして、この、人間にとって冷ややかで外在的な無意味なカオスとしての存在に対する拮抗ないし超越の渇望を満たさんとする武器こそが、われわれの「言語」であり、言語によって生み出された幻想の産物である「芸術」や「歴史」だと位置づけられる。

 「史料」もまた、私たちの「日常の生命」が出会う諸々の「外物の抵抗」と同様に、また、人間という「自然」がそもそも担っている不条理な物理的肉体的制約と同様に、存在という制約を超えんとする人間的幻想的な希求に対する抵抗のひとつにほかならない。

 それでは、この史料という抵抗物を超えて、歴史という固有の主観的幻想=「神話」を創造せんとする渇きとは、どのようなものであるべきなのか。小林によれば、それは、死んだ愛児の面影を、遺品を前にして生き生きと蘇生させようとする母親のかけがえのない〈喪失感〉の如き感情であるという。

「子供が死んだという歴史上の一事件の掛替えの無さを、母親に保証するものは、彼女の悲しみの他はあるまい。どの様な場合でも、人間の理智は、物事の掛替えの無さというものに就いては、為(な)すところを知らないからである。悲しみが深まれば深まるほど、子供の顔は明らかに見えて来る、恐らく生きていた時よりも明らかに。愛児のささやかな遺品を前にして、母親の心に、この時何事が起るかを仔細(しさい)に考えれば、そういう日常の経験の裡に、歴史に関する僕等の根本の智慧を読み取るだろう。それは歴史事実に関する根本の認識というよりも寧ろ根本の技術だ。其処(そこ)で、僕等は与えられた歴史事実を見ているのではなく、与えられた史料をきっかけとして、歴史事実を創っているのだから。この様な智慧にとって、歴史事実とは客観的なものでもなければ、主観的なものでもない。この様な智慧は、認識論的には曖昧だが、行為として、僕等が生きているのと同様に確実である」「僕は本質的に現在である僕等の諸能力を用いて、二度と返らぬ過去を、現在のうちに呼び覚ます、しかもこの呼び覚まされたものが、現在ではない事をまたよく知っている。こういう矛盾に充ちた仕事を、僕等は何んの苦もなくやってのける。僕等が自分達の発明にかかる時間のうちにいる限り、其処(そこ)に何等疑わしいものに出会う事はない。謎のなかにいる者にとって謎はない。それが人間の世界である」

 小林秀雄によれば、「歴史」とは、はるか昔にその真の実体は失われて、今のわれわれの眼からは永遠に「隔てられた」ものにすぎない。われわれはただ、断片的なはかない〈痕跡〉をもとに、われわれ自身の〈喪失感〉のパトスを通じて、われわれ自身の「神話」を復元できるだけだというのである。

 小林は、「あるがまま」の歴史的な姿を復元しようとする一切の努力を、「痴呆の希い」とまで言ってのける。

 

     2

 

 明らかなことだと思うが、小林秀雄の認識論は、歴史的真理に関する一種の相対主義であり、それはそのまま、自然科学的真理を除く一切の人間的な幻想領域である思想・文学・芸術における真理の相対主義へと延長しうるものである。この相対主義を支えているのは、人間的営みとは無縁な外在的存在である「自然」という、私たちにとって今や科学真理めかした陳腐な常識と化している西欧近代的な固定観念と、この観念的な先入観の裏返しとしての、主観的=独我論的な真理概念にほかならない。

 換言すれば、非人間的で不条理な外物としての物理的自然という単純きわまる存在概念から締め出されてしまった一切の人間的な、自然・存在への生命的有機的な意味づけ・身体感覚・価値意識というものを、小林的理念は、単なるいじましい〈主観〉の幻影(「存在しないもの」としての、言葉の上だけの虚構=幻想の産物)の領域へと封じ込めてしまったのである。

 こういう世界観からは、思想・文学・芸術・歴史に関する一切の真摯な真理探求は、単なる独我論的宇宙の構築とみなされるほかはないし、そういう価値意識は結局、実生活と表現を二元的に分離して、表現=芸術という天上的な幻想領域を、不条理な地上的生活苦に拮抗しこれを超越し得る唯一の生の根拠とみなすような、思い上がった芸術至上主義の理念に収斂してゆくほかはない。

 価値相対主義・真理相対主義とは、実は、ひとつのニヒリズムの形態にほかならない。

 一九八〇年代におけるポスト・モダンの言説以来、今日の私たちのジャーナリズム世界では、諸々の真理概念・価値観をめぐる相対主義的ニヒリズムが猖蹶(しょうけつ)をきわめているが、その淵源をたどると、昭和初期の小林秀雄によって典型的に象徴されるような、価値と意味を剥奪された無機的な自然=存在概念とその裏返しである独我論的な相対主義的真理概念にまでゆきつくのである。

 世界=宇宙(コスモス)とわれわれ自身の存在との生ける身体的意味づけとそれを裏付ける森羅万象との生身の〈接触〉の感覚が完全に崩壊し、われわれの身体とは分離した〈客体〉としての物理的外在的自然と、それに対立するアトム化した観念的〈自我〉意識に分裂するような近代的病理の極相に達した時、それは生ずる。

 こういう二元的な〈分裂〉の病相においては、私たちのあるがままの経験世界において立ち顕われる〈存在の驚異〉に対する新鮮な感受性は完全に麻痺(まひ)しているといってよい。

 私たちの経験世界において体験し観察し得る、世界の光と闇の、言語を絶する不思議さの感覚。恐るべき不条理や災厄、運命の翻弄のいわれのない悪意と、それとは似ても似つかぬ〈奇跡〉のような幸福な人生の諸々の出会い、人と人との不可思議きわまる〈縁(えにし)〉のあり方、樹々や草花や太陽や星の輝き、われわれの魂のあり方に呼応して刻々と相貌を変える風景の精妙な奥深さ……。

 〈個〉の内に宿りながら〈個〉をはるかに凌駕した、それら生の巨大な未知の流れに対するみずみずしい〈驚異〉の心、人生のめぐり合わせの不思議さへの真の〈畏怖〉の感覚を知る者にとっては、われわれ人間の魂のあり方や生きざまとは縁もゆかりもない無意味な外物としての物理的自然の概念とか、その自然の脅威に敵対するために仮構されたちっぽけな独我論的自我意識の砦などといった、物心二元論的な不幸な引き裂かれた世界観は、全くもって受け入れがたいものである。

 小林秀雄のような観念的な近代インテリ好みの認識論を可能ならしめているのは、なによりも、こういう〈存在の驚異〉に対するみずみずしい素直な感受性の〈欠落〉、前近代の民衆ならば誰もが保持し得ていたような、われわれの〈生身〉の身体と世界との間の〈接触〉と〈意味づけ〉に根ざしたコスモス的な感覚の喪失=崩壊なのである。

 小林は、このような病める存在概念を根底に据えた上で、彼一流の独我論的正当化の論理に則して、己れの主観的恣意的な歴史認識を、ドストエフスキーをはじめ、種々の古典に対して行使しようというのである。

「ドストエフスキイという歴史的人物を、蘇生させようとするに際して、僕は何等格別な野心を抱いていない。この素材によって自分を語ろうとは思わない、所詮自分というものを離れられないものなら、自分を語ろうとする事は、余計なというより寧(むし)ろ有害な空想に過ぎぬ。無論在ったがままの彼の姿を再現しようとは思わぬ、それは痴呆の希いである」

 「痴呆の希い」とは、よくも言ってくれたものである。

 こういうニヒリズムは、一見深刻ぶった真摯な真理を語っているようにみえるが、実は、歴史的存在に対するきわめて冒瀆(ぼうとく)的でデカダンな態度にすぎない。

 私もまた、小林と同様、人間の生に関わる歴史的真理の「客観性」などという概念を支持してはいない。しかし、それは、歴史的人物の「あるがままの姿」を復元しようとする努力が空しいものであるとか、われわれに探求可能な歴史の〈真実〉なるものがそもそも存在しないなどということを決して意味してはいない。

 「客観性」という言葉を、誰でもが「納得」せざるを得ないような「共同主観性」という意味合いで使うならば、私もまた、歴史的人物の生に関する真理の「客観性」などは信じない。

 自然科学においては、仮説から導き出される種々の結果を実験ないし観察によって検証することで、仮説の蓋然的な正当性を客観的に(共同主観的に)高めたり、反証したりすることができる。しかし、人文・社会科学、とりわけ、思想・文学上の認識領域においては、いかなる主張・真理も、個々人の置かれた内面的な〈契機〉によって「了解」可能性は全く異なってくる。たとえ一点の非のうちどころもなく論証ないし検証してみせたつもりでも、それに接する人間の内的契機によっては受容しがたいものとなるのだ。いかなる人間も偏見や感情のとらわれに左右されやすい存在であるからというばかりではなく、機縁が熟していない時には、たとえどんなに相手の主張を頭で「理解」でき、反駁不可能なまでに説得されても、決して肚(はら)の底から「納得」させられないのが、人間という生き物だからである。

 文学・思想上の真理というものは、〈身体〉のレベルにおいて、単なる「理解」から「了解」への水位が高まった時、はじめて真に受容可能なものとなる。言葉づらだけで相手を「説得」しようとしたり「論破」しようとする知識人や啓蒙家の努力が、空しい、笑止千万なしろものとなるのもそのためである。

 文学・思想の領域においては(もちろん歴史的人物の生きざまについての内的理解も含めて)、そもそも真理の「客観性」(共同主観性)など成立しようがなく、いかなる主張も大なり小なり主観的たらざるを得ないのである。

 小林秀雄の如き独我論的認識論・相対主義的真理観が正当性を主張しようとする背景には、彼の近代病理的な物心二元論の世界観のほかに、このような文学・思想領域における客観的真理の原理的不可能性という単純な要因も横たわっている。

 しかし、われわれの思想・文学・歴史についての考察・主張が、大なり小なり主観的で相対的なものにならざるを得ないからといって、われわれにとって探求可能な〈真実〉なるものはそもそも存在しないとか、歴史の「あるがままの姿」を復元したいという痛切な願望が「痴呆の希い」にすぎないということにはならない。

 小林は、己れの歴史認識(歴史復元)の方法を、「ささやかな遺品と深い悲しみとさえあれば、死児の顔を描くに事を欠かぬあの母親の技術」にたとえているが、決定的な違いが一つある。この母親が遺品をもとに蘇生させようとしている愛児の〈面影〉は、彼女にとっては、かつて存在していた唯一の真実の姿を宿したものだと固く信じられているのに対して、小林秀雄は、ハナっから己れの復元しようとする古人の姿を、実際にはかつて存在したこともなかった彼自身の主観的な幻想(幻影)=虚構の産物であるとみなすようなニヒルな認識論に立っているという点である。

 そのような、言葉だけの〈虚構〉であって何が悪いと、彼は居直っているのである。

 過去を求める〈真剣さ〉の質において、小林とこの母親とは、ハナっからまるで違っているといってよい。小林の歴史探求の情熱には、当初から、己れの好みの歌をうたえればそれでよいという、どうしようもないデカダンな、不真面目な独我論の匂いがつきまとっているのである。

 こういうとてつもない恣意的な傲慢さによって、小林秀雄は、歴史的認識に対する一切の合理的批判を封じるばかりか、己れの独断的批評へのまっとうな批判すら一蹴するような、ふざけた「免罪符」をちらつかせているのだ。

 なるほど、私たちが歴史を復元しようとする試みは、しばしば浅はかで、誤りに満ちたものかもしれない。探求の前提となる種々の思想的認識や人間論に甘さや誤謬がつきまとい、また、読み手の先入観や時代的制約も大きく作用するかもしれない。

 しかし、対象をある抽象的な切り口に沿って限定し、限られた史料を読み解きながら、われわれなりの人間認識や思想を前提とした直観的洞察にもとづく〈仮説〉を立て、そこから種々の推論を導き出してその整合性を調べたり、史料によって推論結果を検証することによって、仮説の蓋然的な正当性を高めていこうとする試みは、少しでもあるべき唯一の真実に近づきたいという真摯な探求の情熱があるからこそ可能となるのだ。

 史料の語るところを虚心に忠実に聴き取り、対象の「あるがままの姿」を復元したいという真理への思いなくして、決して、歴史は、私たちに、未知の異質なる〈他者性〉としての深々とした相貌、存在感を垣間見せてはくれない。

 もちろん、私たちが知り得る歴史像は、対象全体の巨大さから見れば、ある抽象度に沿って切り取られた一断面の一部分でしかない。しかし、たとえわずか一部分ではあっても、そこに見い出された対象の側面は、私たちにとって新鮮な驚きを与えてくれる、魅力ある異質な〈他者〉としての手ごたえをもっているのである。それは、私たちが、対象の「あるがままの姿」と出会いたいという情熱があるからこそ発見し得るものなのだ。

 そういう真実への無私の情熱の無いところに創造される「神話」としての歴史には、「神話」という言葉に本来備わるような、真の生ける存在の〈輝き〉は宿らず、せいぜい良くて、論者の〈自画像〉のヴァリエーションが生々しく再生されるだけのことである。

 小林秀雄の批評文で取り上げられた古今東西の作家・思想家たちの像は、この意味で、まぎれもない小林の自画像のヴァリエーション・メタファーであり、決して彼にとっての異質な〈他者〉とはなり得ていない。

 すべて、彼自身と共振する彼にとって了解可能な側面のみを断片的に点綴されて造られた巧妙な〈模造品〉を、小林色にユニークに染め上げて仕立て上げたしろものにすぎない。

 小林秀雄は後年、己れの批評方法の勘どころを説明して、対象をうまくホメることにあるという趣旨のことを述べているが、彼にとって〈異和〉を引き起こさせる対象の側面は、常にあらかじめ巧妙に視界からはずされ、〈異物〉として切り捨てられている。論じられる人物たちの姿はすべて、小林の自画像の大きさに沿って刈り込まれた彼のコピイの群れでしかない。

 小林の生涯の仕事ぶりを見ていると、まるで全世界の偉人たちがすべて、彼の兄弟・親友・同朋だと言わんばかりだ。

 彼が取り上げた古人たち一人ひとりの絶対的な生の固有性と孤独の険しさをおもえば、はっきり言って、これは、吐き気をもよおさせる光景ではないだろうか。

 小林秀雄の講演文を読んでいると、一つのテーマの展開に沿って、実にさまざまな作家・芸術家・思想家たちがイモづる式に断片的に取り上げられ、本来ならば水と油の如く相容れようのないはずのそれらの人々が、互いに葛藤することもなく、小林の指揮棒の下に、一斉に小林好みの思想的な主調音を奏でながら、華麗な協奏を演じてみせている。

 これは、相当にグロテスクな見世物である。

 小林の批評文によって描かれる思想家・文学者・芸術家たちは、すべて、華麗で滑らかでペダンティックな彼の文体に似て、やたらつるつるすべすべしていて、実際の彼らの生きざまや思想のあり方に比べて、はるかに口当たりの良い存在と化している。

 『ドストエフスキイの生活』で描かれた作家像のような、エドガー・アラン・ポウに酷似させられた毒々しく異常きわまる病像でさえも、現実のドストエフスキー当人と比べると、はるかにグロテスクに華やいだ化粧が施されており、その安っぽいけばけばしさの分だけ、口当たりの良い見世物になっていると同時に、小林秀雄自身の不幸な芸術至上主義的嗜好の大げさに増幅された「読み物」になっているのである。

 小林は、己れのドストエフスキー論によって「自分を語ろうとは思わない」と言っているが、彼の『ドストエフスキイの生活』ほど、彼自身の芸術至上主義者としての病者の〈自画像〉を正直に語っているものはない。(ちなみに、小林の論とは似ても似つかないものだが、私もまた、拙著『脱〈虚体〉論―現在に蘇るドストエフスキー―』において私なりのドストエフスキー論を展開しているので、ご一読いただければ幸いである。)

 しかも、彼の批評はいつも言葉の素振りだけは深刻ぶっているものの、実際には、対象となる思想家・芸術家たちの生きざまの烈しさとは似ても似つかない気楽な「傍観者」=鑑賞者の場所に己れを置き、舌なめずりするように、口当たりの良い流麗な修辞(レトリック)を洪水のように展開してみせる。

 彼の文体のペダンティックな饒舌(じょうぜつ)ぶりは、何よりも、論ずる対象に対する彼の気楽な〈距離〉の取り方=傍観者的な余裕を証しているのである。

 逆に言えば、論ずる対象へのその〈距離〉=空隙によって生ずる生存感覚の〈空虚さ〉を代償するために、華麗な修辞(レトリック)が必要とされるのだといってもよい。

 坂口安吾は、かつて「教祖の文学」において、小林秀雄の文章の「字面(じづら)からくる迫真力」について言及し、「心眼を狂わせるに妙を得た文章」だと言ってのけたが、まさに言い得て妙と言うべきである。(この稿続く)

 

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