東映初期カラーアニメーションのコスモス―『少年猿飛佐助』と『白蛇伝』を中心に―(連載第1回) 川喜田八潮

  • 2017.08.31 Thursday
  • 11:49

 

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 一九五〇年代は、日本アニメ史の黎明期である。

 高度経済成長が始まった一九五五年の翌年、一九五六年、東映動画株式会社が誕生し、カラーアニメ映画制作に向けての企画がスタートした。そして、翌一九五七年六月末、日本初のカラーアニメーション映画『白蛇伝』の制作が正式に発表され、一九五八年の十月に劇場公開された。

 森繁久彌と宮城まり子が声優として、あらゆる役柄をこなし、劇作家の矢代静一が台詞構成を担当するという、ユニークなものだった。

 この作品は、ベニス国際児童映画祭特別賞をはじめ、内外の賞を受け、日本アニメ史の画期的な第一歩を記すことになった。『白蛇伝』は中国の民話に材を取ったものであったが、翌一九五九年の十二月に公開された、東映カラー長編アニメ映画・第二作『少年猿飛佐助』は、日本を舞台とする初めての時代劇の名作として、満を持して登場することとなった。

 壇一雄の新聞小説を原作とし、血湧き肉躍る勧善懲悪の冒険活劇として作られたこの作品は、『白蛇伝』同様、ベニス国際児童映画祭グランプリ受賞をはじめ、内外で高い評価を受けた。『白蛇伝』と『少年猿飛佐助』の制作には、当時の日本アニメ界の最高水準の力量をもったスタッフが集結していた。

『少年猿飛佐助』では、『白蛇伝』で演出と脚本を担当した薮下泰司が、ひき続いて(大工原章と共に)演出を担当し、脚本には村松道平、原画の作成には、大工原章・森康二らベテラン組に加え、(東映動画第一期生として入社し、後に七〇年代に、テレビアニメの『ルパン三世』や宮崎駿が演出を担当した『未来少年コナン』などで作画監督をつとめることになる)大塚康生をはじめとする新進気鋭のアニメーターたちが当たり、美術では進藤誠吾と小山礼司、音楽は、昭和三十年代初めに頭角を顕わし、後に、高度経済成長期の日本人の心を歌って、演歌作曲家の大御所となった船村徹が担当した。(作詩は、星野哲郎・岩瀬ひろしが担当。)

 演出・美術・音楽・原画と並んで、初期東映アニメーションの死命を制するといってよい、「ライヴ・アクション」を踏まえた(舞いのような、滑らかな身体曲線を生み出す)緻密な動画の作成は、後に、六〇年代半ばに、白土三平マンガを原作とする忍者物のテレビアニメ『風のフジ丸』(一九六四年)の作画監督をつとめた楠部大吉郎をはじめとする、デッサン力のたしかな強力スタッフ陣が担った。

 東映動画のスタッフが総力を挙げて、鬼気迫る執念をもって作り上げた、この日本を舞台とする本格的なカラー長編アニメーション時代劇は、私の観るところでは、(これから詳細に論ずるように)他のアニメに類をみない、空前絶後といってよい、名作中の名作である。その理由を、CGやVFXなどの、ハイテク映像の極致ともいうべき最先端の高画質の作品を見慣れている、今の世の読者諸氏に、果たして、説得力のある言葉で伝えることができるであろうか?

 これから本稿で順次取り上げる『少年猿飛佐助』・『白蛇伝』・『安寿と厨子王丸』の三本のカラーアニメーション映画はDVDで市販されており、インターネットなどで入手可能であるから、実際に映像を観ていただいた方々には、なんとか私の感覚を伝えることができそうに思えるのだが、そうでない読者の方々に、言葉だけで伝えることができるのかどうか。

 正直、心もとないのであるが、力の限り表現してみたいとおもう。

『少年猿飛佐助』の冒頭には、いきなり、安土・桃山時代の画家・長谷川等伯の「枯木猿猴図」が登場する。等伯六十歳頃の作とおもわれるが、松の枯木の荒々しい描線と、猿の親子の生気ある、軽やかなしぐさが、コントラストをなしつつ一体となった、水墨の名品である。

 序曲と共に登場するこの絵に続いて、画面には、四季折々の樹木と森を描いた、気品溢れる、柔らかな水彩日本画をバックとするオープニングが展開する。

 水彩画をバックに、風格のある、鮮烈な朱色の文字によるスタッフ名と共に、勇ましいマーチ風の主題歌が流れる。

 

《力よ力、雲に乗ってこい/山の仲間は猿・クマ・小鹿・オォーッ/胸に友情 瞳に正義/やるぞ 負けずに ついて来い/僕は 少年猿飛佐助 オーッ》

 

 この素朴でシンプルな主題歌を聴いただけで、私などは、すでになんとなく、微かな血の高ぶりを感ずるのである。

 オープニングが終り、物語が始まるのだが、その風景は、秋の紅葉した山々や森の樹々の、繊細で透明感のある日本画的な絵画空間として演出され、オープニングの背景として描かれた水彩画の世界とそのままスムースにリンクする。

 美術と音楽とは、まさに、このアニメの、気品ある古典的な日本的美意識を支える車の両輪なのである。

 黄・紅・橙・緑の綾なす紅葉、青・灰色・こげ茶に描き分けられた樹木、茶色の山道と緑の繁み・野原、それとコントラストをなす青い岩肌、清冽な川の流れ、天高く澄み切った秋空……。繊細な筆致ではあるが、細かすぎず、グラデーションがナチュラルで、ふわりと包み込むような、生命的で温かみのある全体感を演出できている。岩肌の硬質なアクセントも、心地良い。

 この秋の野山を舞台に飛び跳ねる、猿・熊・鹿といった動物たちの生気ある所作・表情が、キメ細かく丁寧に描かれる。その身体の流れるような描写は、樹間を移動する動物たちの動きに伴う、木の葉の散り方や木のしなり方も含めて、実にリアルで、〈風景〉の一部として美事に溶かし込まれている。

 私には、このアニメに描かれた風景の色彩感覚は、やがて物語の中に顕われる、まがまがしい妖気溢れる沼や、主人公の少年・佐助が修業のために登ってゆく戸隠山(とがくれやま)の岩壁の暗く険しい表情なども含めて、戦前昭和初期から、戦後の一九五〇年代にかけて息づいてきた、日本人の伝統的な美意識を想起させる。

 それは、私が幼児期に親しんだ『源為朝』や『安寿と厨子王』『ゆりわか大臣』といった絵本に載っていた、気品ある日本画の挿絵の感覚・記憶と重なるものであり、自分にとっては、まことに懐しい想いがする。

 また、大正末から昭和初期・戦中期を経て、一九五〇年代の初めにかけて活躍した京都画壇の鬼才「梥本(まつもと)一洋」の古典的な物語空間を材とする、象徴的な日本画の作品群にも通底する感覚である。

 こういった伝統的な日本的美意識によって支えられた〈風景〉描写が、『少年猿飛佐助』というカラー長編アニメーション映画のバックボーンをなし、物語全体に、光と闇のふくらみと奥ゆきを与えているのである。

 この美しい山々と森の中で、主人公の少年「佐助」とその姉「おゆう」は、俗塵を離れて、たった二人で暮らしている。

 親族も友人も、およそ彼らに身近な人間は、誰も出てこない。

 家族や仲間といえるのは、サル・クマ・リス・鹿の母娘といった、山の動物たちだけである。

 この素朴でシンプルな設定は、この映画が作られてから五十年以上経った今(二〇一五年)、改めて観直してみても、なんとも、ほっとさせられるものがある。

 佐助・おゆう姉弟の家族や仲間が、もし動物たちではなく、人間という生臭い生き物であったなら、なんとなく油断のならない、不安な匂いが漂わぬでもないが、そうでないから、ゆったりとした、温かい気持ちになれるのである。

 もっとも、登場するのが人ではなく動物たちであっても、例えば、イソップや宮沢賢治の寓話作品のように、あるいはゲーテの『ライネケ狐』のように、動物たちが、生臭い人間の邪悪さや弱さの〈喩〉として描かれる場合には、こうは行かない。

 だが、幸いなことに、初期東映アニメーション映画の『少年猿飛佐助』や『安寿と厨子王丸』では、動物たちは、優しく善良な性情の持主として、素朴に可愛らしく描かれており、人間臭さも無いから、私たちは、彼らの所作を心地良く観ることができる。

 むろん、少年少女を主たる観客として想定しているこのアニメでは、動物は人間の狩猟の対象としては描かれない。

 あくまでも、人間と同類の〈友達〉として扱われている。

 動物は、このアニメでは、人間と自然との牧歌的な共生と連続性の側面を強調するための喩として機能しているのである。

 佐助・おゆうと動物たちの家族的な山暮らしは、気心の知れた者同士の、自給自足的な助け合いによって成り立つ、閉じられた生活小宇宙であり、隠れ里で営まれる、邪心の無い、理想的な共同性のイメージを素朴に具象化したものとみなすこともできよう。

 こういったイメージが、もっと複雑に高度化し、洗練されたユートピアとして造型されると、例えば、一九八四年に公開された宮崎駿アニメ『風の谷のナウシカ』に描かれた小共同体国家「風の谷」になるのであろう。「風の谷」を大国間の抗争と侵略の魔の手から救い出すために孤独にたたかう族長の娘ナウシカのように、主人公の佐助もまた、この山奥の生活小宇宙の平和を守るために敢然とたたかうのである。

 物語は、山の動物たちの、牧歌的な戯れ・遊びのシーンから始まる。

 やがて、おゆうが出した山盛りのサツマイモを、サル・クマ・リス・小鹿・佐助たちが皆で分け合い、夢中になって食べるという、素朴な可愛らしいシーンが、丁寧に描かれる。

 最後に皿の上に一つだけ残ったサツマイモを佐助から譲ってもらって大喜びのクマの「コロ」は、他の動物たちに見せびらかしながら、得意気に駈け出してゆくが、そのイモを、一匹のサルがいたずらしてかすめ取り、次々に仲間のサルたちに投げて手渡してゆく。コロは、イモを取り返そうとしてサルたちを追いかけてゆくが、やがて、イモは、奪い合いの最中に「スズメバチ」の巣の中に入ってしまう。

 コロがイモを取り出そうとして、巣の中に首を突っ込んだところを、ハチの群れが襲いかかる。

 ハチに刺され、必死に逃げ回るコロの姿を見て、仲間の動物たちもあわてて逃げ出すが、やがてハチの群れは、逃げ遅れた小鹿の「エリ」に襲いかかり、執拗につきまとう。必死に逃げるエリは、突然現われた大鷲につかまれ、そのまま沼まで運ばれて、水中に落とされる。

 明るいトーンから次第に不穏な気配へと変容しつつあった音楽が、ここで明確に暗へと転じ、不気味さを増してゆく。

 風景は、それまでとは一転した暗鬱な気配の内に包まれる。空は薄暗くなり、ダークブルーの沼とそれを取り囲む、緑青(ろくしょう)色を基調とする毒々しい岩肌や洞窟、コウモリの描写などによって、えも言えぬ、ドロドロとした、まがまがしい死臭を放つようになる。

 私たちは、生命的な温かい、みずみずしい〈光〉の風景のすぐ近傍に、背中合わせのように、このような毒々しい、死と虚無に彩られた〈闇〉が潜んでいる事を皮膚感覚的に感受させられ、戦慄を覚える。

 沼には、一匹の「大山椒魚」が居て、小鹿のエリに襲いかかる。

 鷲にさらわれたエリの悲鳴を聞きつけて、わが子を助けようとした母鹿は、断崖から果敢に沼に飛び込み、必死に大山椒魚の魔手からエリを救い出すが、自らが身代りとなって、怪物の餌食にされてしまう。

 佐助が母鹿を救うべく、刀をくわえて飛び込み、水中で大山椒魚と格闘するが、かなわず、沼から岸辺へと跳ね飛ばされてしまう。

 やがて、沼の中から巨大な水しぶきが上がり、「夜叉姫(やしゃひめ)」の姿が顕われる。

 その揺らめく妖怪の所作となびく黒髪、長い爪、三日月型に口が裂けた、つり目の鬼女の風貌の怖ろしいこと。

 色白の顔とまっ赤な唇、長い黒髪、コウモリの紋様の入った白い着物、といったコントラストの鮮やかさが、ふるえるような鬼女の声と相まって、凄まじい妖気をかもし出している。

 沼の中から浮上し、地上に降り立った夜叉姫は、黒い枯木の点在する、夕暮れ時の荒野を、亡霊のようにひとり歩んでゆく。

 佐助が刀を抜いて鬼女に挑みかかるが、妖術の霊気で、あっという間にはじき飛ばされてしまう。

 家に戻った傷心の佐助に、姉のおゆうは、夜叉姫の正体を教える。

 古い言い伝えによれば、夜叉姫は、何でも人の物を欲しがり、自分より少しでも美しい女や幸せな人を見ると、すぐに嫉妬の念に駆られて、その人を必ず不幸な目に遭わせるという、魔性の妖術使いである。そこで、時の上人(しょうにん)が、はるばる鹿を道案内に、夜叉姫が棲むという森にやって来て、妖怪を一匹の山椒魚に変えてしまったが、やがて上人が亡くなると、時々元の姿に戻って、罪も無い人々を苦しめているのだという。

 ここで、上人が「鹿」を道案内にしているという設定は、面白い。

 鹿は、古来、日本人が「霊獣」として特に尊重し、慈しんできた生き物である。

 平田篤胤も、その霊性について、主著『古史伝』で、次のように語っている。

 

「…鹿は獣(けもの)のあるが中に、其の性(こころ)直く、大らかにて、親子牝牡(めお)の感(あわれみ)いと厚く、(鹿の妻恋ふことは、古(いにし)へより感(あわれ)がりて、歌にも多く詠みなれたり…)また痴愚(おろか)なるが如くなれど、敏(さと)く殊(すぐ)れて聡(みみと)く、…(中略)…本草(ほんぞう)てふ漢籍に、霊獣なる由(よし)云へるも、由縁(ゆえん)ある説にて、いづれにも、神代より在聞(ありきこ)えたる、奇(くす)しく神々しき獣にぞ有ける、と云へり。」(『古史伝』十一之巻・『新修平田篤胤全集』名著出版所収。( )内の文は、原文の二行割註を一行に改めたもの。)

 

 ちなみに、民俗学の知見によれば、日本の民には、昔から、熊のような獰猛な獣でも、狩猟の対象にした後は、その霊を手厚く祀(まつ)ることで、逆に「守護霊」へと転化させることができるという信仰があったらしく、動物の霊威への畏怖・畏敬の念は、きわめて強いものがあった。

「鹿」は、獣の中でも、とりわけその霊性の気高さによって慈しまれ、可能な限り、殺生は戒められていたと思われる。(狩猟の対象にはなったが、乱獲は戒められていたであろう。)古代において、鹿骨を焼いて吉凶を占う「太古(ふとまに)」が行われてきたのも、「直き性」をもち、天地の〈気〉を俊敏に察知する鹿の霊性が重んじられていたからであろう。

 そう考えてくると、夜叉姫がことさらに「鹿」を餌食の対象として選んだ事も、象徴的な意味合いを帯びてくる。

 それは、上人に対する復讐であり、ひいては、性(こころ)直く、繊細で優しい、情愛深い鹿の気高い性情に対する憎悪の顕われなのである。(沼の底には、餌食になった動物たちの死骸の骨がいくつも横たわっており、その形状は全て、鹿の骨を連想させる。)

 この夜叉姫のまがまがしい存在感・象徴性の圧倒的な凄みこそ、このアニメーションの表現の力強さのキイであるといっていい。

 それは誰が観ても明らかな事だが、その内実が意味するものは、実は、単純なようで、決して単純ではないのだ。

 それは、現代に生きる私たちに、「世界観の変容」を迫るほどの、生の本質的な課題につながる象徴的表現となり得ているからである。(この稿続く)

 

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「中期」太宰治の変容―表現と実生活をめぐるアポリア―(連載第5回) 川喜田八潮

  • 2017.08.30 Wednesday
  • 17:25

 

     7

 

『散華』(昭和十九年発表)は、その系列の最も美事な、それゆえに最も痛ましい作品である。

 この作品で太宰は、出征した年少の友人の三田循司という青年が、アリューシャン列島の孤島アッツ島で玉砕する直前に自分に宛てて出した一枚の葉書に深く打たれたという、ささやかな重い体験を披瀝している。

 

「御元気ですか。

 遠い空から御伺いします。

 無事、任地に着きました。

 大いなる文学のために、

 死んで下さい。

 自分も死にます、

 この戦争のために。

 ふたたび、ここに三田君のお便りを書き写してみる。任地に第一歩を印した時から、すでに死ぬる覚悟をしておられたらしい。自己のために死ぬのではない。崇高な献身の覚悟である。そのような厳粛な決意を持っている人は、ややこしい理窟などは言わぬものだ。激した言い方などはしないものだ。つねに、このように明るく、単純な言い方をするものだ。そうして底に、ただならぬ厳正の決意を感じさせる文章を書くものだ。繰り返し繰り返し読んでいるうちに、私にはこの三田君の短いお便りが実に最高の詩のような気さえして来たのである。アッツ玉砕の報を聞かずとも、私はこのお便りだけで、この年少の友人を心から尊敬する事が出来たのである。純粋の献身を、人の世の最も美しいものとしてあこがれ努力している事に於いては、兵士も、また詩人も、あるいは私のような巷の作家も、違ったところは無いのである。」

 

 この作品の〈かたち〉をよくよく味わってみよ。

 生活の恐怖とよくたたかい、日々の地味な文学的営みによって風景を塗り変え、現世と彼岸的なるものの危うい〈均衡〉を不断に創造し続けることで、〈奇跡〉のように日常をくぐり抜けてきた中期太宰の繊細で矛盾に満ちた力わざが、〈死〉という究極の純一な〈子宮〉のうちに、恐ろしいほどの透明感をもって収斂していくさまを、まざまざと垣間見るおもいがする。これこそが、太宰の泣きどころであり、ひいては、私たち人間の究極の暗部なのである。

 ここに描かれる、万象を回帰させる〈死〉の不動のかたちは、それほどにも美しいものなのだ。

 この美しさの圧倒的な迫力の前では、一切の判断が瞬時に機能を停止する。

〈生〉という営みが日常的にいや応なく突きつけてくる、容易に解きほぐし難い混沌とした課題、矛盾に満ちた、デリケートで柔らかな生身の痛みや渇きというものが、「純粋な献身」というひとつの幼児的で透明な〈観念〉のもとでは、瞬時に言葉を失い、凍結される。

 一切の現世的な矛盾を消却してくれるこの死の〈大義〉は、実生活の生身の営みを価値的に下位に置くばかりでなく、それらを致命的に破壊しつつ、見せかけの上では矛盾なく〈包摂〉してみせるのである。

 それは、何も、〈献身〉のイデオロギー、〈死〉のイデオロギーの欺瞞性に限ったことではない。

 本来、〈観念〉へののめり込みと生身の〈肉体〉との間に潜在する本源的な〈矛盾〉のあらわれの一つにすぎないのである。ただ、その矛盾が、〈均衡〉の内にとどまることを許容しないほどの、巨大な〈落差〉となってあらわれたというにすぎない。

 アッツ島で玉砕した青年三田循司にとって、〈献身〉と〈死〉の理念は、極限状況の下でいや応なく強いられたぎりぎりの選択肢であったろう。生身の肉体へのあらゆる可能性を封じられた極限性の〈契機〉にさらされた者には、回帰していく場所はひとつしか許されてはいない。

 だが、三田からの便りを受けとって、熱いおもいでその場所に同調し、献身と死の理念に純一に収斂しようとする太宰治の場所は、三田の場所と一見似て、微妙に非なるものである。現実の太宰自身は、あくまで、生身の地上的な肉体をひきずり、家族の生の重さを背負っているからだ。

 三田の置かれた極限的な生きざまとそれに伴って浮上するアジア的な〈無〉へのエロス的な回帰の圧倒的な迫力を前にして、その重さに「拮抗」しようとおもえば、太宰のような凄まじい〈生き難さ〉の業を担う者にとっては、やはり、同じく、文学への〈献身〉というかたちをとった〈死〉の理念を前面に押し出すしかなかったのかもしれない。

 その意味では、太宰のナショナルなのめり込みもまた、不可避なものであり、誰も責めることなどできはしない。

 そのことを重々承知の上で、敢えて、太宰の選択肢の不可避性をカッコに入れて考えてみるならば、ここには、〈観念〉と〈肉体〉の矛盾の深淵、とりわけ、一切の〈生身〉の営みを容赦なく呑み込み、溶解させてしまう死の理念、〈献身〉と〈殉教〉のエロス的な磁場の凄みだけが、今もなお、痛ましい刻印となって遺されているのだ。

 

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 ところで、『散華』では、もうひとり、三井という文学青年の死についても触れられている。三井は、肺の病のために出征できず、そのまま病床で死を迎えることになる。

 小説を書いては作者のところへ持参するのだが、いつも手きびしい評価しか得られなかったそうだ。青年は、自分の病気についてはあまり語ろうとはしなかったが、作者は、彼の衰弱ぶりを知って、「いますぐ、いいものなんか書けやしないのだし、からだを丈夫にして、それから小説でも何でも、好きな事をはじめるように」と、三井の親友に忠告を依頼する。しかし、それっきり、三井青年は作者のところへは来なくなり、「三箇月か四箇月目に」亡くなったという。

 この青年は、疾患を知りながら、治す気がなかったらしい。

 

「御母堂と三井君と二人きりのわびしい御家庭のようであるが、病勢がよほどすすんでからでも、三井君は、御母堂の眼をぬすんで、病床から抜け出し、巷を歩き、おしるこなど食べて、夜おそく帰宅する事がしばしばあったようである。御母堂は、はらはらしながらも、また心の片隅では、そんなに平然と外出する三井君の元気に頼って、まだまだ大丈夫と思っていらっしゃったようでもある。三井君は、死ぬる二、三日前まで、そのように気軽な散歩を試みていたらしい。三井君の臨終の美しさは比類が無い。美しさ、などという無責任なお座なりめいた巧言は、あまり使いたくないのだが、でも、それは実際、美しいのだから仕様がない。三井君は寝ながら、枕頭のお針仕事をしていらっしゃる御母堂を相手に、しずかに世間話をしていた。ふと口を噤(つぐ)んだ。それきりだったのである。うらうらと晴れて、まったく少しも風の無い春の日に、それでも、桜の花が花自身の重さに堪えかねるのか、おのずから、ざっとこぼれるように散って、小さい花吹雪を現出させる事がある。机上のコップに投入れて置いた薔薇の大輪が、深夜、くだけるように、ばらりと落ち散る事がある。風のせいではない。おのずから散るのである。天地の溜息と共に散るのである。空を飛ぶ神の白絹の御衣のお裾に触れて散るのである。私は三井君を、神のよほどの寵児だったのではなかろうかと思った。私のような者には、とても理解できぬくらいに貴い品性を有(も)っていた人ではなかったろうかと思った。人間の最高の栄冠は、美しい臨終以外のものではないと思った。小説の上手下手など、まるで問題にも何もなるものではないと思った。」

 

 この三井の死のかたちは、殉教や献身や玉砕による死とは対極の場所にある、ひとつの〈自然死〉の美しい完結の姿をよく象徴し得ている。

 この青年が、死の直前の数か月間、果たしてどのような心持ちにあったか。それは、誰にも窺い知ることはできない。しかし、太宰がここで見据えているのは、一見何の変哲も無い、穏やかで地道な日常性の繰り返しと充足の延長に、おのずと訪れるような、ある透明な不動の感触である。

 自分以外の誰にも伝えることができず、了解されることもあり得ない、絶対的な固有性を備えた、言葉の最も奥深い意味における〈自然〉という純粋な実体のことである。

 それは、あらゆる地道な無名の生活者の生涯の果てに想い描かれた、ひとつの理想的な〈完結〉のかたちにほかならない。「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」と詠んだ西行のようなまなざしであるといってもよい。

 ささやかな固有の生活の営みの内に宿りながら、同時にそれを包摂し超越し得る、大いなるいのちの働きのことだ。

 もちろん、『散華』における太宰治は、こういう三井の自然死のかたちを、三田の玉砕と同じく、〈死〉という純一な子宮に回帰してゆく無償の自己抹消の願望という位相から凝視してみせている。

 しかし、それにもかかわらず、この両者の死のかたちは、別の切り口から視れば、完全に対極的な世界視線を象徴するものとしてとらえ直すことが可能なのだ。

〈生身〉の日常性の繰り返しの果てに位置する〈自然死〉の位相と、〈観念〉への献身と殉教の極北の場所に自らを追いやろうとする自己抹消のエロス性の〈矛盾〉のあらわれとして、だ。

 

 太宰の観念的な「のめり込み」が私たちの文学と思想の流れにとって不幸であったのは、傾倒の相手が天皇制ナショナリズムであったからではない。

 こののめり込みによって、大戦前夜までの「中期」太宰文学にかろうじて保持されてきた「実生活」と「表現」の危うい〈均衡〉が崩れ去り、しかも、その崩れがはらむ〈悲劇〉の本質というものが、国民全体のナショナルな熱狂の渦に巻き込まれることで、太宰自身にとって、不透明なものとなってしまったからである。国民全体が、ひとつの巨大な国家幻想のエロス的夢魔にとりつかれ、駆り立てられていったことで、本来なら、(戦後の「後期」太宰のように)〈実生活〉の致命的な破壊を帰結させることになるはずの、〈観念〉への滅私的なのめり込みは、極めて目立たないものであったし、国民全体が国のために滅私奉公することを建て前としていたがために、太宰の文学的営みとそれを支える実生活の維持自体が、何のうしろめたさもなく、自己犠牲的な〈観念〉と「調和」しうるものとなっていたからである。

 このおとし前は、戦後にやってくる。

 天皇制ナショナリズムという〈献身〉の美学が崩壊し去った時、それまで、見せかけの美しさの建て前の底によどんでいた日本近代社会の暗部は、戦後民主主義というヴェールをかぶりつつ明瞭な姿をとって露出してくる。大衆・知識人のこの精神的荒廃の情況に、太宰は素手で立ち向かわなければならなくなる。

 ここで太宰は、餓狼のような狂暴さをむき出しにしつつあった戦後社会のエゴイズムの諸相の発散する、脂ぎった生活欲の修羅場に「拮抗」するために、再び、〈献身〉と〈死〉の理念への一途な忠誠を持ち出さなければならなかった。

 キリスト的観念への滅私的なのめり込みは、この後期太宰の孤絶したたたかいを後押ししてくれる唯一の〈超自我〉となり得たのだった。(了)

 

 

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〈生き難さ〉のアーカイブス〜「詩を描く」若者たち〜(連載第3回) 川喜田晶子

  • 2017.08.29 Tuesday
  • 11:44

 

天と地

 

 天と地。

 非日常と日常、あるいは理想と現実とも言い換えられよう。

 この二元的な対立の図式は古典的だが、現在の若者たちはその両極を、どのように感受しているだろう。

 

   ゴーストタウンに堕ちた鳥   N・M

 

「主」を探して飛ぶ小鳥

理想郷目指して飛び続け

休むことなく飛び続け

「主」を見つけて飛び急ぎ

「主」を映した鏡に衝突

目眩と絶望に包まれて

小鳥は孤独に堕ちてった

 

ある日小鳥を見つけた少年が

小鳥を拾って労わるが

堕ちた哀れな小鳥には

溜め息一つ伝わらなかった

 

「理想郷」にいるはずの「主」を間違えずに見つけることの絶望的な困難さが描かれている。

 そこには、私たちの「地上的」な努力と、それに応える気の無い「天」の意志とが酷薄に断絶した、圧倒的な不条理の相貌がシビアに提示されている。

 

 この作品を読むたびに、そして現在に蔓延する〈生き難さ〉の本質を考えるたびに、想起するエピソードがある。

 谷川健一著『日本の神々』(岩波新書 1999年)では、沖縄でユタと呼ばれる巫女のイニシエーションについて述べられているが、ユタは、一人前の巫女になるために「神ダーリ」という試練の期間をくぐり抜けなければならないという。彼女たちは、この期間の内に、「チヂ」と呼ばれる自分の守護神を発見しなければならず、それが出来ないのは死を意味するのだと。

 試練としての家庭の不和・病気・貧困に直面させられ、精神的な疲労と錯乱に追い込まれ、神の言葉と邪神のささやきとをとりちがえて自死に至る者もいるらしい。

 自分に固有の守護神を見つけられるかどうかが、巫女としてのイニシエーションである、そのことの困難さが、私には〈現在〉の〈生き難さ〉の核心と重なって見える。

 

 ユタにとって、自分に固有の守護神を間違えずに発見できることこそが、共同体の聖なるものを引き受ける資格とみなされているのに対し、〈現在〉の私たちは、共同体の聖なるものなどを引き受ける必要はない。自立においてそのような要件を満たす必要はない。

 しかし、共同体から遠ざかり、共同体とともにあった〈聖なるもの〉からも遠ざかれば遠ざかるほど、共同体とは別の次元において〈聖なるもの〉を個人としてあやまたずに見出し引き受ける必要性と困難さとが、否応なく浮上していると感じられる。この必要と困難に直面している時代を〈現在〉と規定してもよいとおもわれるほどに。

 

「ゴーストタウンに堕ちた鳥」では、小鳥は「主」を間違えて堕ちていった。「主」を映した鏡に衝突することで。つまり虚像と取り違えたのである。自分の「主」を発見できなかったという苦々しい痛み。

 そして、「ある日小鳥を見つけた少年」こそがその「主」だったろうか、少年の労りは時すでに遅く、もはや小鳥には「溜め息一つ伝わらなかった」。小鳥の休みない努力などに世界は応える気が無く、「主」と出会えないようにその枠組みができているという残酷な痛み。

 

 生涯の職業・伴侶・表現の手段等々、何かしらに私たちは「間違えずに」出会いたいと望んでいる。いくつかの選択肢の中から、合理的な判断基準によって、自分にとって相対的に有利・有益なものを択ぶことこそが、賢明なことだと、幸せになる手段だと、思わせられ、そのことを納得しようとしながら、一方ではどこかで、私たちの意志を超えた力が働いており、その力に支配されて出会いが左右されている、とも感じている。

 この作品には、個人のいわゆる主体性の側からも、世界の不条理な力の側からも、「主」との出会いが阻まれているという絶望が、シンプルに表現されていると言えよう。

 

 しかし、はたして私たちの存在は、生きるという営みは、このような合理的な主体性の発揮と、その主体性の手の届かぬ偶然的な(あるいは〈天〉の意志によって定められた)運・不運との分極によって規定され、翻弄されているだけなのだろうか。

 

 現在の若者にとっては少くとも、天と地、というイメージは、圧倒的な不条理の力と、可視的な選択肢の中で相対的な利を求める主体性、といった振れ幅を示し、理想も現実も、非日常も日常も、その酷薄な振れ幅の中でのみ、浅くせわしない呼吸を強いられているようだ。

「ゴーストタウンに堕ちた鳥」の作者には、この天と地の分極したあり方こそが己れの生きる場だという、たじろがぬ認識がある。それ以外の世界のありようが存在することを承知してはいても、今、自分が生きている世界に対して、「それ以外」などという甘い認識をどうして持ち込むことができようか。そんな甘さを剛直に排除してみせることで、彼女は、己れと世界のギリギリの痛い意味を、己れに示し続けようと覚悟しているかのようだ。

 

 

天地(あめつち)を我が産み顔の海鼠(なまこ)かな   正岡子規(1867[慶応3]年生まれ)

 

地はひとつ大白蓮(だいびゃくれん)の花と見ぬ雪の中より日ののぼる時   与謝野晶子(1878[明治11]年生まれ)

 

白鳥(しらとり)はかなしからずや空の青海の青にも染(し)まずただよふ   若山牧水(1885[明治18]年生まれ)

 

双六(すごろく)の賽(さい)に雪の気かよひけり   久保田万太郎(1889[明治22]年生まれ)

 

   ぬかるみ   金子みすゞ(1903[明治36]年生まれ)

 

このうらまちの

ぬかるみに、

青いお空が、

ありました。

 

とおく、とおく、

うつくしく、

すんだお空が、

ありました。

 

このうらまちの

ぬかるみは、

深いお空で、

ありました。

 

 

降りながらみづから亡ぶ雪のなか祖父(おほちち)の瞠(み)し神をわが見ず   寺山修司(1935[昭和10]年生まれ)

 

 正岡子規から寺山修司まで、生年順に作品を並べてみた。

 

 子規のように、カオスとしての「天地(あめつち)」を丸ごと客体化する自我のパワーは近代の産物ではある。しかし、そこで海鼠に「この天地は私が産んだのだ」といった顔をさせてみせるユーモアの内に、天と地の痛ましい分極の感触はない。子規の溌溂とした身体の巨(おお)きさが伝わる。

 

 与謝野晶子にあっては、仮りに天と地が分極していようとも、どちらも手に入れてどこが悪い、といわんばかりの浪漫的自我の解放が官能的である。地を、一つの大白蓮と見ることで、日常に、これ以上ないほどのゴージャスな非日常性・天上性を盛り付けてみせる。

 

 若山牧水は、天と地の分極したそのあわいに、いずれにも属することの出来ない近代人の孤愁を歌い流してみせる。「天地」というコスモスからはぐれ始めた世代の、行き場の無い魂に刻印されたうぶな痛みが、みずみずしく抒情的に発露する。

 

「双六の賽」は、思いのままにならない人生の象徴であるが、そこに「雪」という非日常の「気」が通っている久保田万太郎の句。この「雪」という天上性・非日常性こそが、実は「双六の賽」を支配し、人の生の禍福をあざなうのだが、その「雪」は、人の生と別ものであるとはおもわれていない。「双六の賽」にも人々の身体にも沁み入るこの「雪の気」の陰翳を触知した瞬間が、ほの暗くもドラマチックに顕ち上がる。

 

 金子みすゞの「このうらまちの/ぬかるみ」には、「青いお空」がある。大衆の生活の〈底〉に、「とおく、とおく、/うつくしく、/すんだお空」という、手に入れ難い純度があると認識するみすゞが、この「ぬかるみ」をつきつめる時、「ぬかるみ」はそのまま「深いお空」として転生し得る。天と地が分極しているからこそ、〈地〉を〈天〉と一体化させ、至上の〈天〉として転生させようとする力わざが、短いメルヘン的詩篇に滲む。

 

「雪」を、そして「祖父の瞠し神」を、「降りながらみづから亡ぶ」と規定する寺山。土俗的・伝統的な「雪」や「神」を、自分は「見ない」と宣言する自由が、「前衛」と呼ばれて戦後の表現世界を揺さぶった。たとえるならば、わざと翼を折ることで流れ出る血と痛みによって、〈鳥〉の本質をおどろおどろしく顕ち上げようとするかのような試みだ。己れの内にも流れる土俗の〈血〉をあえて侮辱することで、土俗への逆説的な愛を歌う寺山の、倒錯的な荒業である。

 

「ゴーストタウンに堕ちた鳥」の作者にあっては、寺山のようにわざとにもせよ折ることのできる〈翼〉をそもそも持ち合わせていない。〈翼〉というものがあるはずの部位に「幻肢痛」が生じることで知る〈翼〉、そして〈鳥〉の姿。

 天と地の分極の相貌以外の世界の姿を酷薄に拒絶しているかのような文体の、その硬度を通して、彼女の感じている「幻肢痛」と幻の「天地」の巨きさが伝わってくる。(この稿続く)

 

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〈生き難さ〉のアーカイブス〜「詩を描く」若者たち〜(連載第2回) 川喜田晶子

  • 2017.07.22 Saturday
  • 16:24

 

歪む世界

 

 学生たちにとって、表現の原点となり、起爆剤となっているのは、自分の存在を肯定する難しさであるようだ。〈個〉を超えたものに存在を支えられているという安らぎからの遠さを、明晰に見極めた表現が繰り出されてゆく。

 

   ラッシュ時の改札     Y・R

 

慈悲はいらない

慈悲は私を脱落させ

慈悲は私を焦らせ

慈悲は私を敗者にする

敗者は時を奪われ

勝者は時を制す

ほんの些細な出来事だろうか

されどこれも一つの世界

時を懸けたシビアな世界

 

「ラッシュ時の改札」を通り抜ける瞬間の「時を懸けた」勝敗をめぐる異和感を契機として、作者は社会への屈折した批判を展開する。

 改札風景を、いわゆる優勝劣敗の社会システムの喩とするだけなら、ありふれた批判にとどまる。この作品の批判の対象は「優勝劣敗」のシステムではなく、「慈悲」である。

「優勝劣敗」によって勝者と敗者が生み出されるのではなく、「慈悲」によって「敗者」の場所に立たされることの不機嫌がこの作品のテーマである。

 冒頭から4つの観点でたたみかけられる「慈悲」への異和感は強烈である。「優勝劣敗」というシステムを優雅に超えているかのような貌で、作者を否応なく巧妙に「敗者」の場所に追い込む者がある。そんなカラクリに常時囲繞されているようなプレッシャーを抱えた作者の、切迫した世界風景は実に現在的であるとおもう。

 

 尾崎豊(1965〜1992)の「シェリー」(1985年)の歌詞を想い出す。「シェリー/あわれみなど受けたくはない/俺は負け犬なんかじゃないから」。あるいは「僕が僕であるために」(1983年)の「僕が僕であるために/勝ち続けなきゃならない」というフレーズも。1980年代というバブル期に、時代の表層を支配した「大人の論理」に抗い続けたシンガーソングライターの叫びである。

 尾崎には、社会の虚ろさや欺瞞に対峙する純度というものが、現実に「勝ち」をおさめなければ社会が変わらないという、倫理的な意固地さがあり、その闘いの歌は、社会を覆う価値観から置き去りにされた、人々の内なる想いに幅広く訴えかけることが出来た。己れの純度へのこだわりが時代に共有されることへの「信」が、作品には甘美に通底していた。

 

 この「ラッシュ時の改札」の作者もまた「勝ち」にこだわるのだが、それは、幼児的な純度と大人の論理との闘い、というよりは、この世界の枠組みから脱落させられるかさせられないか、土俵に上がれるか上がれないか、そんな狭窄された世界観の場所におけるサバイバルへの切迫した執念である。

「ほんの些細な出来事だろうか」とあるように、たかがラッシュ時の改札での勝敗であると思われるかもしれないが、作者は、日々、同様の些細な場所における闘いに数知れず直面し、その度に、負けたら全てを奪われる、という強迫観念に身構えているように感じられる。些細な事柄が、常に全ての象徴と感受されているのだろう。

 しかも、「慈悲」によってフェアなサバイバルですらなくなることがある。勝者が敗者に対して勝ち誇るといった野蛮さから免れているかのような貌をして、戦利品を独占などしませんよという貌をして、「慈悲」が作者を巧妙に「敗者」に仕立て、土俵から追い出してしまうというカラクリがある。相手が「慈悲」であるだけに、批判する方が野蛮なのだとさえ思われかねない。

 幾重にも息苦しい小さな土俵の上で、「勝つ」ことへの執念を強いられている若者たちの実存が苛立たしく伝わってくる。

 

   Doll     谷屋 愛

 

足を切り、僕から離れなくしよう。

腕を切り、僕の愛を拒めなくしよう。

目を抉り、視界は僕で終らせよう。

喉を切り裂き、可愛い泣き声は僕だけのもの。

 

次は誰にしようかな・・・。

 

 1980年代というバブル経済期、すなわち爛熟期に達した高度消費資本主義社会の表層的な繁栄とは裏腹に、時代の深層で進行していた病理・課題を真摯に表現してカリスマ性を獲得した尾崎豊(1965〜1992)。〈自由〉〈正しさ〉〈存在価値の根拠〉を倫理的に追求した彼の死後、入れ替わるように、1990年代はビジュアル系バンド(X JAPAN、L’Arc-en-Ciel、MALICE MIZER等)が音楽界を席巻する。バブル崩壊後の不況の中、それまで潜行していた病理はヴァーチャルな身体性として噴出し、阪神大震災やオウム事件、酒鬼薔薇事件等による不条理感・終末観の強い世相を象徴するように、〈倫理〉は棚上げされ、虚構世界・幻想世界・倒錯的美意識への吸引力あふれる退廃的表現が一世を風靡する。

 この「Doll」という作品は、先ほどの「ラッシュ時の改札」が尾崎的なものを連想させたのに対して、極めて1990年代ビジュアル系バンド的な美意識を示している。

 時代の閉塞感の中、他者性が欠落し、関係性の不毛に囲繞され、「倒錯」という形で他者や自分の手応えを求めて足掻く表現は、1990年代の作品において見慣れた風景である。

 この「Doll」も、相手を所有し尽くそうとする愛の形のブラックな表現であることは一目瞭然なのだが、作者とこの作中の「僕」との間には、実にくっきりとした距離が見てとれる。作者=僕、ではない。もちろん、自身の内にも潜む病理を相対化して表現していることも確かではあるが、他者と時代に蔓延する病理として主題を明晰に把握し切っていることで、1990年代のモードからも距離を置くことができているようにおもう。

「Doll」の足、腕、目、喉、という順番で切り刻んでゆくことで、相手が自分から「離れて行くこと」、自分を「拒むこと」、「目移り」すること、誰かほかの人と「共有」されることを遮断してしまうこのストーリーづくりは、他者を所有しようとする病理の実に適確な表現である。

 精密に「独占」の形が構成されることで、本来、人の身体は他者によって所有できないものだということを、さらに身体機能で象徴される魂もまた、所有されてはならないものだということを、巧妙に浮き彫りにしている。

 そして「次は誰にしようかな」では、実は相手が誰でもよい、自愛・我執の表現としての「独占」でしかないことが暴露される。

 ただただ己れの病理を吐き出すだけではない、鋭利な批判の対象としての「倒錯」が実現しているところに強靭なしたたかさがある。自分、他者、世界との、甘美な連続感など薬にしたくても無い、そのシビアな認識を逆手にとって、冷徹な距離感を表現に定着させている。

 

   胎内ブラックホール     N・M

 

胎内に黒一つ

私の闇を喰らい尽くして

抱えきれない重みをもつ

私の涙さえ吸い尽くしたなら

かたちを成さないブラックホール、

私はお前に「かたち」をやろう

負の集約である黒いお前が

誰かに愛してもらえるように

誰かがお前を「愛してあげる」と言うのであれば

私はお前を孕み生むサイクルの中 生きてゆこう

お前が誰かの安らぎとなるのであれば

 

私もお前を愛してあげる。

 

 この作者にも、甘美なところがない。自身の「負」の集約であるブラックホールのようなものへの「愛」を歌い上げているようだが、このブラックホールは、作者の「闇を喰らい尽くし」た相手である。

 ここでの「闇」は、〈個〉の存在を支え、類的な拡がりを持つ〈闇〉というよりは、己れの内面の否定的な感情を指しているだろう。そういう「闇」を喰いものにして、「抱えきれない重み」を獲得してしまったブラックホール。

 そのブラックホールに「かたち」を与える、すなわち〈表現〉することで、作品がもし、誰かに愛されるならば、作者は初めて自身のブラックホールを愛することができる。類的な拡がりを持つ〈闇〉に存在を支えられていない者が、〈表現〉によって生き延びようとする時の、ぎりぎりの自己肯定の手段であろう。

 

 かつて、〈闇〉が他者と共有できていた時代があった。伝統的な「型」に乗せて、あるいは伝統に逆らうという新たな「型」の主張によって、存在を支える〈闇〉も、〈闇〉の表現も、大衆的な規模で共有することが可能だった。

 今、若者たちは、そのような他者と共有可能な〈闇〉に支えられているという安堵からはるかに遠いところで表現を模索する。〈闇〉に支えられてこそ可能な「自己肯定」からも遠い。肯定が可能であるとすれば、己れの「負」の集約の「かたち」が他者に「安らぎ」を与え得ることに気づいたときだけ、とこの作品では認識されている。

 

 尾崎豊にも、ビジュアル系バンドにも、どこか他者や世界と共有可能である〈闇〉への(逆説的ではあっても)甘美な「信」があり、それが表現を大衆的な場所へと解き放っていたけれど、ここで取り挙げた学生たちの作品には、そういう甘美さが無い。

 甘美な共有の夢を拒否したところから発せられる〈痛み〉の表現はしかし、的確に現在の〈痛み〉、大衆的な規模で〈闇〉が喪失され、歪む世界の〈痛み〉を衝いているのであり、“固有の〈痛み〉”という普遍性にリンクしている。そして、絶望的なほどの喪失や痛みによってなお、ネガのように浮かび上がるはるかな〈闇〉の手触りにも。(この稿続く)

 

 

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「中期」太宰治の変容―表現と実生活をめぐるアポリア―(連載第4回) 川喜田八潮

  • 2017.07.21 Friday
  • 18:20

     

     5

 

 しかし、昭和十六年の『新ハムレット』になると、すでに、太宰の生活思想には、重大なほころびが顕われ始める。

 ハムレットの、「言葉」にのみ「真実」を認め、言葉の無いところには真の「愛」も無いとする理念は、「前期」太宰の〈関係の障害感〉と表裏する芸術至上主義的理念と同じものであり、実生活と表現の〈均衡〉の崩れが明瞭に見てとれるのである。

「愛は言葉だ。言葉が無くなれや、同時にこの世の中に、愛情も無くなるんだ。愛が言葉以外に、実体として何かあると思っていたら、大間違いだ。」というハムレットの言いぐさは、「前期」太宰治の『創生記』に見られる「愛は、言葉だ」という言い回しと重なるものであり、何度ふり返っても、恐ろしい危うさを感じさせる箇所である。

 この理念は、ほんとうは、微妙に異なる次の二つの次元に向かってひらかれている。

 

(一)ひとつは、己れの関係意識の障害感を、言葉の力=芸術が紡ぎ出す身体イメージ(痛覚や渇き)の生々しい喚起力によって、そのつど超えてゆこうとする営み、すなわち、言葉を通じて、未知の〈縁〉ある他者に向かって、そのつど懸命に「架橋」を試みようとする、〈文学〉へのまっとうな契機を示すものである。

 あるいは、より実生活に即して言うなら、縁ある個々の他者や家族に対して、真に生きた〈関係〉を生み出すための、真正の「言葉」が必要だという覚悟性を示すものである。

 

 ここまでならば、何の問題もないのだが、恐ろしい悲劇は、ここからさらに一歩を進めた誤謬の場所にあるのだ。

 

(二)つまり、言葉というものを、単なる文学(表現)の契機(あるいは「生ける接触」の契機)にとどめずに、「この世で真実なのは言葉だけだ」(「言葉の無いところには、生きた関係も無い」)という主張にまで昂進させるとしたらどうなるか。

 

 こういう理念に本気でとりつかれると、現実の生身の人間関係の瞬時瞬時のダイナミックな不可視の手触りというものが次第に見失われ、生ける日常の物語が封じられて、硬直した単調なひとつの図式によって風景が置き換えられてしまう。すなわち、現実というものが、荒涼とした無機的な砂漠のようなしろものに固定させられてしまうのだ。

〈沈黙〉のふくらみ、人間関係の背後に横たわるはずの、生の身体的な奥行き、生きた呼吸のぬくもりというものが、ひとつのバカげた、薄っぺらな〈観念〉の構えによって封じられてしまうからだ。

「言葉が発せられない時は何も無い」「言葉が発せられて、はじめてそこに愛や真実が宿る」といった、もっともらしいウソッぱちの理念は、〈関係の障害感〉に根ざした、無機的で冷えきった対人感覚を不当に増幅させるものであり、また、身体中を容赦なく蝕んでゆく虚無の裏返しでもある。

「言語」至上主義、「芸術」至上主義とは、その極限のあり方においては、〈生身〉の現世的幸福への徹底的な断念と底知れぬ憎悪の裏返しに他ならない。

 こういう理念を、何の疑いもなく、全身的な叫びとして発することができるようになった時、その人間の現実風景は、完全に虚無一色に塗りつぶされたものとなっている。

「前期」の太宰はそうであったし、「中期」の太宰の苦闘は、その暗黒へのたたかい=生身の蘇生の試みとして開始されたはずであった。

 自分とはどこまでも異質な、未知なる他者との、瞬時瞬時の〈関係〉への架橋ないし修復への、緊迫した努力の産物。それが、『富嶽百景』から『きりぎりす』『東京八景』の頃までの「中期」太宰「前半」の力わざであった。

 だが、太平洋戦争前夜の昭和十六年頃を境に、彼の試みは、明らかに解体の〈兆し〉を見せ始めたのである。魂は〈均衡〉を失い、身体は徐々に〈虚無〉に蝕まれつつあった。

『新ハムレット』には、その兆しがはっきりと認められるのだ。

 

 この作品のハムレットは、母親や恋人や周囲の人間たちの愛情を〈生身〉の手ごたえをもって「実感」することができない。いわば、太宰の「人間失格」的位相を、悲喜劇的に拡大したものとなっている。自己をあざむき、他者を日々裏切りつつ平然と笑って生きられる俗世間の人間たち、相対的な心理の推し測りや駆け引きで対人関係を処理する市民社会型の人間たちからはじき返され、泥沼のような神経症的な関係意識に苛まれて、悶々と孤独地獄のうちにもがき苦しむハムレット像は、『斜陽』の直治や『人間失格』の葉蔵のような「後期」太宰作品の主人公たちにそのままつながるものである。

 ハムレットの「愛は言葉だ」という「言語」至上主義的な表現理念は、この現実の「人間失格」的な障害感、虚無感の裏返しになっているのだ。

 ただし、『新ハムレット』では、まだ、ハムレットに対するオフィリヤの言葉の中に、〈沈黙〉のもつ言語的意味性の重さ、実生活上の身体的言語のふくらみ、〈行為〉の奥行きのもつ意味の重要性への認識は、かろうじて、保たれているといっていい。

 自分を愛してくれるどんなに身近な存在でも、「あんまり、はっきり割り切れた気持で涼しく生きている」兄や父親に対しては、「何でも打ち明けて語ろうという親しい気持」は起こらないが、ただ一人ハムレットに対してだけは心を許すことができるという、オフィリヤの視線に、それが表われている。

 オフィリヤは、ハムレットの、「めめしく」て、いつも「いらいら」して、ひとりよがりに呻いたり当たり散らしたりしている、神経症的で幼児的なふるまいに閉口しながらも、同時に「だだっ子」のような彼の姿に、なんとも言い表わしがたい愛情を感じている。

「あんなお方は、世界中に居りません。どこやら、とても、すぐれたところがあるように、あたしには思われます。いろいろな可笑(おか)しな欠点があるにしても、どこやらに、神の御子のような匂いが致します。」

「あたしの言葉は、しどろもどろで、ちっとも筋道がとおらないかも知れませんが、でも、心の中のものは、ちゃんと筋道が立っているのです。その、心の中の、まんまるいものが、なんだかむずかしくて、なかなか言葉で簡単には言い切れないのです。」

 こういうオフィリヤの言葉には、関係の障害感に根ざしたハムレットの虚無的な世界風景や、それと表裏する「言語」至上主義(芸術至上主義)を、鮮やかに相対化するだけのまなざしが息づいている。

 しかし、それにもかかわらず、この作品における作者のハムレット像への思い入れの強さは、この時期の太宰の、実生活と表現の〈均衡〉の崩れへの〈兆し〉を明瞭に暗示するものであった。

 

     6

 

 この崩れは、昭和十六年の末に発表された『風の便り』になると、さらに鮮明に浮き彫りになってくる。

 この作品は、太宰治自身の分身である「木戸一郎」という無名作家と、彼がかつて深い影響を受けたことのある十五歳年上のベテラン作家「井原退蔵」(おそらく井伏鱒二がモデルであろう)の書簡のやりとりから成り立っている。この小説には、表現の〈衝迫〉のありかを見失いつつあった当時の太宰の苦悶がよくにじみ出ている。

 それまで努めて「自分の掌で、明確に知覚したものだけを書いて」きたという、誠実な作家の木戸一郎が、もはや「嘘の無い感動」がどこにも見出せなくなり、書こうとしてもどうしても書けなくなってしまった苦しみを、敬愛する大家の井原退蔵に切々と訴えるのだが、井原には、どうしてもその苦悩の何たるかが理解できず、見当違いのアドバイスばかり送ってよこして、かえって木戸をいらいらさせる。その食い違いが、何ともユーモラスに、悲喜劇的に描かれている。

 井原の手紙から一部を引用してみる。

 

「自分は、君の無意識的な独り合点の強さに呆れました。作品の中の君は単純な感傷家で、しかもその感傷が、たいへん素朴なので、自分は、数千年前のダビデの唄をいま直接に聞いているような驚きをさえ感じました。自分は君の作品を読んで久し振りに張り合いを感じたのです。(中略)自分には、いつも作品だけが問題です。作家の人間的魅力などというものは、てんで信じて居りません。人間は、誰でも、くだらなくて卑しいものだと思っています。作品だけが救いであります。仕事をするより他はありません。君の手紙を読むと、君は此頃ひどく堕落しているという事が、はっきりわかります。(中略)君は作品の誠実を、人間の誠実と置き換えようとしています。作家で無くともいいから、誠実な人間でありたい。これはたいへん立派な言葉のように聞えますが、実は狡猾な醜悪な打算に満ち満ちている遁辞です。君はいったい、いまさら自分が誠実な人間になれると思っているのですか。誠実な人間とは、どんな人間だか知っていますか。おのれを愛するが如く他の者を愛する事の出来る人だけが誠実なのです。君には、それが出来ますか。いい加減の事は言わないでもらいたい。君は、いつも自分の事ばかりを考えています。自分と、それから家族の者、せいぜい周囲の、自分に利益を齎(もた)らすような具合いのよい二、三の人を愛しているだけじゃないか。もっと言おうか。君は泣きべそを掻くぜ。『汝ら、見られんために己が義を人の前にて行わぬように心せよ。』どうですか。よく考えてもらいたい。(中略)君の手紙だって同じ事です。君は、君自身の『かよわい』善良さを矢鱈(やたら)に売込もうとしているようで、実にみっともない。君は、そんなに『かよわく』善良なのですか。御両親を捨てて上京し、がむしゃらに小説を書いて突進し、とうとう小説家としての一戸を構えた。気の弱い、根からの善人には、とても出来る仕業ではありません。敗北者の看板は、やめていただく。(中略)君は慾張りです。一本の筆と一帖の紙を与えられたら、作家はそこに王国を創る事が出来るではないか。君は、自身の影におびえているのです。君は、ありもしない圧迫を仮想して、やたらに七転八倒しているだけです。滑稽な姿であります。書きたいけれども書けなくなったというのは嘘で、君には今、書きたいものがなんにも無いのでしょう。書きたいものが無くなったら、理窟も何もない、それっきりです。作家が死滅したのです。救助の仕様もありません。」

 

 この作品で太宰は、キリスト的な自己犠牲の理念に強引に滅私的にのめり込むことで、作品創造の新たな情熱をかき立てようとしている木戸一郎の観念的な場所を、井原退蔵の眼を通して批判的に見つめると同時に、あるがままの俗世の人間の〈卑しさ〉をリアルに踏まえ、「芸術至上主義」に居直る〈大人〉の井原の場所を、木戸の眼を通して相対化してゆく。

 井原の論理は、どうせ人間という生き物は、生きてゆこうとおもえば卑小なエゴイストでしかありえないのだから、現実の世俗の人間に妙な〈思い入れ〉をもったり、己れの人間的な〈誠実さ〉を追い求めたりするのは、幼稚な馬鹿げた悪あがきにすぎず、だからこそ、作家は、現実とは次元を異にする、作品世界という純粋な〈虚構〉の上に、彼岸的な憧憬や美の砦を創り上げることができるのだ、というダンディズム的な表現理念として展開されている。

 こういう芸術至上主義の論理に自足できる人種には、正確には二種類のタイプがあるといっていい。

 ひとつは、既に述べたように、現世への底知れぬ〈憎悪〉と〈絶望〉を胸中深く秘めたタイプ、すなわち、真の反現世的な狂気に憑かれた不幸で偏執的な芸術家のタイプである。

 もうひとつは、エゴイストでしかありえない現世の人間たちの生きざまに、何の〈恐怖〉も感じず、自らも、その一員として、適当に生活を享楽しながら、大人的にドライに世俗の諸問題を処理しつつ、現世では満たしえない己れの深層の〈渇き〉に、〈虚構〉としての美の表現を与えてゆこうとするタイプである。

 この後者の人種は、芸術を自分の「仕事」と割り切って、実生活の一部として抵抗なく組み込み、実生活者としても自信に満ち溢れた〈肉体〉をもっており、井原退蔵は、このタイプに属している。

 井原は、木戸一郎の倫理的なもがきを、ただのポーズにすぎないと決めつけて嘲笑しているが、それは、木戸の倫理的な〈渇き〉の実体が、世俗的な善悪の規範などで測ることのできないような、凄まじい天上的な狂気をはらんだものであることがまるで視えていないからだ。つまり井原は、木戸の〈生き難さ〉の実感というものがまるでわかっていない。

 木戸(太宰)のような人間の眼に映る虚無的な日常風景の位相は、井原(井伏)のような、すこやかでタフな生活人には、縁遠いものであり、その分だけ、井原にとって芸術は、生活の一部であり、延長であり、過不足無く身丈に合った、最も純化された〈日常〉でもあり得る。

 木戸(太宰)にとって、そういう井原(井伏)の場所は、一面では、及びがたく、まぶしいものであり、それゆえにまた、どうしようもなくうとましいものでもある。

〈日常〉にとどまりながら、繰り返し、〈日常〉を離脱(超越)しようとすることで、かろうじて、まっとうな生活者たりえていた、当時の太宰のアクロバティックな力わざは、実生活と芸術を二元的に分離して器用に「使い分ける」井原のような、健康な芸術至上主義者には決してわからない。

「あなたはいつでも、全身で闘っている。全身で遊んでいる。そうして、ちゃんと孤独に堪えている。私は、あなたを、うらやましく思います。/いかに努めても、決して及ばないものがある。猪と熊とが、まるっきり違った動物であるように、人間同志でも、まるっきり違った生きものである場合がたいへん多いと思います。」という木戸の言葉には、両者の生きざまの隔絶の大きさがまざまざと表われている。

 作品の最終部で、木戸一郎は、旧約聖書の「出エジプト記」の一部を小説に仕上げる構想を披瀝し、同時に、井原への〈訣別〉の言葉を吐いている。

 

「『出エジプト記』を読むと、モーゼの努力の程が思いやられて、胸が一ぱいになります。神聖な民族でありながらもその誇りを忘れて、エジプトの都会の奴隷の境涯に甘んじ貧民窟で喧噪と怠惰の日々を送っている百万の同胞に、エジプト脱出の大事業を、『口重く舌重き』ひどい訥弁(とつべん)で懸命に説いて廻ってかえって皆に迷惑がられ、それでも、叱ったり、なだめたり、怒鳴ったりして、やっとの事で皆を引き連れ、エジプト脱出に成功したが、それから四十年間荒野にさまよい、脱出してモーゼについて来た百万の同胞は、モーゼに感謝するどころか、一人残らずぶつぶつ言い出してモーゼを呪い、あいつが要らないおせっかいをするから、こんな事になったのだ、脱出したって少しもいい事がないじゃないか、ああ、思えばエジプトにいた頃はよかったね、奴隷だって何だって、かまわないじゃないか、パンもたらふく食べられたし、肉鍋には鴨と葱がぐつぐつ煮えているんだ、こたえられねえや、それにお酒は昼から飲み放題と来らあ、(中略)荒野に於ける四十年の物語は、このような奴隷の不平の声で充満しています。モーゼは、けれども決して絶望しなかったのです。鉄石の義心は、びくともせず、之(これ)を叱咤し統御し、ついに約束の自由の土地まで引き連れて来ました。モーゼは、ピスガの丘の頂きに登って、ヨルダン河の流域を指差し、あれこそは君等の美しい故郷だ、と教えて、そのまま疲労のために死にました。四十年間、私は奴隷の一日として絶える事の無かった不平の声と、謀叛、無智、それに対するモーゼの惨澹たる苦心を書いて居ります。是非とも終りまで書いてみたいのです。なぜ書いてみたいのか、私には説明がうまく出来ませんが、本当に、むきになって、これだけは書いて置きたい気がしています。」

「たとい、どんな小さな感動でも、それを見つけると私は小説を書きたくなったものですが、このごろ私の身辺にちっとも感動が無くなって完全に一字も書けなくなっていたところを聖書が救ってくれました。私には何も、わかりません。世の中の見透しなども出来ません。私は貧しい庶民です。けれども自分ひとりの感動の有無だけは、いつでも正直に表現していたいと思っています。私は、エホバを畏れています。」

「お酒を飲まないと、夜、寝てから淋しくてたまりません。地の底から遠く幽かに、けれどもたしかに誰かの切実の泣き声が聞えて来て、おそろしいのです。」

「あなたのところへ、こんな長い手紙を差し上げるのも、これが最後かと思われます。あなたに対する一すじの尊敬の心は絶えず持ちつづけているつもりでありますが、あなたを愛し、或いは、あなたに甘える事が出来なくなりました。なぜだか出来なくなりました。私は、あなたの路とはっきり違う路を歩きはじめているようです。あなたは、美しい作家です。水蓮のように美しい。私はその美しさを一生涯わすれる事が無いでしょう。けれども私は、その水蓮の咲いている池から、少しずつ離れて行きます。私は、面(おもて)を伏せて歩いているけもののようです。私には美学が無いのです。生活の感傷だけです。私は、これから、いよいよ野暮な作品ばかり書いて行くような気がします。なんだか、深く絶望したものがあります。」

 

 ここには、実生活と表現の微妙な均衡を解体しつつ、自らの身体を敢えて天上的な倫理への滅私的な忠誠に追いやることで、かろうじて創作の情熱を再燃させようとしていた、当時の太宰治の切ないもがきがにじみ出ているようにおもう。

「出エジプト記」におけるモーゼの努力に共感し、徒労を百も承知の上でそれに「同化」しようとする木戸一郎=太宰治は、明らかに、「世間」「社会」「一般大衆」という、己れ自身と真っ向から敵対する巨大な〈抽象物〉に向かって、自らを観念的にひらき、強引に「架橋」せんとする焦慮に身悶えしている。

 実生活と表現の均衡は不可視の形で崩れつつあり、〈表現〉はもはや、単に自らの実生活を支え、賦活する、つつましい「一手段」にはとどまらず、「世間」「社会」「国家」という化け物に向かって「物申す」倫理的な大言壮語の位相へと無意識のうちに拡大し、重心を移しつつあるとみていい。

 かつて、『駈込み訴え』(昭和十五年発表)で、キリストの倫理的な〈観念性〉を鋭く批判し、俗人ユダの〈生身〉の苦しみを擁護しえた中期太宰の、あの鮮やかな〈生活人〉のまなざしを徐々に解体させつつある姿が、ここには、はっきりと浮き彫りにされている。

 そして、かつてのつつましい生活者的位相に代わって、「おのれを愛するが如く、汝の隣人を愛せよ」という、他者とのキリスト的な一体感とそれを支える自己犠牲の観念が、大衆的(国民的)な〈当為〉としての理想として、新たに前面に浮上してくる。

 当時の日本国民の、天皇制共同体国家への一心同体的なのめり込みへと昂進する幼児退行的な幻想は、このキリスト的観念と見事に波長が合うものだった。

 日米開戦直後の作品『新郎』『十二月八日』以後の、太宰の透明で素朴な力強さをもつナショナリズムへの全身的な傾斜が、ここに始まる。(この稿続く)

 

 

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芥川龍之介と闇(連載第6回) 川喜田八潮

  • 2017.07.20 Thursday
  • 13:28

 

     14

 

 芥川は、この世の不条理と生き地獄を凝視し続ける己れの文学的な営みによって、魂の〈渇き〉を癒すことはできなかった。

「侏儒の言葉」の次の箴言(しんげん)は、彼の〈資質〉が強いられた宿命的な不幸のありかを端的に語っている。

 

「最も著しい自己嫌悪の徴候はあらゆるものに(うそ)を見つけることである。いや、必しもそればかりではない。そのまた譃を見つけることに少しも満足を感じないことである。」(「自己嫌悪」)

 

「侏儒の言葉」の中で、「わたしは神を信じていない。しかし神経を信じている。」(「或物質主義者の信条」)、「わたしは良心を持っていない。わたしの持っているのは神経ばかりである。」(「わたし」)とか、「古来熱烈なる芸術至上主義者は大抵芸術上の去勢者である。ちょうど熱烈なる国家主義者は大抵亡国の民であるように――我我は誰でも我我自身の持っているものを欲しがるものではない。」(「芸術至上主義者」)と語ったこの作家が、己れの文学的営為を通して支払わされた痛ましい〈代償〉の本質について、無自覚であったとは思えない。

 彼の言う「神経」とは、もちろん、〈意識〉もしくは〈自意識〉と言いかえてもよい。

 芥川の場合、対象への理知的な〈意識〉をもつことは、そのまま、対象と己れ自身との関係・距離を明晰に「意識」すること、すなわち〈自意識〉をもつことと同義であるといっていい。

 したがって、〈意識〉の領域が細分化し、拡大することは、そのまま、〈自意識〉が細分化し、肥大化することと同義となる。

「わたしの持っているのは神経ばかりである」というのは、晩年期の芥川が、〈自意識〉と関係づけられた〈意識〉の力によって、己れの精神の全領域を統御せんとするデモーニッシュな意志にとりつかれていたことを示す言葉であるといっていい。

 しかし同時に彼は、そのような知的な統御への意志が少しも真の満足をもたらさず、幸福への希いとは対極にあることを痛感していた。

 人間という、浅ましく度しがたい生き物の多種多様な生態や動機の内に潜む普遍性を、ニュートラル(没価値的)な立ち位置から、俯瞰するようにクールに認識し、見切ることによって、あらゆる信や倫理や価値を相対化し、脱構築してみせたとしても、すなわち、あらゆるものに〈嘘〉を見つけてみせたとしても、そこには、真の心の平安も生の充溢もあり得ないことを、晩年の芥川は、身に沁みて感じていた。

 彼がそこに見出したのは、神経の固まりと化した、すなわち肥大化した意識及び自意識の化け物となった観念的な人間としての自分、身体的にはいわば〈脱け殻〉と化して虚無の波間に漂う、はかなげな幽体のような自分の姿であった。

 絶えざる創作行為によって、神経を痙攣的に刺激し続けることで、晩年の芥川は、かろうじて、己れの命を、生につなぎ止めていた。

「歯車」「或阿呆の一生」と並ぶ遺稿「闇中問答」には、次のような対話が記されている。

 

 或声 お前は何をしているのだ?

 僕 僕はただ書いているのだ。

 或声 なぜお前は書いているのだ?

 僕 ただ書かずにはいられないからだ。

 或声 では書け。死ぬまで書け。

 僕 勿論、――第一そのほかに仕かたはない。

     (中略)

 或声 お前は何もかも承知している。

 僕 いや、僕は承知していない。僕の意識しているのは僕の魂の一部分だけだ。僕の意識していない部分は、――僕の魂のアフリカはどこまでも茫々と広がっている。僕はそれを恐れているのだ。光の中には怪物は棲まない。しかし無辺の闇の中には何かがまだ眠っている。

     (中略)

 或声 では俺を誰だと思う?

 僕 僕の平和を奪ったものだ。僕のエピキュリアニズムを破ったものだ。僕の、――いや、僕ばかりではない。昔支那の聖人の教えた中庸の精神を失わせるものだ。お前の犠牲になったものは至る所に横(よこた)わっている。文学史の上にも、新聞記事の上にも。

 或声 それをお前は何と呼んでいる?

 僕 僕は――僕は何と呼ぶかは知らない。しかし他人の言葉を借りれば、お前は僕等を超えた力だ。僕等を支配するDaimônだ。

 或声 お前はお前自身を祝福しろ。俺は誰にでも話しには来ない。

 僕 いや、僕は誰よりもお前の来るのを警戒するつもりだ。お前の来る所に平和はない。しかしお前はレントゲンのようにあらゆるものを滲透して来るのだ。

 或声 では今後も油断するな。

 僕 勿論今後は油断しない。ただペンを持っている時には………

 或声 ペンを持っている時には来いと云うのだな。

 僕 誰が来いと云うものか! 僕は群小作家の一人だ。また群小作家の一人になりたいと思っているものだ。平和はそのほかに得られるものではない。しかしペンを持っている時にはお前の俘(とりこ)になるかも知れない。

     (中略)

 僕 (一人になる。)芥川龍之介! 芥川龍之介、お前の根をしっかりとおろせ。お前は風に吹かれている葦だ。空模様はいつ何時(なんどき)変るかも知れない。ただしっかり踏んばっていろ。それはお前自身のためだ。同時にまたお前の子供たちのためだ。うぬ惚れるな。同時に卑屈にもなるな。これからお前はやり直すのだ。

(「闇中問答」)

 

 最後の最後まで、理知=意識という武器、自意識という武器を手放すことができなかったこの作家の痛ましさが、ひしひしと伝わってくる。

 特に、「僕の意識しているのは僕の魂の一部分だけだ。僕の意識していない部分は、――僕の魂のアフリカはどこまでも茫々と広がっている。僕はそれを恐れているのだ。光の中には怪物は棲まない。しかし無辺の闇の中には何かがまだ眠っている。」という言葉に注目したい。

 死の直前の芥川が、意識の統御などをはるかに凌駕する、不可知で広大無辺な〈無意識〉の領域に対して、きちんとした〈畏怖〉の心を取り戻していたことは、疑い得ない。

 人間存在をつかさどる力の源泉、すなわち魂の中心が、意識や意識を生み出す脳などに在るのではなく、本当は、個に宿りながら個の身体を超えて拡がる〈無意識〉の、生命的な〈闇〉のダイナミズムの内に在ること。

 人が生気を取り戻し、自己欺瞞なしに未知なる人生に真に真向かえるためには、〈生活〉という営みを通して、その無意識の〈闇〉の次元に、無心に素直に〈身体〉をひらいてゆくしか道はあり得ないこと。そのことで、生存感覚の脱皮と自我の再構築へと導かれること。

 そういった、〈非知〉の領域への身体的な真向かい方、心身一如的な認識のかけがえのなさというものに、並外れた生き難さを抱えた、この繊細で明敏な知性をもつ作家は、死の間際に、どこかで気付いていたのかもしれなかった。

「群小作家の一人になりたい」という芥川の悲鳴の裏には、理知による生の統御などから解放された、ただの〈生活者〉として、人生という〈自然〉に身を任せたいという痛切な希いが透けて視える。

 だが、近代知識人的な彼の意識を覆っていた〈観念〉のフィルターは、統御不能な不可知なる闇に対する〈恐怖〉によって、彼の身体をこわばらせ、萎縮させてしまっていた。

 その既成観念のいましめから己れ自身を解き放ってやるだけの気力、獰猛な野性は、すでに、晩年の芥川には失われていたのである。

 彼の〈自意識〉はあまりにも細分化し、過敏にふるえる神経繊維の束のようなものと化し、芸術という名の偏執的な観念の〈砦〉は、彼の心身を拘束し、呑み込み、やつれさせてしまっていた。

 

     15

 

 私には、芥川龍之介の悲劇は、彼とほぼ同時代を生きたフランツ・カフカのたどった地獄と重なって視える。

 カフカの晩年期の短篇小説「断食芸人」は、不自然きわまる断食のために痩せ衰え、檻(おり)の中で無理解な観衆の「見世物」になりながらも、己れの唯一の特技である〈断食芸〉への孤独なプライドと妄執のために、敢えて不条理な枯死への道を択び取る、ひとりの意固地な芸人の姿を、乾いた酷薄な筆触で容赦なく描破してみせた鬼気迫る作品である。

 その物語的なメタファーのシンプルな力強さは、優に、彼の最高傑作「変身」に匹敵するといっていい。

 断食芸人は、死の間際に、サーカス一座の監督に向かって、自分がなぜ〈断食芸〉という自己破壊的な不幸な技に固執せざるをえなかったのかという、芸への〈衝迫〉の出所を告白する。

 彼はただ、「自分に合った食べものを見つけることができなかった」だけであって、「もし見つけていれば、こんな見世物をすることもなく、みなさん方と同じように、たらふく食べていたでしょうね」と言い残すのである。(「断食芸人」池内紀訳)

 私には、この断食芸人の言葉は、ひとつのメタファーとして受け取るなら、そのままフランツ・カフカや芥川龍之介の生きざまに当てはまるようにおもわれる。

 断食芸人が葬られた後、彼の居たサーカスの檻には、代わりに一匹の精悍な豹(ひょう)が入れられる。「喉もとから火のような熱気とともに生きる喜びが吐き出されて」いる獰猛な「豹」の姿と対比されることで、断食芸人の強いられた痛ましさの本質が鮮明に浮き彫りにされる。

 もちろん、カフカの小説群は、あまりにも酷薄に乾きすぎていて、芥川の初期から中期にかけての抒情的な潤いのある作風とは全く違う。

 しかし、老醜と崩壊した家族の隠微で冷やかな実相を淡々と描いた、芥川晩年期の最高傑作「玄鶴山房」(昭和二年作)における酷薄なリアリズムはきわめてカフカ的であり、彼らが同質の不毛さの病理を強いられ、同質の地獄にたどり着いたことを、私たちに教えてくれている。

 芥川とカフカの悲劇は、芸術と実生活の〈矛盾〉、精神と身体の〈分裂〉の招いた悲劇であり、神経と観念が身体感覚を痩せ衰えさせ、磨滅させていくことの恐ろしさをまざまざと印象づけるものである。

 もし文学(芸術)という営みが、己れ自身や他者や世界への〈異和〉の感覚を繊細に凝視し、〈表現〉として吐き出すことで、人生の地獄図を紡ぎ出すことに終始するしかないものならば、文学(芸術)とは、必竟、サド・マゾ的な痙攣的刺激による快楽と逃避の産物となるか、さもなくば、生命を蝕み、磨滅させていくだけの緩慢な自殺行為となるか、そのいずれかにしかならないであろう。

〈生き難さ〉の本質をみつめることが、己れの生きる天地をより一層狭め、生存感覚を希薄にし、生き難さをつのらせるだけの悪循環をしか生まないとしたら、何のための芸術であろうか。

 芥川龍之介の表現の軌跡、その豊饒さと不毛さは、こういった表現と実生活をめぐる素朴で原初的な問いかけを、改めて私たちに突きつけずにはおかないのである。(了)

 

*本論考における芥川作品の引用は、以下の全集本による。

 「大川の水」「遺書」(岩波書店版『芥川龍之介全集』)

 「青年と死」「老年」「妖婆」「素戔嗚尊」「大導寺信輔の半生」「侏儒の言葉」

 「誘惑」「歯車」「闇中問答」(ちくま文庫版『芥川龍之介全集』)

 ただし、ちくま文庫版からの引用におけるルビは、適宜筆者が増減した。

 

 

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「中期」太宰治の変容―表現と実生活をめぐるアポリア―(連載第3回) 川喜田八潮

  • 2017.06.26 Monday
  • 16:06

 

     4

 

 ただし、このような太宰の実生活と表現の〈均衡〉に、危うさと不安定さがあったことは否めない。

 彼の希求する文学のもつ〈関係への渇き〉(及び、それと裏返しの関係にある〈生得的な障害感〉)の激しさは、彼自身の生きざま(実生活)を、絶えず〈言葉〉と〈行為〉において塗り変え、家族的な〈物語〉を繊細に紡ぎ、支える基盤となったばかりではなく、自身の周囲を超えて、広く世間へ、社会へと広がろうとする。

 自身と家族とを大海の塵のような心細さに追い込み、翻弄する、得体の知れない、巨大な〈世間〉という、荒々しい脂ぎった生活欲のるつぼのような魔境へとたたかいを挑み、強引に架橋せんとするのだ。

 作品『俗天使』で印象深く語られているように、大衆によって「十字架」にはりつけにされ、満身創痍になりながら、なお「動乱の亡者ども」へ裸身の手をさしのべようとする、ミケランジェロのキリスト像のように、だ。

『女の決闘』は、昭和十四年の末から十五年の五月頃までの間に書かれたと思われるが、この時期には、『駈込み訴え』や『走れメロス』のような中期太宰の珠玉の名作が矢継ぎ早に発表され、太宰の生活者的な肉体のみずみずしさが、最も落ち着いた、安定感のあるかたちをとって文学的に開花している。

 私の考えでは、「中期」前半の、昭和十三年から十六年頃までの太宰治には、まだ、生活者として踏み越えてはならない〈一線〉を越えず、自らのしあわせを守り、〈縁〉のある読者にのみ己れの作品を手渡そうとする、つつましい謙虚さがあった。

 そういう姿勢は、端的にいえば、『富嶽百景』で、「富士」の偉容に対峙して、みじんもゆるがず、けなげにつつましく立っている「月見草」への想いに象徴されるようなものであったし、例えば、『花燭』の主人公「男爵」を批判する青年の次のような言葉にもよく示されている。

 

「失礼ですが、」青年は、かえろうとする男爵のまえに立ちふさがり、低い声で言った。「養うの、ひきとるのと、そんな問題は、古いと思います。だい一あなたには、人間ひとり養う余裕ございますか。」男爵は、どぎもを抜かれた。思わず青年の顔を見直した。「自身の行為の覚悟が、いま一ばん急な問題ではないのでしょうか。ひとのことより、まずご自分の救済をして下さい。そうして僕たちに見せて下さい。目立たないことであっても、僕たちは尊敬します。どんなにささやかでも、個人の努力を、ちからを、信じます。むかし、ばらばらに取り壊し、渾沌(こんとん)の淵に沈めた自意識を、単純に素朴に強く育て直すことが、僕たちの一ばん新しい理想になりました。いまごろ、まだ、自意識の過剰だの、ニヒルだのを高尚なことみたいに言っている人は、たしかに無智です。」

「やあ。」男爵は、歓声に似た叫びをあげた。「君は、君は、はっきりそう思うか。」

「僕だけでは、ございません。自己の中に、アルプスの嶮(けん)にまさる難所があって、それを征服するのに懸命です。僕たちは、それを為しとげた人を個人英雄という言葉で呼んで、ナポレオンよりも尊敬して居ります。」

 来た。待っていたものが来た。新しい、全く新しい次のジェネレーションが、少しずつ少しずつ見えて来た。男爵は、胸が一ぱいになり、しばらくは口もきけない有様であった。

「ありがとう。それは、いいことだ。いいことなんだ。僕は、君たちの出現を待っていたのです。好人物と言われて笑われ、ばかと言われて指弾され、廃人と言われて軽蔑されても、だまってこらえて待っていた。どんなに、どんなに、待っていたか。」

 言っているうちに涙がこぼれ落ちそうになったので、あわてて部屋の外に飛び出した。(『花燭』)

 

「男爵」は、現世に居場所の無い「滅亡の民」という思念に憑かれ、生家や女との関係を自虐的に破壊しながら、ひたすら「死に場所」を求めて、滅私的な〈献身〉の理念にのめり込んでいった「前期」太宰の生々しい傷痕をユーモラスに象徴する人物である。何もかも無くしてぼろぼろになり、無一物の己れの〈肉体〉ひとつになった太宰が、井伏鱒二の仲介で見合い結婚をし、甲府市の街はずれに二部屋だけの小さい家を借りて、一介の職業文筆家としてつつましくゼロからのスタートを切ろうとする。そういう、前期から中期への、ういういしい生活者的な〈転生〉の位相を、この作品は、とても鮮やかにほほえましく象徴している。

 昭和十三年から十五年頃までの太宰は、こういうつつましい生活人としての覚悟性を厳しく握りしめ、「世間」や「社会」といった化け物じみた抽象物に、無防備に己れをひらいてゆくような危うさに陥ってはいなかった。

 例えば、昭和十五年の秋に書かれた『きりぎりす』にも、そういう姿勢は、濁ることなく厳しく張りつめたように流れている。

 世間からも、肉親や周囲の人間たちからも全く理解されず、ただひたすら、己れ自身のためにのみ純粋に作品を創りつづける孤独な貧乏画家の夫とのひっそりとした暮らしぶりに満ち足りたおもいを抱いていた妻が、やがて、画壇に認められて出世し、金が入るようになるにつれて、他人の仕事を常に気にかけ、文化人的な徒党(サロン)を組み、虚栄心のとりこになってゆく夫の〈豹変〉ぶりに恐怖をおぼえ、ついに彼のもとから離れ去ってゆく。

 その心境の推移が、妻の深い喪失感に満ちた語り口を通して淡々と回想されてゆく。

 私たちの誰もが、心のどこかにこびりつかせている俗物根性を強烈に刺し貫き、戦慄をおぼえさせずにはおかない、いかにも太宰らしい秀作である。

 

「私は、或る日こっそり父の会社に、あなたの画を見に行きました。その時のことを、あなたにお話し申したかしら。私は父に用事のある振りをして応接室にはいり、ひとりで、つくづくあなたの画を見ました。あの日は、とても寒かった。火の気の無い、広い応接室の隅に、ぶるぶる震えながら立って、あなたの画を見ていました。あれは、小さい庭と、日当りのいい縁側の画でした。縁側には、誰も坐っていないで、白い座蒲団(ざぶとん)だけが一つ、置かれていました。青と黄色と、白だけの画でした。見ているうちに、私は、もっとひどく、立って居られないくらいに震えて来ました。この画は、私でなければ、わからないのだと思いました。」

「私の家では、あなたの評判は、日が経つにつれて、いよいよ悪くなる一方でした。あなたが、瀬戸内海の故郷から、親にも無断で東京へ飛び出して来て、御両親は勿論、親戚の人ことごとくが、あなたに愛想づかしをしている事、お酒を飲む事、展覧会に、いちども出品していない事、左翼らしいという事、美術学校を卒業しているかどうか怪しいという事、その他たくさん、どこで調べて来るのか、父も母も、さまざまの事実を私に言い聞かせて叱りました。(中略)けれども私は、あなたのところへ行く事に、きめていました。ひとつき、すねて、とうとう私が勝ちました。但馬さんとも相談して、私は、ほとんど身一つで、あなたのところへ参りました。淀橋のアパートで暮した二箇年ほど、私にとって楽しい月日は、ありませんでした。毎日毎日、あすの計画で胸が一ぱいでした。あなたは、展覧会にも、大家の名前にも、てんで無関心で、勝手な画ばかり描いていました。貧乏になればなるほど、私はぞくぞく、へんに嬉しくて、質屋にも、古本屋にも、遠い思い出の故郷のような懐しさを感じました。お金が本当に何も無くなった時には、自分のありったけの力を、ためす事が出来て、とても張り合いがありました。だって、お金の無い時の食事ほど楽しくて、おいしいのですもの。つぎつぎに私は、いいお料理を、発明したでしょう? いまは、だめ。なんでも欲しいものを買えると思えば、何の空想も湧いて来ません。市場へ出掛けてみても私は、虚無です。」

「あなたが急にお偉くなって、あの淀橋のアパートを引き上げ、この三鷹町の家に住むようになってからは、楽しい事が、なんにもなくなってしまいました。私の、腕の振いどころが無くなりました。あなたは、急にお口もお上手になって、私を一そう大事にして下さいましたが、私は自身が何だか飼い猫のように思われて、いつも困っておりました。私は、あなたを、この世で立身なさるおかたとは思わなかったのです。死ぬまで貧乏で、わがまま勝手な画ばかり描いて、世の中の人みんなに嘲笑せられて、けれども平気で誰にも頭を下げず、たまには好きなお酒を飲んで一生、俗世間に汚されずに過して行くお方だとばかり思って居りました。私は、ばかだったのでしょうか。でも、ひとりくらいは、この世に、そんな美しい人がいる筈だ、と私は、あの頃も、いまもなお信じて居ります。その人の額の月桂樹の冠は、他の誰にも見えないので、きっと馬鹿扱いを受けるでしょうし、誰もお嫁に行ってあげてお世話しようともしないでしょうから、私が行って一生お仕えしようと思っていました。私は、あなたこそ、その天使だと思っていました。私でなければ、わからないのだと思っていました。」

 

 ここには、中期前半の太宰が、何を守り抜こうとしていたか、何を魂の拠り所として生死の危うい均衡を保ち続けてきたかが、鮮明ににじみ出ていると私は思う。(この稿続く)

 

 

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芥川龍之介と闇(連載第5回) 川喜田八潮

  • 2017.06.25 Sunday
  • 13:15

 

     13

 

 先に引用した「歯車」の場面の中に、語り手の「僕」がたまたま『罪と罰』の「綴(と)じ違え」のページを開き、しかもそれが、イヴァン・カラマーゾフと彼の分身の「悪魔」が対決するシーンであったという、とても「偶然事」とは思えぬ出来事が出てくる。

 これは、かつてドストエフスキー論(『脱〈虚体〉論――現在に蘇るドストエフスキー』(一九九六))を執筆したことのある私にとって、「歯車」の中でも、ことのほか印象深い箇所の一つである。遺稿となった「歯車」の切迫した文体からいって、この出来事が作り話であるとは到底思えない。まぎれもなく、作者芥川自身の〈実体験〉とみていい。

『カラマーゾフの兄弟』のこのシーンに登場する「悪魔」は、「神の存在を信じたい」と渇望しながら、どうしても信じ切れない無神論者イヴァン・カラマーゾフのひき裂かれた〈無意識〉の象徴である。

 この悪魔は、イヴァンの魂を〈信〉と〈不信〉の葛藤のはざまに投げ込み、いわば「宙吊り」の状態にすることで、信と不信、善と悪、美と醜の間を振り子のように揺れ動くように囲い込んでしまう。イヴァンは、どっちつかずの、永遠に決着のつかない、キリで揉まれるような懐疑・不安の神経症的な苦しみの中で、もがき続けるしかない。

 彼にとって生きる〈手応え〉は、そのひき裂かれた魂の〈痛覚〉の中にしかないのだ。

 それはそのまま、作者芥川龍之介の神経症的な〈分裂〉の苦しみと重なって視える。

〈分裂〉を超える道は、身体感覚の〈変容〉を手がかりとして開示される類的な〈無意識〉の次元との、たしかな〈接触〉の実感による、生存感覚の変容とそれに立脚した新たな〈自我〉の再構築に求められるべきであったろう。

 しかし、理知的・観念的な〈意識〉の行使によって、全てを仕切ろうとする晩年期芥川の身構えの意固地さは、その余地・契機を与えなかった。

〈実生活〉をひたすら醜悪なカオスとみなして怖れる彼は、意識によって統御される〈観念〉の砦によって「第二の現実」を造り上げることで、あるがままのカオスとしての現実に対峙し、そこから身をかわそうとした。しかし、彼の存在を包摂し、つかさどる無意識の〈闇〉の次元は、実存的な〈不安〉を励起させ、その不安への防衛反応は、パラノイア的な関係妄想や幻覚・錯覚という非合理的な表現形式をとって、彼の意識の〈空隙〉を衝き、この作家を神経症的な〈恐怖〉へと追い込んでいったのだった。理知的な〈意識〉による統御の意志が強ければ強いほど、その破綻による〈恐怖〉もまた強まる。

 

 しかしそれにしても、「歯車」のこの場面は不可解な印象を与える。

 この『罪と罰』の本は、主人公の「僕」(芥川)が、かつて牛乳店を営んでいた芥川の実家・新原家の店員で、今では聖書会社の小使いをしている老人「室賀文武」を訪ねた折に、貸してもらったものである。

「歯車」の中で作者は、この老人が、自分の実母の「発狂」の秘密を知っていると思われる人物だと語っている。龍之介の生みの母は、彼の生後九ヵ月頃に発狂し、十一歳の時に亡くなっている。

 主人公の「僕」は、「屋根裏の隠者」であるこの老人に尊敬の念を覚え、意味深い会話を交わしている。

 

「いかがですか、この頃は?」

「不相変(あいかわらず)神経ばかり苛々(いらいら)してね。」

「それは薬でも駄目ですよ。信者になる気はありませんか?」

「もし僕でもなれるものなら………」

「何もむずかしいことはないのです。ただ神を信じ、神の子の基督(キリスト)を信じ、基督の行った奇蹟を信じさえすれば………」

「悪魔を信じることは出来ますがね。……」

「ではなぜ神を信じないのです? もし影を信じるならば、光も信じずにはいられないでしょう?」

「しかし光のない暗(やみ)もあるでしょう。」

「光のない暗とは?」

 僕は黙るよりほかはなかった。彼もまた僕のように暗の中を歩いていた。が、暗のある以上は光もあると信じていた。僕等の論理の異るのはただこう云う一点だけだった。しかしそれは少くとも僕には越えられない溝に違いなかった。……

「けれども光は必ずあるのです。その証拠には奇蹟があるのですから。……奇蹟などと云うものは今でも度たび起っているのですよ。」

「それは悪魔の行う奇蹟は。……」

「どうしてまた悪魔などと云うのです?」

 僕はこの一二年の間、僕自身の経験したことを彼に話したい誘惑を感じた。が、彼から妻子に伝わり、僕もまた母のように精神病院にはいることを恐れない訣(わけ)にも行かなかった。

「あすこにあるのは?」

 この逞(たくま)しい老人は古い書棚をふり返り、何か牧羊神らしい表情を示した。

「ドストエフスキイ全集です。『罪と罰』はお読みですか?」

 僕は勿論十年前にも四五冊のドストエフスキイに親しんでいた。が、偶然(?)彼の言った『罪と罰』と云う言葉に感動し、この本を貸して貰った上、前のホテルへ帰ることにした。(「歯車」五 赤光)

 

「綴じ違え」のページのある『罪と罰』の本は、老人から半ば勧められながら借り出したものであった。芥川が無神論者であることを室賀老人は知っていた。しかもその事に深い苦悩を覚えていることも。

 だとすれば、あらかじめページをイヴァン・カラマーゾフと悪魔の白熱した対話のシーンと入れ換えておいた本を周到に用意しておき、それを芥川に手渡すことで、彼をさりげなく宗教的に「啓蒙」しようともくろんだのかもしれない。

 しかし、そのような啓蒙的な下心を想定してみても、なお、「歯車」のこの「綴じ違え」のページとの遭遇の場面の〈不可解さ〉の印象は、完全には拭えない。

「僕はこの製本屋の綴じ違えに、―――そのまた綴じ違えた頁を開いたことに運命の指の動いているのを感じ、やむを得ずそこを読んで行った。けれども一頁も読まないうちに全身が震えるのを感じ出した。そこは悪魔に苦しめられるイヴァンを描いた一節だった。」というくだりには、やはり戦慄を覚えざるをえないのだ。

 芥川の〈無意識〉が、室賀老人の〈無意識〉を「招き寄せてしまった」という霊妙不可思議さの感覚は、どうしても残ってしまうのである。

 人の縁(えにし)とは、そういうものではなかろうか?

 私たちの〈無意識〉は、〈個〉の輪郭を超えて、他のさまざまな存在や他者の〈無意識〉と「類的」につながり、相互に交錯し、すれ違い、共振し、あるいは反発し合っている。

 私たちの心身に宿った陰陽の〈気〉は、絶えず、他の存在に宿った〈気〉の流れとダイナミックに交流しつつ、霊妙な出逢いとえにしを紡ぎ出しているのである。

 私たちの〈無意識〉が種々の感情や欲望によって駆り立てられ、変動する中で、私たちの魂のかたちに呼応するように、良きにつれ悪しきにつれ、さまざまな人や出来事とのえにしが招き寄せられるのだ。

「類は友を呼ぶ」とか、「朱に交われば赤くなる」といったことわざも、その文脈の中で活きてくる。

 感情や欲望・我執によって魂に〈濁り〉が生じる時、あるいは、悲しみや不安・恐怖によって〈気〉の力が衰弱した時、人は、濁った魂の者をひきつけ、あるいは、邪気の強い者に隷属させられてしまうという危険にさらされる。

 魂の濁りを洗い清め、〈気〉の力をはればれとした力強いものに変容させ、とぎすましてゆくことは、本当に大変な力わざである。

 だが、そのひそやかな修練なくして、悪しき関係を断ち切り、良きえにしを招き寄せることもまた、困難なのではなかろうか。

 室賀老人は、「歯車」での描写をみる限りでは、決して「濁った」魂の持主とは思えない。

 人間性の醜悪さと存在の不条理性という強迫観念に苛まれ、神を信じることができずに地獄をさまようイヴァン・カラマーゾフが、毅然とした、孤独で澄んだ信仰の持主である弟のアリョーシャとの〈接触〉に、密かに救いを求めていたように、〈信〉に飢え渇きながら、〈不信〉の泥沼でもがき苦しむ芥川の〈無意識〉もまた、純粋な信仰をもった隠者である室賀老人との〈接触〉を希求していた。

 だが、アリョーシャとの接触が、傲岸なニヒリストの主知主義者であるイヴァンの秘められた〈無意識〉の分裂・矛盾を暴き出すことで、かえって、彼の神経症的な妄念を悪化させたように、芥川にとって、室賀老とのえにしは、目に視えぬ悪魔へのパラノイア的な妄想を悪化させるだけであった。

 良きえにしであるべきものが、かえって、ふたりにとっては、狂気の階梯を推し進めるだけの、食い合わせの悪い、不幸な出逢いになってしまっている。

「歯車」の中には、「偶然」というにはあまりにも不可思議だと思わざるをえない、風景や人との遭遇が幾つかみとめられる。

 目に視えぬ何物かの霊的な〈悪意〉におびえる芥川の衰弱した〈気〉が、いや応もなく、運命の不吉さを暗示する〈風景〉を招き寄せてしまっているという印象は拭えない。

 前近代的な土俗に息づいていた〈気〉の感受性を、無意識の深部にゆたかに抱え込んでいたこの作家が、理知的・観念的な身構えによって、己れの神秘な生存感覚を強引に圧殺せんとした時、彼の無意識の〈闇〉は、〈不吉さ〉の連鎖的な暗示のシステムという、歪んだアニミズム的表現形式をとって、意識の表層に浮上してきたようにおもわれる。

 関係妄想も、それに伴う幻覚・錯覚も、不幸なえにしによる出逢いも、そのような〈無意識〉の次元における不可視の揺らぎ・ダイナミズムによって招き寄せられたものではないか、といった印象を抱かされてしまうのは、私だけであろうか?

 芥川の行き着いた狂気の苦しみは、人生の地獄をみつめ続けることで、芸術家としての存在証明をしようとしたこの作家の意識的手法、生きざまの無理がもたらした破綻・悲劇でもあった。(この稿続く)

 

 

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〈生き難さ〉のアーカイブス〜「詩を描く」若者たち〜(連載第1回) 川喜田晶子

  • 2017.06.24 Saturday
  • 18:46

 ブログ「星辰」をスタートさせた2016年2月から、「〈藤村操世代〉の憂鬱」というタイトルで批評文を連載してきたが、そこでは明治20年前後生まれの当時の青年たち・表現者たちが、時代に蔓延する〈生き難さ〉と格闘する様を多角的に取りあげた。その〈生き難さ〉の質が、藤村操が投身自殺した明治30年代後半に限ったものではなく、表情を変えながら〈現在〉にまで連なる普遍性を帯びていることにも触れてきた。

 

 私の中でこの連載はまだまだ始まったばかりであり、今後、谷崎潤一郎の倒錯的な美意識の意味するものや、北原白秋の生存感覚にしがらんでいる風土性や、石川啄木の鋭利な批評意識についても扱いたいし、少し早く生まれた泉鏡花の水際立った倫理観と倒錯性との融合や、一世を風靡した徳富蘆花の「不如帰」と尾崎紅葉の「金色夜叉」の対比、明治20年代後半に現われて迅速に消滅した「観念小説」と呼ばれる小説群の意義(泉鏡花の「外科室」などが代表的である)をも論じてみたい想いがあり、おそらくこれからライフワークの様相を呈するのではないかと感じている。

 しかし、〈藤村操世代〉としての折口信夫について、想定していた以上に掘り下げて表現できたことに少しほっとしたので、この連載は一時休載することとし、ここで新たに別の連載を開始してみようとおもう。

 それはある意味、「〈藤村操世代〉の憂鬱」の現代版、とも言えそうである。

 

 2014年10月から2015年1月にかけて毎週、ある芸術系の大学で「詩」の講義をした。

 今回は、その内容を再構築することで、明治の青年たちではなく、〈現在〉を生きる若者たちの〈生き難さ〉の質を浮かび上がらせてみたい。

 

 半年足らずの期間ではあったが、芸術表現を学ぶ学生たちに「詩を描く」というタイトルで講義をする機会を得られたことは、私にとって貴重な意味を持つ。

 90分の授業時間の前半は、近現代のすぐれた詩作品(自由詩・短歌・俳句)の味読・鑑賞を行い、それを契機として後半は、学生個々人に短い詩作品の実作をしてもらおうというもくろみだった。「短さ」という制約をキャンバスとして、「言葉」というモチーフを使って〈詩〉を「描く」ように表現する試みである。

 全15回という時間が与えられている。古典的な名詩・名歌・名句がかなりたっぷり扱えるとおもった。学生作品の講評は、その内2回くらいを当てればいいだろうとおもっていた。

 ところが、初回に提出された学生の作品に、すでに完成度の高い詩がいくつかあり、それを解説することで刺激されたのか、毎回のように高水準の作品が私の手元に届くようになった。

 それらを批評・解説することは、私と学生の双方にとって非常にスリリングな時間を産み出すこととなり、近現代の作品は、どちらかといえば後景に退いた感がある。

 しかし、学生の作品に表れた〈痛み〉や〈傷〉や〈葛藤〉に相通じる主題を持つ古典的作品を織りまぜて比較・解説することで、彼らは、それまでほとんど触れて来なかったであろう文学作品の本質が、自分たちの抱えている〈闇〉と酷似していることに気づき、あるいは日頃表層的な付き合いにとどまる友人たちの内面にも、自分と、そしてかつての文学者たちと同じ〈闇〉がうごめくことを感じ取ったようだ。病理を超えてゆく晴れ晴れとした世界を描き出すことはできないが、縦横に刺激された表現意欲は、己れと時代の暗部を抉るように表出してみせている。

 

 学生たちから返ってきた授業評価アンケートには、「自分の書いた詩がどういう詩なのか解説してもらえたことがよかった」「自分らしい詩を評価してもらえた」「自分で詩を書き、評価されるという授業が新鮮で快感だった」「解説がよかった。」「作品の丁寧な分析がよかった」「自由に詩がつくれた」といった回答が多々あり、彼らがまさに「描く」ように作品を作っていたことをしのばせる。自分で自作をどういう詩なのか、意識として明晰にしながら書いているわけではないのだ。そこに表出された彼らの〈無意識〉を、私の批評言語が〈意識〉の言葉へと変換するわけだが、それは、彼らが意図しなかった切り口や普遍性を提示することとなり、〈現在〉における自作の意義を確認できる機会となっていたのである。

 私の言葉により、全く思いがけないイメージで作品が読み解かれたこともあったろう。それでも彼らはそれを「快感」として受け止めていたことが感慨深い。己れの意図を超えた無意識を読み解かれることの「快感」の深さは、作品と批評との喜ばしい出会いの指標とも言えよう。

 毎回休まず出席してくれた学生たちと、ほとんど直接会話はしなかったけれども、作品とこちらの解説を通して互いの表現営為という密室を訪ね合うような濃密な時間を過ごせたこと、私の批評的言語が、彼らの意識・無意識へと還流し、きちんとクロスする様を確かめられたことは、なにより幸福なことだった。学生の偏差値がどのくらいであるとか、近頃の学生の教養水準が、などと気を遣って啓蒙的な噛み砕き方で解説する必要も無かった。表層的な知性をではなく、彼らの無意識を信頼するならば、いささかの妥協も無く、私の批評精神をのびのびと発露することができた。

 大学からも次年度の出講を求められたが、私的なことながら家族に介助の必要が生じ、やむなくこの半期限りの講義となった。この忘れがたい数か月の講義内容を、遠からずまとめてみたいとおもっていたのである。

 

 そのような次第で、毎週、提出された学生の作品から次の授業内容を組み立てるというスリルを味わい続けた数か月の記録をもとに、“〈生き難さ〉のアーカイブス〜「詩を描く」若者たち〜”と題して論じてみたい。

 

 学生たちには、その作品を私が公の場で論じることについて了承を得ている。作者名の公表を希望しない学生については、適宜アルファベット(イニシアルではない)で示すこととした。

 

 お行儀のよい向日的な作品を作る必要などない、内面の苦しみや毒念や憎悪も、率直に表現して構わないのだということさえ感じ取るならば、学生たちがどれほど迅速に優れた自己表現をなし得るかという、これは驚嘆すべき一つの事例でもある。

 

歪む世界

 

 学生たちの作品に共通する〈痛み〉の一つは、生まれる前から自分たちはあるべき世界の振幅を奪われているのだという認識であり、渇いても求めても手にすることのできない世界の質感をどこかで感じながら、己れを取り囲む世界の歪みと狭隘さを凝視する、ごまかしの無い悲哀だった。

 

   無題     S・H

 

ねじれねじれた三千世界

群れたカラスでゲシュタルト崩壊

識字率は現在百%

 

良いこと悪いこと全部共有しましょう

そうしましょう

 

面倒くさい伝言ゲーム

まきこまれた死体が一つ、二つ、

 

死因は知らない

関わりたくない。

 

 短さという制約をキャンバスとして、〈現在〉の世界の歪みの本質を的確に描き出してみせた技量に感服する。

 鋭利な批判精神が感覚的に駆使され、〈現在〉の病理の本質と、それに対する乾いた距離感が引き締まった抽象度で表現されて無駄が無い。

 

「ねじれねじれた三千世界」「群れたカラスでゲシュタルト崩壊」という状況がまずたたきつけるように提示される。

「ゲシュタルト崩壊」とは、意味のある一つのまとまりをもつ〈全体〉として対象を認識できなくなることを意味する。たとえば、「山」なら「山」という文字が無数に紙面を埋め尽くすとき、あるいは長時間凝視し続けた場合などに、私たちは「山」という文字を個々の構成要素の寄せ集めとして認識してしまう。このような「ゲシュタルト崩壊」が、「群れたカラス」によって発生するのだ。

 ここで、カラスが群がるのは「死体」ではないかという連想を読者に惹き起こす。

 死体に群がり過ぎたカラスによって、私たちは「死」を「死」として認識できなくなってしまっている状況。

 それが「ねじれねじれた三千世界」の実相である。

「三千世界」という仏教用語は、「三千大千世界」とも言うが、ただの「現世」ではなく、コスミックな意味が機能している、というニュアンスを読者に与える。有機的でまとまった意味を持つ世界である。それがねじれにねじれている。本来、意味に満ち溢れているはずの世界が有機的に機能せず、ねじれ切っている。

 作者はそういう「現世」に死臭を嗅ぎ取っている。人の肉体の死ではなく、〈意味〉の死、が蔓延しているのだ。にもかかわらず、その〈意味〉の死体に群がるカラスのせいで、誰も「死」を感じられなくなってしまっている。

 あらゆるものがデジタルに変換されたIT社会への表層的な批判ではない。むしろそのことをも喩として、私たちの世界観や生存感覚を本質的に侮辱し、日常と人生の意味を剥奪し、平板な記号としての〈生〉を強制してくる目に見えない権力への批判として鮮やかだ。

「識字率は現在百%」とは、実に的確なこの状況への本質追求である。

「死」も「カラス」も、文字としてなら誰もが読める。読めない者などいない。

 しかし、あまりの死臭、あまりにも大量のカラスによって、誰も、この世界の〈意味〉が奪われていることに気づけない。

 知も情報も感覚も感情も人生のイメージも風景も己れも他者も、自分の存在とは無縁の無機的な要素に分断されながら、いともたやすく他者と共有される社会のおぞましさを、「識字率百%」として表現する手腕は見事だ。

 

「良いこと悪いこと全部共有しましょう/そうしましょう」は、この状況が惹き起こす〈倫理〉の崩壊を明示する。

 何が正しくて何が正しくないのか、何が良いことで何が悪いことなのか、識字率が百%なら、文字として共有するのはいともたやすい。まるごと共有することができているはずである。だが、それは無意味な記号としての文字であり、〈意味〉とは無縁、もちろん〈倫理〉とも無縁なのだ。

〈意味〉が崩れ去った時に〈倫理〉が崩れ去ることを、この作者は明快に把握し切っている。観念的な〈倫理〉だけを強制されてきたのであろう己れの成長過程への毒念を感じさせるフレーズである。

 

「面倒くさい伝言ゲーム/まきこまれた死体が一つ、二つ、」つまり、文字は共有できても意味と倫理は共有できていない世界の「伝言ゲーム」は、実は危険なものだ。「識字率百%」であるのに、実は何も伝わらないことで、存在の核が殺されてゆく。あるいはこの「死体」は、そのような世界へのプロテストを何らかの形で実行しようとした者かもしれない。異質な世界観を持つことだけでも命とりになるのだ。「あいつはこの世界に存在してはいけない者だ」との圧力によって命を落としたのかもしれない。それゆえに、「死因は知らない/関わりたくない。」とこの一篇は閉じられる。

〈現在〉の状況をこれほど鋭利に描出しておきながら、その状況下で〈意味〉を剥ぎ取られて犠牲になった者の「死因は知らない」と作者は言ってのける。「関わりたくない。」とも。

 関わることは、その犠牲者の「死」の意味を掘り起こすことだ。それをやってのけようものなら、作者の存在はすみやかに〈現在〉の敵とみなされることだろう。群がるカラスによってあっという間に作者の存在もまた、抹殺されてしまうことだろう。

〈意味〉など主張しようものなら〈死〉あるのみ、どころか、その〈死〉の意味さえ消去されることだろう。

 実にブラックな一篇である。

 

 これほどの短さにおいて、端的に〈現在〉の状況を把握し、〈敵〉の姿をあぶり出してみせた技量に感嘆せざるを得ない。世界から有機的な全体感と奥ゆきが失われ、表層のみが万人に共有されていることのおぞましさ、そのことによって追い詰められることの息苦しさが鮮やかに顕ち上がっている。

 

   無題     M・S

 

黒鉛はまたうすよごれたこの紙に

青い景色を描きだし

白を忘れた雲と空

黒の世界で動かない

 

 この作者もまた、現実から〈色〉と〈動き〉が失われている閉塞感を描く。

 芸術表現にたずさわるこの学生にとっての「黒鉛」は、自分の表現の唯一のツールであるとのニュアンスを帯びる。その「黒鉛」で「うすよごれたこの紙に」風景を描こうとしているが、「うすよごれたこの」という修飾語によって、「紙」はこの現実世界のことであると伝わる。

 最初からうすよごれたこの世界に、自分の存在は何を描くことができるのか。最初から紙がうすよごれているのと同じように、自分もまた、最初から「黒鉛」でしかない。他の色を持たない。その「黒」だけで、「青い景色を描き」だそうと試みるのだが、「白を忘れた雲と空」は「黒の世界で動かない」のである。

 世界と自分から先天的に奪われている色と動きへの渇きが、スタティックに定着された一篇である。

 

 授業では取り挙げなかったが、ここで、国木田独歩の作品を引用したいとおもう。

 明治4年生まれの独歩が、有名な「牛肉と馬鈴薯」を発表したのは明治34年、その主人公の青年の手帳からの抜き書き、という体裁の「岡本の手帳」は、明治39年の発表である。

 ちょうど、藤村操が「巌頭之感」を遺して華厳の滝に投身自殺した明治36年をはさんでこの二作品は発表されている。独歩もまた、この「天地」という場所について葛藤していた。

「牛肉と馬鈴薯」では、現実主義(牛肉)か理想主義(馬鈴薯)か、という議論の空しさを衝き「喫驚(びっくり)したいというのが僕の願なんです」と岡本に言わしめていた独歩だが、その切なる願いの内実は「岡本の手帳」に一層精密に語られている。

 

「宇宙は不思議なり、人生は不思議なりと人も言ひ、われも言ふ。科学と哲学と宗教とはこの不思議を滅さんと力(つと)む。わが願も亦、科学者として、哲学者として、宗教家としてこの不思議を闡明(せんめい)せんことにや。あらず、あらず、これわが「この願」にあらざるなり。」

「わが切なるこの願とは、眠より醒めんことなり、夢を振ひおとさんことなり。/この不思議なる、美妙なる、無窮無辺なる宇宙と、この宇宙に於けるこの人生とを直視せんことなり。われをこの不思議なる宇宙の中に裸体のまま見出さんことなり。/不思議を知らんことに非ず、不思議を痛感せんことなり。死の秘密を悟らんことに非ず、死の事実を驚異せんことなり。」

「それ世間ありて天地あるに非ず、天地ありて世間あるなり。この吾は先(ま)づ天地の児(こ)ならざる可からず。世間に立つの前、先づ天地に立たざる可からず。」

「怪しきまでに人はこの天地の不思議に慣れて無感覚に安(やすん)じ居るなり。墳墓の累々たるを見て平然たるなり。限りなき蒼穹を仰ぎ見て平然たるなり。」

(国木田独歩「岡本の手帳」 『牛肉と馬鈴薯・酒中日記』所収 新潮文庫 昭和45年刊)

 

 明治30年代にすでに、「ゲシュタルト崩壊」を感受し、「ねじれねじれた三千世界」をおぞましく思い、科学や哲学や宗教によって「不思議」が滅ぼされ「識字率百%」への道を着々と歩みつつあると同時代を認識し、誰一人「喫驚」することのできない時代を苦しんでいた独歩。

 現在の若者と、その文体に大いなる差異はあれど、奪われつつある「天地」への渇き、「世間的」であることに埋没させられてゆく恐怖は同質である。

 おそらくはその眼の前で「天地」が「世間」へと縮小させられ、意味や倫理が剥落してゆく様をまざまざと凝視していたであろう独歩に対して、現在の縮んで歪み切った世界に触れて生じる〈痛み〉を通してのみ、個人史の内では巡り会えていない「天地」の存在とその振幅をかろうじて感受し、絶望的な想いでたぐり寄せようと渇くのが今の若者だという差異が、この文体の差異を生んでいるだろう。

 同質の痛みと隔絶した文体。双方に触れることで、私たちの〈生き難さ〉の淵源に臨む想いがする。(この稿続く)

 

 

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〈藤村操世代〉の憂鬱(連載第16回) 川喜田晶子

  • 2017.05.26 Friday
  • 13:18

 

折口信夫の〈青あざ〉

 

『海やまのあひだ』からぬき出した20首の中で、未だ触れていない歌が一首ある。最後にこの歌に触れておきたい。

 

 山深きあかとき闇や。火をすりて、片時見えしわが立ち處(ド)かも

 

 この歌は、寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」(『空には本』所収、昭和33年)を想起させるが、寺山の歌は、戦後の短歌表現の〈自由〉に向かって解き放たれながら、逆に「祖国」という語によって、当時の政治的な文脈に回収されてしまうような輪郭をまとっている。彼がここで見ようとしたものは「祖国」か「霧」か、という対比であり、戦後的な〈身〉は、もはや「祖国」に回収されないけれども、それなら回帰すべき土俗的な母胎であるコスミックな〈闇〉の象徴としての「霧」は、深く豊かに〈身〉を迎え入れるかといえば、マッチの火に照らされたつかのま、そのカオスとしての表情を垣間見せるばかりである。戦後的な〈個〉をまさぐる自我の〈自由〉、すなわち〈前衛〉と呼ばれた衝迫と、伝統的・土俗的な生存感覚の基盤としての〈闇〉とが、互いに侮辱し合うかのように対比されることの野性味が寺山短歌の真骨頂であるが、この歌にも、ケレン味のある劇的空間を顕ち上げながら、〈自由〉にも〈闇〉にも安らぐことが出来ない寺山が解き放つ、濃密な苛立ちを感受し得るだろう。

 

 対して折口の一首には、寺山のような表立った野性味はないが、火に照らされて一瞬浮かび上がる己れの限定された「立ち處」のめぐりに無辺の闇のひろがりを感受しておののく、しずかな狂暴さが息づいている。政治などとは無縁の、〈存在〉の振幅をいかほどの広大さで想い描くべきかについての信と不信を賭けたドラマが、片時の火のほとりで繰り広げられている。

 ここには、山深き場所と平地、あかときの闇と真昼間、闇と火、片時と永劫、そして己れの「立ち處」とそれを巡る「無辺」という時空間の、鮮烈な対比が幾重にも潜んでいる。

 一首の感動の中心は「山深きあかとき闇」でもあり、それに対比される「片時見えしわが立ち處」でもあるように、この歌は顕ち上がっている。寺山のように両者が互いに侮辱し合うというのではないが、そこには、互いの本質を晒し合う不吉さが潜んでいる。

 全てを永劫・無辺へと呑み込む「闇」の不吉さ。呑み込まれる宿命を帯びた「立ち處」の狭さ・短さ。火に照らされた「立ち處」が見えることは、実はそれを取り巻いている「闇」が見えることでもある。

 これまで見てきたような折口の生存感覚からすれば、己れの「立ち處」を生きることは、それを呑み込む「母なる〈死〉」としての「闇」を生きることでもあろう。彼はその「闇」を忌避してはいない。むしろ、そこに回帰したいと願い、表現によってわずかずつ回帰しながら生き永らえていたとも言えよう。

 しかし大衆は、世間は、その「立ち處」をのみ生きていて、実は「闇」を生きていながら、よほどのことがない限り、そのことを意識の上に昇らせることなくやり過ごしている。折口だけが「闇」を生きていることに気づいている異形の民、〈まれびと〉である。

 その覚悟と矜持が、短歌という〈型〉に委ねられることで、どこか古代の神の呪言のように鮮烈に哀切に響いてくる。これが世界のあり方だ、と。神が見ているあり方だ、と。

 自身の異形性の帯びている「のろひ」が、そのまま「ことほぎ」でもあるような世界観。

 生きながら「母なる〈死〉」と一体化するような世界観。

 そういう世界観によって、かろうじて民俗の魂の原形質との(あるいは師である柳田との)異質性・同質性のドラマを紡ぎ出し、表現し続けた折口の、静謐だが狂暴な立ち姿をこの一首に鮮やかに感受できるようにおもう。

 

********************

 

 私は、折口の業績をどう評価するか、ではなく、あくまで〈藤村操世代〉としての折口の〈表現〉を読み解くことだけに意義を見出してこの論を書いてきた。

 彼の民俗学の成果も、柳田への憧憬も、詩歌も、社会的に評価されるべき「業績」として読み解いたのではその本質がこぼれ落ちてしまうということを、折口の「贖罪」という詩篇に触れて鮮烈に洞察せざるを得なかったからだ。

 その生い立ちに刻まれた〈青あざ〉、戦前・戦後を貫く表現と変容する表現、柳田との、そして民俗の原形質との関係を通して露わになる世界観、短歌という〈型〉にゆだねられて解放される率直なタナトス。

 大衆的な規模で蔓延していた時代の病理を、折口はどのように病み、どのようにそれを表現することで生き延びようとしたのか。時代の病理に通じる普遍性と、折口ならではの超克への模索の質とを、いささかなりとも浮上させられたのではないかとおもう。

 

 彼ら〈藤村操世代〉にとって、「生き延びる」ことの困難さは、筆舌に尽くしがたいものがあったはずである。多くの若者が藤村操というたった一人の少年の投瀑に感応して死を択んでいた時代である。「生き延びる」ことにむしろ壮絶な覚悟や困難がつきまとっていたのだ。「生き延びる」ためにこそ彼らは〈表現〉していたのであり、その命懸けの〈表現〉を読み解くことが、〈現在〉にまで続く〈生き難さ〉の質や原因を明晰にすることになるはずだ。〈藤村操事件〉以来、どれほど表層的に浮かれて見える時代があったとしても、その〈生き難さ〉が時代の深層から消えたことはない。

 

 折口の次のような言葉は、〈表現〉によって生き延びようとする者の胸には、今もよく響く言霊を帯びている。

「かうして不思議な物語りと、多くの人の憧憬とを負うてゐた異郷は、明治大正の科学の光に逢うて、忽ち姿を消してしまうたが、また新なる意味に於ける異郷が、われわれの胸に蘇り更に蘇らねばならぬ。いつまでも」

(「異郷意識の進展」大正5年「アララギ」に初出 『折口信夫全集20』 中央公論社 1996年)

「新なる意味に於ける」と折口も断っている。折口的な「異郷」である必要はない。柳田的「日常」である必要もない。柳田と折口のどちらを評価すべきかと比較吟味するのではなく、両者がめくるめく懸隔を抱えつつ鏡の表裏であったことこそが刺激的であり、「異郷」と「日常」との本質的な蘇りを可能にする世界観を希求せよと、語りかけているのだとおもわれる。(「折口信夫の〈青あざ〉」了)

 

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