東映初期カラーアニメーションのコスモス―『少年猿飛佐助』と『白蛇伝』を中心に―(連載第6回) 川喜田八潮

  • 2018.01.28 Sunday
  • 15:34

 

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 相似た魂をもつ者同士の愛、すなわち、同化=一体化への渇望を秘めた、男女や同性の対(ペア)、さらには、なんらかの観念や教義、信仰、理想などを共有する同志的結合や共同体の絆がはらむ第二の危険は、彼らの閉ざされた、自己完結的な〈愛〉のかたちが、〈孤絶〉と表裏一体となった、エロス的な幻想的システムの表現行為となっているという点である。

 彼らのみの間で幻想的に紡ぎ出され、共有された〈まなざし〉によって負のレッテルを貼られた外界の〈異物〉、すなわち、彼ら以外の周囲の人間・事物・世界のもつ〈他者性〉というものを、あるがままに受け止めることができぬままに、尊大な誇大妄想や権力意志、あるいは迫害妄想などの狂気に、知らず知らずのうちに追い込まれてしまうという危険性である。

 人間一人ひとりは、実は、恐竜とアリの隔たりにもたとえられるほどの、生き物としての異質さ・多様性を秘めているのである。

 極論したたとえ方をするなら、人類という種の中に、ありとあらゆる生物種の多様性がはらまれていると言っても過言ではないほどの、恐るべき無数の多様性、普遍性の組み合わせがありうるのだ。

 それは、人間にとって、偉大な分業を可能ならしめるベースともなりうるが、同時に、孤独と脅威の源ともなりうる。

 われわれは、無限に多様な人という生き物の関係の渦中で生きねばならないのだ。

 己れの〈個〉としてのアイデンティティーとプライドを保ちながらである。

 前近代の共同体社会・伝統社会の中では、人は、血縁・地縁の濃密な関係によって結ばれ、生活様式を共にする共同体民として、ひとつの宗教的で習俗的な生活小宇宙(コスモス)の内に包摂されることによって、己れの役割分担とアイデンティティーを安定的に了解し得ていた。

 そこでは、人間本来の個性の〈差異〉は、均一の共同幻想の下に、いわば覆い隠されていた。

 しかし、そのような共同体社会の伝統的な足枷を壊し、〈個〉としての自我意識を拠り所として生きるほかはない、われわれ現代人にとっては、人間一人ひとりの「生き物としての差異」というものは、もはや、覆い隠すことのできないもの、己れのアイデンティティーを常に脅かすものとして、立ち顕われてこざるをえない。

 貨幣と情報の魔力によって、欲望が無限に多様化し、神経が細分化し、自意識が肥大化してしまった近現代人にとっては、隣人も、世間の他者も、親類・縁者や家族でさえも、大なり小なり、生きる場所を異にする、内面的には互いに触れ合うことのない、恐るべき異類のような存在へと変貌していく。

 互いに、どんなに親愛感情を抱いていても、根底においては、孤独なのである。

 私たちは互いに〈個〉として分断されながらも、身内や他者からさまざまな〈関係〉を強いられ、絶えず油断なく身構えている。

〈個〉は、常に、己れの〈個〉としての固有のあり方・生きざまを否定し、打ち消さんとする負の力の脅威の下に置かれている。仲間との生命的な絆を求めながらも、敵の脅威におびえている。

 人間は、生命と虚無の両義性を備え、生死をつかさどる、大いなる宇宙的なカオスの中を漂流している。人は、そのカオスの中で、己れ自身の「立ち位置」を定め、安心立命を得なければならないのだ。

 個人は、他の誰でもない、固有の生命と輪郭を備えた個人として生き抜き、幸せにならんとするなら、同時に、個人の生死という有限性を超え、〈個〉としての輪郭を超えて、〈類〉的な生命の次元に生きることができねばならない。

 西田幾多郎流に言えば、この「絶対矛盾」を、「自己同一性」として生き抜かねばならないのだ。

 個人は、視えている風景も感覚も全く異なる、己れとは「生き物」として異質なる存在といってもよいほどの〈他者〉の存在・脅威にとり巻かれながら、そのあつれきを超え、絶えず、己れの存在を「卑小」なるものとして意識させ、「相対化」して止まない世界のあり方という「否定的な媒介」を通して、逆説的に、〈個〉と〈類〉の矛盾を「止揚」してみせることで、「生きること」の〈絶対感〉を獲得してみせねばならないという、困難な課題を抱えている。

 魂の相似た者同士、あるいは、共通の不遇感や疎外感を抱く者同士が、感覚やまなざしを共有することで、閉じられた〈愛〉や同志的な絆の世界を紡ぎ出し、幻想的な〈一体化〉の渇望を充たし、己れにとって〈異物〉となる〈他者性〉に対して、一方的・一面的に〈負〉のレッテルを貼り付けて、これを貶め、「排除」せんとすることは、「類と個の止揚」という困難な課題に対して、尊大で不幸な、一人よがりの場所に立つことで、安易な解決を図らんとする、痛ましい錯誤の道でしかない。

 それは、人々を精神病理へと追い込み、恐ろしい抗争・害悪をもたらす陥穽(かんせい)に転落することである。

 対(ペア)においては、それは愛の〈強制〉の病となり、集団においては、共同幻想による閉鎖的なイデオロギーの支配をもたらす。

 その結果、「内側」では、愛や絆を腐らせ、「外部」に対しては、断絶意識と攻撃性によって、妄想や狂気の表現形態をとって溢れ出る。

 周囲の人間たちや世間・社会の生態から浮いた、孤独な存在である〈異形の者〉にとっては、その誘惑への危険性は、とりわけ高いものとなる。

『白蛇伝』の主人公「白娘」と「許仙」は、まさに、その危険性にさらされた異形の者たちであり、宮崎駿にとっての〈子供性〉〈幼児性〉というものも、また、そのような危うさにさらされた異形の魂のかたちにほかならないのである。

 

     11

 

 異形の者たちが駆使しうる「魔法」の霊力とは、実は、精神病理と反社会的な狂気、己れの人生と他の人間たちに対する〈尊大さ〉のもたらす害悪と〈紙一重〉の危うさをはらんだものなのだ。

 宮崎駿が、己れの作品において、「魔法」の力、その存在意義というものに対して過度に警戒的になるのは、おそらくそのためである。

「魔法の力」というものは、異形の能力を備えた者を、「選ばれたる貴種」としての「神の使い」であるという〈使命感〉によって、尊大にしてしまう危険性をもつのだ。

 それは、人を不幸にし、己れ自身の人生をも不幸なものにする。

『白蛇伝』では、許仙と白娘が結ばれて、人間社会に受け容れられ、幸せになるには、白娘が妖精としての霊力と、霊的存在として永遠に生き続けるという不死の魂を失い、ただの三次元的な〈生身〉の女にならねばならない、とされている。

 この結末はそのまま、宮崎アニメのモチーフに通底するものである。

 宮崎駿の表現理念には、異形の人間が社会から受け容れられ、己れの固有の居場所を持ち、幸せになるには、「魔法」を封印しなければならない、という強迫観念が付きまとっているようにおもえる。『崖の上のポニョ』しかり。『千と千尋の神隠し』でも、竜の化身であるハクは、千尋と最終的には一緒になれず、千尋はハクを振り向かずに親元に帰る。『となりのトトロ』でも、サツキとメイの姉妹は、森の妖精トトロと一体となって〈風〉に化身するが、それはあくまでも〈夢〉の中での出来事であって、死の恐怖と不条理に立ち向かうには、ひたすら、トトロへの「神頼み」にすがるしかないのである。

 もっとも、『となりのトトロ』では、サツキとメイの姉妹が〈風景〉と交感する時の身体感覚の丁寧な描写が精緻に積み重ねられ、その延長上に、森の妖精トトロとのファンタジックな交感の物語が紡ぎ出されることで、〈個〉としての三次元的・可視的な存在の〈輪郭〉を超えて森羅万象へと拡がる、四次元的で不可視的な〈類的身体〉のかたちが象徴的に描出されており、その特質は、『少年猿飛佐助』の演出姿勢と世界観にも通ずるものがあるといっていい。

 しかしその類的な身体感覚は、『トトロ』にあっては、あくまでも、「幼児期」と「児童期(少年期)」の子供に特有の〈一過性〉の体験として、〈大人〉の場所からは巧妙に排除されているのである。

 私たちは、映像の中で、サツキとメイが精霊トトロと一体となって〈風〉に化身するさまを見つめることで、すばらしい四次元的な身体的解放感を味わうことができる。

 だが、その四次元的なまなざしは、この作品世界にあっては、あくまでも夢の中の出来事であるか、あるいは、子供時代に限って一瞬味わうことの可能な、神秘な異界体験=異形感覚の象徴として、大人的な現実世界からは疎外され、成長過程の中で「封印」させられた能力として処理されている。

 四次元のパワー、霊力は、人間の〈生身〉の身体感覚の延長上に、微かに〈気配〉のようなものとして感じ取られてはいるが、それは、三次元の散文的な現実世界を生きる大人のまなざしからは、常に〈外部〉にある客体として位置づけられているのである。

 四次元的なまなざし・生存感覚に対する、このような位置づけは、宮崎作品の〈枠組〉を理念的に拘束するものとなっている。

 もっとも、『風の谷のナウシカ』の「原作」のマンガでは、宮崎駿の〈無意識〉は、そのような理念(イデオロギー)の強迫観念にあらがい、主人公ナウシカの〈生身〉の体感の延長上に、有毒な瘴気(しょうき)の充満する死の森である「腐海」と共存しながら、それを超える生命的な四次元的霊力のかたちを幻視してみせている。

 SFという設定の下でではあるが、生命と虚無の両義性を備えた渾沌(カオス)としての〈闇〉のうねりを、自らの身体の深奥より紡ぎ出し、その生存感覚を心棒として「生きる」という、実存的な身構えを、美事に象徴的に演出してみせているのである。(なお、原作『風の谷のナウシカ』における、この〈闇〉への両義的なまなざしをめぐる問題については、雑誌「現代詩手帖」一九九五年十月号に掲載された拙論「〈光〉の源泉としての〈闇〉―――宮崎駿『風の谷のナウシカ』の世界視点」を参照していただければ、ありがたい。)

 そのような例外的な作品もあるけれども、基本的には、宮崎作品の理念的な建て前は、『白蛇伝』と同様、「魔法の封印」という代償による絆の成就(幸せの成就)という強迫観念に拘束されているといっていい。

「魔法」「魔物」といった四次元的な霊性は、常に、三次元的な実生活の〈外部〉に置かれている。

 宮崎アニメ、とりわけ『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』は偉大な作品群であるが、この理念的制約という一点に焦点を合わせる限り、『少年猿飛佐助』が象徴的に表現してみせた、闇と光の交錯する四次元的なカタルシスには、及ぶべくもないのである。

 宮崎アニメにみとめられる、このような理念的拘束には、二つの背景がみてとれるようにおもえる。

 一つには、先にも強調したような、プライドの強い異形の魂の持主が陥りやすい、孤絶感と表裏一体となった、己れの魔性の能力・霊力への尊大な過信がもたらす病理・狂気への危惧(きぐ)の念である。

 しかし、そのような怖れの念にもかかわらず、もちろん宮崎駿には、子供性によって象徴される異形の魂に対する、過剰なまでの思い入れがある。

 異形の魂の持主が、そうではない、普通の俗世間の人々の中に在って、他者や己れを損ねることなく幸せになるには、「魔法」を封印したままで、己れの内なる宝を守り通さねばならないというのが、おそらく、この作家の表現者的な立ち位置である。

 宮崎駿は、倫理的な作家である。

 もし彼が、己れの異形の魂に発するデモーニッシュな非日常的衝迫を、ただ「吐き出す」だけの〈表現〉に甘んずることができたとしたら、彼は、そのような〈闇〉の湧出のかたちを、病理や狂気に追い込まれた人間の破滅的な〈悲劇〉の物語として造型するという、いわゆる「芸術至上主義」の作家への道を歩んだに違いない。

 しかし、彼は、日常や社会を超越して、非日常的な〈闇〉の時空に魂を自在に羽ばたかせたいという渇望と共に、人が日常と実生活に着地して幸せになる道を指し示したいという、倫理的な使命感をあわせ持った表現者であった。

 しかも、少年期・思春期の子供から大人までの巾広い世代を「受け手」とする、アニメーターという職業作家の道を択びとった人である。

 是が非でも、その業界で「成功」し続けなければ「後が無い」という場所に置かれた産業戦士=業界人なのだ。大衆の支持は、彼にとって必須要件だった。

 異形の魂の持主に思う存分に「魔法」の力をふるわせたあげく、物語の終局部で、敢えてその魔法を「封印」させてしまうという宮崎アニメの微温的な理想的拘束が、ここに生まれる。これが、第二の背景である。

 まさに、己れの資質を活かすための、アクロバティックな苦肉の策であるといってもよいだろう。(この稿続く)

 

 

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〈生き難さ〉のアーカイブス〜「詩を描く」若者たち〜(連載第8回) 川喜田晶子

  • 2018.01.27 Saturday
  • 14:28

 

〈更新〉への想い

 

 己れの無意識を浸す不条理感を超えてその〈生〉を更新したいという想い、更新すべきだという想いが、学生たちの作品には〈生き難さ〉の痛みとともに十字架のように貼りついている。

 

   誰かの人形   N・M

 

たくさん辛いことが重なった

僕は必死に生きようとした

たくさんの人を傷つけた

私は自分のために「愉しいこと」だと錯覚した

たくさんの努力が認めてもらえなかった

俺は結局何にもできなかった

 

誰かに愛してもらいたかった

 

私はきっと、人でなし

 

「僕」「私」「俺」「私」と、一人称が転変することで、苦闘の角度が変わる。

「たくさん辛いことが重なった」によって、個人の責任を超えてのしかかる不条理の存在をまず提示する。「僕」は「必死に生きようとした」。かろうじて個人に可能な努力をしてみた「僕」。

「たくさんの人を傷つけた」では、他者との関係の網の目に翻弄され、人が人をいつの間にか傷つけてしまう不毛さ、無力感が指摘される。「私」はそれを「愉しいこと」だと「錯覚」しようとした。

「たくさんの努力が認めてもらえなかった」では、個人の努力が他者には評価の対象とならないことで、〈無意味〉へと放逐される「俺」の姿が浮上する。「俺」は「結局何にもできなかった」。

「僕」「私」「俺」に共通するのは、他者、関係、世界に対して個人の〈意味〉を必死で模索するが、空転してしまう存在の空虚さである。

 本当は「誰かに愛してもら」うことで、その〈意味〉を得たいと望んでいるだけである。そのシンプルな願望をきちんとこの現実に定着できない「私」とは、「人でなし」なのだろう、と総括する。人である以上、本来、誰かに愛されて〈意味〉を得られるように、不条理と闘い、人を損ねず、努力を評価されなければならない。そのような営みをなし得ない自分は、本当の主体性を持ち得ているとはいえないのであり、「誰かの人形」でしかない、と、作品のタイトルが作者の洞察を語っている。

 個人の「主体性」が、ある限定をこうむっており、そのことが、〈意味〉ある人生への己れの存在の更新を阻んでいる。限定の厳しさ、わびしさを明晰に洞察しているのに、その限定を超えられないという絶望感。

 しかし、「私はきっと、人でなし」というフレーズは、卑下には見えない。「人」であるための「主体性」についてこれほど高精度に突き詰めることなく、誰もがほどほどの自己肯定感を維持して生き延びている。精確に「人」であるためのハードルを認識してしまった作者の方が「生まれてすみません」といった気分になってしまうのはなぜか、という問いかけは、太宰治的な、確信犯的な批判精神、とも読める。

 

 

   私   I・T

 

汚れきったキャンバスを

真っ白な絵の具で塗りつぶそう。

何も知らない私、

何色にも染まってない私。

全て最初からやりなおし。

次こそ素敵な作品にするんだ。

また汚くなったら最初から。

 

 絵画作品の創作になぞらえた、人生の「更新」についての想い。

「次こそ素敵な作品にするんだ」には、何度も何度も自身を「汚れきった」キャンバスにしてしまった苦さが滲む。そして、「真っ白な絵の具で塗りつぶ」しても、本当はその下には過去が累積してしまっていることも、よく承知している。それでも、「何も知らない私」「何色にも染まってない私」を再現すること、何度でも「全て最初からやりなおし」ができることにこだわる作者。

 社会や関係の中で染みつけられてしまったもの、観念的な「知」に汚されて「色」のついてしまった自分、への、強い忌避感が発せられている。

 繰り返し「真っ白」に戻そうとするその「忌避感」にはしかし、神経症というよりは、自分のこだわる「白」、守りたい自分、へのあくなき追求の心映えが感じられる。

 

 

   海   M・M

 

つめたい色につめたい水

音は聴こえないし息もできない

私はつめたいものにつつまれる

耳をすますとあたたかいものにつつまれている感じがした

 

「つめたい色につめたい水」「音は聴こえないし息もできない」「私はつめたいものにつつまれる」が、この現実のことであるなら、日常的に作者の生存感覚がどのような場所に追い詰められているのかが、シンプルに伝わる。

 唐突に、「耳をすますとあたたかいものにつつまれている感じがした」と作品が結ばれる。耳をすます必要があるのだが、かすかに聴こえてくるものによって、つめたい現実が塗りかえられた感覚。別のどこか、ここではないどこか、に行かなくても、そのままで、「あたたかいものにつつまれている感じ」は実現するのだ。

 まだ、全身的に解放感をもってその「あたたかいもの」を享受できている文体とは言い難いが、かすかな予感・予兆を捕まえようとしている。バーチャルな幻想への逃避行ではない。そのまま、現実が「更新」され得る予感がする。魂の感じた「海」は、物理的に作者を取り囲む「海」のもう一つの貌なのだ。(この稿続く)

 

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『右大臣実朝』と宿命(連載第5回) 川喜田八潮

  • 2018.01.26 Friday
  • 11:01

 

     6

 

『右大臣実朝』前半における実朝像は、ひと言でいうなら、〈生活者〉として、微塵も曇りやぜい肉というものが無く、まことにみずみずしい、あたたかい生の息吹に満ち溢れている。

 その〈光〉の強さは、次第に拡散し浸透する時代の暗鬱な妖気や滅びの気配によく拮抗し得るものとなっている。

 このような実朝像が、作品後半では劇的に崩壊していく。

 この鮮烈な逆転の構図が、『右大臣実朝』の哀しい美しさをひときわ際立たせている。

 実朝の生活意識を曇らせ、徐々に蝕み、崩壊に導いたものは何か。

 結局、じわじわと目に見えぬ形で無数に繁殖していく「北条的なるもの」の、真綿で首を絞めつけるような隠微な重圧に、実朝もまた抗し得なかったことによる。

「北条的なるもの」は、心ある御家人たちの間に、次第に息苦しさと強烈な憎悪を醸成していく。そのストレスは、やがて、泉小次郎親平の反乱とそれに加担した和田義盛一族のメンバーやその他の御家人たちの罪科に発展する。

 実朝は、反徒たちに対しても一向に怒らず、むしろ寛大な処置をもって臨むが、首謀者の一人である義盛の甥「胤長(たねなが)」に対する、北条義時の、挑発的ともいえる無神経な処罰のやり口に逆心を抱いた和田一族の乱が勃発してしまう。そこには、義時や大江広元に対する御家人たちの積年の怨恨が横たわっていた。

 実朝は、すでにはるか以前から、その趨勢を、漠とした妖気のようなものとして鋭く感受しており、あたかもその妖気を象徴するかのように、この時期には、年々、天変地異が相次いでいる。そのためか和田の乱の一年前頃から、義盛への愛顧も一段と深まり、また、寺社への尊崇のふるまいも強まっていく。

 しかし、それにもかかわらず、その妖気を押しとどめることが結局は不可能であること、北条への反発はやがて内乱につながり、自分もまた、その歯車の内に〈体制〉の象徴として巻き込まれざるをえないこと、政治的な責任者としての自分には、結局、何ひとつ良き解決は計り得ぬ事を知っていた。内乱時の「大義名分」は、結局、幕府方(御所方)勝利の暁には、北条氏の手に帰することになるからである。

 和田一族への手厚い鎮魂と、彼らの酸鼻な滅亡の修羅の形相(ぎょうそう)やそれによって受けた傷心のおもいを精一杯うたうことしか、実朝にできることはなかった。

 

「五月二日、酉剋(とりのこく)に至って和田四郎左衛門尉義直さまが討死をなされ、日頃この御四男の義直さまを何ものにも代えがたくお可愛がりになっていた老父義盛さまは、その悲報をお聞きになって、落馬せんばかりに驚き、人まえもはばからず身を震わせて号泣し、あれが死んだのでは、もう、なんにもならぬ、合戦もいやになった、と嬰児のむつかる如く泣きに泣いて戦場をさまよい歩き、ついに江戸左衛門尉能範の所従に討たれ、つづいて御一族も或いは討死、或いは逐電、ここに鎌倉の天地震怒の和田合戦も、ようやくおさまり、その夜は由比浦の汀(みぎわ)に仮屋を設け、波の音を聞きつつ、数百の松明(たいまつ)の光のもとで左衛門尉義盛さま以下の御首を実検せられたとか、将軍家は首実検をおいといなされ、私たち近習の者と共に御堂に籠っておいでなさいまして、少しくお酒などおあがりになって、けれども流石(さすが)にその夜はお気軽の御冗談もおっしゃらず、うつむいて何やら御思案の御様子でございました。

 焔(ほのほ)ノミ虚空ニミテル阿鼻地獄ユクヘモナシトイフモハカナシ

 カクテノミ有リテハカナキ世ノ中ヲウシトヤイハン哀(あはれ)トヤ云ハン

 神トイヒ仏トイフモヨノナカノ人ノ心ノホカノモノカハ

 などという和歌のお出来になったのもその夜の事でございまして、五月雨(さみだれ)がやまず降り続き、どこからともなく屍臭がその御堂の奥にまで忍び込んでまいりまして、それから二十数年経った今でも私はその夜の淋しい御堂の有様をまざまざと夢に見るほどでございます。」

 

 小説では、ここに引用された歌を和田合戦終結直後の作品として位置づけているのだが、説得力のある解釈だとおもう。

「神といひ仏といふも世の中の人の心のほかのものかは」の歌は、近代主義的に解すべきではあるまい。時代の〈妖気〉も人の心がつくり出すものならば、それに抗し、不可視の浄化力の〈光〉を放つのも、また、「人の心」なのだ。それを「神」といい、「仏」というならば、時代の巨大な〈悪〉のオーラに抗し得なかった人々の、また己れ自身の、〈気〉の衰弱をうたうものだともいいうる。

 ある意味では、源家嫡流の呪われた〈血〉の衰弱ぶりに、また、政治家としての最高の象徴にあずかる自身の〈矜持(きょうじ)〉の重さのしからしめる制約に、どうしようもなく圧しつぶされたのだといえないこともない。

 現世の政治世界、権力意志の関係の場というものは、そもそも、北条のような手合いがのさばらずにはおかない、どうしようもない汚濁の巷(ちまた)なのであり、頼朝死後の幕府のような〈秩序〉の冷酷な形成期には、ことのほかそうなのだ、という開き直りと断念の場所に徹することもできなかった。その分だけ、個人としての実朝の魂は、本来の強靭な〈光〉を保ち続けることができなかったのだともいいうる。

 和田の乱の直前頃から、颯爽とした「政治家」実朝の姿は急速に影をひそめ、何かががくりと崩れ去るように、「それまで固く握りしめ」ていた何物かを「その時からりと投げ出して」しまったようになる。

 和田合戦終結以後の実朝は、朝廷と神仏への帰依を除いては、すっかり政治への関心もなくし、投げやりになる。和歌への情熱も、乱の起こった建暦三年(建保元年)を境にほとんど消えうせ、酒宴に興じる日々だけが際立つようになり、幕府おもいの武骨の御家人の心も、次第に実朝から離れていく。*

 執権義時のみは、そういう将軍のありさまも見て見ぬふりをしつつ、実務に忙殺される日々を送っている。

 そして、宋人陳和卿との出会いと将軍の前身が宋朝医王山の長老であったという夢告を口実に、「渡宋」計画を立て、唐船の建造を企図するなど、厭世のおもいのみがつのってゆくようにみえる。

 生活者としての実朝の〈光〉は急速に衰弱してゆく。鎌倉を中心とする不吉の妖気は、年ごとに色濃くなり、天変地異が相次ぎ、人々の不安をつのらせてゆく。

 和田合戦の二年後の建保三年の十一月末には、義盛以下の将卒の亡霊が、将軍の夢枕に群参したという記事が『吾妻鏡』に見え、翌朝、にわかに鎮魂の仏事がとり行われたという。

 和田一族の滅亡は、実朝にとって、おそらく、世界風景の癒しがたい裂傷の象徴だった。だからこそ、それは、生存の本源的な寂寥感に根をもつ強靭で純潔な生活思想の持ち主としての実朝にとって、致命傷となるものであった。そして、実朝特有の理想化された政治=国家イメージにとってもまた、修復不能な汚点を刻みつけるものとなった。

 政治力学上のあり方からいえば、畠山や和田のような誠忠廉潔の士が滅び、北条のような秩序意識とリアリズムが勝利を得ることは、いわば必然の成り行きである。

 政治とは、その時代に支配的な〈倫理〉や〈理念〉を口実として利用しつつ、ひとつの統一的な〈法〉秩序を編み出すことで、諸々の集団ないし個人の利害を調整しつつ、社会全体の粗大な合意の下で、富の分配と階級支配を貫徹しようとする〈技術〉のことにすぎぬからである。

 だからこそ、本質的な意味で最も〈生身〉の倫理に鈍感で、易々とそれを踏みにじれる者の中から、しばしば有能な「政治家」「権力のプランナー」が出現しうるのだ。

 ひとつの強大で安定した〈秩序〉が精緻に構築され、社会の深部に「根をおろす」時期には、ことのほかそうである。

 義時のような、生身の人情や倫理に対して何らのデリカシーも痛覚も持たぬ、本質的に鈍感な実務官僚型の「能吏」が幅をきかすのである。

 巨大化した政治や経済のメカニズムというものは、そういう、私情を殺して何ら苦しむことがなく、また何ら良心に恥じることもなく、社会的な〈理念〉やら組織的な〈要請〉のために、黙々と歯車のようにコンスタントに働けるような無数のリアリストたちによって支えられているのだ。

 実朝のような、真に孤独で気高い魂の持ち主が、大江広元や北条義時に象徴される、こういう種族の人間たちのボスに祀(まつ)り上げられるなどということは、およそ、これ以上滑稽で悲惨なことはない。

 実朝が、ひとりの〈生活人〉として、純粋な力強い〈光〉を放ち続けるには、断じてこのような境遇に身を置くべきではなかった。

 しかし、もちろん、源家嫡流の唯一の正統的継承者である彼には、そこから真に逃れる術(すべ)はあり得ようはずもなかった。仮に、彼の「渡宋計画」が本気であったとしても、真剣に、衷心より己れの境遇を打破せんとする意志は、内的な何ものかによって封じられてしまったであろう。

 源家の〈血筋〉の矜持か、その血のもたらす業の深さか、あるいは、「美しきもの」を滅ぼしてゆく、時代の不吉な〈妖気〉の有無をいわさぬ予兆か。

 ともかく、作品「後半」の実朝の道程には、決してそこから逸脱することを許容しないかのような、奈落に向かってひたすら吸い込まれてゆく、ギリシア悲劇の如き〈滅び〉への不可避の直線が、太く、たしかに刻みつけられているのだ。

 この実朝の〈滅び〉の道程は、奇妙なことに、終戦直後から自死に至るまでの「後期」太宰治の歩みと、見事に軌を一にしている。あたかも、実朝の道を、忠実に、より大きな振幅をもってひたすら真っ直に歩み通し、自らを〈自死〉に追い込んでみせたかのようですらある。

 事実はどうあれ、少くとも次の点において、この作品における実朝の〈滅び〉への道程は、後期太宰、より正確に言うなら、既に大戦期の中期「後半」の太宰作品の担っていた本質的な悲劇性=ジレンマを鮮やかに象徴しえているし、その意味において、後期太宰の運命を「予兆」するものでありえた。

 すなわち、「中期」太宰のすこやかな〈生活人〉としての持ちこたえ方、〈存在の痛覚〉に根ざした〈生身〉の接触・ぬくもりと、〈自然〉のはからいのうちにすべてを純化しつつ受け流してゆく、独特の透明な生存感覚に支えられた日常のくぐり抜け方というものが、鈍感な小人(しょうじん)どもの冷酷なリアリズムと規範性によってじわじわと囲繞され、押しつぶされていく、というイメージである。

 このイメージは、胎乳児期以来の成長過程に根をもつ太宰特有の生き難さの感覚(関係の障害感の深さ)と、中期における、家族を抱える職業作家としての苛烈なたたかいの実感を通して、繰り返し凝視されてきたものだ。

 このイメージは、太宰にとって、自然な倫理性を支える血の通ったあたたかさと神聖さの感覚を踏みにじる、なんともいえぬ野卑な暗く濁った〈空気〉が人々の魂を覆い、容赦なく蝕んでゆくという閉塞感につながっていた。

 おそらく大戦期の〈滅び〉の予兆はここから醸成し、次第に太宰の生の風景全体に拡散・浸透していったに違いない。

 実朝が、〈国家〉や〈政治〉という磁場・位相から真の内的離脱をとげることができなかったように、ひとりの生身の〈生活人〉として、この卑俗さの泥沼、小人どもの充満する倫理の荒廃と血の衰弱に覆われた腐食土を脱却し、飛翔するには、太宰はあまりにも、〈国家〉や〈社会〉という化け物が発散する〈献身〉という理念に魂を食われすぎていた。天皇制ナショナリズムと同調(シンクロナイズ)したキリスト的理念への純粋な忠誠が、肌身を押しつけてくる生き難さの痛覚と拮抗しうるために太宰がどうしようもなく必要とした〈支柱〉のひとつなのであった。

 実朝が、現実の幕府体制の内実を、北条氏に象徴される冷酷な法治主義的リアリズムの具現にすぎぬことを冷静に見きわめていたにもかかわらず、敢えて、朝廷への〈赤心〉を貫き、〈神聖なるもの〉への自然な尊崇に根をもつ道義的国家の夢想を抱き続けたように、太宰治もまた、戦中の天皇制国家の見せかけの美しさや敗戦後のアメリカ流民主主義の〈自由〉の建て前の背後によどむ、卑俗なエゴイズムの修羅の実相を冷徹に洞察しつつ、その〈不能〉を百も承知で、あるべき幻の倫理共同体(コミューン)の夢に殉じようとしたのだった。

 この逆説的な〈袋小路〉が、後期太宰治の悲劇性の核心にあるものだ。

 この袋小路の包摂する問題の巨大さを実感するには、後期太宰が異様なまでの執念をもってこだわり、掘り下げ、恐ろしいふくらみを付与して肉体化してみせた〈悪〉の病像の本質と、その悪に拮抗すべく肥大化させられたキリスト的〈観念〉の、生身の実生活への軋轢(あつれき)のもつ意味についてのトータルな考察が必要となる。(了)

 

 *現存する『金槐和歌集』のテキストの中で原本の姿を忠実に伝えていると考えられる「藤原定家所伝本」(後鳥羽院に献呈された原本を藤原定家が転写したものと思われる)には「建暦三年十二月十八日」の奥書があり、『金槐和歌集』の成立が「和田義盛の乱」(建暦三年五月)の直後に当たることがわかる。定家本には六六三首が収められているが、それ以外に知られる実朝の歌は現在まで九五首にすぎず、彼の和歌の大半は『金槐和歌集』にある。当時実朝は若冠二十二歳であり、彼の作歌歴と作品の出来ばえを考慮に入れれば、この歌集の歌は少なくともそのほとんどが過去数か年以内に作られたものであることは明らかだ。それに比して『金槐和歌集』以後、死までの六年足らずの間の作歌量は見る影もない。「建暦三年」は、実朝の歌人としての生命がその最後の燃焼を果たし終えた運命の年であったといってよい。その背景には、和田の乱によって受けた傷心の深さが透けて見えるのである。(ちなみに『吾妻鏡』によれば、建暦三年十二月三日に、実朝自ら寿福寺におもむき、和田義盛とその一族郎党の冥福を祈るために仏事を修している。)

 

 

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〈生き難さ〉のアーカイブス〜「詩を描く」若者たち〜(連載第7回) 川喜田晶子

  • 2017.12.27 Wednesday
  • 12:10

 

〈自分〉が痛むとき

 

 学生たちの作品における〈自分〉の痛みは、「なぜ自分だけがこんなおもいを抱えているのか」といった問いというよりは、誰だって痛みは抱えているだろうけれども、決して共有などできないのだ、伝わることはないのだ、といった関係全般の不毛性の喩のように感じられる。関係とは不毛なものだ、世界は自分と他者とを繋いではいない、という風景を生きている。そこで発せられる個人の〈痛み〉は、掘り下げても掘り下げても類的な貌にはならない、という意味でのみ、〈現在〉という時代の普遍性に通じてしまっている。

 近現代の詩人たちの作品には、もう少し、言わば剛胆な異形意識のようなものが滲む。時代から非常に突出したかたちで異形性を担わねばならなかった表現者とその作品、という存在感を主張しているのだ。大衆から浮き上がった異形の魂を表現することが、ネガのように、当時の大衆の病理や不条理感を浮かび上がらせるのである。

 異形性や個人史の井戸を掘れば、大海にも通じていたと言えばよいだろうか。

 

足たたば不尽(ふじ)の高嶺(たかね)のいただきをいかづちなして踏み鳴らさましを   正岡子規

 

菫(すみれ)ほどな小さき人に生れたし   夏目漱石

 

しろがねの笛の細きも燃ゆる火の焔(ほのお)の端も嘗(な)むるくちびる   与謝野晶子

 

晝(ひる)の海にうかべる月をかきくだき真(ま)青(さお)き鰭(ひれ)となりて沈まむ   若山牧水

 

鳳仙花(ほうせんか)うまれて啼(な)ける犬ころの薄き皮膚より秋立ちにけり   北原白秋

 

指さきのあるかなきかの青き傷それにも夏は染(し)みて光りぬ   北原白秋

 

うすみどり/飲めば身体(からだ)が水のごと透(す)きとほるてふ/薬はなきか   石川啄木

 

怒る時/かならずひとつ鉢(はち)を割り/九百九十九割りて死なまし   石川啄木

 

床(とこ)の間に祭られてあるわが首をうつつならねば泣いて見ていし   前川佐美雄

 

 

   居直りりんご   石原吉郎

 

ひとつだけあとへ

とりのこされ

りんごは ちいさく

居直ってみた

りんごが一個で

居直っても

どうなるものかと

かんがえたが

それほどりんごは

気がよわくて

それほどこころ細かったから

やっぱり居直ることにして

あたりをぐるっと

見まわしてから

たたみのへりまで

ころげて行って

これでもかとちいさく

居直ってやった

 

磔(はりつけ)の釘打つ如く咳きはじむ   野見山朱鳥

 

螢来てともす手相の迷路かな   寺山修司

 

 正岡子規や与謝野晶子の剛胆な歌いっぷりには脱帽せざるを得ない。

「足たたば」どれほどこの世界を己れの生命で自在に活かしめることだろう、といった連作を、子規は病床にあって激烈に歌った。世界に己れが生かされていることで、世界を生かすのは自分だ、といった近代的自我を謳歌し得る魂があった。

 晶子もまた、繊細な情趣の極みも情熱的な恋慕の業火も怖れぬ身体で、この世界を押し拡げながら生きて歌うことができた歌人だ。

 

「菫ほどな小さき人」に生れたいという漱石が可愛く見える。初発の近代のエネルギーが充満する社会の、そのエネルギーに疲れていただろうか。近代的自我というしろものが、それほど結構なものではないことに、表現者は早々に気づいてゆく。

 

 牧水・白秋・啄木の異質さと同世代性についてはすでに触れてきた。彼ら〈藤村操世代〉以降、表現者の異形意識は、大衆の中に潜む異形意識に少しずつ近づいてゆく。

 真っ青な「鰭」や、犬ころの「薄き皮膚」や、指先のかすかな「青き傷」や、飲めば身体が透きとおる薬への渇望や、九百九十九の怒りのたびに鉢を割って死にたいおもい。それらは、華厳の滝に投身自殺した藤村操や、その後追いに走った青少年たちの無意識の深層にも潜んでいた、この世界への鋭い異和の念であり、明晰にはとらえ難い不条理感に身体の根を蝕まれつつあった大衆の、不穏な魂のきしみをシンボリックに掬い上げた表現であった。

 

 前川佐美雄の表現は、さらに〈現在〉に近づく。エキセントリックな表現に見えるが、昭和初期の大衆の無意識には、床の間に己れの首が祭られているのを泣きながら凝視するような、自分自身への極北の異和感が蔓延していたのだ。誰が何のために祭ったのかが、作品には歌い込まれていない。その不気味さこそが、世界によって生かされるどころか、世界によって不断に殺されているような生存感覚の不毛を強いられ、ほんのひと押しでウルトラナショナリズムへとなだれ込む、時代の空気だったのだろう。

 

 石原吉郎(大正4年生まれ)の作品は、「りんごがちいさく居直る」情景だけを想像すれば微笑ましい詩篇と見えるが、作者にシベリア抑留体験があったことを知ると、「りんご」の「居直り」にはらまれた苦しげな息づかいがしのばれる。そしてそのことで逆に、この「居直り」によって、時代が抱えていた不条理感の質を、個人的な文脈を超えて普遍的なものとして把握できるようにもおもうのだ。作者もまた、そのように読まれることを望んだのではなかったか。

「個人」というものの心細さをとことんまで推し進めたのが実は「近代」ではなかったのか。「近代的自我」の確立、というのは一度も実現されたことなどなくて、「個人」というしろものがいかに心細いものであるかを知らしめただけではなかったのか。

 この問いは、今も消えてはいない。

 

 野見山朱鳥(大正6年生まれ)の「磔(はりつけ)の釘打つ如く咳きはじむ」には、キリストと、キリストを十字架にかける大衆の心理との対比を喩として、「聖なるもの」のゆくえが歌い込まれていて面白い。どこかで自分の中のキリストを殺して生き延びながら、そのことへのうしろめたさを感じるときの異和感が「咳」となって表現されている、と読める。

 作者は生涯の長きにわたって肺を病んでいたようだが、「咳」の苦しみが聖性抹殺の苦しみに喩えられているところに、句に内包された批判精神を感じることができる。戦後、美しいもの、聖なるものの居場所に困窮する魂の表現として秀逸だ。

 石原の表現についても言えることだが、個人的な感慨や苦悩が普遍性を獲得してゆく臨場感が凛としている。

 

「螢来てともす手相の迷路かな」も、寺山らしい戦後的表現だ。前近代的な「螢」なら、個人の手相を、その個人の人生を包み込む自然・コスモスへと押しひろげてみせるのだが、寺山の「螢」は、狭窄された意味しか持たぬ個人の「手相」の貧しい迷走ぶりを侮辱し、「手相」は、場違いな「螢」の灯りによって曝される己れの迷走に赤面するかのようだ。

 

 近代的に〈自分〉を解放する歓びはつかの間、表現者のゆくてを照らしたが、解放はやがて、不毛な〈痛み〉だけが連鎖する断絶の叫びへと遷移して、〈現在〉の個人の足もとを小さく照らしている。

 嘘っぱちの太陽を掲げるよりも、ごまかしの無い小さな灯りを掘り下げてゆく、現在の若者たちの〈表現〉は、近現代の詩人たち以上に厳しい十字架を背負っているのだとおもう。(この稿続く)

 

 

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『右大臣実朝』と宿命(連載第4回) 川喜田八潮

  • 2017.12.26 Tuesday
  • 15:40

 

     4

 

 実朝の敬神崇仏の念の厚さや朝廷への赤心の根底には、魂の穏やかさと静謐(せいひつ)さをなによりも重んずる、融和的な世界視線が息づいていたようにおもえる。

 それは、彼の和歌をよく味わってみればわかることだが、太宰治の描く実朝像では、詩歌・管弦や宴を楽しみ、〈軽さ〉や〈笑い〉を好む日常の暮らしぶりに表われている。

『右大臣実朝』には、琵琶法師の『平家物語』の語りに好んで耳を傾ける将軍の姿が活写されている。ここでの実朝は、太宰治自身とそのまま重ね合わせられるかのように、〈滅亡〉に向かってひた走る平家一門の中に、最後まで〈死〉と背中合わせのある種の「アカルサ」が絶えなかったさまに、心ひかれている。

「那須与一」の段で、「扇の要」を鮮やかに射抜いた与一の離れ業に感興をおぼえ、思わず「舞」を披露した粋な平家の兵士の一人を、残忍にも与一に命じて射殺させて喝采する九郎判官義経や源氏一党の姿に、不快の念を隠さず席を立つ実朝の像には、「戦争」という不条理な地上的現実の渦中に平然と身を置き、酷薄なリアリズム的視線によって物事を果断に処理し、勝ったの負けたのと血ぬられた雄叫びをあげている人間どもへの強烈な〈嫌悪〉のおもいが、さりげなく込められている。

 太宰は、生きる切なさへの共感というものを毛ほども持ち合わせていない、こういう、ずさんな神経をもつ残忍なリアリスト・現世主義者の手合いを、心底嫌悪していた。

「平家ハ、アカルイ」「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」という実朝のことばには、幼児退行的な正義への〈憧憬〉と〈希望〉によって、かろうじて、地上的な酷薄さをもちこたえている戦時下の日本大衆への憐れみ・共感の念と共に、大戦末期という時代の暗鬱さ、〈滅び〉の気配に、日常風景の〈変容〉というたたかい方を通して精一杯あらがおうとする、当時の太宰治の苦しみがにじみ出ているようにおもう。

 太宰の希求する「アカルサ」には、単なる幼児退行的な逃避やデカダン的ニヒリズムには解消されないような、生きる哀しみの本体を真にわきまえた者のみが持ちうる、ある強固な実質が含まれていた。その志向が、実朝の生きざまの深部に息づいている純潔な魂の主調音と鋭く共振しうるのだ。

 実朝の「アカルサ」には、モーツァルトの調べのような、不思議な透明感を帯びた非日常的なアカルサが宿っており、いささかも感傷に毒されない、存在の原初的なかなしみの上に軽やかに花ひらいた、みずみずしい赤児のような自然で繊細ないのちの旋律が流れている。

 こういう姿は、とりわけ、歌人としての実朝のあり方に鮮やかににじみ出ている。

 実朝の和歌は、もちろん、生活意識の〈空洞〉を逃避的に代償しようとする趣味・道楽の〈技巧(レトリック)〉の産物でもなければ、現世的な自信に満ちた生活者のエネルギーの〈余剰〉としての芸術でもなく、また、現世・世俗への〈憎悪〉の裏返しとしての〈幻想の砦〉でもない。

 彼の歌は、あくまで、〈生活人〉としての己れをすこやかに全うするための、ぎりぎりの必需品として生み出されたものというべきだ。

 和歌という形式を通じて、己れの苦しみや渇きや祈りの感触を率直にあるがままに吐き出し、そうすることで、おそらくは、己れをとり囲む漠とした陰鬱な妖気に抗い、生死の危うい均衡をかろうじて保とうとするような、痛切な営みであったようにおもえる。

 実朝の和歌は、その意味で、彼の生活人としての身丈にぴたっと過不足なく収まる、生理的に自然体の歌であった。

 小説には、己れの身体的な感興のおもむくままに、さらさらと凝滞することなく作歌する将軍の姿が描かれている。

 今ここで、『金槐和歌集』の諸歌を論ずる気は毛頭ないが、折角のことだから、『右大臣実朝』に引用されている作品の中から一首だけをとり上げておこう。

 

 はるさめの露のやどりを吹く風にこぼれて匂(にほ)ふやまぶきの花

 

「私」は、この歌について、「天真爛漫とでも申しましょうか。心に少しでも屈託があったなら、こんな和歌などはとても作れるものではございませぬ」と語っている。

 世界が「春雨の露」の一瞬の動きの内に完璧に封じ込められ、鮮やかに修復されている。

 この「露」は、未知の領域からやって来て未知のかなたに吹き過ぎてゆく一塵の〈風〉のまっただ中に翻弄されながら、この上もなく安らかに身を横たえている。

 一瞬にして移ろい、消え去るようなはかなさにもかかわらず、それをはかないと感じさせるような「もののあはれ」の美学を微塵も感じさせない、あるたしかな〈いのち〉の転生の揺るぎないかたちが、静けさとなって微(かす)かに息づいている。

 この〈いのち〉の柔らかなぬくもりを沁み込むように伝えてくれるのが「やまぶきの花」の立ち姿だ。「露」のつかの間の宿りと移ろいの内に、〈縁(えにし)〉をとり結んだ「やまぶきの花」の麗しいひっそりとしたたたずまいが、優しく寄り添っている。

 この歌は、私(たち)の痛めつけられた神経と身体に驚くほど素直に沁み込み、自意識の険しさを溶解させ、外界との裂け目を瞬時に修復させてくれる。

 実朝の幼児性が最もみずみずしい形で凝縮された名品であり、『金槐和歌集』には、他に、無常感や悲愁の色彩の濃い重厚な和歌や現世の不条理な険しさを凝視した、ドスのきいた傑作もあるけれども、この作品は、それらとは対照的な極にある、数少ない、優しい秀歌のひとつであるといえよう。

 しかしどのような傾向の歌であれ、実朝の秀歌の多くには、人間存在の本源的な〈孤独〉を基底に据え、その存在の痛覚を、万物の自然なありさまとしてどこまでも静かに受容し、涼やかに微風のように受け流してゆこうとする、限りなく透明なかなしさともいうべき資質が息づいている。

 有限な存在としての人間どもの、ありとあらゆる悪あがきを的確に凝視しつつも、それを〈存在の痛覚〉という一点に凝縮・純化し、透明な〈自然〉のとどこおりの無い流れのうちに浄化してゆく、無類の匂いやかな〈抽象度〉の高さが、実朝の秀歌に固有の〈方法〉だとおもえる。

 こういう実朝の資質と鮮やかなコントラストをなすのが、鴨長明の、世俗的な悪臭の濃厚な、脂ぎった生活者の苦しみである。

 長明と実朝という、生きざまにおいても芸術の質においても、水と油のように相容れようのない両者の出会いと対決は、『右大臣実朝』のひとつの白熱したヤマ場を構成しているといっていい。

 

     5

 

 源平内乱の渦中に相次いだ飢饉・疫病・大地震によって、腐臭に満ちた死者累々の酸鼻な地獄図と化した「末法」の京の都に生きた、長明ら平安貴族層の実存は、どす黒い虚無と不条理の感触によってただれきっていた。彼らは、死の不安に日夜おびえつつ、迫り来る〈終末〉の意識から逃れようとするかのように、富や権力をめぐる欲望のゲームに狂奔し、己れの血族やライバルたちとの抗争に明け暮れていた。

 しかし、仏教や漢学の博識に裏うちされ、当時の突出した近代知識人であった、長明や藤原定家らのようなインテリ貴族層は、繊細で過敏な神経によって肥大化した〈自意識〉を持て余していた。彼らは、こういう世俗的な抗争によって己れの空虚感を埋めることができるほどに、単純で粗雑な神経の持ち主ではなかった。

 知的な意識を細分化し、高度化すればするほど、また、富や権力や名声を求めて欲望のゲームに精を出せば出すほど、彼らは、ますます、他者との対立・疎隔の自覚を深め、神経症的な対人意識にさいなまれ、癒しがたい〈個我〉の孤独地獄の内にのたうち回るほかはない。それは、己れの無力感と虚無感を一層深めるものでしかなかった。

 長明の出家・隠遁・センチメンタルな無常感の表出もまた、自らの我執の強さが生み出す関係の地獄から観念的に逃避したいという、裏返された悲鳴にほかならない。

 彼らインテリ貴族層にとって、和歌の表現世界は、そういう己れの近代知識人的な苦しみを、象徴的な手法を使ってさりげなく吐き出すと同時に、それを逆立ちした新古今風の言葉遣いによる人工的な幻想美の創出によって癒そうとする、ささやかな試みの場であった。「幽玄」だの「有心」だのといった概念で説明される、独特の仏教的な悲哀感のこもった、陰翳に富んだ繊細な美意識も、そういうダンディズム的な虚構による〈つっぱり〉の一形式であった。

 

 春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空(藤原定家)

 見わたせば花も紅葉(もみぢ)もなかりけり浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮(藤原定家)

 白妙(しろたへ)の袖(そで)の別れに露落ちて身にしむ色の秋風ぞ吹く(藤原定家)

 かきやりしその黒髪の筋(すぢ)ごとにうち伏すほどは面影ぞ立つ(藤原定家)

 ながむれば千々(ちぢ)にものおもふ月にまたわが身ひとつの峰の松風(鴨長明)

 枕とていづれの草に契(ちぎ)るらんゆくを限りの野べの夕暮(鴨長明)

 夜もすがらひとりみ山の槙(まき)の葉に曇るも澄める有明の月(鴨長明)

 

 定家と長明では、表現者としての格が違うという気がするが、一見、余裕のある優雅な遊び心で作られたかのように見えるこのような『新古今集』の秀歌も、実は、生身の身体をぎりぎりと締めつけてくる現世的地上的な地獄に、あくまでも、言葉のモザイクがかもし出すヴァーチャルな心象風景の鮮やかな喚起力によって対峙せんとした、凄まじい観念的な膂力(りょりょく)の産物にほかならなかった。

 定家の秀歌には、一貫して、現世的な肉体を完全に突っぱね、言葉の共同的無意識的な伝統美がおのずから喚起する非日常的な身体感覚の精緻な組み合わせによって構築された〈幻想の砦〉に、生きることのぎりぎりの根拠を託そうとするような、傲岸で強靭な芸術至上主義的プライドが脈うっているが、長明のほうは、晩年の『方丈記』に見られるような、この世の不条理と人間の肉体的煩悩の浅ましさを粘っこく凝視する、散文的地上的なリアリストの視線を、中途半端に芸術の中に引きずっており、それを、センチメンタルな無常感の表出によって甘く流そうとする通俗性がつきまとっている。その分だけ、長明の歌は、非日常的天上的な跳躍力が乏しく、散文的な平板さを免れ得ない。

 両者の表現者としての力量の差は歴然としているが、それでも、作歌の新古今的な根本姿勢は共通するものがあるといってよい。

 しかし、容赦の無い地上的な酷薄さによって染め上げられた、彼らのどす黒いひび割れた世界風景と神経症的な孤独地獄の苦しみは、諸々の欲望ゲームによって、また、芸術や隠遁生活によって修復しうるような、生やさしいものではなかった。

〈虚無〉の渦中に幻影の美を打ち樹てることで世俗に「拮抗」しようとする、近代主義的・芸術至上主義的(ダンディズム的)な美意識では到底処理し切れない、絶えず内部発酵してやまぬヘドロのような〈毒念〉から逃れる術(すべ)は皆無であった。

 そういう長明や定家のような近代インテリにとって、実朝の、とらわれのない直截な、透明感のある歌は、ひとつの衝撃として受けとられたに違いない。

 新鮮な驚きをおぼえ、〈不安〉をかき立てられると共に、新たな芸術的境地を求めて、長明は敢えて六十に近い老齢にムチ打って東下する。

 この鎌倉行きは、定家ほどに己れの芸術至上主義に徹することができず、人間らしい生臭い肉体を持てあましていた長明ならではの、それなりに悲壮な決死行だったようにおもえる。

 ほんとは〈自意識〉が強く、ピリピリと身構えているくせに、将軍の問いかけにわざと鷹揚(おうよう)にとぼけてみせる、ひねこびた長明入道と、涼やかでとらわれのない貴公子実朝の、好対照の出会いには、中期太宰治の芸術観の真髄が、隠し味のように、慎重にさりげなく散りばめられている。

「チト、都ノ話デモ」と老師に話しかけるように遠慮がちに語りかける将軍に対して、長明入道は、「は?」と聞き耳を立て、「いや、この頃は、さっぱり何事も存じませぬ」と空とぼけてみせる。

「けれども将軍家は、例のあの、何もかも御洞察なさって居られるような、また、なんにもご存じなさらぬような、ゆったりした御態度で」少し笑いながら「世ヲ捨テタ人ノオ気持ハ」とさらに尋ねる。

 長明は、またも「は?」と聞き耳を立て、それから、うつ向いて「何か口の中で烈しくぶつぶつ」言ったあと、意を決したように顔を挙げ「おそれながら申し上げまする。魚の心は、水の底に住んでみなければわかりませぬ。鳥の心も樹上の巣に生涯を託してみなければ、わかりませぬ。閑居の気持も全く同様、一切を放下(ほうげ)し、方丈の庵にあけくれ起居してみなければ、わかるものではござりませぬ。そこの妙諦(みょうてい)を、私が口で何と申し上げても、おそらく御理解は、難かろうかと存じまする」と、もったいぶった態度で、己れの心境を流暢に申し述べる。

 けれども、将軍家は一向に平気で、「一切ノ放下」とほほ笑んでうなずき、「デキマシタカ」と問いかける。

 今度は入道も、言下に迷いなく、「惣慾を去る事は、むしろ容易に出来もしまするが、名誉を求むる心を棄て去る事は、なかなかの難事でござりました。瑜伽論(ゆがろん)にも『出世ノ名声ハ譬(たと)ヘバ血ヲ以テ血ヲ洗フガ如シ』とございまするように、この名誉心というものは、金を欲しがる心よりも、さらに醜く奇怪にして、まことにやり切れぬものでござりました」と語り、さらに、自分は、世捨人とは言っても、姿は聖人に似ていながら、心は不平に濁って騒ぎ、「すみかを山中に営むといえども人を恋わざる一夜も無く、これ貧賤の報のみずから悩ますところか、はたまた妄心のいたりて狂せるかと、われとわが心に問いかけてみましても更に答えはござりませぬ。御念仏ばかりが救いでござりまする」と正直に胸中を澱みなく吐露してみせる。それでいながら、いささかも悪びれるふうはない。

 この世の人間とは、しょせん、その程度の、煩悩多き浅ましい生き物であり、そういう人間どもの織りなすはかない悪あがき、脂ぎった狂態こそが、この現世のありのままの哀しい地上的実相であって、オレは、そういう現実の痴態をしっかりと踏まえた上で、はじめて、芸術という〈虚構〉の楼閣を構築しているのだぞ、という傲然たる自我意識が秘められているようにおもえる。

 世間知らずの、箱入りのボンボンであるお前さんなんぞには分かりはすまいが、というしたり顔が透けて視えるのだ。

「ドノヨウナ和歌ガヨイカ」と尋ねる将軍に対して、長明は、実朝の歌の爽やかな姿をほめたたえつつも「恋歌」の稚拙ぶりを批判し、将軍家は恋というものをご存じなさらぬと断じ、「嘘」を詠まぬように、ヘタに都ぶりの真似はしない方がよいと苦言を呈する。

 さらに勢い込んで、将軍に己れの歌道を披瀝し、〈指南役〉を買って出ようとする気配まで漂わせるのだが、実朝は、笑いながら立って「モウヨイ。ソノ深イ慾モ捨テルトヨイノニ」と言って、奥へ引き上げてしまう。

 そして、「ナカナカ、世捨人デハナイ」と嘆息する。

 実朝は、己れの魂を「強制」しようとする長明老人の浅ましい魂胆を見抜いている。

 太宰の描く実朝は、長明の「何ひとつ信じてはいない」酷薄なリアリストのまなざしと、その裏返しにすぎない芸術至上主義者としての凄まじい偏執ぶりを誤たず見破っている。

 長明の孤独地獄の険しさと、それゆえに、己れとははるかにかけ離れた天衣無縫ぶりを示す実朝との〈接触〉にいちるの解脱の望みを託して、はるばる鎌倉までやって来た執念の凄みというものを知り抜いているようにおもえる。

 しかし長明は、しょせん、己れのダンディズム的な芸術理念を捨て去ることのできない、我執の強い不幸な近代知識人にすぎず、実朝の和歌に根底を揺さぶられ不安をおぼえながらも、相手を強引に己れの〈器〉の中にはめ込み、〈同化〉させることで、孤独から逃れようともがいている、「さみしがりや」の根無し草でしかなかった。

 実朝の器を、世俗に汚されてはいないがこの世の地獄の実相を知らぬ「無邪気な」子供のような若者だとみくびり、優位に立った気でいる、小ざかしい大人ぶったインテリなのだ。両者の生へのまなざしの隔たりは、あまりにも大きすぎた。

 長明は、その後も、繰り返し御所におもむくが、将軍にはとりつくシマが無いと感じたのか、いつも「あいさつ」だけで早々に退出してしまう。

 その老人の姿に、「信仰ノ無イ人ラシイ」と、実朝はつぶやいている。

 結局、長明は、深い失望を抱いたまま鎌倉を去るほかはなかった。

 ただ、この老人には、本人も言うように、実朝のような資質の人間には完全に欠落していた、凄まじいばかりの現世的地上的な脂ぎった生活欲が生得的に備わっていた。

 帰洛して間もなく書かれた『方丈記』には、無常感をてらう隠遁者的位相のポーズとは似ても似つかぬ、そういう彼の「悪業深い体臭」が込められていると、「私」=太宰治は喝破している。

 

 ただし、長明との出会いは、実朝にとって決して無意味なものではなかったと「私」はみる。

 作品には、長明との対決の後、彼からけなされた「恋歌」はあまり作らぬようになり、和歌の精進に鬼気迫る打ち込み方をするようになる将軍の姿が描かれている。

 

「将軍家は、恋のお歌を、そのころから、あまりお作りにならぬようになりました。また、ほかのお歌も、以前のように興の湧くままにさらさらと事もなげにお作りなさるというようなことは、少くなりまして、そうして、たまには、紙に上の句をお書きになっただけで物案じなされ、筆をお置きになり、その紙を破り棄てなさる事さえ見受けられるようになりました。破り棄てなさるなど、それまで一度も無かった事でございましたので、お傍の私たちはその度毎に、ひやりとして、手に汗を握る思いが致しました。けれども将軍家は、お破りになりながらも別段けわしいお顔をなさるわけではなく、例のように、白く光るお歯をちらと覗かせて美しくお笑いになり、

 コノゴロ和歌ガワカッテ来マシタ

 などとおっしゃって、またぼんやり物案じにふけるのでございました。」

 

 将軍家は恋というものを知らぬと断言した長明の指摘は、実朝の〈幼児性〉の強さ、女性への「淡泊の御性情」を、鋭く見抜くものだった。

 この沈痛な老芸術家との出会い以後、実朝は、己れの表現者的な〈資質〉に、以前にも増してきちんとした自意識をもつようになり、得手でない新古今風の技巧によるヴァーチャル・リアリティの色彩の強いものは排除するようになってゆく。

 ともかく、長明と実朝という印象深い対決は、独特の反リアリズム的な文学理念をベースとしつつ、アジア的な自然思想に根ざした融和的な〈信〉のまなざしによって、時代の滅びの気配と実生活の地上的な酷薄さに精一杯対峙せんとした、中期「後半」=大戦期の太宰治の最高の思想的稜線を、凝縮した形で象徴してみせている。(この稿続く)

 

 

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東映初期カラーアニメーションのコスモス―『少年猿飛佐助』と『白蛇伝』を中心に―(連載第5回) 川喜田八潮

  • 2017.12.25 Monday
  • 17:28

 

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 宮崎駿が、大人の恋愛感情の〈純粋さ〉を、子供の恋愛感情(彼によれば、その最も純粋な形態は「幼児期」に認められるものらしい)に還元せんとするのは感心しないけれども、私は、だからといって、幼児的なエロスの世界・感覚を、大人への成長過程の脱皮を強いられる中で「切り捨ててもかまわない」未熟な心性とみなして貶めているわけでは決してない。

 人見知りしないで済む、幼児的な兄弟―姉妹的感覚ないし双子的感覚による、閉ざされた親密さの世界・絆というものは、たしかに、男女の恋愛の内に〈核〉のように包摂されていてもよい感情だと、私も思う。

 本当に魂が通い合う関係、心からの安心と充足をもたらしてくれる〈愛〉というものは、そういうものではないか、とも思う。

 けれども、同時に、そのような親密さの内には危うさもはらまれているというのが、私の考えなのである。

 相似た魂を持つ者同士の〈愛〉というものは、互いに相手に対する〈同化〉への渇望を秘めたものであり、それは、二重の意味において危険なものなのである。

 第一に、それは、無意識のうちに、他者の魂を「強制」するという悪を生み出す危険性をもつ。相手が自分にとって、どんなに身近な存在に感じられ、その苦しみや渇きを我が事のように共感できるように思われても、人間一人ひとりの魂というものは、絶対的に独立した固有のかたちを有するのであって、必ず、己れ自身とは異質なる〈他者性〉を備えているからである。

〈他者性〉とは、己れの感情移入という方法の通用しえない、他者の絶対的な〈異質性〉のことである。それは人を脅かし、安易な延長感を拒絶させ、人を孤独に立ち返らせる。

 われわれにできる事は、ただ、己れの愛する者の内に息づいている、その〈他者性〉を、あるがままに受け止め、可能な限り理解した上で、その固有の〈重さ〉をきちんと「了解」できるように努めることだけである。

 他者への真の〈共感〉とは、他者の内に認められる己れとの〈同質性〉への共感、すなわち他者への感情移入にとどまらず、そのような狭義の共感を拒絶する、他者のどうしようもない〈異質性〉に対するビターな「了解」を含んだものでなければならない。

 異質性を排除したところに成立する「同質性への共感」とは、真の共感ではない。

 身近に感じられる存在、自分と相似た魂をもつ相手への「一体化願望」というものは、知らず知らずのうちに、相手の魂の中に息づく、己れ自身とは異質な、しかしその当人にとっては決して損なわれてはならない、かけがえのない何ものかを、〈強制〉によって歪め、あるいは抑圧することで、その人をその人自身ではない、偽りの対象へと変えてしまうのだ。

 男と女とが、同性同士が、〈愛〉という美名のもとに、そのような魂への〈強制〉によって苦しみ、荒廃させられている。親子の関係においてもしかりである。

 自分にとって〈異物〉と感じられる、愛する者の〈他者性〉というものを、視界から排除することで、己れ自身を偽り、相手にもその偽りを強制するのである。

 特に、男女の対(ペア)の内、一方が、相手を圧倒するような強烈なエロス的個性を備えている場合には、その危険は一層高まり、そのもたらす害悪は一層恐ろしいものとなる。

 男のロマンや甲斐性に魅入られ、食いものにされる女、あるいは逆に、男の魂を地母神(グレート・マザー)のごとく呑み込むような、強烈な〈ナルシシズム〉によるエロス的な吸引力の磁場を紡ぎ出す、孤独な女が、その典型である。

 後者の女は、特に怖ろしい。

 なぜなら、彼女は、本当は自分自身しか愛していない、天性のナルシシストだからだ。

 彼女にとって男とは、ただ、己れのナルシシスティックな身体の〈延長〉でしかないからだ。

 

     7

 

 困ったことに、このようなタイプの女性は、性的な魅力に富んでいることが多い。

 なぜなら、彼女は、「あるがままの己れ自身」に真に充ち足りていないからだ。

 彼女は、愛に飢えた、孤独で不幸な表情をしている。

 その不幸な面影、翳(かげ)りが男をひきつけるのである。

 男もまた、魂の奥に、一匹の凍えた幼児(おさなご)を抱えているからである。

 その幼児の渇きを触発された男は、女にひきつけられる。

 女もまた、男の内に、己れの渇きと響き合い、重なり合う何かを感じ取った時、男を愛するようになる。

 彼女の愛のメッセージは純粋で、烈しい。

 なぜか?

 それは、「異質なる存在」としての〈他者〉へのメッセージではなく、彼女自身の〈分身〉として捏造(ねつぞう)された〈虚構〉の男性像に向けて発せられた、いわば〈自己愛〉(ナルシシズム)の変形としてのメッセージだからだ。

 彼女にとっての恋愛とは、実は、〈一人称〉の物語でしかない。

 真の恋人の〈他者性〉は、最初から巧妙に視界から排除されている。

 恋人は、彼女にとって、あるがままの彼女のすべてを無条件に受け容れ、包み込んでくれる、慈愛に満ちた理想的な男性像でなければならないのだ。

 彼女は、恋人の内に、己れとよく似た魂のかたちを発見する。

 同質の悲しみ、同質の孤独の表情を見出して、「双子」のようによく似た魂をもった男性と、「運命的」にめぐり逢ったと思い込む。

 恋人との魂の「一体化」を痛切に希求し、「閉じられた」ふたりだけの愛の世界を紡ぎ出し、その中に、繭(まゆ)のように籠ろうとする。

 なるほど、ふたりはたしかに、ある角度から視るなら、「双子」のように相似た魂を持つ者同士であったかもしれない。その意味では、「運命的」な出逢いであったのかもしれない。

 だが、幸福なものであるべきその運命の愛は、恋人への〈同化〉の情熱となって表現されるとき、必然的に、一方が他方に食い尽くされるという、痛ましい自己抹殺的な〈代償〉形態を強いられることになる。

 むろん、エロス的な磁場のより強い方が、相手を呑み込んでしまうのである。

 この点で、己れの孤独と不幸と愛の渇きを全身から発散させている、天性のナルシシストの女ほど、強烈なエロスを紡ぎ出せる者はいない。

 女に魅入られた男の方は、ひとたまりもないのだ。

 

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 このようなタイプの女性は、愛する男の魂を、己れ自身の感覚の〈鋳型〉に合わせて刈り込んだ上で、その生き血を吸血鬼のように吸い尽くそうとする。

 恋人の魂を「所有」せんとし続けることで、己れの〈ナルシシズム〉のエネルギーを絶えず燃え上がらせ、更新し、生きる糧(かて)とするのである。

 そのようなナルシシストの女がひとかどの〈芸術家〉(表現者)であった場合、恋の対象となる男は、女の〈芸術〉(表現)を産み出し続けるための、いわば「肥やし」のような存在にすぎないものとなる。

 真の、あるがままの男の〈全体像〉などは、本当は、彼女にとっては、どうでもよいものなのだ。

 男との恋愛は、女にとって、己れの生きがいである〈芸術〉(表現)を産むための新鮮な〈刺激〉を与えてくれる、素材や触媒のようなものでしかないからだ。

 哀れなのは、女に魂を食われてしまった男の方である。

 このようなナルシシスト型の女性は、男が絶えず彼女を「みつめ続けている」ことを要求する。自分自身の嫌な所も含めて、自分の何もかもを男が「受け容れ」、愛してくれることを求める。

 自分が持っていない何かを恋人が持っていても、それが彼女にとって〈憧れ〉の対象であったなら、それもまた、彼女にとっては、愛すべき「彼女自身の一部」なのである。

 彼女にとって、己れ自身の内には見当たらない、そしてまた彼女自身が承認したくないような恋人の〈他者性〉は、無視されてしかるべき、「存在しないも同然」の、とるに足らない〈異物〉でしかない。

 それが、当の恋人にとって、どんなに「かけがえのない」大切なものであっても、だ。

 男がそのような女の「身勝手さ」を百も承知でありながら、なおも彼女に振り回されてしまうのは、ひとえに、女の〈ナルシシズム〉が発散する、強烈なエロス的磁場の吸引力のせいである。

 クモの糸に絡めとられた哀れな虫のように、彼は、彼女から逃れられないのだ。

 しかも彼女は、己れのそのような身勝手なナルシシズムを、こともあろうに、〈愛〉と称するのである。

 己れのエゴイズムがいかに恋人を傷つけ、心身共にボロボロにし、罪もない他者を巻き添えにしようとも、その恐るべき罪深さを恥じようともしない。いや、それ以前に、己れの罪深さに「気付かない」のである。

 彼女自身は、一人遊びをする、孤独でいたいけな子供のように、いたって無邪気なのである。

 純情一途な男にとっては、身を滅ぼす元となる、蟲惑(こわく)的な、最も怖ろしい魔女であるといっていい。

 宮崎駿が『崖の上のポニョ』で描いた「幼女ポニョ」や『ハウルの動く城』に登場する「荒地の魔女」は、一見、荒唐無稽なファンタジックな像として描かれているがゆえにごまかされてしまうが、その仮装の裏には、実は、このような悪女の本性が透けて視えるのである。

 愛する男の魂を強引に己れ自身と同化させずにはやまぬ、ナルシシズムの妄執の化身という奴が。

 それこそが、宮崎アニメで美化されている「幼児的恋愛」「双子的(兄弟―姉妹的)恋愛」の隠された暗部なのであり、ひいては、『白蛇伝』の「白娘」と「許仙」の愛の内にも秘められた恐ろしさなのだ。

 

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 言うまでもなく、人間の内なる〈幼児性〉というものを無邪気に美化する宮崎駿も、『白蛇伝』の制作者たちも、この幼児的な「双子的」恋愛感覚のはらむ危うさというものに、全く気付いていないようにおもえる。

 彼らだけではない。現代人の多くは、〈愛〉という言葉の美しさに惑わされて、その真の怖ろしさ、おぞましさというものが、全く視えていない。

 他者とエロス的に合体せずにはやまぬ、〈同化〉願望の狂気、魂への〈強制〉の病という奴が。

 この病は、人間の内に潜む幼児的な魂の歪んだ顕われにほかならない。

 万物がそこから生み出され、また回帰してゆく原初の渾沌(カオス)、すなわち生死一如をつかさどる宇宙(コスモス)との幻想的な〈一体化〉を希求してやまぬ、人間の隠された深層の渇望、子宮回帰願望の歪んだ表現だといってもいい。

 この世に誕生した時から人が背負わざるをえない、生命としてのエロス的な〈欠損〉の感覚を、同化による〈他者性の抹殺〉という歪んだやり口によって、幻想的に代償せんとする、悪あがきにすぎないのである。

 変態的な愛憎の表現であるサド・マゾ的な狂気というのも、片やエスカレートする攻撃性によって、片や自己抹殺的な被虐性によって、〈他者性〉を消し、世界との幻想的な〈一体化〉を図らんとする、幼児的な退行の一形態にほかならない。

 それは、相手の魂を「所有」し、また「所有される」という、救いようのない〈我執〉の病、うつろな魂の地獄でしかない。

 仏文系文学の影響を受けた多くの作家が、その地獄を、こともあろうに〈愛〉と呼び、〈美〉と呼んでいるのである。

 怖ろしい病である。

 このような、エロス的な〈同化〉への渇望、すなわち、他者の魂を「所有」せんとする〈我執〉の病、幼児的な魂の病理的な表現は、人間の精神と肉体の双方を極度に歪め、痛めつけずにはおかない。

 それは、ある場合には、極度に「精神主義的」な、観念的な愛の幻想となって、対(つい)の相手を強制し、魂の生き血を吸おうとする。先に触れた〈ナルシシズム〉の妄執の病理というのもその一形態であるが、エドガー・アラン・ポウが描いたような、精神主義的なサド・マゾの世界、殺人願望の狂気もまた、その一類型である。

 他者の魂を「理解」し、「所有」し、「しゃぶり尽くしたい」という渇望がエスカレートして、ついには、可愛さ余って、殺人に至るのである。

 また、ある場合には、貪婪(どんらん)極まる「肉欲」への耽溺となって顕われることもある。有名な昭和初期の「阿部定」事件もその一例であるが、それとよく似た、渡辺淳一のポルノ小説の力作『失楽園』における主人公の男女の、延々と飽くことなく繰り返される、死と背中合わせになった極限的なセックスの灼熱のごとき燃焼も、その典型である。

 精神主義的な愛にせよ、肉欲への耽溺にせよ、いずれも、社会からの非日常的な〈超越〉の表現であるにはちがいない。

 しかしそれは、精神と肉体が〈分裂〉したまま、痙攣的な刺激のみがエスカレートする中で、死と虚無の想念に蝕まれながら、暗黒の淵に向かってすべり落ちてゆく、無間地獄の世界にすぎない。

 何ひとつ本気で信じられない不幸な男女が、蒼白い死と孤立の恐怖から逃れようとして、互いの魂を「貪り合う」という、餓鬼道の生き地獄なのだ。

 それは、孤独な魂と背中合わせになった真の優しさ、霊と肉の一致した真の温かさというものを知らぬということだ。

 だとすれば、それは痛ましいことである。(この稿続く)

 

 

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東映初期カラーアニメーションのコスモス―『少年猿飛佐助』と『白蛇伝』を中心に―(連載第4回) 川喜田八潮

  • 2017.11.26 Sunday
  • 13:29

 

     5

 

 また、男女の恋愛の純粋さを、幼児的な親密さの延長上に位置づけるのも、偏った、いびつな感覚というべきである。

 第一、大人の恋愛と子供の恋愛とは、質的に全く異なっている。

 大人には、子供の感覚などが及びもつかないような、想像を絶するような〈肉〉の領域、セックスの燃えるような輝きと充足の領域というものがありうるのだ。

 それは、決して、白昼にさらされてはならない、神秘なる性の秘儀、〈闇〉の営みである。

 えにしあってめぐり逢った男と女のそれぞれが、自らの固有の生の文脈を通して、互いの魂にふれ合い、求め合う中で、おのずと紡ぎ出された、霊・肉の一致した、官能的な生命の灼熱の輝きにほかならない。

 それは、深き〈闇〉の深奥から紡ぎ出され、立ち昇り、赤々と燃え上った〈炎〉なのである。

 決して、フェティッシュで痙攣的な刺激による、断片化された快楽などではない。

 真の〈愛〉とは、精神のみを求める愛ではなく、肉体のみを求める愛でもない。

 真の愛とは、霊・肉の一致した形で魂がふれ合い、求め合うということであり、大人のセックスとは、そのような意味での真正の〈愛〉の帰結であり、また、その究極の表現である。

 そうあるべきである。

〈性〉の本質を、「種」の保存のための戦略とみなすような、生物学的な欲動のメカニズムの「知識」に一元的に回収したり、セックスを、快楽のための散文的で可視的な肉体の交接行為として描き上げるという、現代人に広く認められるやり口は、ただ、性意識をいたずらに貶め、私たちの心を冷えびえとした、みじめな想いにさせるだけである。

 しかし、だからといって、大人の恋愛感情の〈純粋さ〉を、子供の恋愛感情の延長上に位置づけようとするのも、正しい理念とは言えない。

 それは、一見可愛らしく、ピュアな魂の表われのようにみえるが、実は、恋愛感情を「精神主義的」なしろものへと一元的に回収せんとすることで、大人の身体感覚を痩せ細った、貧しいものへと囲い込み、ひいては、性的な〈不能性〉へと導くものである。

 それは、かえって、セックスを、ただの卑しい、フェティッシュで断片的な肉欲、〈消費〉としての性欲へと堕さしめ、セックスに本来備わっている官能的な生命の歓喜を見失わせるものでしかない。誤解を恐れずに言えば、「精神主義的」な恋愛観ほど、病んだ恋愛観はない、というのが私の考えである。

 というより、「精神主義的」な愛はあってもよい感情だと思うけれども、それは、恋愛というよりも、むしろ広義の〈友情〉の一種、もしくは(恋愛とは区別された)一種の近親愛的な親愛感情というべきものではあるまいか。

「恋愛」という以上は、魂のふれ合いを通して、互いの肉体を求め合うという情熱が誘発されるのは当然のことであり、なんら汚らわしいことではない。

 精神的な結びつきが烈しく希求されるのに、肉体の方は拒絶されるというのは、恋する者にとってほとんど拷問に等しいことであり、異常きわまることである。

 歳をとったり、病のために、セックスが不可能になったとしても、肉体の接触そのものまでも拒絶される必要はない。抱き合ったり、手を握り合ったり、〈ぬくもり〉を伝え合うことは可能であり、生きた〈生活〉の物語を紡ぎ出し、共有することも可能である。

 もちろん、恋愛感情のみが愛の全てではない。友情も、近親愛的な親愛感情も、立派な愛のかたちである。それに、ついでに言わせてもらえば、愛の内実にとって、「血のつながり」などというものは、決して第一義的な意味をもってはいない。「血は水よりも濃い」などと言うのは、大嘘だというのが、私の考えである。血を分けた実の親子でも、魂の内実において「千里の隔たり」がある、というケースは、いくらでもある。真の愛は、「魂がふれ合っているかどうか」「魂が遠いか近いか」によって、その成否・内実が決まる。魂がふれ合い、かつそのかたちが互いに近い者同士は、親密な愛情を抱き合うけれども、同時に、互いの〈異質さ〉も際立ち、「近親憎悪」の対象にもなりやすい。いずれにせよ、愛のゆくえは、えにしと相性と魂のかたちによって左右される。

 不自然な愛は、遅かれ早かれ挫折するか、互いの魂を損ね、あるいは磨滅させることになる。

 私が精神主義的な恋愛、すなわち「プラトニック・ラヴ」に異和感を覚えるのは、それが、〈肉〉を蔑視する、観念的なキリスト教的人間観・道徳主義の匂いをまつわりつかせているからである。それは、性に対する原罪意識によって魂を歪め、身体を冷え切ったものとする。

 また、肉体の領域を蔑視することは、男女間の〈生活〉の共有による生ける〈物語〉の成立を不能にしてしまう。精神主義的な恋愛というものは、〈生活〉の内実の伴わない、抽象的な絆であるから、感情や感覚・思想のいわば「上澄み」だけをすくい取るような、観念的な「きれい事」のレベルに留まるという、〈うつろさ〉の危険に絶えずさらされている。

 プラトニック・ラヴに甘んずる者は、自身や恋人の内に潜む人間的な弱さや情けなさが露呈することを恐れ、また、恋人の〈他者性〉そのものが、己れの甘いエゴイスティックな愛の幻想を打ち砕くことを恐れる。そこには、「愛への不信」という神経症的な疑心暗鬼の地獄は生まれても、温かい〈生活〉の共有による物語は生まれ得ない。

 もし、本気で恋を実らせ、愛という形をとって、〈生活〉の中に幸せに根づかせたいと希うのなら、恋愛感情というものは、決して精神主義的なものに解消されてはならず、霊・肉の一致した、官能的な〈温かさ〉をもつものでなければならない。

 大人の恋愛感情の純粋さを、子供の恋愛感情の延長上に単純に位置づけるのは、正しい理念ではないのだ。

 だが、もちろん、子供から大人までの巾広い年齢層の観客を対象とするアニメーションの世界の中で、大人のセックスをなまなましく描いてもよいというわけではない。

 思春期に達しない子供に、大人のセックスの感覚を垣間見させることは、明瞭に〈悪〉である。大人のセックスそのものが、汚らしいからではない。

 子供の時に、中途半端に、ただれた、大人的な「まがいもの」の性愛観にふれさせることは、その子供が思春期・青年期を迎えた時に、大人の〈性〉に対する、誤った先入観にとらわれて、〈性〉が本来開示するべき、深々とした〈闇〉の身体性の領域、異性が備えている、謎めいたほの暗い、妖しくも艶やかなエロスの香りというものに対して、真の〈畏怖〉の感覚をもてなくなる危険があるからだ。

 大人のセックスというものは、それぐらい、大切に扱ってやらねばならぬものなのである。

 それは、大人の男女の恋愛と生の共有の物語に対して、いのちの輝きと生の充足を与えてくれる、かけがえのない営みだからである。(この稿続く)

 

 

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『右大臣実朝』と宿命 (連載第3回) 川喜田八潮

  • 2017.11.25 Saturday
  • 17:50

 

     3

 

 実朝の生活者としての持ちこたえ方のかたちは、こういう義時の視線とは全く対照的である。

 彼もまた、義時と同じく、周囲の人間たちから疎隔された場所にあるといっていいのだが、その孤独さの〈かたち〉は似ても似つかないものだ。

 このあまりにも柔らかい繊細な皮膚感覚をもつ青年は、己れとは無縁の、生臭いタフな生活力をもつ人々や権力の亡者や鈍感な小心翼々とした官僚的気質の連中の中に、ひとりぽつんと孤独に置かれている。

 決して、自分自身の場所を他人に「押しつけ」たり、特定の他者に何かを「期待」したり、「同化」されたりはしない。政子や義時とも、表面的にはいたってなごやかで、争論などは一切みられない。特定の「党派」に所属したり、傷口のなめ合いをすることもなく、ナルシシズムや同性愛的な結びつきとも無縁である。

 周囲の者や接する者の内面の動きを「詮索」したり、心理的にかんぐったりするような近代人的な神経症的自意識とはかけ離れているが、人々の生きる場所の本源的な〈寂しさ〉や〈病〉のかたちだけはきちんと見抜いている。

 それゆえ、他者の世俗的な悪あがきや業苦が織りなす、混沌とした悪因縁の修羅相の渦中に、ひとりぽつんと身を置きながら、憎しみとも、地上的な次元での喜びや哀しみともかけ離れた境位にある。

 それでいながら、人情に対して冷えきった、ひねこびた老人のような枯淡や無常感や無為とは、まるで異なった場所にいるのだ。

 実朝の暖かい人間性は、御台所や御所に仕える女房たちへのきめ細かな優しさ、和田義盛のような武骨な老忠臣の一徹者への深い思いやりによくにじみ出ているといっていい。

 これは不思議な場所だが、〈存在の痛覚〉ともいうべき人間の〈生身〉の急所を誤たず洞察し、その実存から、実朝のあらゆる生活上の営みが湧き出てくるかのようである。

 こういう実朝の構えは、とらわれのない生得的な霊感にもとづいて瞬時に決断を下しながら、人情の機微をおさえた、物事の本末転倒をひきおこさない、道義観の透徹した独特の政治のあり方にもつながっている。

『吾妻鏡』には、初期の実朝の熱意溢れる政治ぶりが描かれている。そこには、三浦氏など大身の御家人にも遠慮せず、正邪を公正に裁き、母の政子にも叔父の義時にもいささかも気がねすることなく、さまざまな利害関係や思惑が絡む難題を、さらりと果断に処理してゆく、颯爽とした倫理的な将軍の姿が垣間見える。

 一例を挙げてみよう。作品にも、小説内容と対照できるように、『吾妻鏡』の関連部分が収められているが、和田義盛の乱の二年前に当たる承元五年=建暦元年(一二一一年)六月の記事である。

 

「七日、丁亥、越後国三味庄(さみのしょう)の領家雑掌、訴訟に依つて参向し、大倉辺の民屋に寄宿せしむるの処、今暁盗人の為に殺害せらる、曙の後、左衛門尉義盛之を尋ね沙汰し、敵人と称して、件(くだん)の庄の地頭代を召し取る、仍つて其親類等、縁者の女房に属し、内々尼御台所の御方に訴申す、而るに義盛の沙汰相違せざるの由、之を仰出さる、申次駿河局突鼻に及ぶと云々、」(龍肅訳)

 

 幕府御家人である地頭との訴訟争いの為に鎌倉におもむく途中であった、越後国三味庄の荘園領主(領家)の代官(雑掌)が、盗賊の為に殺害されたが、その盗賊は行方をくらまし何者とも判明しなかったので、侍所の別当である和田左衛門尉義盛は、訴訟の敵方に当たるその荘園の地頭代(地頭の代官)を捕え、詮議を加えることになった。

 しかし、その処置に不満を抱いた地頭代の親戚の者たちが、内々に手を回して尼御台政子に訴え、将軍に再考を促すよう圧力をかける。気の強い尼御台のおつきの女房駿河局(するがのつぼね)は、和田の処置を妥当とする実朝に、なおも、処分撤回を求めて食い下がる。

 

「申し上げます。罪無き者が召取られて居りまする。越後国は三味庄の、──」と言いかけたら、相州さまは、ちえと小さい舌打ちをなさって、

「なんだ、それか。あれは、もう、すみました。左衛門尉どのの処置至当なりとの将軍家の仰せがございました。あなたはまた、なんだって、あんな事件に。」とおっしゃって、少し不機嫌になられた御様子でお眉をひそめ、お口をちょっと尖らせました。

「尼御台さまのお口添もございまする。」と駿河の局さまは、負けずに声をふるわせて申し上げました。つねから、お気性の勝ったお局さまでございました。「いまいちどお取調のほど、ひとえにお願い申し上げまする。このたびの和田左衛門尉さまの御処置は、まったくもって道理にはずれ、無実の罪に泣く地頭代をはじめその親類縁者一同の身の上、見るに忍びざるものございまするに依って、尼御台さまにもいたく御懸念の御様子にございまする。」

 尼御台さま、と聞いて相州さまは幽(かす)かにお笑いになられました。そうして、ふいと何か考え直したような御様子で、御病床の将軍家のお顔をちらりとお伺いなさった間一髪をいれず、

 事ノ正邪デハナイ

 お眼を軽くつぶったままで、お口早におっしゃいました。

 さすがの相州さまも虚をつかれたように、ただお眼を丸くして将軍家のお顔を見つめて居られました。

 和田ノ詮議モ終ラヌサキカラ、ソノヨウニ騒ギタテテハ、モノノ順序ガドウナリマス。

 ツマラヌ取次ハスルモノデナイ。

 駿河の局さまは、一瞬醜い泣顔になり、それから胸に片手をあて、突き刺された人のように悶えながら平伏いたしました。決してお怒りの御口調ではなかったのですが、けれどもその澱みなくさらりとおっしゃるお言葉の底には、御母君の尼御台さまをも恐れぬ、この世ならぬ冷厳な孤独の御決意が湛(たた)えられているような気が致しまして、幼心の私まで等しく戦慄を覚えました。

 

 こういう実朝の峻厳な倫理性は、非情なリアリストの相州義時にとって、次第にうとましいものとなってゆく。

「反中央的」な東国武士団の棟梁としては奇異ともいえるほどの、実朝の朝廷への〈赤心〉の厚さは、こういう独特の透徹した道義観の延長の上に形成されたようにおもえる。

 佐藤進一や上横手雅敬をはじめとする優れた中世史家の実証研究が示しているように、元々、関東(坂東)を中心とする東国には、古代以来、畿内・西国を中心とする「朝廷」の支配に対する根強い反抗精神があった。(例えば、上横手雅敬『日本中世国家史論考』[塙書房、一九九四年]中の論文「鎌倉・室町幕府と朝廷」及び「鎌倉時代政治史像の再検討」などを参照されたい。)自ら「新皇」(東国の天皇)と称して、京を中心とする 「本皇」(西国の天皇)に対峙し、東国を中央から切り離した「独立国家」とする構想を抱いていた平将門や、平忠常の乱から前九年・後三年の役を通じて東国に独自の支配を樹立せんとした清和源氏の動きを見てもわかるように、坂東を中心とする東国武士団の「反中央的」権力への志向は強烈なものがあった。

 鎌倉幕府の成立は、そういう何世紀にも及ぶ古代以来の坂東武士の悲願とエネルギーの帰結点であり、集約点でもあった。

 したがって、その幕府の将軍である実朝の朝廷への「赤心」の激しさは、東国武士団全体のエートスと真っ向から対立するものであり、単なる彼個人の京文化への貴族的な憧憬や好みとみなすことはできない。

 

 おほきみの勅をかしこみ千々(ちぢ)わくに心はわくとも人にいはめやも

 山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも

 

 例えば、こういう歌には、並々ならぬ激しさが脈うっている。坂東武士団のただ中で、ひとり超然と屹立しながら、なお、衆に対峙せずんばやまじとする強烈な気概が伝わってくる。

 こういう実朝のパトスの出所は、東国と西国という地域的=地上的な権力の二律背反的な視座をさらに次元的に超越し、包摂せんとする、「天帝」を頂点とした偉大なる〈自然〉の如きアジア的な道義国家の理念なくしては、到底了解できないようにおもえる。

 すなわち、国家・社会のすこやかさの基底は、民衆・為政者の道徳的な〈神聖さ〉に対する自然な感覚に〈根〉をもつべきであるという、生得的ともいえる直観的信念が透けて視えるのだ。

 かつて平城京を中心とする律令国家は、中国文明の巨大な権威を巧みに借用しつつ、いっさいを包摂する偉大なる〈自然〉のごとき天皇制の幻想的権威を確立することによって、日本国中の豪族と人民を強力に統治し得ていた。しかし、平安中期(十世紀)以降の律令国家の解体によって、朝廷は、畿内・西国を中心とする「地域的」権力へと縮退し、逆に、それまで中央権力によって幻想的に収奪されてきた東国の民俗的・土俗宗教的な共同性は、天皇制という〈重し〉を徐々に取りはずしつつ、新たな「地域」権力(地域国家)への志向を高めつつあった。実朝の朝廷への熱烈な忠誠の姿勢は、こういう平安期以降の東西の〈緊張〉を、再び、天皇を頂点とするアジア的な道義国家の幻想によって次元的に修復しようとする試みとして位置づけることができよう。

『吾妻鏡』からは、参詣や荒廃した社寺の復興に異様なまでの熱意をみせる将軍の姿が浮かび上がるが、こういう実朝の敬神崇仏の念の深さの根底には、おそらく、己れを超えた大いなる神秘な力のはからいに生をゆだねるという、アジア的な自然思想が横たわっている。

 この世の諸々の〈悪〉というものが、究極的には、〈死〉の恐怖に由来する〈我執〉にもとづくものであるとするなら、その我執を離れる境位を魂の内に繰り込み、根づかせることによって、はじめて人は、己れの〈生身〉の痛覚に根ざした、真正の〈倫理〉というものを蘇生させることが可能となる。

 実朝の孤独さは、我執を生み出すのではなく、己れを超えた神聖なるものに身をゆだねることで逆に我執を離れ、〈存在の痛覚〉という生身の急所へ眼を向けることで、血の通った倫理を生み出してゆく源泉となる。

〈悪〉を生み出す源が、〈死〉の恐怖にもとづく孤立感にあるとするなら、逆に、〈死〉をバネとすることによって、我執を超える視線を生み出し、倫理を蘇生させることも可能となるのだ。

 道徳的な〈神聖さ〉の自然な感覚というものは、この意味において、己れを超えた、〈未知〉の大いなるはからいに身をゆだねるという、アジア的な〈畏怖〉のこころと不可分のつながりをもっている。

 実朝の道義観──朝廷への赤心──敬神崇仏の念という、独特の円環のあり方も、こういうアジア的な自然思想の伝統に深く根ざした生存感覚を象徴するものだといってよい。

 所領の保持と拡大に血まなこになって狂奔し、荘園領主である貴族や寺社との〈所有権〉をめぐるトラブルの絶えない、我執の強い獰猛な御家人層を束ねる将軍として、実朝は、自ら率先して、あるべき共同的な倫理の〈範〉を垂れようとしていたとおもえる。

 彼の政治理念は、明らかに、政治という、利害を調整する〈技術〉の領域を超えて、大衆の魂のあり方までも倫理的に「変革」せんとする天上的な〈夢想〉の領域にまで踏み込んでいた。『吾妻鏡』に垣間見える、実朝の「聖徳太子」への傾倒の深さも、おそらく、こういう観念的な思い入れに根ざすものとみていい。

 私には、実朝のアジア的な政治理念は、ドストエフスキーの、ギリシア正教とツァーリ権力への思い入れを想起させる。

 ロシア農民のアジア的な感覚にもとづく自然=神への〈畏怖〉の念と結びついたギリシア正教への信仰と、それに根ざしたツァーリ権力の宗教的・道徳的な秩序への幻想的な思い入れを彷彿とさせるのだ。

 教会の中に国家を解消するという、独特の道義的国家=倫理的共同体のユートピアを夢みたドストエフスキーと同様に、実朝もまた、おそらく、アジア的な生存感覚に根ざした独特の宗教的な〈信〉にもとづく、スメラミコトの道義的国家を夢想していたに違いない。

 こういった実朝の観念的な理想主義と倫理性は、幕府と御家人層の利害のみを重んじ、それを「技術的」合理的に防衛しようとする北条義時や大江広元の法治主義的・政治力学的(マキャベリスティック)な近代主義的政治理念や官僚実務的発想とは、早晩、鋭く対立する宿命にあったはずである。

『右大臣実朝』後半の、和田義盛の乱に端を発する〈悲劇〉の芽は、この両者の位相の決定的な断層の内に胚胎していたといってよい。(この稿続く)

 

 

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〈生き難さ〉のアーカイブス〜「詩を描く」若者たち〜(連載第6回) 川喜田晶子

  • 2017.11.24 Friday
  • 10:43

 

〈自分〉が痛むとき

 

 どうすれば傷つかずに生きられるだろうか。

 自他の異質さに安らぐことが出来なければ、〈傷〉も〈痛み〉も不断に再生産され続ける。

 他者と異質である自分をのびのびと解放することへの禁忌と、その禁忌への抗いを無意識に澱ませながら、学生たちは〈傷〉や〈痛み〉を巧妙に不機嫌に飼い馴らしているかのようだ。

 

   水分99.9%   根来優樹

 

くらげのようになれたらと思うのです。

人魚のように美しい容姿や、タコのようにかしこい頭も器用な手もいらない。

人魚は幻。

タコは食べられてしまう。

ならば私は海になじんで目立たない、くらげで良いと思いたいのです。

 

 タイトルから、「残りの0.1%は?」という問いが浮かぶ。「海になじんで目立たない、くらげで良いと思いたいのです」は、思いたいけれども思えない0.1%の逆説的な自己主張を感受させる。

 容姿や才能のきらびやかさが、現実の社会においてどれほどはかないものであるかを洞察し、己れが生き延びる術を模索すれば、「水分99.9%」の「くらげで良い」と考えるのだが、そうはなれない作者の自意識がこの作品の主題であろう。「なれたら」と言いながら、実は決して己れの輪郭を失いたくないし、失うこともできないという現実を、そして「なぜくらげになれないのか」という問いを、読者に突きつけている。

 人魚やタコが底浅い輪郭を鮮やかに主張しても、しょせんは「幻」、あるいは、より強い者に「食べられて」しまう存在である。そのような輪郭の主張のもろさ・はかなさを洞察するとき、自分は輪郭を消すことで生き延びようと考えるのだが、社会は常に、「お前はどんな美しさを持っているのか、どんなかしこさや器用さを持っているのか」と個々人に問いかけ、その人魚的・タコ的輪郭によってそれぞれの存在価値を測れと強いてくる。

 社会などに還元されない輪郭を手に入れたいと望む0.1%が、この「くらげ」に不屈の輪郭を与えてしまっているのだ。

 

   うさぎ   M・S

 

赤い目こすった

耳には大きなピアス、昔やってた走りはばとび

どこまでもいくよ、どこまでもいくよ

白いふわふわの服をきて

緑のペンキまみれのビルをかけ

綺麗な景色をみつめてから

どこまでも、どこまでも、いくよ

 

「いきたかったなあ」

白い部屋と白いベッド

 

赤い目こすった

 

 始まりの「赤い目こすった」は、夢の始まりであろう。己れの存在が輝き、人生の可能性が無限に拡がって見える世界の夢。

「耳には大きなピアス」で、うさぎの大きな耳はさらに目立つだろう。「昔やってた走りはばとび」は、うさぎの得意技である。生まれ持った得意技がそのまま大人としての人生を拡げてゆける。「どこまでもいくよ、どこまでもいくよ」のリフレインに、果てしない可能性への無邪気な信が溢れ出す。

「白いふわふわの服をきて/緑のペンキまみれのビルをかけ」るなら、緑をバックにしてうさぎのかわいらしい存在感は否応なく高まり、己れの「赤い目」で、己れを引き立ててくれる「綺麗な景色をみつめてから」「どこまでも、どこまでも、いくよ」と、無限への意欲をさえぎるものは何も無い。

「いきたかったなあ」と失望が滲むのは「白い部屋と白いベッド」という現実に醒めたときである。白いうさぎの存在感を引き立ててくれるものが無い。周りの世界と同じ色の自分の輪郭が消えうせる。輝きを失くす。無限の可能性はその現実に醒めることで全て消え失せる。

 無機質な社会によって「輪郭」を奪われたうさぎ。自分の存在確認となるのは、うさぎという全体から切り離された「赤い目」だけ。存在の意味を狭窄され、そこから逃がれられないうさぎがこする「赤い目」に、可能性の地平を奪われた悲哀が行き場無くもてあまされている。

 

   デート   谷屋 愛

 

もう何度目のデートかな・・・。

まだ隣に並んで歩くのは恥ずかしいから一歩後ろを歩くの。

映画よりも素敵なあなたの横顔をずっと見てた。

ランチはあなたと同じものを注文。

あなたといると知らないことがいっぱい分かるから嬉しいな。

でも、あなたはいつも無口。

そんな恥ずかしがりなところも好きだよ。

 

あの角を曲がればもうすぐあなたの家。

今日も楽しかった、ありがとう。

 

また明日ね、私を知らない人。

 

 生き生きとデートを楽しむ描写かと思えば、「また明日ね、私を知らない人。」という一行によって、関係性への断念にハラをくくったブラックな批評精神で成り立つ作品へと鮮やかに転位する。

「今日も楽しかった、ありがとう。」までと、「また明日ね、私を知らない人。」とのギャップを、世間は平気で明るくやり過ごして生きている。「なぜ平気でいられるのか」「なぜそれが当たり前なのか」について、暗い鬱屈した想いを溢れんばかりに抱えているが、そういう世間の現実に耐え、そこに自分をなじませるタフさも存分に獲得してしまった、不幸で剛胆な作者の断念が、一篇のテーマである。

 相手からは自分が見えていない。そのことを百も承知で素敵なデートを楽しむ。関係とは全てそのようなものだ、という断念の潔さ、そしてその潔さを支える底無しの虚無。

 

   ボトル   N・M

 

中に入った液体を

零さぬように、零さぬように。

誰かにその気を弛められたなら

ぶつかれば倒れてしまう

中に入った液体は

傍若無人に辺りを濡らす

 

ああ君は、そんなことにならぬよう

蓋を閉めて液体を

自分の中に閉じ込めているのか

 

 自分の中に閉じ込められた液体、それを「零さぬように、零さぬように」張りつめている気。その気がうっかり弛められ、ぶつかり倒れたりしようものなら、その液体は「傍若無人に辺りを濡らす」のだと認識している作者。

「そんなことにならぬよう」に張りつめている「気」を、読者は共有できる。自分の中に、不穏に渦巻く液体があること、それがひとたび溢れ出したら、それまでの零さぬための気遣いなどを踏みしだき、蹴散らしてしまうのかもしれない。この一篇を味わうことで、誰もが「張りつめた気」の背後に潜むものを想起し始める。ひとたび溢れ出したときに、それがどれほど「傍若無人」な勢いで辺りを濡らし、洪水だって起こしかねないようなものなのか、自分でも測りかね、怖れていることに、気づき始める。

 こういう怖れを、学生も、私たち現代人も、どこかで無意識の底に澱ませている。

「ああ君は、」という問いかけは、作者自身への問いかけでもあり、現代人への挑発でもあろうか。「けちくさい怖れなど吹き飛ばして、その液体、溢れさせてみてもいいじゃないか。」とも読める。あるいは、この世界から理解されない「液体」の価値、すなわち幼児的なみずみずしい感受性や情感、身体性の有無を言わせぬ発露、といったものを愛おしむ全ての人へ、その張りつめた気を少し解(ほど)いてみようよ、という呼びかけとも読める。

 

 自分と他者、自分と世界の異質さは、どれほどそれを無いことにしようとしても、消し難く存在して〈傷〉や〈痛み〉をひき起こす。そこに顕われる境界としての〈輪郭〉を、消そう、際立たせよう、忘れよう、刻みつけよう、と苦闘する姿の内に、己れの存在意義をまさぐる不穏で不敵な魂が垣間見える。(この稿続く)

 

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『右大臣実朝』と宿命(連載第2回) 川喜田八潮

  • 2017.10.28 Saturday
  • 22:16

 

     2

 

 先の引用でもうひとつ興味深いのは、母の尼御台政子と実朝の、恐ろしいほどの視線の〈隔絶〉である。

 天上的な次元から、己れ自身も含めたこの世の人々の身体を静かに「見おろしている」かのような実朝とは対照的に、政子は、徹頭徹尾、地上的な視線に身を置いている。政子の眼が象徴するものは、生臭い酷薄な実人生の諸相や醜部を平然と直視し、リアルに生き抜ける人間たちの世界だといっていい。

 実朝は、こういう人間たちのただ中にひとりでぽつんと置かれている。彼の魂を知る者は周囲に誰もいない。

 しかし、実朝の方からは、周りの者たちの場所が本源的な意味でよく視えている。

 実朝の眼に映じた人間どもの実相とは、おそらく、仮りそめの有限な生を、得体の知れない脂ぎった貪欲な生活欲によって、もがきにもがき抜きながら、タフに乗り切ってゆく人間たちの姿である。

 地上的な関係性の場の渦中で翻弄され、極限的に狭い痩せ細った貧しい生活世界の中に、現世的な価値を倦むことなく求め続け、他者をねじ伏せようとあがく、我執にこり固まった悪業深い生きざまであり、蒼白い死の恐怖を無意識の奥底にこびりつかせ、絶えず、生を何ものかによって紛らわし、すり替えようともがき続ける、浅ましく切ない人間のありのままの姿である。

 同類を求めてもがき、傷口をなめ合い、抗争の無限の連鎖の中に、己れの貧寒で散文的で有限な人生の無聊(ぶりょう)を慰めようとする人間どもの狂気の実相。

 それが、実朝が幼時から肌で感じ、凝視し続けた、大人どもの〈気配〉に違いなかった。

 彼が、少年期を通じて繰り返し垣間見、鮮烈な刻印を受けたのは、頼朝亡き後の、有力御家人たちの凄まじい確執・共食いの修羅相であった。とりわけ、自身を二重三重に絡めとっている肉親・一族であり幕府の中枢を握っている祖父北条時政や叔父義時、さらには生母政子の、貪欲な生活欲と権力への飽くことを知らぬ執念であった。

 北条時政によって血まつりにあげられた兄の将軍頼家とその幼な子、さらに兄の妻の実家比企氏のむごたらしい最期。そして、「誠忠廉直の士」であった畠山重忠とその子重保が時政・義時の奸策のため「無実の罪」によって非業の死をとげたこと。これらの血ぬられた記憶は、青年実朝にとって、いまだ、なまなましい傷痕をとどめるものであった。

 年を重ねるごとに「我身ヒトツト思ホユル」実朝の透徹した覚悟性は、肉親・一族といえども寸分も心を許すことのできぬ、ひき裂かれた悪因縁の渦中において形成されていた。

 実朝は、太宰治と同じく、生みの母の乳のぬくもりというものをほとんど知らずに育った。ふたり共、母の妹、つまり叔母の手で育てられたのであり、彼らに共通する本源的な寂寥感は、そういう胎乳児期の原初的な〈欠損〉と〈渇き〉の感触の記憶に根ざしているともいえよう。

 その原風景が、形を変えながら、幼児期・少年期と繰り返し塗り重ねられ、実朝独自の、深い諦念に満ちた、透明な〈孤絶〉の意識を形作っていったようにおもえる。幼時よりの母政子との冷ややかな隔たりの意識や叔父の義時・祖父時政にまつわる北条一族の血なまぐさい空気は、実朝にとって、おそらく、この世に生まれ落ちて以来のひき裂かれた世界風景の象徴でもあったに違いない。

 しかし、北条一族の政敵に対する容赦の無いむごたらしい所業の数々にもかかわらず、意外にも、尼御台政子や執権義時の〈素顔〉は、決して、とり立てて残虐・非道な性情の持ち主ではなく、むしろきわめて律義で、将軍・幕府への忠誠心も厚く、法・秩序の遵守に厳しい、リアルでカラッとした性質の人間たちであったと、「私」は視ている。

 

「下々の口さがない人たちは、やれ尼御台が専横の、執権相模守義時が陰険のと騒ぎ立てていた事もあったようでございますが、私たちの見たところでは、尼御台さまも相州さまも、それこそ竹を割ったようなさっぱりした御気性のお方でした。ずけずけ思うとおりの事をおっしゃって、裏も表も何もなく、そうして後はからりとして、目下のものを叱りながらもめんどうを見て下さってそうして恩に着せるような勿体(もったい)を附ける事もなく、あれは北条家にお生れになったお方たちの特徴かも知れませぬが、御性格にコツンと固い几帳面なところがございまして、むだな事は大のおきらい、隅々までお目がとどいて、そんなところだけは、ふざけたい盛りの当時の私たちにとって、ちょっとけむったいところでございました。そうして、それから、どうもこれは申し上げにくい事でございますが、思い切って申し上げるならば、下品でした。(中略)どうも、北条家のお方たちには、どこやら、ちらと、なんとも言えぬ下品な匂いがございました。そうして、そのなんだかいやな悪臭が少しずつ陰気な影を生じて来て、後年のいろいろの悲惨の基になったような気も致します。」

 

 この指摘は、鋭い洞察だといってよい。『吾妻鏡』に記されたさまざまなエピソードが語るように、「竹を割ったようなさっぱりした」ケレン味の無い直情的な激しさと果断さは、頼朝との馴れ初め以来の政子の人物像に特徴的なものであるし、「御性格にコツンと固い几帳面なところが」ある義時の、私情を殺せる実務官僚的な有能さや律義さも、史実に丁寧に則した自然な見方であるとおもえる。

 つまり彼らは一見まっとうな人間たちなのだが、それにもかかわらず、そのまっとうさの内に秘められた何ものかのために、恐るべき悪業の数々が産み出されてくるというのが、太宰治のこだわりの場所なのである。

 太宰は、この作品で、北条時政や娘の政子のような、己れの感情や欲求を素直に表出できる、人間らしい生臭さや激しさを備えた、生活力の旺盛な脂ぎった人物たちに対しても〈異和〉の念を表明しているが、それよりもむしろ、相州義時のような類型への強烈な 〈嫌悪〉にアクセントを置いている。

「いったいにあの相州さまは、奇妙に人に憎まれるお方でございました。」と「私」は語っている。

 

「はじめにもちょっと申し上げて置きましたように、私たちの見たところでは、人の言うほど陰険なお方のようでもなく、気さくでひょうきんなところもあり、さっぱりしたお方のようにさえ見受けられましたが、けれども、どこやら、とても下品な、いやな匂いがそのお人柄の底にふいと感ぜられて、幼心の私どもさえ、ぞっとするようなものが確かにございまして、あのお方がお部屋にはいって来ると、さっと暗い、とても興覚めの気配が一座にただよい、たまらぬほどに、いやでした。よく人は、源家は暗いと申しているようでございますが、それは源家のお方たちの暗さではなく、この相模守義時さまおひとりの暗さが、四方にひろがっている故ではなかろうかとさえ私たちには思われました。父君の時政公でさえ、この相州さまに較(くら)べると、まだしもお無邪気な放胆の明るさがあったようでございます。それほどの陰気なにおいが、いったい、相州さまのどこから発しているのか、それはわかりませぬが、きっと、人間として一ばん大事な何かの徳に欠けていたのに違いございませぬ。その生れつき不具のお心が、あの承久の乱などで、はしなくも暴露してしまったのでございましょうが、そのような大逆にいたらぬ前には、あのお方のそのおそろしい不具のお心をはっきり看破する事も出来ず、或いは将軍家だけはお気づきになって居られたかと思われるふしもないわけではございませぬけれども、当時はただ、あのお方を、なんとなく毛嫌いして、けむったがっていたというのが鎌倉の大半の人の心情でございました。なんでもない事でも、あのお方がなさると、なんとも言えず、いやしげに見えるのでございますから、それはむしろ、あのお方にとっても不仕合せなところかも知れませぬ。以前はそれほどでもなかったのでございますが、将軍家が立派に御成人なされ、政務の御決裁もおひとりで見事にお出来になるようになってから、目立って下品に陰気くさくなりました。」

 

 ここで太宰は、ある種の不透明な〈悪〉の本質に肉薄しようとしている。

 北条義時のような、職務に忠実な、理知的でエネルギッシュな人物は、近代的な市民社会の価値基準から言えば、少しも非のうちどころの無い、有能で模範的なテクノクラートということになろう。

 しかし、私たちの〈近代〉のメカニズムが繰り返し産出し続けてやまない恐るべき悲惨事というものは、実は、そういう何の変哲も無い、一見「良心的」な無数のスペシャリストたちの生きざまの中に胚胎している、ささやかな〈悪〉の巨大な〈連鎖〉によってひき起こされてゆくのではないか。そして、そういう何でもないように見える不透明な悪の芽というものは、実は、私たち現代人のすべての者の内部に大なり小なり秘められており、その本体を見極め、それに戦慄をおぼえ、その内なる悪と真にたたかうことは、私たちにとって、最も困難な仕事ではないのか。

 それが、太宰治の直面した課題だった。

 義時によって象徴されるこの〈悪〉のかたちは、つかまえようと思えばすり抜けてしまうような、きわめて不透明なものであるが、たとえば、次のような「私」の観察と見解にさりげなく込められているといっていい。

 

「またあの元久二年に、時政公は牧の方さまにそそのかされ、重成入道などと謀(はか)り、当時の名門、畠山御一族に逆臣の汚名を着せ、之を誅戮(ちゅうりく)しようとなさった時にも、相州さまは、平気な顔をして御父君に対し、およしなさい、あれは逆臣でありません、と興覚めな事を言って、少しも動こうとなさらず、父君や牧の方さまが何かと猛(たけ)り立って興奮すればするほどいよいよ冷静におなりになって、あれは逆臣でありません、畠山父子は共に得がたい忠臣ですよ、ばかな真似はおやめなさい、何をそんなに血相をかえて騒いでいるのです、みっともない、などとずけずけいやな事を申すので、牧の方さまはとうとう泣き出して、なんぼう私が継母(ままはは)だからとてそんなに私をいじめなくてもいいではないか、継母というものはそんなに憎いものですか、いや、憎いだろう、憎いであろう、これまでも何かにつけて私ひとりを悪者にして、いったいどこまで私を苦しめるおつもりか、たまには私にも親孝行の真似事でもいいからして見せておくれ、と変な事を口走る始末になったので、若い相州さまは、苦笑して立ち上り、じゃまあ、こんど一度きりですよ、と言って畠山御一族討伐に参加なされたとかいうお話でございます。普通のお人の場合では、一度きりですよ、とは言っても、またさらにもう一度と押してたのまれると、だから前に一度きりと断って置きましたのに、仕様がないな、などと言いながらも渋々また応ずるものでございますが、相州さまの場合には決してそのような事はなく、一度きりと言えばまさにそのとおりに一度きり、冗談も何もなく、あとはぴたりとお断りになるのでございます。その証拠には、すぐつづいて時政公が、またも牧の方さまにそそのかされ、当将軍家弑逆(しいぎゃく)の大それた陰謀をたくらんだ時には、もうはじめっから父君、義母君を敵として戦い、少しの情容赦もなくそのお二人の御異図を微塵に粉砕し、父君をば鎌倉より追放なされ、継母の牧の方さまには自害をすすめて一命をいただいておしまいになりました。その御性格には優柔不断なところが少しもなく、こわいくらいに真面目に正確に御処置なさってしまうのでございます。(中略)少しも間違った御態度ではなく、間違いどころか、まことに御立派な、忠義一途の正しい御挙止のように見えながらも、なんだか、そこにいやな陰気の影があるような心地がいたしまして、正しさとは、そんなものでない、はっきり言えませぬが、本当の正しさと似ていながら、どこか全く違うらしい、ひどく気味の悪いものがあるような気がするのは、私だけでございましょうか。」

 

 北条時政の後妻牧の方が自害させられたというのは太宰のデフォルメで、実際には、政子・義時姉弟のクーデターによって、時政共々伊豆に隠退させられたらしい。もっとも、実朝を廃し、その代わりに将軍に据えようとはかったといわれる牧の方の娘婿平賀朝雅は、まもなく京都で殺されている。『吾妻鏡』の元久二年の記事には、なぜか、時政失脚後の牧の方の消息が全く記されていないので、太宰は、義時の性格から判断して、てっきり自害させられたものと推測したのであろう。

 しかし、そういう事実の誤認は、ここでは大して重要なことではない。肝心なのは、『吾妻鏡』にも記されているように、畠山重忠の潔白を主張し、一度は父親を諫めておきながら、継母にゴネられただけで易々と討伐の大将に豹変するような北条義時の人間性の不気味さである。しかも、彼は、重忠を殺害した後でさえ、その無実を時政に主張してゆずらない。この時代、武士社会における親の権威はたしかに絶大なものがあったが、それにしても、長年姉の政子と冷ややかな関係にあり彼女とさほど年も違わぬ継母のいいなりになるような、しおらしい人物とは、到底思えないのである。そんなけなげな親孝行者ならば、父や継母と、二か月間にもわたって軍事的な一触即発のにらみ合いを続けたあげく、姉と共にクーデターを引き起こしてふたりを追放するような措置を講ずるはずがない。

 畠山重忠の人柄の廉直さを知りながら平然と彼を殺戮できる義時という人物は、たとえそれがどんなに非道なことであっても、必要とあらば、敢えて鼻をつまんでさっさと事務的に片付けてしまうことのできる人間であるようにおもえる。

 ここには、太宰治が、生涯を通じて凝視し続けた〈近代悪〉の不透明な本質が象徴されている。それは、本質的に「鈍感な」人間たちのもたらす〈悪〉のかたちだといってよい。

 畠山一族を滅ぼす際に、親子の義理のために仕方なしに協力する義時は、人並みの肉親の情や世間的な義理は備えているが、本当は、きわめて冷ややかな情しかもってはいない。制度的な規範の中で与えられた社会的な〈役割〉の内に、己れ自身のアイデンティティーを完全に解消しうるような人間であるようにおもえる。

 義時は、鬱病親和気質の強い、謹厳実直なエリートであるが、病理の〈本体〉は、彼のそういう真面目さにあるのではない。

 この人物の不気味さは、〈血〉のぬくもりを通じた人との生ける〈接触〉のできぬタイプだという点にある。

 政子には、夫頼朝の浮気のために嫉妬で荒れ狂うような〈血〉の熱さがある。しかし、義時には、そういう血の通った人間らしいぬくもりや切なさの匂いは微塵も無い。

 常に、〈観念〉と〈規範〉のフィルターを通して他者と関わり、世俗に対処し、徹頭徹尾の「リアリスト」であり、「現世主義者」である。

 真の倫理を可能ならしめ、他者や世界との真の〈生身〉の接触を可能ならしめる、人の子としての原初的な〈渇き〉や〈痛覚〉というものの欠落した人間なのだ。

 こういう人間たちは、本質的には決して「傷つかない」し、常に良心の「免罪符」というものを持っている。しかも、はなはだ「悪気の無い」好人物ですらありうる。

 太宰治が『新ハムレット』で「新型の悪」として造型した「クロージヤス」や、「後期」の作品『家庭の幸福』で見据えた「官僚悪」の世界に通じる類型だといっていい。

 こういう人間は、本当は、誰とも心を通わすことのできないままに、無機的な〈断片〉のように冷ややかな〈観念〉と〈制度〉の海の中に浮遊しているにすぎないのだが、そういう己れ自身の孤立した生きざまを「孤独」だと感じることさえできない。

〈生身〉の寂寥感を〈痛み〉として感じ取る能力というものが、初めから完璧に封じられているからだ。

 義時は、ひたすら幕府と将軍の安泰のために、敢えて、冷徹で果断な合理性を発揮して、実朝の愛顧深かった武骨で忠義一徹の老臣和田義盛とその一族を挑発し、容赦無く全滅させてしまうが、その乱の二ヶ月後に開かれた歌会のありさまを、「私」は次のように描写している。

 

「相州さまも、その頃は故左衛門尉義盛さまのお跡を襲ってこのたびは侍別当をも兼ね、いきおい隆々たるもので、けれども決してあらわには高ぶらず、かえって頭を低くなされて、私ども下々の者にも如才なく御愛嬌を振撒(ふりま)き、将軍家に対しては、また別段と、不自然に見えるくらいに慇懃鄭重(いんぎんていちょう)の物腰で御挨拶をなされ、将軍家もまた、以前にくらべると何かと遠慮の、お優しいお言葉で相州さまに応対なさるようになり、うわべだけを拝見するとお二人の間は、まえにもまして御円満、お互いにおいたわりなされ、お睦(むつまじ)げでございまして、そのとしの七月七日に、仮御ところに於いて、合戦以来はじめての和歌御会がひらかれました時にも、めずらしく相州さまがその御会に御出席なされ、松風は水の音に似ているとか何とかいう、ほんの間に合せ程度の和歌を二つ三つお作りなさったりなど致しまして、どなたも感服なさいませんでしたが、将軍家だけはそのようなお歌をもいちいちお取上げになり、さすがに人間の出来ているお方はお歌もしっかりして居られる、とまんざら御嘲弄でもなさそうな真面目の御口調でおほめになりまして、なるほどそうおっしゃられて見ると、相州さまのお歌は、松風は水の音にしても、また鶉(うずら)が鳴いて月が傾いたとかいう歌にしても、なんでもない景物なのに相州さまがおよみになると、奇妙に凄いものが感ぜられない事もないような気もいたしまして、まことに相州さまというお人は、あやしいお人柄の方でございます。」

 

 相州の歌云々については、もちろん、作者の虚構ではあるが、ここには、義時のようなタイプの人物の眼に映るであろう世界風景の酷薄な感触というものが、太宰治特有の反リアリズム文学的な視線によって、さりげない形で鮮やかにすくい取られている。

 義時の和歌は、あるがままの景物をあるがままの景物としてうたい、一切の私情や感興を削ぎ落とした〈客体〉としてのモノそれ自体の、非情でリアルな光景を淡々と描写したものだ。こういう視線には、伝統的な自然詠の風土的な潤いも、アララギ派的な生活苦に即した苦吟や感傷や自虐も無縁だ。そこに漂うのは、己れ自身の〈身体〉すらひとつの〈モノ〉として客体化しうるような冷やかで無機的な地上的リアリズムの匂いだけである。(この稿続く)

 

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