「中期」太宰治の変容―表現と実生活をめぐるアポリア―(連載第4回) 川喜田八潮

  • 2017.07.21 Friday
  • 18:20

     

     5

 

 しかし、昭和十六年の『新ハムレット』になると、すでに、太宰の生活思想には、重大なほころびが顕われ始める。

 ハムレットの、「言葉」にのみ「真実」を認め、言葉の無いところには真の「愛」も無いとする理念は、「前期」太宰の〈関係の障害感〉と表裏する芸術至上主義的理念と同じものであり、実生活と表現の〈均衡〉の崩れが明瞭に見てとれるのである。

「愛は言葉だ。言葉が無くなれや、同時にこの世の中に、愛情も無くなるんだ。愛が言葉以外に、実体として何かあると思っていたら、大間違いだ。」というハムレットの言いぐさは、「前期」太宰治の『創生記』に見られる「愛は、言葉だ」という言い回しと重なるものであり、何度ふり返っても、恐ろしい危うさを感じさせる箇所である。

 この理念は、ほんとうは、微妙に異なる次の二つの次元に向かってひらかれている。

 

(一)ひとつは、己れの関係意識の障害感を、言葉の力=芸術が紡ぎ出す身体イメージ(痛覚や渇き)の生々しい喚起力によって、そのつど超えてゆこうとする営み、すなわち、言葉を通じて、未知の〈縁〉ある他者に向かって、そのつど懸命に「架橋」を試みようとする、〈文学〉へのまっとうな契機を示すものである。

 あるいは、より実生活に即して言うなら、縁ある個々の他者や家族に対して、真に生きた〈関係〉を生み出すための、真正の「言葉」が必要だという覚悟性を示すものである。

 

 ここまでならば、何の問題もないのだが、恐ろしい悲劇は、ここからさらに一歩を進めた誤謬の場所にあるのだ。

 

(二)つまり、言葉というものを、単なる文学(表現)の契機(あるいは「生ける接触」の契機)にとどめずに、「この世で真実なのは言葉だけだ」(「言葉の無いところには、生きた関係も無い」)という主張にまで昂進させるとしたらどうなるか。

 

 こういう理念に本気でとりつかれると、現実の生身の人間関係の瞬時瞬時のダイナミックな不可視の手触りというものが次第に見失われ、生ける日常の物語が封じられて、硬直した単調なひとつの図式によって風景が置き換えられてしまう。すなわち、現実というものが、荒涼とした無機的な砂漠のようなしろものに固定させられてしまうのだ。

〈沈黙〉のふくらみ、人間関係の背後に横たわるはずの、生の身体的な奥行き、生きた呼吸のぬくもりというものが、ひとつのバカげた、薄っぺらな〈観念〉の構えによって封じられてしまうからだ。

「言葉が発せられない時は何も無い」「言葉が発せられて、はじめてそこに愛や真実が宿る」といった、もっともらしいウソッぱちの理念は、〈関係の障害感〉に根ざした、無機的で冷えきった対人感覚を不当に増幅させるものであり、また、身体中を容赦なく蝕んでゆく虚無の裏返しでもある。

「言語」至上主義、「芸術」至上主義とは、その極限のあり方においては、〈生身〉の現世的幸福への徹底的な断念と底知れぬ憎悪の裏返しに他ならない。

 こういう理念を、何の疑いもなく、全身的な叫びとして発することができるようになった時、その人間の現実風景は、完全に虚無一色に塗りつぶされたものとなっている。

「前期」の太宰はそうであったし、「中期」の太宰の苦闘は、その暗黒へのたたかい=生身の蘇生の試みとして開始されたはずであった。

 自分とはどこまでも異質な、未知なる他者との、瞬時瞬時の〈関係〉への架橋ないし修復への、緊迫した努力の産物。それが、『富嶽百景』から『きりぎりす』『東京八景』の頃までの「中期」太宰「前半」の力わざであった。

 だが、太平洋戦争前夜の昭和十六年頃を境に、彼の試みは、明らかに解体の〈兆し〉を見せ始めたのである。魂は〈均衡〉を失い、身体は徐々に〈虚無〉に蝕まれつつあった。

『新ハムレット』には、その兆しがはっきりと認められるのだ。

 

 この作品のハムレットは、母親や恋人や周囲の人間たちの愛情を〈生身〉の手ごたえをもって「実感」することができない。いわば、太宰の「人間失格」的位相を、悲喜劇的に拡大したものとなっている。自己をあざむき、他者を日々裏切りつつ平然と笑って生きられる俗世間の人間たち、相対的な心理の推し測りや駆け引きで対人関係を処理する市民社会型の人間たちからはじき返され、泥沼のような神経症的な関係意識に苛まれて、悶々と孤独地獄のうちにもがき苦しむハムレット像は、『斜陽』の直治や『人間失格』の葉蔵のような「後期」太宰作品の主人公たちにそのままつながるものである。

 ハムレットの「愛は言葉だ」という「言語」至上主義的な表現理念は、この現実の「人間失格」的な障害感、虚無感の裏返しになっているのだ。

 ただし、『新ハムレット』では、まだ、ハムレットに対するオフィリヤの言葉の中に、〈沈黙〉のもつ言語的意味性の重さ、実生活上の身体的言語のふくらみ、〈行為〉の奥行きのもつ意味の重要性への認識は、かろうじて、保たれているといっていい。

 自分を愛してくれるどんなに身近な存在でも、「あんまり、はっきり割り切れた気持で涼しく生きている」兄や父親に対しては、「何でも打ち明けて語ろうという親しい気持」は起こらないが、ただ一人ハムレットに対してだけは心を許すことができるという、オフィリヤの視線に、それが表われている。

 オフィリヤは、ハムレットの、「めめしく」て、いつも「いらいら」して、ひとりよがりに呻いたり当たり散らしたりしている、神経症的で幼児的なふるまいに閉口しながらも、同時に「だだっ子」のような彼の姿に、なんとも言い表わしがたい愛情を感じている。

「あんなお方は、世界中に居りません。どこやら、とても、すぐれたところがあるように、あたしには思われます。いろいろな可笑(おか)しな欠点があるにしても、どこやらに、神の御子のような匂いが致します。」

「あたしの言葉は、しどろもどろで、ちっとも筋道がとおらないかも知れませんが、でも、心の中のものは、ちゃんと筋道が立っているのです。その、心の中の、まんまるいものが、なんだかむずかしくて、なかなか言葉で簡単には言い切れないのです。」

 こういうオフィリヤの言葉には、関係の障害感に根ざしたハムレットの虚無的な世界風景や、それと表裏する「言語」至上主義(芸術至上主義)を、鮮やかに相対化するだけのまなざしが息づいている。

 しかし、それにもかかわらず、この作品における作者のハムレット像への思い入れの強さは、この時期の太宰の、実生活と表現の〈均衡〉の崩れへの〈兆し〉を明瞭に暗示するものであった。

 

     6

 

 この崩れは、昭和十六年の末に発表された『風の便り』になると、さらに鮮明に浮き彫りになってくる。

 この作品は、太宰治自身の分身である「木戸一郎」という無名作家と、彼がかつて深い影響を受けたことのある十五歳年上のベテラン作家「井原退蔵」(おそらく井伏鱒二がモデルであろう)の書簡のやりとりから成り立っている。この小説には、表現の〈衝迫〉のありかを見失いつつあった当時の太宰の苦悶がよくにじみ出ている。

 それまで努めて「自分の掌で、明確に知覚したものだけを書いて」きたという、誠実な作家の木戸一郎が、もはや「嘘の無い感動」がどこにも見出せなくなり、書こうとしてもどうしても書けなくなってしまった苦しみを、敬愛する大家の井原退蔵に切々と訴えるのだが、井原には、どうしてもその苦悩の何たるかが理解できず、見当違いのアドバイスばかり送ってよこして、かえって木戸をいらいらさせる。その食い違いが、何ともユーモラスに、悲喜劇的に描かれている。

 井原の手紙から一部を引用してみる。

 

「自分は、君の無意識的な独り合点の強さに呆れました。作品の中の君は単純な感傷家で、しかもその感傷が、たいへん素朴なので、自分は、数千年前のダビデの唄をいま直接に聞いているような驚きをさえ感じました。自分は君の作品を読んで久し振りに張り合いを感じたのです。(中略)自分には、いつも作品だけが問題です。作家の人間的魅力などというものは、てんで信じて居りません。人間は、誰でも、くだらなくて卑しいものだと思っています。作品だけが救いであります。仕事をするより他はありません。君の手紙を読むと、君は此頃ひどく堕落しているという事が、はっきりわかります。(中略)君は作品の誠実を、人間の誠実と置き換えようとしています。作家で無くともいいから、誠実な人間でありたい。これはたいへん立派な言葉のように聞えますが、実は狡猾な醜悪な打算に満ち満ちている遁辞です。君はいったい、いまさら自分が誠実な人間になれると思っているのですか。誠実な人間とは、どんな人間だか知っていますか。おのれを愛するが如く他の者を愛する事の出来る人だけが誠実なのです。君には、それが出来ますか。いい加減の事は言わないでもらいたい。君は、いつも自分の事ばかりを考えています。自分と、それから家族の者、せいぜい周囲の、自分に利益を齎(もた)らすような具合いのよい二、三の人を愛しているだけじゃないか。もっと言おうか。君は泣きべそを掻くぜ。『汝ら、見られんために己が義を人の前にて行わぬように心せよ。』どうですか。よく考えてもらいたい。(中略)君の手紙だって同じ事です。君は、君自身の『かよわい』善良さを矢鱈(やたら)に売込もうとしているようで、実にみっともない。君は、そんなに『かよわく』善良なのですか。御両親を捨てて上京し、がむしゃらに小説を書いて突進し、とうとう小説家としての一戸を構えた。気の弱い、根からの善人には、とても出来る仕業ではありません。敗北者の看板は、やめていただく。(中略)君は慾張りです。一本の筆と一帖の紙を与えられたら、作家はそこに王国を創る事が出来るではないか。君は、自身の影におびえているのです。君は、ありもしない圧迫を仮想して、やたらに七転八倒しているだけです。滑稽な姿であります。書きたいけれども書けなくなったというのは嘘で、君には今、書きたいものがなんにも無いのでしょう。書きたいものが無くなったら、理窟も何もない、それっきりです。作家が死滅したのです。救助の仕様もありません。」

 

 この作品で太宰は、キリスト的な自己犠牲の理念に強引に滅私的にのめり込むことで、作品創造の新たな情熱をかき立てようとしている木戸一郎の観念的な場所を、井原退蔵の眼を通して批判的に見つめると同時に、あるがままの俗世の人間の〈卑しさ〉をリアルに踏まえ、「芸術至上主義」に居直る〈大人〉の井原の場所を、木戸の眼を通して相対化してゆく。

 井原の論理は、どうせ人間という生き物は、生きてゆこうとおもえば卑小なエゴイストでしかありえないのだから、現実の世俗の人間に妙な〈思い入れ〉をもったり、己れの人間的な〈誠実さ〉を追い求めたりするのは、幼稚な馬鹿げた悪あがきにすぎず、だからこそ、作家は、現実とは次元を異にする、作品世界という純粋な〈虚構〉の上に、彼岸的な憧憬や美の砦を創り上げることができるのだ、というダンディズム的な表現理念として展開されている。

 こういう芸術至上主義の論理に自足できる人種には、正確には二種類のタイプがあるといっていい。

 ひとつは、既に述べたように、現世への底知れぬ〈憎悪〉と〈絶望〉を胸中深く秘めたタイプ、すなわち、真の反現世的な狂気に憑かれた不幸で偏執的な芸術家のタイプである。

 もうひとつは、エゴイストでしかありえない現世の人間たちの生きざまに、何の〈恐怖〉も感じず、自らも、その一員として、適当に生活を享楽しながら、大人的にドライに世俗の諸問題を処理しつつ、現世では満たしえない己れの深層の〈渇き〉に、〈虚構〉としての美の表現を与えてゆこうとするタイプである。

 この後者の人種は、芸術を自分の「仕事」と割り切って、実生活の一部として抵抗なく組み込み、実生活者としても自信に満ち溢れた〈肉体〉をもっており、井原退蔵は、このタイプに属している。

 井原は、木戸一郎の倫理的なもがきを、ただのポーズにすぎないと決めつけて嘲笑しているが、それは、木戸の倫理的な〈渇き〉の実体が、世俗的な善悪の規範などで測ることのできないような、凄まじい天上的な狂気をはらんだものであることがまるで視えていないからだ。つまり井原は、木戸の〈生き難さ〉の実感というものがまるでわかっていない。

 木戸(太宰)のような人間の眼に映る虚無的な日常風景の位相は、井原(井伏)のような、すこやかでタフな生活人には、縁遠いものであり、その分だけ、井原にとって芸術は、生活の一部であり、延長であり、過不足無く身丈に合った、最も純化された〈日常〉でもあり得る。

 木戸(太宰)にとって、そういう井原(井伏)の場所は、一面では、及びがたく、まぶしいものであり、それゆえにまた、どうしようもなくうとましいものでもある。

〈日常〉にとどまりながら、繰り返し、〈日常〉を離脱(超越)しようとすることで、かろうじて、まっとうな生活者たりえていた、当時の太宰のアクロバティックな力わざは、実生活と芸術を二元的に分離して器用に「使い分ける」井原のような、健康な芸術至上主義者には決してわからない。

「あなたはいつでも、全身で闘っている。全身で遊んでいる。そうして、ちゃんと孤独に堪えている。私は、あなたを、うらやましく思います。/いかに努めても、決して及ばないものがある。猪と熊とが、まるっきり違った動物であるように、人間同志でも、まるっきり違った生きものである場合がたいへん多いと思います。」という木戸の言葉には、両者の生きざまの隔絶の大きさがまざまざと表われている。

 作品の最終部で、木戸一郎は、旧約聖書の「出エジプト記」の一部を小説に仕上げる構想を披瀝し、同時に、井原への〈訣別〉の言葉を吐いている。

 

「『出エジプト記』を読むと、モーゼの努力の程が思いやられて、胸が一ぱいになります。神聖な民族でありながらもその誇りを忘れて、エジプトの都会の奴隷の境涯に甘んじ貧民窟で喧噪と怠惰の日々を送っている百万の同胞に、エジプト脱出の大事業を、『口重く舌重き』ひどい訥弁(とつべん)で懸命に説いて廻ってかえって皆に迷惑がられ、それでも、叱ったり、なだめたり、怒鳴ったりして、やっとの事で皆を引き連れ、エジプト脱出に成功したが、それから四十年間荒野にさまよい、脱出してモーゼについて来た百万の同胞は、モーゼに感謝するどころか、一人残らずぶつぶつ言い出してモーゼを呪い、あいつが要らないおせっかいをするから、こんな事になったのだ、脱出したって少しもいい事がないじゃないか、ああ、思えばエジプトにいた頃はよかったね、奴隷だって何だって、かまわないじゃないか、パンもたらふく食べられたし、肉鍋には鴨と葱がぐつぐつ煮えているんだ、こたえられねえや、それにお酒は昼から飲み放題と来らあ、(中略)荒野に於ける四十年の物語は、このような奴隷の不平の声で充満しています。モーゼは、けれども決して絶望しなかったのです。鉄石の義心は、びくともせず、之(これ)を叱咤し統御し、ついに約束の自由の土地まで引き連れて来ました。モーゼは、ピスガの丘の頂きに登って、ヨルダン河の流域を指差し、あれこそは君等の美しい故郷だ、と教えて、そのまま疲労のために死にました。四十年間、私は奴隷の一日として絶える事の無かった不平の声と、謀叛、無智、それに対するモーゼの惨澹たる苦心を書いて居ります。是非とも終りまで書いてみたいのです。なぜ書いてみたいのか、私には説明がうまく出来ませんが、本当に、むきになって、これだけは書いて置きたい気がしています。」

「たとい、どんな小さな感動でも、それを見つけると私は小説を書きたくなったものですが、このごろ私の身辺にちっとも感動が無くなって完全に一字も書けなくなっていたところを聖書が救ってくれました。私には何も、わかりません。世の中の見透しなども出来ません。私は貧しい庶民です。けれども自分ひとりの感動の有無だけは、いつでも正直に表現していたいと思っています。私は、エホバを畏れています。」

「お酒を飲まないと、夜、寝てから淋しくてたまりません。地の底から遠く幽かに、けれどもたしかに誰かの切実の泣き声が聞えて来て、おそろしいのです。」

「あなたのところへ、こんな長い手紙を差し上げるのも、これが最後かと思われます。あなたに対する一すじの尊敬の心は絶えず持ちつづけているつもりでありますが、あなたを愛し、或いは、あなたに甘える事が出来なくなりました。なぜだか出来なくなりました。私は、あなたの路とはっきり違う路を歩きはじめているようです。あなたは、美しい作家です。水蓮のように美しい。私はその美しさを一生涯わすれる事が無いでしょう。けれども私は、その水蓮の咲いている池から、少しずつ離れて行きます。私は、面(おもて)を伏せて歩いているけもののようです。私には美学が無いのです。生活の感傷だけです。私は、これから、いよいよ野暮な作品ばかり書いて行くような気がします。なんだか、深く絶望したものがあります。」

 

 ここには、実生活と表現の微妙な均衡を解体しつつ、自らの身体を敢えて天上的な倫理への滅私的な忠誠に追いやることで、かろうじて創作の情熱を再燃させようとしていた、当時の太宰治の切ないもがきがにじみ出ているようにおもう。

「出エジプト記」におけるモーゼの努力に共感し、徒労を百も承知の上でそれに「同化」しようとする木戸一郎=太宰治は、明らかに、「世間」「社会」「一般大衆」という、己れ自身と真っ向から敵対する巨大な〈抽象物〉に向かって、自らを観念的にひらき、強引に「架橋」せんとする焦慮に身悶えしている。

 実生活と表現の均衡は不可視の形で崩れつつあり、〈表現〉はもはや、単に自らの実生活を支え、賦活する、つつましい「一手段」にはとどまらず、「世間」「社会」「国家」という化け物に向かって「物申す」倫理的な大言壮語の位相へと無意識のうちに拡大し、重心を移しつつあるとみていい。

 かつて、『駈込み訴え』(昭和十五年発表)で、キリストの倫理的な〈観念性〉を鋭く批判し、俗人ユダの〈生身〉の苦しみを擁護しえた中期太宰の、あの鮮やかな〈生活人〉のまなざしを徐々に解体させつつある姿が、ここには、はっきりと浮き彫りにされている。

 そして、かつてのつつましい生活者的位相に代わって、「おのれを愛するが如く、汝の隣人を愛せよ」という、他者とのキリスト的な一体感とそれを支える自己犠牲の観念が、大衆的(国民的)な〈当為〉としての理想として、新たに前面に浮上してくる。

 当時の日本国民の、天皇制共同体国家への一心同体的なのめり込みへと昂進する幼児退行的な幻想は、このキリスト的観念と見事に波長が合うものだった。

 日米開戦直後の作品『新郎』『十二月八日』以後の、太宰の透明で素朴な力強さをもつナショナリズムへの全身的な傾斜が、ここに始まる。(この稿続く)

 

 

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芥川龍之介と闇(連載第6回) 川喜田八潮

  • 2017.07.20 Thursday
  • 13:28

 

     14

 

 芥川は、この世の不条理と生き地獄を凝視し続ける己れの文学的な営みによって、魂の〈渇き〉を癒すことはできなかった。

「侏儒の言葉」の次の箴言(しんげん)は、彼の〈資質〉が強いられた宿命的な不幸のありかを端的に語っている。

 

「最も著しい自己嫌悪の徴候はあらゆるものに(うそ)を見つけることである。いや、必しもそればかりではない。そのまた譃を見つけることに少しも満足を感じないことである。」(「自己嫌悪」)

 

「侏儒の言葉」の中で、「わたしは神を信じていない。しかし神経を信じている。」(「或物質主義者の信条」)、「わたしは良心を持っていない。わたしの持っているのは神経ばかりである。」(「わたし」)とか、「古来熱烈なる芸術至上主義者は大抵芸術上の去勢者である。ちょうど熱烈なる国家主義者は大抵亡国の民であるように――我我は誰でも我我自身の持っているものを欲しがるものではない。」(「芸術至上主義者」)と語ったこの作家が、己れの文学的営為を通して支払わされた痛ましい〈代償〉の本質について、無自覚であったとは思えない。

 彼の言う「神経」とは、もちろん、〈意識〉もしくは〈自意識〉と言いかえてもよい。

 芥川の場合、対象への理知的な〈意識〉をもつことは、そのまま、対象と己れ自身との関係・距離を明晰に「意識」すること、すなわち〈自意識〉をもつことと同義であるといっていい。

 したがって、〈意識〉の領域が細分化し、拡大することは、そのまま、〈自意識〉が細分化し、肥大化することと同義となる。

「わたしの持っているのは神経ばかりである」というのは、晩年期の芥川が、〈自意識〉と関係づけられた〈意識〉の力によって、己れの精神の全領域を統御せんとするデモーニッシュな意志にとりつかれていたことを示す言葉であるといっていい。

 しかし同時に彼は、そのような知的な統御への意志が少しも真の満足をもたらさず、幸福への希いとは対極にあることを痛感していた。

 人間という、浅ましく度しがたい生き物の多種多様な生態や動機の内に潜む普遍性を、ニュートラル(没価値的)な立ち位置から、俯瞰するようにクールに認識し、見切ることによって、あらゆる信や倫理や価値を相対化し、脱構築してみせたとしても、すなわち、あらゆるものに〈嘘〉を見つけてみせたとしても、そこには、真の心の平安も生の充溢もあり得ないことを、晩年の芥川は、身に沁みて感じていた。

 彼がそこに見出したのは、神経の固まりと化した、すなわち肥大化した意識及び自意識の化け物となった観念的な人間としての自分、身体的にはいわば〈脱け殻〉と化して虚無の波間に漂う、はかなげな幽体のような自分の姿であった。

 絶えざる創作行為によって、神経を痙攣的に刺激し続けることで、晩年の芥川は、かろうじて、己れの命を、生につなぎ止めていた。

「歯車」「或阿呆の一生」と並ぶ遺稿「闇中問答」には、次のような対話が記されている。

 

 或声 お前は何をしているのだ?

 僕 僕はただ書いているのだ。

 或声 なぜお前は書いているのだ?

 僕 ただ書かずにはいられないからだ。

 或声 では書け。死ぬまで書け。

 僕 勿論、――第一そのほかに仕かたはない。

     (中略)

 或声 お前は何もかも承知している。

 僕 いや、僕は承知していない。僕の意識しているのは僕の魂の一部分だけだ。僕の意識していない部分は、――僕の魂のアフリカはどこまでも茫々と広がっている。僕はそれを恐れているのだ。光の中には怪物は棲まない。しかし無辺の闇の中には何かがまだ眠っている。

     (中略)

 或声 では俺を誰だと思う?

 僕 僕の平和を奪ったものだ。僕のエピキュリアニズムを破ったものだ。僕の、――いや、僕ばかりではない。昔支那の聖人の教えた中庸の精神を失わせるものだ。お前の犠牲になったものは至る所に横(よこた)わっている。文学史の上にも、新聞記事の上にも。

 或声 それをお前は何と呼んでいる?

 僕 僕は――僕は何と呼ぶかは知らない。しかし他人の言葉を借りれば、お前は僕等を超えた力だ。僕等を支配するDaimônだ。

 或声 お前はお前自身を祝福しろ。俺は誰にでも話しには来ない。

 僕 いや、僕は誰よりもお前の来るのを警戒するつもりだ。お前の来る所に平和はない。しかしお前はレントゲンのようにあらゆるものを滲透して来るのだ。

 或声 では今後も油断するな。

 僕 勿論今後は油断しない。ただペンを持っている時には………

 或声 ペンを持っている時には来いと云うのだな。

 僕 誰が来いと云うものか! 僕は群小作家の一人だ。また群小作家の一人になりたいと思っているものだ。平和はそのほかに得られるものではない。しかしペンを持っている時にはお前の俘(とりこ)になるかも知れない。

     (中略)

 僕 (一人になる。)芥川龍之介! 芥川龍之介、お前の根をしっかりとおろせ。お前は風に吹かれている葦だ。空模様はいつ何時(なんどき)変るかも知れない。ただしっかり踏んばっていろ。それはお前自身のためだ。同時にまたお前の子供たちのためだ。うぬ惚れるな。同時に卑屈にもなるな。これからお前はやり直すのだ。

(「闇中問答」)

 

 最後の最後まで、理知=意識という武器、自意識という武器を手放すことができなかったこの作家の痛ましさが、ひしひしと伝わってくる。

 特に、「僕の意識しているのは僕の魂の一部分だけだ。僕の意識していない部分は、――僕の魂のアフリカはどこまでも茫々と広がっている。僕はそれを恐れているのだ。光の中には怪物は棲まない。しかし無辺の闇の中には何かがまだ眠っている。」という言葉に注目したい。

 死の直前の芥川が、意識の統御などをはるかに凌駕する、不可知で広大無辺な〈無意識〉の領域に対して、きちんとした〈畏怖〉の心を取り戻していたことは、疑い得ない。

 人間存在をつかさどる力の源泉、すなわち魂の中心が、意識や意識を生み出す脳などに在るのではなく、本当は、個に宿りながら個の身体を超えて拡がる〈無意識〉の、生命的な〈闇〉のダイナミズムの内に在ること。

 人が生気を取り戻し、自己欺瞞なしに未知なる人生に真に真向かえるためには、〈生活〉という営みを通して、その無意識の〈闇〉の次元に、無心に素直に〈身体〉をひらいてゆくしか道はあり得ないこと。そのことで、生存感覚の脱皮と自我の再構築へと導かれること。

 そういった、〈非知〉の領域への身体的な真向かい方、心身一如的な認識のかけがえのなさというものに、並外れた生き難さを抱えた、この繊細で明敏な知性をもつ作家は、死の間際に、どこかで気付いていたのかもしれなかった。

「群小作家の一人になりたい」という芥川の悲鳴の裏には、理知による生の統御などから解放された、ただの〈生活者〉として、人生という〈自然〉に身を任せたいという痛切な希いが透けて視える。

 だが、近代知識人的な彼の意識を覆っていた〈観念〉のフィルターは、統御不能な不可知なる闇に対する〈恐怖〉によって、彼の身体をこわばらせ、萎縮させてしまっていた。

 その既成観念のいましめから己れ自身を解き放ってやるだけの気力、獰猛な野性は、すでに、晩年の芥川には失われていたのである。

 彼の〈自意識〉はあまりにも細分化し、過敏にふるえる神経繊維の束のようなものと化し、芸術という名の偏執的な観念の〈砦〉は、彼の心身を拘束し、呑み込み、やつれさせてしまっていた。

 

     15

 

 私には、芥川龍之介の悲劇は、彼とほぼ同時代を生きたフランツ・カフカのたどった地獄と重なって視える。

 カフカの晩年期の短篇小説「断食芸人」は、不自然きわまる断食のために痩せ衰え、檻(おり)の中で無理解な観衆の「見世物」になりながらも、己れの唯一の特技である〈断食芸〉への孤独なプライドと妄執のために、敢えて不条理な枯死への道を択び取る、ひとりの意固地な芸人の姿を、乾いた酷薄な筆触で容赦なく描破してみせた鬼気迫る作品である。

 その物語的なメタファーのシンプルな力強さは、優に、彼の最高傑作「変身」に匹敵するといっていい。

 断食芸人は、死の間際に、サーカス一座の監督に向かって、自分がなぜ〈断食芸〉という自己破壊的な不幸な技に固執せざるをえなかったのかという、芸への〈衝迫〉の出所を告白する。

 彼はただ、「自分に合った食べものを見つけることができなかった」だけであって、「もし見つけていれば、こんな見世物をすることもなく、みなさん方と同じように、たらふく食べていたでしょうね」と言い残すのである。(「断食芸人」池内紀訳)

 私には、この断食芸人の言葉は、ひとつのメタファーとして受け取るなら、そのままフランツ・カフカや芥川龍之介の生きざまに当てはまるようにおもわれる。

 断食芸人が葬られた後、彼の居たサーカスの檻には、代わりに一匹の精悍な豹(ひょう)が入れられる。「喉もとから火のような熱気とともに生きる喜びが吐き出されて」いる獰猛な「豹」の姿と対比されることで、断食芸人の強いられた痛ましさの本質が鮮明に浮き彫りにされる。

 もちろん、カフカの小説群は、あまりにも酷薄に乾きすぎていて、芥川の初期から中期にかけての抒情的な潤いのある作風とは全く違う。

 しかし、老醜と崩壊した家族の隠微で冷やかな実相を淡々と描いた、芥川晩年期の最高傑作「玄鶴山房」(昭和二年作)における酷薄なリアリズムはきわめてカフカ的であり、彼らが同質の不毛さの病理を強いられ、同質の地獄にたどり着いたことを、私たちに教えてくれている。

 芥川とカフカの悲劇は、芸術と実生活の〈矛盾〉、精神と身体の〈分裂〉の招いた悲劇であり、神経と観念が身体感覚を痩せ衰えさせ、磨滅させていくことの恐ろしさをまざまざと印象づけるものである。

 もし文学(芸術)という営みが、己れ自身や他者や世界への〈異和〉の感覚を繊細に凝視し、〈表現〉として吐き出すことで、人生の地獄図を紡ぎ出すことに終始するしかないものならば、文学(芸術)とは、必竟、サド・マゾ的な痙攣的刺激による快楽と逃避の産物となるか、さもなくば、生命を蝕み、磨滅させていくだけの緩慢な自殺行為となるか、そのいずれかにしかならないであろう。

〈生き難さ〉の本質をみつめることが、己れの生きる天地をより一層狭め、生存感覚を希薄にし、生き難さをつのらせるだけの悪循環をしか生まないとしたら、何のための芸術であろうか。

 芥川龍之介の表現の軌跡、その豊饒さと不毛さは、こういった表現と実生活をめぐる素朴で原初的な問いかけを、改めて私たちに突きつけずにはおかないのである。(了)

 

*本論考における芥川作品の引用は、以下の全集本による。

 「大川の水」「遺書」(岩波書店版『芥川龍之介全集』)

 「青年と死」「老年」「妖婆」「素戔嗚尊」「大導寺信輔の半生」「侏儒の言葉」

 「誘惑」「歯車」「闇中問答」(ちくま文庫版『芥川龍之介全集』)

 ただし、ちくま文庫版からの引用におけるルビは、適宜筆者が増減した。

 

 

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「中期」太宰治の変容―表現と実生活をめぐるアポリア―(連載第3回) 川喜田八潮

  • 2017.06.26 Monday
  • 16:06

 

     4

 

 ただし、このような太宰の実生活と表現の〈均衡〉に、危うさと不安定さがあったことは否めない。

 彼の希求する文学のもつ〈関係への渇き〉(及び、それと裏返しの関係にある〈生得的な障害感〉)の激しさは、彼自身の生きざま(実生活)を、絶えず〈言葉〉と〈行為〉において塗り変え、家族的な〈物語〉を繊細に紡ぎ、支える基盤となったばかりではなく、自身の周囲を超えて、広く世間へ、社会へと広がろうとする。

 自身と家族とを大海の塵のような心細さに追い込み、翻弄する、得体の知れない、巨大な〈世間〉という、荒々しい脂ぎった生活欲のるつぼのような魔境へとたたかいを挑み、強引に架橋せんとするのだ。

 作品『俗天使』で印象深く語られているように、大衆によって「十字架」にはりつけにされ、満身創痍になりながら、なお「動乱の亡者ども」へ裸身の手をさしのべようとする、ミケランジェロのキリスト像のように、だ。

『女の決闘』は、昭和十四年の末から十五年の五月頃までの間に書かれたと思われるが、この時期には、『駈込み訴え』や『走れメロス』のような中期太宰の珠玉の名作が矢継ぎ早に発表され、太宰の生活者的な肉体のみずみずしさが、最も落ち着いた、安定感のあるかたちをとって文学的に開花している。

 私の考えでは、「中期」前半の、昭和十三年から十六年頃までの太宰治には、まだ、生活者として踏み越えてはならない〈一線〉を越えず、自らのしあわせを守り、〈縁〉のある読者にのみ己れの作品を手渡そうとする、つつましい謙虚さがあった。

 そういう姿勢は、端的にいえば、『富嶽百景』で、「富士」の偉容に対峙して、みじんもゆるがず、けなげにつつましく立っている「月見草」への想いに象徴されるようなものであったし、例えば、『花燭』の主人公「男爵」を批判する青年の次のような言葉にもよく示されている。

 

「失礼ですが、」青年は、かえろうとする男爵のまえに立ちふさがり、低い声で言った。「養うの、ひきとるのと、そんな問題は、古いと思います。だい一あなたには、人間ひとり養う余裕ございますか。」男爵は、どぎもを抜かれた。思わず青年の顔を見直した。「自身の行為の覚悟が、いま一ばん急な問題ではないのでしょうか。ひとのことより、まずご自分の救済をして下さい。そうして僕たちに見せて下さい。目立たないことであっても、僕たちは尊敬します。どんなにささやかでも、個人の努力を、ちからを、信じます。むかし、ばらばらに取り壊し、渾沌(こんとん)の淵に沈めた自意識を、単純に素朴に強く育て直すことが、僕たちの一ばん新しい理想になりました。いまごろ、まだ、自意識の過剰だの、ニヒルだのを高尚なことみたいに言っている人は、たしかに無智です。」

「やあ。」男爵は、歓声に似た叫びをあげた。「君は、君は、はっきりそう思うか。」

「僕だけでは、ございません。自己の中に、アルプスの嶮(けん)にまさる難所があって、それを征服するのに懸命です。僕たちは、それを為しとげた人を個人英雄という言葉で呼んで、ナポレオンよりも尊敬して居ります。」

 来た。待っていたものが来た。新しい、全く新しい次のジェネレーションが、少しずつ少しずつ見えて来た。男爵は、胸が一ぱいになり、しばらくは口もきけない有様であった。

「ありがとう。それは、いいことだ。いいことなんだ。僕は、君たちの出現を待っていたのです。好人物と言われて笑われ、ばかと言われて指弾され、廃人と言われて軽蔑されても、だまってこらえて待っていた。どんなに、どんなに、待っていたか。」

 言っているうちに涙がこぼれ落ちそうになったので、あわてて部屋の外に飛び出した。(『花燭』)

 

「男爵」は、現世に居場所の無い「滅亡の民」という思念に憑かれ、生家や女との関係を自虐的に破壊しながら、ひたすら「死に場所」を求めて、滅私的な〈献身〉の理念にのめり込んでいった「前期」太宰の生々しい傷痕をユーモラスに象徴する人物である。何もかも無くしてぼろぼろになり、無一物の己れの〈肉体〉ひとつになった太宰が、井伏鱒二の仲介で見合い結婚をし、甲府市の街はずれに二部屋だけの小さい家を借りて、一介の職業文筆家としてつつましくゼロからのスタートを切ろうとする。そういう、前期から中期への、ういういしい生活者的な〈転生〉の位相を、この作品は、とても鮮やかにほほえましく象徴している。

 昭和十三年から十五年頃までの太宰は、こういうつつましい生活人としての覚悟性を厳しく握りしめ、「世間」や「社会」といった化け物じみた抽象物に、無防備に己れをひらいてゆくような危うさに陥ってはいなかった。

 例えば、昭和十五年の秋に書かれた『きりぎりす』にも、そういう姿勢は、濁ることなく厳しく張りつめたように流れている。

 世間からも、肉親や周囲の人間たちからも全く理解されず、ただひたすら、己れ自身のためにのみ純粋に作品を創りつづける孤独な貧乏画家の夫とのひっそりとした暮らしぶりに満ち足りたおもいを抱いていた妻が、やがて、画壇に認められて出世し、金が入るようになるにつれて、他人の仕事を常に気にかけ、文化人的な徒党(サロン)を組み、虚栄心のとりこになってゆく夫の〈豹変〉ぶりに恐怖をおぼえ、ついに彼のもとから離れ去ってゆく。

 その心境の推移が、妻の深い喪失感に満ちた語り口を通して淡々と回想されてゆく。

 私たちの誰もが、心のどこかにこびりつかせている俗物根性を強烈に刺し貫き、戦慄をおぼえさせずにはおかない、いかにも太宰らしい秀作である。

 

「私は、或る日こっそり父の会社に、あなたの画を見に行きました。その時のことを、あなたにお話し申したかしら。私は父に用事のある振りをして応接室にはいり、ひとりで、つくづくあなたの画を見ました。あの日は、とても寒かった。火の気の無い、広い応接室の隅に、ぶるぶる震えながら立って、あなたの画を見ていました。あれは、小さい庭と、日当りのいい縁側の画でした。縁側には、誰も坐っていないで、白い座蒲団(ざぶとん)だけが一つ、置かれていました。青と黄色と、白だけの画でした。見ているうちに、私は、もっとひどく、立って居られないくらいに震えて来ました。この画は、私でなければ、わからないのだと思いました。」

「私の家では、あなたの評判は、日が経つにつれて、いよいよ悪くなる一方でした。あなたが、瀬戸内海の故郷から、親にも無断で東京へ飛び出して来て、御両親は勿論、親戚の人ことごとくが、あなたに愛想づかしをしている事、お酒を飲む事、展覧会に、いちども出品していない事、左翼らしいという事、美術学校を卒業しているかどうか怪しいという事、その他たくさん、どこで調べて来るのか、父も母も、さまざまの事実を私に言い聞かせて叱りました。(中略)けれども私は、あなたのところへ行く事に、きめていました。ひとつき、すねて、とうとう私が勝ちました。但馬さんとも相談して、私は、ほとんど身一つで、あなたのところへ参りました。淀橋のアパートで暮した二箇年ほど、私にとって楽しい月日は、ありませんでした。毎日毎日、あすの計画で胸が一ぱいでした。あなたは、展覧会にも、大家の名前にも、てんで無関心で、勝手な画ばかり描いていました。貧乏になればなるほど、私はぞくぞく、へんに嬉しくて、質屋にも、古本屋にも、遠い思い出の故郷のような懐しさを感じました。お金が本当に何も無くなった時には、自分のありったけの力を、ためす事が出来て、とても張り合いがありました。だって、お金の無い時の食事ほど楽しくて、おいしいのですもの。つぎつぎに私は、いいお料理を、発明したでしょう? いまは、だめ。なんでも欲しいものを買えると思えば、何の空想も湧いて来ません。市場へ出掛けてみても私は、虚無です。」

「あなたが急にお偉くなって、あの淀橋のアパートを引き上げ、この三鷹町の家に住むようになってからは、楽しい事が、なんにもなくなってしまいました。私の、腕の振いどころが無くなりました。あなたは、急にお口もお上手になって、私を一そう大事にして下さいましたが、私は自身が何だか飼い猫のように思われて、いつも困っておりました。私は、あなたを、この世で立身なさるおかたとは思わなかったのです。死ぬまで貧乏で、わがまま勝手な画ばかり描いて、世の中の人みんなに嘲笑せられて、けれども平気で誰にも頭を下げず、たまには好きなお酒を飲んで一生、俗世間に汚されずに過して行くお方だとばかり思って居りました。私は、ばかだったのでしょうか。でも、ひとりくらいは、この世に、そんな美しい人がいる筈だ、と私は、あの頃も、いまもなお信じて居ります。その人の額の月桂樹の冠は、他の誰にも見えないので、きっと馬鹿扱いを受けるでしょうし、誰もお嫁に行ってあげてお世話しようともしないでしょうから、私が行って一生お仕えしようと思っていました。私は、あなたこそ、その天使だと思っていました。私でなければ、わからないのだと思っていました。」

 

 ここには、中期前半の太宰が、何を守り抜こうとしていたか、何を魂の拠り所として生死の危うい均衡を保ち続けてきたかが、鮮明ににじみ出ていると私は思う。(この稿続く)

 

 

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芥川龍之介と闇(連載第5回) 川喜田八潮

  • 2017.06.25 Sunday
  • 13:15

 

     13

 

 先に引用した「歯車」の場面の中に、語り手の「僕」がたまたま『罪と罰』の「綴(と)じ違え」のページを開き、しかもそれが、イヴァン・カラマーゾフと彼の分身の「悪魔」が対決するシーンであったという、とても「偶然事」とは思えぬ出来事が出てくる。

 これは、かつてドストエフスキー論(『脱〈虚体〉論――現在に蘇るドストエフスキー』(一九九六))を執筆したことのある私にとって、「歯車」の中でも、ことのほか印象深い箇所の一つである。遺稿となった「歯車」の切迫した文体からいって、この出来事が作り話であるとは到底思えない。まぎれもなく、作者芥川自身の〈実体験〉とみていい。

『カラマーゾフの兄弟』のこのシーンに登場する「悪魔」は、「神の存在を信じたい」と渇望しながら、どうしても信じ切れない無神論者イヴァン・カラマーゾフのひき裂かれた〈無意識〉の象徴である。

 この悪魔は、イヴァンの魂を〈信〉と〈不信〉の葛藤のはざまに投げ込み、いわば「宙吊り」の状態にすることで、信と不信、善と悪、美と醜の間を振り子のように揺れ動くように囲い込んでしまう。イヴァンは、どっちつかずの、永遠に決着のつかない、キリで揉まれるような懐疑・不安の神経症的な苦しみの中で、もがき続けるしかない。

 彼にとって生きる〈手応え〉は、そのひき裂かれた魂の〈痛覚〉の中にしかないのだ。

 それはそのまま、作者芥川龍之介の神経症的な〈分裂〉の苦しみと重なって視える。

〈分裂〉を超える道は、身体感覚の〈変容〉を手がかりとして開示される類的な〈無意識〉の次元との、たしかな〈接触〉の実感による、生存感覚の変容とそれに立脚した新たな〈自我〉の再構築に求められるべきであったろう。

 しかし、理知的・観念的な〈意識〉の行使によって、全てを仕切ろうとする晩年期芥川の身構えの意固地さは、その余地・契機を与えなかった。

〈実生活〉をひたすら醜悪なカオスとみなして怖れる彼は、意識によって統御される〈観念〉の砦によって「第二の現実」を造り上げることで、あるがままのカオスとしての現実に対峙し、そこから身をかわそうとした。しかし、彼の存在を包摂し、つかさどる無意識の〈闇〉の次元は、実存的な〈不安〉を励起させ、その不安への防衛反応は、パラノイア的な関係妄想や幻覚・錯覚という非合理的な表現形式をとって、彼の意識の〈空隙〉を衝き、この作家を神経症的な〈恐怖〉へと追い込んでいったのだった。理知的な〈意識〉による統御の意志が強ければ強いほど、その破綻による〈恐怖〉もまた強まる。

 

 しかしそれにしても、「歯車」のこの場面は不可解な印象を与える。

 この『罪と罰』の本は、主人公の「僕」(芥川)が、かつて牛乳店を営んでいた芥川の実家・新原家の店員で、今では聖書会社の小使いをしている老人「室賀文武」を訪ねた折に、貸してもらったものである。

「歯車」の中で作者は、この老人が、自分の実母の「発狂」の秘密を知っていると思われる人物だと語っている。龍之介の生みの母は、彼の生後九ヵ月頃に発狂し、十一歳の時に亡くなっている。

 主人公の「僕」は、「屋根裏の隠者」であるこの老人に尊敬の念を覚え、意味深い会話を交わしている。

 

「いかがですか、この頃は?」

「不相変(あいかわらず)神経ばかり苛々(いらいら)してね。」

「それは薬でも駄目ですよ。信者になる気はありませんか?」

「もし僕でもなれるものなら………」

「何もむずかしいことはないのです。ただ神を信じ、神の子の基督(キリスト)を信じ、基督の行った奇蹟を信じさえすれば………」

「悪魔を信じることは出来ますがね。……」

「ではなぜ神を信じないのです? もし影を信じるならば、光も信じずにはいられないでしょう?」

「しかし光のない暗(やみ)もあるでしょう。」

「光のない暗とは?」

 僕は黙るよりほかはなかった。彼もまた僕のように暗の中を歩いていた。が、暗のある以上は光もあると信じていた。僕等の論理の異るのはただこう云う一点だけだった。しかしそれは少くとも僕には越えられない溝に違いなかった。……

「けれども光は必ずあるのです。その証拠には奇蹟があるのですから。……奇蹟などと云うものは今でも度たび起っているのですよ。」

「それは悪魔の行う奇蹟は。……」

「どうしてまた悪魔などと云うのです?」

 僕はこの一二年の間、僕自身の経験したことを彼に話したい誘惑を感じた。が、彼から妻子に伝わり、僕もまた母のように精神病院にはいることを恐れない訣(わけ)にも行かなかった。

「あすこにあるのは?」

 この逞(たくま)しい老人は古い書棚をふり返り、何か牧羊神らしい表情を示した。

「ドストエフスキイ全集です。『罪と罰』はお読みですか?」

 僕は勿論十年前にも四五冊のドストエフスキイに親しんでいた。が、偶然(?)彼の言った『罪と罰』と云う言葉に感動し、この本を貸して貰った上、前のホテルへ帰ることにした。(「歯車」五 赤光)

 

「綴じ違え」のページのある『罪と罰』の本は、老人から半ば勧められながら借り出したものであった。芥川が無神論者であることを室賀老人は知っていた。しかもその事に深い苦悩を覚えていることも。

 だとすれば、あらかじめページをイヴァン・カラマーゾフと悪魔の白熱した対話のシーンと入れ換えておいた本を周到に用意しておき、それを芥川に手渡すことで、彼をさりげなく宗教的に「啓蒙」しようともくろんだのかもしれない。

 しかし、そのような啓蒙的な下心を想定してみても、なお、「歯車」のこの「綴じ違え」のページとの遭遇の場面の〈不可解さ〉の印象は、完全には拭えない。

「僕はこの製本屋の綴じ違えに、―――そのまた綴じ違えた頁を開いたことに運命の指の動いているのを感じ、やむを得ずそこを読んで行った。けれども一頁も読まないうちに全身が震えるのを感じ出した。そこは悪魔に苦しめられるイヴァンを描いた一節だった。」というくだりには、やはり戦慄を覚えざるをえないのだ。

 芥川の〈無意識〉が、室賀老人の〈無意識〉を「招き寄せてしまった」という霊妙不可思議さの感覚は、どうしても残ってしまうのである。

 人の縁(えにし)とは、そういうものではなかろうか?

 私たちの〈無意識〉は、〈個〉の輪郭を超えて、他のさまざまな存在や他者の〈無意識〉と「類的」につながり、相互に交錯し、すれ違い、共振し、あるいは反発し合っている。

 私たちの心身に宿った陰陽の〈気〉は、絶えず、他の存在に宿った〈気〉の流れとダイナミックに交流しつつ、霊妙な出逢いとえにしを紡ぎ出しているのである。

 私たちの〈無意識〉が種々の感情や欲望によって駆り立てられ、変動する中で、私たちの魂のかたちに呼応するように、良きにつれ悪しきにつれ、さまざまな人や出来事とのえにしが招き寄せられるのだ。

「類は友を呼ぶ」とか、「朱に交われば赤くなる」といったことわざも、その文脈の中で活きてくる。

 感情や欲望・我執によって魂に〈濁り〉が生じる時、あるいは、悲しみや不安・恐怖によって〈気〉の力が衰弱した時、人は、濁った魂の者をひきつけ、あるいは、邪気の強い者に隷属させられてしまうという危険にさらされる。

 魂の濁りを洗い清め、〈気〉の力をはればれとした力強いものに変容させ、とぎすましてゆくことは、本当に大変な力わざである。

 だが、そのひそやかな修練なくして、悪しき関係を断ち切り、良きえにしを招き寄せることもまた、困難なのではなかろうか。

 室賀老人は、「歯車」での描写をみる限りでは、決して「濁った」魂の持主とは思えない。

 人間性の醜悪さと存在の不条理性という強迫観念に苛まれ、神を信じることができずに地獄をさまようイヴァン・カラマーゾフが、毅然とした、孤独で澄んだ信仰の持主である弟のアリョーシャとの〈接触〉に、密かに救いを求めていたように、〈信〉に飢え渇きながら、〈不信〉の泥沼でもがき苦しむ芥川の〈無意識〉もまた、純粋な信仰をもった隠者である室賀老人との〈接触〉を希求していた。

 だが、アリョーシャとの接触が、傲岸なニヒリストの主知主義者であるイヴァンの秘められた〈無意識〉の分裂・矛盾を暴き出すことで、かえって、彼の神経症的な妄念を悪化させたように、芥川にとって、室賀老とのえにしは、目に視えぬ悪魔へのパラノイア的な妄想を悪化させるだけであった。

 良きえにしであるべきものが、かえって、ふたりにとっては、狂気の階梯を推し進めるだけの、食い合わせの悪い、不幸な出逢いになってしまっている。

「歯車」の中には、「偶然」というにはあまりにも不可思議だと思わざるをえない、風景や人との遭遇が幾つかみとめられる。

 目に視えぬ何物かの霊的な〈悪意〉におびえる芥川の衰弱した〈気〉が、いや応もなく、運命の不吉さを暗示する〈風景〉を招き寄せてしまっているという印象は拭えない。

 前近代的な土俗に息づいていた〈気〉の感受性を、無意識の深部にゆたかに抱え込んでいたこの作家が、理知的・観念的な身構えによって、己れの神秘な生存感覚を強引に圧殺せんとした時、彼の無意識の〈闇〉は、〈不吉さ〉の連鎖的な暗示のシステムという、歪んだアニミズム的表現形式をとって、意識の表層に浮上してきたようにおもわれる。

 関係妄想も、それに伴う幻覚・錯覚も、不幸なえにしによる出逢いも、そのような〈無意識〉の次元における不可視の揺らぎ・ダイナミズムによって招き寄せられたものではないか、といった印象を抱かされてしまうのは、私だけであろうか?

 芥川の行き着いた狂気の苦しみは、人生の地獄をみつめ続けることで、芸術家としての存在証明をしようとしたこの作家の意識的手法、生きざまの無理がもたらした破綻・悲劇でもあった。(この稿続く)

 

 

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〈生き難さ〉のアーカイブス〜「詩を描く」若者たち〜(連載第1回) 川喜田晶子

  • 2017.06.24 Saturday
  • 18:46

 ブログ「星辰」をスタートさせた2016年2月から、「〈藤村操世代〉の憂鬱」というタイトルで批評文を連載してきたが、そこでは明治20年前後生まれの当時の青年たち・表現者たちが、時代に蔓延する〈生き難さ〉と格闘する様を多角的に取りあげた。その〈生き難さ〉の質が、藤村操が投身自殺した明治30年代後半に限ったものではなく、表情を変えながら〈現在〉にまで連なる普遍性を帯びていることにも触れてきた。

 

 私の中でこの連載はまだまだ始まったばかりであり、今後、谷崎潤一郎の倒錯的な美意識の意味するものや、北原白秋の生存感覚にしがらんでいる風土性や、石川啄木の鋭利な批評意識についても扱いたいし、少し早く生まれた泉鏡花の水際立った倫理観と倒錯性との融合や、一世を風靡した徳富蘆花の「不如帰」と尾崎紅葉の「金色夜叉」の対比、明治20年代後半に現われて迅速に消滅した「観念小説」と呼ばれる小説群の意義(泉鏡花の「外科室」などが代表的である)をも論じてみたい想いがあり、おそらくこれからライフワークの様相を呈するのではないかと感じている。

 しかし、〈藤村操世代〉としての折口信夫について、想定していた以上に掘り下げて表現できたことに少しほっとしたので、この連載は一時休載することとし、ここで新たに別の連載を開始してみようとおもう。

 それはある意味、「〈藤村操世代〉の憂鬱」の現代版、とも言えそうである。

 

 2014年10月から2015年1月にかけて毎週、ある芸術系の大学で「詩」の講義をした。

 今回は、その内容を再構築することで、明治の青年たちではなく、〈現在〉を生きる若者たちの〈生き難さ〉の質を浮かび上がらせてみたい。

 

 半年足らずの期間ではあったが、芸術表現を学ぶ学生たちに「詩を描く」というタイトルで講義をする機会を得られたことは、私にとって貴重な意味を持つ。

 90分の授業時間の前半は、近現代のすぐれた詩作品(自由詩・短歌・俳句)の味読・鑑賞を行い、それを契機として後半は、学生個々人に短い詩作品の実作をしてもらおうというもくろみだった。「短さ」という制約をキャンバスとして、「言葉」というモチーフを使って〈詩〉を「描く」ように表現する試みである。

 全15回という時間が与えられている。古典的な名詩・名歌・名句がかなりたっぷり扱えるとおもった。学生作品の講評は、その内2回くらいを当てればいいだろうとおもっていた。

 ところが、初回に提出された学生の作品に、すでに完成度の高い詩がいくつかあり、それを解説することで刺激されたのか、毎回のように高水準の作品が私の手元に届くようになった。

 それらを批評・解説することは、私と学生の双方にとって非常にスリリングな時間を産み出すこととなり、近現代の作品は、どちらかといえば後景に退いた感がある。

 しかし、学生の作品に表れた〈痛み〉や〈傷〉や〈葛藤〉に相通じる主題を持つ古典的作品を織りまぜて比較・解説することで、彼らは、それまでほとんど触れて来なかったであろう文学作品の本質が、自分たちの抱えている〈闇〉と酷似していることに気づき、あるいは日頃表層的な付き合いにとどまる友人たちの内面にも、自分と、そしてかつての文学者たちと同じ〈闇〉がうごめくことを感じ取ったようだ。病理を超えてゆく晴れ晴れとした世界を描き出すことはできないが、縦横に刺激された表現意欲は、己れと時代の暗部を抉るように表出してみせている。

 

 学生たちから返ってきた授業評価アンケートには、「自分の書いた詩がどういう詩なのか解説してもらえたことがよかった」「自分らしい詩を評価してもらえた」「自分で詩を書き、評価されるという授業が新鮮で快感だった」「解説がよかった。」「作品の丁寧な分析がよかった」「自由に詩がつくれた」といった回答が多々あり、彼らがまさに「描く」ように作品を作っていたことをしのばせる。自分で自作をどういう詩なのか、意識として明晰にしながら書いているわけではないのだ。そこに表出された彼らの〈無意識〉を、私の批評言語が〈意識〉の言葉へと変換するわけだが、それは、彼らが意図しなかった切り口や普遍性を提示することとなり、〈現在〉における自作の意義を確認できる機会となっていたのである。

 私の言葉により、全く思いがけないイメージで作品が読み解かれたこともあったろう。それでも彼らはそれを「快感」として受け止めていたことが感慨深い。己れの意図を超えた無意識を読み解かれることの「快感」の深さは、作品と批評との喜ばしい出会いの指標とも言えよう。

 毎回休まず出席してくれた学生たちと、ほとんど直接会話はしなかったけれども、作品とこちらの解説を通して互いの表現営為という密室を訪ね合うような濃密な時間を過ごせたこと、私の批評的言語が、彼らの意識・無意識へと還流し、きちんとクロスする様を確かめられたことは、なにより幸福なことだった。学生の偏差値がどのくらいであるとか、近頃の学生の教養水準が、などと気を遣って啓蒙的な噛み砕き方で解説する必要も無かった。表層的な知性をではなく、彼らの無意識を信頼するならば、いささかの妥協も無く、私の批評精神をのびのびと発露することができた。

 大学からも次年度の出講を求められたが、私的なことながら家族に介助の必要が生じ、やむなくこの半期限りの講義となった。この忘れがたい数か月の講義内容を、遠からずまとめてみたいとおもっていたのである。

 

 そのような次第で、毎週、提出された学生の作品から次の授業内容を組み立てるというスリルを味わい続けた数か月の記録をもとに、“〈生き難さ〉のアーカイブス〜「詩を描く」若者たち〜”と題して論じてみたい。

 

 学生たちには、その作品を私が公の場で論じることについて了承を得ている。作者名の公表を希望しない学生については、適宜アルファベット(イニシアルではない)で示すこととした。

 

 お行儀のよい向日的な作品を作る必要などない、内面の苦しみや毒念や憎悪も、率直に表現して構わないのだということさえ感じ取るならば、学生たちがどれほど迅速に優れた自己表現をなし得るかという、これは驚嘆すべき一つの事例でもある。

 

歪む世界

 

 学生たちの作品に共通する〈痛み〉の一つは、生まれる前から自分たちはあるべき世界の振幅を奪われているのだという認識であり、渇いても求めても手にすることのできない世界の質感をどこかで感じながら、己れを取り囲む世界の歪みと狭隘さを凝視する、ごまかしの無い悲哀だった。

 

   無題     S・H

 

ねじれねじれた三千世界

群れたカラスでゲシュタルト崩壊

識字率は現在百%

 

良いこと悪いこと全部共有しましょう

そうしましょう

 

面倒くさい伝言ゲーム

まきこまれた死体が一つ、二つ、

 

死因は知らない

関わりたくない。

 

 短さという制約をキャンバスとして、〈現在〉の世界の歪みの本質を的確に描き出してみせた技量に感服する。

 鋭利な批判精神が感覚的に駆使され、〈現在〉の病理の本質と、それに対する乾いた距離感が引き締まった抽象度で表現されて無駄が無い。

 

「ねじれねじれた三千世界」「群れたカラスでゲシュタルト崩壊」という状況がまずたたきつけるように提示される。

「ゲシュタルト崩壊」とは、意味のある一つのまとまりをもつ〈全体〉として対象を認識できなくなることを意味する。たとえば、「山」なら「山」という文字が無数に紙面を埋め尽くすとき、あるいは長時間凝視し続けた場合などに、私たちは「山」という文字を個々の構成要素の寄せ集めとして認識してしまう。このような「ゲシュタルト崩壊」が、「群れたカラス」によって発生するのだ。

 ここで、カラスが群がるのは「死体」ではないかという連想を読者に惹き起こす。

 死体に群がり過ぎたカラスによって、私たちは「死」を「死」として認識できなくなってしまっている状況。

 それが「ねじれねじれた三千世界」の実相である。

「三千世界」という仏教用語は、「三千大千世界」とも言うが、ただの「現世」ではなく、コスミックな意味が機能している、というニュアンスを読者に与える。有機的でまとまった意味を持つ世界である。それがねじれにねじれている。本来、意味に満ち溢れているはずの世界が有機的に機能せず、ねじれ切っている。

 作者はそういう「現世」に死臭を嗅ぎ取っている。人の肉体の死ではなく、〈意味〉の死、が蔓延しているのだ。にもかかわらず、その〈意味〉の死体に群がるカラスのせいで、誰も「死」を感じられなくなってしまっている。

 あらゆるものがデジタルに変換されたIT社会への表層的な批判ではない。むしろそのことをも喩として、私たちの世界観や生存感覚を本質的に侮辱し、日常と人生の意味を剥奪し、平板な記号としての〈生〉を強制してくる目に見えない権力への批判として鮮やかだ。

「識字率は現在百%」とは、実に的確なこの状況への本質追求である。

「死」も「カラス」も、文字としてなら誰もが読める。読めない者などいない。

 しかし、あまりの死臭、あまりにも大量のカラスによって、誰も、この世界の〈意味〉が奪われていることに気づけない。

 知も情報も感覚も感情も人生のイメージも風景も己れも他者も、自分の存在とは無縁の無機的な要素に分断されながら、いともたやすく他者と共有される社会のおぞましさを、「識字率百%」として表現する手腕は見事だ。

 

「良いこと悪いこと全部共有しましょう/そうしましょう」は、この状況が惹き起こす〈倫理〉の崩壊を明示する。

 何が正しくて何が正しくないのか、何が良いことで何が悪いことなのか、識字率が百%なら、文字として共有するのはいともたやすい。まるごと共有することができているはずである。だが、それは無意味な記号としての文字であり、〈意味〉とは無縁、もちろん〈倫理〉とも無縁なのだ。

〈意味〉が崩れ去った時に〈倫理〉が崩れ去ることを、この作者は明快に把握し切っている。観念的な〈倫理〉だけを強制されてきたのであろう己れの成長過程への毒念を感じさせるフレーズである。

 

「面倒くさい伝言ゲーム/まきこまれた死体が一つ、二つ、」つまり、文字は共有できても意味と倫理は共有できていない世界の「伝言ゲーム」は、実は危険なものだ。「識字率百%」であるのに、実は何も伝わらないことで、存在の核が殺されてゆく。あるいはこの「死体」は、そのような世界へのプロテストを何らかの形で実行しようとした者かもしれない。異質な世界観を持つことだけでも命とりになるのだ。「あいつはこの世界に存在してはいけない者だ」との圧力によって命を落としたのかもしれない。それゆえに、「死因は知らない/関わりたくない。」とこの一篇は閉じられる。

〈現在〉の状況をこれほど鋭利に描出しておきながら、その状況下で〈意味〉を剥ぎ取られて犠牲になった者の「死因は知らない」と作者は言ってのける。「関わりたくない。」とも。

 関わることは、その犠牲者の「死」の意味を掘り起こすことだ。それをやってのけようものなら、作者の存在はすみやかに〈現在〉の敵とみなされることだろう。群がるカラスによってあっという間に作者の存在もまた、抹殺されてしまうことだろう。

〈意味〉など主張しようものなら〈死〉あるのみ、どころか、その〈死〉の意味さえ消去されることだろう。

 実にブラックな一篇である。

 

 これほどの短さにおいて、端的に〈現在〉の状況を把握し、〈敵〉の姿をあぶり出してみせた技量に感嘆せざるを得ない。世界から有機的な全体感と奥ゆきが失われ、表層のみが万人に共有されていることのおぞましさ、そのことによって追い詰められることの息苦しさが鮮やかに顕ち上がっている。

 

   無題     M・S

 

黒鉛はまたうすよごれたこの紙に

青い景色を描きだし

白を忘れた雲と空

黒の世界で動かない

 

 この作者もまた、現実から〈色〉と〈動き〉が失われている閉塞感を描く。

 芸術表現にたずさわるこの学生にとっての「黒鉛」は、自分の表現の唯一のツールであるとのニュアンスを帯びる。その「黒鉛」で「うすよごれたこの紙に」風景を描こうとしているが、「うすよごれたこの」という修飾語によって、「紙」はこの現実世界のことであると伝わる。

 最初からうすよごれたこの世界に、自分の存在は何を描くことができるのか。最初から紙がうすよごれているのと同じように、自分もまた、最初から「黒鉛」でしかない。他の色を持たない。その「黒」だけで、「青い景色を描き」だそうと試みるのだが、「白を忘れた雲と空」は「黒の世界で動かない」のである。

 世界と自分から先天的に奪われている色と動きへの渇きが、スタティックに定着された一篇である。

 

 授業では取り挙げなかったが、ここで、国木田独歩の作品を引用したいとおもう。

 明治4年生まれの独歩が、有名な「牛肉と馬鈴薯」を発表したのは明治34年、その主人公の青年の手帳からの抜き書き、という体裁の「岡本の手帳」は、明治39年の発表である。

 ちょうど、藤村操が「巌頭之感」を遺して華厳の滝に投身自殺した明治36年をはさんでこの二作品は発表されている。独歩もまた、この「天地」という場所について葛藤していた。

「牛肉と馬鈴薯」では、現実主義(牛肉)か理想主義(馬鈴薯)か、という議論の空しさを衝き「喫驚(びっくり)したいというのが僕の願なんです」と岡本に言わしめていた独歩だが、その切なる願いの内実は「岡本の手帳」に一層精密に語られている。

 

「宇宙は不思議なり、人生は不思議なりと人も言ひ、われも言ふ。科学と哲学と宗教とはこの不思議を滅さんと力(つと)む。わが願も亦、科学者として、哲学者として、宗教家としてこの不思議を闡明(せんめい)せんことにや。あらず、あらず、これわが「この願」にあらざるなり。」

「わが切なるこの願とは、眠より醒めんことなり、夢を振ひおとさんことなり。/この不思議なる、美妙なる、無窮無辺なる宇宙と、この宇宙に於けるこの人生とを直視せんことなり。われをこの不思議なる宇宙の中に裸体のまま見出さんことなり。/不思議を知らんことに非ず、不思議を痛感せんことなり。死の秘密を悟らんことに非ず、死の事実を驚異せんことなり。」

「それ世間ありて天地あるに非ず、天地ありて世間あるなり。この吾は先(ま)づ天地の児(こ)ならざる可からず。世間に立つの前、先づ天地に立たざる可からず。」

「怪しきまでに人はこの天地の不思議に慣れて無感覚に安(やすん)じ居るなり。墳墓の累々たるを見て平然たるなり。限りなき蒼穹を仰ぎ見て平然たるなり。」

(国木田独歩「岡本の手帳」 『牛肉と馬鈴薯・酒中日記』所収 新潮文庫 昭和45年刊)

 

 明治30年代にすでに、「ゲシュタルト崩壊」を感受し、「ねじれねじれた三千世界」をおぞましく思い、科学や哲学や宗教によって「不思議」が滅ぼされ「識字率百%」への道を着々と歩みつつあると同時代を認識し、誰一人「喫驚」することのできない時代を苦しんでいた独歩。

 現在の若者と、その文体に大いなる差異はあれど、奪われつつある「天地」への渇き、「世間的」であることに埋没させられてゆく恐怖は同質である。

 おそらくはその眼の前で「天地」が「世間」へと縮小させられ、意味や倫理が剥落してゆく様をまざまざと凝視していたであろう独歩に対して、現在の縮んで歪み切った世界に触れて生じる〈痛み〉を通してのみ、個人史の内では巡り会えていない「天地」の存在とその振幅をかろうじて感受し、絶望的な想いでたぐり寄せようと渇くのが今の若者だという差異が、この文体の差異を生んでいるだろう。

 同質の痛みと隔絶した文体。双方に触れることで、私たちの〈生き難さ〉の淵源に臨む想いがする。(この稿続く)

 

 

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〈藤村操世代〉の憂鬱(連載第16回) 川喜田晶子

  • 2017.05.26 Friday
  • 13:18

 

折口信夫の〈青あざ〉

 

『海やまのあひだ』からぬき出した20首の中で、未だ触れていない歌が一首ある。最後にこの歌に触れておきたい。

 

 山深きあかとき闇や。火をすりて、片時見えしわが立ち處(ド)かも

 

 この歌は、寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」(『空には本』所収、昭和33年)を想起させるが、寺山の歌は、戦後の短歌表現の〈自由〉に向かって解き放たれながら、逆に「祖国」という語によって、当時の政治的な文脈に回収されてしまうような輪郭をまとっている。彼がここで見ようとしたものは「祖国」か「霧」か、という対比であり、戦後的な〈身〉は、もはや「祖国」に回収されないけれども、それなら回帰すべき土俗的な母胎であるコスミックな〈闇〉の象徴としての「霧」は、深く豊かに〈身〉を迎え入れるかといえば、マッチの火に照らされたつかのま、そのカオスとしての表情を垣間見せるばかりである。戦後的な〈個〉をまさぐる自我の〈自由〉、すなわち〈前衛〉と呼ばれた衝迫と、伝統的・土俗的な生存感覚の基盤としての〈闇〉とが、互いに侮辱し合うかのように対比されることの野性味が寺山短歌の真骨頂であるが、この歌にも、ケレン味のある劇的空間を顕ち上げながら、〈自由〉にも〈闇〉にも安らぐことが出来ない寺山が解き放つ、濃密な苛立ちを感受し得るだろう。

 

 対して折口の一首には、寺山のような表立った野性味はないが、火に照らされて一瞬浮かび上がる己れの限定された「立ち處」のめぐりに無辺の闇のひろがりを感受しておののく、しずかな狂暴さが息づいている。政治などとは無縁の、〈存在〉の振幅をいかほどの広大さで想い描くべきかについての信と不信を賭けたドラマが、片時の火のほとりで繰り広げられている。

 ここには、山深き場所と平地、あかときの闇と真昼間、闇と火、片時と永劫、そして己れの「立ち處」とそれを巡る「無辺」という時空間の、鮮烈な対比が幾重にも潜んでいる。

 一首の感動の中心は「山深きあかとき闇」でもあり、それに対比される「片時見えしわが立ち處」でもあるように、この歌は顕ち上がっている。寺山のように両者が互いに侮辱し合うというのではないが、そこには、互いの本質を晒し合う不吉さが潜んでいる。

 全てを永劫・無辺へと呑み込む「闇」の不吉さ。呑み込まれる宿命を帯びた「立ち處」の狭さ・短さ。火に照らされた「立ち處」が見えることは、実はそれを取り巻いている「闇」が見えることでもある。

 これまで見てきたような折口の生存感覚からすれば、己れの「立ち處」を生きることは、それを呑み込む「母なる〈死〉」としての「闇」を生きることでもあろう。彼はその「闇」を忌避してはいない。むしろ、そこに回帰したいと願い、表現によってわずかずつ回帰しながら生き永らえていたとも言えよう。

 しかし大衆は、世間は、その「立ち處」をのみ生きていて、実は「闇」を生きていながら、よほどのことがない限り、そのことを意識の上に昇らせることなくやり過ごしている。折口だけが「闇」を生きていることに気づいている異形の民、〈まれびと〉である。

 その覚悟と矜持が、短歌という〈型〉に委ねられることで、どこか古代の神の呪言のように鮮烈に哀切に響いてくる。これが世界のあり方だ、と。神が見ているあり方だ、と。

 自身の異形性の帯びている「のろひ」が、そのまま「ことほぎ」でもあるような世界観。

 生きながら「母なる〈死〉」と一体化するような世界観。

 そういう世界観によって、かろうじて民俗の魂の原形質との(あるいは師である柳田との)異質性・同質性のドラマを紡ぎ出し、表現し続けた折口の、静謐だが狂暴な立ち姿をこの一首に鮮やかに感受できるようにおもう。

 

********************

 

 私は、折口の業績をどう評価するか、ではなく、あくまで〈藤村操世代〉としての折口の〈表現〉を読み解くことだけに意義を見出してこの論を書いてきた。

 彼の民俗学の成果も、柳田への憧憬も、詩歌も、社会的に評価されるべき「業績」として読み解いたのではその本質がこぼれ落ちてしまうということを、折口の「贖罪」という詩篇に触れて鮮烈に洞察せざるを得なかったからだ。

 その生い立ちに刻まれた〈青あざ〉、戦前・戦後を貫く表現と変容する表現、柳田との、そして民俗の原形質との関係を通して露わになる世界観、短歌という〈型〉にゆだねられて解放される率直なタナトス。

 大衆的な規模で蔓延していた時代の病理を、折口はどのように病み、どのようにそれを表現することで生き延びようとしたのか。時代の病理に通じる普遍性と、折口ならではの超克への模索の質とを、いささかなりとも浮上させられたのではないかとおもう。

 

 彼ら〈藤村操世代〉にとって、「生き延びる」ことの困難さは、筆舌に尽くしがたいものがあったはずである。多くの若者が藤村操というたった一人の少年の投瀑に感応して死を択んでいた時代である。「生き延びる」ことにむしろ壮絶な覚悟や困難がつきまとっていたのだ。「生き延びる」ためにこそ彼らは〈表現〉していたのであり、その命懸けの〈表現〉を読み解くことが、〈現在〉にまで続く〈生き難さ〉の質や原因を明晰にすることになるはずだ。〈藤村操事件〉以来、どれほど表層的に浮かれて見える時代があったとしても、その〈生き難さ〉が時代の深層から消えたことはない。

 

 折口の次のような言葉は、〈表現〉によって生き延びようとする者の胸には、今もよく響く言霊を帯びている。

「かうして不思議な物語りと、多くの人の憧憬とを負うてゐた異郷は、明治大正の科学の光に逢うて、忽ち姿を消してしまうたが、また新なる意味に於ける異郷が、われわれの胸に蘇り更に蘇らねばならぬ。いつまでも」

(「異郷意識の進展」大正5年「アララギ」に初出 『折口信夫全集20』 中央公論社 1996年)

「新なる意味に於ける」と折口も断っている。折口的な「異郷」である必要はない。柳田的「日常」である必要もない。柳田と折口のどちらを評価すべきかと比較吟味するのではなく、両者がめくるめく懸隔を抱えつつ鏡の表裏であったことこそが刺激的であり、「異郷」と「日常」との本質的な蘇りを可能にする世界観を希求せよと、語りかけているのだとおもわれる。(「折口信夫の〈青あざ〉」了)

 

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芥川龍之介と闇(連載第4回) 川喜田八潮

  • 2017.05.25 Thursday
  • 12:53

 

     9

 

 己れの人生を嘲弄し、破滅と死に向かって刻一刻と自身を追いつめてゆく、目に視えぬ悪魔的な力の存在を、象徴的・暗示的に感受する「歯車」の作者の体験には、幼児期から少年期にかけて彼の魂の〈下地〉を培ってきた、江戸後期以来の下町共同体的な〈闇〉の感覚の残滓が、正常な〈表現〉を封じられたがために、歪められた形で痛ましく露呈しているとみることもできる。

 それは、土俗的でアニミズム的な、野性味のある生命感覚に対する、近代合理主義的なまなざしによる〈抑圧〉によってもたらされた、一種の強迫神経症的な〈幼児退行〉の表われであり、〈関係妄想〉という形をとった、〈闇〉のエロスの歪んだ代償表現とみなすことができる。

 しかし、「歯車」の中には、例えば、自分にはまったく覚えがないのに、知人たちが「第二の僕」を、「帝劇の廊下」や「銀座の煙草屋」で見かけたという「ドッペルゲンゲル」(分身)の体験とか、朝目覚めてベッドをおりようとすると、いつも不思議にも「スリッパ」が片っぽしかないという体験に恐怖を覚えるといった、作者の白昼夢状態での〈記憶の欠落〉を示すとしか思えない現象や、明らかに「錯覚」あるいは「幻覚」「妄想」と思われるような体験の叙述もみられるが、そうではなく、「偶然事」とはとても思えぬような摩訶不思議な体験もたしかにみとめられるのである。

 遺稿「歯車」は、死が目前に迫った芥川が、己れの狂気の症状をあるがままに正直に吐露した、唯一の私小説である。その切迫した、真剣味溢れる筆づかいからみて、そこで述べられた体験が、芥川自身にとっての〈真実〉であったことは、疑い得ない。柳田国男が聞き書きした『遠野物語』に出てくる、摩訶不思議な体験談の数々が、遠野の村人にとっての、紛れもない〈真実〉であったように、である。

 たとえ、その体験の内に、「錯覚」や「幻覚」「妄想」としてしか解釈できないような出来事が含まれていたとしても、なお、そのような合理主義的解釈なるものに「還元」することが決して許されないような、摩訶不思議な〈質感〉が、そこには息づいている。

 芥川の「歯車」にも、柳田の『遠野物語』にも、それだけのたしかな文学としてのリアリティ、手応えというものがあるのだ。芥川の場合には、死を目前にした実存的な切迫感が、柳田の場合には、無告の民である遠野の村人の秘められた心の闇に対する畏怖感が、その言葉に、いや応のない〈真実味〉を与えている。その力は、私たちの襟を正させ、書かれた〈真実〉を〈真実〉としてあるがままに受け取るべきだという、無私の「謙虚さ」を呼び起こす。

 吉本隆明の芥川論には、残念ながら、そういった「謙虚さ」が無い。「歯車」における作者の体験を、ありふれた関係妄想や幻覚・錯覚のたぐいとみなして、事足れりとしている。私は、強い異和感を覚えずにはいられない。

 この感覚は、私にとっては、吉本の主著の一つである『共同幻想論』における、『遠野物語』への解釈の手つきに対する異和感と重なっている。

『共同幻想論』は、周知のように、自己幻想(個人の心的領域)・対(つい)幻想(男女や同性のペアにおける心的領域)・共同幻想(三人以上の共同体・集団を支配する心的領域)という、互いに緊張・疎外関係にある三つの幻想的次元を基軸に据えて、個人や対、あるいは家族の次元から、それを包摂する種々の共同体、さらには国家へと遠心的に「疎外」されながら、形づくられてゆく共同幻想の呪縛のメカニズムを読み解き、権力の成立過程を追跡せんとした野心作である。

 吉本は、共同幻想論を、彼の哲学体系の総称ともいうべき「心的現象論」の一環として位置づけているようにおもえる。吉本理論は、ヘーゲル・マルクス・フロイトの理論に共通する〈疎外〉というキイ・コンセプトをベースに据えて、あらゆる心的現象を「客観的に」説明可能なものとして包摂せんと志す、壮大な体系であり、そこでは一切の神秘現象、存在の本質的な〈不可知性〉、人間の小ざかしい知を凌駕する主・客融合的で霊妙不可思議な意味や価値の次元は、あらかじめ黙殺されてしまっている。

『共同幻想論』においては、『遠野物語』の民譚の世界は、共同幻想・対幻想・自己幻想の間の〈疎外〉関係のダイナミズムという抽象的・理論的な視座によって、一面的に限定され解釈されることによって、その魅力の神髄ともいうべき、土俗の霊妙な〈闇〉に対する強烈な〈畏怖感〉は、完全に黙殺され、合理主義的に〈解毒〉されてしまっているといっていい。

 共同幻想をめぐる心的メカニズムを考察するための素材として『遠野物語』を取り上げることが、間違っていると言いたいのではない。ただ、そのような合理主義的・客観主義的な解釈なるものに、『遠野物語』のコスモスを一元的に「回収」されては、たまったものではない、と言いたいだけだ。

 この吉本の知的な〈解毒〉の手つきは、あらゆる神秘体験や宗教的な感情を、克服されていない〈幼児的心性〉の表われと断じ、己れの精神分析学のコンセプトによる解釈の内に回収せんとしたフロイトの姿勢と似ている。

 両者共に、〈知〉を過信し、あらゆる心的現象を〈記号化〉することで、ニュートラルな合理主義的解釈の内に存在の〈闇〉を回収し、〈解毒〉せんとする執念に憑かれているように、私には感じられる。

 裏を返せば、彼らは、それほどにも、存在の〈闇〉という、不可知なるカオスが怖かったのかもしれない。だから、必死になって、世界を、己れの理論体系という、ちっぽけな「知の袋」に封じ込めることで、観念的な自我を強化し、不動心を得ようとしたのかもしれない。

 芥川龍之介もまた、彼の小説空間という「知の袋」の中に、人生の地獄図と世界の不条理を封じ込め、理知によって「統御」せんとした。「歯車」には、そのほころびが痛ましく露呈しているのだ。

 その「ほころび」の意味をきちんと読み解くことは、吉本理論にも、フロイト理論にも、決してできはしない。

 彼らの尊大な主知主義的姿勢では、芥川が直面した、とても「偶然事」とは思えないような、摩訶不思議な体験のもつ意味は視えてこない。

 例えば、「歯車」の冒頭にある、「レエン・コオト」を着た幽霊の話に端を発し、真冬だというのに季節はずれの「レエン・コオト」を着た男に繰り返し遭遇した直後に、「姉の夫」が鉄道自殺したという電話を受け、しかも彼もまた、「季節に縁のないレエン・コオト」をひっかけていたという、不気味な事実の連鎖。また、「僕」が「東京へ帰る度に必ず火の燃えるのを見た」という体験。

 これらの出来事は、偶然といえば偶然のようにもみえる。だが、芥川(語り手の「僕」)は、これらの体験を実に注意深く観察し、記録し、その中に、神秘な〈意味〉を読み取っている。

 先に引用した「歯車」の文章における、「『罪と罰』の綴(と)じ違えのページ」の場面や「往来でのすれ違い」の体験の描写なども、同様である。

 たとえそれが、悪意ある不可視な何物かに対する関係妄想と絡み合っていたとしても、その不吉さの連鎖が示す不可思議さの感覚は拭えない。

 私たちは、「歯車」における芥川の体験をまず、そのような彼にとっての〈真実〉として、あるがままに受け取ってやるべきなのだ。

 すると、そこに、私たちは、合理的な〈必然〉とそこからこぼれ落ちた〈偶然〉という、事象への主知主義的解釈(近代主義的解釈)の先入観とは全く異なる、新たな〈存在へのまなざし〉に出逢っている自分を発見することになる。

「歯車」における体験の描写は、一面では、たしかに病的で痛ましいものではあるが、遭遇した出来事の連鎖に、(たとえ不吉なものではあっても)意味深い暗示を感じ取らずにはいられないという作者の感受性のあり方それ自体は、本来的には、決して病的なものではない。(同様に、「凶」や「鵠沼(くげぬま)雑記」のような未発表の日録風の覚書[共に大正十五年記。『芥川龍之介全集』第二十二巻 岩波書店 1997年 所収]に記されている不吉な出来事の連鎖も、単なる病的現象として片づけるべきものではない。)

 実際、そういう不思議な象徴的・暗示的な出来事というものは、この世にいくらでもあり、また、それに気づくだけの注意力と、とらわれのない素直な感受性があれば、誰にでも、大なり小なり体験の覚えがあるはずである。

 前近代の民衆は、誰しもがそういう霊妙不可思議さに対する〈畏怖〉の感覚を備えており、それは、主・客の融合した〈生身〉の感覚を通じて、森羅万象に生の〈意味〉と〈価値〉と〈象徴〉とをつねにみずみずしく感受していた、前近代的な土俗のコスモスを生きた人々の伝統に根ざしたものであった。

 芥川龍之介は、幼少期の中で、そのような土俗のコスミックな香りに包まれた育ち方をしていたとおもわれる。「大川の水」や「老年」にも、その育ち方によって培われた魂の〈下地〉は看取されるのである。

 例えば、芥川中期の小説「妖婆」(大正八年作)の冒頭には、次のような叙述が見受けられる。

 

「あなたは私の申し上げる事を御信じにならないかも知れません。いや、きっと嘘だと御思いなさるでしょう。昔なら知らず、これから私の申し上げる事は、大正の昭代にあった事なのです。しかも御同様住み慣れている、この東京にあった事なのです。外へ出れば電車や自働車が走っている。内へはいればしっきりなく電話のベルが鳴っている。新聞を見れば同盟罷工(ひこう)や婦人運動の報道が出ている。――――そう云う今日、この大都会の一遇でポオやホフマンの小説にでもありそうな、気味の悪い事件が起ったと云う事は、いくら私が事実と申した所で、御信じになれないのは御尤(ごもっと)もです。が、その東京の町々の燈火が、幾百万あるにしても、日没と共に蔽いかかる夜をことごとく焼き払って、昼に返す訣(わけ)には行きますまい。ちょうどそれと同じように、無線電信や飛行機がいかに自然を征服したと云っても、その自然の奥に潜んでいる神秘な世界の地図までも、引く事が出来たと云う次第ではありません。それならどうして、この文明の日光に照らされた東京にも、平常は夢の中にのみ跳梁(ちょうりょう)する精霊たちの秘密な力が、時と場合とでアウエルバッハの窖(あなぐら)のような不思議を現じないと云えましょう。時と場合どころではありません。私に云わせれば、あなたの御注意次第で、驚くべき超自然的な現象は、まるで夜咲く花のように、始終我々の周囲にも出没去来しているのです。」

「たとえば冬の夜更などに、銀座通りを御歩きになって見ると、必ずアスファルトの上に落ちている紙屑が、数にしておよそ二十ばかり、一つ所に集まって、くるくる風に渦を巻いているのが、御眼に止まる事でしょう。(中略)もう少し注意して御覧になると、どの紙屑の渦の中にも、きっと赤い紙屑が一つある――――活動写真の広告だとか、千代紙の切れ端だとか、乃至(ないし)はまた燐寸(まっち)の商標だとか、物はいろいろ変(かわっ)ていても、赤い色が見えるのは、いつでも変りがありません。それがまるでほかの紙屑を率(ひきい)るように、一しきり風が動いたと思うと、まっさきにひらりと舞上ります。と、かすかな砂煙の中から囁(ささや)くような声が起って、そこここに白く散らかっていた紙屑が、たちまちアスファルトの空へ消えてしまう。消えてしまうのじゃありません。一度にさっと輪を描いて、流れるように飛ぶのです。風が落ちる時もその通り、今まで私が見た所では、赤い紙が先へ止まりました。こうなるといかにあなたでも、御不審が起らずにはいられますまい。私は勿論不審です。現に二三度は往来へ立ち止まって、近くの飾窓(ショウウインドウ)から、大幅の光がさす中に、しっきりなく飛びまわる紙屑を、じっと透かして見た事もありました。実際その時はそうして見たら、ふだんは人間の眼に見えない物も、夕暗にまぎれる蝙蝠(こうもり)ほどは、朧げにしろ、彷彿(ほうふつ)と見えそうな気がしたからです。」(「妖婆」)

 

 ここには、芥川の土俗的・アミニズム的な感受性の片鱗が繊細に息づいている。

 万象に霊妙不可思議さを覚える、こういう感覚は、もちろん、一歩まちがえると、〈迷信〉や悪しき〈暗示〉や恐ろしい〈関係妄想〉の地獄へと転落する危うさをはらむものでもある。だが同時に、その〈闇〉としての不可知性、主・客が一体となった生命的なダイナミズムの感覚は、私たちの身体の深奥に眠る野性を目覚めさせ、活力をひき出す源泉ともなりうるのである。

 

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 この「妖婆」という物語は、芥川自身をモデルとする作者の「私」が、知り合いの「出版書肆(しょし)の若主人」である「新蔵」という青年の体験談を聞き書きするという体裁で創られているが、現代(大正期)の大都会・東京の下町に、まるで江戸時代さながらの呪術師の妖婆を登場させるという、一種のホラー的なオカルト小説となっている。

 本所に住むこの妖婆は、「お島婆さん」といって、「婆娑羅(ばさら)の大神」という得体の知れない土俗神を信仰し、その霊験によって占いと加持祈祷(かじきとう)を行い、依頼人の願いに応えるという評判の呪術師である。

 お島婆さんは、遠縁にあたるみなし子の「お敏」という娘を閉じ込めて、彼女を「神下ろし」による婆娑羅の大神のお告げをひき出すための憑き代(つきしろ)=巫女として利用している。

 お敏には恋人がいて、それが、かつて女中として奉公していた家の若旦那である新蔵なのである。新蔵は、突然行方不明となった恋人のお敏を探し出し、お島婆さんの魔手から救い出そうとするが、ふたりの心の動きを事前に察知する妖婆の霊視能力によって妨げられ、お敏は、新蔵との仲が呪われたものだという不吉な〈暗示〉をかけられて、ほとんど金縛りの状態に陥ってしまい、新蔵に逢うこともままならない。

 実は、お島婆さんは、大金を積んだ客の相場師「鍵惣」の依頼によって、お敏を鍵惣の妾にさせようともくろんでおり、そのために新蔵との仲を引き裂こうとしていたのだ。

 必死になってお敏を救わんとする新蔵の想いと、「神下ろし」に利用されながらも、恋人に逢いたさのあまり、夢遊状態のうちにお島婆さんの〈暗示〉の呪縛を断ち切り、言いなりにならなかったお敏の愛の力によって、ついに妖婆の〈邪気〉は払いのけられ、霊気の激突によって起こった豪雨の中、鍵惣と密談をしていたお島婆さんは雷に打たれ、新蔵は気を失ってしまう。熱にうなされて昏睡状態に陥った新蔵が、数日後にようやく目覚めると、彼の枕元には、お敏が居て、ふたりの愛の成就を祝福するかのように、雨の日に咲いた一輪の瑠璃色の「朝顔」の花が、不思議にも枯れることなく咲いていた。

 ほほえましい、ファンタジーのような作品であるけれども、ここには、芥川龍之介の、目に視えぬ霊気に対する感覚、森羅万象へのアニミズム的な感覚が、とても素直に、幸せな形で表われているといっていい。

 芥川の霊気への感受性は、東洋思想の伝統に由来するものである。

 中国哲学の「易(えき)」の宇宙観では、人間の心身も森羅万象も、陰陽二気の離合集散によって説明される。陰陽の気は、「太極(たいきょく)」という宇宙的な〈虚〉の源泉から生み出されるが、太極はまた、陰陽二気に内在しつつ、万有の生生流転を超越的につかさどる宇宙生命の化身でもある。人間の心身に宿った固有の霊気の流れは、つねに個の殻を超えて他者や存在に拡がり、その霊気と交わり合い、不可視の葛藤と吸引のドラマを紡ぎ出すのである。

 私が先に言及した言葉で言うなら、〈個〉を包摂する〈類〉的な無意識としてのコスミックな〈闇〉の次元ということになる。

 中国では、この太極・陰陽の思想は、易から老荘の哲学、朱子学、さらには陽明学へと継受されてゆき、日本でも、古代から近世に至る神道の諸流派や密教・陰陽道・修験道への影響は元より、日蓮宗や近世の朱子学・陽明学、道教的な習俗の影響を受けた民間土俗信仰など、広範囲にわたって、深い痕跡を残している。

 芥川の育った、江戸後期文明の流れを汲む土俗的な下町共同体社会には、このような前近代的・東洋的な〈気〉の思想に根ざしたアニミズム的な生存感覚の伝統が、衰弱しながらも脈々と息づいていたのである。

 このような類的な拡がりをもつ、主・客融合的でコスミックな〈闇〉の感覚は、改めて繰り返すまでもなく、主・客の分離を前提とした上で、客体としての現象を、ニュートラル(没価値的)な自然法則に基づく因果律による〈必然〉の顕われとして解釈し、そこからこぼれ落ちた出来事を、(確率という概念と結びついた)単なる〈偶然〉に解消せんとする、西洋近代科学的な機械論的世界観とは、完全に対極にあるまなざしだといっていい。近代科学のまなざしが切り捨ててかえりみない、人と人、人と出来事との縁(えにし)をはじめとする、偶然とは思えない、この世の事象の霊妙不可思議さというものに対して、前近代的・東洋的な〈気〉の思想は、きちんと応えてくれるだけの生命的なゆたかさと畏怖の感覚を蔵しているのである。

 もちろん、先にも断ったように、このようなアニミズム的な、存在の〈闇〉への感受性は、迷信や関係妄想の地獄と紙一重の危うさをはらんでいる。

 しかし同時に、不条理に抗し、人をして苛酷な現世を生き抜かしめる力を生み出す源泉ともなりうるのだ。

 人は、不安や悲しみ、恐怖、嫉妬・愛憎の苦しみ、欲望や我執などによって醸成された己れの魂の汚れ・濁りを洗い浄め、〈気〉の力を澄んだ生気ある形に鍛え上げることで、身を守り、良きえにしを招き寄せることができる倫理的な存在であるという認識は、神道や儒教・道教・密教・日蓮宗など、さまざまな東洋思想の中に、根強く生き続けてきた。

 芥川中期の小説「妖婆」には、そのような〈気〉の感覚の〈残滓〉が、ファンタジックな形で息づいている。新蔵とお敏の、互いを求め合う愛の純粋さと、悪しき暗示による恐怖・ためらいを乗り越えんとする無私のひたむきさが紡ぎ出す生気の強さが、妖婆の邪気に打ち勝つのである。

 その〈奇跡〉の成就を象徴するように、「枯れない朝顔」が一輪咲き残っている。

 同じ「大正八年」に書かれた「魔術」というファンタジーの小品と並んで、作者芥川龍之介の祈り、少年のようなういういしい憧憬が、そこはかとなく立ち昇っている幸福な作品である。

 

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 しかし、資本制が拡大・膨張をとげ、大衆の前近代的な土俗共同体社会が解体し、アトム的な〈個〉としての生存感覚が強まった「大正期」において、主・客融合的なアニミズム的感覚、東洋的な〈気〉の感覚を、現代小説の世界でリアルに立ち上がらせることは、至難のわざであった。

 そのような冒険を試みても、せいぜい、荒唐無稽なファンタジーやオカルト小説とみなされるか、さもなくば、精神病理の世界を喩的に描いた怪奇物として、深層心理学的な解読の対象になるのが、関の山である。

 事実、「妖婆」という作品は、今日まで、そのような文脈で扱われてきたと思われる。

 芥川龍之介が、幼少期において己れの魂の〈下地〉を培ってきた土俗的な〈闇〉の感覚の記憶を、〈無意識〉の深みから立ち上がらせ、小説という言語空間の中で存分に自在に解放してやるためには、歴史物の舞台、とりわけ古代的・神話的な時空意識が必要だった。

 芥川最後のファンタジーの力作といってよい「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」「老いたる素戔嗚尊」(大正九年作)は、まさしく、そのような舞台装置の下で展開された、素戔嗚(すさのお)という『古事記』に登場する異形(いぎょう)の荒ぶる神、野性味溢れる〈闇〉の化身・英雄の物語である。

 もちろん、そこで表現された〈喩〉としてのリアリティは、大正期という、散文的で殺伐とした〈現代〉の世相を生きる芥川にとっては、あくまでもヴァーチャルな〈憧憬〉の対象であり、一種のロマン主義的な〈超越〉への志向の産物であったろう。

 彼の〈身体〉の中に、今もなお息づき、表現を求めて疼(うず)いているアニミズム的・土俗的な闇の感覚の〈残滓〉と〈記憶〉の延長上に「接木的」に構築された、壮大な〈虚構〉のコスモスといってよかった。

 嫉妬深い小人(しょうじん)どもの〈秩序〉に適合できず、つまらぬ争いに端を発した激情のほとばしりによって、己れの内に秘められていた狂暴な野性を解き放ってしまった素戔嗚が、高天原(たかまがはら)の国を追放されてさまよい、えにしをとり結んだ、得体の知れない「十六人の女たち」と共に、洞穴の中で、放縦な淫蕩の暮らしを送ったあげく、誤って大気都姫(おおけつひめ)を刺し殺し、逃走する。

 明け方に大きな湖の岸に辿り着いた素戔嗚は、やがて雷雲の接近に見舞われ、茫然自失したまま豪雨に打たれる。

 

「素戔嗚はずぶ濡れになりながら、未(いまだ)に汀(なぎさ)の砂を去らなかった。彼の心は頭上の空より、さらに晦濛(かいもう)の底へ沈んでいた。そこには穢(けが)れ果てた自己に対する、憤懣(ふんまん)よりほかに何もなかった。しかし今はその憤懣を恣(ほしいまま)に洩(も)らす力さえ、――――大樹の幹に頭を打ちつけるか、湖の底に身を投ずるか、一気に自己を亡すべき、最後の力さえ涸れ尽きていた。だから彼は心身とも、まるで破れた船のように、空しく騒ぎ立つ波に臨んだまま、まっ白に落す豪雨を浴びて、黙然(もくねん)と坐っているよりほかはなかった。/天はいよいよ暗くなった。風雨も一層力を加えた。そうして――――突然彼の眼の前が、ぎらぎらと凄まじい薄紫になった。山が、雲が、湖が皆半空に浮んで見えた。同時に地軸も砕けたような、落雷の音が耳を裂いた。彼は思わず飛び立とうとした。が、すぐにまた前へ倒れた。雨は俯伏(うつぶ)せになった彼の上へ未練未釈なく降り濺(そそ)いだ。しかし彼は砂の中に半ば顔を埋(うず)めたまま、身動きをする気色(けしき)も見えなかった。……/何時間か過ぎた後、失神した彼はおもむろに、砂の上から起き上った。彼の前には静な湖が、油のように開いていた。空にはまだ雲が立ち迷ってただ一幅の日の光が、ちょうど対岸の山の頂へ帯のように長く落ちていた。そうしてその光のさした所が、そこだけほかより鮮かな黄ばんだ緑に仄(ほの)めいていた。」

「彼は茫然と眼を挙げて、この平和な自然を眺めた。空も、木々も、雨後の空気も、すべてが彼には、昔見た夢の中の景色のような、懐しい寂寞(せきばく)に溢れていた。「何かおれの忘れていた物が、あの山々の間に潜んでいる。」――――彼はそう思いながら、貪るように湖を眺め続けた。しかしそれが何だったかは、遠い記憶を辿って見ても、容易に彼には思い出せなかった。/その内に雲の影が移って、彼を囲む真夏の山々へ、一時に日の光が照り渡った。山々を埋める森の緑は、それと共に美しく湖の空に燃え上った。この時彼の心には異様な戦慄が伝わるのを感じた。彼は息を吞みながら、熱心に耳を傾けた。すると重なり合った山々の奥から、今まで忘れていた自然の言葉が声のない雷(いかずち)のように轟(とどろ)いて来た。/彼は喜びに戦(おのの)いた。戦きながらその言葉の威力の前に圧倒された。彼はしまいには砂に伏して、必死に耳を塞ごうとした。が、自然は語り続けた。彼は嫌でもその言葉に、じっと聞き入るより途(みち)はなかった。/湖は日に輝きながら、潑溂(はつらつ)とその言葉に応じた。彼は――――その汀にひれ伏している、小さな一人の人間は、代る代る泣いたり笑ったりしていた。が、山々の中から湧き上る声は、彼の悲喜には頓着なく、あたかも目に見えない波濤のように、絶えまなく彼の上へ漲って来た。」

(「素戔嗚尊」)

 

 素戔嗚の魂の浄化と蘇生を象徴する、雄渾な叙事詩的名場面である。

 少々理知的に過ぎるきらいはあるが、十分におごそかな空気感の漂う、メリハリのきいた、正確で無駄の無い描写となり得ている。

「空も、木々も、雨後の空気も、すべてが彼には、昔見た夢の中の景色のような、懐しい寂寞に溢れていた」という言葉に注意したい。私はここに、作者芥川龍之介の〈身体〉に深く沁み込み、今もなお彼の〈無意識〉の奥で、表現を求めて疼いている、コスミックな土俗の〈闇〉の原風景への痛切な〈渇き〉を感じずにはいられない。「大川の水」に息づいていた、「寂寥」と「慰安」とに包まれた、魂の原風景への渇きを。

 この〈闇〉の原風景は、大正九年の芥川龍之介にとっては、もはや、幻燈のようなヴァーチャルな〈追憶〉の対象に成り果てていたようにおもわれる。

 だが、彼の〈身体〉に今も息づく、無意識的な闇の感覚の〈残滓〉は、魂の〈原郷〉への遡行の想いを誘発させずにはおかない。

 素戔嗚のこの〈転生〉の場面を、自然体験を彷彿とさせるリアルで稠密な風景描写と無駄の無い内面描写を通して、象徴的に紡ぎ出すことで、作者は、いまだ死に絶えていない、己れの内なる生命的な〈闇〉の残滓を、可能な限り、みずみずしい生存感覚として立ち上がらせ、それに、〈原郷〉の記憶への思慕・遡行の想いをリンクさせることで、壮大な神話的・アニミズム的な物語空間へと膨れ上がらせてみせようと、懸命に工夫を凝らしているようにおもわれる。

 

     12

 

 芥川龍之介は、「素戔嗚尊」において、古代を舞台としながら、『古事記』のコスミックで壮大な神話世界を、敢えて、神性を宿した〈生身〉の人間を主人公とする近代リアリズム小説風の物語へと理知的につくり変えるという、なんとも中途半端で強引な冒険を試みている。

 王朝物などの、芥川の他の歴史物においては、彼のリアリズム文学的姿勢は欠点とはならず、むしろ新鮮な強みとなることが多いのであるが、神話世界となると、そうもいかない。ヘタをすると、荒唐無稽な戯作物に堕してしまいかねない、ある意味で無謀な創作姿勢ともいえる。

 この時期の芥川は、それほどの思い切った試みをしなければならぬほどに、己れの内なる〈闇〉の表現に渇いていた、ということもできよう。

 より正確に言うなら、天地の息づかいを肌身で感じていた、野性味溢れる素朴な古代人の生存感覚に想像的に想いを馳せ、その想像力を、己れの内なる〈闇〉の感覚とリンクさせながら、スケールの大きい、解放感のある物語的時空を立ち上がらせることで、「大正期」という資本制近代を生きる芥川自身の閉塞感と不条理感を打破せんと切望していた、ということだ。

 その冒険の甲斐はあったと思う。

「素戔嗚尊」は、たしかに、あまりにも理知的・人工的につくり込まれたヴァーチャルな物語空間という印象は残るが、この時期における芥川なりの〈闇〉の解放は、精一杯できていると、私にはおもえるからである。

 それだけに、改めていぶかしく思わずにはいられないのだ。

 これほどの美事な生命的描写を紡ぎ出すことのできていた作家が、なにゆえに、晩年期の芥川のような、痩せ細った、神経症的な近代文学者の場所に「縮退」してしまったのか?と。

「素戔嗚尊」「老いたる素戔嗚尊」が書かれた大正九年までは、存在へのコスミックな闇の感覚と倫理的な気高さへの希求は、たしかにこの作家の中で、生き生きと命脈を保っていたようにおもわれる。

 しかし、彼の神経衰弱が悪化し始めた「大正十年」頃からは、メタフィジカルな闇の感覚は急速に消失していく。

 繊細な文体の中にも温存されていた闊達な野性味やのびやかさが失われ、まなざしは、酷薄な地上の散文的・三次元的現実に緊縛され、生存感覚の振幅は狭窄されて、作品世界は息苦しさを増してゆく。

 少年期における心の変容を描いて、大人になることへの強烈な痛みを覚えさせる名作「トロッコ」(大正十一年作)を最後に、芥川の文体の中に残存していた独特の繊細な温かさの感覚、抒情的な潤いといったものも希薄になっていき、小説は、「一塊の土」(大正十二年作)や「玄鶴山房」(昭和二年作)のように、冷やかで乾いた客観的写実の性格を強めていくのである。

 なぜ、このような変容が生じたのであろうか?

 ひとつ考えられるのは、小穴隆一宛の遺書の中で告白されている「秀夫人」との恋愛(密通)関係による傷である。芥川によれば、秀夫人との関係が起こったのは、彼が「二十九歳」の時だという。数え年だとすれば、「大正九年」の出来事である。この年に書かれた「素戔嗚尊」には、高天原を追われた後の素戔嗚の、大気都姫を中心とする女たちとの洞穴内での淫蕩な暮らしぶりが、実に執拗に描かれている。素戔嗚は、愛欲の泥沼に溺れながらも、地獄の苦しみを味わっており、繰り返し懸命に脱出を試みるのだが、そのつど女たちの怪しい色香の誘惑に負けて、洞穴に舞い戻ってしまう。

 やがて女たちは、素戔嗚に代わって、一匹の精悍で不気味な牡(おす)の「黒犬」を可愛がるようになる。ついに女たちの獣姦の対象にまでなった黒犬への嫉妬に駆られた素戔嗚は、犬の代りに誤って大気都姫を刺し殺してしまい、それを機に、ようやく魔窟から脱出することができる。

 これらの一連の淫蕩の日々は、過剰といってもよいほどの粘っこさで描写されており、その後に、すでに引用した素戔嗚の魂の浄化(転生)の場面が登場するわけである。

 この劇的な〈浄化〉のシーンに、〈喩〉としてのリアリティを与えるために、作者は、これだけの粘着的な〈淫蕩〉の物語を紡ぎ出さねばならなかったのだ。

 作品を素直に読む限り、作者芥川が、この時期(大正九年)、ある痛切な愛欲の地獄を抱え込んでおり、その中でもがき苦しみながら懸命に脱出を図っている、という印象は拭えない。古代を舞台とする虚構作品ではあるが、それだけの〈喩〉としての迫真性・リアリティを、私は、この「素戔嗚尊」に感じずにはいられないのである。

 この作品によって気持がふっ切れたのか、芥川は、翌年(大正十年)の中国旅行の後に、秀夫人との関係を一応断ち切ってはいる。小穴隆一宛の遺書には、「秀夫人の利己主義や動物的本能は実に甚しいものである」という言葉があり、夫人と別れた後の次第については、「その後は一指も触れたことはない。が、執拗に追ひかけられるのには常に迷惑を感じてゐた。僕は僕を愛しても、僕を苦しめなかった女神たちに(但しこの「たち」は二人以上の意である。僕はそれほどドン・ジュアンではない。)衷心の感謝を感じてゐる」と記されている。(『芥川龍之介全集』第二十三巻 岩波書店 1998年 参照。)

 よほど苦しめられていたとみえる。

 その恋愛の後遺症は、彼の作品にも暗い影を落としている。(例えば、小説「藪の中」(大正十年作)や、遺稿「或る阿呆の一生」の中で「狂人の娘」として暗喩的に語られている女性像のように。)

 秀夫人との恋愛関係から受けた傷は、おそらく、深刻な女性不信とエロス的な呪縛への恐怖、どす黒い自己嫌悪と後悔といった形をとって、大正十年以後の芥川を苦しめたようにおもわれる。秀夫人との関係の後遺症の他にも、毎日新聞社海外視察員として中国に旅行した折の(上海での病も含めた)体験や関東大震災との遭遇も、芥川の人生への挫折感・不条理感を悪化させるものであったかもしれない。

 もちろん、よく知られているように、彼の家族を近親憎悪的に囲い込んでいた親族、特に龍之介を溺愛していた「伯母」や義父母との葛藤、職業作家として成功し続けなければならないという切迫感、文壇における「立ち位置」への自意識なども、生き難さをつのらせる要因であったろう。

 芥川は、生涯にわたって、人生=実生活に対して、救いようのない暗い想念を抱き続けた。

 人生とは、人間という得体の知れない生き物が、悪因縁のしがらみの中でもがき苦しみ、互いに傷つけ合い、胸の底に癒し難い孤独を抱えながら頼りなく浮遊している、悪夢の連鎖のようなものだという、つらいイメージをふっ切れなかった。

 彼は、関係の障害のるつぼであり、不条理性の別名である、実生活という〈カオス〉を、ひたすら忌避し、怖れたのだ。

 実生活の荒波にいや応もなくさらされ、それに対して、果敢に、即自的に身を投げ入れることのできる、大衆のタフな生きざまに、彼は内心、去勢されるような蒼ざめた恐怖を覚えていたに違いない。

 だからこそ芥川は、己れの理知的・観念的な〈意識〉によって了解し、統御しうる、小説空間という多彩な「人生の地獄図」を紡ぎ出すことで、実生活という〈闇〉のカオスに対峙せんとしたのだ。

 前期から中期にかけての芥川小説の中心が「歴史物」に置かれていたのも、現代人の実生活に垣間見える醜悪な生臭さに対して、彼の繊細で傷つきやすい精神が息苦しさを覚えていたからではあるまいか。

「現代物」が強いてくるモチーフの内、「歴史物」に移せる限りのものは、全て移していったようにおもえる。現代物のモチーフを歴史物に移すことで、窮屈な道徳的・社会的通念の制約から解き放たれ、大胆で残酷な実験も可能となるし、アトム化の風圧にさらされていた大正期の資本制近代の殺伐とした「裟婆苦」の世相から、巧みに距離をとることもできる。歴史物と現代物の創作のバランスをとることで、精神の安定を図っていたといってもよいだろう。

 このバランスが、大正十一年以後一気に崩れ去っていったのは、だから、芥川の精神の安定が失われていったことを物語っている。

 歴史物が減り、現代物の比重が圧倒的に高まっていくわけだが、このことは、芥川の〈現実〉への対峙の仕方、たたかい方に、ある重要な変化が生じていた事を示している。

 すなわち、かつてのように、「裟婆苦」の現実から距離をとるのではなく、逆に、現代物というフィルターを通してみつめられた、狭窄された現実に、自身を同化させようとしていたということだ。

 晩年期の芥川作品に、「私小説」(もしくは私小説的作品)のウェイトが高まるのも、そのせいではないかとおもわれる。

 彼は、休む間もなく、がむしゃらに書き続け、〈自意識〉を酷使し続けることで、芸術という〈砦〉を膨れ上がらせているうちに、いつしか不可知なる〈闇〉の中に、素直に〈身体〉をゆだねることができなくなってしまったのではあるまいか。

 何もかもを、己れの〈意識〉によって神経症的に統御せんとする、デモーニッシュな情熱に魂を食われてしまったのだ。己れ自身のライフ・ヒストリーも、己れの生きる大正から昭和初年の現実も、全てを、己れの〈意識〉によって仕切ろうとした。

〈無意識〉の広大無辺さへの〈畏怖〉の心を、いつしか忘れ果てていた。

 裏を返せば、それだけ、いつの間にか、〈無意識〉への窓口である身体感覚の〈振り幅〉は狭窄され、冷え切ったものと化していたということだ。身体の〈悲鳴〉に素直に耳を傾けることができないほどに、〈自意識〉は、傲慢に肥大化していたともいえよう。

 不条理感の高まりによって、〈無意識〉が痛めつけられ、身体が冷却化の一途を辿るにつれて、芸術家としての〈自意識〉は逆に先鋭化し、私小説を含む「現代物」への傾斜が強まっていったと考えられる。

 芸術の言葉によって一面的に規定された、酷薄な観念的現実を、敢えて己れ自身の〈棲み家〉として択び取ることで、晩年期の芥川は、自らの〈身体性の衰弱〉をカバーし、あるがままのカオスとしての現実に、〈意識〉の力によって対峙せんとした。

 しかも、芸術という名の人生の散文的な地獄図は、例の地動説的イデオロギー(アトミズム的・機械論的世界観)によって、強固な認識論的裏付けを獲得していた。

 彼の〈自意識〉はもはや引っ込みがつかず、意固地な身構えを崩すことができないままに、行き着く所まで行き着くほかはない、内面的な地獄の渦中をひたすら突き進んでいった。

 おまけに、芥川は、世間体を恐ろしく気にかける人物であり、また、(おそらく芥川夫人を除けば)身内にも友人にも、己れの病への〈恐怖〉を正直にリアルに伝えることは、至難のわざであった。精神病院に入れられることも、ひどく怖れていた。どこにも、出口はなかったのである。(この稿続く)

 

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「中期」太宰治の変容―表現と実生活をめぐるアポリア―(連載第2回) 川喜田八潮

  • 2017.05.24 Wednesday
  • 19:31

 

     2

 

「作者オイレンベルグ自身が小説の女房の夫である」という仮説を前提とした上で、太宰は、原作の文章を適宜「引用」しつつ、(鴎外の翻訳文にはほとんど手を加えず)原文はそのままにした上で、巧みに、登場人物の心の背景を読み込んでゆき、原作を「補足」するかっこうに見せかけて、太宰独自の小説に仕立て上げてゆく。

 まず冒頭で、鴎外の翻訳小説の「面白さ」、読者への「親切心」(サービス精神)が強調され、そこに、太宰の芸術観の隠し味が伏線のように張られている。次いで今まで述べてきたような、オイレンベルグの小説のリアルでドライな迫力への強烈な〈異和〉のおもいが語られ、前述の〈仮説〉のもとに、作品の思い切った「作り変え」(補足)が施される。そして、女房と愛人の「決闘」を木陰に隠れて「観察」し、後に、女房の死後、事件の顛末(てんまつ)を非情に「作品化」する男の〈芸術家根性〉への批判的な視線が語られる。

 こういった展開の中に一貫して流れるものは、太宰の、リアリズム的な文学観への強烈な〈異和〉〈反措定〉の情熱であるといっていい。

 それは、先に引用した作者オイレンベルグの原作への強烈な〈異和〉の言葉を見ても、はっきりとわかるはずだ。

 体験や観察を忠実に(本当は「まことしやかに」なのだが)まるごと「客体化」して提示しようとするリアリズム的・私小説的な文学理念というものを解体し、〈虚構〉による象徴表現を通じて、無意識のデリケートな異和や渇きや祈りの感触を、深層のメタフィジカルな〈真実〉として抽出すると共に、「戯作者」的な面白さや軽さを付与することで、なまの現実がむき出しにする散文的・地上的な酷薄さの位相を緩和し、現実に拮抗しながら、同時に癒し、くぐり抜けてゆくという方法。

 それが、「中期」太宰治の無意識的な文学理念の悪戦の場所であったといってよい。

 このたたかい方は、太宰改作による『女の決闘』においては、「芸術家」としての夫の場所へのまなざしに凝縮されている。

 この人物の場所をまとめてみるとこうなる。

 まず、この男は、女房と女学生の決闘をあらかじめ知っていながら、むざむざそれを放置し、あまつさえ、木陰に身を潜めて、決闘の成り行きを「写真機」のごとく「観察」し、女房の死後、事件の顛末をこの上なく的確に描写しうるような人物である。すなわち、「表現の虫」というサタンを胸の内に飼う芸術家という因業な存在である。

 また、この作家は、功成り名とげて「倦怠」に陥り、若い女学生との浮気に刺激を求めていた中年男である。

 女房に対しては、長い年月にわたって愚直に自分に奉仕してきた無知な女とみくびり、世間体をつくろいながら、子を育て、生活の便法上の必要を満たしてゆくための道具的存在とみなしてきた。(さらにいうなら、この男は密かに、「女」一般への根深い侮蔑心を抱いている。)

 要するにこの男は、「女」も「実生活」も「世間」も、本質的にタカの知れたものとみなしてなめくさっている。それでいて、世の批評家からは「精緻な描写」を絶賛される重厚なリアリズム文学の大家である。

 人生への深い侮蔑の念をもち、シニカルな眼でその種々相をリアルに活写しうる手腕の持ち主であり、己れの芸術の砦を拠り所に世間を冷眼視する、よくあるダンディストのタイプなのだ。

 太宰は、こういう芸術家の夫の生きざまを、女学生と女房の目を通じて痛烈に相対化し、ぶち壊してゆく。

 女学生にとっては、この男は単なる経済上の「パトロン」にすぎず、真の恋愛の対象でもなんでもない。おまけに、「市民を嘲(あざけ)って芸術を売って」おきながら「市民と同じ生活をしている」芸術家という、奇怪な思い上がった種族への、毒々しい知的好奇心を満たしてくれる、冷ややかな「観察」の対象でもある。

 他方、女房の方は、ひねこびて自意識の強い女学生とは対照的に、夫のことをつゆ疑うことも無く、長い年月にわたってひたすら家庭を守り、そこに生きることの意味のすべてを託してきた、つつましい素朴な主婦として描かれている。

 その一見ありふれた女と見えた彼女が、夢想だにしなかった夫の裏切りによって、一瞬にして己れの存在の根拠が崩れ去るような衝撃を受けたとき、それまでの夫や子供たちへのおもいも、過去の生活のあらゆる哀歓に満ちた思い出も、すべて忘却の淵に葬り去り、断固たる冷酷な〈自己抹殺〉への意志の化身へと変貌してしまう。

 たったひとつ残された遺品である、牧師への回心を拒絶する「書きかけの手紙」には、そういう凄まじい、一途(いちず)な女の心情がにじみ出ている。

 

「……わたくしはこの檻房から、わたくしの逃げ出して来た、元の天国へ帰りたくありません。よしや天使が薔薇(ばら)の綱をわたくしの体に巻いて引入れようとしたとて、わたくしは帰ろうとは思いません。なぜと申しますのに、わたくしがそこで流した血は、決闘でわたくしの殺した、あの女学生の創(きず)から流れて出た血のようにもう元へは帰らぬのでございます。わたくしはもう人の妻でも無ければ人の母でもありません。もうそんなものには決してなられません。永遠になられません。ほんにこの永遠と云う、たっぷり涙を含んだ二字を、あなた方どなたでも理解して尊敬して下されば好いと存じます。」

「わたくしはあの陰気な中庭に入り込んで、生れてから初めて、拳銃と云うものを打って見ました時、自分が死ぬる覚悟で致しまして、それと同時に自分の狙っている的は、即ち自分の心の臓だと云う事が分かりました。それから一発一発と打つたびに、わたくしは自分で自分を引き裂くような愉快を味いました。この心の臓は、もとは夫や子供の側で、セコンドのように打っていて、時を過ごして来たものでございます。それが今は数知れぬ弾丸に打ち抜かれています。こんなになった心の臓を、どうして元の場所へ持って行かれましょう。よしやあなたが主御自身であっても、わたくしを元へお帰しなさる事はお出来になりますまい。神様でも、鳥よ虫になれとは仰(おっし)ゃる事が出来ますまい。先にその鳥の命をお断ちになってからでも、そう仰ゃる事は出来ますまい。」

「わたくしの為には自分の恋愛が、丁度自分の身を包んでいる皮のようなものでございました。若(も)しその皮の上に一寸(ちょっと)した染(しみ)が出来るとか、一寸した創(きず)が付くとかしますと、わたくしはどんなにしてでも、それを癒やしてしまわずには置かれませんでした。わたくしはその恋愛が非常に傷つけられたと存じました時、その為に、長煩いで腐って行くように死なずに、意識して、真っ直ぐに立った儘で死のうと思いました。」

 

 なにもかもなくしてしまった自らの苦しみの本質を、あるがままに冷徹にみきわめた上で、直截にわしづかみにするような、女房のこの率直な告白の文面に、「芸術家」の夫は心底戦慄をおぼえる。

 そこには、人生の一切の虚飾をはぎとった時に浮上する、恐ろしいほど興ざめのする「リアル」な生活者の情念と行為の〈凄み〉がにじみ出ていたからだ。

 男は生まれて初めて「実人生の、暴力的な真剣さ」の真のかたちというものをまざまざと目のあたりに見せつけられる。とうてい「小説」にも「詩」にもなりようがない生の実体の深淵、あらゆる文学表現=芸術なるものをはじき返してしまう強固で赤裸々な肉質というものを初めて触知して、打ちのめされる。

 自分がそれまで、知ったかぶって書き散らし、読みかじってきた〈文学〉の世界などは、「ガキの遊び」にすぎないものであることを思い知らされ、茫然自失した男は、ふいに死にたくなるような衝動に駆られる。

 オイレンベルグの原作では、女房の手紙の文章が披瀝されたところで終っているのであるが、太宰の改作では、その後に、興味深い〈落ち〉が付け加えられている。

 決闘の一部始終を小説に仕上げるために、女房の手紙のドスのきいた真剣勝負の言葉を、ひとつひとつ書き写しているうちに、「異様な恐怖」に襲われた「芸術家」の夫は、途中で筆を投じてしまい、ふいに死にたくなるような衝動に駆られる。そのまま、机の引き出しから拳銃を取り出して「胸に銃口を当てて引金を引いた」と書けば、「多少はロマンチックな匂いも発して来る」のだが、「現実は、決して、そんなに都合よく割り切れず」、人生の「興覚めの強力な実体」を見せつけられた芸術家は、それからも、「別に変った事も無く、翌(あく)る日も、その翌る日も、少くとも表面は静かな作家の生活をつづけて」いく。

 失敗の短編『女の決闘』も、間もなく、「平気を装って」しゃあしゃあと新聞に発表してしまう。

 そして、「驚くべきことには、実にくだらぬ通俗小説ばかりを書くようになり」大成功して、俗物として一生をまっとうするのである。

 

「いちど、いやな恐るべき実体を見てしまった芸術家は、それに拠っていよいよ人生観察も深くなり、その作品も、所謂(いわゆる)、底光りして来るようにも思われますが、現実は、必ずしもそうでは無いらしく、かえって、怒りも、憧れも、歓びも失い、どうでもいいという白痴の生きかたを選ぶものらしく、この芸術家も、あれ以来というものは、全く、ふやけた浅墓(あさはか)な通俗小説ばかりを書くようになりました。かつて世の批評家たちに最上級の言葉で賞讃せられた、あの精密の描写は、それ以後の小説の片隅にさえ、見つからぬようになりました。次第に財産も殖(ふ)え、体重も以前の倍ちかくなって、町内の人たちの尊敬も集り、知事、政治家、将軍とも互角の交際をして、六十八歳で大往生いたしました。その葬儀の華やかさは、五年のちまで町内の人たちの語り草になりました。再び、妻はめとらなかったのであります。」

 

 もちろん、太宰は、実際のオイレンベルグ氏がそんな転落ぶりを示したというわけではなく、あくまで、自分の小説上の〈結末〉にすぎないと断ってはいる。

 しかしそれにもかかわらず、この太宰の痛烈な結末のつけ方は、ゆるがせにできぬ重要な問題を提起している。それは、リアリズム的なまなざしというものが、人間の生をどういう場所に追い込んでいくのか、という問題だ。

 

     3

 

 リアリズム文学は、人生の〈地獄〉に固執する。近代文学の原点が、やむにやまれぬ己れの〈個〉としての固有の〈異和〉のおもいを忠実に吐き出し、そのとらえがたい感触を能う限り精緻に、生々しく「再現」することで、己れの生の混沌を対象的に「支配」し、不安をなだめ、生きようとする意志と理性を再編・強化しようとする営みにあるとすれば、いきおい、描写のリアルな迫真性を重んずることになる。その意味で、リアリズム小説や私小説という素朴な方法は、素朴な直截性ゆえに、近代文学のアルファでありオメガであるような性格を最初から帯びているともいえる。

 私たちが、生の〈風化〉をまぬがれ、実人生や人間性の真の暗がりや奥ゆきをひるまずに凝視しつつ、なお、その圧倒的なふくらみと重さに「拮抗」しようとすれば、リアリズム的なまなざしは、正道を行く文学のあり方として、私たちを繰り返し強制して来ざるを得ないものだ。

 しかし「だからこそ」、私たちは、そういう視線に限定的に囲い込まれることを拒否するほかはない、という表現理念があり得るのだ。

 それが、太宰がここで提起している問いかけなのである。

 私たちが、世界への〈異和〉や〈渇き〉を精緻なリアリズム的凝視に「偏執」することによって吐き出し、表現してゆこうとする限り、私たちの世界風景は、いきおい、地上的な〈地獄図〉に囲い込まれた、いびつで一面的な〈自虐〉の産物に収斂するほかはない。

 真にドスのきいたリアリズム的迫真性というものは、生理の限界を超えるほどの〈魂への破壊力〉をもちうるのであり、無意識の深層に秘められ、凍結されていた「嬰児のすすり泣き」のような原初の〈痛覚〉を強烈に刺激・励起させることで、私たちをひとつの地獄図絵の内に囲い込もうとする。真の第一級のリアリズム作品というものは、それだけの凄まじいエロス的な磁場を形成し得るのだ。

 そのマゾヒズムの凄惨さに耐え得る特有の〈資質〉を有する少数の表現者を別とすれば、人間にとって、酷薄な散文的リアリズムの世界を棲み家にすることは、まっとうな生活者としては〈死〉をもたらすやり口でしかないのではないか。

 それが、太宰がここでこだわっている問題なのだ。

 誤解を恐れずにいうなら、マゾヒズム的な表現世界を棲み家にし得るリアリズム作家・私小説作家という人種は、ある意味では、その作品を「享受」する読者よりも、良い意味でも悪い意味でも、鈍感な種族なのだともいえよう。繊細で傷つきやすい神経をもった読者なら到底耐え得ないような、泥沼のような生老病死の修羅の実相を、舌なめずりするように描出し、その劇痛に耐え、長年月にわたってその苦しみを飼いならしているうちに、少々のことでは突き刺さらないような、ぶ厚い〈観念〉の皮下脂肪を〈第二の肉体〉のようにつくり上げてしまった、強靭で脆弱で不幸な人間たちなのだ。

 もちろん、幼児期までの〈傷〉の深さの度合によっても人さまざまだろうが、いずれにせよ、柔らかで傷つきやすい生身の魂をもったデリケートな生活者や表現者とは、どだい、視えている風景も生存感覚もまるっきり違うのである。

 痛ましいことに、〈近代〉という奴は、大なり小なり、あらゆる人間たちに、こういう酷薄なリアリズム的視線によって切り取られた地上的散文的な世界風景を、偏執的に強要してくるのであり、誰もが、無意識を囲い込もうとするその酸鼻な〈死臭〉によって、魂を痛めつけられているのである。

 特に、私たちの〈現在〉のような冷えきった世の中ではなおさらのことだ。

 極度に細分化された神経によって、日々、自他に対する無数の関係意識の障害に苦しめられている人々にとって、こういう世界視線は、ほとんどがまんならぬものとなっているはずだ。

 それだけに、「中期」太宰の反リアリズム的姿勢のはらむ〈現在性〉は、とても貴重な意味をもっている。太宰治自身が、誰よりも、こういう散文的な酷薄さに耐えられぬ神経の持ち主であったからだ。

『女の決闘』の芸術家が、「実人生の、暴力的な真剣さ」に打ちのめされ、己れの芸術的な視線と手腕にすっかり自信をなくし、ふやけた通俗小説ばかり書くようになったのも、彼が、柔らかで傷つきやすい魂の持ち主であったからだ。

 そういう繊細な人間が、地上的な酷薄さに対峙してなお、己れの〈異和〉や〈渇き〉を忠実に吐き出し、固有の表現を与えることで、生活者としてのすこやかな肉体と生への肯定的な視線を保ち得るとしたら、改めて、文学を、ひとつのメタフィジカルな真実を喩的に体現する〈虚構〉とみなす、真に肚(はら)のすわった「戯作者」的な表現理念が必要となる。

 こういうことは、そのまま、私たちの時代の物書きの病につながっている。

 私たちの現在の社会では、クソまじめなリアリズム文学や私小説が全盛を極めていた戦前の文壇世界とは全く逆に、それこそ「ガキの遊び」にすぎないような、ハシにも棒にもかからないふやけたエンターテインメントや通俗小説が氾濫しきっている。

 作者当人の〈人間認識〉が「その程度」にすぎない場合もあれば、(『女の決闘』の芸術家と同様に)実生活や人間性の底知れぬ深淵を無意識裡に触知しているがゆえに、逆に、その〈恐怖〉から目をそらし、気を紛らわそうとするかのように、エンターテインメントに逃避・埋没する作者たちもいる。

 いずれにせよ、現在の私たちの社会における、多くのエンターテイナーたちの〈戯作者意識〉という奴が、実人生や人間性の真の堅固な実体に「拮抗」できるようなしろものでないことはたしかだ。

 私の見るところでは、メタフィジカルな〈喩〉のレベルで時代の激変に耐え得るような、真に優れた達成を示す作品は、残念ながら、現在の時点では本当に数えるほどしかない。

 それは、利害関係的な局面を除けば、稀薄で幼稚な人間的〈接触〉しかなし得ない、現代人の酸鼻な関係意識と観念的で抽象的な生きざまを正確に反映するものだといってよい。

 太宰治の戯作者的なまなざしは、現在の多くのエンターテイナーたちのふやけた表現理念とは逆に、また『女の決闘』の芸術家の末路とは逆に、文学なぞ真剣勝負の「実人生」に比べれば「ガキの遊び」にすぎないことを真にわきまえた上で、それゆえにこそ、敢えて、その戯れに徹しようとするようなシビアな場所なのだ。

 太宰にとって、真剣勝負の「実人生」とは、本当は、限りなく恐ろしい、自他への関係意識の障害の底無し沼のような世界であり、彼にとっては〈異類〉ともいえる、得体の知れない強靭な肉体に裏打ちされた、生への悪魔的な獰猛さを備えたタフな生活大衆の〈沈黙〉の世界にほかならない。

 生への去勢感情の強さ、生存感覚の芯から立ち昇る生得の虚無感、あるがままのリアルな実生活者たちの生きざまに生気を奪い取られるような〈生き難さ〉の実感。

 それが、太宰的感覚(あるいは芥川―太宰的感覚)なのであり、それゆえにこそ、彼は、実人生から締め出される己れの固有の〈渇き〉に、文学という「ガキの遊び」によって表現を与えることで、修復と救いをもたらそうとしたのである。

 それは、生活の恐怖におののき、そこから逃れようと半狂乱になって、もがきにもがき抜いたあげく、実生活の強固な実体にどうしようもなく突き返され、その脂ぎったどす黒い深淵に真に拮坑し得る唯一の砦として、いや応なく択びとるほかはなかった、ぎりぎりの捨て身の場所だといってよい。

 太宰が、『女の決闘』における(女房の手紙に接する以前の)芸術家の夫のように、世間や人生や大衆に対する侮蔑の念と芸術至上主義的な居直りに自足するようなタイプであったとしたら、あるいは、芸術を自分の「仕事」と割り切って、実生活の「一部」として抵抗なく組み込み、実生活者としても自信に満ち溢れた、生活をエンジョイできるタフな人物たりえたとしたら、ここで言うような「実生活への真の拮抗」としての芸術は必要ではない。

 生活大衆の「体を張った」ドスのきいた〈沈黙〉の世界に真に拮抗すると共に、自身もまた、ひとりのつつましい〈生活者〉として、家族を守り、しあわせになろうとする、まっとうな真剣勝負の世界を生き抜いていたからこそ、「中期」の太宰は、文学=表現という営みをこの上もなく大切にすることで、自らの〈実生活〉にいのちとふくらみを与え、かつ、人間らしい〈生身〉の叫びを見失うまいとしていたのだ。

『女の決闘』でいうなら、女房と女学生の決闘をむざむざ放置し、冷酷に観察していながら、ある瞬間には、ふたりの女の無事と和解を心から祈り、止めに入ろうかという切迫した情動に駆られる男の瞬時の心の推移を強調し、弁護しようとする姿勢に、当時の太宰の生活者的な真面目(しんめんもく)が表われている。

 

「男は、あの決闘の時、女房を殺せ! と願いました。と同時に、決闘やめろ! 拳銃からりと投げ出して二人で笑え、と危く叫ぼうとしたのであります。人は、念々と動く心の像すべてを真実と見做(みな)してはいけません。自分のものでも無い或る卑しい想念を、自分の生れつきの本性の如く誤って思い込み、悶々している気弱い人が、ずいぶん多い様子であります。卑しい願望が、ちらと胸に浮ぶことは、誰にだってあります。時々刻々、美醜さまざまの想念が、胸に浮んでは消え、浮んでは消えて、そうして人は生きています。その場合に、醜いものだけを正体として信じ、美しい願望も人間には在るという事を忘れているのは、間違いであります。念々と動く心の像は、すべて『事実』として存在はしても、けれども、それを『真実』として指摘するのは、間違いなのであります。真実は、常に一つではありませんか。他は、すべて信じなくていいのです。忘れていていいのです。」「薄情なのは、世間の涙もろい人たちの間にかえって多いのであります。芸術家は、めったに泣かないけれども、ひそかに心臓を破って居ります。人の悲劇を目前にして、目が、耳が、手が冷いけれども、胸中の血は、再び旧にかえらぬ程に激しく騒いでいます。芸術家は、決してサタンではありません。かの女房の卑劣な亭主も、こう考えて来ると、あながち非難するにも及ばなくなったようであります。眼は冷く、女房の殺人の現場を眺め、手は平然とそれを描写しながらも、心は、なかなか悲愁断腸のものが在ったのではないでしょうか。」

 

 一歩踏み誤ると奈落に転落するようなきわどい理念ではあるが、これが、「中期」太宰治のりりしい立ち姿だ。

 たとえ、文学を棲み家とし、実生活上の種々の営みに軋轢をかけざるを得ない日々に見舞われようとも、中期太宰の生きざまは、この点で本質的にすこやかなものであり、われわれ生活者の生きる営みにも深く通じるものだといってよい。〈現世〉にはまり切らずに苦しみ、もがきつつ〈生活〉に夢をはせ、日々生身でたたかう者の胸を打つものがあるといえるのだ。(この稿続く)

 

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「中期」太宰治の変容―表現と実生活をめぐるアポリア―(連載第1回) 川喜田八潮

  • 2017.04.26 Wednesday
  • 14:30

 

*この「『中期』太宰治の変容」は、「1998年・秋」に発行された「星辰」創刊号に掲載されたものである。当初は、「太宰治と〈悪〉」という統一タイトルのもとに、連載評論の「第一回目」として発表された。この連載は、「星辰」創刊号〜第四号までの計四回にわたり、その内、創刊号と第二号には「中期」太宰論、第三号と第四号には「後期」太宰論が分載されたが、今回、ブログ「星辰」に再掲するにあたり、改めてその内容を慎重に検討した結果、「中期」太宰論の二論考(「『中期』太宰治の変容」及び「『右大臣実朝』と宿命」)のみをここに掲載することとした。

 ブログ「星辰」では、この二論考を、それぞれ数回に分けて、これから順次掲載してゆく予定である。

 併せて味読いただければ幸甚である。(二〇一七年四月 筆者)

 

     1

 

 中期太宰治の傑作に『女の決闘』という風変わりな実験小説がある。

 森鴎外の翻訳小説を引用しながら、その〈文体〉を足がかりに、巧みに原作内容に手を加えつつ、いつの間にか、太宰治自身のモチーフに即した固有の作品に変容させてしまうというものである。

 原作は、十九世紀後半のドイツの作家ヘルベルト・オイレンベルグの『女の決闘』という短編小説で、粗筋はきわめて単純なものだ。

 妻子ある男と関係をもつロシヤの医科大学の女学生に対して、夫の浮気に気づいた貞淑な妻が密かに「決闘」を申し込む。生まれて初めて拳銃を買い求めた女房は、射撃上手な女学生の手にかかって死のうと決意してのぞむが、逆に、相手を射殺してしまう。

 自首して未決囚となった彼女は、獄中で夫との面会を一切拒否したまま、絶食して餓死する。あとには、牧師あての、回心を拒絶する書きかけの手紙が一通残される。

 その手紙には、女房の、夫への愛情の真剣さと彼の裏切りに対する絶望の深さが赤裸々に吐露されていた。

 太宰はまず、この作品の文体の、リアルでドライな冷ややかさのもつ意味に着目する。

〈文体〉とは、表現者自身の〈生きる姿勢〉の本質を容赦なく垣間見せるものである。

 ケチくさい奴はケチくさい文体を、カラッポな奴はカラッポな文体を、冷酷な奴は冷酷な文体を、ハートのある奴はハートのある文体をしているものだ。

 原作は、書き出しの一行目から、能う限りムダの無い、非情ともいえる簡潔的確でスピーディーな文体によって書かれている。太宰の言い回しを借りれば、「ぶんなぐる」ような、素っ気ない乱暴な書き出しで始まっている。

「古来例の無い、非常な、この出来事には、左の通りの短い行掛りがある。/ロシヤの医科大学の女学生が、或晩の事、何の学科やらの、高尚な講義を聞いて、下宿へ帰って見ると、卓の上にこんな手紙があった。宛名も何も書いて無い。」という、唐突で不親切な書き出しに始まり、このあとただちに女房の「決闘状」の文面が続いている。

 作品全体を通じて、登場人物の生活史や家庭や現在の暮らしぶりはもとより、物語の舞台となる時と場所すら、はっきりとはしない。

「どうしても、この原作者が、目前に遂行されつつある怪事実を、新聞記者みたいな冷い心でそのまま書き写しているとしか思われなくなって来る」ような異様な文体なのだ。

 しかも、「事件」の経過を示す事実関係だけをいきなり叩きつけるような、余裕もふくらみも遊びも一切無い、ドライでスピーディーな文体に加えて、女房の心象風景の微細な推移に対する、虚構とは思えぬほどの、なまなましい、精緻でリアルな内在的描写が展開されてゆく。

 一例を挙げてみよう。死を決意し、女学生に決闘状を届けた女房が、銃砲店におもむいて密かに拳銃を買い求め、店の裏にある陰気な中庭で射撃の練習を行う場面である。

 

「中庭の側には活版所がある。それで中庭に籠(こも)っている空気は鉛の匂いがする。この辺の家の窓は、ごみで茶色に染まっていて、その奥には人影が見えぬのに、女の心では、どこの硝子(ガラス)の背後にも、物珍らしげに、好い気味だと云うような顔をして、覗(のぞ)いている人があるように感ぜられた。ふと気が付いて見れば、中庭の奥が、古木の立っている園に続いていて、そこに大きく開いた黒目のような、的が立ててある。それを見たとき女の顔は火のように赤くなったり、灰のように白くなったりした。店の主人は子供に物を言って聞かせるように、引金や、弾丸を込める所や、筒や、照尺をいちいち見せて、射撃の為方(しかた)を教えた。(中略)

 女は主人に教えられた通りに、引金を引こうとしたが、動かない。一本の指で引けと教えられたのに、内内二本の指を掛けて、力一ぱいに引いて見た。そのとき耳が、がんと云った。弾丸は三歩ほど前の地面に中(あた)って、弾かれて、今度は一つの窓に中った。窓が、がらがらと鳴って壊れたが、その音は女の耳には聞えなかった。どこか屋根の上に隠れて止まっていた一群の鳩が、驚いて飛び立って、唯さえ暗い中庭を、一刹那の間、一層暗くした。

 聾(つんぼ)になったように平気で、女はそれから一時間程の間、矢張り二本の指を引金に掛けて引きながら射撃の稽古をした。一度打つたびに臭い煙が出て、胸が悪くなりそうなのを堪えて、その癖その匂いを好きな匂いででもあるように吸い込んだ。余り女が熱心なので、主人も吊り込まれて熱心になって、女が六発打ってしまうと、直ぐ跡の六発の弾丸を込めて渡した。

 夕方であったが、夜になって、的の黒白の輪が一つの灰色に見えるようになった時、女はようよう稽古を止めた。今まで逢った事も無いこの男が、女のためには古い親友のように思われた。」(ちくま文庫版『太宰治全集』による。以下の太宰作品の引用も同全集による。)

 

 こういう文体に対して、太宰は、作者の「書く」姿勢とこの作品の「素材」(事件)への〈距離〉のとり方に対する強烈な〈異和〉のおもいを次のように吐露してみせる。

 

「どうです。少しでも小説を読み馴れている人ならば、すでに、ここまで読んだだけでこの小説の描写の、どこかしら異様なものに、気づいたことと思います。一口で言えば、『冷淡さ』であります。失敬なくらいの、『そっけなさ』であります。何に対して失敬なのであるか、と言えば、それは、『目前の事実』に対してであります。目前の事実に対して、あまりにも的確の描写は、読むものにとっては、かえって、いやなものであります。殺人、あるいはもっとけがらわしい犯罪が起り、其の現場の見取図が新聞に出ることがありますけれど、奥の六畳間のまんなかに、その殺された婦人の形が、てるてる坊主の姿で小さく描かれて在ることがあります。ご存じでしょう? あれは、実にいやなものであります。やめてもらいたい、と言いたくなるほどであります。あのような赤裸々が、この小説の描写の、どこかに感じられませんか。この小説の描写は、はッと思うくらいに的確であります。もう、いちど読み返して下さい。中庭の側には活版所があるのです。私の貧しい作家の勘で以てすれば、この活版所は、たしかに、そこに在ったのです。この原作者の空想でもなんでもないのです。そうして、たしかに、その辺の家の窓は、ごみで茶色に染まっているのであります。抜きさしならぬ現実であります。そうして一群の鳩が、驚いて飛び立って、唯さえ暗い中庭を、一刹那の間、一層暗くしたというのも、まさに、そのとおりで、原作者は、女のうしろに立ってちゃんと見ていたのであります。なんだか、薄気味悪いことになりました。その小説の描写が、怪(け)しからぬくらいに直截(ちょくせつ)である場合、人は感服と共に、一種不快な疑惑を抱くものであります。うま過ぎる。淫する。神を冒す。いろいろの言葉があります。描写に対する疑惑は、やがて、その的確すぎる描写を為した作者の人柄に対する疑惑に移行いたします。そろそろ、この辺から私(DAZAI)の小説になりかけて居りますから、読者も用心していて下さい。

 私は、この『女の決闘』という、ほんの十頁ばかりの小品をここまで読み、その、生きてびくびく動いているほどの生臭い、抜きさしならぬ描写に接し、大いに驚くと共に、なんだか我慢できぬ不愉快さを覚えた。描写に対する不愉快さは、やがて、直接に、その原作者に対する不愉快となった。」

 

 この考え方をふまえて、さらに太宰は、こういう冷酷で迫真的な〈文体〉を作者にとらせるに至った原因を、二通りに想定する。ひとつは、原作者の肉体的疲労ということで、「人間は肉体の疲れたときには、人生に対して、また現実生活に対して、非常に不機嫌に、ぶあいそになるもの」であり、そういうときには、かえって、秘められていた人間の冷酷無残な本性が露出してくるものだから、というものだ。

 もうひとつは、「作者オイレンベルグ自身が小説の女房の夫である」という思い切った〈仮説〉である。太宰によれば、描写の的確さとは「憎悪の一変形」であり、この小説に秘められた作者の異常な憎悪感は「作中の女主人公に対する抜きさしならぬ感情から出発して」おり、この小説は「徹底的に事実そのままの資料に拠ったもので、しかも原作者はその事実発生したスキャンダルに決して他人ではなかった」という興味ある仮説を引き出すことができるのだという。

 もちろん、まともに考察するなら、私たちは何も、オイレンベルグの原作における描写力の迫真性を、必ずしも、私小説的体験に還元しなければならぬ必要はない。ただ少なくとも、この作品の女房のこうむった痛手の深さが、作者にとって、ある内的なモチーフの痛切さの〈喩〉になっていることだけはたしかだといってよい。この小説通りの「事件」に直面しなかったとしても、少なくとも、作者にとっての、ある〈内的な真実〉を象徴的に込めるにふさわしいだけの生々しさを帯びた「設定」であることだけはまちがいない。その意味では、作者=「女房の夫」という太宰の〈仮説〉も、あながち、誤りであるとは言い切れないのだ。

 また、普段は押し隠されていた人間の残忍な本性が、作者の肉体的疲労を契機として浮上するとき、酷薄なリアリズム的まなざしというものが発生し得るという第一の想定も、それなりに鋭い洞察だといってよい。人間の得体の知れない不連続的な〈狂暴性〉というものに、絶えず、全身的な恐怖の念を抱き続けてきた太宰らしい認識であるともいえよう。

 しかし、重要なのはその先にある。つまり、これらの〈仮説〉を前提とすることによって、太宰が、このオイレンベルグの小品を、巧みに己れの痛切なモチーフに即した固有の物語に変容させてゆくという点にあるのだ。

 この変容を通して、太宰は、私たち読者に「表現するとはどういうことか」という重い原初的な問いかけを行なっている。

 すなわち、「人を表現に駆り立てるものは何か」「表現はどのような意味で実生活に真に拮抗し得るのか」「実生活を真に支え得るような表現のあり方とはどのようなものか」といった、表現と実生活をめぐる根源的なアポリアへの白熱した肉薄を行なってみせるのである。(この稿続く)

 

 

 

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芥川龍之介と闇(連載第3回) 川喜田八潮

  • 2017.04.24 Monday
  • 12:33

 

     7

 

 このような芥川の世界視線は、彼の〈無意識〉を痛めつけ、身体感覚を冷え切ったものとし、その苦しみへの〈反動〉は、この作家を狂気の表現形態へと追いつめていった。

 行き着いた場所は、もちろん、遺稿「歯車」(昭和二年)に描かれた、関係妄想の無間地獄の風景であった。

 

「僕はこのホテルの外へ出ると、青ぞらの映った雪解けの道をせっせと姉の家へ歩いて行った。道に沿うた公園の樹木は皆枝や葉を黒ませていた。のみならずどれも一本ごとにちょうど僕等人間のように前や後ろを具えていた。それもまた僕には不快よりも恐怖に近いものを運んで来た。僕はダンテの地獄の中にある、樹木になった魂を思い出し、ビルディングばかり並んでいる電車線路の向うを歩くことにした。しかしそこも一町とは無事に歩くことは出来なかった。」(「歯車」二 復讐)

「僕は僕の部屋へ帰ると、すぐにある精神病院へ電話をかけるつもりだった。が、そこへはいることは僕には死ぬことに変らなかった。僕はさんざんためらった後、この恐怖を紛らすために「罪と罰」を読みはじめた。しかし偶然開いた頁は「カラマゾフ兄弟」の一節だった。僕は本を間違えたのかと思い、本の表紙へ目を落した。「罪と罰」――――本は「罪と罰」に違いなかった。僕はこの製本屋の綴(と)じ違えに、――――そのまた綴じ違えた頁を開いたことに運命の指の動いているのを感じ、やむを得ずそこを読んで行った。けれども一頁も読まないうちに全身が震えるのを感じ出した。そこは悪魔に苦しめられるイヴァンを描いた一節だった。イヴァンを、ストリントベルグを、モオパスサンを、あるいはこの部屋にいる僕自身を。……」(「歯車」五 赤光)

「この往来はわずかに二三町だった。が、その二三町を通るうちにちょうど半面だけ黒い犬は四度も僕の側を通って行った。僕は横町を曲りながら、ブラック・アンド・ホワイトのウイスキイを思い出した。のみならず今のストリントベルグのタイも黒と白だったのを思い出した。それは僕にはどうしても偶然であるとは考えられなかった。」(「歯車」六 飛行機)

「何ものかの僕を狙っていることは一足毎に僕を不安にし出した。そこへ半透明な歯車も一つずつ僕の視野を遮(さえぎ)り出した。僕はいよいよ最後の時の近づいたことを恐れながら、頸(くび)すじをまっ直(すぐ)にして歩いて行った。歯車は数の殖(ふ)えるのにつれ、だんだん急にまわりはじめた。同時にまた右の松林はひっそりと枝をかわしたまま、ちょうど細かい切子硝子(ガラス)を透かして見るようになりはじめた。僕は動悸(どうき)の高まるのを感じ、何度も道ばたに立ち止まろうとした。けれども誰かに押されるように立ち止まることさえ容易ではなかった。……」(「歯車」六 飛行機)

 

 あたかも目に視えぬ悪魔の嘲弄のように、作者の人生と運命を、死と虚無と不条理の不吉な想念によってギリギリと強迫的に締めつけてくる暗示的な出来事・風景の数々。

 その点綴・連鎖によって構成された己れの妄想的日常に対する、異様なまでの恐怖心。

 それが、「歯車」で私小説的に吐露された、芥川龍之介の地獄だった。

 吉本隆明は、晩年期の芥川が陥ち込んだ程度の関係妄想の世界は、「症状としてだけいえば、ほんの軽度なパラノイアや鬱病や分裂病者の世界にもおとずれるものであったろう」と述べ、芥川の場合痛ましいのは、症状そのものよりも、むしろ、己れの症状に対する極度の〈恐怖心〉であったと指摘している。

 

「ことに「歯車」では症状がありふれた関係妄想や幻覚と錯視なのに不安と恐怖との切迫性がはげしすぎている。人は誰でも精神がこの程度に病みつくことができる。そしてある識閾を超えたとき関係妄想の世界に入りこむことは有りがちである。けれどそのことは厳密にいえば不安や恐怖とは無関係な世界だといっていい。遭遇するあらゆる事象が偶然とはおもわれないように羅列されているとしたら、信じられる自己の存在が限りなく環をせばめようとしている証左である。そのために事象が欠けているときは存在しないのに創り出す(幻覚)ことをしなければならない。また代同物で置き代え(錯視)たりして補わなければならない。強い関係を渇望する心性が病んでいるからである。これだけのことを病者はすこぶる朗らかに、あるばあいには攻撃的にやってのけることができる。けれど芥川にはこんな有りふれた精神の病いが死に至る恐怖や不安でありえた。」(吉本隆明「芥川龍之介」『悲劇の解読』ちくま文庫1985年所収。)

 

「関係妄想の世界に入りこむこと」は、「厳密にいえば不安や恐怖とは無関係」であるという意見には、同意できない。芥川の場合、関係妄想の発生は、明らかに彼の実存的な〈不安〉に根ざしたものであるというのが、私の考えだからである。

 人は通常、己れを取り囲む世界が自分の存在に脅威を与えるようなものではないという、何の根拠も無い、漠とした〈安心感〉、すなわち、己れの存在が世界に親和的に包摂されているという無意識的な〈信〉の感覚を抱いている。

 人が正気でいられるのは、そのためである。だから、人は通常、己れの日常生活世界において接触する無数の存在・出来事・風景に対して、いちいち意識的な〈意味づけ〉をせずに、無意識的に、ごく自然に身体を動かし、行為することができる。

 しかし、晩年の芥川のような関係妄想の病者は、日常の中で遭遇する〈風景〉に対して、いちいち過剰な〈意味づけ〉をしないではいられない。それは、当人を取り巻く生活世界が、無意識的な〈安心感〉を与えることができていないからであり、己れの生が、得体の知れない不条理な〈カオス〉の中に浮遊しているという、漠とした〈不安感〉を抱え込んでいるからである。〈カオス〉の与える不安をなだめるには、たとえそれが、非合理的な悪しき関係妄想であろうとも、ともかく、当人の〈意識〉が納得できるなんらかの〈意味〉を与えることのできるような形に、遭遇する事象を組み変えてみせねばならない。

 「偶然」とは、この場合、病者にとっては、己れの生存そのものの〈意味〉を抹殺するほどの〈不条理性〉の表われとして感じ取られているからだ。

 世界そのものが、生命存在としての彼に根源的な〈安心感〉を与えてくれないのだから、「偶然」は、本来のすこやかな、敵意の無い、ただの「偶然」ではなくなってしまう。彼にとって「偶然」という〈無意味〉は、〈不条理性〉の別名でしかないのである。

 世界を信じられない者にとって、「偶然」は、関係妄想によって「意味づけ」られなければならないのだ。

「遭遇するあらゆる事象が偶然とはおもわれないように羅列されているとしたら、信じられる自己の存在が限りなく環をせばめようとしている証左である」という吉本の言葉を、私は、以上のような文脈で受け取ることにする。

 この場合、病者にとって最も怖ろしい事は、世界が、自分の存在となんの生命的・価値的な結びつきも持たない、ただの偶然的な客体として立ち現われるという事態である。

 たとえ不吉さを暗示する、何者かの悪意に満ちた関係妄想であろうとも、「偶然」という〈無意味〉に比べればマシなのだ。

 なぜなら、関係妄想であろうと、納得のゆく形に「意味づけ」られてさえいれば、病者は、(絶えず、悪意ある存在からの襲撃に備えねばならないという〈緊張〉を強いられてはいても)ともかく、己れの〈意識〉によってかなりの程度にまで統御しうる幻想世界の住人であり続けることができるからであり、それは、〈意識〉の統御を超えた、得体の知れない〈カオス〉の闇のただ中に、無意味な偶然的存在として漂流しているという無力な生存感覚に、あからさまに直面させられるよりはマシだからだ。

 関係妄想とは、だから、ある意味では、病者にとっては、生命存在としての一種の防御本能の表われなのである。

 だが、カオスの喚起する〈不安〉をなだめるための関係妄想は、芥川の場合皮肉なことに、その〈非合理性〉によって、かえって彼の不安を極限的な〈恐怖〉にまで励起させてしまった。

 私の考えでは、それは、芥川が、カオスの強迫的なイメージからの脱出の手だてを、〈身体〉によって開示される〈無意識〉の領域の「再発見」に求めるのではなく、ひとえに、理知的な〈意識〉による自我の統御という次元に求めたことによる。

 

 病者が直面している真の問題は、実は、関係妄想の内実にあるのではない。

 彼を包摂している世界風景というものが、彼の〈無意識〉に「生きてゆく」のに必要な世界に対する根源的な〈安心感〉を与えることができないほどに、不条理感の強い、反生命的な〈カオス〉としての表情を帯びるに至ってしまったことにある。

 それは、彼の資質的な〈生き難さ〉が、さまざまな条件によって不可避的に追い込まれてしまった、魂の地獄にほかならない。

 もちろん生き難さを醸成する要因は、生育環境や時代の風圧などに規定され、人さまざまである。それは、当人の持って生まれた生理的・動物的な〈血〉の濃さの度合や、胎乳児期から幼少期・思春期にかけての成長過程におけるトラウマ(心的傷害)の質と深さ、そして、ある意味ではそのパターン的な再現ともいえる、青年期以降におけるさまざまな人生体験の傷・挫折の累積などによって、左右される。傷とコントラストをなす、〈ぬくもり〉の体験・記憶のもつ象徴的な意味も重要である。

 だが、芥川の場合に、私がここでこだわってみたいのは、己れの〈生き難さ〉に立ち向かうための武器として形成された、彼の芸術家としての〈資質〉のもたらした痛ましさである。

 私の考えでは、晩年の芥川を苦しめていた、まがまがしい〈カオス〉への不安は、この作家が、現世の不条理に拮抗するための〈虚構〉の砦として択んだ己れの芸術世界というものを、ひたすら理知的な〈意識〉によって徹底的に自覚的に造型し、統御せんと試みたこと、そして、その虚構の砦を自らの〈棲み家〉となし、〈実生活〉を、己れの芸術上の言語=〈観念〉のフィルターを通して、いびつに(一面的に)規定せんとしたことに由来している。

 人生のダークサイドを凝視し続けたこの作家の行き着いたいびつな既成観念、地上的・散文的な世界視線の貧しさ、救いのなさが、彼の〈無意識〉を痛めつけ、無意識への窓口であった身体感覚を冷却させ、その〈振り幅〉を狭窄させていったにもかかわらず、〈意識〉なるものの芸術的優位性に、あくまでも神経症的に固執し、そこに唯一のプライドを置き続けたのだ。

 フローベルやボードレールをはじめとする、十九世紀後半以降のフランス近代作家の芸術至上主義の病理は、この作家の精神をとことん蝕んでいた。

 どんなに〈無意識〉が悲鳴をあげても、己れの深奥から立ち昇る非合理的で生命的な〈闇〉への渇き、〈本能〉の声を、正直にすくい上げることはできなかった。

 手に負えない〈無意識〉の悲鳴は、意固地なまでに、理知=〈意識〉の力によって強引に抑え込まれ、鬱屈した無意識の〈闇〉は、徹頭徹尾散文的で地上的なリアリズムの酷薄な目線に塗りつぶされた晩年期の芥川作品の〈空隙〉を衝くように、反生命的なまがまがしい〈カオス〉としての相貌を浮上させ、この作家の〈不安〉をかき立てたのである。理知に対する〈本能〉の反逆の叫びともいうべき、その得体の知れない〈不安〉に対して、彼の生命は、無意識のうちに〈関係妄想〉による生の〈意味づけ〉という形で防御的な対応に出ることで、意識の混乱を鎮め、カオスから身をかわそうと図るのだが、その〈非合理性〉は、逆に、「理知の権化」であるこの作家の意識を、異様なまでの〈恐怖〉へと追い込んでいったと考えられる。

 

     8

 

「合理的に見て、そんな事がありうるはずがない」と思われるような、不吉な出来事の連鎖による負の〈暗示〉。

 それは、どんな人間であっても、脅かされずには済まないものであり、とりわけ、理知の勝った者ほど、己れの合理的確信が揺らいだ時の〈恐怖〉は強烈なものとなる。

 私たち人間は通常、己れを取り巻く不可知なるカオス、未知なるカオスとしての世界に対して、大なり小なり、理知の行使による観念的な〈記号化〉と〈抽象化〉を施すことで、恐怖を〈解毒〉し、正気を保ち得ているといっていい。

 その〈解毒〉が通用せず、非合理的なカオスが突如として意識の前面に浮上する時、私たちは、観念的なヴェールを取り払われて、むき出しとなった〈生身〉の生存感覚を通して、ダイレクトに世界の〈表情〉に直面する。

 天変地異や生老病死の危機的な状況に直面させられた時、人はまさに、そのような精神状態に見舞われる。文明のコントロールをはるかに凌駕する大自然の猛威の前に、人間の無力さ・小ささを痛感させられ、己れの人生を己れの力で思い通りに仕切っているといったうぬぼれや、人智の合理主義的な尊大さを打ち砕かれる。

 その時、世界は、存在をつかさどる類的な〈無意識〉としての本性、普段は無意識の底に抑えつけられていた類的でアニミズム的な〈闇〉としてのダイナミズムの本性を浮上させる。生命と虚無の両義性をはらんで渦巻く、得体の知れない、渾沌たる〈闇〉の表情をとり、私たちの生存感覚を一気に呑み込んでしまう。幼児や少年の頃のような、存在と生身で交流し得ていた時の魂の息吹、ふるえが甦るのだ。

 それは、理知に対する、〈本能〉の反逆にほかならない。

 その少年のおののきのような感覚が浮上した時、既成の合理的な〈意識〉があくまでもその風景を拒絶せんとするなら、〈闇〉は〈意識〉に対して牙をむき、敵意に満ちた反生命的な表情をとり、〈不安〉をかき立てるだろう。そして、もし〈意識〉が、その実存的な〈不安〉を、芸術その他のなんらかの〈表現〉手段によって代償的に解消してやることができない場合には、〈意識〉は〈不安〉をなだめるために、自他に対する〈関係妄想〉やそれに伴う幻覚・錯覚といった非合理的な表現形式をとることで、自らを「補完」(フォロー)しにかかるであろう。精神病理という意識の「補完」形態もまた、〈不安〉と同様、〈闇〉の歪んだ代償表現なのである。

 しかし、非合理的な闇のカオスの浮上は、人を、アイデンティティー喪失の危機に陥れるが、同時に、偏狭な合理主義的身構え、すなわち地上的=三次元的な〈既成観念〉のとらわれを脱して、己れの生存空間を切り拓く、四次元的な新たな世界視線を獲得するための魂の試練ともなりうる。

 それは、身体感覚の〈変容〉を通じて、封印・凍結されていた〈無意識〉の次元を「再発見」することで、生存感覚を脱皮させ、生への肯定的なまなざしへとリンクさせることができるように、自我の「再構築」を図るという冒険的な試みなのである。

〈既成観念〉の皮膜がぶ厚くて、プライドの強い者にとっては、恐ろしくつらいことであり、また危険で困難なことでもある。

 旧い自我にとどまる方が楽だというのなら、それでもよいのだ。

 だが、晩年の芥川のように、その〈殻〉に閉じ込められる事が、狂気を招き寄せるほどの〈苦痛〉を強いられることになる、という者もいる。

 だとしたら、そのような場所に置かれた者は、自我の〈脱皮〉をめざしてたたかうしかないではないか。

 芥川には、しかし、不幸なことにそのたたかいは許されなかった。

 

 フロイトは、生命存在を無意識の根底から衝き動かしている、本能的な欲望や情念の次元、すなわち類的な拡がりをもつ〈闇〉のカオスの次元を「エス」と呼び、人間の「自我」を、「現実界」と「エス」と(親や社会によって植え込まれた抑圧装置である)「超自我」の三方の〈要求〉からせめ立てられて、「生きる」ために必死に「適応」を強いられている、哀れな存在とみなした。フロイト理論によれば、神経症やヒステリー、躁鬱病や統合失調症といった精神病理は、この「適応」に失敗した者が、「幼児期」や「胎乳児期」の心的段階へのエロス的な〈退行〉によって、己れのトラウマを疑似的に修復せんとする、苦しまぎれの試みだということになる。

 晩年の芥川が追い込まれたパラノイア的な関係妄想もまた、そのような神経症の一種であったようにおもわれる。(この稿続く)

 

 

 

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