近代批評の終焉―小林秀雄の病理をめぐって―(連載第3回) 川喜田八潮

  • 2017.03.28 Tuesday
  • 15:44

 

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 D・H・ロレンスの思想に傾倒し、激しい反近代主義的イデオロギーと、個を超えたナショナルな〈連帯〉を唱えた福田恆存もまた、本当は何ひとつ信ずるものをもたぬ、孤独で傲岸な近代主義者であった。

 彼も小林秀雄も、西欧近代の病理の泥沼、〈関係の解体〉にもとづく神経症的な修羅場の凄まじさというものを、早くから熟知していた。

 だからこそ、福田恆存もまた、小林秀雄と同じく、己れの〈仮面〉を剥がして真の自己自身へと到ろうとする近代文学の過酷な〈自意識〉の手法を拒絶し、「演戯」によって自らの生をひとつの幻想的な〈虚構〉として捏造(ねつぞう)しようとする「劇的人間」の生きざまを提唱してみせたのである。

 小林が、己れの自意識の苦しみから逃避するために、古今東西の偉人たちの〈宿命歌〉を鑑賞者的にうたい上げることで、己れの観念的な生の劇化された〈自画像〉を濫造してみせたように、福田もまた、「演戯」という独特の自意識の解体の手法を編み出すことで、彼なりの振幅の大きい〈自画像〉の投影による〈虚構〉としての生のドラマを描き上げたといってよい。

 福田は、そのユニークなハムレット論において、シェイクスピア劇に対する己れの解釈に則しながら、面目躍如たる演戯的人生観を披瀝してみせている。『ハムレット』の解題より引用してみよう。

「……ハムレットの最大の魅力は、彼が自分の人生を激しく演戯しているということにある。既にハムレットという一個の人物が存在していて、それが自己の内心を語るのではない。まず最初にハムレットは無である。彼の自己は、自己の内心は、全く無である。ハムレットは自己のために、あるいは自己実現のために、語ったり動いたりはしない。自己に忠実という概念は、ハムレットにもシェイクスピアにもない。あるのはただ語り動きたいという欲望、すなわち演戯したいという欲望だけだ。この無目的、無償の欲望はつねに目的を求めている。その目的は復讐である。決して自己実現などという空疎な自慰ではない。欲望の火はそんなものには燃えつかないのだ」「ハムレットは演戯し、演戯しながらそれを楽しんでいる。そのことはシェイクスピア劇の主人公すべてについて言えることで、ハムレットの場合、それが今日の私たちの眼には度を超えるほどに過剰だというだけのことに過ぎない。というのは、人生を演戯したいというハムレットの欲望は、復讐という目的を得て燃えあがるのだが、そうしてひとたび燃えあがった火は、今度は周囲のあらゆるものに燃えつき、それらを焼き尽そうとする。その激しい演戯欲のために、ハムレットは本来の自己を失う。もしそういうものが在りうるなら、彼は本来の自己を見失って、その他のあらゆるものになりうる。ハムレットは意地悪であり、無邪気であり、冷静であり、情熱的であり、軽率であり、慎重であり、上品な王子であり、下劣な悪友であり、信頼しうる人物であると同時に自分勝手なわがままな男でもある」「ハムレットを演じる役者には、ほんの一寸(ちょっと)した心がけが必要である。シェイクスピア劇においては、自分の役の内面心理の動きや性格をせりふから逆に推理し帰納して、その表現を目ざすという写実主義的教養は有害無益である。ハムレットの演戯法はハムレットに教わることだ。シェイクスピア劇の演戯法はシェイクスピアに教わることだ。そのハムレットは演戯し、演戯しながらそれを楽しんでいる。そういうハムレットを役者は演戯すればいい。演戯ということが既に二重の生であるがゆえに、そこには二重の演戯がある」「これは私の持論だが、人生においても、そのもっとも劇(はげ)しい瞬間においては、人は演戯している。生き甲斐とはそういうものではないか。自分自身でありながら自分にあらざるものを掴(つか)みとることではないか」

 まことに風格のある堂々たる文体で、小林秀雄の独我論的なもの言いに接する時と同様、そのいささかの躊躇(ちゅうちょ)も無い確信に満ちた押しの強さのために、ついうかうかと首肯してしまいそうになるが、ここには、福田恆存の病める近代人意識の自己投影としての歪められたハムレット像・シェイクスピア像が、はっきりと浮き彫りにされているといってよい。

 福田はここで本当は、ずいぶんとひどいことを言っているのだ。

 彼の論法では、実人生の生きがい=「演戯」=役者の生きざま=ハムレット的生ということになる。

 ハムレットの生きざまを「演戯」とみなすことは、もちろん、一つの解釈としては可能であるし、福田の自由な好みに則した解釈にすぎないが、それが〈実人生〉の本質を象徴するものだと言われると、ひどいもんだと言わざるを得ない。まったくもって、病める近代インテリの自己投影による不幸な人生観・人間観であると言うしかない。

 自己の本体を〈空無〉とみなす福田恆存の歪んだ人間観にもかかわらず、彼の訳したハムレット像は、(むろん、ウソっぽい、芝居っ気たっぷりの像ではあるが)生き生きとした、空疎なところのない人間像、われわれの〈生身〉の身体性をそれなりに見事に喚起し得る像になり得ている。つまり、優れた役者同様、ハムレットという〈憑き代(つきしろ)〉を得た時の福田恆存という翻訳者は、(希釈された形態ではあれ)己れの〈生身〉を内奥より呼び覚ますことができているのだ。

 しかし、それにもかかわらず、彼の〈本体〉は空無であり、彼はただ、作品を「演戯」する時にのみ、魂の宿る〈肉体〉の所有者の如く振る舞うことができるにすぎない。

 彼がハムレットの生きざまについて語ることは、あくまで、訳者の福田恆存自身の生きざまについての自己解釈とみなすべきなのだ。

 ドストエフスキーは、こういう病像を、『地下室の手記』において、四十歳の独身の退職下級官吏による一人称の独白という形式をとって鮮やかにえぐり出し、具象化してみせた。

 この「地下室」の主人公は、何十年もの間、人生の真の意味も、〈生身〉を賭けた活動の対象も、一切見い出すことのできぬまま、〈無為〉と熱病のような〈空想〉の海の中に漂っている。彼は、恐ろしいほどとぎすまされた〈自意識〉と過敏にふるえる繊細な感受性をもち、それがために、かえって、〈関係の貧困〉を神経症的に病み、一切の活動から遠ざけられ、孤独地獄の内に引きこもって一人悶々と過ごすほかはない。

 唯一、彼の慰みとなるのは、職場の同僚や往来で行き交う無数の人々に対して、空想をたくましくすることである。彼は、己れの鋭敏な心理学的観察眼と長年にわたって耽溺してきた文学や思想の世界によって醸成された認識と夢想と渇きの表現を踏まえて、種々さまざまな人物像を頭の中で物語的に「演戯」してみせる。

 しかしそこには、常に〈生身〉を欠落させた恐ろしい生存感覚の空洞が横たわっている。

 地下室の主人公は、その空洞を代償せんとして、信と不信、善と悪、美と醜の激しい〈相剋〉のドラマを空想的に「演戯」し、その引き裂かれた葛藤の〈痛覚〉によって生きる手ごたえを得ようともがいてみせるが、彼には、その演戯の底にある荒涼とした孤独地獄とたえず頭をもたげる〈退屈さ〉をどうすることもできない。時に彼は、その空虚さに耐え切れずに、発作的に、他人とのさまざまな偶然的な行きがかりを憑き代として、わざわざ自分に唾を吐きかけるような、醜悪で神経症的なトラブルを引き起こそうとする。

 自分のそれまでの毒念に満ちた境遇を打開するような女性との〈出会い〉も起きかかるが、結局、己れの生身の生を未知に賭け、〈生活者〉としての一歩を踏み出さんとする意志の喪失された地下室の主人公には、そういう良きえにしもまた、遠ざけられてしまうほかはない。

 彼は、「演戯」以外何も無い人生の中で、狂気とスレスレのところで、無機物の如き感覚に浸されつつ、緩慢な死へと向かう過程の内に囲い込まれ、蝕まれている。

 『地下室の手記』は、現在の私たちがじっくりと読み込んでも、思わず身ぶるいするほどの生々しい病理への洞察に満ち溢れた作品だといってよい。

 重要なのは、地下室の主人公にあっては、己れの本体が〈空無〉であることが、生の充実をもたらすような「欲望の火」を燃え上がらせる契機とはならず、逆に、一切の生きた活動から遠ざけられて、己れの孤立した内面の中で観念的な遊戯にふける以外何もできない生活不能者の場所を強いられる要因となっているという点である。

〈虚無〉に全身を蝕まれた人間には、そもそも、己れの体内から自然に湧き上がるみずみずしい「欲望の火」は封じられているのであり、観念的で不自然な努力によって自己の欲望を痙攣的にかき立ててやる以外に手だてがないのだ。

 福田恆存が「演戯」という概念に託した、一見情熱的な、虚構捏造(ねつぞう)のエネルギーに溢れた楽天的な人生の見取り図は、ドストエフスキーにあっては、正反対の意味をもつものとして、〈生身〉と〈血〉を欠落させたヴァーチャルな身体像として、冷徹な批判の対象にさらされている。

 ドストエフスキーは、「演戯」という、現世からの一見スマートな身のかわし方の深部に横たわっている、生活者としての根無し草的な生存感覚の〈空洞〉を、恐るべき認識力で洞察していた。

 この生の空洞こそ、ドストエフスキーが見据えていた、現代ロシアの深層に秘められた真の病理の実体であり、また、私たちの〈現在〉の病の核心につながるものでもある。

 自己の本体を〈空無〉とみなし、「無目的、無償の欲望」を備えた己れの空虚な身体を、仮構された「目的」意識に則して強引にエロス的にかき立ててゆこうとする福田恆存流の人生観は、一九八〇年代に日本のジャーナリズムを席巻したポスト・モダンの主張する欲望理念、己れの身体をありとあらゆるエロスの対象にひらかれた「n個の性」として拡散させてゆこうとするニヒリズムに酷似するものである。

 この空無化した身体観・自己像に根ざしたエロス的なニヒリズムが、消費社会のただれた享楽的感覚と結びついて、例の「おたく」とよばれる病める流行語を産み出したことは、記憶に新しい。

 福田恆存も小林秀雄も、今日のポスト・モダンの知識人たちや「おたく」の連中とは比較にならないほどの優れた人間認識・文学観の持ち主ではあるが、彼らの準備した理念が、〈自己喪失〉を代償として〈虚無〉の波間に漂いながら、舌なめずりするように「鑑賞」したり「演戯」したりすることで人生を意味づけようとする、アイロニーに満ちた病める近代主義の産物にすぎないものである以上、彼らの理念から今日のポスト・モダンまでの道は、実は、地続きなのである。

 

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 私の考えでは、『ドストエフスキイの生活』の「序」で展開されたような文学理念・世界観こそが、昭和初期から敗戦・戦後社会を経て現在に至るまでの、〈現代〉という近代の病理の極相の時代を、常に深層から支配しリードし続けてきた隠されたイデオロギーであり、世界視線だということになる。

 それは、現代日本文学と思想の根底を貫き、呪縛してきた不幸で狭隘な固定観念であり、不信と毒念に満ちた痛ましい生存感覚である。

 そこに流れる焼けただれたような虚無の意識、絶望的でありながらも、それゆえにこそはなはだ感傷的でもあるニヒリズムこそ、敗戦後から現在に至るまでの多くの第一級の文学者・思想者たちのパトスを支えたものにほかならず、小林秀雄が「近代批評の祖」と評される真の所以(ゆえん)を示すものにほかならない。

 彼の影響を直接受けようが受けなかろうが、この本で展開された小林の認識論の〈型〉こそが、〈現代〉という時代の病を根本的に規定するものなのである。

 たとえば、小林とは種々の点で異質な、ある面では対立者ですらある埴谷雄高の〈虚体〉の理念、彼の現世と実生活への凄まじい呪詛、現世の不条理へのどす黒い偏執は、『ドストエフスキイの生活』の「序」における認識論といかに激しく共振していることか。

 そしてまた、戦後の左翼世代の魂を呪縛してきたサルトルの『存在と無』や吉本隆明の認識論・存在論は、なんと小林的世界観に似ていることか。

 たとえば、『心的現象論序説』で展開された、生命を無機的な物質世界からの「原生的疎外」としてとらえる吉本隆明の思想は、一面では、ヘーゲル=マルクス的存在論(ないしはフロイト的存在論)の継受であるが、他方では、はなはだ小林秀雄的なのである。(ちなみに、ヘーゲル=マルクス的な意味での〈疎外〉という概念は、ある存在様式に対する異和=〈抵抗〉の表現であると共に、その抵抗に対する〈打消し〉の表現として使われる。例えば、「生命は存在からの〈疎外〉形態である」という命題は、生命は、無機的物理的な存在形態への〈抵抗〉としての、有機的な秩序創造のエネルギーによる〈生〉の表現様式であると共に、その抵抗を解消して無機的自然に回帰せんとする〈死〉の欲望のあらわれでもある、という意味になる。)

 私のみるところでは、吉本の幻想論には、根底において、人間世界を、互いに逆立し合う地上的=物質的・形而下的世界と天上的=幻想的(観念的・形而上的)世界に二元的に分裂させ、生命・精神・意識を存在からの疎外形態に由来する幻想領域として規定しようとするマルクス的認識論が横たわっているようにおもえるが、それは同時に、既に私たちが見てきたように、小林秀雄の芸術=表現理念(生命=生活理念)にもつながるものなのだ。小林が、人間の生きる営みを、「自然を人間化する能力」としてとらえ、〈芸術〉を、本来われわれ人間とは無関係に存在する無意味な自然に立ち向かい、これを幻想的に超えんとする主観的努力の産物とみる思想は、マルクス・フロイト・サルトル・吉本らの理念に通底するものなのである。

 そこには、〈存在〉の本質を生命的・流動的なコスモスとしてとらえ、私たちの生きざまや魂のあり方と緊密につながるものとみなすようなまなざしは微塵も無く、非人間的な因果律的法則にのみ従う非情で無意味なカオスとしての物理的自然と、主観的幻想(幻影)としての精神という、(主としてユダヤ=キリスト教的世界観に由来する)西欧的二元論が、頑とした先入観として横たわっている。

 こう言ったからといって、私はなにも、吉本隆明の共同幻想・対幻想・自己幻想という三次元から成る幻想論体系を認めないというわけでは毛頭ない。彼が、人間の精神領域をこれら三つの次元に区別して、その相互の関係を基軸に据えて、国家の起源や、共同幻想に抗う〈個〉としての思想的な自立をめぐる問題をはじめ、文学・思想上の種々の本質的課題について展開してみせた考察の数々に対しては、私も深い畏敬の念をもつものである。

 私は、吉本を過大評価したりカリスマ視するような、いわゆる「吉本主義者」なんぞでは決してないが、それでも、私は私なりに吉本思想とのシャドウ・ボクシングによって思想的な〈単独者〉としての自覚を形成してきた人間の一人であり、彼の仕事の細部に対する自分なりの思想的な評価尺度はきちんと持ち合わせているつもりである。*

 しかし、今は、吉本の具体的な仕事のあれこれのもたらした思想的な功罪を論じようというのではない。

 

 *私自身の「吉本隆明論」は、雑誌「道標」(人間学研究会発行)に掲載された「闇の水脈―日本近代詩人論4 吉本隆明」(「道標」6号 二〇〇四年)において、簡潔ながら総括的に展開しているので、参照頂ければありがたい。

 人間学研究会:〒862−0952 熊本市東区京塚本町55−8

 辻 信太郎 方 筺090-9401-5899

 メールアドレス tsuji-shin@lib.bbiq.jp

(ちなみに、私は、この雑誌の3号〜8号、10号〜11号の計八回にわたって、「闇の水脈―日本近代詩人論」というタイトルで、戦前・戦後の六人の詩人たち(萩原朔太郎・金子光晴・中原中也・吉本隆明・谷川雁・寺山修司)の作品を論じている。関心のある方は、注文してお読み頂ければ幸甚である。)

 

 私がここで問題としているのは、あくまで、小林や埴谷や吉本のような、昭和初期以降、特に戦後社会に思想的な〈鉄人〉として君臨しカリスマ性すら獲得してきた知識人たちの、思想の根底に横たわっている認識論=存在論の基本的な〈枠組〉〈型〉のことなのである。お望みなら、彼らのように、生命や人間の精神領域を、自然からの〈疎外〉形態として規定するのもよかろう。

 ただしそれは、〈意味〉や〈価値〉を剥奪された、自然科学的因果律と確率論に支配される、不条理でメカニックな実体(客体)としての〈自然〉という唯物論的な存在概念と、それに対する打消しとしての主観的幻想的な精神世界という物心二元論を、不可欠の前提とするものではない。

 存在に対するあらゆる〈意味づけ〉〈価値づけ〉を剥奪され、生きる意味の根拠の一切を〈自由〉という美名の下に解体させられてきた近代の極北の場所にあるわれわれにとって、そのような二元論は、もはや、時代遅れの産物でしかない。

 人が人生という苛酷な試練を生き抜いてゆけるのは、無意識の深部に、世界=存在に包まれてある〈肉〉としての己れ自身の運命に対するなにがしかの非合理的な〈信頼〉の感覚を備えているがためである。いかなるニヒリストといえども、心中ひそかに抱いている己れ自身の生へのこの漠とした信頼の念なくして、決して生き続けることはできない。

 この信頼感覚の形成条件は、その人のもって生まれた動物的な〈血〉の濃さの度合と、胎乳児期から幼児期に刻印された(親との関係を中心とする)種々の対人的・対環境的な〈傷〉とそれとコントラストをなす〈ぬくもり〉の記憶(イメージ)、それに、(ある意味では、そのパターン的な〈再現〉の繰り返しでもある)児童期・思春期における世界体験の質によって左右されると考えることができよう。

 私のみるところでは、わが国の場合、この生存感覚をすこやかに形成し得る条件は、一九七〇年前後の高度経済成長完成以後の社会において致命的な破壊をこうむっており、とりわけ、七〇年代後半の高度消費資本主義社会の形成と八〇年代以降におけるその爛熟によって、ほとんど壊滅的な状態に追い込まれたといっても過言ではない。

 現在の三十代前半より下の世代(一九六〇年代半ば以後に誕生した世代)、とりわけ、十代から二十代初めの青少年たちにあまりにもしばしば見受けられる、生存感覚の稀薄さをまざまざと示すグロテスクな事件やふるまいが、なによりも、それを証明しているようにおもえる。

 青少年たちにあっては、おそらく、成長過程において受けた〈傷〉の大きさに比して、それとコントラストをなす〈ぬくもり〉の記憶は、あまりにも稀薄なのである。

 もし、私たちの〈現在〉が、「生きる」力を生み出す源泉としての生に対する信頼感覚を形成する土台となる〈ぬくもり〉の記憶・世界体験を、大きく損なうような条件のもとにあるとすれば、〈存在〉に対するあらゆる人間的な〈意味づけ〉〈価値づけ〉を剥奪し、〈自由〉の美名のもとに一切の生きる意味の根拠を解体してきた(ポスト・モダンの言説に至るまでの、西欧的な物心二元論の流れを汲む)近代主義的イデオロギーは、もはや、完全に時代遅れの反動的なしろものに成り下がったといってよいであろう。

 なぜなら、生きる上で最も肝心な、世界への無意識的な〈信頼感〉がいちじるしく稀薄な人間に向かって、〈存在への不信〉に根ざした価値破壊のニヒリズムを不断に注ぎ込むことは、その人間に「死ね」と言っているようなものだからである。たとえそれが、自殺だろうと、緩慢な自死に等しい廃人への道だろうと、同じことである。

 しかも、事態はなにも青少年に対して当てはまるだけではない。かつては暖かい血縁・地縁的風土の中で種々の生きた哀歓の記憶を累積してきた中高年においても、今や、このような近代主義的ニヒリズムのイデオロギーは、苛烈な産業社会の渦中で疲労困憊し片時も安らぎを得ることのない彼らのすり切れた魂に隠微に浸透し、老醜と無機的な死の強迫観念に苦しむ「更年期障害」を悪化させる猛毒と化しているのである。

 人々は、何ひとつ信ずるものをもたない己れの生存感覚の恐ろしい空洞と孤独地獄から眼をそらしたままで、それを代償せんとするかのように、社会的な業績や富や地位や虚名の追求にのめり込んだり、賭け事や不倫に溺れたり、ボランティアや趣味・道楽に精を出したりしているが、私には、それらはすべて、肝心の生の内燃機関無しに己れの身体を強引に燃え上がらせようとする痛ましい悪あがきのようにおもわれてならない。

 人それぞれなのだから、仕事に精を出すのも、富や地位を追求するのも、ボランティアや趣味・道楽も大いに結構である。

 しかし、私たちの〈近代〉が長い年月をかけて人々の無意識の奥深く浸透させてきた無機的な〈死〉の感触に拮抗し、これを癒すことのできるような世界風景の変容なくして、いかなる生きる営みも、真の魂の安らぎを与えてはくれまい。

 今、われわれに真に必要なのは、存在を〈虚無〉に求めるような認識論ではなく、われわれ自身をも含む存在=自然を、生命的なコスモスの場として蘇生させるような全く新しい世界視線なのである。それも単なる哲学的思弁や知識人的鑑賞なんぞではない、〈生活〉という営みに根ざしたみずみずしい生身の生存感覚として獲得されるべきものなのである。

 ある意味では、自然=存在からの〈疎外〉形態であり、それへの打消しでもある生命や精神といった働きが、それ自体、新たな生ける〈存在〉の一部として、森羅万象との間に、コスモスとしての神秘な〈意味づけ〉を誕生させ、創造してゆく。

 それが、死と虚無のカオスへの抗い=克服としての〈存在〉それ自体のはらむ闇と光の光芒のドラマであり生命や人類の進化の本源的なあり方である、とみなすような生存感覚を、私たちは必要としているのではあるまいか。

 私が、澄み切った冷気のもとで木洩れ日に輝く冬の山道をひとり歩く時に出会う老樹の一本一本のふしくれ、陰翳、精妙な〈表情〉のひとつひとつは、決して、私という〈主観〉のみが創り出す幻影でもなければ、対象たる樹木という〈客体〉に由来する単なる物理的反映でもない。

 その樹木と私とそれを取り巻く環界との、一瞬一瞬の絶対的に固有な〈出会い〉の場が産み出す、神秘なコスモスの顕われにほかならないのである。

 私の足が一歩一歩ゆっくりと踏みしめる大地と私の全身の血の脈動との生ける接触もまた、同じ本質をもっている。

 私たちという主体は、世界という客体との間に、不断の生命的な〈意味づけ〉を創りながら、日々、世界と共に生成しているのである。

 このような生存感覚においては、日月星辰の輝きや風の息吹もまた、私たちの魂に応じて表情を変えるばかりでなく、事実、存在としても変容してゆくのである。

 たかが二・三百年の小ざかしい散文的精神に毒されてきたわれわれ近代人とは違い、前近代の民は、何千年もの間、こういうコスモスとしての生存感覚を生き生きと保ち続けてきたのである。

 西欧近代科学によってもっともらしく武装された物心二元論的な〈観念〉のとらわれを脱し、私たちは、再び〈生身〉の皮膚感覚に根ざした全く新たな世界へのまなざしに向かって、力強く踏み出すべき時代にさしかかっているのではないだろうか。

「近代批評の祖」としての小林秀雄と彼の同類たち、それに彼らの影響を受けた後続するさまざまな現代知識人たちの群れが注入した隠微な毒は、六十年の歳月をかけて日本人の体内深く浸透し、われわれの魂をほとんど瀕死の状況にまで立ち至らしめた。

〈近代〉という不信に満ちた根無し草の生がもたらす砂粒のような魂の地獄をくぐり抜けたわれわれは、もはや、このような〈観念〉の毒をきれいさっぱりと洗い流す、長い〈浄化〉の時代に入ってもいい頃だ。(了)

 

 

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近代批評の終焉―小林秀雄の病理をめぐって―(連載第2回) 川喜田八潮

  • 2017.02.21 Tuesday
  • 19:10

 

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 ところで、これまで私が展開してきた、〈存在への不信〉とそれを超克(超越)せんとする〈独我論〉的認識論に根ざした芸術至上主義者としての小林秀雄の像は、大戦期の日本古典に回帰した『無常といふ事』以後の、とりわけその延長上にある戦後における反近代主義的で非合理主義的な思想家としての彼のイメージを知る者にとって、一見なんとも面妖な印象を与えるはずである。

 なぜなら、本居宣長やベルクソンに傾倒する小林秀雄の世界観は、存在と現象、客観と主観、物質と精神という西欧的二元論を拒否し、一切の観念的な先入見を排して、己れの魂に直截に映じた〈経験〉事象のみずみずしい動的な生命の感触を、あるがままに紡ぎ出さんとする姿勢に貫かれていたからである。

 本居宣長が『古事記伝』によって示した古代人の「言霊(ことだま)」の手ざわりをどこまでも忠実になぞろうとする姿勢。

 散文的に平板化した現代の合理主義的実証主義的な史家の眼にとっては到底受け入れがたいような、古代の神々の天地を行き交う生成と光芒の息吹とおののきの感触を、古代人にとってのあるがままの〈事実〉=生ける生身の体験として素直に受容せんとする姿勢。

 その異様なまでの執念に、小林秀雄もまた憑(つ)かれていた。

 古代人の言霊を辿る宣長に己れ自身を重ね合わせ、自らもまた、宣長という人物の紡ぎ出した、〈喪失感〉の強い不幸な近世人の言霊をなぞろうとしてみせた。

 晩年の小林は、そのような文献的追体験によって、ついに、宣長の(すなわち宣長によって幻視された古代人の)他界観・幽冥観までも共有し、己れの〈死〉を超えて、究極の安心立命を得たかのような相貌を呈していた。

 しかし、私には、小林秀雄の労役、彼が紡ぎ出した長い年月にわたる言葉の習練の軌跡というものは、ついに、良くできた生命の〈模造品〉、一片の「言葉の上だけの安心」「言葉の上だけの悟り」の境地を産み出したにすぎなかったのではないか、という印象を、どうしても拭い切れないのである。

 もちろん、そのような悟りを非難しているのではない。〈言葉〉の世界のみに己れの身体を疎外し、安心立命を得ることのできる人物はそれなりに幸せであるし、それはそれでいい。

 しかし、私自身は、そういう場所に決して安住できぬ人間であり、それはまた、この現世を体を張って黙々と生き抜いてきた、多くの無名の生活者の深層に秘められた〈肉〉の渇きのありかとも重なるものなのではないかという、ささやかなプライドをもっているのだ。

 私に言わせれば、小林秀雄も、彼の尊崇してやまぬ宣長やベルクソンも、偉大な知識人ではあるが、所詮は、真の実人生に対する〈鑑賞者〉であり、〈傍観者〉にすぎなかった。彼らが幻視する主客の融合した「あるがままの」経験事象とは、決して、存在と現象の融合した真の〈生身〉の生存感覚ではなく、常に、膜ひとつ隔てられた鑑賞者の位相から眺められた「紙の上の人生」でしかなかった。それはなによりも、論ずる対象に対する彼らのとどこおりのない、妙に口当たりの良い流麗な〈文体〉そのものが証明していることである。

 鮮やかなレトリックにごまかされずに、正直に、落ち着いて、己れ自身にしかと問うてみるがよい。

 彼らの文体は、ひとつの反近代主義的な〈認識〉の見取り図としてはそれなりに美事なものであるけれども、決して、私たちの生身の身体感覚を奥底から立ち昇らせる力をもち得てはいないということがわかるはずである。

 誤解されては困るのだが、私はなにも、われわれの〈生身〉の身体感覚を喚起しないようなヴァーチャルな言語表現が、文学として無意味だといっているわけでは毛頭ない。

 言葉はその創り手から独立した生命をもって存在しているが、言葉に宿る力はあくまで創り手の生きざまが生み出すものだ。ヴァーチャルな言語表現もまたしかりである。

 〈虚無〉に全身を蝕まれ、生身のみずみずしい生存感覚が宿命的に封じられている不幸な人間が、己れの〈欠損〉感覚の痛切さのゆえに、ほとばしるように紡ぎ出してみせた天上的彼岸的な〈幻〉のかたちというものは、私たちの存在的な〈渇き〉の泣き所を強烈に刺激するだけの力をもっているものだ。

 人間という存在そのものが、この世に生まれ落ちた時から(正確には母の胎内に宿った時から)、既に世界との間にさまざまの宿命的な〈傷〉を刻印され、それゆえに全き存在としての彼岸的な〈自然〉への回帰願望=幻としての〈子宮〉への退行願望を秘めた生き物だからである。

 観念的でヴァーチャルな文学表現が、その天上的な憧憬の激しさのゆえに、かえって生身のわれわれの存在的な〈欠如〉意識を衝くという逆説は、近代において、絶えず繰り返されてきたロマン主義的なドラマであり、悲喜劇でもあった。

 私たちの戦後社会においては、例えば三島由紀夫・埴谷雄高・谷川雁のように、この種のヴァーチャルで極彩色溢れる天上的な美の創り手はことのほか巨大な影響力をもち得たし、それはそのまま、〈戦後〉という時代の地上的現実の痩せ細った散文的な貧寒さの裏返しでもあった。

 彼らは、ドストエフスキーが『悪霊』で創造したスタヴローギンに大変よく似ている。

 虚無に全身を蝕まれて、存在への〈生身〉の共感能力を封じられたこの不幸な主人公は、その生存感覚のヴァーチャルな空虚さのゆえに、地底の闇からはるかな天を仰ぎ見るような狂暴な〈渇き〉の衝迫に駆り立てられて、彼岸的な哲学的夢想を紡ぎ出してみせる。

 その思想は、シャートフとキリーロフという孤独で繊細な偏りをもつ知的な青年たちの欠如意識を強烈に衝き、彼らの魂をわしづかみにしてしまう。

 原初的な〈欠損〉によってどす黒い虚無を宿命づけられたスタヴローギンの渇きの激しさが、その〈虚構〉としての言葉に、かえって恐ろしい生々しさを付与するからである。

 小林秀雄は、スタヴローギンのような激しいエロス的な飢渇感に苛まれるタイプではないが、それでも、ランボーに傾倒した青年期から三十代の『ドストエフスキイの生活』に至る戦前の彼もまた、本来は、存在への異和に根ざした観念的でヴァーチャルな言語理念を身につけた、いかにも現代風の妖気を漂わせる文学者であったはずである。

 しかしその彼が、『無常といふ事』から「モオツァルト」を経て、戦後の『本居宣長』に至る道程の中で追求した理念は、そういうダンディズム的な美意識とは正反対の、存在と現象の二元論を解体して己れの魂に直截に映じる生命的な〈経験〉事象に迫ろうとする主客融合的な世界観であった。

 もし小林が、本当にそのような生命理念を身につけているとすれば、それはなによりも、彼の〈文体〉の上に重大な変化となって表われてこなければならないはずである。

 私のみる限り、そういう変化は、小林の文章の中には全く認められない。

 私はかつて、己れの〈死〉をぎりぎりまで見据えながら、流れるように透明にみずみずしい生のうたを奏でてみせた小林秀雄の気迫みなぎるモーツァルト論を読み、深い感銘を受けたことがある。今でも私は、「モオツァルト」を、小林の批評作品の最高傑作とみなすことに躊躇(ちゅうちょ)しない。

 しかし、その「モオツァルト」でさえ、繰り返し読み返しているうちに、やはり、膜で隔てられたところから〈距離〉をおいて言葉づらのみをなぞっているような、なんとも言い表わしがたい手ごたえの無さを感じて、苛立つことがしばしばであった。

 また私は、小林秀雄ともあろう思想家が、なぜ、吉田兼好のような人物を、最も偉大な批評家とみなすのか、さっぱりわからなかった。

 兼好などは、真剣勝負の実人生から撤退して、斜に構えた余裕のある隠者の場所から、さびをきかせたセンチメンタルな無常感をふりまきながら、たわいもない好事家的世俗的好奇心にかられて世相をつまみ食いする、どこからどう見ても、二流の傍観者的な小インテリでしかない。

 しかし、今なら、こういう途方もない過大評価の根拠も十分に了解できる。

 それは、小林の人生観・世界観とそれを支える認識論の本質が、結局のところ、鑑賞者=傍観者の殻を破るようなものではなく、彼の見つめる文人・偉人たちの生が、所詮は、彼の自画像の鋳型に沿って刈り込まれた「紙の上の人生」でしかなかったからである。

 もちろん、『無常といふ事』から始まる彼の古典論には、それなりに花も実もあるし、講演文も含む彼の著作のいたるところに散りばめられた、人生の深い哲理を示す思わせぶりな片言隻句の価値も、私はよくわかっているつもりである。

 その上で、敢えて、そう主張しているのである。

 そして、この小林秀雄の生への鑑賞者的な姿勢の根底には、実は、『ドストエフスキイの生活』の「序」で展開されたような、〈存在への不信〉とそれの裏返しともいうべき〈独我論〉的な表現理念が横たわっていると私は考えるのである。

 「モオツァルト」の中でもらされた「不平家とは、自分自身と決して折合わぬ人種を言うのである。不平家は、折合わぬのは、いつも他人であり環境であると信じ込んでいるが、環境と戦い環境に打勝つという言葉も殆ど理解されてはいない。……命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ。この思想は宗教的である。だが、空想的ではない。これは、社会改良家という大仰な不平家には大変難かしい真理である。彼は人間の本当の幸不幸の在処を尋ねようとした事は、決してない」という含蓄ある言葉には、この孤独な批評家の不幸な病のありかが、さりげなく端的に表われているといってよい。

 「社会改良家」云々は、ここではどうでもよろしい。

 小林がモーツァルトの「現世へのくぐり抜け方」を語ることで垣間見せた、生へのまなざしが興味深いのである。

 小林秀雄の「モオツァルト」は、そのほとんどが小林自身の独りよがりな自画像のコピイでしかない批評作品群の中にあって、己れ自身の歌と批評対象の主調音との幸福な一致を見せた、まことに稀有な作品のひとつである。

 それほどに、小林秀雄という人物の魂は、モーツァルトという、生涯にわたって孤独な「ひとり遊び」のような透明な歌を奏で続けた幼児的な資質の天才と、鮮やかにシンクロナイズしているのだ。

 そこには、醜悪なカオスとしての〈外界〉が強いる印象から即座に眼をそらして、それを、内なる幻想の主題歌にすり換えてゆこうとする独我論的な姿勢が明瞭に見てとれる。

 「命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ」という言葉は味わい深く、ある意味では、まぎれもない真理ではあるが、そもそもこのように、人間存在のあり方を「外的偶然」と「内的必然」に二分してしまうこと自体、すでに、西欧近代的な物心二元論の轍(わだち)にはまり込んでいることを示している。

 真の実在は、〈偶然〉と〈必然〉という二分法を止揚したところにある、主客一体となった生命的な事象としての〈流れ〉であると見る認識論が、真に体得されているならば、こういう言葉は出てこないはずだ。

 小林の無意識の底には、存在の本質を不条理な「外的偶然」とみて、人間の内面を、それに抗する「内的必然」としての幻想領域とみる物心二元論が頑として横たわっている。

 少なくとも、彼の生涯の仕事を見る限り、『ドストエフスキイの生活』の「序」であけすけに正直に語られた不幸な認識論の〈呪縛〉を解体した形跡は無いのだ。

 彼の批評方法は、初期以来一貫して、膜で隔てられた鑑賞者の場所から、他者の作品世界の根底に流れる生の主調音を、己れ自身の〈歌〉として固有の感情移入を通して忠実になぞるという、独我論的モノローグの手法によって支えられている。ただ、その批評の対象として、初期の神経症的な近代文学者の病の〈宿命歌〉に代わって、ベルクソンや本居宣長の読み解きに代表されるような主客融合的な生命理念の演奏が、前面に押し出されてきたというにすぎない。

 私たちは、その表面的な転換によって見事に欺かれてきたのである。

 彼の認識論の枠組そのものが、思想的な苦闘を経て、真に転倒されたような形跡は全く無いのだ。

 この小林の独我論的な身構えは、おそらく、青年期に確立された彼の〈資質〉の表現形態によって強いられたものであり、彼自身どうにも逃れようのない宿命的な色合いを帯びたものであったとみてよいであろう。

 この批評家には、もともと、あるがままの生ける存在と即自的生命的な〈交感〉を行うような、生身の生活人としての〈肉体〉というものが、決定的に欠けていた。

 生ける存在そのものも、存在の一部である生身の肉体をもった〈現世〉の人間たちとの具体的な関わり合いも、この冷ややかで過剰に内向的な、硬直した〈自意識〉の固まりのような書斎型の文人にとっては、ただ疎遠で煩わしい〈異物〉でしかなかったはずである。

 中原中也との長谷川泰子をめぐる三角関係における、小林秀雄の冷ややかでスマートな〈逃避〉の仕方は、小林とは対照的に幼児が手足をばたばたさせるように荒れ狂った中也の反応とは違って、私を無性に苛立たせるものがあるが、この苛立ちの感触は、小林の批評文に対して常に私が感じてきたものと、たしかに同質の型をもっている。

 要するに、私は、口先だけで生命の歌をうたおうとする、小林の観念的で冷ややかな、そのくせ悟りすましたようなポーズが小癪でならぬのである。

 そして、この観念的な身構えには、〈存在への不信〉という不幸な蛇が、分かちがたく絡みついているのだ。

 私が言いたいのは、戦後の主客融合的な生命的理念をふりかざす小林秀雄の根底に、彼の否定してやまぬ物心二元論的な西欧近代的認識論の足枷が、ひとつの〈観念の肉体〉のようにこびりついていたにちがいない、ということなのである。

 小林秀雄を、土俗的な伝統に根を下ろした稀有な思想家とみなす論者もいるが、それは、彼の見かけのスタイルにだまされた皮相なとらえ方である。彼ほど、徹底して近代主義的な書き手はいない。

 その根本的な認識論・世界観においても、また、その不幸な近代的自我意識の病を古典作品への独我論的読み込みによってなだめようとする逆説的な志向においても、いちじるしく近代主義的なのである。

 本当は心の底では「何ひとつ信ずるものをもたない」険しく硬直した近代的な自我意識の持ち主でありながら、それゆえにこそ、古今東西の異質な思想家・文人・芸術家たちの生の〈宿命〉の主調音を膜ひとつ隔てられた鑑賞者的な場所から、己れの〈自画像〉のように華麗な修辞を尽くしてうたい上げてみせる。たとえその歌が、戦後の小林秀雄の仕事に顕著にみられるように、それぞれの国の風土に根ざした〈伝統〉の宿命を奏でるものであったとしても、どうして、こういうタイプの表現者を土俗的な思想家とよぶことができようか。

 小林秀雄に最もよく似たタイプの文学者は、福田恆存であろう。

 福田が小林に強いシンパシーを感じていたのも、十分にうなずけることである。(この稿続く)

 

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近代批評の終焉―小林秀雄の病理をめぐって―(連載第1回) 川喜田八潮

  • 2017.01.28 Saturday
  • 15:54

 

*この評論は、1999年の3月に発行された「星辰」第二号で発表されたものである。

 当初は、「近代批評の終焉」(上)・(中)・(下)と題して、「星辰」第二号〜第四号の三回にわたって連載されたが、その内、(上)だけを今回独立した論考として掲載することとした。(ただし、ごくわずかな字句と文の手直し・補いを施したことをお断りしておく。)

 小林秀雄は、私にとって縁の深い文学者の一人である。「無常といふ事」「モオツァルト」などの古典論の数々には、かつて強いインパクトを受けたことがあるし、講演集『考えるヒント3』に収められた「信ずることと知ること」など、今でも深い共感を覚える批評文も少なからずある。その孤独な風貌といい、人の思惑を気にせぬマイペースな仕事ぶりといい、できることなら、批判の対象にはしたくないタイプの表現者なのだが、いかなる因縁か、そうもいかなくなってしまった。ここに掲載する「近代批評の終焉」は、私が四十代の後半に執筆した文章である。十八年以上も昔に書かれたもので、今の私なら、こんなケンカ腰の、殺気走った文体では書けぬし、書こうとは思わぬだろう。

 だが、今読み返してみても十分に鮮度のある文章であり、自分で言うのもなんだが、活を入れられるというか、背筋をシャキッとさせられるような想いになるので、改めて掲載することにした。

 小林秀雄ファンの方も含め、読者のご寛恕を乞う次第である。

        二〇一七年一月   筆者

 

     1

 

 昭和十年に「文学界」の中心に立って、事実上、文壇のボス的存在の一人となった小林秀雄が、この雑誌を己れの個人編集誌の如く扱い得るという結構な身分に立って、この年から昭和十二年にかけて存分に書きたい放題の論を展開してみせた労作が、彼の代表的著作のひとつとされる『ドストエフスキイの生活』である。その「序」には、小林の歴史と古典作品への認識方法のあり方がきわめて鮮明に吐露されており、この認識論はそのまま、小林の芸術=表現理念であると共に、彼の世界観(存在論)でもあり、ひいては生活理念ともなっているという、すこぶる印象的なしろものである。

 彼の認識論のベースとなっているのは、私たち人間の生存様式とは無関係に独立して存在している、非情なる客観的(外在的)実在としての「自然」という概念規定にある。

 小林は言う。「自然は人間には関係なく在(あ)るものだが、人間が作り出さなければ歴史はない。(中略)地球上に人類が現れた事が、自然にとって一偶然事に過ぎないならば、自然は、人間の手で附けられた様々な痕跡を、例えば氷河の附けた痕跡とか、貝殻のつけた痕跡とかと区別する術(すべ)を知らないに相違ない。地球が人類その他の生物を乗せているのも暫(しばら)くの間だ。その暫くの為に、自然が、その機制を変えるとは誰も考えやしない。そういう自然の世界に、自然科学的精神という人間の一能力が対応する。そしてこの一能力は、その純粋な形に於いては、出来るだけ人間臭を脱した『自然常数』の確立を目指さざるを得ない事は言うまでもない。この言わば人間が自ら厳密な一尺度と化する能力は、自然が僕等に強(し)いたのかも知れぬ。(中略)だが、歴史は僕等に何を強いるのか、もし僕等が作らなければ歴史はないならば」「自然は疑いもなく僕等の外部にある。少くとも、自然とは、これを一対象として僕等の精神から切離さなければ考えられないある物だ。だが、歴史が僕等の外部に在るという事が言えるだろうか。僕等は史料のないところに歴史を認め得ない。そして史料とは、その在るがままの姿では、悉(ことごと)く物質である。それは人間によって蒙(こうむ)った自然の傷に過ぎず、傷たる限り、自然とは、別様の運命を辿(たど)り得ない。自然は傷を癒そうとするのに人間の手を借りやしない。岩石が風化を受ける様に、史料は絶えず湮滅(いんめつ)している。湮滅が人間の手で早められるとすれば、それは自然にとっては勿怪(もっけ)の幸いに過ぎまい。そういう在るがままの史料というものが、自然としてしか在り様がないならば、其処(そこ)に自然ではなく歴史を読むのは、無論僕等の能力如何(いかん)にだけ関係する。そしてこの能力は、史料という言葉を発明した能力と同一である他はあるまい。この能力には史料を自然の破片として感ずる事が出来ないのである。それなら、史料を自然の破片と観ずるもう一つの能力に対する或る能力があるわけで、古寺の瓦(かわら)を手にする人間は、その重さを積る一方、そこに人間の姿を想い描く二重人なのである」「この二つの能力は、つまり人間を自然化しようとする能力と自然を人間化しようとする能力は、僕等の裡(うち)で、なるほど離し難く混合しているが、仮りに、と言うのはこの文章の技術上、ここに区別して考えてみているわけだが、この二つはまったく逆の方向に働いているばかりではなく、その性質も似ていない。それぞれの性質を誇張してみればよい。自然は僕等に疎遠になればなる程、僕等の理解に好都合な世界として現れる。別言すれば、僕等は外物による検証の段階を踏み、真理とは何物かを知らないとしても、少くとも検証に堪えない物は除き得る真理の世界を、自然に対応させるに至る。この世界の支えは言葉ではないのだ。だが、これに反し、自然を人間化する能力は、言わば生き物が生き物を求める欲望に根ざす、本質的に曖昧な力である。無論これは非合理的な力であり、自然は元来人間化なぞに応ずるものではない。従って人間化された自然とは、その純粋な形では、神話に他ならず、言い換えれば僕等の言葉に支えられた世界である」

 小林秀雄が述べていることはきわめて明晰だ。「自然」とは、私たち人間の生きざまや魂のあり方とは全く無縁に「客体」として外在している非情酷薄な物理的存在にすぎず、自然科学的精神という仮説検証のプロセスによってのみ探求し得る(非人間的な科学的言語によってとらえられる)真理の世界にほかならない。それに対して、人間の手によって再構成された「歴史」という世界は、そういう客観的(非人間的)な「自然」に拮抗して、「生き物が生き物を求め」ようとして人間的な言語が編み出す、主観的な幻想としての「神話」にほかならないということである。「歴史」という、「自然を人間化する能力」によって創り出された物語は、小林にいわせれば、「歴史という言葉に支えられた世界」であり、「言わば存在しないものに関する能力」の産物であるということになる。

 私たちは、この「歴史」という「神話」を、「史料」という、乏しい断片的痕跡を元に創造してゆくのだが、史料は、私たちの想像力に対する強力な「抵抗物」であり、この抵抗物を乗り超えて飛翔せんとする人間的な渇きが、私たちの固有の「神話」を誕生させることになる、というのである。

「……歴史の認識はどうしても純粋な姿を取り得ない。言わば歴史を観察する条件は、又これを創り出す条件に他ならぬという様な不安定な場所で、僕等は歴史という言葉を発明する。生き物が生き物を求める欲求は、自然の姿が明らかになるにつれて、到る処で史料という抵抗物に出会うわけだが、欲求の力は、抵抗物に単純に屈従してはいない。この力にとって、外物の検証は、歴史の世界を創って行く上で、消極的な条件に過ぎないので、どんなに史料が豊富になっても、その網の目のなかで僕等の想像力は、どこまでも自由であろうとするだろう。僕等の日常の生命が、いつも外物の抵抗を感じて生きている限り、歴史にあっても同じ事だ。既に土に化した人々を蘇生させたいという僕等の希いと、彼等が自然の裡に遺(のこ)した足跡との間に微妙な釣合いが出来上がる」

 小林がこの序論で語っている「歴史」への姿勢は、そのまま、彼の思想のあり方からすれば、われわれの「生活」や「生きる」という営みにおいても、また、「芸術」や「表現」という行為においても妥当するものだといってよい。

 なぜなら、小林秀雄の理念の枠組においては、人が「生きる」あるいは「創造する」という事実は、私たちの地上的肉体そのものとは別次元の、いわば存在からの〈疎外〉形態としての幻想領域による、存在の制約への抵抗ないし超越にほかならないからだ。

 そして、この、人間にとって冷ややかで外在的な無意味なカオスとしての存在に対する拮抗ないし超越の渇望を満たさんとする武器こそが、われわれの「言語」であり、言語によって生み出された幻想の産物である「芸術」や「歴史」だと位置づけられる。

 「史料」もまた、私たちの「日常の生命」が出会う諸々の「外物の抵抗」と同様に、また、人間という「自然」がそもそも担っている不条理な物理的肉体的制約と同様に、存在という制約を超えんとする人間的幻想的な希求に対する抵抗のひとつにほかならない。

 それでは、この史料という抵抗物を超えて、歴史という固有の主観的幻想=「神話」を創造せんとする渇きとは、どのようなものであるべきなのか。小林によれば、それは、死んだ愛児の面影を、遺品を前にして生き生きと蘇生させようとする母親のかけがえのない〈喪失感〉の如き感情であるという。

「子供が死んだという歴史上の一事件の掛替えの無さを、母親に保証するものは、彼女の悲しみの他はあるまい。どの様な場合でも、人間の理智は、物事の掛替えの無さというものに就いては、為(な)すところを知らないからである。悲しみが深まれば深まるほど、子供の顔は明らかに見えて来る、恐らく生きていた時よりも明らかに。愛児のささやかな遺品を前にして、母親の心に、この時何事が起るかを仔細(しさい)に考えれば、そういう日常の経験の裡に、歴史に関する僕等の根本の智慧を読み取るだろう。それは歴史事実に関する根本の認識というよりも寧ろ根本の技術だ。其処(そこ)で、僕等は与えられた歴史事実を見ているのではなく、与えられた史料をきっかけとして、歴史事実を創っているのだから。この様な智慧にとって、歴史事実とは客観的なものでもなければ、主観的なものでもない。この様な智慧は、認識論的には曖昧だが、行為として、僕等が生きているのと同様に確実である」「僕は本質的に現在である僕等の諸能力を用いて、二度と返らぬ過去を、現在のうちに呼び覚ます、しかもこの呼び覚まされたものが、現在ではない事をまたよく知っている。こういう矛盾に充ちた仕事を、僕等は何んの苦もなくやってのける。僕等が自分達の発明にかかる時間のうちにいる限り、其処(そこ)に何等疑わしいものに出会う事はない。謎のなかにいる者にとって謎はない。それが人間の世界である」

 小林秀雄によれば、「歴史」とは、はるか昔にその真の実体は失われて、今のわれわれの眼からは永遠に「隔てられた」ものにすぎない。われわれはただ、断片的なはかない〈痕跡〉をもとに、われわれ自身の〈喪失感〉のパトスを通じて、われわれ自身の「神話」を復元できるだけだというのである。

 小林は、「あるがまま」の歴史的な姿を復元しようとする一切の努力を、「痴呆の希い」とまで言ってのける。

 

     2

 

 明らかなことだと思うが、小林秀雄の認識論は、歴史的真理に関する一種の相対主義であり、それはそのまま、自然科学的真理を除く一切の人間的な幻想領域である思想・文学・芸術における真理の相対主義へと延長しうるものである。この相対主義を支えているのは、人間的営みとは無縁な外在的存在である「自然」という、私たちにとって今や科学真理めかした陳腐な常識と化している西欧近代的な固定観念と、この観念的な先入観の裏返しとしての、主観的=独我論的な真理概念にほかならない。

 換言すれば、非人間的で不条理な外物としての物理的自然という単純きわまる存在概念から締め出されてしまった一切の人間的な、自然・存在への生命的有機的な意味づけ・身体感覚・価値意識というものを、小林的理念は、単なるいじましい〈主観〉の幻影(「存在しないもの」としての、言葉の上だけの虚構=幻想の産物)の領域へと封じ込めてしまったのである。

 こういう世界観からは、思想・文学・芸術・歴史に関する一切の真摯な真理探求は、単なる独我論的宇宙の構築とみなされるほかはないし、そういう価値意識は結局、実生活と表現を二元的に分離して、表現=芸術という天上的な幻想領域を、不条理な地上的生活苦に拮抗しこれを超越し得る唯一の生の根拠とみなすような、思い上がった芸術至上主義の理念に収斂してゆくほかはない。

 価値相対主義・真理相対主義とは、実は、ひとつのニヒリズムの形態にほかならない。

 一九八〇年代におけるポスト・モダンの言説以来、今日の私たちのジャーナリズム世界では、諸々の真理概念・価値観をめぐる相対主義的ニヒリズムが猖蹶(しょうけつ)をきわめているが、その淵源をたどると、昭和初期の小林秀雄によって典型的に象徴されるような、価値と意味を剥奪された無機的な自然=存在概念とその裏返しである独我論的な相対主義的真理概念にまでゆきつくのである。

 世界=宇宙(コスモス)とわれわれ自身の存在との生ける身体的意味づけとそれを裏付ける森羅万象との生身の〈接触〉の感覚が完全に崩壊し、われわれの身体とは分離した〈客体〉としての物理的外在的自然と、それに対立するアトム化した観念的〈自我〉意識に分裂するような近代的病理の極相に達した時、それは生ずる。

 こういう二元的な〈分裂〉の病相においては、私たちのあるがままの経験世界において立ち顕われる〈存在の驚異〉に対する新鮮な感受性は完全に麻痺(まひ)しているといってよい。

 私たちの経験世界において体験し観察し得る、世界の光と闇の、言語を絶する不思議さの感覚。恐るべき不条理や災厄、運命の翻弄のいわれのない悪意と、それとは似ても似つかぬ〈奇跡〉のような幸福な人生の諸々の出会い、人と人との不可思議きわまる〈縁(えにし)〉のあり方、樹々や草花や太陽や星の輝き、われわれの魂のあり方に呼応して刻々と相貌を変える風景の精妙な奥深さ……。

 〈個〉の内に宿りながら〈個〉をはるかに凌駕した、それら生の巨大な未知の流れに対するみずみずしい〈驚異〉の心、人生のめぐり合わせの不思議さへの真の〈畏怖〉の感覚を知る者にとっては、われわれ人間の魂のあり方や生きざまとは縁もゆかりもない無意味な外物としての物理的自然の概念とか、その自然の脅威に敵対するために仮構されたちっぽけな独我論的自我意識の砦などといった、物心二元論的な不幸な引き裂かれた世界観は、全くもって受け入れがたいものである。

 小林秀雄のような観念的な近代インテリ好みの認識論を可能ならしめているのは、なによりも、こういう〈存在の驚異〉に対するみずみずしい素直な感受性の〈欠落〉、前近代の民衆ならば誰もが保持し得ていたような、われわれの〈生身〉の身体と世界との間の〈接触〉と〈意味づけ〉に根ざしたコスモス的な感覚の喪失=崩壊なのである。

 小林は、このような病める存在概念を根底に据えた上で、彼一流の独我論的正当化の論理に則して、己れの主観的恣意的な歴史認識を、ドストエフスキーをはじめ、種々の古典に対して行使しようというのである。

「ドストエフスキイという歴史的人物を、蘇生させようとするに際して、僕は何等格別な野心を抱いていない。この素材によって自分を語ろうとは思わない、所詮自分というものを離れられないものなら、自分を語ろうとする事は、余計なというより寧(むし)ろ有害な空想に過ぎぬ。無論在ったがままの彼の姿を再現しようとは思わぬ、それは痴呆の希いである」

 「痴呆の希い」とは、よくも言ってくれたものである。

 こういうニヒリズムは、一見深刻ぶった真摯な真理を語っているようにみえるが、実は、歴史的存在に対するきわめて冒瀆(ぼうとく)的でデカダンな態度にすぎない。

 私もまた、小林と同様、人間の生に関わる歴史的真理の「客観性」などという概念を支持してはいない。しかし、それは、歴史的人物の「あるがままの姿」を復元しようとする努力が空しいものであるとか、われわれに探求可能な歴史の〈真実〉なるものがそもそも存在しないなどということを決して意味してはいない。

 「客観性」という言葉を、誰でもが「納得」せざるを得ないような「共同主観性」という意味合いで使うならば、私もまた、歴史的人物の生に関する真理の「客観性」などは信じない。

 自然科学においては、仮説から導き出される種々の結果を実験ないし観察によって検証することで、仮説の蓋然的な正当性を客観的に(共同主観的に)高めたり、反証したりすることができる。しかし、人文・社会科学、とりわけ、思想・文学上の認識領域においては、いかなる主張・真理も、個々人の置かれた内面的な〈契機〉によって「了解」可能性は全く異なってくる。たとえ一点の非のうちどころもなく論証ないし検証してみせたつもりでも、それに接する人間の内的契機によっては受容しがたいものとなるのだ。いかなる人間も偏見や感情のとらわれに左右されやすい存在であるからというばかりではなく、機縁が熟していない時には、たとえどんなに相手の主張を頭で「理解」でき、反駁不可能なまでに説得されても、決して肚(はら)の底から「納得」させられないのが、人間という生き物だからである。

 文学・思想上の真理というものは、〈身体〉のレベルにおいて、単なる「理解」から「了解」への水位が高まった時、はじめて真に受容可能なものとなる。言葉づらだけで相手を「説得」しようとしたり「論破」しようとする知識人や啓蒙家の努力が、空しい、笑止千万なしろものとなるのもそのためである。

 文学・思想の領域においては(もちろん歴史的人物の生きざまについての内的理解も含めて)、そもそも真理の「客観性」(共同主観性)など成立しようがなく、いかなる主張も大なり小なり主観的たらざるを得ないのである。

 小林秀雄の如き独我論的認識論・相対主義的真理観が正当性を主張しようとする背景には、彼の近代病理的な物心二元論の世界観のほかに、このような文学・思想領域における客観的真理の原理的不可能性という単純な要因も横たわっている。

 しかし、われわれの思想・文学・歴史についての考察・主張が、大なり小なり主観的で相対的なものにならざるを得ないからといって、われわれにとって探求可能な〈真実〉なるものはそもそも存在しないとか、歴史の「あるがままの姿」を復元したいという痛切な願望が「痴呆の希い」にすぎないということにはならない。

 小林は、己れの歴史認識(歴史復元)の方法を、「ささやかな遺品と深い悲しみとさえあれば、死児の顔を描くに事を欠かぬあの母親の技術」にたとえているが、決定的な違いが一つある。この母親が遺品をもとに蘇生させようとしている愛児の〈面影〉は、彼女にとっては、かつて存在していた唯一の真実の姿を宿したものだと固く信じられているのに対して、小林秀雄は、ハナっから己れの復元しようとする古人の姿を、実際にはかつて存在したこともなかった彼自身の主観的な幻想(幻影)=虚構の産物であるとみなすようなニヒルな認識論に立っているという点である。

 そのような、言葉だけの〈虚構〉であって何が悪いと、彼は居直っているのである。

 過去を求める〈真剣さ〉の質において、小林とこの母親とは、ハナっからまるで違っているといってよい。小林の歴史探求の情熱には、当初から、己れの好みの歌をうたえればそれでよいという、どうしようもないデカダンな、不真面目な独我論の匂いがつきまとっているのである。

 こういうとてつもない恣意的な傲慢さによって、小林秀雄は、歴史的認識に対する一切の合理的批判を封じるばかりか、己れの独断的批評へのまっとうな批判すら一蹴するような、ふざけた「免罪符」をちらつかせているのだ。

 なるほど、私たちが歴史を復元しようとする試みは、しばしば浅はかで、誤りに満ちたものかもしれない。探求の前提となる種々の思想的認識や人間論に甘さや誤謬がつきまとい、また、読み手の先入観や時代的制約も大きく作用するかもしれない。

 しかし、対象をある抽象的な切り口に沿って限定し、限られた史料を読み解きながら、われわれなりの人間認識や思想を前提とした直観的洞察にもとづく〈仮説〉を立て、そこから種々の推論を導き出してその整合性を調べたり、史料によって推論結果を検証することによって、仮説の蓋然的な正当性を高めていこうとする試みは、少しでもあるべき唯一の真実に近づきたいという真摯な探求の情熱があるからこそ可能となるのだ。

 史料の語るところを虚心に忠実に聴き取り、対象の「あるがままの姿」を復元したいという真理への思いなくして、決して、歴史は、私たちに、未知の異質なる〈他者性〉としての深々とした相貌、存在感を垣間見せてはくれない。

 もちろん、私たちが知り得る歴史像は、対象全体の巨大さから見れば、ある抽象度に沿って切り取られた一断面の一部分でしかない。しかし、たとえわずか一部分ではあっても、そこに見い出された対象の側面は、私たちにとって新鮮な驚きを与えてくれる、魅力ある異質な〈他者〉としての手ごたえをもっているのである。それは、私たちが、対象の「あるがままの姿」と出会いたいという情熱があるからこそ発見し得るものなのだ。

 そういう真実への無私の情熱の無いところに創造される「神話」としての歴史には、「神話」という言葉に本来備わるような、真の生ける存在の〈輝き〉は宿らず、せいぜい良くて、論者の〈自画像〉のヴァリエーションが生々しく再生されるだけのことである。

 小林秀雄の批評文で取り上げられた古今東西の作家・思想家たちの像は、この意味で、まぎれもない小林の自画像のヴァリエーション・メタファーであり、決して彼にとっての異質な〈他者〉とはなり得ていない。

 すべて、彼自身と共振する彼にとって了解可能な側面のみを断片的に点綴されて造られた巧妙な〈模造品〉を、小林色にユニークに染め上げて仕立て上げたしろものにすぎない。

 小林秀雄は後年、己れの批評方法の勘どころを説明して、対象をうまくホメることにあるという趣旨のことを述べているが、彼にとって〈異和〉を引き起こさせる対象の側面は、常にあらかじめ巧妙に視界からはずされ、〈異物〉として切り捨てられている。論じられる人物たちの姿はすべて、小林の自画像の大きさに沿って刈り込まれた彼のコピイの群れでしかない。

 小林の生涯の仕事ぶりを見ていると、まるで全世界の偉人たちがすべて、彼の兄弟・親友・同朋だと言わんばかりだ。

 彼が取り上げた古人たち一人ひとりの絶対的な生の固有性と孤独の険しさをおもえば、はっきり言って、これは、吐き気をもよおさせる光景ではないだろうか。

 小林秀雄の講演文を読んでいると、一つのテーマの展開に沿って、実にさまざまな作家・芸術家・思想家たちがイモづる式に断片的に取り上げられ、本来ならば水と油の如く相容れようのないはずのそれらの人々が、互いに葛藤することもなく、小林の指揮棒の下に、一斉に小林好みの思想的な主調音を奏でながら、華麗な協奏を演じてみせている。

 これは、相当にグロテスクな見世物である。

 小林の批評文によって描かれる思想家・文学者・芸術家たちは、すべて、華麗で滑らかでペダンティックな彼の文体に似て、やたらつるつるすべすべしていて、実際の彼らの生きざまや思想のあり方に比べて、はるかに口当たりの良い存在と化している。

 『ドストエフスキイの生活』で描かれた作家像のような、エドガー・アラン・ポウに酷似させられた毒々しく異常きわまる病像でさえも、現実のドストエフスキー当人と比べると、はるかにグロテスクに華やいだ化粧が施されており、その安っぽいけばけばしさの分だけ、口当たりの良い見世物になっていると同時に、小林秀雄自身の不幸な芸術至上主義的嗜好の大げさに増幅された「読み物」になっているのである。

 小林は、己れのドストエフスキー論によって「自分を語ろうとは思わない」と言っているが、彼の『ドストエフスキイの生活』ほど、彼自身の芸術至上主義者としての病者の〈自画像〉を正直に語っているものはない。(ちなみに、小林の論とは似ても似つかないものだが、私もまた、拙著『脱〈虚体〉論―現在に蘇るドストエフスキー―』において私なりのドストエフスキー論を展開しているので、ご一読いただければ幸いである。)

 しかも、彼の批評はいつも言葉の素振りだけは深刻ぶっているものの、実際には、対象となる思想家・芸術家たちの生きざまの烈しさとは似ても似つかない気楽な「傍観者」=鑑賞者の場所に己れを置き、舌なめずりするように、口当たりの良い流麗な修辞(レトリック)を洪水のように展開してみせる。

 彼の文体のペダンティックな饒舌(じょうぜつ)ぶりは、何よりも、論ずる対象に対する彼の気楽な〈距離〉の取り方=傍観者的な余裕を証しているのである。

 逆に言えば、論ずる対象へのその〈距離〉=空隙によって生ずる生存感覚の〈空虚さ〉を代償するために、華麗な修辞(レトリック)が必要とされるのだといってもよい。

 坂口安吾は、かつて「教祖の文学」において、小林秀雄の文章の「字面(じづら)からくる迫真力」について言及し、「心眼を狂わせるに妙を得た文章」だと言ってのけたが、まさに言い得て妙と言うべきである。(この稿続く)

 

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