「中期」太宰治の変容―表現と実生活をめぐるアポリア―(連載第5回) 川喜田八潮

  • 2017.08.30 Wednesday
  • 17:25

 

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『散華』(昭和十九年発表)は、その系列の最も美事な、それゆえに最も痛ましい作品である。

 この作品で太宰は、出征した年少の友人の三田循司という青年が、アリューシャン列島の孤島アッツ島で玉砕する直前に自分に宛てて出した一枚の葉書に深く打たれたという、ささやかな重い体験を披瀝している。

 

「御元気ですか。

 遠い空から御伺いします。

 無事、任地に着きました。

 大いなる文学のために、

 死んで下さい。

 自分も死にます、

 この戦争のために。

 ふたたび、ここに三田君のお便りを書き写してみる。任地に第一歩を印した時から、すでに死ぬる覚悟をしておられたらしい。自己のために死ぬのではない。崇高な献身の覚悟である。そのような厳粛な決意を持っている人は、ややこしい理窟などは言わぬものだ。激した言い方などはしないものだ。つねに、このように明るく、単純な言い方をするものだ。そうして底に、ただならぬ厳正の決意を感じさせる文章を書くものだ。繰り返し繰り返し読んでいるうちに、私にはこの三田君の短いお便りが実に最高の詩のような気さえして来たのである。アッツ玉砕の報を聞かずとも、私はこのお便りだけで、この年少の友人を心から尊敬する事が出来たのである。純粋の献身を、人の世の最も美しいものとしてあこがれ努力している事に於いては、兵士も、また詩人も、あるいは私のような巷の作家も、違ったところは無いのである。」

 

 この作品の〈かたち〉をよくよく味わってみよ。

 生活の恐怖とよくたたかい、日々の地味な文学的営みによって風景を塗り変え、現世と彼岸的なるものの危うい〈均衡〉を不断に創造し続けることで、〈奇跡〉のように日常をくぐり抜けてきた中期太宰の繊細で矛盾に満ちた力わざが、〈死〉という究極の純一な〈子宮〉のうちに、恐ろしいほどの透明感をもって収斂していくさまを、まざまざと垣間見るおもいがする。これこそが、太宰の泣きどころであり、ひいては、私たち人間の究極の暗部なのである。

 ここに描かれる、万象を回帰させる〈死〉の不動のかたちは、それほどにも美しいものなのだ。

 この美しさの圧倒的な迫力の前では、一切の判断が瞬時に機能を停止する。

〈生〉という営みが日常的にいや応なく突きつけてくる、容易に解きほぐし難い混沌とした課題、矛盾に満ちた、デリケートで柔らかな生身の痛みや渇きというものが、「純粋な献身」というひとつの幼児的で透明な〈観念〉のもとでは、瞬時に言葉を失い、凍結される。

 一切の現世的な矛盾を消却してくれるこの死の〈大義〉は、実生活の生身の営みを価値的に下位に置くばかりでなく、それらを致命的に破壊しつつ、見せかけの上では矛盾なく〈包摂〉してみせるのである。

 それは、何も、〈献身〉のイデオロギー、〈死〉のイデオロギーの欺瞞性に限ったことではない。

 本来、〈観念〉へののめり込みと生身の〈肉体〉との間に潜在する本源的な〈矛盾〉のあらわれの一つにすぎないのである。ただ、その矛盾が、〈均衡〉の内にとどまることを許容しないほどの、巨大な〈落差〉となってあらわれたというにすぎない。

 アッツ島で玉砕した青年三田循司にとって、〈献身〉と〈死〉の理念は、極限状況の下でいや応なく強いられたぎりぎりの選択肢であったろう。生身の肉体へのあらゆる可能性を封じられた極限性の〈契機〉にさらされた者には、回帰していく場所はひとつしか許されてはいない。

 だが、三田からの便りを受けとって、熱いおもいでその場所に同調し、献身と死の理念に純一に収斂しようとする太宰治の場所は、三田の場所と一見似て、微妙に非なるものである。現実の太宰自身は、あくまで、生身の地上的な肉体をひきずり、家族の生の重さを背負っているからだ。

 三田の置かれた極限的な生きざまとそれに伴って浮上するアジア的な〈無〉へのエロス的な回帰の圧倒的な迫力を前にして、その重さに「拮抗」しようとおもえば、太宰のような凄まじい〈生き難さ〉の業を担う者にとっては、やはり、同じく、文学への〈献身〉というかたちをとった〈死〉の理念を前面に押し出すしかなかったのかもしれない。

 その意味では、太宰のナショナルなのめり込みもまた、不可避なものであり、誰も責めることなどできはしない。

 そのことを重々承知の上で、敢えて、太宰の選択肢の不可避性をカッコに入れて考えてみるならば、ここには、〈観念〉と〈肉体〉の矛盾の深淵、とりわけ、一切の〈生身〉の営みを容赦なく呑み込み、溶解させてしまう死の理念、〈献身〉と〈殉教〉のエロス的な磁場の凄みだけが、今もなお、痛ましい刻印となって遺されているのだ。

 

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 ところで、『散華』では、もうひとり、三井という文学青年の死についても触れられている。三井は、肺の病のために出征できず、そのまま病床で死を迎えることになる。

 小説を書いては作者のところへ持参するのだが、いつも手きびしい評価しか得られなかったそうだ。青年は、自分の病気についてはあまり語ろうとはしなかったが、作者は、彼の衰弱ぶりを知って、「いますぐ、いいものなんか書けやしないのだし、からだを丈夫にして、それから小説でも何でも、好きな事をはじめるように」と、三井の親友に忠告を依頼する。しかし、それっきり、三井青年は作者のところへは来なくなり、「三箇月か四箇月目に」亡くなったという。

 この青年は、疾患を知りながら、治す気がなかったらしい。

 

「御母堂と三井君と二人きりのわびしい御家庭のようであるが、病勢がよほどすすんでからでも、三井君は、御母堂の眼をぬすんで、病床から抜け出し、巷を歩き、おしるこなど食べて、夜おそく帰宅する事がしばしばあったようである。御母堂は、はらはらしながらも、また心の片隅では、そんなに平然と外出する三井君の元気に頼って、まだまだ大丈夫と思っていらっしゃったようでもある。三井君は、死ぬる二、三日前まで、そのように気軽な散歩を試みていたらしい。三井君の臨終の美しさは比類が無い。美しさ、などという無責任なお座なりめいた巧言は、あまり使いたくないのだが、でも、それは実際、美しいのだから仕様がない。三井君は寝ながら、枕頭のお針仕事をしていらっしゃる御母堂を相手に、しずかに世間話をしていた。ふと口を噤(つぐ)んだ。それきりだったのである。うらうらと晴れて、まったく少しも風の無い春の日に、それでも、桜の花が花自身の重さに堪えかねるのか、おのずから、ざっとこぼれるように散って、小さい花吹雪を現出させる事がある。机上のコップに投入れて置いた薔薇の大輪が、深夜、くだけるように、ばらりと落ち散る事がある。風のせいではない。おのずから散るのである。天地の溜息と共に散るのである。空を飛ぶ神の白絹の御衣のお裾に触れて散るのである。私は三井君を、神のよほどの寵児だったのではなかろうかと思った。私のような者には、とても理解できぬくらいに貴い品性を有(も)っていた人ではなかったろうかと思った。人間の最高の栄冠は、美しい臨終以外のものではないと思った。小説の上手下手など、まるで問題にも何もなるものではないと思った。」

 

 この三井の死のかたちは、殉教や献身や玉砕による死とは対極の場所にある、ひとつの〈自然死〉の美しい完結の姿をよく象徴し得ている。

 この青年が、死の直前の数か月間、果たしてどのような心持ちにあったか。それは、誰にも窺い知ることはできない。しかし、太宰がここで見据えているのは、一見何の変哲も無い、穏やかで地道な日常性の繰り返しと充足の延長に、おのずと訪れるような、ある透明な不動の感触である。

 自分以外の誰にも伝えることができず、了解されることもあり得ない、絶対的な固有性を備えた、言葉の最も奥深い意味における〈自然〉という純粋な実体のことである。

 それは、あらゆる地道な無名の生活者の生涯の果てに想い描かれた、ひとつの理想的な〈完結〉のかたちにほかならない。「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」と詠んだ西行のようなまなざしであるといってもよい。

 ささやかな固有の生活の営みの内に宿りながら、同時にそれを包摂し超越し得る、大いなるいのちの働きのことだ。

 もちろん、『散華』における太宰治は、こういう三井の自然死のかたちを、三田の玉砕と同じく、〈死〉という純一な子宮に回帰してゆく無償の自己抹消の願望という位相から凝視してみせている。

 しかし、それにもかかわらず、この両者の死のかたちは、別の切り口から視れば、完全に対極的な世界視線を象徴するものとしてとらえ直すことが可能なのだ。

〈生身〉の日常性の繰り返しの果てに位置する〈自然死〉の位相と、〈観念〉への献身と殉教の極北の場所に自らを追いやろうとする自己抹消のエロス性の〈矛盾〉のあらわれとして、だ。

 

 太宰の観念的な「のめり込み」が私たちの文学と思想の流れにとって不幸であったのは、傾倒の相手が天皇制ナショナリズムであったからではない。

 こののめり込みによって、大戦前夜までの「中期」太宰文学にかろうじて保持されてきた「実生活」と「表現」の危うい〈均衡〉が崩れ去り、しかも、その崩れがはらむ〈悲劇〉の本質というものが、国民全体のナショナルな熱狂の渦に巻き込まれることで、太宰自身にとって、不透明なものとなってしまったからである。国民全体が、ひとつの巨大な国家幻想のエロス的夢魔にとりつかれ、駆り立てられていったことで、本来なら、(戦後の「後期」太宰のように)〈実生活〉の致命的な破壊を帰結させることになるはずの、〈観念〉への滅私的なのめり込みは、極めて目立たないものであったし、国民全体が国のために滅私奉公することを建て前としていたがために、太宰の文学的営みとそれを支える実生活の維持自体が、何のうしろめたさもなく、自己犠牲的な〈観念〉と「調和」しうるものとなっていたからである。

 このおとし前は、戦後にやってくる。

 天皇制ナショナリズムという〈献身〉の美学が崩壊し去った時、それまで、見せかけの美しさの建て前の底によどんでいた日本近代社会の暗部は、戦後民主主義というヴェールをかぶりつつ明瞭な姿をとって露出してくる。大衆・知識人のこの精神的荒廃の情況に、太宰は素手で立ち向かわなければならなくなる。

 ここで太宰は、餓狼のような狂暴さをむき出しにしつつあった戦後社会のエゴイズムの諸相の発散する、脂ぎった生活欲の修羅場に「拮抗」するために、再び、〈献身〉と〈死〉の理念への一途な忠誠を持ち出さなければならなかった。

 キリスト的観念への滅私的なのめり込みは、この後期太宰の孤絶したたたかいを後押ししてくれる唯一の〈超自我〉となり得たのだった。(了)

 

 

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「中期」太宰治の変容―表現と実生活をめぐるアポリア―(連載第4回) 川喜田八潮

  • 2017.07.21 Friday
  • 18:20

     

     5

 

 しかし、昭和十六年の『新ハムレット』になると、すでに、太宰の生活思想には、重大なほころびが顕われ始める。

 ハムレットの、「言葉」にのみ「真実」を認め、言葉の無いところには真の「愛」も無いとする理念は、「前期」太宰の〈関係の障害感〉と表裏する芸術至上主義的理念と同じものであり、実生活と表現の〈均衡〉の崩れが明瞭に見てとれるのである。

「愛は言葉だ。言葉が無くなれや、同時にこの世の中に、愛情も無くなるんだ。愛が言葉以外に、実体として何かあると思っていたら、大間違いだ。」というハムレットの言いぐさは、「前期」太宰治の『創生記』に見られる「愛は、言葉だ」という言い回しと重なるものであり、何度ふり返っても、恐ろしい危うさを感じさせる箇所である。

 この理念は、ほんとうは、微妙に異なる次の二つの次元に向かってひらかれている。

 

(一)ひとつは、己れの関係意識の障害感を、言葉の力=芸術が紡ぎ出す身体イメージ(痛覚や渇き)の生々しい喚起力によって、そのつど超えてゆこうとする営み、すなわち、言葉を通じて、未知の〈縁〉ある他者に向かって、そのつど懸命に「架橋」を試みようとする、〈文学〉へのまっとうな契機を示すものである。

 あるいは、より実生活に即して言うなら、縁ある個々の他者や家族に対して、真に生きた〈関係〉を生み出すための、真正の「言葉」が必要だという覚悟性を示すものである。

 

 ここまでならば、何の問題もないのだが、恐ろしい悲劇は、ここからさらに一歩を進めた誤謬の場所にあるのだ。

 

(二)つまり、言葉というものを、単なる文学(表現)の契機(あるいは「生ける接触」の契機)にとどめずに、「この世で真実なのは言葉だけだ」(「言葉の無いところには、生きた関係も無い」)という主張にまで昂進させるとしたらどうなるか。

 

 こういう理念に本気でとりつかれると、現実の生身の人間関係の瞬時瞬時のダイナミックな不可視の手触りというものが次第に見失われ、生ける日常の物語が封じられて、硬直した単調なひとつの図式によって風景が置き換えられてしまう。すなわち、現実というものが、荒涼とした無機的な砂漠のようなしろものに固定させられてしまうのだ。

〈沈黙〉のふくらみ、人間関係の背後に横たわるはずの、生の身体的な奥行き、生きた呼吸のぬくもりというものが、ひとつのバカげた、薄っぺらな〈観念〉の構えによって封じられてしまうからだ。

「言葉が発せられない時は何も無い」「言葉が発せられて、はじめてそこに愛や真実が宿る」といった、もっともらしいウソッぱちの理念は、〈関係の障害感〉に根ざした、無機的で冷えきった対人感覚を不当に増幅させるものであり、また、身体中を容赦なく蝕んでゆく虚無の裏返しでもある。

「言語」至上主義、「芸術」至上主義とは、その極限のあり方においては、〈生身〉の現世的幸福への徹底的な断念と底知れぬ憎悪の裏返しに他ならない。

 こういう理念を、何の疑いもなく、全身的な叫びとして発することができるようになった時、その人間の現実風景は、完全に虚無一色に塗りつぶされたものとなっている。

「前期」の太宰はそうであったし、「中期」の太宰の苦闘は、その暗黒へのたたかい=生身の蘇生の試みとして開始されたはずであった。

 自分とはどこまでも異質な、未知なる他者との、瞬時瞬時の〈関係〉への架橋ないし修復への、緊迫した努力の産物。それが、『富嶽百景』から『きりぎりす』『東京八景』の頃までの「中期」太宰「前半」の力わざであった。

 だが、太平洋戦争前夜の昭和十六年頃を境に、彼の試みは、明らかに解体の〈兆し〉を見せ始めたのである。魂は〈均衡〉を失い、身体は徐々に〈虚無〉に蝕まれつつあった。

『新ハムレット』には、その兆しがはっきりと認められるのだ。

 

 この作品のハムレットは、母親や恋人や周囲の人間たちの愛情を〈生身〉の手ごたえをもって「実感」することができない。いわば、太宰の「人間失格」的位相を、悲喜劇的に拡大したものとなっている。自己をあざむき、他者を日々裏切りつつ平然と笑って生きられる俗世間の人間たち、相対的な心理の推し測りや駆け引きで対人関係を処理する市民社会型の人間たちからはじき返され、泥沼のような神経症的な関係意識に苛まれて、悶々と孤独地獄のうちにもがき苦しむハムレット像は、『斜陽』の直治や『人間失格』の葉蔵のような「後期」太宰作品の主人公たちにそのままつながるものである。

 ハムレットの「愛は言葉だ」という「言語」至上主義的な表現理念は、この現実の「人間失格」的な障害感、虚無感の裏返しになっているのだ。

 ただし、『新ハムレット』では、まだ、ハムレットに対するオフィリヤの言葉の中に、〈沈黙〉のもつ言語的意味性の重さ、実生活上の身体的言語のふくらみ、〈行為〉の奥行きのもつ意味の重要性への認識は、かろうじて、保たれているといっていい。

 自分を愛してくれるどんなに身近な存在でも、「あんまり、はっきり割り切れた気持で涼しく生きている」兄や父親に対しては、「何でも打ち明けて語ろうという親しい気持」は起こらないが、ただ一人ハムレットに対してだけは心を許すことができるという、オフィリヤの視線に、それが表われている。

 オフィリヤは、ハムレットの、「めめしく」て、いつも「いらいら」して、ひとりよがりに呻いたり当たり散らしたりしている、神経症的で幼児的なふるまいに閉口しながらも、同時に「だだっ子」のような彼の姿に、なんとも言い表わしがたい愛情を感じている。

「あんなお方は、世界中に居りません。どこやら、とても、すぐれたところがあるように、あたしには思われます。いろいろな可笑(おか)しな欠点があるにしても、どこやらに、神の御子のような匂いが致します。」

「あたしの言葉は、しどろもどろで、ちっとも筋道がとおらないかも知れませんが、でも、心の中のものは、ちゃんと筋道が立っているのです。その、心の中の、まんまるいものが、なんだかむずかしくて、なかなか言葉で簡単には言い切れないのです。」

 こういうオフィリヤの言葉には、関係の障害感に根ざしたハムレットの虚無的な世界風景や、それと表裏する「言語」至上主義(芸術至上主義)を、鮮やかに相対化するだけのまなざしが息づいている。

 しかし、それにもかかわらず、この作品における作者のハムレット像への思い入れの強さは、この時期の太宰の、実生活と表現の〈均衡〉の崩れへの〈兆し〉を明瞭に暗示するものであった。

 

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 この崩れは、昭和十六年の末に発表された『風の便り』になると、さらに鮮明に浮き彫りになってくる。

 この作品は、太宰治自身の分身である「木戸一郎」という無名作家と、彼がかつて深い影響を受けたことのある十五歳年上のベテラン作家「井原退蔵」(おそらく井伏鱒二がモデルであろう)の書簡のやりとりから成り立っている。この小説には、表現の〈衝迫〉のありかを見失いつつあった当時の太宰の苦悶がよくにじみ出ている。

 それまで努めて「自分の掌で、明確に知覚したものだけを書いて」きたという、誠実な作家の木戸一郎が、もはや「嘘の無い感動」がどこにも見出せなくなり、書こうとしてもどうしても書けなくなってしまった苦しみを、敬愛する大家の井原退蔵に切々と訴えるのだが、井原には、どうしてもその苦悩の何たるかが理解できず、見当違いのアドバイスばかり送ってよこして、かえって木戸をいらいらさせる。その食い違いが、何ともユーモラスに、悲喜劇的に描かれている。

 井原の手紙から一部を引用してみる。

 

「自分は、君の無意識的な独り合点の強さに呆れました。作品の中の君は単純な感傷家で、しかもその感傷が、たいへん素朴なので、自分は、数千年前のダビデの唄をいま直接に聞いているような驚きをさえ感じました。自分は君の作品を読んで久し振りに張り合いを感じたのです。(中略)自分には、いつも作品だけが問題です。作家の人間的魅力などというものは、てんで信じて居りません。人間は、誰でも、くだらなくて卑しいものだと思っています。作品だけが救いであります。仕事をするより他はありません。君の手紙を読むと、君は此頃ひどく堕落しているという事が、はっきりわかります。(中略)君は作品の誠実を、人間の誠実と置き換えようとしています。作家で無くともいいから、誠実な人間でありたい。これはたいへん立派な言葉のように聞えますが、実は狡猾な醜悪な打算に満ち満ちている遁辞です。君はいったい、いまさら自分が誠実な人間になれると思っているのですか。誠実な人間とは、どんな人間だか知っていますか。おのれを愛するが如く他の者を愛する事の出来る人だけが誠実なのです。君には、それが出来ますか。いい加減の事は言わないでもらいたい。君は、いつも自分の事ばかりを考えています。自分と、それから家族の者、せいぜい周囲の、自分に利益を齎(もた)らすような具合いのよい二、三の人を愛しているだけじゃないか。もっと言おうか。君は泣きべそを掻くぜ。『汝ら、見られんために己が義を人の前にて行わぬように心せよ。』どうですか。よく考えてもらいたい。(中略)君の手紙だって同じ事です。君は、君自身の『かよわい』善良さを矢鱈(やたら)に売込もうとしているようで、実にみっともない。君は、そんなに『かよわく』善良なのですか。御両親を捨てて上京し、がむしゃらに小説を書いて突進し、とうとう小説家としての一戸を構えた。気の弱い、根からの善人には、とても出来る仕業ではありません。敗北者の看板は、やめていただく。(中略)君は慾張りです。一本の筆と一帖の紙を与えられたら、作家はそこに王国を創る事が出来るではないか。君は、自身の影におびえているのです。君は、ありもしない圧迫を仮想して、やたらに七転八倒しているだけです。滑稽な姿であります。書きたいけれども書けなくなったというのは嘘で、君には今、書きたいものがなんにも無いのでしょう。書きたいものが無くなったら、理窟も何もない、それっきりです。作家が死滅したのです。救助の仕様もありません。」

 

 この作品で太宰は、キリスト的な自己犠牲の理念に強引に滅私的にのめり込むことで、作品創造の新たな情熱をかき立てようとしている木戸一郎の観念的な場所を、井原退蔵の眼を通して批判的に見つめると同時に、あるがままの俗世の人間の〈卑しさ〉をリアルに踏まえ、「芸術至上主義」に居直る〈大人〉の井原の場所を、木戸の眼を通して相対化してゆく。

 井原の論理は、どうせ人間という生き物は、生きてゆこうとおもえば卑小なエゴイストでしかありえないのだから、現実の世俗の人間に妙な〈思い入れ〉をもったり、己れの人間的な〈誠実さ〉を追い求めたりするのは、幼稚な馬鹿げた悪あがきにすぎず、だからこそ、作家は、現実とは次元を異にする、作品世界という純粋な〈虚構〉の上に、彼岸的な憧憬や美の砦を創り上げることができるのだ、というダンディズム的な表現理念として展開されている。

 こういう芸術至上主義の論理に自足できる人種には、正確には二種類のタイプがあるといっていい。

 ひとつは、既に述べたように、現世への底知れぬ〈憎悪〉と〈絶望〉を胸中深く秘めたタイプ、すなわち、真の反現世的な狂気に憑かれた不幸で偏執的な芸術家のタイプである。

 もうひとつは、エゴイストでしかありえない現世の人間たちの生きざまに、何の〈恐怖〉も感じず、自らも、その一員として、適当に生活を享楽しながら、大人的にドライに世俗の諸問題を処理しつつ、現世では満たしえない己れの深層の〈渇き〉に、〈虚構〉としての美の表現を与えてゆこうとするタイプである。

 この後者の人種は、芸術を自分の「仕事」と割り切って、実生活の一部として抵抗なく組み込み、実生活者としても自信に満ち溢れた〈肉体〉をもっており、井原退蔵は、このタイプに属している。

 井原は、木戸一郎の倫理的なもがきを、ただのポーズにすぎないと決めつけて嘲笑しているが、それは、木戸の倫理的な〈渇き〉の実体が、世俗的な善悪の規範などで測ることのできないような、凄まじい天上的な狂気をはらんだものであることがまるで視えていないからだ。つまり井原は、木戸の〈生き難さ〉の実感というものがまるでわかっていない。

 木戸(太宰)のような人間の眼に映る虚無的な日常風景の位相は、井原(井伏)のような、すこやかでタフな生活人には、縁遠いものであり、その分だけ、井原にとって芸術は、生活の一部であり、延長であり、過不足無く身丈に合った、最も純化された〈日常〉でもあり得る。

 木戸(太宰)にとって、そういう井原(井伏)の場所は、一面では、及びがたく、まぶしいものであり、それゆえにまた、どうしようもなくうとましいものでもある。

〈日常〉にとどまりながら、繰り返し、〈日常〉を離脱(超越)しようとすることで、かろうじて、まっとうな生活者たりえていた、当時の太宰のアクロバティックな力わざは、実生活と芸術を二元的に分離して器用に「使い分ける」井原のような、健康な芸術至上主義者には決してわからない。

「あなたはいつでも、全身で闘っている。全身で遊んでいる。そうして、ちゃんと孤独に堪えている。私は、あなたを、うらやましく思います。/いかに努めても、決して及ばないものがある。猪と熊とが、まるっきり違った動物であるように、人間同志でも、まるっきり違った生きものである場合がたいへん多いと思います。」という木戸の言葉には、両者の生きざまの隔絶の大きさがまざまざと表われている。

 作品の最終部で、木戸一郎は、旧約聖書の「出エジプト記」の一部を小説に仕上げる構想を披瀝し、同時に、井原への〈訣別〉の言葉を吐いている。

 

「『出エジプト記』を読むと、モーゼの努力の程が思いやられて、胸が一ぱいになります。神聖な民族でありながらもその誇りを忘れて、エジプトの都会の奴隷の境涯に甘んじ貧民窟で喧噪と怠惰の日々を送っている百万の同胞に、エジプト脱出の大事業を、『口重く舌重き』ひどい訥弁(とつべん)で懸命に説いて廻ってかえって皆に迷惑がられ、それでも、叱ったり、なだめたり、怒鳴ったりして、やっとの事で皆を引き連れ、エジプト脱出に成功したが、それから四十年間荒野にさまよい、脱出してモーゼについて来た百万の同胞は、モーゼに感謝するどころか、一人残らずぶつぶつ言い出してモーゼを呪い、あいつが要らないおせっかいをするから、こんな事になったのだ、脱出したって少しもいい事がないじゃないか、ああ、思えばエジプトにいた頃はよかったね、奴隷だって何だって、かまわないじゃないか、パンもたらふく食べられたし、肉鍋には鴨と葱がぐつぐつ煮えているんだ、こたえられねえや、それにお酒は昼から飲み放題と来らあ、(中略)荒野に於ける四十年の物語は、このような奴隷の不平の声で充満しています。モーゼは、けれども決して絶望しなかったのです。鉄石の義心は、びくともせず、之(これ)を叱咤し統御し、ついに約束の自由の土地まで引き連れて来ました。モーゼは、ピスガの丘の頂きに登って、ヨルダン河の流域を指差し、あれこそは君等の美しい故郷だ、と教えて、そのまま疲労のために死にました。四十年間、私は奴隷の一日として絶える事の無かった不平の声と、謀叛、無智、それに対するモーゼの惨澹たる苦心を書いて居ります。是非とも終りまで書いてみたいのです。なぜ書いてみたいのか、私には説明がうまく出来ませんが、本当に、むきになって、これだけは書いて置きたい気がしています。」

「たとい、どんな小さな感動でも、それを見つけると私は小説を書きたくなったものですが、このごろ私の身辺にちっとも感動が無くなって完全に一字も書けなくなっていたところを聖書が救ってくれました。私には何も、わかりません。世の中の見透しなども出来ません。私は貧しい庶民です。けれども自分ひとりの感動の有無だけは、いつでも正直に表現していたいと思っています。私は、エホバを畏れています。」

「お酒を飲まないと、夜、寝てから淋しくてたまりません。地の底から遠く幽かに、けれどもたしかに誰かの切実の泣き声が聞えて来て、おそろしいのです。」

「あなたのところへ、こんな長い手紙を差し上げるのも、これが最後かと思われます。あなたに対する一すじの尊敬の心は絶えず持ちつづけているつもりでありますが、あなたを愛し、或いは、あなたに甘える事が出来なくなりました。なぜだか出来なくなりました。私は、あなたの路とはっきり違う路を歩きはじめているようです。あなたは、美しい作家です。水蓮のように美しい。私はその美しさを一生涯わすれる事が無いでしょう。けれども私は、その水蓮の咲いている池から、少しずつ離れて行きます。私は、面(おもて)を伏せて歩いているけもののようです。私には美学が無いのです。生活の感傷だけです。私は、これから、いよいよ野暮な作品ばかり書いて行くような気がします。なんだか、深く絶望したものがあります。」

 

 ここには、実生活と表現の微妙な均衡を解体しつつ、自らの身体を敢えて天上的な倫理への滅私的な忠誠に追いやることで、かろうじて創作の情熱を再燃させようとしていた、当時の太宰治の切ないもがきがにじみ出ているようにおもう。

「出エジプト記」におけるモーゼの努力に共感し、徒労を百も承知の上でそれに「同化」しようとする木戸一郎=太宰治は、明らかに、「世間」「社会」「一般大衆」という、己れ自身と真っ向から敵対する巨大な〈抽象物〉に向かって、自らを観念的にひらき、強引に「架橋」せんとする焦慮に身悶えしている。

 実生活と表現の均衡は不可視の形で崩れつつあり、〈表現〉はもはや、単に自らの実生活を支え、賦活する、つつましい「一手段」にはとどまらず、「世間」「社会」「国家」という化け物に向かって「物申す」倫理的な大言壮語の位相へと無意識のうちに拡大し、重心を移しつつあるとみていい。

 かつて、『駈込み訴え』(昭和十五年発表)で、キリストの倫理的な〈観念性〉を鋭く批判し、俗人ユダの〈生身〉の苦しみを擁護しえた中期太宰の、あの鮮やかな〈生活人〉のまなざしを徐々に解体させつつある姿が、ここには、はっきりと浮き彫りにされている。

 そして、かつてのつつましい生活者的位相に代わって、「おのれを愛するが如く、汝の隣人を愛せよ」という、他者とのキリスト的な一体感とそれを支える自己犠牲の観念が、大衆的(国民的)な〈当為〉としての理想として、新たに前面に浮上してくる。

 当時の日本国民の、天皇制共同体国家への一心同体的なのめり込みへと昂進する幼児退行的な幻想は、このキリスト的観念と見事に波長が合うものだった。

 日米開戦直後の作品『新郎』『十二月八日』以後の、太宰の透明で素朴な力強さをもつナショナリズムへの全身的な傾斜が、ここに始まる。(この稿続く)

 

 

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「中期」太宰治の変容―表現と実生活をめぐるアポリア―(連載第3回) 川喜田八潮

  • 2017.06.26 Monday
  • 16:06

 

     4

 

 ただし、このような太宰の実生活と表現の〈均衡〉に、危うさと不安定さがあったことは否めない。

 彼の希求する文学のもつ〈関係への渇き〉(及び、それと裏返しの関係にある〈生得的な障害感〉)の激しさは、彼自身の生きざま(実生活)を、絶えず〈言葉〉と〈行為〉において塗り変え、家族的な〈物語〉を繊細に紡ぎ、支える基盤となったばかりではなく、自身の周囲を超えて、広く世間へ、社会へと広がろうとする。

 自身と家族とを大海の塵のような心細さに追い込み、翻弄する、得体の知れない、巨大な〈世間〉という、荒々しい脂ぎった生活欲のるつぼのような魔境へとたたかいを挑み、強引に架橋せんとするのだ。

 作品『俗天使』で印象深く語られているように、大衆によって「十字架」にはりつけにされ、満身創痍になりながら、なお「動乱の亡者ども」へ裸身の手をさしのべようとする、ミケランジェロのキリスト像のように、だ。

『女の決闘』は、昭和十四年の末から十五年の五月頃までの間に書かれたと思われるが、この時期には、『駈込み訴え』や『走れメロス』のような中期太宰の珠玉の名作が矢継ぎ早に発表され、太宰の生活者的な肉体のみずみずしさが、最も落ち着いた、安定感のあるかたちをとって文学的に開花している。

 私の考えでは、「中期」前半の、昭和十三年から十六年頃までの太宰治には、まだ、生活者として踏み越えてはならない〈一線〉を越えず、自らのしあわせを守り、〈縁〉のある読者にのみ己れの作品を手渡そうとする、つつましい謙虚さがあった。

 そういう姿勢は、端的にいえば、『富嶽百景』で、「富士」の偉容に対峙して、みじんもゆるがず、けなげにつつましく立っている「月見草」への想いに象徴されるようなものであったし、例えば、『花燭』の主人公「男爵」を批判する青年の次のような言葉にもよく示されている。

 

「失礼ですが、」青年は、かえろうとする男爵のまえに立ちふさがり、低い声で言った。「養うの、ひきとるのと、そんな問題は、古いと思います。だい一あなたには、人間ひとり養う余裕ございますか。」男爵は、どぎもを抜かれた。思わず青年の顔を見直した。「自身の行為の覚悟が、いま一ばん急な問題ではないのでしょうか。ひとのことより、まずご自分の救済をして下さい。そうして僕たちに見せて下さい。目立たないことであっても、僕たちは尊敬します。どんなにささやかでも、個人の努力を、ちからを、信じます。むかし、ばらばらに取り壊し、渾沌(こんとん)の淵に沈めた自意識を、単純に素朴に強く育て直すことが、僕たちの一ばん新しい理想になりました。いまごろ、まだ、自意識の過剰だの、ニヒルだのを高尚なことみたいに言っている人は、たしかに無智です。」

「やあ。」男爵は、歓声に似た叫びをあげた。「君は、君は、はっきりそう思うか。」

「僕だけでは、ございません。自己の中に、アルプスの嶮(けん)にまさる難所があって、それを征服するのに懸命です。僕たちは、それを為しとげた人を個人英雄という言葉で呼んで、ナポレオンよりも尊敬して居ります。」

 来た。待っていたものが来た。新しい、全く新しい次のジェネレーションが、少しずつ少しずつ見えて来た。男爵は、胸が一ぱいになり、しばらくは口もきけない有様であった。

「ありがとう。それは、いいことだ。いいことなんだ。僕は、君たちの出現を待っていたのです。好人物と言われて笑われ、ばかと言われて指弾され、廃人と言われて軽蔑されても、だまってこらえて待っていた。どんなに、どんなに、待っていたか。」

 言っているうちに涙がこぼれ落ちそうになったので、あわてて部屋の外に飛び出した。(『花燭』)

 

「男爵」は、現世に居場所の無い「滅亡の民」という思念に憑かれ、生家や女との関係を自虐的に破壊しながら、ひたすら「死に場所」を求めて、滅私的な〈献身〉の理念にのめり込んでいった「前期」太宰の生々しい傷痕をユーモラスに象徴する人物である。何もかも無くしてぼろぼろになり、無一物の己れの〈肉体〉ひとつになった太宰が、井伏鱒二の仲介で見合い結婚をし、甲府市の街はずれに二部屋だけの小さい家を借りて、一介の職業文筆家としてつつましくゼロからのスタートを切ろうとする。そういう、前期から中期への、ういういしい生活者的な〈転生〉の位相を、この作品は、とても鮮やかにほほえましく象徴している。

 昭和十三年から十五年頃までの太宰は、こういうつつましい生活人としての覚悟性を厳しく握りしめ、「世間」や「社会」といった化け物じみた抽象物に、無防備に己れをひらいてゆくような危うさに陥ってはいなかった。

 例えば、昭和十五年の秋に書かれた『きりぎりす』にも、そういう姿勢は、濁ることなく厳しく張りつめたように流れている。

 世間からも、肉親や周囲の人間たちからも全く理解されず、ただひたすら、己れ自身のためにのみ純粋に作品を創りつづける孤独な貧乏画家の夫とのひっそりとした暮らしぶりに満ち足りたおもいを抱いていた妻が、やがて、画壇に認められて出世し、金が入るようになるにつれて、他人の仕事を常に気にかけ、文化人的な徒党(サロン)を組み、虚栄心のとりこになってゆく夫の〈豹変〉ぶりに恐怖をおぼえ、ついに彼のもとから離れ去ってゆく。

 その心境の推移が、妻の深い喪失感に満ちた語り口を通して淡々と回想されてゆく。

 私たちの誰もが、心のどこかにこびりつかせている俗物根性を強烈に刺し貫き、戦慄をおぼえさせずにはおかない、いかにも太宰らしい秀作である。

 

「私は、或る日こっそり父の会社に、あなたの画を見に行きました。その時のことを、あなたにお話し申したかしら。私は父に用事のある振りをして応接室にはいり、ひとりで、つくづくあなたの画を見ました。あの日は、とても寒かった。火の気の無い、広い応接室の隅に、ぶるぶる震えながら立って、あなたの画を見ていました。あれは、小さい庭と、日当りのいい縁側の画でした。縁側には、誰も坐っていないで、白い座蒲団(ざぶとん)だけが一つ、置かれていました。青と黄色と、白だけの画でした。見ているうちに、私は、もっとひどく、立って居られないくらいに震えて来ました。この画は、私でなければ、わからないのだと思いました。」

「私の家では、あなたの評判は、日が経つにつれて、いよいよ悪くなる一方でした。あなたが、瀬戸内海の故郷から、親にも無断で東京へ飛び出して来て、御両親は勿論、親戚の人ことごとくが、あなたに愛想づかしをしている事、お酒を飲む事、展覧会に、いちども出品していない事、左翼らしいという事、美術学校を卒業しているかどうか怪しいという事、その他たくさん、どこで調べて来るのか、父も母も、さまざまの事実を私に言い聞かせて叱りました。(中略)けれども私は、あなたのところへ行く事に、きめていました。ひとつき、すねて、とうとう私が勝ちました。但馬さんとも相談して、私は、ほとんど身一つで、あなたのところへ参りました。淀橋のアパートで暮した二箇年ほど、私にとって楽しい月日は、ありませんでした。毎日毎日、あすの計画で胸が一ぱいでした。あなたは、展覧会にも、大家の名前にも、てんで無関心で、勝手な画ばかり描いていました。貧乏になればなるほど、私はぞくぞく、へんに嬉しくて、質屋にも、古本屋にも、遠い思い出の故郷のような懐しさを感じました。お金が本当に何も無くなった時には、自分のありったけの力を、ためす事が出来て、とても張り合いがありました。だって、お金の無い時の食事ほど楽しくて、おいしいのですもの。つぎつぎに私は、いいお料理を、発明したでしょう? いまは、だめ。なんでも欲しいものを買えると思えば、何の空想も湧いて来ません。市場へ出掛けてみても私は、虚無です。」

「あなたが急にお偉くなって、あの淀橋のアパートを引き上げ、この三鷹町の家に住むようになってからは、楽しい事が、なんにもなくなってしまいました。私の、腕の振いどころが無くなりました。あなたは、急にお口もお上手になって、私を一そう大事にして下さいましたが、私は自身が何だか飼い猫のように思われて、いつも困っておりました。私は、あなたを、この世で立身なさるおかたとは思わなかったのです。死ぬまで貧乏で、わがまま勝手な画ばかり描いて、世の中の人みんなに嘲笑せられて、けれども平気で誰にも頭を下げず、たまには好きなお酒を飲んで一生、俗世間に汚されずに過して行くお方だとばかり思って居りました。私は、ばかだったのでしょうか。でも、ひとりくらいは、この世に、そんな美しい人がいる筈だ、と私は、あの頃も、いまもなお信じて居ります。その人の額の月桂樹の冠は、他の誰にも見えないので、きっと馬鹿扱いを受けるでしょうし、誰もお嫁に行ってあげてお世話しようともしないでしょうから、私が行って一生お仕えしようと思っていました。私は、あなたこそ、その天使だと思っていました。私でなければ、わからないのだと思っていました。」

 

 ここには、中期前半の太宰が、何を守り抜こうとしていたか、何を魂の拠り所として生死の危うい均衡を保ち続けてきたかが、鮮明ににじみ出ていると私は思う。(この稿続く)

 

 

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「中期」太宰治の変容―表現と実生活をめぐるアポリア―(連載第2回) 川喜田八潮

  • 2017.05.24 Wednesday
  • 19:31

 

     2

 

「作者オイレンベルグ自身が小説の女房の夫である」という仮説を前提とした上で、太宰は、原作の文章を適宜「引用」しつつ、(鷗外の翻訳文にはほとんど手を加えず)原文はそのままにした上で、巧みに、登場人物の心の背景を読み込んでゆき、原作を「補足」するかっこうに見せかけて、太宰独自の小説に仕立て上げてゆく。

 まず冒頭で、鷗外の翻訳小説の「面白さ」、読者への「親切心」(サービス精神)が強調され、そこに、太宰の芸術観の隠し味が伏線のように張られている。次いで今まで述べてきたような、オイレンベルグの小説のリアルでドライな迫力への強烈な〈異和〉のおもいが語られ、前述の〈仮説〉のもとに、作品の思い切った「作り変え」(補足)が施される。そして、女房と愛人の「決闘」を木陰に隠れて「観察」し、後に、女房の死後、事件の顛末(てんまつ)を非情に「作品化」する男の〈芸術家根性〉への批判的な視線が語られる。

 こういった展開の中に一貫して流れるものは、太宰の、リアリズム的な文学観への強烈な〈異和〉〈反措定〉の情熱であるといっていい。

 それは、先に引用した作者オイレンベルグの原作への強烈な〈異和〉の言葉を見ても、はっきりとわかるはずだ。

 体験や観察を忠実に(本当は「まことしやかに」なのだが)まるごと「客体化」して提示しようとするリアリズム的・私小説的な文学理念というものを解体し、〈虚構〉による象徴表現を通じて、無意識のデリケートな異和や渇きや祈りの感触を、深層のメタフィジカルな〈真実〉として抽出すると共に、「戯作者」的な面白さや軽さを付与することで、なまの現実がむき出しにする散文的・地上的な酷薄さの位相を緩和し、現実に拮抗しながら、同時に癒し、くぐり抜けてゆくという方法。

 それが、「中期」太宰治の無意識的な文学理念の悪戦の場所であったといってよい。

 このたたかい方は、太宰改作による『女の決闘』においては、「芸術家」としての夫の場所へのまなざしに凝縮されている。

 この人物の場所をまとめてみるとこうなる。

 まず、この男は、女房と女学生の決闘をあらかじめ知っていながら、むざむざそれを放置し、あまつさえ、木陰に身を潜めて、決闘の成り行きを「写真機」のごとく「観察」し、女房の死後、事件の顛末をこの上なく的確に描写しうるような人物である。すなわち、「表現の虫」というサタンを胸の内に飼う芸術家という因業な存在である。

 また、この作家は、功成り名とげて「倦怠」に陥り、若い女学生との浮気に刺激を求めていた中年男である。

 女房に対しては、長い年月にわたって愚直に自分に奉仕してきた無知な女とみくびり、世間体をつくろいながら、子を育て、生活の便法上の必要を満たしてゆくための道具的存在とみなしてきた。(さらにいうなら、この男は密かに、「女」一般への根深い侮蔑心を抱いている。)

 要するにこの男は、「女」も「実生活」も「世間」も、本質的にタカの知れたものとみなしてなめくさっている。それでいて、世の批評家からは「精緻な描写」を絶賛される重厚なリアリズム文学の大家である。

 人生への深い侮蔑の念をもち、シニカルな眼でその種々相をリアルに活写しうる手腕の持ち主であり、己れの芸術の砦を拠り所に世間を冷眼視する、よくあるダンディストのタイプなのだ。

 太宰は、こういう芸術家の夫の生きざまを、女学生と女房の目を通じて痛烈に相対化し、ぶち壊してゆく。

 女学生にとっては、この男は単なる経済上の「パトロン」にすぎず、真の恋愛の対象でもなんでもない。おまけに、「市民を嘲(あざけ)って芸術を売って」おきながら「市民と同じ生活をしている」芸術家という、奇怪な思い上がった種族への、毒々しい知的好奇心を満たしてくれる、冷ややかな「観察」の対象でもある。

 他方、女房の方は、ひねこびて自意識の強い女学生とは対照的に、夫のことをつゆ疑うことも無く、長い年月にわたってひたすら家庭を守り、そこに生きることの意味のすべてを託してきた、つつましい素朴な主婦として描かれている。

 その一見ありふれた女と見えた彼女が、夢想だにしなかった夫の裏切りによって、一瞬にして己れの存在の根拠が崩れ去るような衝撃を受けたとき、それまでの夫や子供たちへのおもいも、過去の生活のあらゆる哀歓に満ちた思い出も、すべて忘却の淵に葬り去り、断固たる冷酷な〈自己抹殺〉への意志の化身へと変貌してしまう。

 たったひとつ残された遺品である、牧師への回心を拒絶する「書きかけの手紙」には、そういう凄まじい、一途(いちず)な女の心情がにじみ出ている。

 

「……わたくしはこの檻房から、わたくしの逃げ出して来た、元の天国へ帰りたくありません。よしや天使が薔薇(ばら)の綱をわたくしの体に巻いて引入れようとしたとて、わたくしは帰ろうとは思いません。なぜと申しますのに、わたくしがそこで流した血は、決闘でわたくしの殺した、あの女学生の創(きず)から流れて出た血のようにもう元へは帰らぬのでございます。わたくしはもう人の妻でも無ければ人の母でもありません。もうそんなものには決してなられません。永遠になられません。ほんにこの永遠と云う、たっぷり涙を含んだ二字を、あなた方どなたでも理解して尊敬して下されば好いと存じます。」

「わたくしはあの陰気な中庭に入り込んで、生れてから初めて、拳銃と云うものを打って見ました時、自分が死ぬる覚悟で致しまして、それと同時に自分の狙っている的は、即ち自分の心の臓だと云う事が分かりました。それから一発一発と打つたびに、わたくしは自分で自分を引き裂くような愉快を味いました。この心の臓は、もとは夫や子供の側で、セコンドのように打っていて、時を過ごして来たものでございます。それが今は数知れぬ弾丸に打ち抜かれています。こんなになった心の臓を、どうして元の場所へ持って行かれましょう。よしやあなたが主御自身であっても、わたくしを元へお帰しなさる事はお出来になりますまい。神様でも、鳥よ虫になれとは仰(おっし)ゃる事が出来ますまい。先にその鳥の命をお断ちになってからでも、そう仰ゃる事は出来ますまい。」

「わたくしの為には自分の恋愛が、丁度自分の身を包んでいる皮のようなものでございました。若(も)しその皮の上に一寸(ちょっと)した染(しみ)が出来るとか、一寸した創(きず)が付くとかしますと、わたくしはどんなにしてでも、それを癒やしてしまわずには置かれませんでした。わたくしはその恋愛が非常に傷つけられたと存じました時、その為に、長煩いで腐って行くように死なずに、意識して、真っ直ぐに立った儘で死のうと思いました。」

 

 なにもかもなくしてしまった自らの苦しみの本質を、あるがままに冷徹にみきわめた上で、直截にわしづかみにするような、女房のこの率直な告白の文面に、「芸術家」の夫は心底戦慄をおぼえる。

 そこには、人生の一切の虚飾をはぎとった時に浮上する、恐ろしいほど興ざめのする「リアル」な生活者の情念と行為の〈凄み〉がにじみ出ていたからだ。

 男は生まれて初めて「実人生の、暴力的な真剣さ」の真のかたちというものをまざまざと目のあたりに見せつけられる。とうてい「小説」にも「詩」にもなりようがない生の実体の深淵、あらゆる文学表現=芸術なるものをはじき返してしまう強固で赤裸々な肉質というものを初めて触知して、打ちのめされる。

 自分がそれまで、知ったかぶって書き散らし、読みかじってきた〈文学〉の世界などは、「ガキの遊び」にすぎないものであることを思い知らされ、茫然自失した男は、ふいに死にたくなるような衝動に駆られる。

 オイレンベルグの原作では、女房の手紙の文章が披瀝されたところで終っているのであるが、太宰の改作では、その後に、興味深い〈落ち〉が付け加えられている。

 決闘の一部始終を小説に仕上げるために、女房の手紙のドスのきいた真剣勝負の言葉を、ひとつひとつ書き写しているうちに、「異様な恐怖」に襲われた「芸術家」の夫は、途中で筆を投じてしまい、ふいに死にたくなるような衝動に駆られる。そのまま、机の引き出しから拳銃を取り出して「胸に銃口を当てて引金を引いた」と書けば、「多少はロマンチックな匂いも発して来る」のだが、「現実は、決して、そんなに都合よく割り切れず」、人生の「興覚めの強力な実体」を見せつけられた芸術家は、それからも、「別に変った事も無く、翌(あく)る日も、その翌る日も、少くとも表面は静かな作家の生活をつづけて」いく。

 失敗の短編『女の決闘』も、間もなく、「平気を装って」しゃあしゃあと新聞に発表してしまう。

 そして、「驚くべきことには、実にくだらぬ通俗小説ばかりを書くようになり」大成功して、俗物として一生をまっとうするのである。

 

「いちど、いやな恐るべき実体を見てしまった芸術家は、それに拠っていよいよ人生観察も深くなり、その作品も、所謂(いわゆる)、底光りして来るようにも思われますが、現実は、必ずしもそうでは無いらしく、かえって、怒りも、憧れも、歓びも失い、どうでもいいという白痴の生きかたを選ぶものらしく、この芸術家も、あれ以来というものは、全く、ふやけた浅墓(あさはか)な通俗小説ばかりを書くようになりました。かつて世の批評家たちに最上級の言葉で賞讃せられた、あの精密の描写は、それ以後の小説の片隅にさえ、見つからぬようになりました。次第に財産も殖(ふ)え、体重も以前の倍ちかくなって、町内の人たちの尊敬も集り、知事、政治家、将軍とも互角の交際をして、六十八歳で大往生いたしました。その葬儀の華やかさは、五年のちまで町内の人たちの語り草になりました。再び、妻はめとらなかったのであります。」

 

 もちろん、太宰は、実際のオイレンベルグ氏がそんな転落ぶりを示したというわけではなく、あくまで、自分の小説上の〈結末〉にすぎないと断ってはいる。

 しかしそれにもかかわらず、この太宰の痛烈な結末のつけ方は、ゆるがせにできぬ重要な問題を提起している。それは、リアリズム的なまなざしというものが、人間の生をどういう場所に追い込んでいくのか、という問題だ。

 

     3

 

 リアリズム文学は、人生の〈地獄〉に固執する。近代文学の原点が、やむにやまれぬ己れの〈個〉としての固有の〈異和〉のおもいを忠実に吐き出し、そのとらえがたい感触を能う限り精緻に、生々しく「再現」することで、己れの生の混沌を対象的に「支配」し、不安をなだめ、生きようとする意志と理性を再編・強化しようとする営みにあるとすれば、いきおい、描写のリアルな迫真性を重んずることになる。その意味で、リアリズム小説や私小説という素朴な方法は、素朴な直截性ゆえに、近代文学のアルファでありオメガであるような性格を最初から帯びているともいえる。

 私たちが、生の〈風化〉をまぬがれ、実人生や人間性の真の暗がりや奥ゆきをひるまずに凝視しつつ、なお、その圧倒的なふくらみと重さに「拮抗」しようとすれば、リアリズム的なまなざしは、正道を行く文学のあり方として、私たちを繰り返し強制して来ざるを得ないものだ。

 しかし「だからこそ」、私たちは、そういう視線に限定的に囲い込まれることを拒否するほかはない、という表現理念があり得るのだ。

 それが、太宰がここで提起している問いかけなのである。

 私たちが、世界への〈異和〉や〈渇き〉を精緻なリアリズム的凝視に「偏執」することによって吐き出し、表現してゆこうとする限り、私たちの世界風景は、いきおい、地上的な〈地獄図〉に囲い込まれた、いびつで一面的な〈自虐〉の産物に収斂するほかはない。

 真にドスのきいたリアリズム的迫真性というものは、生理の限界を超えるほどの〈魂への破壊力〉をもちうるのであり、無意識の深層に秘められ、凍結されていた「嬰児のすすり泣き」のような原初の〈痛覚〉を強烈に刺激・励起させることで、私たちをひとつの地獄図絵の内に囲い込もうとする。真の第一級のリアリズム作品というものは、それだけの凄まじいエロス的な磁場を形成し得るのだ。

 そのマゾヒズムの凄惨さに耐え得る特有の〈資質〉を有する少数の表現者を別とすれば、人間にとって、酷薄な散文的リアリズムの世界を棲み家にすることは、まっとうな生活者としては〈死〉をもたらすやり口でしかないのではないか。

 それが、太宰がここでこだわっている問題なのだ。

 誤解を恐れずにいうなら、マゾヒズム的な表現世界を棲み家にし得るリアリズム作家・私小説作家という人種は、ある意味では、その作品を「享受」する読者よりも、良い意味でも悪い意味でも、鈍感な種族なのだともいえよう。繊細で傷つきやすい神経をもった読者なら到底耐え得ないような、泥沼のような生老病死の修羅の実相を、舌なめずりするように描出し、その劇痛に耐え、長年月にわたってその苦しみを飼いならしているうちに、少々のことでは突き刺さらないような、ぶ厚い〈観念〉の皮下脂肪を〈第二の肉体〉のようにつくり上げてしまった、強靭で脆弱で不幸な人間たちなのだ。

 もちろん、幼児期までの〈傷〉の深さの度合によっても人さまざまだろうが、いずれにせよ、柔らかで傷つきやすい生身の魂をもったデリケートな生活者や表現者とは、どだい、視えている風景も生存感覚もまるっきり違うのである。

 痛ましいことに、〈近代〉という奴は、大なり小なり、あらゆる人間たちに、こういう酷薄なリアリズム的視線によって切り取られた地上的散文的な世界風景を、偏執的に強要してくるのであり、誰もが、無意識を囲い込もうとするその酸鼻な〈死臭〉によって、魂を痛めつけられているのである。

 特に、私たちの〈現在〉のような冷えきった世の中ではなおさらのことだ。

 極度に細分化された神経によって、日々、自他に対する無数の関係意識の障害に苦しめられている人々にとって、こういう世界視線は、ほとんどがまんならぬものとなっているはずだ。

 それだけに、「中期」太宰の反リアリズム的姿勢のはらむ〈現在性〉は、とても貴重な意味をもっている。太宰治自身が、誰よりも、こういう散文的な酷薄さに耐えられぬ神経の持ち主であったからだ。

『女の決闘』の芸術家が、「実人生の、暴力的な真剣さ」に打ちのめされ、己れの芸術的な視線と手腕にすっかり自信をなくし、ふやけた通俗小説ばかり書くようになったのも、彼が、柔らかで傷つきやすい魂の持ち主であったからだ。

 そういう繊細な人間が、地上的な酷薄さに対峙してなお、己れの〈異和〉や〈渇き〉を忠実に吐き出し、固有の表現を与えることで、生活者としてのすこやかな肉体と生への肯定的な視線を保ち得るとしたら、改めて、文学を、ひとつのメタフィジカルな真実を喩的に体現する〈虚構〉とみなす、真に肚(はら)のすわった「戯作者」的な表現理念が必要となる。

 こういうことは、そのまま、私たちの時代の物書きの病につながっている。

 私たちの現在の社会では、クソまじめなリアリズム文学や私小説が全盛を極めていた戦前の文壇世界とは全く逆に、それこそ「ガキの遊び」にすぎないような、ハシにも棒にもかからないふやけたエンターテインメントや通俗小説が氾濫しきっている。

 作者当人の〈人間認識〉が「その程度」にすぎない場合もあれば、(『女の決闘』の芸術家と同様に)実生活や人間性の底知れぬ深淵を無意識裡に触知しているがゆえに、逆に、その〈恐怖〉から目をそらし、気を紛らわそうとするかのように、エンターテインメントに逃避・埋没する作者たちもいる。

 いずれにせよ、現在の私たちの社会における、多くのエンターテイナーたちの〈戯作者意識〉という奴が、実人生や人間性の真の堅固な実体に「拮抗」できるようなしろものでないことはたしかだ。

 私の見るところでは、メタフィジカルな〈喩〉のレベルで時代の激変に耐え得るような、真に優れた達成を示す作品は、残念ながら、現在の時点では本当に数えるほどしかない。

 それは、利害関係的な局面を除けば、稀薄で幼稚な人間的〈接触〉しかなし得ない、現代人の酸鼻な関係意識と観念的で抽象的な生きざまを正確に反映するものだといってよい。

 太宰治の戯作者的なまなざしは、現在の多くのエンターテイナーたちのふやけた表現理念とは逆に、また『女の決闘』の芸術家の末路とは逆に、文学なぞ真剣勝負の「実人生」に比べれば「ガキの遊び」にすぎないことを真にわきまえた上で、それゆえにこそ、敢えて、その戯れに徹しようとするようなシビアな場所なのだ。

 太宰にとって、真剣勝負の「実人生」とは、本当は、限りなく恐ろしい、自他への関係意識の障害の底無し沼のような世界であり、彼にとっては〈異類〉ともいえる、得体の知れない強靭な肉体に裏打ちされた、生への悪魔的な獰猛さを備えたタフな生活大衆の〈沈黙〉の世界にほかならない。

 生への去勢感情の強さ、生存感覚の芯から立ち昇る生得の虚無感、あるがままのリアルな実生活者たちの生きざまに生気を奪い取られるような〈生き難さ〉の実感。

 それが、太宰的感覚(あるいは芥川―太宰的感覚)なのであり、それゆえにこそ、彼は、実人生から締め出される己れの固有の〈渇き〉に、文学という「ガキの遊び」によって表現を与えることで、修復と救いをもたらそうとしたのである。

 それは、生活の恐怖におののき、そこから逃れようと半狂乱になって、もがきにもがき抜いたあげく、実生活の強固な実体にどうしようもなく突き返され、その脂ぎったどす黒い深淵に真に拮坑し得る唯一の砦として、いや応なく択びとるほかはなかった、ぎりぎりの捨て身の場所だといってよい。

 太宰が、『女の決闘』における(女房の手紙に接する以前の)芸術家の夫のように、世間や人生や大衆に対する侮蔑の念と芸術至上主義的な居直りに自足するようなタイプであったとしたら、あるいは、芸術を自分の「仕事」と割り切って、実生活の「一部」として抵抗なく組み込み、実生活者としても自信に満ち溢れた、生活をエンジョイできるタフな人物たりえたとしたら、ここで言うような「実生活への真の拮抗」としての芸術は必要ではない。

 生活大衆の「体を張った」ドスのきいた〈沈黙〉の世界に真に拮抗すると共に、自身もまた、ひとりのつつましい〈生活者〉として、家族を守り、しあわせになろうとする、まっとうな真剣勝負の世界を生き抜いていたからこそ、「中期」の太宰は、文学=表現という営みをこの上もなく大切にすることで、自らの〈実生活〉にいのちとふくらみを与え、かつ、人間らしい〈生身〉の叫びを見失うまいとしていたのだ。

『女の決闘』でいうなら、女房と女学生の決闘をむざむざ放置し、冷酷に観察していながら、ある瞬間には、ふたりの女の無事と和解を心から祈り、止めに入ろうかという切迫した情動に駆られる男の瞬時の心の推移を強調し、弁護しようとする姿勢に、当時の太宰の生活者的な真面目(しんめんもく)が表われている。

 

「男は、あの決闘の時、女房を殺せ! と願いました。と同時に、決闘やめろ! 拳銃からりと投げ出して二人で笑え、と危く叫ぼうとしたのであります。人は、念々と動く心の像すべてを真実と見做(みな)してはいけません。自分のものでも無い或る卑しい想念を、自分の生れつきの本性の如く誤って思い込み、悶々している気弱い人が、ずいぶん多い様子であります。卑しい願望が、ちらと胸に浮ぶことは、誰にだってあります。時々刻々、美醜さまざまの想念が、胸に浮んでは消え、浮んでは消えて、そうして人は生きています。その場合に、醜いものだけを正体として信じ、美しい願望も人間には在るという事を忘れているのは、間違いであります。念々と動く心の像は、すべて『事実』として存在はしても、けれども、それを『真実』として指摘するのは、間違いなのであります。真実は、常に一つではありませんか。他は、すべて信じなくていいのです。忘れていていいのです。」「薄情なのは、世間の涙もろい人たちの間にかえって多いのであります。芸術家は、めったに泣かないけれども、ひそかに心臓を破って居ります。人の悲劇を目前にして、目が、耳が、手が冷いけれども、胸中の血は、再び旧にかえらぬ程に激しく騒いでいます。芸術家は、決してサタンではありません。かの女房の卑劣な亭主も、こう考えて来ると、あながち非難するにも及ばなくなったようであります。眼は冷く、女房の殺人の現場を眺め、手は平然とそれを描写しながらも、心は、なかなか悲愁断腸のものが在ったのではないでしょうか。」

 

 一歩踏み誤ると奈落に転落するようなきわどい理念ではあるが、これが、「中期」太宰治のりりしい立ち姿だ。

 たとえ、文学を棲み家とし、実生活上の種々の営みに軋轢をかけざるを得ない日々に見舞われようとも、中期太宰の生きざまは、この点で本質的にすこやかなものであり、われわれ生活者の生きる営みにも深く通じるものだといってよい。〈現世〉にはまり切らずに苦しみ、もがきつつ〈生活〉に夢をはせ、日々生身でたたかう者の胸を打つものがあるといえるのだ。(この稿続く)

 

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「中期」太宰治の変容―表現と実生活をめぐるアポリア―(連載第1回) 川喜田八潮

  • 2017.04.26 Wednesday
  • 14:30

 

*この「『中期』太宰治の変容」は、「1998年・秋」に発行された「星辰」創刊号に掲載されたものである。当初は、「太宰治と〈悪〉」という統一タイトルのもとに、連載評論の「第一回目」として発表された。この連載は、「星辰」創刊号〜第四号までの計四回にわたり、その内、創刊号と第二号には「中期」太宰論、第三号と第四号には「後期」太宰論が分載されたが、今回、ブログ「星辰」に再掲するにあたり、改めてその内容を慎重に検討した結果、「中期」太宰論の二論考(「『中期』太宰治の変容」及び「『右大臣実朝』と宿命」)のみをここに掲載することとした。

 ブログ「星辰」では、この二論考を、それぞれ数回に分けて、これから順次掲載してゆく予定である。

 併せて味読いただければ幸甚である。(二〇一七年四月 筆者)

 

     1

 

 中期太宰治の傑作に『女の決闘』という風変わりな実験小説がある。

 森鷗外の翻訳小説を引用しながら、その〈文体〉を足がかりに、巧みに原作内容に手を加えつつ、いつの間にか、太宰治自身のモチーフに即した固有の作品に変容させてしまうというものである。

 原作は、十九世紀後半のドイツの作家ヘルベルト・オイレンベルグの『女の決闘』という短編小説で、粗筋はきわめて単純なものだ。

 妻子ある男と関係をもつロシヤの医科大学の女学生に対して、夫の浮気に気づいた貞淑な妻が密かに「決闘」を申し込む。生まれて初めて拳銃を買い求めた女房は、射撃上手な女学生の手にかかって死のうと決意してのぞむが、逆に、相手を射殺してしまう。

 自首して未決囚となった彼女は、獄中で夫との面会を一切拒否したまま、絶食して餓死する。あとには、牧師あての、回心を拒絶する書きかけの手紙が一通残される。

 その手紙には、女房の、夫への愛情の真剣さと彼の裏切りに対する絶望の深さが赤裸々に吐露されていた。

 太宰はまず、この作品の文体の、リアルでドライな冷ややかさのもつ意味に着目する。

〈文体〉とは、表現者自身の〈生きる姿勢〉の本質を容赦なく垣間見せるものである。

 ケチくさい奴はケチくさい文体を、カラッポな奴はカラッポな文体を、冷酷な奴は冷酷な文体を、ハートのある奴はハートのある文体をしているものだ。

 原作は、書き出しの一行目から、能う限りムダの無い、非情ともいえる簡潔的確でスピーディーな文体によって書かれている。太宰の言い回しを借りれば、「ぶんなぐる」ような、素っ気ない乱暴な書き出しで始まっている。

「古来例の無い、非常な、この出来事には、左の通りの短い行掛りがある。/ロシヤの医科大学の女学生が、或晩の事、何の学科やらの、高尚な講義を聞いて、下宿へ帰って見ると、卓の上にこんな手紙があった。宛名も何も書いて無い。」という、唐突で不親切な書き出しに始まり、このあとただちに女房の「決闘状」の文面が続いている。

 作品全体を通じて、登場人物の生活史や家庭や現在の暮らしぶりはもとより、物語の舞台となる時と場所すら、はっきりとはしない。

「どうしても、この原作者が、目前に遂行されつつある怪事実を、新聞記者みたいな冷い心でそのまま書き写しているとしか思われなくなって来る」ような異様な文体なのだ。

 しかも、「事件」の経過を示す事実関係だけをいきなり叩きつけるような、余裕もふくらみも遊びも一切無い、ドライでスピーディーな文体に加えて、女房の心象風景の微細な推移に対する、虚構とは思えぬほどの、なまなましい、精緻でリアルな内在的描写が展開されてゆく。

 一例を挙げてみよう。死を決意し、女学生に決闘状を届けた女房が、銃砲店におもむいて密かに拳銃を買い求め、店の裏にある陰気な中庭で射撃の練習を行う場面である。

 

「中庭の側には活版所がある。それで中庭に籠(こも)っている空気は鉛の匂いがする。この辺の家の窓は、ごみで茶色に染まっていて、その奥には人影が見えぬのに、女の心では、どこの硝子(ガラス)の背後にも、物珍らしげに、好い気味だと云うような顔をして、覗(のぞ)いている人があるように感ぜられた。ふと気が付いて見れば、中庭の奥が、古木の立っている園に続いていて、そこに大きく開いた黒目のような、的が立ててある。それを見たとき女の顔は火のように赤くなったり、灰のように白くなったりした。店の主人は子供に物を言って聞かせるように、引金や、弾丸を込める所や、筒や、照尺をいちいち見せて、射撃の為方(しかた)を教えた。(中略)

 女は主人に教えられた通りに、引金を引こうとしたが、動かない。一本の指で引けと教えられたのに、内内二本の指を掛けて、力一ぱいに引いて見た。そのとき耳が、がんと云った。弾丸は三歩ほど前の地面に中(あた)って、弾かれて、今度は一つの窓に中った。窓が、がらがらと鳴って壊れたが、その音は女の耳には聞えなかった。どこか屋根の上に隠れて止まっていた一群の鳩が、驚いて飛び立って、唯さえ暗い中庭を、一刹那の間、一層暗くした。

 聾(つんぼ)になったように平気で、女はそれから一時間程の間、矢張り二本の指を引金に掛けて引きながら射撃の稽古をした。一度打つたびに臭い煙が出て、胸が悪くなりそうなのを堪えて、その癖その匂いを好きな匂いででもあるように吸い込んだ。余り女が熱心なので、主人も吊り込まれて熱心になって、女が六発打ってしまうと、直ぐ跡の六発の弾丸を込めて渡した。

 夕方であったが、夜になって、的の黒白の輪が一つの灰色に見えるようになった時、女はようよう稽古を止めた。今まで逢った事も無いこの男が、女のためには古い親友のように思われた。」(ちくま文庫版『太宰治全集』による。以下の太宰作品の引用も同全集による。)

 

 こういう文体に対して、太宰は、作者の「書く」姿勢とこの作品の「素材」(事件)への〈距離〉のとり方に対する強烈な〈異和〉のおもいを次のように吐露してみせる。

 

「どうです。少しでも小説を読み馴れている人ならば、すでに、ここまで読んだだけでこの小説の描写の、どこかしら異様なものに、気づいたことと思います。一口で言えば、『冷淡さ』であります。失敬なくらいの、『そっけなさ』であります。何に対して失敬なのであるか、と言えば、それは、『目前の事実』に対してであります。目前の事実に対して、あまりにも的確の描写は、読むものにとっては、かえって、いやなものであります。殺人、あるいはもっとけがらわしい犯罪が起り、其の現場の見取図が新聞に出ることがありますけれど、奥の六畳間のまんなかに、その殺された婦人の形が、てるてる坊主の姿で小さく描かれて在ることがあります。ご存じでしょう? あれは、実にいやなものであります。やめてもらいたい、と言いたくなるほどであります。あのような赤裸々が、この小説の描写の、どこかに感じられませんか。この小説の描写は、はッと思うくらいに的確であります。もう、いちど読み返して下さい。中庭の側には活版所があるのです。私の貧しい作家の勘で以てすれば、この活版所は、たしかに、そこに在ったのです。この原作者の空想でもなんでもないのです。そうして、たしかに、その辺の家の窓は、ごみで茶色に染まっているのであります。抜きさしならぬ現実であります。そうして一群の鳩が、驚いて飛び立って、唯さえ暗い中庭を、一刹那の間、一層暗くしたというのも、まさに、そのとおりで、原作者は、女のうしろに立ってちゃんと見ていたのであります。なんだか、薄気味悪いことになりました。その小説の描写が、怪(け)しからぬくらいに直截(ちょくせつ)である場合、人は感服と共に、一種不快な疑惑を抱くものであります。うま過ぎる。淫する。神を冒す。いろいろの言葉があります。描写に対する疑惑は、やがて、その的確すぎる描写を為した作者の人柄に対する疑惑に移行いたします。そろそろ、この辺から私(DAZAI)の小説になりかけて居りますから、読者も用心していて下さい。

 私は、この『女の決闘』という、ほんの十頁ばかりの小品をここまで読み、その、生きてびくびく動いているほどの生臭い、抜きさしならぬ描写に接し、大いに驚くと共に、なんだか我慢できぬ不愉快さを覚えた。描写に対する不愉快さは、やがて、直接に、その原作者に対する不愉快となった。」

 

 この考え方をふまえて、さらに太宰は、こういう冷酷で迫真的な〈文体〉を作者にとらせるに至った原因を、二通りに想定する。ひとつは、原作者の肉体的疲労ということで、「人間は肉体の疲れたときには、人生に対して、また現実生活に対して、非常に不機嫌に、ぶあいそになるもの」であり、そういうときには、かえって、秘められていた人間の冷酷無残な本性が露出してくるものだから、というものだ。

 もうひとつは、「作者オイレンベルグ自身が小説の女房の夫である」という思い切った〈仮説〉である。太宰によれば、描写の的確さとは「憎悪の一変形」であり、この小説に秘められた作者の異常な憎悪感は「作中の女主人公に対する抜きさしならぬ感情から出発して」おり、この小説は「徹底的に事実そのままの資料に拠ったもので、しかも原作者はその事実発生したスキャンダルに決して他人ではなかった」という興味ある仮説を引き出すことができるのだという。

 もちろん、まともに考察するなら、私たちは何も、オイレンベルグの原作における描写力の迫真性を、必ずしも、私小説的体験に還元しなければならぬ必要はない。ただ少なくとも、この作品の女房のこうむった痛手の深さが、作者にとって、ある内的なモチーフの痛切さの〈喩〉になっていることだけはたしかだといってよい。この小説通りの「事件」に直面しなかったとしても、少なくとも、作者にとっての、ある〈内的な真実〉を象徴的に込めるにふさわしいだけの生々しさを帯びた「設定」であることだけはまちがいない。その意味では、作者=「女房の夫」という太宰の〈仮説〉も、あながち、誤りであるとは言い切れないのだ。

 また、普段は押し隠されていた人間の残忍な本性が、作者の肉体的疲労を契機として浮上するとき、酷薄なリアリズム的まなざしというものが発生し得るという第一の想定も、それなりに鋭い洞察だといってよい。人間の得体の知れない不連続的な〈狂暴性〉というものに、絶えず、全身的な恐怖の念を抱き続けてきた太宰らしい認識であるともいえよう。

 しかし、重要なのはその先にある。つまり、これらの〈仮説〉を前提とすることによって、太宰が、このオイレンベルグの小品を、巧みに己れの痛切なモチーフに即した固有の物語に変容させてゆくという点にあるのだ。

 この変容を通して、太宰は、私たち読者に「表現するとはどういうことか」という重い原初的な問いかけを行なっている。

 すなわち、「人を表現に駆り立てるものは何か」「表現はどのような意味で実生活に真に拮抗し得るのか」「実生活を真に支え得るような表現のあり方とはどのようなものか」といった、表現と実生活をめぐる根源的なアポリアへの白熱した肉薄を行なってみせるのである。(この稿続く)

 

 

 

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