闇の喪失―ある戦後世代の追憶―(連載第4回) 川喜田八潮

  • 2016.05.18 Wednesday
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 一九六七年は、急速に消滅に向かいながらもそれまでかろうじて残存し得ていた、六〇年代前半以来の闇の香りが、最後の輝きを放った年であった。
 この年には、幕末社会を舞台とする三本の印象的なテレビドラマが放映された。
 一つは、NHK大河ドラマの『三姉妹』(大佛次郎原作、山崎努主演)であり、他の二つは毎日放送・松竹テレビ室制作による『富士に立つ影』(白井喬二原作、中山仁主演)と『鞍馬天狗』(大佛次郎原作、大瀬康一主演)である。
 『鞍馬天狗』は毎回一話完結の三十分物で、とりわけ娯楽性が強く、他の二作品と比べるとドラマ性の質はかなり劣るが、三本とも、通俗的なメロドラマ風の設定や勧善懲悪の物語を活かしながら、六〇年代後半の日本社会が直面していた情況の本質を巧みに象徴してみせた、良質のエンターテインメント作品となっていた。
 翌年の一九六八年から、大学紛争の嵐が吹き荒れることによってもわかるように、六七年という年には、維新前夜のような、一種異様な政治的熱気がみなぎりつつあった。
 まもなく、アングラ・フォーク歌手の草分け的存在ともいえる岡林信康の歌が若い世代の間で一世を風靡する。
《友よ、夜明け前の闇の中で/友よ、闘いの炎を燃やせ/夜明けは近い/夜明けは近い……》という歌詞が同級生たちの間ではやったのは、私が中学を卒業する直前の六八年の春のことだった。
 幕末物のテレビドラマが制作されたのも、こういう世相の流れに対する敏感な対応によるものだといってよい。当時の情況が明治維新前夜とアナロジカルに重ね合わせられたのは、高度経済成長がほぼ完了に近づきつつあったこの時期が、〈近代〉の前夜のように感じとられていたからである。
 当時の〈近代化〉の主な指標は、封建的な遺制からの個人の解放と、ヒューマニズムにもとづく民主主義的要求と、膨化し、固定化した独占資本主義体制下における階級的収奪へのたたかいという、ブルジョワ市民主義的もしくは社会主義的理念にあったといってよいであろう。もちろん、冷戦構造下における日本の安全保障や基地問題をめぐるアメリカへの反発もあったし、中国・ソ連への社会主義的幻想も、いまだに残存していた。
 要するに、戦後の左翼思想・進歩思想がそれまで保持し続けてきた理念が、特に本質的な部分で変更をこうむっていたわけではなかった。科学的合理主義が社会主義思想を含む主要な近代主義的イデオロギーを認識論的に支える中心的な位置を占めていた点も、それまでと変わりはない。
 にもかかわらず、当時の情況が、若い世代にとって、あたかも革命前夜の如き雰囲気を漂わせたものとして受けとられたとすれば、それは、六〇年代半ば頃までかろうじて命脈を保ってきた前近代的土俗的な共同体社会の闇の残滓が急速に消滅に向かうことで、なにか、日本社会が、それまでには体験したことのない、質的に全く新しい段階に突入しつつあるという、不安と期待に満ちた予感がみなぎっていたせいであると考えられる。
 その予感は、一面では、個人の限りない自由と欲望の謳歌というアナーキーで向日的な近代主義的解放のイメージや、一切の階級矛盾が消滅した社会主義的ユートピアの夢想につながるものであったが、他方では、到来しつつある未知の社会が、個人の幸不幸など歯牙にもかけない、非人間的でメカニックな巨大な制度的構築物にすぎないのではないかという、戦慄的な不安を伴うものであったようにおもえる。
 全共闘世代の多くの若者たちが七〇年前後に示したアナーキーな暴発や社会主義的ユートピズムへの非現世的・幼児退行的なのめり込みの激しさには、高度経済成長の完了によって到来した新たな産業社会への極度の生理的不適応の症状がみてとれる。
 彼らは、新社会への己れの異和感を、個人の解放や社会主義といった近代主義的イデオロギーによって表現したが、彼らが真に苦しんでいたのは、おそらく、土俗的・生命的な闇の喪失であった。
 幼児期に終戦直後の激しい飢えと極貧の時代をくぐり抜けたこの世代にとって、経済的な階級矛盾の問題は、たしかに切実なものがあったろう。
 だが、彼らが、大多数の日本人のように高度経済成長の波に乗ってエコノミック・アニマルとなる道を抵抗なく選びとるのではなく、少なくともひとたびは社会人という大人になることを拒否して、幼児が手足をばたつかせながら泣きわめくように学生運動にのめり込んでいったのは、たしかに、物質的な動機以外の痛切な何ものかがあったからである。
 幼少年期に土俗の闇の香りをたっぷりと吸い込んで育ったこの世代が、社会人となる直前の大学生であった頃、高度経済成長はまさに完成に近づき、日本社会からは、生身の身体性に根ざした人や風景との深々とした生命的な接触の感覚が急速に消え去ろうとしていたのだ。全共闘世代にとって、己れがこれから出て行こうとする産業社会は、幼児期以来見慣れてきた人間的な暖かさの失われていない社会とは、あまりにも異質なものであった。
 私には、彼らのヒステリックな暴発は、このめくるめくような〈落差〉の痛覚がもたらしたものであったようにおもえる。
 彼らが、この落差の感覚を鮮明に意識したのが、一九六八年という年だった。
 先に挙げた三本の印象的な幕末物が放映されたのは、その前年に当たる。
 これらの作品においても、維新に象徴される〈近代〉は、一面では、階級社会の消滅と個人の解放という、希望と憧憬の対象として描かれているが、他方では、革命によって到来する現実の近代社会が、実は、そんなユートピア的志向などとは似ても似つかない、非人間的な制度的虚構にすぎないものであることをアイロニカルに暴露してみせる。
 主人公たちは、いずれも、新しい日本の国体を夢みて、身を捨てて国事に奔走したり、名もなき人々のためにたたかうが、結局、到来しつつある世の中に適応することができず、俗塵に埋もれ、あるいは権力の抗争に巻き込まれて非命のうちに倒れる。
 世俗的な上昇志向や組織の歯車となることから脱落し、アウトローとして生きる彼らは、己れの魂の自由を求めてやまないと共に、つねに、縁(えにし)をもち得た社会の片隅に生きる無名の生活者の人々のためにたたかう。彼らにとって新しき維新の世の中とは、一切の階級的矛盾が消滅するだけではなく、一人ひとりの人間が己れのつつましい幸せを見出し、明日の生活の不安に心をすり減らすことなく、固有の充ち足りた人生を送り得るような、そんな社会のイメージなのである。
 己れのエゴのために、あるいは権力や大義のために、懸命に生きている小さき者の生を踏みにじる者たちを、彼らは断じて許そうとはしない。その熱い血が、これらのドラマに野太い生活思想的な倫理性を与えている。
 彼らの抱いたユートピアの本質は、彼らの生を支えるだけではなく、彼らの有限性を超えて生き延びる力をもっている。
彼らは、〈縁(えにし)〉をもち得た少数の人々の生を照らし、またその人々との固有の出会いによって生きる力を与えられる。
 そこには、生きることの贅肉といったものが全く無い。
 テレビという極度に通俗的なメディアの中で、時代劇のエンターテインメント性を喩的に活かしながら、主人公をこのように造型し得た時代(あるいは年)があったことに対して、私は驚きを禁じ得ないし、いとしさをおぼえないわけにはいかない。
 それに、六七年の幕末物には、とりわけ『三姉妹』や『富士に立つ影』には、日陰者や無名の生活者たちの心のひだが、メロドラマ風ではあるが、なんとしっとりと、ほの暗く抒情ゆたかに表現されていることであろう。白黒映像のすばらしさを、いかんなく堪能できる作品となっている。
 この二作品には、しばらく見失われていた六〇年代前半までのあの闇の深さが、鮮やかに蘇生しているといっていい。
 この闇の香りは、人の表情やしぐさのみならず、背景となっている江戸後期のゆったりとした農耕社会的な時間の流れ方と陰翳に満ちた繊細な風景によって、一層ふくらみを増している。
 中でも、『富士に立つ影』の風景映像は、比類のない美しさをもっている。
 まず、冒頭に、格調のある古風な毛筆の字体で書かれたタイトルと共に、富士の涼やかな気品に満ちた秀麗な姿が映し出される。
 そして、清冽な激流の映像に沿って、六〇年代におけるテレビドラマ音楽の名作曲家であった渡辺岳夫による、人生の哀歓と生涯の重さをしみじみと感じさせる、哀切なリリシズム溢れる名曲が奏でられ、俳優たちの名が、これまた格調のある毛筆体で顕われる。
 この始まりの部分を見るだけで、今の私は、己れの乾き切りひびわれた冷笑的な心に、人間的な抒情の水脈が蘇るのを感じ、限りなく癒されるのである。
 そして改めて痛感する。
 私たちは、このような時空から何と遠く隔たった、酷薄な氷のような世界に住んでいることだろう、と。
 歴史の不可避性という美名の下に、あるいは、価値や倫理の桎梏からの解放という愚かしい近代主義理念の下に、なんと痩せ細った、薄っぺらな自我意識の殻の中に己れを閉じ込めていることだろう、と。
 だが、どれほど懐かしくとも、私(たち)は、過去の時空にそのままの形で回帰することはできない。
 どれほど痩せ細り、険しい神経症的な身構えに苦しめられようとも、いったん極北まで歩み通すことを強いられた己れの近代的自我意識を、まるごと捨て去ることは不可能だ。
 私たちが向かうべき方向は、人類史が登りつめることを余儀なくされた〈個〉の先端と、六〇年代の映像が象徴し得ている〈類〉的な身体性との葛藤を、物語的に止揚し得るような生活思想の地平をおいてほかにはない。
 
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 『富士に立つ影』は、毎回約五十分のドラマで、全二十六話から成るが、前半と後半とでは、物語の構成も音楽もがらりと変わる。前半は、富士山麓における幕府の練兵場建設をめぐって築城大軍師の地位を争う、熊木家と佐藤家という二つの由緒ある築城家の確執の物語が中心となっている。
 熊木伯典という、善悪をふみ越えた、野獣のような猛々しい気性の悪魔的な人物の奸計によって両親を殺された佐藤兵之助とおゆきという兄妹の受難の物語と、非道な父伯典に激しく反発して、築城大軍師と赤針流第十一代目の地位をかなぐり捨て、市井の人々との自由な交わりの世界に己れの生きる意味を求めてさすらう自然児熊木公太郎(きみたろう)の苦悩を軸にドラマは回転する。
 白井喬二の原作の方は、幕末から明治初年にわたる熊木・佐藤両家の三代に及ぶ数奇な愛憎の悪因縁が絡まり合う大変複雑な構成をもった、『大菩薩峠』と並ぶ(日本の『戦争と平和』という異名をとるほどの)大長編大河時代小説であるが、テレビドラマでは、原作を叩き台にしながら、全く別のわかりやすいシンプルなストーリーに仕立て上げている。
 しかし、主人公の造型や時代背景には、原作の持ち味が巧みに活かされており、そこには、原作が書かれた大正末から昭和初年という一九二〇年代の世相と、六〇年代後半の高度経済成長完了前夜の価値解体的な情況のアナロジカルな重層性が透けて見えて、大変興味深い。
 白井喬二によって生み出された熊木伯典というユニークな人物には、第一次大戦後の大正後期から昭和初年にかけての独占資本主義体制の形成期に登場する、ある種の近代悪の匂いが感じられる。すなわち、伯典は、飼いならされていない前近代的な土俗の野性が、資本制近代との遭遇において挫折し、傷つき、歪みをこうむる中で醸成された、痛ましい庶民的類型を、そのまま幕藩末期社会に移植させたような人格となっているのだ。
 それは、私たちの戦後社会が飢えと貧困からの脱出の中で増殖させていった、ある種の獣的なエネルギーをもったエゴイストの類型にも深く通ずるものである。
 テレビドラマの舞台となる文政期から天保期にかけての幕藩末期は、〈近代〉の本格的な始動の時代に当たる。伝統的な価値秩序や倫理をふみにじりながら、同時にしたたかにそれを利用することで、己れの欲望を充足させ、エゴを拡充せんとする、特異な近代型の悪党を登場させることは、必ずしも無理な舞台設定ではないのである。
 このドラマの前半の主人公は伯典といってもよく、主要な登場人物たちはすべて、彼に鼻づらをひきずり回され、地獄の辛酸をなめさせられる。
 いわば伯典は、世界の不条理性の源泉ともいうべき悪の権化としての役割を担わされており、彼によってもたらされるこの世の悪因縁・不条理にいかに立ち向かい、それをいかに乗り越えていくかによって、主人公たちの生きざまは大きく別れ、変転を余儀なくされていく。
 熊木家への復讐の念に燃え、どん底の境遇から這い上がり、己れの才覚を武器に権力を握らんとする兵之助(川津祐介)の血みどろの野心と、伯典(内田良平)の邪恋によって入れ墨を入れられ、傷心のあまり己れの許を去ったおゆき(葉山葉子)を慕い続ける公太郎(中山仁)の悲恋が絡まり合って、数奇な運命に翻弄される主人公たちの愛憎渦巻くメロドラマが展開する。このドラマの前半部には、一昔前の日本社会にみられた、家意識と結びついた濃密な血族間の葛藤と、強靭な生身の身体性に裏打ちされた、哀歓の振幅の大きい、メリハリのきいた人生の物語の面影が感じられる。
 すなわち、水上勉や宮尾登美子の小説に典型的に象徴されるような、六〇年代前半までの前近代的土俗的な共同社会の濃厚な体液の匂いが残存しているのである。
 私たちの〈現在〉からみれば、もちろん、こういった風景は、いささかもリアリティーの無い、膜で隔てられた幻燈のような世界にすぎない。
 家族にせよ他者との関係にせよ、互いの生きる場所が隔絶し、生身の共感の根を断ち切られた現在のわれわれの社会においては、かつてのような、精神的な至近距離に置かれた人間同士の生ける葛藤のドラマなど成立しようがないからである。
 現在における愛や憎しみのドラマは、むしろ逆に、家族や他者に対する徹底した断絶意識に由来する、内向的で自閉的な精神病理的色彩を帯びるしかない。そこでは、生身の接触にもとづく人間らしい生臭い悲劇など起こりようがなく、生じ得るのはただ、互いの断絶意識によるパラノイア的な妄想を契機とした陰惨な悲喜劇の地獄のみである。
 一九六七年は、昔日の土俗共同体的な生身の人間関係に根ざした、濃密な愛憎のドラマが、最後の輝きを放ち得た年であった。
 『富士に立つ影』の前半部に立ち込めるこのような前近代的土俗的性格は、先に述べたような、ゆったりとした農耕社会的な時の流れと、気品のある繊細で陰翳に満ちた風景に包摂されることで、実になんともいえぬ艶やかなふくらみを与えられている。
 しかし、後半部は、がらりと雰囲気が変わる。
 後半では、代官殺しの無実の罪でおたずね者となった公太郎が、各地を転々と逃走しながら、そのつど縁(えにし)をもち得た人々の苦境を救おうと悪戦苦闘する、勧善懲悪的な一種の〈貴種流離譚〉の構成をとっている。その一方で、独学で蘭学を学びつつ、海外渡航の夢を抱く、近代志向の若者としての側面も描かれている。
 この二つの側面は、公太郎の中で、一切の階級社会が消滅して、一人ひとりの人間が、個としての自由な生存空間を切り拓き、充ち足りた生を送り得る新世界への夢につながっている。
 つまり、このドラマの後半部は、前半とは対照的に、濃密な血縁・地縁の共同体的空間や制度的な秩序から完全に逸脱し、一匹狼のアウトローと化した若者が、ささやかな幸せを求めて懸命に生きようとする無名の生活者たちのために、いかなる報いも求めず、己れの知力と肉体のすべてを賭けてなすべき事をなそうとする、孤独なたたかいの物語となっているのである。
 そこでは、もはや前半部のような、哀切な生涯のイメージやゆるやかな時の流れや土俗共同体的なエロスの受け皿の匂いは乏しく、果てしなく続く荒野の中を黙々とさすらう単独者の痩せた背中が視えているだけだ。
 この公太郎の姿勢は、あらゆる手づるを利用して立身栄達を図り、家を再興し、幕閣の信頼厚い能吏として頭角を現わしていく兵之助の生きざまと、鋭いコントラストをなしている。
 オープニングの音楽も、映像も、前半と後半ではまるで違う。
 後半では、黒一色の画面に、公太郎と兵之助の殺気溢れる眼や横顔や太刀筋などが映し出されるだけで、前半にみられたような、抒情的な潤いのある映像は全く見られない。
 音楽も、後半では、男性的なマーチ風のメロディーラインとなっている。
 要するに、この作品の前半部が六〇年代前半までの前近代的土俗的な闇の香りを鮮やかに蘇生させたものだとすれば、後半部は、片隅に生きる無名の生活者たちを押しつぶす理不尽な権力や人の弱みにつけ込む薄汚い貪欲な悪人たちへの激しい憤りと、〈個〉としての険しい戦闘的姿勢が前面に出た作りとなっているのである。
 前近代的な風土性の濃密さと近代的な自我意識の鋭さというこの両義性こそ、一九六七年という印象的な年の本質をなすものである。
 一方では、間もなく到来するであろう未知の世の中への期待と人間的な解放の幻に胸躍らせながらも、他方では、その社会が、人や自然への生身の親和性と深々とした抒情性の息づく古き良き伝統社会の香りを抹殺する、非人間的な制度的システムにすぎないことを予感していたからこそ、この年に放映された良質のドラマ作品には、いずれも、なんともいえぬ深い悲哀感がにじみ出ていたのだ。
 まさに社会の中から消え去ろうとしていた闇の気配を渾身の力をふり絞って再現しようとする、制作者たちの白熱した力わざは、このような、時代の決定的な変容への予兆に対する鋭敏な対応の所産だった。
 『富士に立つ影』の前半と後半の折り返し点に当たる第十三回目のドラマの冒頭では、はるかにそびえる富士の映像をバックに、次のような芥川隆行のナレーションが入る。
 
 富士は今日も変わらなかった
 その美しい姿はあくまで冴えて
 時の流れをみつめて微笑み
 人の世の変転に愁いを含みつつ
 黙して語らない
 
 この素朴な力強さをもった、格調のある言葉は、ドラマの前半部と後半部の〈矛盾〉を包摂し、止揚する要(かなめ)のような役割を果たしている。
 深い哀愁の漂う重厚な主題曲に沿って、芥川隆行の渋い味わいのある声で淡々と語られるこのナレーションに続いて、街道をただ一人往く公太郎の姿が映し出される。
 〈富士〉は、街道を往きかう無数の旅人たちの、それぞれに異なった宿命を担う、固有の生の重さを、どこまでも静かにみつめ、各々の無量のおもいを黙って慈しむように包み込んでみせる。
 この奥ゆきのある端正な美しさは、もちろん、近世後期以来の成熟した農耕社会の伝統に根ざした雪・月・花、花鳥風月の美意識であるが、それは、このドラマの後半部に流れる戦闘的な個我意識と決して矛盾するものではなく、むしろ、ささくれ立った険しい個の身構えをしばしなごませ、癒し、それに弾力とふくらみを与えるようなイメージを提供しているといってよい。
 主人公の公太郎が強いられている苛酷な試練は、この富士のイメージに凝縮的に象徴される風景の深々とした優しさと静けさによって緩和され、浄化され、ついには一切の我執と傷を呑み尽くす限りなく透明な〈自然〉という、類的な身体性の次元へと昇華される。
 通俗的なメロドラマの体裁をとりながらも、この作品では、個と類の止揚という困難な課題が、制作者たちの無意識のレベルで、美事に身体表現的に処理されているのだ。
 一九六七年という、高度経済成長完了前夜の、深い喪失感を伴う鋭いきしみの感覚が、このような奇跡的ともいえる力わざを可能にしたといってよいであろう。
 ただし、このドラマの最終回だけは、まことにいただけない不自然な作りになっている。
 農民たちの窮状を救わんがため一命を投げうった小藩の若き大名との深き縁(えにし)によって、老中水野忠邦の推進しようとした印旛沼干拓の事業に協力し、己れの築城術と蘭学の成果の全てを注ぎ込んで献身した公太郎の労苦も空しく、水野は、反対派の画策によって失脚し、干拓計画は無に帰してしまう。
 その「シーシュポスの神話」の如き不条理な痛手に打ちのめされた公太郎とおゆきに追いうちをかけるように、ようやくめぐり逢えた二人を理不尽な死が見舞うのである。
 それも、水野をかくまった兵之助の屋敷で、たまたま訪れたばかりの二人が、水野の暗殺を企てる反対派の刺客たちの襲撃に巻き込まれて落命するという、交通事故のような、踏んだり蹴ったりの結末になっているのだ。
 なぜ、このような視聴者の神経を極度に逆撫でする、残忍極まる不条理な、しかも不自然この上ないやり口で物語を閉じようとするのか。せっかく、巧みに物語を積み上げてきたのに、最終回で台無しの気分にさせられてしまうのである。
 言語道断な悪趣味であると言ってしまえばそれまでのことであるが、この設定の中には、明らかに二つの背景が見てとれる。
 一つは、カミュ、サルトル流の、存在の不条理性の認識をベースとした実存主義の流行であるが、より重要なのは、そういう若い世代を中心とする実存主義の浸透を可能ならしめた、当時の世相の内に漂うある種の酷薄な匂いである。
 それこそ、先にも述べたような、闇の抹殺の予兆だった。
 すなわち、存在との生身の接触に根ざした生命的な交感の物語と意味づけを完全に解体・一掃しようとする、科学文明と産業社会の不可視の圧力が、人々の魂を深く蝕み、その世界風景を、徐々に、無機的でメカニックな死臭の漂う、不条理で酷薄な色彩に塗り変えつつあったということである。
 一九六八年にはこの実感はさらに一段と深まり、六〇年代前半までの生命的な闇の香りは、確実に消滅寸前に追い込まれていた。
 しかし、科学とヒューマニズムと疑似コミュニケーションによる空疎な〈光の暴力〉の前に、魂の暗がりは封印され、私たちが直面していた真の問題は完全に見失われてしまったのだった。
 
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 一九六八年に放映されたNHK大河ドラマは、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』(北大路欣也主演)であった。この作品には、自由人竜馬のみずみずしい生命力と、ものにとらわれない大胆で柔軟な構想力、いかなる逆境にもめげない楽天的なプラス思考とひょうきんな性格といった向日的な魅力がみなぎっていて、それなりに優れた出来ばえを示していたが、そこには、もはや、六七年の幕末物にみられたような、繊細な魂の暗がりや抒情の匂いは、全くみとめられなかった。
 六八年から七〇年代初めという時代には、司馬遼太郎という、近代合理主義と経験主義を最もしっくりとした形で体現した、ウィットに富む、良い意味でも悪い意味でも乾き切った、したたかな関西人の作家を、一躍国民的名士にのし上げていくような、奇妙な向日性の強さがあった。
 しかし、この〈光〉は、明らかにまがいものであった。
 翌年の一九六九年は、白黒テレビが国民的な規模で一斉にカラーテレビに切り替わった年である。
 カラーテレビになることで、白黒時代の終りまでかろうじて保たれていた生身の生の陰翳は、完全に茶の間の映像から放逐された。そして、このカラー映像の白昼のような散文的な平板さは、そのまま、現実の市民社会の風景の感触と地続きのものであった。
 この時期、商業・サービス業を中心とする第三次産業の人口は、全就業者数の五十%近くに達し、東京を中心とする大都市に蟻のように群がったサラリーマンたちは、団地・マンションという、何の個性も無い画一的な箱の中にぎゅうぎゅうづめに押し込められ、会社という営利組織に己れのアイデンティティーをゆだね切って、馬車馬のように働いていた。
 六〇年代後半に放映され、大ヒットした『ザ・ガードマン』(TBS)という一話完結のサスペンス・アクションドラマでは、疲弊し切ったサラリーマンたちの内攻するストレスと隠微な犯罪的嗜好、留守を預かる団地妻たちの散文的で退屈な日常と不倫への誘惑、子どもをつめこみ勉強と受験競争へと追い立てる高学歴志向の親たちの自己顕示欲のくだらなさなどが取り上げられ、薄っぺらな世相を戯画的に描き出していた。
 こういう世相にあって、人々の日常風景の中から排除され、正常な表現を封じられた無意識下の闇のエネルギーは、グロテスクで暴力的な表現形態をとって新たな代償のはけ口を求めるようになる。
 一九六六年から六七年にかけて「少年サンデー」に連載された手塚治虫の『バンパイヤ』というマンガでは、主人公のロックという若者が、満月の夜になると狼に変身してしまう、純真な田舎出の少年を操りながら、この世の悪事の限りを尽くして市民社会の平和を震撼させる。ロックは、やがて、息子を悪の泥沼から救出し、必死に守ろうとする少年の母親の狼によって倒され、海に沈むが、最終回の扉絵には、海から上がった狼に変身したロックの姿が描かれ、彼の本体もまた狼であったことが暗示されている。
 『バンパイヤ』は、手塚治虫が、それまでのヒューマニズムによる勧善懲悪の図式を初めて自ら破ってみせた画期的な作品であるが、彼にそのような冒険を試みさせたものは、明らかに、この時代の欺瞞的な光に満ち溢れた市民社会的平和に対する激しい鬱屈の念にあったとみてよいであろう。
 手塚治虫の中からヒューマニズムや科学的合理主義の理念が失われたわけではないが、この作家の無意識の深みによどむ闇のエロスへの渇きは、それらの理念から乖離(かいり)した場所に、鬱積したエネルギーのはけ口を求めるようになったのである。
 『バンパイヤ』では、悪と暴力性の本質は、市民社会によって放逐され表現を封じられた野性の歪んだ代償形態として象徴的に描き出されている。このようなモチーフが、七〇年代以降の闇の表現のひとつの巨大な潮流を形作るのであり、ひいては、現在のわれわれの社会の精神病理や犯罪の本質を照らし出すものであることはまちがいない。その意味で、『バンパイヤ』は、まさに先駆的作品だった。
 ちなみに、一九六九年から七〇年には、手塚治虫の『火の鳥』シリーズの中でも、最も不条理感の強い『火の鳥・鳳凰篇』が発表されている。
 高度経済成長が完了した一九七〇年前後から二十一世紀初頭の現在までは、ある意味で地続きである。
 七〇年代以降、封印された闇は、均質化された産業社会と市民社会の空隙を縫って、さまざまな形式をとりながら執拗な抵抗を繰り返す。それは、悪と暴力性の表現から不条理に抗う獰猛な生命力の追求に至るまで、あるいは、ヴァーチャルな天上的エロスへの憧憬から生身の抒情性への渇望に至るまで、実に多種多様な様式をとって顕われた。
 そういう闇の抵抗線についても語りたいことは多々あるが、今は措く。
 ただ一言断っておきたいのは、七〇年代以降の闇の表現には、五〇年代から六〇年代前半までの社会に残存し得ていた生命的な奥ゆきと輝きの感触を、全き形で蘇生し得た作品は、あらゆる芸術分野を通じてほとんど存在していないという事実である。
 一九六七年は、なにかが決定的に滅び去った年であった。
 その事実が、私たちにとってかけがえのない何ものかの喪失であったという認識を、心ある読者といささかなりとも共有できれば、それで私は本望なのである。(了)



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闇の喪失―ある戦後世代の追憶―(連載第3回) 川喜田八潮

  • 2016.04.17 Sunday
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 東京オリンピックの翌年に当る一九六五年は、戦後史にとって、ひとつの特筆すべき画期であった。この年にひとつの時代が終り、新しい時代が始動を開始したのである。
 六五年に放映されたNHK大河ドラマ(第三作目)は緒形拳の主演による『太閤記』(吉川英治原作)であった。
 この作品は、織田信長役の高橋幸治や明智光秀役の佐藤慶などの準主役級の脇役たちの渋い好演もあって、なかなかに優れた出来ばえで、特に、秀吉役の緒形拳の生気溢れる晴れやかな笑顔と高橋幸治の寡黙で重厚な、奥ゆきのある表情がことのほか印象深く、背景には、いまだ農耕社会的な悠然とした時の流れが感ぜられ、春風のような暖かで柔らかい空気が立ち込めていた。
 しかし、それにもかかわらず、過去の二作の大河ドラマ『花の生涯』(一九六三年)・『赤穂浪士』(一九六四年)には確実に息づいていた何ものかが、『太閤記』ではすでに失われていた。それは、登場人物の哀歓の陰影の深さ、存在の彫りの深さというものであり、彼らを包摂する生存空間のしっとりとした濃密な闇の気配であった。
 『太閤記』では、そういった土俗的な魂の暗がりは消失し、妙に口当たりのいい、市民社会的な滑らかな対人関係の匂いが漂い、向日的でエネルギッシュな上昇志向の楽天性が溢れ返っていた。まだ慶応大学の学生であった石坂浩二が初めてブラウン管に登場したのも、この作品においてである。(ちなみに、この作品は、一九九六年に竹中直人が好演した大河ドラマ『秀吉』とは、似ても似つかないものである。九六年の『秀吉』は、もはや、みずみずしい生身のいのちの躍動などどこにも見つかりようのない冷え切った世の中で、強引に人々の身体を燃焼させ、性懲りもなく産業社会的なエネルギーを引き出そうとする制作者たちの悪あがきが産み出したしろものであり、死の恐怖をバネとする実存的な身構えによって、アクロバティックに脂ぎった獰猛な現世的エネルギーを引き出そうとした伊丹十三の一連の映像作品と同様、まことに不自然な痛ましい錯誤の産物であるといっていい。)
 『太閤記』の登場とその大ヒットは、高度経済成長の加速度的な進展によって、サラリーマン人口が増大し、土俗共同体的な生存感覚と美意識が急速に消滅に向かい、市民社会的な秩序意識と個人主義的な上昇志向とヒューマニズムが日本人の間に広く浸透・定着しつつあったことを象徴している。
 しかも重要なことは、まだ社会の内に、前近代的共同体的な人や自然に対する親和的な生存感覚が根強く残存し、その暖かい生身の感受性に支えられ、賦活されることによって、はじめて、ヒューマニズムや個人主義は、その生命を生き生きと保つことができていたということである。
 そのことは、翌年の一九六六年に放映されたNHKの朝の連続テレビドラマ『おはなはん』や民放の青春ドラマ『青い山脈』(石坂洋次郎原作)によっても分かることで、その素朴で自然な暖かさを失っていない物語の作り方は、七〇年代以降のテレビドラマが絶対に創り出すことのできないものである。
 七〇年代以降、より正確にいうなら六八、九年以後の日本社会では、このような自然な生身の接触と親和性の残滓がほとんど消失してしまったのであり、それに伴って、ヒューマニズムや個人主義もまた、その生ける生命を完全に失い、形骸化した観念的なイデオロギーへと堕してしまったのである。
 その意味では、六五年から六七年までの日本社会は、まだ古き良き時代の香りをかすかに漂わせた牧歌的な一面を備えていた。
 しかし、時代は確実に激変していた。
 六〇年代後半は、日本におけるロックミュージックの幕開けの時代といっていい。青少年の間で一世を風靡したビートルズの登場は、良くも悪しくも、それまでの伝統的な土俗共同体的美意識に対する近代的な自我意識の立場からする強烈なアンチテーゼであり、やがて、ビートルズの猿マネにすぎないグループサウンズが次々と誕生した。それはご本尊のビートルズとは似ても似つかない、何の思想性も無い、ミーハーな流行の産物にすぎなかったが、共同体的な規範や根暗で湿潤な風土性を脱して、急速に拡大した消費市場へとなだれ込もうとする大衆の個人主義的な欲望原理のひとつの指標には違いなかった。
 ヤニ下がった、およそはにかみというものを知らない、薄っぺらな歌手や芸能人が次々と登場する。加山雄三の「君といつまでも」という、微笑ましくもノーテンキな歌が大ヒットし、植木等主演の「無責任男」シリーズで、働きバチの会社人間をおちょくりながら同時にサラリーマン社会にしたたかに媚びを売ってみせた青島幸男というシナリオ作家が、圧倒的な人気を誇るようになる。何の陰影もない、極度に平板なタレントたちが我が物顔でブラウン管を牛耳るようになっていくのである。
 また、六〇年代後半は、性と暴力が売り物の成人向け劇画雑誌が登場した時代でもある。大橋巨泉を中心とする、マージャンやセックス・アピールや床屋政談を看板にした『イレブン・ピーエム』という番組が始まり、『平凡パンチ』や『プレイボーイ』のような風俗週刊誌が次々と現われ、空前の売れ行きを示すようになる。
 要するに、六〇年代後半は、享楽的な大衆消費市場が膨脹し、定着し得た時代であった。特に重要なのは、〈性〉が単なる薄汚い商品に堕してしまったこと、すなわち、痙攣的な刺激を売り物にするただの消耗品として扱われるようになったという点である。
 それは一見、封建社会からの性の解放であり、肉体の謳歌のようにさえ見えるが、実は全く逆で、性という領域に本来備わっている存在の闇を消し去り、性交を、単なる可視的な生物学的欲動と刺激のメカニズムに解消することで、肉体の輝きと生の歓喜を見失わせるものであることに、人々は全く気づいていなかった。(今もって気づいてはいない。)
 存在に宿るあらゆる神秘な奥ゆきと暗がりを人々の眼から遮断し、見失わせていったのが、六〇年代後半という時代であった。
 
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 子ども向け番組では、一九六五年に『隠密剣士』が終了し、忍者物が急速に衰退・消滅に向かう中、代わって登場したのが、周知のように円谷プロによる『ウルトラマン』シリーズ(一九六六年放映開始)であった。
 『ウルトラマン』の直前に放映された『ウルトラQ』(一九六六年一月から七月放映)には、まだ、六〇年代前半以来の闇の気配が残存していた。この作品では、科学文明と産業社会化による環境破壊や生活の疲弊や拝金主義的風潮によって痛めつけられた当時の日本人の魂の亀裂の象徴として、土俗的な闇の怨念の化身のように、何気ない平穏な日常生活の空隙を突いて、突如として薄気味の悪い怪獣や宇宙人や魔的な空間が出現する。
 妖怪や幽霊の代わりに怪獣や宇宙人が登場するのはいかにも現代風であるが、『ウルトラQ』では、その怪獣や宇宙人が、われわれの日常性の深層に潜む暗がりの象徴として、白黒映像の陰影の深みを巧みに活かしながら鮮やかに皮膚感覚的に形象化されていたため、少しも滑稽ではなく、生々しい戦慄的なイメージを喚起することに成功していた。
 しかし、『ウルトラマン』は違う。当時中学生だった私は、このドラマの登場によって確実に何かが変わったという鮮烈な印象を受けたことを覚えている。
 『ウルトラマン』においても、『ウルトラQ』と同様に、怪獣は、産業文明による環境汚染や生活の荒廃によって醸成された異形の闇の象徴として描かれているが、同時に、それが、科学文明とクリーンな市民社会的平和の守護神としての〈光〉の化身である、ウルトラマンというヒューマニストの宇宙人によって倒されるという、勧善懲悪の図式に取り込まれることによって、巧妙にその毒性が消し去られているという点が重要である。
 誤解してもらっては困るが、せせこましい純文学的なリアリズム理念にとらわれた文学者や批評家連中のいうように、〈勧善懲悪〉という図式自体が悪いのではない。
 勧善懲悪は、人間の魂に宿る闇と光の両義性とその葛藤を、喩的な手法を通じて鮮明に浮き彫りにするための、ひとつの立派なエンターテインメントの形式である。
 そしてまた、人が、ひとりの生活者としてこの現世の不条理をくぐり抜けてゆくための真摯な〈倫理〉の身構えを象徴するものでもある。
 近代文学的な表現理念にとらわれた批評家連中の嘲りにもかかわらず、大衆が勧善懲悪を求めてやまないのも、そのような象徴的本質のもつ不朽の生命力にもとづいている。
 問題は、勧善懲悪自体の是非にあるのではなく、そこで象徴される善や悪がいかなる内実をもっているかにある。
 『ウルトラマン』シリーズでは、産業文明によって痛めつけられた自然や人間性の怨念の化身ともいうべき怪獣は、ウルトラマンの人工的な破壊光線によって抹殺されるか、または、その憎悪を解毒・昇華され、無害な存在として市民社会的秩序の内に取り込まれてしまうかの、いずれかの運命に追い込まれる。
 おまけに、その抹殺や解毒は、人形じみた陰影の無い無機的な仮面と殺菌・消毒された宇宙服のようなツルツルしたコスチュームを着けた怪人が、たちどころに怪獣と同じ大きさに変身するという、荒唐無稽な設定によって、なんともいえぬヴァーチャルな空虚さを漂わせる。
 ウルトラマンと怪獣が決闘する時、既に怪獣は、われわれを脅かし威圧する、得体の知れない闇の象徴としての毒性を完全に解体された、幼稚でみすぼらしい、等身大のぬいぐるみ的存在に変容してしまっているのである。
 同じく怪獣といっても、『ゴジラ』や『ウルトラQ』のそれと、『ウルトラマン』シリーズのそれとでは、全く意味が違っている。前者の怪獣は、科学と産業社会によって追いつめられ、痛めつけられた日常性の亀裂・暗部の象徴としての非合理的な闇の化身であるのに対して、後者の怪獣は、科学と合理性とクリーンな市民社会的平和という〈観念〉によって塗り固められた均質な日常性からはじき出された、哀れで滑稽な、単なるグロテスクな異物、いわば文明の粗大ゴミにすぎない。
 まことに、近代文明が建て前として振りかざす世界観からみれば、日常性の深層に潜む一切の不透明な異和や渇きや衝動は、科学と合理的知性によって処理すべき、ちっぽけな怪獣にすぎないのである。おまけに、人間の非合理的な魂の飢渇を抑圧し、解毒することは、市民社会的平和の維持というヒューマニズムの大義によって正当化される。
 話をデカくして肝心の問題をすり換え、臭いものにフタをするのは、昔から、政治的な思考習慣に汚染された連中の特性であるが、ヒューマニストの近代主義者たちもまた、「世のため人のため」を振りかざしながら、ずいぶんと人間のデリケートな生身の感受性というものを踏みにじってきたものである。
 『ウルトラQ』を作り得たほどの円谷プロのスタッフたちが、己れの内なる闇をこのような欺瞞的なやり方で封じ込めなければならなかったことに対して、内心うしろめたさと悲哀感を抱いていたであろうことは、推測に難くない。
 しかし、科学技術による物質的恩恵と資本制の膨化を背景とする当時の市民社会的現実は、彼らに、そのような処理の仕方を強いていたのである。
 『ウルトラマン』シリーズの〈枠組〉が象徴する、伝統的な風土性と断絶した宇宙人的な無国籍性と完璧なまでに生身を捨象したヴァーチャルな観念性こそ、それまでの日本社会に存在しなかったカルチャーなのであり、このような極度に人工的なカルチャーにどっぷり浸った幼少年期を過ごした世代(一九五〇年代末から六〇年代生まれのいわゆる「おたく世代」)の誕生こそ、われわれのオウム的な〈現在〉を準備するものであった。
 それは、土俗的な共同体社会を支えていた生命的・コスモス的な生存感覚を、徹底的に解体し尽くそうとする、〈近代〉という歴史過程が、最終段階に突入しつつあったことの鮮やかな指標にほかならない。
 
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 しかし、『ウルトラマン』によって象徴されるような新たな子ども文化は、突然六〇年代後半に登場したわけではない。
 その先駆形態として重要な役割を果たしたものに、手塚治虫のマンガ作品、とりわけ、六〇年代半ばにアニメーションにもなって大ヒットした『鉄腕アトム』がある。
 当時、小学校五・六年から中学一年にかけて私もまた、『アトム』のマンガやアニメに熱狂的にはまった口であるが、しかし、今ふり返ると、昔懐かしい子ども番組の中で、この作品ほど色あせてみえるものは他にない。
 
《空を超えて ラララ/星のかなた ゆくぞアトム/ジェットの限り/心やさしい ラララ/科学の子/十万馬力だ 鉄腕アトム》(作詞・谷川俊太郎、作曲・高井達雄)
 
 私は今でも、昔見た子ども番組の主題歌をよく憶えていて口ずさむことが多いが、谷川俊太郎作詞のこの歌詞だけは、なんとも空疎な、苦々しいおもいにさせられて、歌う気になれないのである。今の私にとって、これほど疎遠なまなざしはないのだ。
 『アトム』を支える理念は、科学と理性とヒューマニズムに対する絶大な信頼であり、自然の改造と社会の合理的な設計によって、不断の文明の進歩と人間同士の連帯を実現できるという、楽天的な近代主義的イデオロギーである。
 その背景に横たわるものは、いうまでもなくアトミズムに立脚した西欧近代的な唯物論的・機械論的世界観である。
 そこでは、地球は、偶然的に発生した無数の惑星の一つにすぎず、人類もまた、そのちっぽけな小土塊の上にたまたま発生した、生物という、外界との物質代謝過程によって支えられる有機体の一つにすぎない。
 人間の心もまた、森羅万象の神秘な〈気〉の流れとは何の結びつきももたない、単なる大脳のメカニズムの反映の産物でしかない。
 本来無意味な存在である人間の生に意味を与えてくれるものは、ただ、個的な欲望と孤立した自我意識と合理的知性のみであるというのが、こういう近代主義的・アトミズム的世界観から導き出されてくる倫理観であり、価値観である。
 手塚マンガでは、この欲望に導きを与えてくれる最良のものが、性善説に根ざしたヒューマニズムであり、その極限的な形態としての自己犠牲の理念なのである。
 もちろん、ヒューマニズムの代わりに、社会主義の理想をもってきてもかまわない。
 いずれにせよ、こういう世界観と人間観が、六〇年代という高度経済成長と科学信仰の時代を通じて、大人から子どもに至るまでの多くの日本人の間に急速に浸透していったイデオロギーなのであり、『鉄腕アトム』は、それを最もシンプルに尖鋭化した形で描いてみせた啓蒙的な作品であるといっていい。
 この作品が、六〇年代における土俗性の闇の衰弱を象徴するものであることはいうまでもない。
 『ウルトラマン』シリーズは、この『アトム』の世界視線の延長上に現われたものにすぎない。
 
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 しかし、手塚治虫自身は、もちろん闇への豊かな感受性を備えた作家であった。
 小学校時代、手塚マンガの熱心な読者であった私は、彼の作品の中に、常に三つのこだわりの場所があることを感じ取っていた。
 ひとつは、親子関係の傷に対する独特のこだわりである。
 その傷は、母親と父親とでは微妙に違っている。
 手塚治虫の作品には、随所に、母親の子どもへの愛情に対する深い信頼感がにじみ出ており、それは、彼自身の育ち方における母親との幸福な関係を想わせるが、その一方で、愛し合い、互いに求め合う母と子が、運命の不条理によって引き裂かれてしまう苦しみが切々と描かれている。『アトム』でいえば、「ブラック・ルックス」のような名作がこの系列に属する。
 私たち人間の誰しもがそうであるように、この作家の魂にも、〈子宮〉の安らぎから切り離された癒し難い傷痕があり、その疼(うず)きが、繰り返し、苦痛と慰藉の代償表現を求めてやまなかったことはまちがいない。
 手塚にとって、母とは、あるがままの彼自身を自然に受け容れてくれる、慈愛に満ちた全き存在であるのに対して、父親の方は、彼の自我を押しつぶしエロス的に呑み込もうとするような、我執に満ちた強大な超自我の持ち主として立ちはだかっていたようにおもわれる。
 父親という超自我を乗り越えてはじめて、少年は一人前の男として固有の自我を確立することができるし、あるがままの己れ自身を受け容れ、包摂してくれる幻の子宮のようなぬくもりの位相があってはじめて、人は自らを癒し、生きる力を呼び覚ますことができる。
 手塚作品がある種の古典的な不朽性をもち得るとすれば、ひとつには、このような成長過程の本質に関わる勘どころに触れているからである。
 ただし、手塚作品における親子関係の描き方は、今からみれば、自然で穏やかな親和性が残存し得ていた六〇年代前半までの日本社会にふさわしい牧歌的な表現としての限界性をもっている。
 現在の私たちの社会には、手塚治虫が描いたような、自然な慈愛に満ちた懐かしい母親のタイプは、ほとんど存在していないといっていい。
 中流意識化した今の世の母親たちは、子どもの魂をエロス的に呑み尽くし、息子や娘のかけがえのない固有の人生を思い通りに支配することで、己れの自己実現の欲求を代償せんとする、我執に満ちた人間たちであるか、さもなくば、いやいやながら子育てをしたり、己れの幼児期の傷に対する復讐心理や生活上のストレスから子どもを虐待するような、未成熟な人格の持ち主であることが多い。
 だから、今の青少年たちは、精神的内面的な〈母殺し〉〈父殺し〉の痛苦に満ちた体験をくぐり抜けなければ真の自立を遂げることができないという、西欧近代型社会特有の苛酷な条件下におかれている。
 こういった現在の〈自立〉の困難さをめぐる問題は手塚マンガの手に余るものであり、この領域においては、後に七〇年代後半から八〇年代にかけて活躍した、山岸凉子・萩尾望都・森脇真末味ら、ごくひと握りの天才的な力量をもつ少女マンガ家たちが、病理の本質を浮き彫りにした優れた作品を残している。
 手塚マンガの第二の特徴は、共同体の生み出す悪へのこだわりである。
 すなわち、集団や組織を支配するさまざまな制度的観念による価値序列や偏見・差別のメカニズムによって、人間同士の自然な生身の接触や、他者には伝え難い固有の苦しみや渇きが、無残に踏みにじられることへの強烈な憤りである。
 生身の個や対(つい)の次元による共同社会への対峙というこのモチーフは、戦後の〈近代〉が準備した最良の思想水準を象徴するものだ。
 第三に、手塚作品には、人間の成長過程における障害感への強いこだわりがある。
 少年期まで温存されていた深々とした神秘への感受性やみずみずしい野性を圧殺することによって、制度に飼いならされた薄汚い鈍感な大人たちを飽くことなく量産し続ける近代産業文明のシステムに対して、手塚治虫は暗い鬱屈を抱え込んでいた。
 『アトム』の中では、たとえば「天馬族の砦」という作品が、このモチーフを鋭く追及した良質の作品となっている。
 科学的合理主義とヒューマニズムによって武装された頭でっかちの観念的な身構えの底に、このような生身の幼児性への渇きがきちんと息づいていたからこそ、少年たちは手塚マンガを熱読したのであり、どれほど色あせようとも、今でも読むに耐える作品が残存するのである。
 しかし、手塚作品の背景をなしていた以上のような闇への感受性は、結局、科学とヒューマニズムとそれにもとづく自己犠牲という貧しい近代主義的理念によって強力な足枷をはめられ、真にのびやかな表現を封じられてしまっていた。
 手塚自身、己れのそういう身構えに対して息苦しさをおぼえていたらしく、『火の鳥』シリーズでは、それを打破せんとするアニミズム的な志向を追求するが、哀しいことに、そこでも、森羅万象に内在する宇宙生命の化身であるはずの「火の鳥」が小賢しい「人語」を話すことで、たちどころに、ヒューマニズムと合理的知性による了解という、平板な近代主義的理念に囲い込まれてしまうのである。
 動物が「人語」を話すというこの手塚作品の特性は、彼の描いた〈自然〉を、ふくらみの無いちっぽけな「擬人的存在」としての自然と、単なる科学的な観察や分析の対象にすぎない「客観化」された自然の、二種類へと還元してしまうことを意味していた。
 しょせん、手塚治虫の作品は、〈近代〉の枠組を超えるものではなかったのである。
 そして、われわれの社会もまた、いまだにこの手塚作品のレベルにとどまっているのだ。
 マンガ家の中で、手塚ほど多種多様な方法上の冒険を試みた作家はいないし、彼ほど多彩な想像力を駆使し得た者もいない。六〇年代後半からは、それまでの手塚作品ではタブー視されていた露骨な性描写や過激な暴力性の表現にも果敢に挑戦し、膨化する消費社会の中でめまぐるしく変化する大衆のニーズに懸命に対応しようとして、痛々しい不自然な努力を重ねている。
 にもかかわらず、私の眼には、手塚治虫の膨大な作品群は、時代の変化を越えてどれも皆、戦後的〈近代〉という同じ顔つきをしているように見える。
 これはうら哀しいことだ。
 マンガ家に限らず、その時々の時代にカリスマ的な影響力を及ぼした表現者や知識人というものが、あとから振り返った時、いかに時代の構造によって〈枠組〉を規定された、相対的な有効性しかもち得ない、底の浅い思想の持ち主にすぎなかったかを知って、われわれは愕然とすることが多いのである。(この稿続く)

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闇の喪失―ある戦後世代の追憶―(連載第2回) 川喜田八潮

  • 2016.03.20 Sunday
  • 16:43
 
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 一九五〇年代の日本人の生存感覚に息づいていた闇の気配は、六〇年代の初頭までは、たしかにその生命力を保っていた。
 一九六〇年から六一年にかけてテレビ放映され大ヒットした子ども向け冒険活劇ドラマ『快傑ハリマオ』は、そのような生命感覚の最後の輝きを象徴する印象的な作品であった。
 東南アジアを舞台に、帝国主義列強の植民地支配に苦しむ原住民を助けて、解放と独立のために戦う謎のゲリラ隊のリーダー「ハリマオ」(実際は、消息を断った、日本海軍の特務機関の将校「大友中尉」)の活躍を描いたものだが、近代科学兵器による大量殺戮に明け暮れた大東亜戦争の実態とは似ても似つかない、拳銃と生身の肉体のみのアクションによって構成された、素朴な勧善懲悪ものとなっている。
 しかし、この少年向けドラマには、戦時中の多くの日本人が熱烈な想いを寄せていた大東亜共栄圏の理想、すなわち、倫理と友愛をふみにじり、暴利をむさぼらんとする欧米物質文明の世界支配を打倒し、日本を盟主とする東アジア諸民族の独立と道義的連帯を実現せんとする、「桃太郎説話」の如き幼児退行的幻想が、戦後ヒューマニズムのフィルターをくぐり抜けた上で、屈折した形で鮮やかに再現されている。
 ハリマオが原住民の解放のためにたたかうのは、決して日本の国策に奉仕するためではなく、あくまで原住民自身の生活のためであり、そこに戦後民主主義的理念の(まだ観念的な形骸へと堕していない時代の)ういういしいパトスの投影が感じられるのだが、同時にそれは、マレー語で「虎」を意味するハリマオという、原住民の伝承と結びついた天上的な正義と友愛の使者としての〈貴種〉による説話的な救済の物語でもあって、そこに、戦前から五〇年代まで脈々と継受されてきた土俗的な共同性の体液がにじみ出ているのである。
 戦中派である私の父もこのドラマを懐かしさをこめて熱心に見ていたし、私より上の「団塊の世代」の人たちは、私たちの世代以上に、この作品から鮮烈な美意識を注ぎ込まれたはずである。
 特に、主題歌はすばらしいもので、今でも私は、繰り返し口ずさんでいる。
 
《まっかな太陽 燃えている/果てない南の 大空に/とどろきわたる 雄叫び(おたけび)は/正しい者に 味方する/ハリマオ ハリマオ/ぼくらのハリマオ》《空のはてに 十字星/きらめく星の そのように/七つの海を かけめぐり/正義に結ぶ この勝利/ハリマオ ハリマオ/ぼくらのハリマオ》(作詞・加藤省吾、作曲・小川寛興)
 
 三橋美智也の張りのある声で歌われる、雄壮で気宇広大な高揚感に満ちたこの主題歌に沿って、サングラスをかけ日焼けした勝木敏之演ずるハリマオが、首の長いスラッとした筋肉質の雄姿でターバンを風になびかせながら、さっそうと馬に乗って駆け抜けると、なんともいえぬ胸の高なりを感ずる。鞭打たれてあえぎながら強制労働に従事する原住民たちの苦境を救ったハリマオが、かすかに微笑みながら、人々の歓呼にゆるやかに手を振って応える姿が、また一幅の絵のように美しい。
 ここでも、五〇年代のあらゆる子ども向けテレビドラマと同様、登場人物一人一人の個性などというものは問題にならない。ハリマオという主人公はあくまで、われわれの無意識の深層に息づく説話的な美意識の原型に訴えるものであり、地上の不条理な境遇に緊縛された人々にとっての神の使者の如き〈救済〉のシンボルにほかならず、この世にはびこる悪もまた、テレビを見る子どもの眼にとっては、世界の醸成する汚濁の象徴にすぎない。
 そして、これら一連の幼児的な説話的構成に躍動する生命感を与えているのが、〈馬のひずめ〉なのである。
 〈馬〉とは、単なる動物の一種ではない。われわれの内に眠る原始的な血液を目覚めさせ、沸き立たせるメタフィジカルな象徴性をもった神秘な存在なのだ。
 馬のひずめが大地を踏みならし、たてがみが風を切り、その優美で精悍な疾走のさまが天地の気と響き合う時、われわれの全身の血は激しく燃え上がる。「自動車」などという、狭苦しい檻のような「箱」に身体をはめ込んで、得意気にせかせかと動き回っている現代人のぶざまな文明人づらとは、雲泥の差だ。
 この優しく、感じやすい繊細な草食動物のどこに、あのような猛々しい力が秘められているのであろうか。
 哀しいことに、現代人は、競馬の勝敗などに目を血走らせて一喜一憂しているくせに、〈馬〉の躍動が象徴的に喚起するこのような原始の野性の香りをこれっぽっちも感じ取ることができないのだ。
 時代劇などを見ていて痛感するのは、馬のひずめの音もまた、今と昔とではずいぶん違うということである。犬の遠吠えが、今と昔とでまるで違うように。
 五〇年代から六〇年代の馬には、たしかに、今の馬にはみられない、遠くはるかにこだまする生気溢れる響きがあった。
 それは、飼いならされ切っていない、野性の魂の響きだったのだ。
 
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 五〇年代から六〇年代初頭まで息づいていた生命的な闇の香りは、六〇年代に加速度的に進展する高度経済成長の中で急速に衰弱・消滅してゆくが、それでも一九六四年までの六〇年代前半においては、まだ日本社会の内に根強く残存していたといってよい。
 この時代の闇の感触を最もよく象徴し得ていたのは、子どもたちの間で一世を風靡した「忍者物」である、中でも、新左翼系の大学生たちに、マルクス以上に大きな影響を与えたといわれる、白土三平の『忍者武芸帳』をはじめとする一連の残酷忍者マンガと、テレビドラマでは、実写物の『隠密剣士』や白土マンガを原作とするアニメーション『風のフジ丸』を代表的なものとして挙げることができよう。
 白土マンガの特徴は、周知のように、天災や飢饉や圧制や差別によってぎりぎりの生存条件下に置かれた農民や、さらにその農民からも排除された非人たちと、大名などの領主権力の間に繰り広げられる血みどろの階級闘争の地獄図と、生きるための獣的なたたかいの凄まじさと、その闘争の間を縫って跳梁跋扈(ばっこ)する忍者たちの死闘や謀略、忍技の数々のからくりの、ミステリアスな面白さにある。
 だが、白土マンガをイデオロギー的にみる限りは、通俗マルクス主義的な唯物史観と、ダーウィニズム的な適者生存・自然淘汰の原理と、人も含むあらゆる生き物の生態や自然現象を、因果律と確率論にもとづく偶然と必然の運動によってもっともらしく説明しようとする擬似科学的な合理主義以外の何ものでもない。
 それらの根底にある理念は、存在から一切の生命的な意味づけと価値づけとを剥奪した西欧近代的なアトミズム的世界観であるといってよい。
 しかし、白土作品の発散する強烈なエロス性は、実は、そういった底の浅い近代主義的図式性にあるのではなく、存在そのもののはらむ、荒々しい中世的な闇のカオスのエネルギーにある。
 白土マンガの舞台は、戦国末期(十六世紀末)から江戸時代前期(十七世紀)の社会となっているが、これは、中世から近世への移行期に相当する。
 戦国後期から江戸期にかけての〈近世〉という時代は、農業生産力が飛躍的に上昇し、鉱業、林業、漁業などの諸産業が大きく発展し、都市と農村の分業によって商工業が空前の繁栄を迎え、わが国が真に文明化を遂げた時代であった。それは、厳密に言えば、十六世紀後半(戦国後期)から十七世紀前半にかけて形成され、十七世紀後半に成熟し、完成を迎えた、ひとつのユニークな文明のエポックにほかならない。近世は、わが国の農耕社会が真に成熟した時代であり、日本史上稀にみる穏和で礼節に厚い親和的な人間関係と、それに支えられた新しいモラルが形成されていった時代でもある。
 最近出版された渡辺京二の優れた社会史的労作『逝きし世の面影』(葦書房・一九九八)の中でも生き生きと説得的に描写されているように、士・農・工・商という身分制度も、必ずしも理不尽な差別のシステムとみるべきではなく、むしろ、共同体による「職能分化」と「棲み分け」による自己充足的な生の様式とみるべきなのである。
 時に襲い来る天災・疫病・飢饉や乳幼児の死亡率の高さなど種々の暗部を抱え、また、江戸後期には、貨幣経済の浸透による農民層の分解など、さまざまな矛盾を生み出してはいたが、近世社会には、近現代の社会には見られない穏やかさと安らかさの一面があった。
 それは、十三世紀後半から十六世紀前半にかけての三百年に及ぶ〈中世〉の動乱と階級的な軋轢(あつれき)による〈試練〉の時代を経て、試行錯誤の果てに形成された、叡智と成熟の産物であるといってよい。
 生きるための獣的なエネルギーが渦巻く白土劇画の舞台は、階級的な軋轢と共同体間の抗争に明け暮れたアナーキーな状況下で極度の低生産力水準と自然の猛威に翻弄され続けた、不条理で酷薄なカオスの時代である〈中世的世界〉こそがふさわしい。十六世紀末から十七世紀という近世初期は、まだ殺伐とした中世的空気感が濃厚に漂っていた時代であるから、白土劇画のような舞台設定も可能となるのである。
 白土三平の作品世界もまた、登場人物の〈個性〉などというものは問題としていない。
 登場人物はすべて、善も悪もなく、ただひたすら生き抜くために、生存条件の限界ぎりぎりのところでもがきぬく存在であるか、または、あらかじめ己れを囲い込んでいる共同体の課してくる至上命令に従って、即自的に身を犠牲に供すべき存在として描かれている。
 狼や犬や熊や鳥などの動物と完全に等価な存在として人間という生き物を描いているところに白土マンガの魅力があり、それは、一見ダーウィニズム的な自然淘汰や食物連鎖的な視点による非情酷薄なアトミズム的世界観に立っているようにみえるが、その奥にある真髄は、むしろアジア的なホーリズムの世界観であるといってよい。
 恐るべき不条理に抗い、それを超えんともがき抜く登場人物の獣的なエネルギーをひき出している根源は、個人としての存在や人間的な価値や善悪をはるかに超越した、虚無と生命への衝動という、存在の両義性の〈闇〉が産み出す、獰猛な荒魂(あらみたま)のうねりなのである。
 一切の近代主義的なイデオロギーの仮装を剥ぎ取った後に露呈するこのような中世的な荒魂のコスモスこそ、白土作品における不朽の真髄であるといってよい。
 鶴見俊輔によれば(氏との談話による)、白土三平は、今西錦司の生物社会学の信奉者であったとのことである。
 今西は、周知のように「種社会」という概念を唱え、〈個体〉に生命存在の究極の根拠を求めるのではなく、種のレベルにおける進化と種社会の相互適応を重視し、動植物を含む地球全体の進化を、ひとつの生ける生命体とその分岐形態による生成の過程としてとらえようとした。
 白土三平が、今西生物学にいつ、どのような影響を受けたのかについては私は何も知らないが、ダーウィニズムを生涯の最大の敵としてたたかいぬいたこの強靭で感性ゆたかなホーリストの生物学者に対して、彼が深いシンパシイを抱いていたとすれば、それは、白土マンガの背後に潜む生命論的な世界観の本質に対して貴重な示唆を与えると共に、この焼けただれたような不幸な幼少体験と険しい資質を担わされた作家に対して、なにか救いのようなものを感じさせる。
 白土マンガの中世的な荒魂の世界は、寺山修司の短歌世界やりんたろう監督のアニメーション作品などと同様、大戦期前後の不条理をくぐり抜けた昭和初期生まれの世代が強いられた、ひとつの苛酷なたたかいの身構えを感じさせるが、同時に、戦前社会から五〇年代・六〇年代初頭まで脈々と息づいてきた土俗共同体的な闇の深さを強烈に印象づける。
 そして同時に、その闇の生命が、科学的合理主義を至上価値としてふりかざすアトミズムと唯物論的機械論的世界観に立脚した〈近代〉の攻勢を受けながら、懸命にその要求に適応せんとした、痛ましい〈妥協〉と〈歪み〉の産物とみなすこともできる。
 それは、五〇年代の日本社会に息づいていた穏やかな親和性に満ちた繊細な和魂(にぎみたま)を削り落としたところに成立した、偏頗(へんぱ)で肉食的な生の身構えであった。
 真の魂のすこやかさは、荒魂と和魂の微妙な均衡とダイナミズムによって支えられる。神秘に身をゆだねる安らぎの心と獰猛なたたかいの身構えの両義性を物語的に生き、止揚し得るところに、はじめて人は、幸福な良き生を全うし得るのではあるまいか。
 白土作品の偏りは、その意味で、六〇年代という近代化と経済至上主義に急速に蝕まれつつあった時代によって追いつめられた土俗の宿命を暗示している。
 それは、後の八〇年代において、中上健次の文学が、より苛酷で絶望的な情況の下で強いられた歪みと苦渋を、ある意味で先取りするものであったといえよう。
 白土三平が適応を強いられた悪しき近代主義は科学信仰と唯物論であったが、そこではまだ、ヒューマニズムや社会主義やアナーキーな自由という幻想がかろうじて生き続けていた。しかし、中上健次が屈従を強いられたイデオロギーは、ポストモダンという、ありとあらゆる価値を解体し尽くし、生身の実生活と人間らしい自然な情緒までも死に追いやろうとする、近代主義の最後の衰弱し切った観念論的形態であった。
 白土の忍者物が大ヒットした六〇年代には、まだ、日本社会には前近代的・共同体的なぬくもりと大らかさが息づいていたが、中上が精力的な創作活動を展開した八〇年代には、もはや生命的な身体感覚の残滓は完全に一掃され、社会は、空虚な疑似コミュニケーションとヴァーチャルなイメージ価値の氾濫に覆われていた。
 中上健次のような、繊細でエロス的な飢渇感の強い、肉体派の作家の心身を追いつめてゆく諸条件は整いすぎていたのである。
 更年期にさしかかった中上を蝕んだ高度産業社会の病理は、寺山修司や伊丹十三を死に追いやったそれと、おそらく同じ本質をもつものであった。
 
     6
 
 六〇年代前半の子どもたちの間で大ヒットした宣弘社プロダクションによる忍者アクションドラマ『隠密剣士』(一九六二年秋から六五年春放映)では、白土マンガとは対照的に、穏やかで成熟した江戸後期の農耕社会を背景とする、ゆったりとした優しい時間が流れていた。
 ロケに使われた森や渓谷や山なみ、街道筋の旅人の姿や町屋など、どれも自然さを失っていない素朴な景観が溢れていて、今見直してみても心がなごむ。
 俳優たちのセリフの中にも、七〇年代以降の時代劇からは完全に消失してしまった、古い伝統的な格調のある漢語や言葉遣いが随所に散りばめられていて、その響きに耳を傾けるだけでも、今の私は万感胸に迫るものがある。
 松平定信が老中首座を勤めていた十八世紀末の寛政年間という穏和な時代に、凄腕の超人的な忍者集団を登場させ、殺伐とした斬り合いを演じさせること自体、全く場違いな設定というべきであるが、それがかえってこのドラマに、妙にうら哀しい喩的効果を与えていた。
 というのは、この作品に登場する伊賀・甲賀・風摩などの忍者集団は、いずれも、謀略や暗殺によって幕藩体制を揺るがし、忍び者を無用の存在たらしめた二百年にわたる平和な世の中を、再び大名の抗争渦巻く元亀・天正の頃の戦国の昔に戻すことで、存分に腕をふるえるような世を招来したい、という狂的な夢想にとり憑かれたドン・キホーテ的存在だからである。
 忍びとは、森羅万象の響きに耳を傾け、己れの気配を断って隠形(おんぎょう)し、さまざまな秘術によって、常人の時空を超越する、闇の化身である。
 子どもにとって、忍者とは、肉体の自在な飛翔を通して非日常的な闇への渇きを満たしてくれる憧憬の対象であり、日常生活の息苦しさからの解放のシンボルにほかならない。
 しかしその一方で、忍者は、常に共同体の理不尽な掟に縛られて上位権力の卑小な目的のためにひたすら奉仕させられ、使い捨てられる哀れな存在でもある。
 忍者という存在には、このように、闇の化身としての非日常的なふくらみや自在感と、制度的なヒエラルキーや共同体にがんじがらめになった地上的な緊縛のイメージという、両義性が込められている。この両義性は、そのまま、前近代的土俗的な共同体社会のもつ両義性を象徴するものである。
 『隠密剣士』では、こういう両義的存在である忍者たちが、場違いな平和な世の中で、昔の夢を追い求めて跳梁し、法と秩序の守り手であり、ヒューマニストでもある公儀隠密秋草新太郎(十一代将軍家斉の異母兄)の手にかかって次々と倒されてゆく。
 それは、高度経済成長に伴う近代化の力によって急速に駆逐されてゆく、前近代の闇のうら哀しい象徴でもあった。
 大瀬康一演ずる秋草新太郎の〈貴種〉の匂いの漂うはればれとした笑顔と、個人の幸せを希う思いやり溢れるヒューマニストの面目躍如たる姿にもかかわらず、この番組を見終わった時の私には、毎回、なにか後味の悪い悲哀感のようなものが残っていた。それは、死んでいった忍者たちの、恨みがましい妄執のようなものの感触であったようにおもう。
 特に、敵(かたき)役の天津敏演ずる風摩小太郎や甲賀の金剛には、そういう気配が濃厚で、なんともいえぬ苦渋に満ちた険しい重厚な存在感が漂っていた。この人は海軍出身で、俳優になったのは大変遅い苦労人の生活者であったが、子ども向け番組だからといって、ささいな所作や表情・メイクも決しておろそかにはしない、恐ろしく芸熱心な役者であった。
 この名優がいなければ、『隠密剣士』は、あのような長寿番組にはならなかったろう。
 今ふり返ると、天津敏にも、かつて『月光仮面』や『ハリマオ』を作った宣弘社プロの制作者たちにも、急速に形成されてゆく戦後市民社会がふりかざす、民主主義とヒューマニズムの光の前にたじたじとなりながらも、おそらく、無意識下には、追いつめられ、消滅へと向かう土俗の闇に対する悲哀と愛惜の念が息づいていたのではないか、と思われてならない。
 特に、一九六四年から六五年にかけてはその想いが濃厚に立ち込めていたようにおもう。
 一九六五年の三月に放映された『隠密剣士』の最終回では、大瀬康一演ずる秋草新太郎は、この世の一切の恩愛の絆を断ち、重傷を負った天津敏演ずる甲賀の金剛とただ二人連れ立って、いずこともなく小舟に乗って海のかなたへ遠ざかってゆく。この同性愛的な〈道行〉のような唐突なラストシーンは限りなく哀切で、ひとつの古き良き時代が終りを告げたことを私たちに感じさせる。(この稿続く)




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闇の喪失―ある戦後世代の追憶―(連載第1回)  川喜田八潮

  • 2016.02.18 Thursday
  • 15:38
 
      1
 
 私は一九五二年生まれだから、二十世紀後半の五十年近くを生き抜いてきたことになる。
 私が生まれた頃、日本社会は、大量の失業者を生み出したドッジ・ラインによる強引なデフレ政策と朝鮮戦争の特需景気で一気に独占資本中心の戦後資本制の再建を成しとげ、終戦以来の飢えと極貧の時代を抜け出すと共に、アメリカのバックアップの下に自民党の長期単独政権による高度経済成長への途を準備しつつあった。
 しかし、それはまだ古き良き時代だった。
 巨大な犠牲を払いながらも、日本人はこの時期ようやく最悪の貧しさから脱しつつあり、経済的にひと息つけるようになってきたし、まだ産業の中心は第一次産業(農林水産業)、特に農業にあり、農村的な土俗の闇の深さと季節感ゆたかなゆったりとした時間の流れ方が社会を覆っていたからである。
 国勢調査によれば、一九五〇年には全就業者数の四十八・五二%が第一次産業の従事者であり、その内農民は全産業人口の約四十五%を占めている。それに対して、商業・サービス業などの第三次産業の人口は二十九・六二%しか占めていない。しかしこの後、高度経済成長の開始によって、農業人口は一九五五年には約三十九%、六〇年には約三十一%に減少し、さらに六〇年安保以後の高度経済成長の加速度的進展によって、六五年には約二十三%、高度成長完了の一九七〇年には約十八%にまで落ち込んでしまう。
 対照的に、第三次産業の人口は、一九六〇年には約三十八%と、第一次産業をうわ回り、六五年には約四十三%、七〇年には約四十七%と、ついに半数近くに達している。
 一九五〇年と一九七〇年では、ちょうど逆転した産業構造になっていることがわかる。
このことは、日本社会において、巨大な〈風景の逆転〉が生じていたことを示している。
単に農村が消えていったとか、サラリーマンが増えていったとか、環境が物理的に破壊・汚染され、団地・マンションやコンクリートだらけの風景に変貌していったとかにとどまらず、私たちの身体感覚の奥ゆきやふくらみが狭められ、消失し、科学とヒューマニズムと疑似コミュニケーションによる、均質化した、平板で観念的な世界風景に置き換えられていったのである。
 それは、人々の〈孤〉としての固有の身体性を深々と包摂し、賦活していた生命的なコスモスとしての〈闇〉を削ぎ落とし、何の陰影もない、つるつるした偽りの〈光〉に満ち溢れた「市民社会的個人」という、観念的で薄っぺらな断片的存在を析出させていく過程にほかならなかった。
 一九七〇年に私は高校三年生であったから、私自身の誕生から青年期までの歴史は、まさに、己れ自身の身体の〈痛み〉を通して、〈闇の喪失〉という、戦後史の最も劇的な魂の頽落のドラマに立ち会わされた時代だったことになる。
 私は、子どもの頃の風景をよく憶えている。
 夜の闇は今よりもはるかに深く、月は冴々とし、風のうねりや樹々のざわめきは身の内にこだまし、しじまのささやきや天地の気配は、はるかに身近に感ぜられた。
 裸電球やろうそくの灯りに照らされた陰影の深さは、夜道を歩く人の背中や足音にも、また、家族の会話や沈黙にも奥ゆきと落着きのあるわびしさを与えていたし、犬の遠吠えすら、今と昔ではまるで違うのである。
 それは、当時のテレビ・ドラマにも鮮やかに映し出されていた。
 私の幼児期に当る一九五〇年代は、白黒テレビドラマの黎明期でもあった。
 白黒テレビとカラーテレビでは、世界の視え方がまるで違う。白黒の映像は、光と闇のたった二色の濃淡によって、人の表情から風景の陰影、存在の奥ゆきを表現しようとする。森羅万象の彫りの深さは、凡百のカラー映像の平板さとは比べものにならないのである。
子どもたちが当時熱中して見ていた『月光仮面』や『七色仮面』のようなアクション物には、「どくろ仮面」とか「サタンの爪」とか「キング・ローズ」といったような、リアルなしゃれこうべや三日月型に口が裂けた釣り目の怪人の不気味な彫刻の仮面をつけた悪役が登場する。
 彼らの立てる靴音の響きや、漆黒の闇の中から幽鬼のように立ち現われるさまは、子どもにとっては、まさに死と魔界の象徴のような凄まじい妖気を漂わせており、それに対峙する正義の使者としての月光仮面や七色仮面には、闇の中から紡ぎ出されてきた透明な光の化身のような、不思議な静寂と神秘性とがつきまとっていた。
 当時の子ども向けの勧善懲悪ドラマには、単なるヒューマニズムに解消されないような、存在の暗がりと両義性の気配が象徴的に映し出されていた。悪人も善なる主人公も、共に、可視的な個人としての輪郭というものをほとんど備えておらず、むしろ、存在の闇の化身として、仮りそめのこの世に姿を現わしているにすぎない。そう感じさせるような、日常風景の深みとふくらみとが、当時の人々の生活の中にはまだ息づいていたのである。
 こういう神秘な生存感覚は、たとえば、一九五四年に上映された中村錦之介・東千代之介主演の『笛吹童子』という怪奇ファンタジー時代劇にも、生き生きと表現されていた。
 応仁の乱後の荒廃し切った世を舞台とし、「しゃれこうべ」を旗印とする野武士の集団に親を殺された丹波国満月城の城主の子萩丸・菊丸の兄弟が、苦難を乗り越え、やがて「白鳥党」という正義の集団をつくり、悪の化身を滅ぼしてこの世を浄化するというストーリーで、当時大ヒットした北村寿夫脚本によるラジオドラマが原作となっている。
 しかしここでも印象的なのは、五〇年代のあらゆる子供向けアクションテレビドラマと同様、ストーリーの稚拙さや人間描写の素朴さにもかかわらず、映像の中に象徴的に込められた闇の深さであり、また闇と光の葛藤による存在の両義性の鮮やかさである。
 とりわけ美事なのは、白面の美少年だった中村錦之介演ずる菊丸が、しゃれこうべ党に象徴される悪を倒すのに、武力や駆け引きによってではなく、たった一人で「白鳥の面」を作り上げるという特異なたたかい方をする点である。
 すなわち、この主人公は、世俗的な成功や権力や富の力によって何事かを成就しようとするのではなく、ひたすら、己れの深奥の衝迫に根ざした、まじりっ気のない孤独な表現営為によって、世界の〈気〉の流れを変え、この世を浄化せんとする、不可視の、報いを求めぬたたかい方を択んでいるのである。
 こういう、アクションドラマでありながら全くアクションを行わず、一切の現世的な〈作為〉というものを弄さない、地味で穏和で芯の強い主人公の造型の仕方は、勧善懲悪を骨子として象徴的に世界の救済を描いてみせた古今東西のありとあらゆるファンタジーや説話文学や冒険活劇をみわたしてみても、(ロシアや中国などのある種の民話を除けば)あまり類をみないものではあるまいか。
 こういう造型を可能にした要因の一つが、一九五〇年代という時代の前近代的・土俗的な闇の深さの感覚、すなわち、森羅万象とのアニミズム的な交感の感受性の残滓にあったことはまちがいない。
私は、幼児期に母が読みきかせてくれたさまざまな絵本に載っていた、挿絵の姿と色彩の感覚を、今でも鮮やかに憶えている。特に強烈だったのは『安寿と厨子王』や『ゆりわか大臣』『源為朝』の絵で、生きて飛び出してきそうなほど、肉感溢れる、リアルで野性的な、それでいて恐ろしく幻想的な香りを漂わせた日本画の作品だった。
 現代の大人の眼からみて芸術的にどの程度の作品であったかが問題なのではない。子どもの身体感覚をこのように揺さぶることのできた挿絵が存在し得たという事実が、重要なのである。これらの絵には、まぎれもなく、今の児童文学や絵本などには、ほとんど全くといっていいほど見出すことのできなくなってしまった、深々とした生命的な闇の気配が濃厚に立ち込めていたのである。
 ここでも、哀切な業苦と宿命を生き抜く主人公たちの姿は、可視的な物理的肉体をもったアトム的な個人としてではなく、混沌とした存在の闇の化身として、森羅万象のただ中から紡ぎ出されてきた者のように描出されていた。
 物語の真の主人公は、人であって人ではない。
 中世の説経節や幸若舞に材をとったこれらの絵本が幼い私の魂に刻印した世界風景は、禍々しい理不尽なデーモンに抗する獰猛な荒魂(あらみたま)と、己れをはるかに超越した神秘なはからいに身をゆだね、浄化と鎮魂の時を紡ぎ出す、繊細で柔和な和魂(にぎみたま)による、ダイナミズムのドラマにほかならなかった。
 小ざかしく幼稚な、散文的で啓蒙的な文体と、何の陰影もふくらみも無い、平板でマンガチックなイラスト風の画像が我が物顔でのし歩く今日の児童書の世界では、想像もつかないような、こういう深々とした、奥ゆきのある絵本の数々が存在し、その香りを胸いっぱいに吸い込めるような多くの子どもたちが存在し得ていた時代が、たとえ一時(いっとき)にせよ、わが戦後史の中にあり得たという事実に、私は改めて驚異の念をおぼえるし、そういう時空とめぐり会えた僥倖に、心から感謝のおもいを抱かずにはいられない。
 
      2
 
 もちろん、子どもと大人では、視えている世界風景は大きく異なっている。大人には、子どものようなみずみずしい身体感覚のふくらみや躍動はなく、潜在的な死と孤立の意識に備えるために、さまざまな〈観念〉によって支えられた生の代償装置を身につけているからである。
 しかし、映像や画像にせよ、言葉にせよ、子どもを対象としたあらゆる表現は、その時時の、大人性と子ども性の内面的な〈接点〉の生み出した産物である。
 大人たちが、身体的な奥ゆきのない、観念的で薄っぺらな生き方をしている時代には、そういう大人社会の空気に汚染された家庭や学校で時を過ごす子どもたちの内的風景もまた、薄っぺらなものにならざるを得ないし、両者の〈接点〉である子どもを対象とした作品も、薄っぺらなものになるか、さもなくば、毒々しい病理的な苦しみに満ちた表現にならざるを得ない。
 逆に、大人たちが、たとえどれほど限定された領域にせよ、ともかく、生き生きとした自然な生身の感受性を温存し得る固有の生活世界というものをもち、他者や存在への生きた共感能力を備え、濃密な日常の物語を紡ぎ出すことができている時代には、子どもたちの世界風景もまた、陰影とふくらみのある香りゆたかなものになるし、みずみずしい抒情性が育つのである。
 たとえ、そのような生身の共感能力がどれほど小さな領域に限られていたとしても、大人の中にそういう位相が存在し得るという事実それ自体が、子どもにとっての深い救いとなり、彼らの魂を育む力となるのだ。
 まことに、子どもとは、その時代時代を生きる大人たちの生きざまを映し出す鏡なのである。
 一九五〇年代の子どもの内的風景が、深々とした闇とみずみずしい光に溢れたゆたかな内実をもち得ていたとすれば、それは、同時代を生きていた大人たちの生活実体が、たとえどれほど貧困や地上的な不条理に緊縛され、痛めつけられていたとしても、なお、神秘なふくらみと抒情の輝きを備えた、濃密な物語性を生き得るものだったからである。
 次のような詩は、このような五〇年代の内的風景を前提とすることによって、はじめて誕生し得た作品であった。
 
《おれたちの革命は七月か十二月か/鈴蘭の露したたる道は静かに禿げあがり/継ぎのあたった家々のうえで/青く澄んだ空は恐ろしい眼のようだ》《革命とは何だ/瑕(きず)のあるとびきりの黄昏/やつらの耳に入った小さな黄金虫/はや労働者の骨が眠る彼方に/ちょっぴり氷蜜のようにあらわれた夕立だ//仙人掌(さぼてん)の鉢やめじろの籠をけちらして/空はあんなに焼け……/おれたちはなおも死神の真白な唾で/悲しい方言を門毎に書きちらす//ぎなのこるがふのよかと(残った奴が運のいい奴)》(谷川雁「革命」より)
 
 この詩では、比類のない美しさをもった非日常的・天上的な言葉の数々、「鈴蘭の露」「青く澄んだ空」「とびきりの黄昏」「氷蜜」等々は、「禿げあがり」「継ぎのあたった家々」「瑕」「労働者の骨」等々といった、痩せ細った酷薄な地上的現実の匂いを漂わす言葉と鋭く対比されることで、その鮮烈さをきわ立たせている。
また、「仙人掌の鉢」や「めじろの籠」といったような、日常的で微温的なつかの間のいこいの時を象徴するような言葉に対して、「けちらして」と続け、「空はあんなに焼け……」といった悲哀感のこもった非日常的な現世離脱の言い回しをもってくることで、〈日常性〉への嫌悪と拒否の姿勢を強調してみせている。
 そして、締めくくりに、朽ち果てつつあった土俗の無念さのおもいを象徴するかのように「死神の真白な唾」で書きちらされた「悲しい方言」という表現が使われる。
 この詩に透視されるものは、己れ自身の、存在者としての強烈な〈欠損〉の感覚であり、たとえようもない喪失感の深さであり、不条理な地上的緊縛から離脱せんとする、天上的衝迫の強烈さである。
 その意味では、この詩の美意識は、フランス象徴派風のヴァーチャルで観念的な虚構意識によって支えられたものだといってよいが、しかし同時に、ここで紡ぎ出された天上的な言葉の数々ににじみ出ている、なんともいえぬ生々しい官能性の手ざわりは、幼児期以来のこの作者の身体的記憶の数々と、その記憶を生き生きと賦活しうるような、五〇年代という時空の前近代的土俗的な闇の気配が生み出したものであるといってよい。
 「おれたち」という言葉にも垣間みえるような、大衆の土俗的な魂の深みに対する確信に満ちた〈共苦〉の感覚をもちながら、これほどに大衆の〈日常性〉を拒絶し、他者への断絶意識の深さを抱え込んだ現代詩人はいない。
 並外れた〈個〉としての近代意識の鋭さと滅びゆく土俗的な世界への共生感情を、メタフィジカルなレベルで奇跡的なまでに融合し得た空前絶後ともいうべき現代詩人が、谷川雁という人物であった。
 この詩人が夢想した「革命」や「社会主義」のヴィジョンが、彼以外のあらゆる左翼知識人の使ったそれといかにかけ離れたものであったかをおもう時、私は、今でも深い嘆息の思いを禁じえない。
〈日常性の欠落〉こそは、谷川雁のアキレス腱であったが、しかし、この詩人が取り組んだ〈個〉と〈類〉の止揚という人類史の先端的なテーマに対して、散文的で貧寒な地上的リアリズムの眼によって染め上げられた現代人の痩せ細った生活理念をもってきても、何の意味もない。
〈個〉と〈類〉の止揚という、脱近代に向けての課題に対して、〈日常性〉という概念が、真に有効にクロスし、繰り込まれるためには、現代人にとってもはや痼疾と化している既成の均質化された平板な日常感覚=生活風景というものが、全く新たな次元に生まれ変わらなければならないのである。
 
      3
 
 一九五〇年代を生きた日本人の心のかたちというものが、そのことを教えてくれている。
 この時代の日本人大衆の日常生活意識が、六〇年代後半以降の、とりわけ七〇年代以降の日本人のそれと、いかにかけ離れたものであったかは、五〇年代の人々によって愛された歌の数々を味わってみるとよくわかる。
 例えば、次のような歌詞である。
 
《山には山の 愁いあり/海には海の かなしみや/ましてこころの 花園に/咲きしあざみの 花ならば》《高嶺の百合の それよりも/秘めたる夢も ひとすじに/くれない燃ゆる その姿/あざみに深き わが思い》《いとしき花よ 汝(な)はあざみ/こころの花よ 汝はあざみ/さだめの道は はてなくも/かおれよせめて わが胸に》(「あざみの歌」作詞・横井弘、作曲・八洲秀章)
 
 ゆったりとしたメロディーの中に深い哀愁のこもったこの歌は、一九五〇年の「NHKラジオ歌謡」で流された。(もちろん、テレビはまだ茶の間に登場していない。)
 歌謡番組を対象としてこういう作品がつくられ、それを多くの大衆が愛した時代というものを、私は慕わしくおもわずにはいられない。
 なんという、つつましく繊細で、香りゆたかな歌であろう。不自然な情緒の作為というものが全くなく、傷つきやすい、もろく内気な魂が、「あざみ」の可憐で痛々しいたたずまいの中にひっそりと託されている。
 当時の日本人が、貧しさや病や血族との葛藤やひき裂かれた人間関係に苛まれて、もがき苦しんでいたことも否定することはできないが、この時代の人たちは、己れの生活の哀歓を、このような抒情によってしみじみと表現し、享受し得ていたのである。
 もうひとつ引用してみよう。
 
《だれかさんが だれかさんが/だれかさんが 見つけた/小さい秋 小さい秋/小さい秋 見つけた/目かくし鬼さん 手のなる方へ/すましたお耳に かすかにしみた/呼んでる口笛 もずの声/小さい秋 小さい秋/小さい秋 見つけた》《だれかさんが だれかさんが/だれかさんが 見つけた/小さい秋 小さい秋/小さい秋 見つけた/お部屋は北向き くもりのガラス/うつろな目の色 とかしたミルク/わずかな すきから 秋の風/小さい秋 小さい秋/小さい秋 見つけた》(「小さい秋見つけた」)
 
 サトウハチロー作詞・中田喜直作曲の周知の名曲であるが、ここでは、季節の移りゆきの繊細な気配の中に、生活意識の深い陰翳がさりげなく映し出され、日常の瞬時の物語性が鮮やかにすくい取られている。
 ここでも、表現はいささかも不自然さを帯びていない。こういう歌詞を可能ならしめた背景は、この時代にまだ生き生きと残存し得ていた、農村社会のゆったりとした融和的な自然意識と、みずみずしい生身の皮膚感覚であるといってよい。宮崎駿監督のアニメーション『となりのトトロ』と同質の時空意識がここには流れている。
 おもえば、一九五〇年代とは、不思議な時代であった。
 同じく、農村人口の多い時代といっても、戦前昭和初期とも終戦直後とも全く違う。
 昭和初期は、深刻な不況と資本制の膨化によって村落共同体的紐帯が解体にさらされ、それに対する国民のヒステリックな反動が、天皇制共同体国家と大東亜共栄圏の建設という幼児退行的なイデオロギーへの滅私的なのめり込みとなって表現された時代であった。
 終戦直後は、その天皇制イデオロギーの吸引力が崩壊し、生身の現実に突き返された大衆が、飢餓と極貧の渦中で、生きるためのエゴイズムの修羅場を展開した時代であった。
 五〇年代は、そのいずれの世相とも違う。
 戦後社会が、巨大な犠牲を払いながらも、ようやく最悪の貧しさから解放され、人々の気持に一抹のゆとりが生まれると同時に、まだ巨大な農民人口を抱え、農村社会的なゆったりとした時間意識と、生活を取り巻く諸々の存在に対する融和的な生命感覚が温存されていた。科学的合理主義やヒューマニズムや民主主義をベースとする近代主義的イデオロギーは、ひとつの観念的な擬制として大衆の生活意識を侵食し尽くすまでには至っておらず、人々の世界に対する身体のひらき方は、まだ、みずみずしい生身の皮膚感覚によって支えられた、コスモス的な香りを濃厚に漂わせたものであった。
 六〇年代後半以降、とりわけ七〇年代以降に顕著となるアトム化した市民社会的な個我意識に映じた、均質で散文的な世界風景とは、まるで異質なものだったのである。(この稿続く)
 
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