川喜田八潮公開インタビュー〜失われた闇の世界〜  川喜田八潮

  • 2016.02.18 Thursday
  • 15:47

 この稿「川喜田八潮公開インタビュー〜失われた闇の世界〜」(「星辰」第八号[2004年・春刊行]所収)は、2002年・六月に、当時私が勤務していた成安造形大学の芸術計画クラスの学生諸君が企画・開催した公開インタビューの内容を基に、学生新聞「かうばう」誌上に掲載された文章を再掲させていただいたものである。
 
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 誌上再現・川喜田八潮公開インタビュー(二〇〇二年・六月 於・成安造形大学)
「失われた闇の世界」
 
 昨年六月に行われ、大好評だった川喜田八潮助教授の公開インタビュー。今回、川喜田先生の新訂を加えて「かうばう」誌上に帰ってきた!
 公開インタビューを見た人も見てない人も、失われつつある「闇の世界」について考えてみよう!
 
『となりのトトロ』と『火垂るの墓』の世界風景
 
インタビュアー(以下I) 先生は宮崎アニメの評論を一番初めにされていますが、なぜそのテーマを選ばれたのですか?
 
川喜田先生(以下K) 僕が宮崎アニメ論によって評論家としてのスタートを切ったのは、今からちょうど十年前の一九九二年です。
 どうしてアニメを評論の対象として選んだのかと言うと、全くの偶然なのです。僕はそもそもアニメーションをさかんに享受するような少年期を過ごしていない。一九五二年生まれで、幼児期と少年期は五○年代から六○年代の前半なんですね。この頃アニメーションはまだ映像の中心的な表現手段ではなかった。ウォルト・ディズニーの原作を白黒で、日本で放映したりしていましたけどね。
 小学校時代になると、アニメーションですごく印象に残っているのは、東映の時代劇なんです。『少年猿飛佐助』とか『安寿と厨子王丸』とかね。東映のアニメーションは素晴らしくて、あのゆるやかな、舞いのような曲線っていうのは、七○年代以降の日本のアニメーションではむしろできていない。失ってしまったものです。今日の「失われた闇」っていう問題にも関わってるんじゃないかと、考えています。
 
I はい。
 
K それで、僕はアニメーションよりも実写で育っているんですね。テレビのアニメーションは、僕が小学五・六年頃になって初めて視野の中に登場してきたんです。よく観たのは、『狼少年ケン』と『少年忍者・風のフジ丸』、それに『鉄腕アトム』です。いずれも、熱狂的にはまりました。でも、白土三平さんの『忍者施風』という血湧き肉踊るマンガを原作とする『風のフジ丸』は、今でも大好きで観直してみたいですが、小学校のときあんなに熱中した『鉄腕アトム』の方は、全くもって印象が希薄なのです。
 
I それはなぜなんですか?
 
K そこがおもしろいところなんですね。宮崎アニメと関係してくるんです。
 自分が大きくなって産業社会の中に生きていて、非常に苦しい。そのとき、子供の頃の懐かしい風景を思い起こすわけですよね。そして、思い起こすものは、ほとんど六○年代までの実写の映像と、僕の育った闇の風景の記憶です。人間の顔、街の通りとかね。あるいは、お地蔵さんの祠とか。それで、アニメの『鉄腕アトム』はあんなに熱中していたのに全く思い浮かばない。『ウルトラマン』は、私が中学校の頃に登場したんですが、これも、全然印象にない。
 だから僕はアニメーションを批評の対象として選ぶ縁の最も薄い人間だと思っています。大人になってからもあんまり観てないんです。かみさんが僕より少々若いんですが、『宇宙戦艦ヤマト』を観て育った世代なんです。それで初めて、それなりにおもしろいなぁと思いました。それから後は、八○年代の半ばすぎまで、僕はアニメーションの世界とは全く縁がなかったんです。
 ところが偶然、『風の谷のナウシカ』をテレビで放映されたときに観たんです。それは、すごくおもしろかった。そこで少し、アニメーションに興味が湧いてきたんです。そして『天空の城ラピュタ』を観て、僕が体験した昔の風景と、つながったんですよ。異国の風景ではあるけど、流れている時間や空気がすごく近かった。そして、宮崎駿という作家にある種の懐かしさを覚えて、この人の作品を真面目に観たいなと思ったんです。
 そんなときに『となりのトトロ』を映画館に観に行ったわけです。そしたら、『トトロ』がとにかく良かったんですね。僕の小さい頃の風景そのままだったんです。でもそのあと、同時上映の高畑勲さんの『火垂るの墓』を観たら、せっかく『トトロ』を観ていい気分になっていたのに、天国から地獄に転落したような気分にさせられたのです。僕の中に眠っていた潜在的な虚無が、高畑さんの映像の衝撃力で引きずり出されていくんですよ。それはすごいもので、体の中からブァーと噴き上げてくると同時に、呪縛され、呑み込まれていくんです。だから、映像から一歩も動けなくされてしまうんですよね。
 僕の近代文学的な評価尺度のひとつとして、その時代の病理をどれだけ深くシンボライズしているか、あるいは写実的に描けているかによって文学的な価値を決めようというのがあるんですが、それから言うと高畑さんの『火垂るの墓』は第一級品なんです。
 だけど、僕は『トトロ』の後にそれを観たときに、何か根本的に許せないものがあったんですよ。それは、映画館に結構子供がいるわけですよ。幼児期の子供にこのような世界風景をインプリントしてはいけないと、まず倫理的に考えたわけです。この作品は、人生は生きるに値しないものであるという負のメッセージによって塗り固められています。清太と節子が生きるためにあらゆる努力をする。その努力は非常に見事に描かれている。僕はそれはすごく高く評価するんです。
 ところが、それもとどのつまりはすべて無意味なもがきでしかないというひとつの暗黙のメッセージが画像全体の隅々にまで流れている。それはね、世界の不条理の極限みたいな世界で、シェイクスピアで言うと『リア王』の世界です。シェイクスピアの場合は劇の形だからまだいいんですけど、高畑さんの場合は、アニメーションの手法でとことんリアリズムにしてしまった。
 そして、それは現在の産業社会に生きている我々大人の虚無までひきずり出してしまう。高度産業社会っていうのはむなしい虚妄の文明であって、人間の健気な努力は無に等しい、そういうメッセージ性を僕は強く感じた。
 それで『トトロ』と『火垂るの墓』は、ものすごい光と闇のコントラストの組み合わせだと思った。この組み合わせを映画館で観せることは、なんかすごくシンボリックなことに感じました。このふたつの作品の世界風景は、僕にとって表現する根底に関わる何かだったんです。それが、僕の批評のスタートなんですね。
 それ以前にも、文章は書いていたんですけど、全て無に思える。もう一度、物を考える原点に立ち帰って、『トトロ』と『火垂るの墓』が示唆している世界風景をめぐる問題をとことんつきつめてみなければならない。そう考えました。
 
I 先生の著書『日常性のゆくえ』の中で、高畑さんを批判している文章がありますね。
 
K 今から考えると、誠に気の毒なことをしたなと思っています。これは僕が書き手として、まだ若々しくスタートしたばかりで、自分の気持ちで頭がいっぱいで、高畑さんのことを思いやることができなかった。だから、彼に対してすごく残酷なことをしたなという傷は僕の中にあるんですよね。
 
ポストモダニズムという敵
 
I 高畑さんの『火垂るの墓』の後の作品についてはどう思われますか。
 
K 僕が『火垂るの墓』をけちょんけちょんにやっつけてしまって、読者の中からものすごく賛否の声がきたんですね。
 僕があの本を書いた後の一番大きな事件は、ある大学の先生でね、名前にさしさわりがあるから言えませんけれども、東大出のエリートで、歳は当時三十代の若手でね。その人物は、ある論文の中で、僕のことを、『火垂るの墓』がどれだけ恐ろしい衝撃力と殺気のある作品であるかを初めて明らかにした、と最大限にほめてくれるんです。
 それは僕にとって名誉なわけですが、だけれどもこの本の生命はそこまでだ! と言うわけですよ(笑)。川喜田という男は、家族とか、身体とか、生活といったような、無意味な概念を擁護する奴だって言うんです。すごいことを言う奴だなって思ったんですね。家族、身体、生活。これは無意味だって言うんですよ。
 その論文を見たとき、この人物は、現世に対して、あるいは自分を育ててくれた親、家族というものに対して、どれほどの憎しみを持っているだろうかと思いました。どうしたらこういう男が育つんだろうかと思ったら、その人物の思想の根底にあるのがどうもポストモダンらしいのです。
 僕はそれまで日本のポストモダニストの文章しか読んだことがなかったんですが、ポストモダンはもっと穏やかなものだと思っていました。つまり、制度的な網の目をしたたかにくぐり抜けながらエロス的な差異と戯れて、意味とか価値などの重苦しい桎梏を越えて軽やかに楽しく生きる、という程度の主張だと思っていたのです。
 でもそのとき初めてフランスの原典のポストモダニストの文章を読んでみようと真剣に考えました。そして(ジル・)ドゥルーズと(フェリックス・)ガタリの『アンチ・オイディプス』という本を徹底的に読み込んだのですが、その本によると、家族は資本主義社会に生きる人間の汚らしい本性、所有の病というものを生み出していく源泉であるから、家族という虚構を壊さないとだめだというような、ごく簡略化していえばそういう趣旨の事が書いてありました。だからこの人物はドゥルーズやガタリから強烈にインパクトを受けているんだなと思いました。それから僕はポストモダニズムに対して最大の敵になってしまいました。
 
I 先生は逆に、生活や家族を大切にしないといけないとお考えですか。
 
K 僕は生活や家族という概念は絶対に壊してはいけないと思います。それ以上に大切なのは身体という概念ですね。僕は、ヴァーチャル・リアリティーを全部否定するわけじゃないんですが、身体を否定したところに生まれてくるヴァーチャルならば、僕の理念にとっては敵になる。身体という概念が生き続けている限りは生活と家族という概念はどれだけ歪んでいても生き残るし、生き残らなければならない。
 そして家族というものが本当にピュアな形を取り戻すためには、まず身体というところから考え直さなければならない、と思っています。
 だから僕は、現在の私たちの社会の家族のあり方を必ずしも肯定しているわけではありませんけれども、家族という概念そのものを否定しているわけでは決してありません。身体、生活、家族といった概念を抜きにしたら、人間は地獄に堕ちるという思いがあるのです。
 
虚無的な闇、生命的な闇
 
I  では、もうひとつの先生の大事な要素である〈闇〉についてお聞きしたいのですが、そもそも闇とはどういうことですか?
 
K 僕の批評理念の中で、一番大事なものとして、闇という概念があるわけなんですけどね。私は、先程も言ったような闇の豊かな世界で育ちました。だから、『トトロ』を観て、私の小さい頃の世界だと感じたのです。
 
I 闇というとトトロの森のような世界を言うのですか。
 
K そうなんです。例えば『トトロ』の中に出てくるバス停のシーン、そこにお稲荷さんの祠がありますよね、そして裸電球がひとつある。闇が非常に深くて、そこに雨がシトシト降っている。ああいうのは、私の原風景なんです。それから、例えばサツキが薪を抱えて家の中に持っていこうとすると突風が吹いてきて、薪が舞い上がるシーン、ああいうのもまさに僕の原風景。私は『星辰』の中の「闇の喪失」という文章でこう書いています。
 
「私は、子どもの頃の風景をよく憶えている。夜の闇は今よりもはるかに深く、月は冴々とし、風のうねりや樹々のざわめきは身の内にこだまし、しじまのささやきや天地の気配は、はるかに身近に感ぜられた。裸電球やろうそくの灯りに照らされた陰影の深さは、夜道を歩く人の背中や足音にも、また、家族の会話や沈黙にも奥ゆきと落着きのあるわびしさを与えていたし、犬の遠吠えすら、今と昔ではまるで違うのである」
 
 つまり、これが『トトロ』の世界なんですね。そういうイメージを思い浮かべてもらうといいと思うんです。もっと詳しく闇のイメージを規定しますと、闇というのはコスモスだと考えている。コスモスとは宇宙のことなんですが、宇宙には二種類あるんです。
 ひとつは近代科学が我々に見せている宇宙のイメージですね。ひとりひとりの人間とは何の関係もない客体としての物質があり、その物質が集まって地球という惑星ができ、太陽ができ、宇宙ができるというイメージですね。要するに、世界を構成している森羅万象の存在は、全てがバラバラの個体であって、物理の法則に従って、ぶつかったり離れたりしながら、偶然的にいろんな現象が起きている。このような近代科学的な見方をした宇宙がある。
 この宇宙を仮にユニヴァースといいますと、そのユニヴァースに対して、もうひとつの宇宙をコスモスと呼ぶことができます。これは、ひとりひとりの存在と宇宙が別のオブジェクトではないと考えることです。例えば、山の中に霧が深くたちこめている。その霧と私がつながっている、私であると考えることです。
 
I 霧を私だと考える?
 
K 山も、風も、月も、そして闇も、あらゆるものが私だと考える。刻々と変わってゆく風景が、我々と切り離された、無関係な客体としてあるのではなく、そこにある存在と我々とが、我々を超えた大いなる働きによってある意味を与えられている。そしてそれを私の本体なんだと考える。だからその風景は私の前に偶然に現れた風景ではないですよね。私がその風景を見ていることが、まさに私がそこにいるということなんです。
 そのようにして、私は私でありながら、個体としての私を超えている。私の中に宿りながら、私を超えている。これがコスモス、私の闇の原型なんです。
 だから、闇にはいろんなものがあるんですね。太陽のような、みずみずしい生命的な闇。『トトロ』のシーンで言うと、最初にサツキとメイとお父さんが新しい家に着いて川を眺めると、水がキラキラと光るでしょ。ああいう、みずみずしい生命的な風景も、ひとつのコスモスなんですね。
 逆に、世界の中で破壊の狂気が荒れ狂って、この世界がカオスと凶暴さの姿をさらしているときも闇である。それから何も考えず、ボーッと風に吹かれて溶けていくような気持ちになっているのも、闇のあらわれなんですね。
 闇は、常にそのようにして、虚無と生命、猛々しさと優しさが拮抗するような顔を見せながら、我々の身体の中にうねっているわけですね。そのうねってる存在そのものを私として肯定するわけですね。
 だから、高畑さんの『火垂るの墓』のような虚無的な闇も、ちゃんと私の中で場所を与えられている。だけど『日常性のゆくえ』を執筆していたときは、その場所に呑み込まれたくなかった。そういう虚無的な風景だけを闇だとみなしたくなかったんです。だから、『トトロ』と対比したわけですね。
 
I 『トトロ』は穏やかな闇なのですか?
 
K そうですね。穏やかな、あるいは荒々しいけれども軽快な闇。それに対して、『火垂るの墓』の思想は、どす黒い虚無的な闇を世界の根本だとみなすものですね。
 それで、私の本を論文の中で激しく批判した、先程述べた大学の先生も、その破壊的で不条理なものが存在の根本だといってるんです。僕は、そうじゃない、それは世界の半面であって、他の半面には、『トトロ』のような、生命の層がちゃんとあるんだ、と考える。言い換えれば、この世界は光と闇の戦場であり、ひとりずつの心の中で虚無と生命が絶えず争っている、というわけです。
 我々自身がその虚無と生命の両方を持っていると捉えるべきである。それを天使だけしかないとか、悪魔だけしかないと捉えるのは、偏った見方だと思います。存在は、絶えずその光と闇の(もっと正確にいうなら、闇という根源がはらむ、生命と虚無の両義性の)大いなる葛藤の中で演じられるダイナミズムである、と考えている。善とか悪は、そこから生まれてくる相対的で二次的な概念でしかないと考えています。
 
龍と蘇生
 
I 先生がそういうことを言われるようになったきっかけとして「龍を見る」という体験をされたようですが、もしよろしかったら、そのときのお話をお願いします。
 
K はい。今のことは僕の根本的なテーゼなんですね。宗教なら古代ペルシアのゾロアスター教という宗教。それは、この世界が光と闇の戦場である、と僕と同じことを言っている。僕の思想は自分の生活体験から自然に紡ぎ出したものなんですけど、我が同志だと思って、ゾロアスター教のファンになった。
 僕は一九九〇年代半ばには、その考え方をはっきり確立していて、『現代詩手帖』の「〈光〉の源泉としての〈闇〉─宮崎駿『風の谷のナウシカ』の世界視線」という論文で、光と闇の重層的な葛藤によって世界を視るという思想をすでに語っておりました。けれども、まだ自分自身の身体の内部でデモーニッシュな光と闇が自分を超えたひろがりをもって荒れ狂う、みたいな体験はなかったんですね。
 ところがこれは気恥ずかしい、僕の少数の読者の人だけと共有してきた世界なんですけど、実は一九九八年の秋にひどい胃潰瘍にやられたんですね。これまで僕は予備校の講師を十五年間してきたんですけど、その年はちょうど十二年目で、それまでに一言では言いつくせないような、産業社会のストレス、人間関係に対するストレス、それから、組織に対するストレス、そういうものを溜めこんできた結果、とうとう体がもたなくなって倒れてしまったんですね。
 それで、当時僕は、近代医学というものに対して、色々と懐疑的に思う点があったので、どうしても入院する気にはなれず、自宅療養を貫くことにしました。薬を飲みながら、だいたい一ヶ月くらい寝こんで治したんです。その間一度、あの世に行きかけたんですね。三途の川を渡りかけたときがあったんです。そのときに、体の中からね、龍が立ち昇ってきたんです。
 龍は西洋・東洋ともに絵画に繰り返し描かれてきた素材ですね。例えば明治の日本画家の狩野芳崖という人がいる。彼の龍の絵ほどすごいものはない。観る人が観れば、身体の奥底から震撼させられるはずです。
 それから葛飾北斎は晩年に、いくつもの、迫力のある龍の絵を描いている。北斎は一面ではアヴァンギャルドの元祖みたいなところがありますから、モダン・アートの人にとっても、なかなかしゃれた、インスピレーションを受ける龍になっていると思います。
 僕はそういう龍という形象を、昔から人々が神秘的なシンボルのひとつとして描いてきたんだなと考えてきた。ところが、実際に自分が死にかかったときに、本当に龍が見えた。これは信じない人は信じなくても構わないんですけど、僕にとっては絶対に疑うことのできない真実なんです。
 立ち昇ってきた龍の顔は視えないけど、その鱗ははっきりと視えた。濡れた鱗のヒダの感触まで覚えているんですけど、それが僕の身体の中から出てくるんですよ。龍が立ち昇ってくると、それまで降っていなかった雨がダァーと滝のように降ってきて、幻覚かと思って家の者に聞いてみたら、やっぱりそのとき雨が降ってたって言うんだね。そして稲光りがして荒れ狂ってるんですよ。
 そうしたら何か知らないけどすごく楽になったんですね。あんまり死にそうな感じじゃないんですよ。何か自分の生身の肉体だけは離脱しているような感じでした。そしてその鱗が立ち昇ったとき、僕が龍なんだと確信したんです。
 実はその前の四月の末にも、一度夢の中に龍が出たことがあって、その龍も夢にしては異常なくらい生々しくて、そのときも体調を壊していたのですが、龍が現れると楽になって治ったんですよ。そして実際龍が現われたときに、これは本物だなと思ったんですね。
 D・H・ロレンスは『黙示録論』の中で「龍というのは確かに実在しているんだ」そして「龍の偉大な啓示を知るものこそ新しき時代を生むものである」とそんな恐ろしいことを書いている(笑)。それを思い出して、もう一度読み返してみたんですよ。そしたら、これが見事な文章で、なんとも生き生きとした、龍の存在への確信に満ちた表現となっている。ロレンスは確かに龍を知っていた。狩野芳崖も、葛飾北斎も知っていた。そして私も知っている。龍はいるぞ! と思ったんですよ。
 それで僕の『星辰』という雑誌を始めるときの創刊の辞に当たる「龍と蘇生」という一文を書くことになったんです。少し読ませていただくと、
 
「私たち人間は、己れの存在の根底に〈龍〉を抱えもっている、というロレンスの言葉を、私は、己が全身からの共感を込めて首肯せざるを得ない。〈龍〉はまた、我が内なる広大な〈闇〉の深さそのものにほかならない。そして、我が〈龍〉は、森羅万象に宿りそれを司る有機的生命体としてのコスモスにも、天空に燦然ときらめく星辰の息吹にもつながり、照応し合っている。我々の体感の深層に秘められた宇宙的なひろがりの感覚が、龍という〈気〉のかたちを彷佛とさせるのだ。現代人は、いや近代人は、総じて、この〈龍〉の姿を見喪ってしまった」
 
とこう書いてある。もうここまでくると新興宗教の教祖みたいですけど(笑)、自分の雑誌だからここまで書けるんです。他人様の雑誌にはとても書けない。気兼ねしてしまってね。こういうことが書きたくて私は雑誌を始めたのです。
 そこで僕の闇に対する確信がひとつの頂点に達しました。近代文明の人間疎外に対して闘う基盤が完成したということですね。そこから闇の問題に対する論文がだんだん増えていく傾向にあるんじゃないかな。
 
大正、昭和の闇
 
I 闇の説明のために、先生に絵画を持って来ていただいたのですが、それを見ながら説明していただけますか?
 
K はい。僕の美意識というのは、前近代の徳川時代から明治、大正、昭和にかけての日本人が持っていた感覚、だんだん衰弱しながらもなんとか生きのびていた闇の感覚なんですね。それと一番フィットする画家のひとりとして、梥本(まつもと)一洋さんがいます。
 この方は昭和の初期に活躍し、当時はかなり高い評価を受けていました。悲しいことに戦後の日本画の世界ではあまり高く評価されていません。埋もれてしまったといってもいいかもしれません。去年、梥本一洋展を観に行って、非常に共感するところが多々あった。
 そこで梥本さんの絵の中から、こんなところが闇の感覚の一端だというのをお見せしたい。コンピューターにとりこんだものですので実物とは違うところもありますが、だいたい雰囲気は伝わると思います。
 
(《玉藻化生》・大正十三年)大正十三年、一九二四年に制作された《玉藻化生》という作品の一部で、まだ右半分が発見されていません。だからモチーフはまだはっきりしていません。ただ、あそこに火が燃えていますね。このイメージが「滅亡の予兆」の旋律をなんとなく体現しているようでならない。というのは、大正時代の末から昭和の初めにかけて、文学や宗教や政治の世界に色濃く表れてくる一種の終末意識があるんですね。近代文明の破局への予兆といってもよいでしょう。
 その流れの中で、近代文明がやがて大いなるカオスのもとへ投げ出され戦争が起こるであろう、そして、その戦争の中で新たなアジアの世界が復活するだろうという、後の大東亜共栄圏の発想につながるような、一種宗教的な観念が出て来るのですが、その観念に重なるものがある。「玉藻化生」の意味は後ではっきりさせます。
(《朝長懺法之図》・大正十五年)これはですね、源義朝が平治の乱で敗れて落ちのびるときに、わずか十六歳の息子の朝長を美濃の国で無理矢理自害させてしまう。そのときの浮かばれない霊魂がずっと残っているんですね。それである僧が、朝長の霊を呼び出してその自害させられた無念の思いと父義朝の横死の悲しみを聞いてやろうとしました。そして朝長の霊が自分の過去の物語を話すというストーリーになっている。
 これを見たら分かるように、非常に気品があるんですよ。どうですか、闇を感じるでしょ? 現在の日本人が持っていないような美意識を感じますよね。
 つまり、太平洋戦争の鬼畜米英とかね、大東亜共栄圏の理念、欧米文明は嫌だ、日本の伝統に帰り、前近代の土俗の文明に帰るんだ、とか言って右翼と一緒になって、戦争にのめり込んでいった日本人の狂気の姿がなんとなく先取りされているような気がするんです。
 これは大正十五年で、つまり昭和元年なんです。これからわずか五年後に満州事変が始まりますが、そういった日本人の狂気がこの中に、かすかな予感のように漂っています。
(《鵺》・昭和十一年)ちょうど二・二六事件が起きた年なんですけど、《鵺》(ぬえ)という作品です。「鵺」というのは、平安時代の末の源頼政という武士が矢で射て、殺したといわれる怪鳥なのですが、それは顔が猿で、尻尾が蛇で、手足が虎という化け物なんです。昼間は醜い化け物で、夜になると美しい女性に変身するといわれています。
 その鵺を源頼政が射殺して、「うつぼ舟」と呼ばれる舟にのせて流したといわれているんですね。原図ではもっと暗いのですけど、これは夜の闇を表しています。ですから美しい女性になっていますね。この三人の女性は、それぞれ、猿、蛇、虎の化身でまさに命が尽き果てようとしている姿を描いた。
 これは要するに、鵺が、仮に前近代の魂の象徴だとしますと、それが近代文明の中で痛めつけられて、まさに意識も絶えようとしている、つまり、三人の女性によって象徴されている神秘的で野性的な闇の生命が今まさにその息の根をとめられようとしている、そんな狂気にも似た苦しみがこの梥本一洋という画家の中にあるということなんです。
(《玉藻化生》・昭和十三年)これも《玉藻化生》なんですが、簡単に説明すると玉藻の前という美女がいて、金の毛皮で、尻尾が九本ある化け物の狐なんですね。妖怪なんです。それが美しい女性の姿に化身しているんです。そして教養もあるし、心も優しく、美しいということで鳥羽上皇に寵愛されるんです。でもそのうち、陰陽師の安倍氏に正体を見抜かれるんですね。それで殺されてしまいます。
 これは全て、ひとつの屏風の中に描かれていて、みなさんには部分を見てもらっています。
 これが矢で射るところなんです。殺されるとこの次がすごいんです。
 これはね、玉藻の前が死んで、ギャーと叫び声をあげて闇に化身するんです。これが昭和の闇なんですよ。黄色い部分が霊ですね。この後、玉藻の前がどうなったか。
 殺生石という石になる。これは玉藻の前の霊魂が浮かばれないまま、怨念が凝りかたまって石になっちゃう。それで、これに触った奴は祟りにあって滅んでしまうんですね。
 梥本さんは京都生まれで大変穏やかな画家です。しかし、ひと皮むきますと、昭和の日本人ならではの近代文明に対する強烈なアレルギーと、闇が失われていくことに対する激しい痛みをもっていた作家であったことがわかります。
(《滋雨》・昭和十六年)これは《滋雨》という作品です。要するに、恵みの雨というわけです。これは昭和十六年、太平洋戦争が起こった年なんです。乾いた大地の上に恵みの雨がかすかにシトシト降って植物たちがほっと一息ついている姿を描いているんです。これも、その当時の日本人の闇の在り処なんですね。
(《出潮》・昭和十八年)これは太平洋戦争終戦の二年前。荒れ狂う海と三日月が描いてあります。
 月は、前近代の人間にとって、我々の闇を司る本体であると考えられていた。月の神々しい光は闇の深さをきわ立たせ、冷ややかで神秘的な死と他界のイメージを喚起します。また、月は我々の血のめぐりを司っています。だから、女性の月経のリズムは月によって司られている。
 それから、潮の干満は月が司っており、あらゆる生命は海から生まれた。月は、母なる〈子宮〉のイメージとも重なり、人間が羊水の中にいた時の身体的記憶は、海洋の世界に連なっています。
 したがって、月は昔から生命の源として、また闇を司る根源として人々から畏敬の念をもってまつられてきたわけです。この月に対する感覚と荒れ狂う波とがシンクロナイズしてますね。これが強烈な闇のイメージをつむぎ出していると思います。
(《午下り》・昭和二十二年)昭和二十年、終戦になって狂気の時代は終わったのです。もののけに取りつかれて、近代に対してアレルギー症状を呈していた時代は終わりました。そこで、ほのかに農家の土蔵の前の風景をぽっと描いただけなんですけど、どうですか。トトロ的な雰囲気を感じるでしょう? 何かファーッとした開放感がありますね。これも僕が言うところの闇なんです。
(《三上山》・昭和二十二年)これは昭和二十二年に描かれた三上山の風景です。この頃は、梥本さんが戦後で一番幸福そうなスタイルで絵を描いた時期です。こういうのもひとつの闇なんです。
 
I ……どこが闇なんですか?
 
K この穏やかで生命的なところが闇なんです。闇とはいつも虚無の姿をしているとはかぎらないし、荒れ狂う凶暴さだけが闇ではない。私にとっては、穏やかで静かなものもまた闇なのです。
(《山居秋静之図》・昭和二十二年)私が幼いときに、母親が絵本を読み聞かせてくれたんです。その絵本は日本の古典を素材にした『源為朝』であったり、『安寿と厨子王』の物語などです。その絵本の色彩感覚が僕の原風景として残っていて、それがこの作品の色なんです。先程の荒れ狂うような闇のイメージとは別に、こういった色も私の原風景なんです。
(《伊勢物語》・昭和二十六年)これは、昭和二十六年、つまり僕が生まれる一年前の作品。ほとんど梥本一洋さんの絶筆に近い作品で、梥本さんが病気で亡くなる直前の作品なんですけれども、「伊勢物語」を素材にしています。
(《芥川》・昭和二十六年頃)これもそうなんですね。「伊勢物語」の「芥川」と呼ばれるシーンなんです。
 これはどういうシーンかというと、ある貴族の男が美しい女性と、親の許しを得ないで駆落ちしてしまうわけです。二人で暗い夜道を必死に逃げていくのですが、芥川という川のほとりで、女が草の露を見て、「これは何でしょう」と尋ねる。この絵はそのシーンを描いたものです。
 このあと、男は、荒れ果てた路傍の蔵の中に女を隠すのですが、女は鬼に食べられてしまうんです。だから、この絵は、その悲劇の直前の一瞬の美しさをすくい取ったものだということになります。この絵に対する結論だけ言うと、この後まもなくすると高度経済成長が始まります。それに応じて、日本の風景の中にかろうじて残存していた闇が、急速に衰えていくことになる。この絵は、まさにその前夜に描かれたんです。梥本さんは、戦後日本の近代社会を内心認めたくなかったんだと思います。戦後社会に対峙する形で、自分の心の中に秘めた美しい古典の世界、伝統の世界を、ヴァーチャルなんですけれども、はるかな憧憬のおもいを込めて描き上げたのではないか、と私は考えています。
 こういったものが、私の幼児期の美意識なんです。
 
二十一世紀の闇
 
I なぜ闇は無くなってしまったのですか?
 
K 一九五五年から高度経済成長が始まります。五○年代はまだ良かったのですが、六○年代になってスーッと闇が消えていきます。それは我々日本人がまなざしを変えてしまったからなんです。日本人というのは日常的なものだけではなく、非日常的なものも大事にしてきた。それから地上の世界だけでなく、天上の世界も大事にしてきた。光の世界だけではなく、闇の世界も大事にしてきた。現世にありながら他界を見るまなざしを持っていた。その豊かなまなざしを日本人は全身で体現してきたのだと思います。
 それが昭和の初めから終戦直後まではかろうじて生きていたんですね。ところが高度経済成長の中で科学と合理主義と、物質的な利益だけを追い求めたり、お金を追い求めたりするうちに、我々の人間としてのまなざしが痩せてきたんだと思います。実は、痩せてきたのにもドラマがあります。まさにそれが戦後の闇の喪失のドラマであると考えて下さい。
 僕がなぜ批評文を書いているのかという話で最後にしたいと思います。私の原風景は、私の世代だけのものではなく、人間の普遍性に根ざした何かだと思います。もちろん、例えば絵を描いたり、何か表現をするときには、それぞれ違ったものになります。だけれども、何か共通するものがあるはずなんです。どの時代であれ、人間である以上、必ず人間が人間らしく生きていく上でなくてはならない闇の世界があるはずなんです。
 それを僕は自分の幼児期にたっぷり持って生きてきたんだけれど、高度産業社会の一九八○年代以降には完全に失われてしまった。失ったものを自分で取り戻さないと僕はこの世界で生きていけないんですよ。僕の息ができる場所がない、つまり僕の生存する場所がないんですね。僕は自分の居場所が欲しかった。
 言い換えれば僕の中に僕の生きていける世界が欲しかった。そのためにものを書こうと思ったのが僕の表現の原点です。だから僕にとっては趣味や道楽ではない、つまりぜい肉ではない。これがないと生きていけないから書く。
 僕は、批評が資質に合ったやり方なのだけれど、みなさんは、みなさんに合ったやり方で自分の表現を見つけていただければいいと思います。これはプロの作家として生きようが生きまいが、芸術家になろうがなるまいが、大切なことなんです。芸術というものは、人間が生きていくために絶対に必要な地の塩なんです。その地の塩を求めてさえいれば、この現世で生きていくことができるんです。
 「人間はパンのみにて生きるにあらず」とはイエス・キリストの言葉ですが、パンのみに生きてはならない。パンは大事なんですよ、パンを侮ってはいけませんよ。でもそのパンは生きたパンであるべきなんだ。パンを稼ぐために、自分の魂を売って、自分の魂が痩せ細って死んでしまうような稼ぎ方をしてはいけない。パンを稼ぎながら、なおかつ自分の魂がイキイキとして生きなければならないので、そのために自分が表現をする、あるいは表現を味わうのも含めて、そういう気持ちが必要なんです。アニメーションに対して筆をとったのは、たまたまで、僕はアニメオタクではない。正直に言うとみなさんに比べて僕の方がはるかにアニメーションに対してアレルギーが強い世代の人間なんです。
 だけど僕は幸福にも宮崎駿というアニメーターに出会うことが出来たんですね。それで、本来ならば一生出会うことのなかったエヴァンゲリオンのようなアニメーションにも出会うことが出来たんです。こういった美意識を持った僕がエヴァンゲリオンにはまったことが面白いんです。だからあなた方もあなた方のやり方で表現すればいいんです。あなた方のやり方で存分にやりたいことをやる方がいいんです。そうすれば自然にあなた方らしい闇が出てきます。その闇は一見すると僕が幼い頃に見た闇とは全く違うように見えるかもしれないが、必ずどこか共通したものになる。それが二十一世紀の闇ではないかと、そう考えています。(了)



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