宮沢賢治童話考(連載第11回) 川喜田八潮

  • 2016.12.20 Tuesday
  • 15:54

 

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「韻文形」に結実する「初期草稿」の表出の中心は、明らかに、資本主義を超える〈自然分業〉の理想社会への憧憬を描くことにあったとみてよい。

 これに対して、「最終発表形」に結実する「後期散文形」では、自然分業の理想が失われたわけではないが、詩的リズムや擬人化が廃され、童話的誇張が大幅に縮小されて、リアルで緻密な描写力が強められることで、ヴァーチャルな童話的牧歌性の匂いはほとんど消失し、表出の中心は、生活者の疲労感や傷の身体的な〈癒し〉のイメージに置かれるようになるのである。

 一体なにゆえに、このような、ヴァーチャルな詩的・童話的構成から〈生身〉の修復のイメージへの転換が行われたのであろうか。

 その理由は、昭和初年におけるウルトラ・ナショナリズムの台頭というファクターを考慮に入れなければ、とうてい説明がつかないようにおもわれる。

 大正後期から昭和初年にかけてのウルトラ・ナショナリズムの台頭の背景について、ここで、詳しく言及する余裕はない。

 この問題についての私の考察は、拙著『脱近代への架橋』(葦書房・二〇〇二年刊行)に収められているので、関心のある方は適宜参照していただければ幸いである。

 ひと言でいえば、昭和初期のウルトラ・ナショナリズムの狂熱とは、資本制近代のアトム化の病に対する、大衆の極度の生理的アレルギーの産物であり、喪われた前近代的・土俗的な共同性への幻想的な回帰志向という表現形態をとった、一種の幼児的退行の病理だということである。

 それは、大正後期から昭和初年にかけて活動した右翼運動者たちの著書やパンフレットにあふれ出ている、熱病にうなされたような独特の神がかり的な文体、すなわち、神秘主義的な難解な漢語を濫用した、反現世的な妖気の漂うペダンティックな漢文調のリズムによって典型的に象徴されるような、一種の終末意識と表裏一体化した、彼岸への〈超越〉の渇望にほかならない。

 宮沢賢治は、このようなヴァーチャルな退行的病理に急速に蝕まれていった大正末から昭和初年の日本社会の様相に対して、醒めた批判的なまなざしをもち得ていた文学者だった。

『脱近代への架橋』の「あとがき」で私が述べたように、賢治は、「土神ときつね」という戦慄すべき寓話作品において、大正末から昭和初年の日本人が蝕まれていた病理の本質を、鮮やかに形象化してみせている。

 近代の象徴ともいえる、富と知識で武装した「狐」の姿態に、嫉妬と不信と憎悪の炎(ほむら)を燃やす不幸な「土神」の魂のかたちこそ、資本制に痛めつけられ、痩せ衰えた、大衆の前近代的土俗のやり場のない鬱屈と暴発の本質を的確に表現したものだといってよい。

 宮沢賢治は、しかし、「土神」と「狐」のどちらにも加担してはいない。

「土神」と「狐」の不幸のありかを内在的な共感をもって生き生きと描き分けながら、両者が、しょせんは同じ穴のムジナにすぎないことをきちんと洞察してみせているのである。

 カネと物と知識によって武装した〈近代〉も、それに対する〈前近代〉への退行的反動も、同じ鏡の表と裏にすぎない。

 いずれも、地上的な不条理に痛めつけられ、虚無に身体を蝕まれた、虚ろな魂の時代の産物にすぎないのだ。

 宮沢賢治は、近代主義者でもなく、前近代への退行的な土俗共同体主義者でもなかった。

 彼は、近代の病の本質を、人々のコスモスの消滅に求めた。

 宮沢賢治を学ぶ者は、だから、彼の構築したコスモスの論理的な構造やその理念と結びついた倫理的実践の姿勢を探求せんと試みる。

 だが、すでに断ったように、私のこだわりはそこにはない。

 私がこだわってきたのは、あくまで、賢治のコスモスへの志向の根底に渦巻いている〈生身〉の身体性への渇きのかたちであり、その渇きと鋭い緊張関係をなす〈存在への異和〉の感触である。

 私の関心は、彼の法華経信仰や科学と結びついた〈理念〉としてのコスモスにあるのではなく、その理念を可能ならしめるベースとなった、〈生身〉の身体性の表現としてのコスモスのかたちにある。さまざまな「学」の知識を披瀝しながら、賢治文学の「記号化」を図り、悦に入っている、世の道楽者の「賢治論者」の仕事などに、私は、一向に心をそそられはしない。

 私たちが本稿でもその一端を見てきたように、賢治童話が切開してみせた身体性の世界は、近代のリアリズムの目線によって囲い込まれた、狭窄した地上的・散文的な身体性を包摂しつつも、それをはるかに超えるゆたかさをもっている。

 近代の病を超える道筋をコスモスの蘇生に求めた宮沢賢治は、実はそのことで、なによりも、近代人の〈生身の喪失〉という病理に真っ向から対峙してみせたのだった。

 ウルトラ・ナショナリズムの狂熱という表現形態をとったヴァーチャルな幼児退行的病理に、全国民が一気に呑み込まれていく、昭和恐慌・満州事変以後の日本社会では、〈生身の喪失〉の病は、ひとつの極限的な様相にまで登りつめつつあった。

 昭和六年の満州事変勃発の直前に発表された「北守将軍と三人兄弟の医者」(最終発表形)における、生活者的な〈生身〉の修復のイメージへの賢治の深いこだわりは、おそらく、このようなヴァーチャルな病の昂進への対峙の一つにほかならなかった。

「後期散文形」には、「韻文形」にはない北守将軍の隠退と死のエピソードが付け加えられているが、それも、このような作者の対峙の姿勢の産物だとみなすことができる。

 王に対面して帰還のあいさつをした将軍は、王からねぎらいの言葉を受けた後、なおも忠勤を励むようにとの頼みを断り、隠退を申し出る。

「最終発表形」では、そのあとの終末部の描写は次のようになっている。

 

「それでは誰かおまへの代り、大将五人の名を挙げよ。」

 そこでバーユー将軍は、大将四人の名をあげた。そして残りの一人の代り、リン兄弟の三人を国のお医者におねがひした。王は早速許されたので、その場でバーユー将軍は、鎧(よろひ)もぬげば兜(かぶと)もぬいで、かさかさ薄い麻を着た。そしてじぶんの生れた村のス山(ざん)の麓(ふもと)へ帰つて行つて、粟(あは)をすこうし播(ま)いたりした。それから粟の間引きもやつた。けれどもそのうち将軍は、だんだんものを食はなくなつてせつかくじぶんで播いたりした、粟も一口たべただけ、水をがぶがぶ呑んでゐた。ところが秋の終りになると、水もさつぱり呑まなくなつて、ときどき空を見上げては何かしやつくりするやうなきたいな形をたびたびした。

 そのうちいつか将軍は、どこにも形が見えなくなつた。そこでみんなは将軍さまは、もう仙人になつたと云つて、ス山の山のいたゞきへ小さなお堂をこしらへて、あの白馬(しろうま)は神馬(しんめ)に祭り、あかしや粟をさゝげたり、麻ののぼりをたてたりした。

 けれどもこのとき国手になつた例のリンパー先生は、会ふ人ごとに斯(か)ういつた。

「どうして、バーユー将軍が、雲だけ食つた筈(はず)はない。おれはバーユー将軍の、からだをよくみて知つてゐる。肺と胃の腑(ふ)は同じでない。きつとどこかの林の中に、お骨(こつ)があるにちがひない。」なるほどさうかもしれないと思つた人もたくさんあつた。

 

 ここで作者は、明らかに、将軍の神格化を否定し、その〈生身性〉を強調してみせている。

 しかしそれは、将軍の人生を卑小化せんとするものではない。

 宮沢賢治は、国を守るために命を捧げ、律義に職責を全うしようとする軍人や無名の兵士たちの姿に、まじめな畏敬の念を抱いていた。

 ただ、彼は、そういう将兵たちの生を、社会のさまざまな分野で地道に生きる、あらゆる無名の生活者たちの生きざまと等価なものとみなしていたのである。

 その意味で、彼は、明治人的な感覚を受け継いだ、健全で正統的なナショナリストの一人であるといってよかった。

 そういう賢治の眼からみれば、昭和初年に浮上したウルトラ・ナショナルな、ヴァーチャルな国家イメージは、いかにもグロテスクな狂気の産物に映ったはずである。

 昭和初期における軍人の神格化は、明治期におけるそれとは、まるで意味が違っていた。

 この時期のヒロイズムや天皇・国体への崇拝には、国家理性というものをはるかに超越した、天上的・彼岸的な価値への滅私的な狂熱が息づいていた。

 宮沢賢治が物語の末尾で、わざわざソンバーユー将軍の神格化を拒否し、その生身性を強調してみせるような挿話を付け加えたのも、このような病める国家像に対峙し、生活者の分業と血の通った生身の接触のイメージを強調することで、人々のまなざしを社会の実体に引き戻し、あるべき連帯の姿を提示してみせようとする、痛切な使命感が働いていたためではあるまいか。

 賢治は、「北守将軍と三人兄弟の医者」が掲載された翌年の昭和七年の三月に、同じ「児童文学」という雑誌に、「グスコーブドリの伝記」を発表しているが、それも、同じ抵抗の姿勢が生み出した作品のように私にはおもえる。(ちなみに、「グスコーブドリの伝記」の完成原稿は、すでに、満州事変の勃発した昭和六年の九月か、それ以前に、版元に送られていたことが判明している。)

 この作品は、いうまでもなく、昭和恐慌による大惨事を背景として仕上げられたものであると考えられるが、この凄まじい恐慌に対する国民のヒステリックな反発が、一気に反財閥・反政党・反英米資本主義の気運を高め、ウルトラ・ナショナリズムへのヴァーチャルな狂熱を昂進させたことを思えば、宮沢賢治の醒めた理性的なまなざしと生身の生活者の場所に立つ献身の姿勢は、注目に値するといっていい。

 私の印象では、賢治の晩年の童話作品では、擬人化のウェイトが減り、ヴァーチャルな幼児性が後退すると共に、等身大の生身の身体性への傾斜が目立って増えているようにおもわれる。

 たとえ擬人化や童話的誇張が含まれていても、堅固なリアリズム的描写の内部にきちんと組み込まれているために、ヴァーチャルな空虚さをほとんど感じさせない。(もちろん、純然たる寓話的作品の場合は、擬人化への抵抗感は最初から働かないので、話は別である。)

 しかも注目すべきは、晩年の賢治文学の場合、(例外はあるが)基本的には、地に足の着いた堅固なリアリズム的描写が強まれば強まるほど、すなわち、〈生身〉の手ごたえと痛覚、不安や渇きの繊細なゆらぎがきちんと描破されればされるほど、それが、三次元的な、酷薄な地上への緊縛の目線を超越せんとする、ごまかしのない、強靱な〈癒し〉への志向性を強めてゆくという、逆説的でビターなたたかいの姿勢がみとめられるという点である。

 この流れの中で、〈表現〉行為や、〈他界〉を含む神秘な〈闇〉の次元との接触による癒しや、純粋な孤独の深さと表裏一体となった、他者との真の〈絆〉のあり方への希求や、分業を通じての〈献身〉や〈責任〉の理念といった、賢治童話のモチーフは、再度、面目を新たにして鍛え直される。

「セロ弾きのゴーシュ」「銀河鉄道の夜(第四次稿)」「風の又三郎」「なめとこ山の熊」「グスコーブドリの伝記」「北守将軍と三人兄弟の医者」といった、沈潜した、個的な生の厚みを感じさせる、いぶし銀のような作品群は、このような地道な、生活者的なたたかい方の軌跡の中から誕生しえたようにおもえる。

 こういった変貌の背景には、〈生身の喪失〉の昂進という昭和初期の病理に対する、宮沢賢治の地に足の着いた、白熱した芸術的苦闘の跡がみてとれるのである。(了)

 

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宮沢賢治童話考(連載第10回) 川喜田八潮

  • 2016.11.23 Wednesday
  • 19:13

 

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「三人兄弟の医者と北守将軍」の韻文形において、作者は、北守将軍と兵士たちによって象徴される無名の生活者たちの哀切な生涯のイメージを、詩的なリズムを通して、「うたう」という行為の中に包摂してみせている。

 そのことは、一面において、個的な生の不条理性を自然意識の内に解消することで、ある種のカタルシスをもたらすというメリットを生んでいるが、他面では、物語の時空を、生活者の〈生身〉の匂いを大幅に希釈したヴァーチャルな観照者的風景へと変質させてしまっている。

 ところが、「後期散文形」の完成形態である「北守将軍と三人兄弟の医者」(最終発表形)では、最初の将軍の歌の場面は次のように描写される。

 

「番兵たちや、あらゆる町の人たちが、まるでどきどきやりながら、矢を射る孔(あな)からのぞいて見た。壁の外から北の方、まるで雲霞(うんか)の軍勢だ。ひらひらひかる三角旗(ばた)や、ほこがさながら林のやうだ。ことになんとも奇体なことは、兵隊たちが、みな灰いろでぼさぼさして、なんだかけむりのやうなのだ。するどい眼をして、ひげが二いろまつ白な、せなかのまがった大将が、尻尾(しつぽ)が箒(はうき)のかたちになつて、うしろにぴんとのびてゐる白馬(はくば)に乗つて先頭に立ち、大きな剣を空にあげ、声高々と歌つてゐる。/『北守将軍ソンバーユーは/いま塞外(さいぐわい)の砂漠から/やつとのことで戻つてきた。/勇ましい凱旋(がいせん)だと云ひたいが/実はすつかり参つて来たのだ/とにかくあすこは寒い処(ところ)さ。/三十年といふ黄いろなむかし/おれは十万の軍勢をひきゐ/この門をくぐつて威張つて行つた。/それからどうだもう見るものは空ばかり/風は乾いて砂を吹き/雁(かり)さへ干せてたびたび落ちた/おれはその間馬でかけ通し/馬がつかれてたびたびペタンと座り/涙をためてはじつと遠くの砂を見た。/その度ごとにおれは鎧(よろひ)のかくしから/塩をすこうし取り出して/馬に嘗(な)めさせては元気をつけた。/その馬も今では三十五歳/五里かけるにも四時間かゝる/それからおれはもう七十だ。/とても帰れまいと思つてゐたが/ありがたや敵が残らず脚気(かくけ)で死んだ/今年の夏はへんに湿気が多かったでな。/それに脚気の原因が/あんまりこつちを追ひかけて/砂を走つたためなんだ/さうしてみればどうだやつぱり凱旋だらう。/殊にも一つほめられていいことは/十万人もでかけたものが九万人まで戻つて来た。/死(しん)だやつらは気の毒だが/三十年の間には/たとへいくさに行かなくたつて/一割ぐらゐは死ぬんぢやないか。/そこでラユーのむかしのともよ/またこどもらよきやうだいよ/北守将軍ソンバーユーと/その軍勢が帰つたのだ/門をあけてもいゝではないか。』/さあ城壁のこつちでは、湧(わ)きたつやうな騒動だ。うれしまぎれに泣くものや、両手をあげて走るもの、じぶんで門をあけようとして、番兵たちに叱(しか)られるもの、もちろん王のお宮へは使が急いで走つて行き、城門の扉(と)はぴしやんと開(あ)いた。おもての方の兵隊たちも、もううれしくて、馬にすがつて泣いてゐる。」

 

 一見してすぐわかるように、こちらの方が「韻文形」よりリアルな臨場感が漂っている。

 将軍の歌の中身も、たとえば、「塞外のくらい谷」から「塞外の砂漠」に、「百万」とあった軍勢が「十万」に、「一日も太陽を見ない」から「もう見るものは空ばかり」に、「上等の朝鮮人蔘」が「塩」に、といったふうに、韻文形の方より誇張も少なく、軍隊が嘗め尽くした辛酸のイメージが、より自然にデリケートに伝わってくる。

 この文章に続く、将軍と兵たちの町への入場のシーンも、微妙に変容している。

 

「顔から肩から灰いろの、北守将軍ソンバーユーは、わざとくしやくしや顔をしかめ、しづかに馬のたづなをとつて、まつすぐを向いて先登に立ち、それからラツパや太鼓の類、三角ばたのついた槍(やり)、まつ青に錆(さ)びた銅のほこ、それから白い矢をしよつた、兵隊たちが入つてくる。馬は太鼓に歩調を合せ、殊にもさきのソン将軍の白馬(しろうま)は、歩くたんびに膝(ひざ)がぎちぎち音がして、ちやうどひやうしをとるやうだ。兵隊たちは軍歌をうたふ。/『みそかの晩とついたちは/砂漠に黒い月が立つ。/西と南の風の夜は/月は冬でもまつ赤だよ。/雁(がん)が高みを飛ぶときは/敵が遠くへ遁(に)げるのだ。/追はうと馬にまたがれば/にはかに雪がどしやぶりだ。』/兵隊たちは進んで行つた。九万の兵といふものはたゞ見ただけでもぐつたりする。/『雪の降る日はひるまでも/そらはいちめんまつくらで/わづかに雁の行くみちが/ぼんやり白く見えるのだ。/砂がこごえて飛んできて/枯れたよもぎをひつこぬく。/抜けたよもぎは次次と/都の方へ飛んで行く。』/みんなは、みちの両側に、垣(かき)をきづいて、ぞろつとならび、泪(なみだ)を流してこれを見た。」

 

 将軍と兵士たちの満身創痍のくたびれ切った表情が、抑制されたかたちではあるが、やはり、韻文形よりもはるかに哀切に、リアルに立ち昇ってくる。

 「後期散文形」では、この生活者的な〈生身〉の匂いが前提となることで、以後の将軍と馬の〈治癒〉の過程が、「韻文形」では表現できないほどの、深い身体的なカタルシスのイメージを喚起する形で、巧みに描出されるのである。

 将軍と馬は、まず人間相手の医師に診てもらうことになるが、兵たちを待たせた上で大慌てで治療を済ませようとする将軍は、馬に乗ったまま病院に乗り込み、順番を待つように言う医師の弟子の言葉にも耳をかさず、居丈高な態度で、大勢の患者をとばして自分を診るように迫る。

 しかし、医師は彼の方を見向きもせず、順番に患者の治療に専念しているので、腹を立てた将軍は、診ないなら蹴散らすぞとムチを振り上げ、馬が跳ね上がって病人たちがうろたえる。

「韻文形」では、その後の描写はこうなっている。

 

「ところがホトランカン先生は/まるでびくともしてゐない、/こっちを見ようともしない、/助手も全くその通り/馬のくつわをにぎったまゝ/左手で白いはんけちを/チョッキのポケットから出して/馬の鼻さきをちょっとこする。/すると何か大へんな/薬がしかけてあったらしく/馬が大きくふうふうと/夢のやうな息をしたと思ふと/俄(には)かにぺたんと脚を折り/今度はごうごういびきをかいて/よだれも垂らして寝てしまふ。/将軍はすっかりあわて/『あ、馬のやつ、又参った/困った 困った、』と云ひながら/急いで鎧(よろひ)のかくしから/一本の朝鮮人蔘(てうせんにんじん)を出し/からだを曲げて馬の上に/持って行ったが馬はもう/人蔘どこぢゃないやうだ。/『おい、起きんかい。/あんまり情けないやつだ。/あんなにひどく難儀をして/やっと都に帰って来ると/すぐ気がゆるんで死ぬなんて/あんまり情けないやつだ。/おい、起きんかい、起きんかい。/しっ、ふう、どう、おい、/貴さまの大好きの朝鮮人蔘を/ほんの一口たべんかい。おい。』/将軍は倒れた馬のせなかで/ひとりぼろぼろ泪(なみだ)を流し/たうとうしくりあげて言ふ。/『医者さん、どうぞたのみます。/はやくこの馬を診(み)て下さい。/わたしも北の国境で/三十年といふものは/ずゐぶん兵隊や人民の/衛生や外科にはつくしました。』/助手はだまって笑ってゐたが/ホトランカン先生は/この時俄(には)かにこっちを向いて/まるで将軍の胸の奥や/馬の臓腑(ざうふ)も見徹(みとほ)すやうな/するどい眼をしてしづかに云った。/『その馬の今倒れたのは/けして病気ではありません。/しかしあなたの北の方での/医学に対する貢献に/敬意を払って私は/急病人だけ三人診(み)たら、/すぐにあなたをなほしませう。/おい、その馬を起してあげろ。』/助手は軽くはいと答へ/馬の耳に口をあてて/ふっと一っつ息を吹く。/馬はがばっとはね起きて/将軍も俄かにせいが高くなる。」

 

 この部分は、「後期散文形」の完成形態である最終発表形(以下「最終発表形」と略記)ともほぼ一致しており、文体的にも、さほど遜色はない。

 ただし、「最終発表形」では、馬を眠らせた助手は女の子で、花瓶にさした花を一枝とって水につけ、やさしく馬につきつけると、「馬はぱくつとそれを噛み、大きな息を一つして、ぺたんと四(よつ)つ脚を折り、今度はごうごういびきをかいて、首を落してねむつてしまふ」のである。

「朝鮮人蔘」は、もちろん「塩」に改められている。

「韻文形」との一番の相違点は、馬が眠ってしまって、おろおろとうろたえたソンバーユー将軍が「おい、きみ、わしはとにかくに、馬だけどうかみてくれたまへ。こいつは北の国境で、三十年もはたらいたのだ。」と哀願すると、医師のリンパー先生が「いきなりこっちを振り向いて、まるで将軍の胸底から、馬の頭も見徹(みとほ)すやうな、するどい眼をしてしづかに云つた。」というふうに、ただちに続いていく点で、「韻文形」のように、「兵隊や人民の衛生や外科」につくしたとか、将軍の北方での「医学に対する貢献」に敬意を払って、とかいったような言葉が一切見られないことである。

  この点も、明らかに「後期散文形」の方が優れている。

  観念的なところがなく、医師は、明らかに、将軍の「愛馬への思いやり」という、〈生身〉の温かさに着目し、その真情にうたれて、彼の治療を優先してやるのである。

 

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 長年月にわたる苛酷な軍隊生活の中で疲労困憊(こんぱい)し、精神にやや異常をきたしている将軍は、初歩的な算術もままならない。医師はさっそく治療にとりかかる。

「韻文形」では、こうなっている。

 

「『こゝへ頭をお出しなさい。』/プランペラポラン将軍は/馬の上から下にしゃがみ/頭を槽の上に出す。/『エーテル、それから噴霧器。』/すぐ両方がやって来る。/ホトランカン先生は/それをきっきと手で押して/将軍のしらが頭の上に/はげしく霧を注ぎかける。/プランペラポラン将軍の/鼻から雫(しづく)がぽとぽと落ちて/ガラスの槽(をけ)にたまって行く。/それははじめは黒かった。/それからだんだんうすくなり/たうとうすっかり無色になった。/『清洗やめっ。』/ホトランカン先生が/噴霧器をかたかたやるのをやめ/号令するとすぐ助手が/タオルで頭や顔を拭(ふ)く。/将軍はぶるっと身ぶるひして/馬にきちんと起きあがる。/『どうです、せいせいしたでせう。/そこで百と百とをたすと/答はいくらになりますか。』/『もちろんそれは二百だらう。』/将軍はさっきのことなどは/忘れたふうでけろりと云ふ。/『そんなら二百と二百では』/『それはもちろん四百だらう。』/『そんなら四百と四百では』/『もちろんそれは八百だ。』/『よろしい、すっかりなほりました。』」

 

 これに対して、「最終発表形」では、治療過程は次のように描写される。

 

「パー先生は両手をふつて、弟子にしたくを云ひ付けた。弟子は大きな銅鉢(どうばち)に、何かの薬をいつぱい盛つて、布巾(ふきん)を添へて持つて来た。ソン将軍は両手を出して鉢をきちんと受けとつた。パー先生は片袖(かたそで)まくり、布巾に薬をいつぱいひたし、かぶとの上からざぶざぶかけて、両手でそれをゆすぶると、兜(かぶと)はすぐにすぱりととれた。弟子がも一人、もひとつ別の銅鉢へ、別の薬をもつてきた。そこでリンパー先生は、別の薬でじやぶじやぶ洗ふ。雫(しづく)はまるでまつ黒だ。ソン将軍は心配さうに、うつむいたまゝ訊(き)いてゐる。/『どうかね、馬は大丈夫かね。』/『もうぢきです。』とパー先生は、つゞけてじやぶじやぶ洗つてゐる。雫がだんだん茶いろになつて、それからうすい黄いろになつた。それからたうとうもう色もなく、ソン将軍の白髪は、熊(くま)より白く輝いた。そこでリンパー先生は、布巾を捨てて両手を洗ひ、弟子は頭と顔を拭(ふ)く。将軍はぶるつと身ぶるひして、馬にきちんと起きあがる。」

 

 この後の「足し算」の場面は、さして変わらないので割愛した。

「韻文形」と比べてみるとよくわかるが、「最終発表形」では、医師は「噴霧器」という機械に頼らず、自らの手で、薬にひたした布巾(ふきん)を使って将軍の頭をじゃぶじゃぶと洗ってやるのである。

 こびり付いた垢を拭(ぬぐ)い落とすかのような、この丹念な手作業の感覚が大切なのだが、その洗髪の過程で、最初は「まっ黒」だった「雫(しずく)」が、段々と「茶いろ」から「うすい黄いろ」に変わり、最後にようやく無色になって、老将軍の白髪が「熊より白く」輝くまでになる、という描写は、単なる身体的な変貌を意味するだけではなく、その変貌が、同時に、将軍の長年の精神的な疲労・変調の〈治癒〉の表現ともなっていることを示している。

 「韻文形」の機械的で淡白な描写とは対照的に、「最終発表形」を含む「後期散文形」における、生身の身体イメージを喚起する丁寧な治療描写は、生活者の無意識の傷や累積された疲労感に対する、美事な修復の〈喩〉となり得ているのである。

 逆に、「韻文形」では、治療過程を淡々とした軽快な詩的リズムの中に包摂することで、傍観者的に突き放した、ヴァーチャルでユーモラスな風景を紡ぎ出してみせている。

 それはそれで、「後期散文形」にはない、独特の暖かい笑いの世界を現出させてくれる。

 頭のすっきりした老将軍は、医師に、自分と馬をなんとか引き離してほしいと頼むが、医師は、あなたの足をあなたの服と引き離すのは私にもできるし、もう離れているはずだが、ズボンが鞍に付き、鞍がまた馬に付いたのを離すというのは、私の手に余るので、隣に住む馬医の私の弟の病院に行ってもらいたいと言う。それなら、自分の顔から生えたこの植物は取れないだろうかと尋ねると、それも私の手には余るので、隣の隣に住む植物医の末弟の病院に行って下さいと言われる。

 あとは、馬病院と植物病院での治療の描写が続くわけだが、そこでも、前述のシーンと同様、「韻文形」と「最終発表形」の間には、重要な相違がみとめられる。

 馬病院での「韻文形」の描写は、こうなっている。

 

「助手がすぐエーテルの瓶(びん)を持って来る。/サラバアユウ先生は/手ばやくそれを受けとって/将軍の足にがぶがぶそゝぐ。/するとにはかに将軍の/ずぼんは鞍(くら)とはなれたので/将軍はひどくはづみを喰って/どたりと馬から落とされた。/けれどもそれは待ってゐた/助手がすばやく受けとめて/きちんと床の上におろす。/サラバアユウ先生は/そんなことには頓着(とんちやく)なく/今度は馬のせなかから/じわじわ鞍を引きはなす。/間もなく鞍はすぽっととれ/馬は見当がつかないらしく/四五へんせ中をゆすぶった。/『えゝ、お馬の方は/少しリウマチスなやうですから/たゞ今直してあげませう。/おい。電気。』/助手がもうその支度をして/紐(ひも)のついた電気の盤を/ちゃんと捧(ささ)げて待ってゐた。/サラバアユウ先生は受けとって/軽くスヰッチをひねり/馬のもゝに押しつけた。/馬はこはがってばたばたしたが/プランペラポラン将軍が/じっとその眼をみつめたので/安心して暴れ出さなかった。/『もういゝだらう。歩いてごらん。』/馬はおとなしく歩き出す。」

 

「後期散文形」でも、途中まではこれと大同小異なのだが、大幅な改稿が施された結果、「最終発表形」では、次のように似ても似つかない描写に落ち着いている。

 ここでは、馬医の名は「リンプー先生」である。

 

「『ははあ、たゞいま手術いたします。あなたは馬の上に居て、すこし煙いかしれません。それをご承知くださいますか。』/『煙い? なんのどうして煙(けむ)ぐらゐ、砂漠で風の吹くときは、一分間に四十五以上、馬を跳躍させるんぢや。それを三つも、やすんだら、もう頭まで埋まるんぢや。』/『ははあ、それではやりませう。おい、フーシユ。』プー先生は弟子を呼ぶ。弟子はおじぎを一つして、小さな壺(つぼ)をもつて来た。プー先生は蓋(ふた)をとり、何か茶いろな薬を出して、馬の眼(まなこ)に塗りつけた。それから『フーシユ』とまた呼んだ。弟子はおじぎを一つして、となりの室(へや)へ入つて行つて、しばらくごとごとしてゐたが、まもなく赤い小さな餅(もち)を、皿にのつけて帰つて来た。先生はそれをつまみあげ、しばらく指ではさんだり、匂(にほひ)をかいだりしてゐたが、何か決心したらしく、馬にぱくりと喰べさせた。ソン将軍は、その白馬(しろうま)の上に居て、待ちくたびれてあくびをした。すると俄(には)かに白馬は、がたがたがたがたふるへ出しそれからからだ一面に、あせとけむりを噴き出した。プー先生はこはさうに、遠くへ行つてながめてゐる。がたがたがたがた鳴りながら、馬はけむりをつゞけて噴いた。そのまた煙が無暗(むやみ)に辛(から)い。ソン将軍も、はじめは我慢してゐたが、たうとう両手を眼にあてて、ごほんごほんとせきをした。そのうちだんだんけむりは消えてこんどは、汗が滝よりひどくながれだす。プー先生は近くへよつて、両手をちよつと鞍(くら)にあて、二つつばかりゆすぶつた。/たちまち鞍はすぱりとはなれ、はずみを食つた将軍は、床にすとんと落された。ところがさすが将軍だ。いつかきちんと立つてゐる。おまけに鞍と将軍も、もうすつかりとはなれてゐて、将軍はまがつた両足を、両手でぱしやぱしや叩(たた)いたし、馬は俄かに荷がなくなつて、さも見当がつかないらしく、せなかをゆらゆらゆすぶつた。するとバーユー将軍はこんどは馬のはうきのやうなしつぽを持つて、いきなりぐつと引つ張つた。すると何やらまつ白な、尾の形した塊が、ごとりと床にころがり落ちた。馬はいかにも軽さうに、いまは全く毛だけになつたしつぽを、ふさふさ振つてゐる。弟子が三人集つて、馬のからだをすつかりふいた。/『もういゝだらう。歩いてごらん。』/馬はしづかに歩きだす。あんなにぎちぎち軋(きし)んだ膝(ひざ)がいまではすつかり鳴らなくなつた。」

 

 校本全集による改稿の異同を見ると、最後の方にある「するとバーユー将軍はこんどは馬のはうきのやうなしつぽを持つて、いきなりぐつと引つ張つた。」という文章の「バーユー将軍」は、「リンプー先生」の誤りであると考えられる。

 内容的には、コメントの必要はなかろう。「韻文形」の淡白さに比べて、「最終発表形」における〈生身〉の身体イメージの喚起力は鮮烈というほかはない。

 全身から一斉に毒素が噴き出すような、凄まじい「けむり」と「汗」の描写に加えて、「尾の形をした塊」が「ごとりと床にころがり落ち」るというメタファーは、将軍と苦楽を共にし風雪を乗り越えてきた、この愛馬の疲労感の、たとえようもない深さを伝えて余りあるといっていい。

 それはそのまま、兵士たちや将軍自身の疲労感とも重なっているのだ。

 それだけに、このシーンは、「韻文形」では逆立ちしても表現できないような、無類の治癒のイメージを実現しえている。

 植物病院でも、同様である。

「韻文形」では、将軍の顔に生えた「さるをがせ」を、医師がアルコールでしめして剃刀(かみそり)でそるだけだが、「最終発表形」では、次のようになる。

 

「ポー先生は黄いろな粉を、薬函から取り出して、ソン将軍の顔から肩へ、もういつぱいにふりかけて、それから例のうちはをもつて、ばたばたばたばた扇(あふ)ぎ出す。するとたちまち、将軍の、顔ぢゆうの毛はまつ赤に変り、みんなふはふは飛び出して、見てゐるうちに将軍は、すつかり顔がつるつるなつた。じつにこのとき将軍は、三十年ぶりにつこりした。」

 

 先の馬の治療シーンと比べるとあっさりしているが、やはり、蓄積された毒素が体から一斉に噴き出してくるような感触が描かれている。

 以上のように、「後期散文形」、とりわけ「最終発表形」では、「韻文形」に収斂していく「初期草稿」とは違って、生活者的な〈生身〉の匂いが濃厚に立ち込めており、表出の中心は、明らかに、治療過程の描写によって象徴される生活の疲労や傷の〈治癒〉のイメージに置かれているといってよい。

 

     23

 

 これに対して「韻文形」は、〈生身〉の匂いを大幅に希釈した、懐かしい幻灯のようなヴァーチャルな観照者的風景を紡ぎ出すことで、「後期散文形」には見られない、独特のユーモラスな温かさを現出させている。

 特に「サラバアユウ馬病院」や「ペンクラアネイ植物病院」の描写では、後期散文形で排除されている擬人法を取り入れ、なんともひょうきんな童話的空間を演出してみせている。

 たとえば、「最終発表形」では、馬病院の冒頭の描写は「ソン将軍が、お医者の弟子と、けしの畑をふみつけて向ふの方へ歩いて行くと、もうあつちからもこつちからも、ぶるるるふうといふやうな、馬の仲間の声がする。そして二人が正面の、巨(おほ)きな棟(むね)にはひつて行くと、もう四方から馬どもが、二十疋(ぴき)もかけて来て、蹄(ひづめ)をことこと鳴らしたり、頭をぶらぶらしたりして、将軍の馬に挨拶(あいさつ)する。」となっているが、「韻文形」の方では「馬に乗ったプランペラポラン将軍と/青くなったホトランカン氏の助手とは/サラバアユウ馬病院の/けしの花壇をよこぎって/診察室の方へ行く。/もうあっちからもこっちからも/エヘンエヘンブルルル/エヒンエヒン フウといふ/馬の挨拶(あいさつ)が聞えて来る。/診察室のセメントの/床に二人が立ったとき/もう三方から馬どもが/三十疋(ぴき)も飛んで来て/将軍の馬に挨拶する。」と語られている。

「最終発表形」では、そのあとただちに、馬にけられないために「巨きな鉄の胸甲(むなあて)を、がつしりはめてゐる」リンプー先生に、将軍の馬が治療を受けることになるのだが、「韻文形」では、「千疋も集まつてゐる」馬の中を、将軍が「とっとと自分の馬を進め」サラバアユウ先生の前に行く。その時、バアユウ先生は、ちょうど一匹の「首巻」をした「肺癆(はいらう)の年老(としよ)り馬」を診察しており、以下に、その馬とのユーモラスでもの哀しい会話のシーンが続くのである。

「最終発表形」のリアルな手堅さとの違いは、印象的である。

 植物病院の冒頭の描写も、「最終発表形」では「さてもリンポー先生の、草木を治すその室(へや)は、林のやうなものだつた。あらゆる種類の木や花が、そこらいつぱいならべてあつて、どれにもみんな金だの銀の、巨(おほ)きな札がついてゐる。」とあるが、「韻文形」では「ペンクラアネイ先生の/診察室なんといふものは/林のやうなものだった。/あらゆる種類の木や草が/もじゃもじゃ一杯集って、/泣いたり笑ったりやってゐる。」というふうに、ただちに擬人法が使われている。

 前者では、冒頭の描写の後、ただちに、将軍はリンポー先生の治療を受けるのだが、後者では、「眼を光らせて」将軍たちを「通し又見送る」木々の間を抜けてペンクラアネイ先生の前におもむくのである。先生の前には、病気のために「いぢけた」桃の木が一本立っていて、以下に、この木と医師との、これまた哀れでユーモラスな会話が続いている。(「韻文形」では、この会話シーンの原稿数枚が欠落しているが、異稿によって、内容は部分的に復元・推定できる。)

 このような「韻文形」における擬人法の使用とあいまった馬病院や植物病院の独特のふんいきは、先に論じた「楢ノ木大学士の野宿」によく似ている。

 すなわち、作者の人間への根深い嫌悪と孤独感の深さ、それの裏返しとしての自然科学へのオタク的なのめり込みと、人間的なるものへの渇きを自然の擬人化によって代償せんとする幼児性。

「韻文形」におけるサラバアユウ医師やペンクラアネイ医師の造型には、このような「楢ノ木大学士」のキャラクターと同質の匂いが感じられるのである。

 人間を相手とするホトランカン医師や一徹者の老将軍も含めて、この作品では、それぞれに異なった専門領域をもつ人物たちの温かい交わりの物語を通して、ひとつの自己充足的で牧歌的な〈自然分業〉の世界が紡ぎ出されているといっていい。

 三人兄弟の医者も老将軍も、各々の専門領域をひとつの宇宙(コスモス)のように棲み分けているが、それぞれの領域で、まことに温かく、人間味がある。

 苦労人であり、それぞれの世界で日々接触している人や動物や植物に対して深い愛情と共感の能力をもっている。

 それでいて、彼らは、どこか非現世的な、幼児的な純粋さの匂いを漂わせており、はればれとしていながらも孤独な風貌を感じさせる。

 ここでは、「毒もみのすきな署長さん」で表現されたような、オタク的な生きざまのはらむ〈負〉の側面は影をひそめ、あるべき幸福な専門性のかたちのみが強調されている。

「韻文形」は、極度に誇張され単純化されたユーモラスな童話的設定と擬人化の手法に加えて、擬音語の音数律と一体化した、独特の哀愁の漂う詩形式を活かすことで、このオタク的な〈自然分業〉の世界に、なんともいえぬヴァーチャルな牧歌性の匂いを与えることに成功しているのである。(この稿続く)

 

 

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宮沢賢治童話考(連載第9回)  川喜田八潮

  • 2016.10.17 Monday
  • 15:41

 

     20

 

 宮沢賢治の夢みた生身の接触と絆のイメージを、三つの童話作品をサンプルにしながら追跡してきた。

 今まで取り上げてきた作品は、あくまで、孤独な個人の内面のドラマとして造型されたものだが、最後に取り上げる「三人兄弟の医者と北守将軍」は、人間同士の生身の接触に、ある種の社会的な拡がりを与えた野心作であるといっていい。

 作者はここで、極度に単純化され誇張されたユーモラスな童話的牧歌性を巧みに活かしながら、ひとつの理想的な〈自然分業〉の世界を提示してみせている。

 宮沢賢治はこの物語によほどの愛着があったらしく、大正後期から昭和初年にかけての約十年の歳月にわたって執拗に改稿を繰り返しており、最終的に、満州事変の起こった昭和六年(一九三一)に雑誌に発表された「北守将軍と三人兄弟の医者」という散文形式の童話に結実する。

 しかし、初期の草稿段階から最後の発表形に至るまで、物語の基本的な構成は変わっていない。

 三十年にわたって北方の塞外(さいがい)の辺土で厳寒と悪天候と疫病に苦しみながら、悪戦を続けてきた老将軍と兵卒たちが、ようやく凱旋の日を迎えるが、長年の間、重責を担い、馬から降りる暇もなかったために、いつしか北守将軍の両足は馬の鞍にはりついて離れなくなっており、鞍もまた馬の背中から離れようとしない。おまけに、将軍や兵士たちの顔や手からは、いちめんに灰色のもじゃもじゃの植物が生えている。

 王宮から大臣の一行が出迎えに来るが、馬から降りられない将軍の姿を見て、謀反(むほん)だと勘違いし、引き返してしまう。

 将軍はため息をついて部下を呼び寄せ、すぐ王宮へおもむいて馬から降りられなくなったいきさつを説明し、このままではお目通りできないので、これから医者にかかって、その後で参内(さんだい)する旨を申し上げてくるように、と命ずる。

 あとは、疲弊しきった病める老将軍と馬が、人間と馬と植物をそれぞれ専門とする三人兄弟の医師に治療してもらう経過が克明に語られる。

 兵隊たちの顔に生えた灰色の毛も無事除去され、生気を取り戻した将軍と軍隊は、意気揚々と王宮に向かって進んで行く。

 以上のような物語の基本構成は、初期草稿から最終発表形まで共通しているが、内容的には、大正十一年(一九二二)頃成立した初期散文形「三人兄弟の医者と北守将軍」を文体的に大幅に改稿した通称「韻文形(いんぶんけい)」と、満州事変勃発直前の昭和六年七月に発表された「北守将軍と三人兄弟の医者」及びその下書き稿のいわゆる「後期散文形」との鋭い違いに注目する必要がある。

「韻文形」は、地の文を行分けの散文詩形式にした唯一の原稿であり、作品中に挿入されている軍歌の中に、豆太鼓とチャルメラによる「音数律」が詩形式の一環として巧みに活かされている。

 しかし、「後期散文形」では、初期草稿に導入されていた擬音語の音数律は消去され、地の文も完全な散文形式に改められている。

 また、初期草稿では、馬や植物に擬人法が使われているのに対して、後期散文形では擬人法は完全に一掃され、ユーモラスな童話的誇張が薄められると共に、最終部に、北守将軍の隠退と死のエピソードが付け加えられている。

 後に論及するように、このような差異は、実は、昭和初年におけるウルトラ・ナショナリズムの台頭の動向と、決して無縁ではないとおもわれるのである。

 以上のように、初期草稿と後期散文形の間には、ゆるがせにできない重要な相違点がみとめられる。

 ここではまず、初期の「韻文形」の魅力について語っておきたい。

 始まりはこうだ。

 

「ある日の丁度ひるころだった/グレッシャムの町の北の方から/『ピーピーピピーピ、ピーピーピ』/大へんあはれな たくさんの/チャルメラの音が聞えて来た。/その間には/『タンパララタ、タンパララタ、ペタンペタンペタン。』/といふ豆太鼓の音もする。/だんだんそれが近づいて/馬の足音や鎧(よろひ)の気配/たうとう町の壁の上から/ひらひらする三角の旗や/かゞやくほこがのぞき出す。/(中略)/壁の外には沙漠(さばく)まで/まるで雲霞(うんか)の軍勢だ。/みんな不思議に灰いろや/鼠(ねずみ)がかってもさもさして/天まで続いてゐるやうだ。/するどい眼をしてひげのまっ白な/せなかのまがった大将が/馬に乗って先頭に立ち/剣を抜いて高く歌ってゐる。/『北守(ほくしゅ)将軍のプランペラポラン/いま塞外(さいぐわい)のくらい谷から、/やっとのことで戻って来た。//勇ましい凱旋(がいせん)だと云ひたいのだが/実はすっかり 参って来たのだ/とにかくあすこは寒い処(ところ)だよ。//三十年といふ黄いろなむかし/おれは百万の軍勢をひきゐ/チャルメラを朝風に吹いて出かけた。//それからどうだ一日も太陽を見ない/霧とみぞれがじめじめと降り/雁(かり)まで脚気(かくけ)でたびたび落ちた。//おれはその間 馬で馳(か)けどほし/馬がつかれてたびたびぺたんと座り/涙をためてじっとおれを見たもんだ。//その度ごとにおれは鎧(よろひ)のかくしから/上等の朝鮮人蔘(てうせんにんじん)をとり出して/馬に喰べさせては元気をつけた。//その馬も今では三十五歳/四里かけるにも四時間かゝる/それからおれはもう七十だ。//とても帰らないと思ってゐたが/ありがたや敵が残らず腐って死んだ。/今年の夏はずゐぶん湿気が多かったでな//おまけに腐る病気の種子は/こっちが持って行ったのだ/さうして見ればどうだやっぱり凱旋(がいせん)だらう。//殊にも一ついいことは/百万人も出かけたものが/九十九万人まで戻って来た。//死んだ一万人はかなり気の毒だが/それはいくさに行かなくても死ぬだらうぜ、/さうして見るとどうだ、やっぱり凱旋だらう。//そこでグレッシャムの人々よ/北守将軍プランペラポランが帰ったのだ/歓迎してもいゝではないか。』」

 

 城の壁の中では人々の大歓声が起き、厚い城門の扉が開いて、顔や体中に灰色の「猿おがせ」の生えた将軍や兵士たちが、チャルメラと豆太鼓による楽隊の音に合わせて軍歌をうたいながら静かに町に入って来る。

 

「灰いろになったプランペラポラン将軍が/わざと顔をしかめながら/しづかに馬のたづなをとって/まっすぐを向いて先登(せんとう)に立ち/それからチャルメラ豆太鼓/ぎらぎらのほこ三角の旗/軍勢は楽隊の音に合せて/足なみをそろへ軍歌をうたひ/門から町へ入って来た。/『タンパララタ、タンパララタ、ペタン、ペタン、ペタン、/月はまっくろだ、/雁(がん)は高く飛ぶ/やつらは遠く遁(に)げる。/追ひかけようとして/馬の首を叩(たた)けば/雪が一杯に降る。//タンパララタ、タンパララタ、ペタンペタンペタン、/北の七つ星/息もとまるばかり/冷えは落ちて来る/斯(か)うしては居られないと/太刀(たち)のつかをとれば/手はすぐこゞえつく。//タンパララタ、タンパララタ、ペタンペタンペタン、/雪がぷんぷんと降る/雁のみちができて/そこがあかるいだけだ、/こゞえた砂が飛び/ひょろひょろのよもぎが/みんなねこぎにされる。//タンパララタ、タンパララタ、ペタンペタンペタン。』/みんなはみちの両側に/垣(かき)になってぞろっとならび/北から帰った軍勢を/大悦(おおよろこ)びで迎へたのだ。/『あゝプランペラポラン将軍は/すっかり見ちがへるやうおなりだ。/おからだいっぱい灰いろだ。/兵隊たちもみなさうだ。/頭も肩ももじゃもじゃだ。/どんなに難儀しただらう。』」

 

  作品導入部におけるこの詩形式とチャルメラや豆太鼓のリズムは、戦前から終戦後の一九五〇年代前半までに幼少期をすごした中高年世代にとっては、おそらく大なり小なり、なんともいえぬ、わびしい郷愁の匂いをおぼえさせるはずである。

 それは、ひと言でいうなら、他人には伝えがたい、哀歓の降り積もった歳月の重みと人生の疲労感のイメージである。

 自然の流れの中に溶かし込まれた、〈生涯〉という、たしかな充実した手ざわりとぽっかり穴のあいたような空虚さとを併せもった、不思議な生き物の体液の匂いである。

 老将軍と兵士たちの表情がほのかに漂わせるものはそれであり、作品のひょうひょうとした詩的リズムは、彼らのその沈黙の重さをユーモラスに優しく包み込んでみせる。

 この擬音語の音数律と一体化した詩形式は、一面ではたしかに無名人の生涯の哀歓の匂いと沈黙の深さを想起させながら、他面では、その重さを、淡々と突き放したうら哀しい〈語り〉のリズムに包摂することで巧みに希釈し、幻灯のようなヴァーチャルなおもむきをもった観照者的な風景へと変容させてみせるのである。

 今や食傷気味といってもいいほど乱用され、陳腐と成り果てた、現代詩や現代短歌の世界における擬音語(オノマトペ)の奇抜な使用は、意味の〈重力〉を解体させ、空虚と戯れることで、生の浮遊感をかもし出す。

 宮沢賢治は、いうまでもなく、このような価値解体的なオノマトペのユーモラスなリズムの考案者として、達人であった。

 詩も含めて、広い意味で「うたう」という行為は、個的な険しさを、個を超えたある種の〈自然〉の流れの中に溶かし込むことで、いわば傍観者的に突き放しながら同時に己れ自身の固有性に引きつけるという、二重性のきしみを活用した、美事なカタルシスの療法であるといってよい。

 それは、人々の無意識が風土的・伝統的に継受してきた〈沈黙〉の言語的意味性を活かすことで生み出された、〈リズム〉という摩訶不思議な生き物のなせる、自然=コスモスとの緊迫した切断と融合のドラマなのである。

「うたう」ことによってわれわれは、どれだけ救われるかしれない。

「うたう」ことを排除した詩歌は、芸術として死んだも同然だ。

 散文ですら、その文体の生命は〈リズム〉によって支えられる。

 リズムの欠落した散文は文体の欠落した文章であるといってよく、したがって個と共同性、個と類の鋭い緊張関係をもたぬ、ふやけた意識の産物であり、書き手の〈貌(かお)〉というものの存在しない、のっぺらぼうの文章なのである。

  人間は、きちんと生き抜くためにきちんと「うたう」ことができなければならぬし、物書きは、きちんと己れの文体のリズムというものを体得していなければならない。(この稿続く)

 

 

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宮沢賢治童話考(連載第8回)  川喜田八潮

  • 2016.09.25 Sunday
  • 15:44

 

     18

 

「ガドルフの百合」や「祭の晩」に象徴される生身の接触のイメージが幸福なものであったのに対して、「なめとこ山の熊」は、宿命的な業苦の相の下での不幸なエロスのかたちを描いた、哀切で重厚な作品となっている。

 この作品の主人公、熊取りの名人の「小十郎」は、およそ猟師らしい猛々しさを感じさせない、獲物への深い愛情を抱いた、優しい心根の人物として描かれている。

 ところが、作品の初めの方でスケッチされた主人公の風貌は、次のようなものだ。

 

「淵沢小十郎はすがめの赭黒いごりごりしたおやぢで胴は小さな臼(うす)ぐらゐはあったし掌(てのひら)は北島の毘沙門(びしゃもん)さんの病気をなほすための手形ぐらゐ大きく厚かった。小十郎は夏なら菩提樹(マダ)の皮でこさへたけらを着てはむばきをはき生蕃(せいばん)の使ふやうな山刀とポルトガル伝来といふやうな大きな重い鉄砲をもってたくましい黄いろな犬をつれてなめとこ山からしどけ沢から三つ又からサッカイの山からマミ穴森から白沢からまるで縦横にあるいた。木がいっぱい生えてゐるから谷を溯(のぼ)ってゐるとまるで青黒いトンネルの中を行くやうで時にはぱっと緑と黄金(きん)いろに明るくなることもあればそこら中が花が咲いたやうに日光が落ちてゐることもある。そこを小十郎が、まるで自分の座敷の中を歩いてゐるという風でゆっくりのっしのっしとやって行く」

 

 小十郎の不敵な野性味が、自然のふところ深く抱かれながら、そのひだにぴたっと寄り添うように息づいている。

 明らかに、この主人公は猟師らしい猛々しさを失ってはいない。

 本能的な嗅覚と長年の経験や熟練によって容赦なく獲物を追いつめ、震えるような緊張と血の昂ぶりをおぼえながら首尾よく相手を射とめた時の、歓喜と苦痛のない混ざった、えもいえぬ達成感が決して忘れられない人間であるはずなのだ。

 そのハンターとしての獰猛な闇の血液が、苛酷な小十郎の山暮らしを耐えさせてきた心棒だといってもいい。

 だが、作者は、主人公のそういう荒々しい魂の側面を、決して前面に出そうとはしない。小十郎の威風堂々たる風貌と山歩きの所作をごく簡潔にスケッチするだけにとどめ、主人公の野性味を敢えて後景に退かせている。

 代わりに前面に出てくるのは、小十郎の熊たちへの、たとえようもなくデリケートな愛情なのである。

 

 小十郎はぴったり落ち着いて樹(き)をたてにして立ちながら熊の月の輪をめがけてズドンとやるのだった。すると森までががあっと叫んで熊はどたっと倒れ赤黒い血をどくどく吐き鼻をくんくん鳴らして死んでしまふのだった。小十郎は鉄砲を木へたてかけて注意深くそばへ寄って来て斯(か)う云ふのだった。

「熊。おれはてまへを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめへも射(う)たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰(たれ)も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめへも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ。」

 そのときは犬もすっかりしょげかへって眼を細くして座ってゐた。

 何せこの犬ばかりは小十郎が四十の夏うち中みんな赤痢にかゝってたうとう小十郎の息子とその妻も死んだ中にぴんぴんして生きてゐたのだ。

 それから小十郎はふところからとぎすまされた小刀を出して熊の顎(あご)のとこから胸から腹へかけて皮をすうっと裂いて行くのだった。それからあとの景色は僕は大きらひだ。けれどもとにかくおしまひ小十郎がまっ赤な熊の胆(い)をせなかの木のひつに入れて血で毛がぼとぼと房になった毛皮を谷であらってくるくるまるめせなかにしょって自分もぐんなりした風で谷を下って行くことだけはたしかなのだ。

 

 小十郎の生活の苛酷さと不条理なさだめが、淡々と、乾いたリアルな描写力で見事にすくい取られている。

 宮沢賢治のこういう生の隈取りの仕方には、いかにも農耕社会的な、自然=存在への穏和で親和的な感受性と、あらゆる吉凶禍福を天災や神々の恵みのように受け流してゆこうとするアジア的な無常観や、因果の連鎖の網の目によって一切の生を宿命として俯瞰しようとする仏教的な諦観が透かし視える。

 賢治童話のアニミズム性は、先に論じた「種山ヶ原」のように、一面では荒々しい野性的な闇の息づかいを伝えるが、他面では、わが国の近世以来の成熟した穏やかな農耕社会特有の、植物的で繊細な優しさを感じさせるものとなっている。

 賢治が、しばしば食物連鎖的な視点に己れの存在への異和、不条理感を象徴させようとしたのも、こういう農耕社会的な風土性の伝統のなせるわざであったといってよい。

 この穏和で親和的なアニミズム性は、一面では小十郎の獰猛な野性を後景に追いやり、作品から闊達な生命力を奪い去るという陰鬱な負の役割を果たしているが、その代わりに、たとえようもなく優しい生命の交感の物語を紡ぎ出してみせる。

 この作品の要(かなめ)ともいえる、早春の宵の月明かりの下での母子熊のくつろいだ姿態とそれをこっそり見つめる小十郎の心持ちを描いた名場面を引用してみよう。

 

「どうしても雪だよ、おっかさん谷のこっち側だけ白くなってゐるんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん。」

 すると母親の熊はまだしげしげ見つめてゐたがやっと云った。

「雪でないよ、あすこへだけ降る筈(はず)がないんだもの。」

 子熊はまた云った。

「だから溶けないで残ったのでせう。」

「いゝえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです。」

 小十郎もじっとそっちを見た。

 月の光が青じろく山の斜面を滑ってゐた。そこが丁度銀の鎧(よろひ)のやうに光ってゐるのだった。しばらくたって子熊が云った。

「雪でなけぁ霜だねえ。きっとさうだ。」

 ほんたうに今夜は霜が降るぞ、お月さまの近くで胃(コキヱ)もあんなに青くふるへてゐるし第一お月さまのいろだってまるで氷のやうだ、小十郎がひとりで思った。

「おかあさまはわかったよ、あれねえ、ひきざくらの花。」

「なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ。」

「いゝえ、お前まだ見たことありません。」

「知ってるよ、僕この前とって来たもの。」

「いゝえ、あれひきざくらでありません、お前とって来たのきさゝげの花でせう。」

「さうだらうか。」子熊はとぼけたやうに答へました。小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向ふの谷の白い雪のやうな花と余念なく月光を浴びて立ってゐる母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないやうにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思ひながらそろそろと小十郎は後退りした。くろもじの木の匂(にほひ)が月のあかりといっしょにすうっとさした。

 

 擬人化の手法が導入されているため、多少人間臭いさかしらな養育の匂いがしないでもないが、それを差し引いても、十分におごそかで、かつ何ともいえぬ優しい心ばえを感じさせる印象深いシーンである。

 ここで、小十郎は母子の熊と完全に同じ風景を共有し、しばし己れの心身を熊たちのまなざしの場所に転位させることができている。

 それは、小十郎や熊の孤立した意識野を超えて、どこか、存在そのものの本源的なまなざしを触知させる。

 淡い月光に照らされた青白い山の斜面に銀色に光る、雪のような花の風情は、母子熊の心象風景であると共に小十郎の風景でもあり、さらには、熊も小十郎も超えて拡がる、存在そのものの神秘なめぐり会いの紡ぎ出した一幅の浄福の風景にほかならない。

「銀の鎧(よろひ)」のような花の輝きも、霜を予感させる冴えざえとした氷のような月の表情も、視覚神経の生み出した単なる偶然的な物理的映像でもなければ、熊や小十郎の勝手な主観の産物でもない。

 熊たちと小十郎とそれを取り囲む森羅万象の不思議な縁(えにし)による出会いの場が生み出した、生命的なコスモスとしての風景なのだ。

 同様に、月光を浴びながらうっとりと花を見つめる母子熊の姿を優しく包み込む小十郎のまなざしもまた、彼自身のものでありながら彼自身を超えた、大いなる存在の神秘の顕われにほかならない。

 この浄福の光景の中で、小十郎の魂は、存在を存在たらしめている本源にまで錘鉛を降ろすと共に、その位相を通じて母子熊の魂に重なり合うことができている。

 ここに、小十郎と熊たちの間に形成された眼に視えない絆の深さの秘密が暗示されているといっていい。

 この作品では、主人公と熊たちは、獲る者と獲られる者という血なまぐさい敵対関係の宿命に置かれているにもかかわらず、決して憎み合ってはおらず、むしろ、互いの苦しみを我が事のように感じ取り、深い慈しみの心を抱き合っている。

 それは、彼らが、地上的で可視的な敵対関係の図柄を超えて、存在そのものを成り立たしめているメタフィジカルで本源的な魂の場においてめぐり会えているからである。

 だからこそ、小十郎に命を助けられた熊は、彼との約束を守って、ちょうど二年後のある日、小十郎の家の前で血を吐いて倒れ、自らの死体を供するのであり、小十郎もまた、その熊の心根を全身で感受し、思わず拝まずにはいられないのである。そしてまた、熊に襲われて突き殺される瞬間に、小十郎が、長年の業苦から解放された安堵の吐息をもらすように熊たちへの許しを乞い、その小十郎の死骸を取り囲んだ熊たちが、星辰輝く真冬の山上にひれ伏しながら深々と鎮魂の祈りを捧げ続けるという、あの濃密な畏怖感をたたえた偉大なラストシーンが可能となるのである。

 

 とにかくそれから三日目の晩だった。まるで氷の玉のやうな月がそらにかかってゐた。雪は青白く明るく水は燐光(りんくわう)をあげた。すばるや参(しん)の星が緑や橙(だいだい)にちらちらして呼吸をするやうに見えた。

 その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環(わ)になって集って各々黒い影を置き回々(フイフイ)教徒の祈るときのやうにじっと雪にひれふしたまゝいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸が半分座ったやうになって置かれてゐた。

 思ひなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのやうに冴(さ)え冴(ざ)えして何か笑ってゐるやうにさへ見えたのだ。ほんたうにそれらの大きな黒いものは参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したやうにうごかなかった。

 

 生きる場所の違いから生ずる宿命的な反目と孤絶の業苦をくぐり抜ける中で自ずと育まれた沈黙の絆のかたちが、けだかい魂をもった無名の生活者の大往生の姿を通して美事に祀(まつ)り上げられている。

 

     19

 

 熊たちと小十郎の偉大な交わりとは対照的に、この作品では、俗世間の人間たちと主人公の関わりは、まことに貧寒で卑小なありさまを呈している。

 血塗られた悲痛な代償を支払ってようやくの思いで手にした熊の胆と毛皮を、町の荒物屋の主人は、生活苦に苛まれる小十郎の足元を見すかして、平然と二束三文の値で買いたたいてしまう。九十になる老母と孫の子供たちを抱える小十郎は、鈍感で薄汚い、ちっぽけな商人に、毎回、いいようにあしらわれる。

 ここには、いうまでもなく、宮沢賢治の根深い人間への嫌悪、とりわけ、己れの卑俗な器に合わせて相手の境遇と心事を小賢しく推し量ろうとする小人ぶりや計算高さに対する冷笑と毒念が込められている。

 

「いくら物価の安いときだって熊の毛皮二枚で二円はあんまり安いと誰(たれ)でも思ふ。実に安いしあんまり安いことは小十郎でも知ってゐる。けれどもどうして小十郎はそんな町の荒物屋なんかへでなしにほかの人へどしどし売れないか。それはなぜか大ていの人にはわからない。けれども日本では狐(きつね)けんといふものもあって狐は猟師に負け猟師は旦那に負けるときまってゐる。こゝでは熊は小十郎にやられ小十郎が旦那にやられる。旦那は町のみんなの中にゐるからなかなか熊に食はれない。けれどもこんないやなずるいやつらは世界がだんだん進歩するとひとりで消えてなくなって行く。僕はしばらくの間でもあんな立派な小十郎が二度とつらも見たくないやうないやなやつにうまくやられることを書いたのが実にしゃくにさはってたまらない」

 

 思わずほほ笑みたくなるような文章だが、生きる場所の違いがもたらすどうしようもない悲喜劇性の本質が的確に押さえられている。同じ人間という生き物でも、生きる場所の差異によって、その視えている風景は天と地ほども違うのだ。

 作者にとって、己れの小賢しい計算高さを誇り、地上を這いずり回りながら他人を出し抜こうと必死にもがく小人たちは、しょせん触れ合うところのない疎遠な異類にすぎなかった。

 人間ならざる熊という猛々しい誇りたかい生き物と孤独で純潔な魂をもつ人間の偉大な交流を描くことは、作者にとってきわめて自然な象徴的設定だった。

 小十郎は、悲痛な熊殺しの宿命や生活苦の足枷から逃れられないばかりでなく、ちっぽけな世間の小人たちの理不尽な収奪からも逃れられない。

 しかし、その酷薄な不条理性の連鎖にもかかわらず、彼の生涯の軌跡は、少しも、惨めったらしい、物欲しげな哀れさというものを感じさせない。

 まさに、花も実もある、堂々たる生涯の完結感が伝わってくる。

 それは、この作品が、地上的な煉獄の内にありながらそれを突き抜けるようなメタフィジカルな交わりのかたちを、コスミックな身体的拡がりをもって美事に具象化してみせているからである。

「二十六夜」で描かれた、あの陰湿で不条理な因果応報のまなざしと取って付けたようなヴァーチャルで空虚な彼岸的救済の図式を想い浮かべるとき、私は、「なめとこ山の熊」とのあまりの違いに深い感慨をおぼえざるを得ない。

 宮沢賢治は、おそらく生涯をかけた長い修練の果てにこの作品の境地に辿り着いたのだ。

 孤絶感の裏返しともいうべきナルシシズム的なエロスへの渇きという作者の資質は、この「なめとこ山の熊」に至って、一切の不条理を内在的に超越せんとする強靱な思想性を獲得し得ているといっていい。(この稿続く)

 

 

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宮沢賢治童話考(連載第7回) 川喜田八潮

  • 2016.08.24 Wednesday
  • 17:46

 

     16

 

 宮沢賢治が、存在との間に、なかんずく人間との間に、自然な〈生身〉の接触と絆を夢見るとき、それはいかなる形をとって、私たちの前に立ち顕われるのであろうか。

 本稿では、その類型を、「ガドルフの百合(ゆり)」「祭の晩」「なめとこ山の熊」「三人兄弟の医者と北守将軍」(及びそれを改作した「北守将軍と三人兄弟の医者」)といった諸作品を素材として抽出してみたい。

「ガドルフの百合」は、街道を歩み続けるガドルフという疲れ切った旅人が、たそがれ時に激しい雷雨に見舞われて、道端にあった誰もいない「巨きなまっ黒な家」へ避難した時のささやかな体験を描いたものである。

 この作品の見事なところは、飢えと疲れでよれよれになったガドルフの眼に映る街道筋の風景のひび割れた陰鬱な表情とその延長上に顕われる雷雨の険しさが、そのままガドルフの生き難さの実感を伝える、生の心象風景となり得ているという点である。

 

 ハックニー馬のしっぽのやうな、巫山戯(ふざけ)た楊(やなぎ)の並木と陶製の白い空との下を、みじめな旅のガドルフは、力いっぱい、朝からつゞけて歩いて居(を)りました。

 それにたゞ十六哩(マイル)だといふ次の町が、まだ一向見えても来なければ、けはひもしませんでした。

(楊がまっ青に光ったり、ブリキの葉に変ったり、どこまで人をばかにするのだ。殊にその青いときは、まるで砒素(ひそ)をつかった下等の顔料(ゑのぐ)のおもちゃぢゃないか。)

 ガドルフはこんなことを考へながら、ぶりぶり憤(おこ)って歩きました。

 それに俄(には)かに雲が重くなったのです。

(卑しいニッケルの粉だ。淫(みだ)らな光だ。)

 その雲のどこからか、雷の一切れらしいものが、がたっと引きちぎったやうな音をたてました。(中略)

 実にはげしい雷雨になりました。いなびかりは、まるでこんな憐(あは)れな旅のものなどを漂白してしまひさう、並木の青い葉がむしゃくしゃにむしられて、雨のつぶと一緒に堅いみちを叩(たた)き、枝までがガリガリ引き裂かれて降りかかりました。

(もうすっかり法則がこはれた。何もかもめちゃくちゃだ。これで、も一度きちんと空がみがかれて、星座がめぐることなどはまあ夢だ。夢でなけぁ霧だ。みづけむりさ。)

 ガドルフはあらんかぎりすねを延ばしてあるきながら、並木のずうっと向ふの方のぼんやり白い水明りを見ました。

 

 街道筋の楊や空模様の描写には、宮沢賢治らしい、例の無機的で化学的な、ひび割れた自然意識がよく表われているし、その延長上に、ガドルフのささやかな人間的営みなど歯牙にもかけないかのように、凄まじい雷雨が、存在を威圧し翻弄する虚無の象徴の如く、冷酷に立ち顕われる。道路の暗い不気味な空き家に避難したガドルフは、窓越しに、嵐に打たれて咲いている「白百合」の群れを見つける。

 闇夜の中で荒れ狂う稲妻と豪雨に対峙するかのように、けなげにひっそりとたたずむ百合の存在が、やはりガドルフのもうひとつの生のかたちを鮮やかに象徴している。

 

(おれの恋は、いまあの百合(ゆり)の花なのだ。いまあの百合の花なのだ。砕けるなよ。)

 それもほんの一瞬のこと、すぐに闇は青びかりを押し戻し、花の像はぼんやりと白く大きくなり、みだれてゆらいで、時々は地面までも屈(かが)んでゐました。

 そしてガドルフは自分の熱(ほて)って痛む頭の奥の、青黝(あをぐろ)い斜面の上に、すこしも動かずかゞやいて立つ、もう一むれの貝細工の百合を、もっとはっきり見て居りました。たしかにガドルフはこの二むれの百合を、一緒に息をこらして見つめて居ました。

 それも又、たゞしばらくのひまでした。

 たちまち次の電光は、マグネシアの焔(ほのほ)よりももっと明るく、菫外線(きんぐわいせん)の誘惑を、力いっぱい含みながら、まっすぐに地面に落ちて来ました。

 美しい百合の憤(いか)りは頂点に達し、灼熱(しゃくねつ)の花弁は雪よりも厳(いか)めしく、ガドルフはその凛(りん)と張る音さへ聴いたと思ひました。

 暗(やみ)が来たと思ふ間もなく、又稲妻が向ふのぎざぎざの雲から、北斎の山下白雨のやうに赤く這(は)って来て、触れない光の手をもって、百合を擦(かす)めて過ぎました。

 

 しかし、雨はますます烈しさを加え、いちばん丈の高い一本の百合がとうとうその華奢な幹を折られて、倒れてしまう。打ちひしがれたガドルフは、背嚢から小さな敷布を取り出して体にまとい、寒さに震えながら睡ろうとする。なつかしい「遠い幾山河の人たち」のことを「燈籠(とうろう)のやうに」思い浮かべたりしているうちに睡りこけたガドルフは、「豹の毛皮」の着物を着けた男と「鳥の王」のように黒く身をかためた男が、青く光る坂の上で烈しく格闘しているさまを夢に見る。やがて二人の大男が暴れわめいて戦ううちに、とうとう大きな音をたてて坂を転げ落ちてしまう。

 ガドルフがふと目を覚ますと、雷雨は既におさまりつつあり、電光がただ一本を除いて「嵐に勝ち誇った百合の群」を真っ白に照らし出す。

 

 窓の外の一本の木から、一つの雫(しづく)が見えてゐました。それは不思議にかすかな薔薇(ばら)いろをうつしてゐたのです。

(これは暁方(あけがた)の薔薇色ではない。南の蝎(さそり)の赤い光がうつったのだ。その証拠にはまだ夜中にもならないのだ。雨さへ晴れたら出て行かう。街道の星あかりの中だ。次の町だってぢきだらう。けれどもぬれた着物を又引っかけて歩き出すのはずゐぶんいやだ。いやだけれども仕方ない。おれの百合は勝ったのだ。)

 ガドルフはしばらくの間、しんとして斯(か)う考へました。

 

 一人の孤独な旅人の雨宿りという、何の変哲もないささやかな体験の、微細な心象風景の推移の内に、あたかもひとつの人生ドラマを凝縮させてみせたかのような、巨大な生の振幅を感じさせる美事な作品というほかはない。

 二人の大男の格闘が、作者の分身であるガドルフの秘められた荒魂(あらみたま)の葛藤の象徴、すなわち虚無と生命の両義性による葛藤の象徴となっていることは明白であろう。

 もちろん、その存在の両義性の葛藤は、雷雨と白百合のそれにも重ねられる。

 ただし、百合の花の象徴は、生命的な猛々しさを内に秘めた、繊細で強靱なけだかさのイメージというべきであるが。

 作者は、日常風景のひとこまの中に生の本源的な位相のダイナミズムを織り込めることで、〈物語性〉というものの究極の本質を鮮やかに浮き彫りにしてみせている。

 われわれのささやかで私的な日常の営みとは、実は、虚無と生命の不可視の葛藤による、存在の本源的な物語性の顕われにほかならないのであり、したがって、日々の労役と疲労とささやかな慰安の累積が織り成す固有の身体史=生活史の曲線は、それ自体が本来巨大なものなのであって、それ以外の一切の物語などは、ほんとうは人間の生にとって第二義以下のものでしかない、とでもいうように。

 こういった、日常風景に根ざした本質的な〈物語性〉の取り出し方において、「ガドルフの百合」は、先に論じた「種山ヶ原」に酷似しているといっていい。

 ただし、「ガドルフの百合」には、主人公の百合の花に対する恋にも似た思慕のおもいが表現されており、それはそのまま、作者宮沢賢治の、対(つい)的なエロスの対象への、特有のこだわりのかたちを象徴するものとなり得ている。官能的でありながら清楚な気品を漂わせた百合という植物へのガドルフのおもいは、生命的なみずみずしさと天上的な静謐さへの憧憬という宮沢賢治の両義的な美意識と重なるものであり、白百合に象徴されている美のかたちは、そのまま、作者の分身であるガドルフ自身の魂の風景にほかならない。

 それは同時に、火のような情熱を内に秘めながら、荒れ狂う破壊と虚無の嵐に静かに対峙する、つつましやかで強靱な生命のかたちにも通じている。

 すなわち、この作品には、己れ自身の魂の分身としての〈対(つい)〉の相手に対する、作者の強烈な思慕のかたちが象徴されていることになる。

 このナルシシズム的なエロスのかたちこそ、宮沢賢治が飢渇する〈生身〉の接触と絆の本質をなすものだといっていい。

「黄いろのトマト」のペムペルとネリの、幼児的な純粋さをもつ閉じられた兄弟愛の形を想起してみてもよい。

 ペムペルとネリ、賢治とトシのような、異様なまでの自己完結的な近親愛の世界というものは、フロイト的にいうなら、ナルシシズムの変形といってもよく、ナルシシズムとは、また、母親の〈子宮〉へのエロス的な回帰感情の変形にほかならない。

 ナルシシズム的なエロスというものは、思慕の対象となる相手との精神的な〈合体〉を烈しく希求してやまないのであって、対(つい)の相手と己れ自身の間に、ひとつの自己完結的で非日常的な生命の充足の風景を紡ぎ出そうとするものである。

 この充足への飢渇は、もちろん、この現世において真の表現形態を与えることができなくなった時、〈心中〉という、彼岸への衝迫に転化する本質をもっている。すなわち、生死紙一重の危うさの線上にあるといっていい。

 ナルシシズム的なエロスとは、現世への根深い嫌悪と孤絶感の裏返しである。

 この情動は、己れ自身にとって異物と感じられる他者性を排除したり、異質な他者を無理矢理己れと同一視しようとする渇望を秘めているだけに、現世的にいうなら、死や破滅と背中合わせになった危うさを抱え込んでいる。

 どんなに身近に感じられる者同士であっても、本来、人間は一人ひとり皆異質な存在なのであるから、他者への融合・同化の願望というものは、常に、強制と自閉的な孤立の病に転落する危険性をもっているからである。

 だが、これほどに純粋で力強いエロスの形もまた、ほかにはないのだ。

 それは、〈愛〉の究極的な理想の姿だといってもいい。

 ナルシシズム的なエロスがすこやかさを保持しうるには、少なくとも二つの条件が必要となる。

 ひとつは、己れ自身の生き方を脅かす異質な他者性というものを、きちんと、己れの内部に繰り込んでいること。

 もうひとつは、個としての実存の場所から、己れ自身の生を意味づけ、受け容れてくれるような、なんらかの世界をもち得ているということである。

 宮沢賢治の場合、その世界は、いうまでもなく、己れ自身を生命的に包摂してくれるコスモスとしての宇宙と、法華経信仰による菩薩行の献身の理念にほかならなかった。

 単独者として世界に真向かい、己れ自身の内に宿りながら、己れを超えた存在である、大いなるコスモスの輝きを全身的に感受しうるとき、人は、孤立感の恐怖にもとづく他者への不断の合体の渇望と強制の病から解き放たれることになる。

 その時、他者への性愛は、はじめて、落ち着きのある、しなやかで強靱な関係性へと脱皮することが可能となるのである。

 人と人、男と女は、その時はじめて、魂の深みを通して真にめぐり会うことができるのだ。

 これは、逆に言うこともできる。

 特定の対象への性愛の暖かさが、冷え切った虚無の浸透に拮抗し、生身の身体性を蘇らせる力をもちうるとき、人は、己れの身体というささやかな窓から、偉大なるコスモスにめぐり会い、その息吹を全身の血液に送り込むことができるのだ、というふうに。

「ガドルフの百合」という作品には、その軌跡が象徴的に描出されている。

 疲れ切って陰鬱なガドルフが嵐に遭遇し、(もうすっかり法則がこはれた。何もかもめちゃくちゃだ。これで、も一度きちんと空がみがかれて、星座がめぐることなどはまあ夢だ。夢でなけぁ霧だ。みづけむりさ)と考えるシーンは、虚無の猛威に打ちひしがれて内なるコスモスを喪失した魂のかたちを心象風景としてすくい取ったものである。

 そのガドルフが百合の花とめぐり会い、ナルシスティックで白熱したエロスのイメージを喚起させることで虚無の侵蝕に拮抗し、やがて昏睡状態の中で無意識裡の処理を続ける内に、いつしか嵐をくぐり抜けてしまう。

 身体にぬくもりを取り戻したガドルフの眼に映る、「かすかな薔薇いろ」をたたえた、神秘な木の「雫(しづく)」のイメージは、いうまでもなく、内なるコスモスの蘇生を表現したものだといっていい。

 元気を取り戻した主人公は、一期一会の縁(えにし)をとり結んだ百合の花と別れて、街道の星あかりの中を、颯爽と次の町をめざして旅立ってゆく。

 

     17

 

 賢治童話における生身の接触のイメージは、「祭の晩」では、主人公の亮二と山男の関係に表象される。

 山の神の秋の祭の晩、少年亮二は、小遣いをもらって見世物小屋に出かけるが、そこで、不思議な風貌の大男に出くわす。

 男は、「古い白縞(しろじま)の単衣(ひとへ)に、へんな簑(みの)のやうなものを着」て、まんまるの「煤(すす)けたやうな黄金(きん)いろ」の眼をしていた。

 見世物小屋を出た亮二は、やがて掛茶屋の前で、無銭飲食をしたため店の主人や村の若い者にいじめられている男の姿を目撃する。

 男は、額から汗を流して何度も頭を下げながら、あとで「薪(たきぎ)百把(ぱ)」を持って来るからと、どもりながら言い訳をするが、どこの国に、団子二串に薪百把払う奴がいるかと怒鳴り返されて、群衆の中からはぶん殴れという怒声が飛ぶ。

 ハッタリまがいの見世物小屋で銭を払ってしまったので一文も無く、あんまり腹が空いたので、つい団子を食ってしまったのだと了解した亮二は、泣いて謝罪している大男を気の毒に思い、とっさに、たった一枚残っている白銅を取り出すと、男のそばに歩み寄り、さりげなくしゃがんで足の上に黙って置いてやる。男はびっくりした様子でじっと亮二の顔を見下ろしていたが、やがてかがんで白銅を取ると、「そら、銭を出すぞ。これで許して呉れろ。薪を百把あとで返すぞ。栗を八斗あとで返すぞ」と云うが早いか、群衆をつき退けて風のように逃げ去ってしまう。

「山男だ、山男だ」という人々の叫び声が聞こえ、風がごうごうと吹き出し、まっ黒なひのきが揺れ、あちこちの明かりが消える。

 興奮して家へ戻った亮二が、おじいさんにその話をすると、それは「山男」だと言う。

 二人が山男の噂話をしていると、突然地響きと共に大きな物音がする。

 あわてて外に出てみると、家の前の広場には、太い薪が山のように投げ出されてあり、あたり一面には栗の実がきらきらと転がっていた。

 

 亮二はなんだか、山男がかあいさうで泣きたいやうなへんな気もちになりました。

「おぢいさん、山男はあんまり正直でかあいさうだ。僕何かいゝものをやりたいな。」

「うん、今度夜具を一枚持って行ってやらう。山男は夜具を綿入の代りに着るかも知れない。それから団子も持って行かう。」

 亮二は叫びました。

「着物と団子だけぢゃつまらない。もっともっといゝものをやりたいな。山男が嬉しがって泣いてぐるぐるはねまはって、それからからだが天に飛んでしまふ位いゝものをやりたいなあ。」

 おぢいさんは消えたラムプを取りあげて、

「うん、さういふいゝものあればなあ。さあ、うちへ入って豆をたべろ。そのうちに、おとうさんも隣りから帰るから。」と云ひながら、家の中にはひりました。

 亮二はだまって青い斜めなお月さまをながめました。

 風が山の方で、ごうっと鳴って居ります。

 

「山男」という、土俗的・民譚的な色彩に染め上げられたキャラクターは、しばしば賢治童話において不気味な狂暴性を帯びて立ち現われるが、この作品では、無垢な善良さを体現した愛すべき人物として登場する。

 亮二が示した親切は、一切の利害関係というものの無い、デリケートな共感に根ざした、おのずから発する慈悲の心のなせるわざである。

 そのささやかな親切に応えようとする山男のおもいもまた、一切の利害や相対的な価値尺度を超越した無心の衝迫によるものである。

 亮二は、そういう山男のハートを全身的に感受し、胸を高鳴らせる。

 ふたりの交流の場において、山男は亮二であり、亮二もまた山男なのだ。

「黄いろのトマト」におけるペムペルとネリのように、山男と亮二もまた、何ものとも比較を許さない、ふたりだけのかけがえのない内面の宝をしばし共有し得たのである。

 しかも山男は、同時に、風の神・山の神の化身のような、濃密な闇の気配を背後にひきずっている。亮二と山男の交感は、主・客の融合した、コスモスとしての闇が紡ぎ出した、生命的で幸福な存在の出会いのドラマでもある。

「ガドルフの百合」における主人公と百合の花の接触のように、「祭の晩」に象徴される生身の交流のかたちもまた、アトム的な個人による近代市民社会の冷やかで相対的な対人関係の対極に位置するものとなっているのだ。(この稿続く)

 

 

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宮沢賢治童話考(連載第6回) 川喜田八潮

  • 2016.07.27 Wednesday
  • 19:24

 

     14

 

 しかし、宮沢賢治の自然描写が、「種山ヶ原」のように、知的な小細工というものの一切無い、闇への強烈な畏怖感をたたえた生身の息吹を感じさせるものとなっているケースは、賢治童話全体の割合からすれば数少なく、彼の自然描写は、動植物であると非生物的自然であるとを問わず、多くの作品の場合、大なり小なり、ヴァーチャルな装飾をこうむっている。

 もちろん、擬人化という手法のせいもあるが、地質学・鉱物学・化学・天文学その他の自然科学の知識が絡んでいるケースも多い。

 産業組合運動と結びついた賢治の農学・農芸化学を中心とする応用科学的な側面については、私の手に余るので、ここでは一切言及するつもりはない。また、飢饉対策を焦眉の課題とした彼の実践的・経世家的側面へのコメントも控えたい。

 それらの方面との関わりを除けば、賢治童話に導入された自然科学的な背景ないし知的装飾についての私の関心は、もっぱら作品のヴァーチャル・リアリティーの構成に関わる点に限定される。

 それは、大きく分けると二点ある。ひとつは、作者の冷やかで幻想的な他界イメージに最も鮮やかに凝縮されているような、例の無機的で金属的な自然描写の隠し味になっているという点である。

 もうひとつは、賢治を生涯悩まし続ける東北飢饉の元凶ともなってきた天変地異の得体のしれない荒々しさ、カオスの脅威を、科学的な因果律による知的な了解と自然の擬人化によって、巧みに「解毒」してみせようとする志向がみとめられるという点である。

 後者の例として、「楢(なら)ノ木大学士の野宿」というすばらしいユーモラスな作品を取り上げてみよう。

 宝石学の専門家である楢ノ木大学士の家に、ある晩、「貝の火兄弟(けいてい)商会」の「赤鼻の支配人」がやって来て、グリーンランドの途方もない成金の注文で、ごく上等の「蛋白石(たんぱくせき)」を探して来てほしいと依頼する。大学士は「葉巻を横にくはへ、雲母紙(うんもし)を張った天井を、斜めに見上げて聴いてゐた」が、「にやっと笑って」葉巻をとると、しゃべり出す。

 

「うん、探してやらう。蛋白石のいゝのなら、流紋玻璃(りゅうもんはり)を探せばいゝ。探してやらう。僕は実際、一ぺんさがしに出かけたら、きっともう足が宝石のある所へ向くんだよ。そして宝石のある山へ行くと、奇体に足が動かない。直覚だねえ。いや、それだから、却(かへ)って困ることもあるよ。たとへば僕は一千九百十九年の七月に、アメリカのヂャイアントアーム会社の委嘱を受けて、紅宝玉(ルビー)を探しにビルマへ行ったがね、やっぱりいつか足は紅宝玉の山へ向く。それからちゃんと見附かって、帰らうとしてもなかなか足があがらない。つまり僕と宝石には、一種の不思議な引力が働いてゐる、深く埋(うづ)まった紅宝玉どもの、日光の中へ出たいといふその熱心が、多分は僕の足の神経に感ずるのだらうね。その時も実際困ったよ。山から下りるのに、十一時間もかかったよ。けれどもそれがいまのバララゲの紅宝玉坑さ。」

 

 それはどうもとんだ災難でした、今度もそんなぐあいに行くでしょうかと支配人が尋ねると、大学士は「それはもうきっとさう行くね。たゞその時に、僕が何かの都合のために、たとへばひどく疲れてゐるとか、狼に追はれてゐるとか、あるいはひどく神経が興奮してゐるとか、そんなやうな事情から、ふっとその引力を感じないといふやうなことはあるかもしれない」と断りながらも、とにかく行ってみよう、二週間目にはきっと帰るからと約束して、旅費を受け取る。(結局、大学士は上等な蛋白石を見つけられないまま早々と帰京し、最後に、もっともらしくハッタリをかましながら支配人に旅費を叩き返して追い帰してしまうのだが。)

 この冒頭部の支配人と大学士のやりとりの中に、すでに、主人公の深い孤独感がさりげなくにじみ出ていて興味深い。

 支配人と大学士は「生きている世界」がまるで違う。

 支配人は、もちろん商売の成功の事しか念頭にないし、珍奇な鉱石そのものは、彼にとってただの商品にすぎず、鉱石の由来と変遷の地質学的な悠久の歴史はもとより、その発掘に執念を燃やす大学士の寂しい情熱のありかなど、なんの関心の対象にもならない。

 大学士はそのことをよくわきまえているからこそ、支配人の顔をみようとはせず、「葉巻」をくわえ「雲母紙を張った天井」を眺めながら話を聴くのだし、支配人に決して伝わらないことを百も承知の上で、立て板に水のように、自分と宝石との「不思議な引力」についてハッタリを混じえながらまくし立て、発掘の成功を無邪気に期待する支配人に、誰も立ち入ることのできぬ私的な世界の匂いをほのめかしてクギをさすのである。

「次の日諸君のうちの誰(たれ)かは、きっと上野の停車場で、途方もない長い外套(ぐわいたう)を着、変な灰色の袋のやうな背嚢(はいなう)をしょひ、七キログラムもありさうな、素敵な大きなかなづちを、持った紳士を見ただらう。それは楢ノ木大学士だ」という旅行のいでたちの描写にも、大都会の群衆の中に紛れこみながらぽつんと一人取り残されたようなこの主人公のひょうひょうとした、不思議な寂しさと哀しさを感じ取ることができる。

 以下、この作品は、蛋白石探しに出かけた大学士の三晩にわたる「野宿」の中で起こった独特の幻視体験を、散文詩のように綴ったものとなっている。

 ここでは、そのうちの「第一夜」の情景のみを取り上げてみる。

 肌寒い、春の夕暮時に、大学士は、ひとり石を求めて山伝いの河原をのぼっていく。

 川の両岸にそびえ立つ峻厳な山々を包み込む夜の光景は、大学士の個人的な営みなどとは無関係のように、非人間的な、冷やかな相貌を深めながら、主人公を呑み込んでゆく。

 

「大学士はどこまでも溯(のぼ)って行く。/けれどもたうとう日も落ちた。/その両側の山どもは、/一生懸命の大学士などにはお構ひなく/ずんずん黒く暮れて行く。/その上にちょっと顔を出した/遠くの雪の山脈は、/さびしい銀いろに光り、/てのひらの形の黒い雲が、/その上を行ったり来たりする。/それから川岸の細い野原に、/ちょろちょろ赤い野火が這(は)ひ、/鷹(たか)によく似た白い鳥が、/鋭く風を切って翔(か)けた。」

 

 河原に野宿することに決めた大学士は、野火を恐れて、草の上にではなく、柔らかで白い花崗岩(かこうがん)の石の上に、ひじを曲げて外套のままごろりと横になる。

 広い河原の横を水がごうごうと流れ、「空の桔梗(ききゃう)のうすあかり」には「山どもがのっきのっきと黒く立」っているのが見える。

 大学士は寝たままそれを眺め、あいつらは「岩頸(がんけい)」だなと考えると、急に愉快な気分になって、仰向けのままひとり「岩頸の講義」をつぶやき始める。

 

「諸君、手っ取り早く云(い)ふならば、岩頸といふのは、地殻から一寸(ちょっと)頸(くび)を出した太い岩石の棒である。その頸がすなはち一つの山である。えゝ。一つの山である。ふん。どうしてそんな変なものができたといふなら、そいつは蓋し簡単だ。えゝ、ここに一つの火山がある。熔岩(ようがん)を流す。その熔岩は地殻の深いところから太い棒になってのぼって来る。火山がだんだん衰へて、その腹の中まで冷えてしまふ。熔岩の棒もかたまってしまふ。それから火山は永い間に空気や水のために、だんだん崩れる。たうとう削られてへらされて、しまひには上の方がすっかり無くなって、前のかたまった熔岩の棒だけが、やっと残るといふあんばいだ。この棒は大抵頸だけを出して、一つの山になってゐる。それが岩頸だ。……(中略)……そこでそのつまり、鼠いろの岩頸だがな、その鼠いろの岩頸が、きちんと並んで、お互に顔を見合せたり、ひとりで空うそぶいたりしてゐるのは、大変おもしろい。ふふん。」

 

 大学士が独り言をつぶやいていると、実際、「向ふの黒い四つの峯」は「四人兄弟の岩頸」で、だんだんと「地面からせり上って」来る。彼は大喜びで、「ははあ、こいつらはラクシャンの四人兄弟だな」と考える。

 やがて、岩頸たちは、大学士の願い通り、「丁度胸までせり出して」「ならんで空に高くそびえ」立つ。

 ここから擬人化された岩頸の四兄弟の愉快な対話の物語が展開されていく。

 四兄弟の内、一番右が「ラクシャン第一子」で、「まっ黒な髪をふり乱し」「大きな眼をぎろぎろ空に向け」しきりに何かをどなっている。右から二番目の「第二子」は、「長いあごを両手に載せ」たまま、噴火が終ってからもう何十万年もぐうぐう睡り続けている。

 次の「ラクシャン第三子」は、優しい眼をした静かな岩頸で、末っ子の「第四子」は、「夢のやうな黒い瞳」をあげて、星あかりの中でじっと「東の高原」を見つめている。

 火のような烈しい気性のラクシャン第一子の雷鳴のようなどなり声がいきなり大学士の耳に響いてくる。

 

「何をぐづぐづしてるんだ。潰(つぶ)してしまへ。灼(や)いてしまへ。こなごなに砕いてしまへ。早くやれっ。」

「全体何をぐづぐづしてるんだ。砕いちまへ、砕いちまへ、はね飛ばすんだ。はね飛ばすんだよ。火をどしゃどしゃ噴くんだ。熔岩(ようがん)の用意っ。熔岩。早く。畜生。いつまでぐづぐづしてるんだ。熔岩、用意っ。もう二百万年たってるぞ。灰を降らせろ、灰を降らせろ。なぜ早く支度をしないか。」

「地球を半分ふきとばしちまへ。石と石とを空でぶっつけ合せてぐらぐらする紫のいなびかりを起せ。まっくろな灰の雲からかみなりを鳴らせ。えい、意気地なしども。降らせろ、降らせろ、きらきらの熔岩で海をうづめろ。海から騰(のぼ)る泡で太陽を消せ、生き残りの象から虫けらのはてまで灰を吸はせろ、えい、畜生ども、何をぐづぐづしてるんだ。」

 

 穏やかなラクシャン第三子と夢想家肌の第四子が微笑みながら大兄をなだめる。

 東の高原にたたずむ「ヒームカ」という、美しい碧(あお)いきものを着た女の火山をほめたたえる第四子に向かって、ラクシャン第一子は、あんな弱虫と付き合うのはよせ、俺たちは「火」から生まれたんだ、青ざめた「水」の中で生まれた奴らとは違うんだ、と叱りとばす。

 第三子が、ヒームカは「火」から生まれた立派な「カンランガン」ですよと抗弁すると、第一子はさらに怒って切り返す。

 

「知ってるよ。ヒームカはカンランガンさ。火から生れたさ。それはいゝよ。けれどもそんなら、一体いつ、おれたちのやうにめざましい噴火をやったんだ。あいつは地面まで騰(のぼ)って来る途中で、もう疲れてやめてしまったんだ。今こそ地殻ののろのろのぼりや風や空気のおかげで、おれたちと肩をならべてゐるが、元来おれたちとはまるで生れ付きがちがふんだ。きさまたちには、まだおれたちの仕事がよくわからないのだ。おれたちの仕事はな、地殻の底の底で、とけてとけて、まるでへたへたになった岩漿(がんしゃう)や、上から押しつけられて古綿のやうにちぢまった蒸気やらを取って来て、いざといふ瞬間には大きな黒い山の塊を、まるで粉々に引き裂いて飛び出す。

煙と火とを固めて空に抛(な)げつける。石と石とをぶっつけ合せていなづまを起す。百万の雷を集めて、地面をぐらぐら云はせてやる。丁度、楢ノ木大学士といふものが、おれのどなりをひょっと聞いて、びっくりして頭をふらふら、ゆすぶったやうにだ。ハッハッハ。

山も海もみんな濃い灰に埋(うづ)まってしまふ。平らな運動場のやうになってしまふ。その熱い灰の上でばかり、おれたちの魂は舞踏していゝ。いゝか。もうみんな大さわぎだ。さて、その煙が納まって空気が奇麗に澄んだときは、こっちはどうだ、いつかまるで空へ届くくらゐ高くなって、まるでそんなこともあったかといふやうな顔をして、銀か白金かの冠ぐらゐをかぶって、きちんとすましてゐるのだぞ。」

 

 温厚なラクシャンの第三子は、それに対して、兄さん私はどうもそんなことは嫌いです、周りを熱い灰でうずめて自分だけ一人高くなるようなことはしたくない、「水」や「空気」がいつでも低い方へと流れて行き、地面を平らかにしようとしている姿の方が本当だとおもう、と第一子を批判する。

 

   暴(あら)っぽいラクシャン第一子が

 このときまるできらきら笑った。

 きらきら光って笑ったのだ。

 (こんな不思議な笑ひやうを

 いままでおれは見たことがない、

 愕(おどろ)くべきだ、立派なもんだ。)

 楢ノ木大学士が考へた。

 

 第一子と第三子の、「火」と「水」のやりとりのような対話についての大学士の感銘こそが、この不思議な味わいをもつ作品の勘どころとなっている。

 そして、この直後における第一子の言葉と対応が、また、比類のないユーモラスな暖かさと壮快さを感じさせるのだ。

 

 「水と空気かい。あいつらは朝から晩まで、俺(おい)らの耳のそば迄(まで)来て、世界の平和の為に、お前らの傲慢(がうまん)を削るとかなんとか云ひながら、毎日こそこそ、俺らを擦(こす)って耗(へら)して行くが、まるっきりうそさ。何でもおれのきくとこに依(よ)ると、あいつらは海岸のふくふくした黒土や、美しい緑いろの野原に行って知らん顔をして溝(みぞ)を掘るやら、濠(ほり)をこさへるやら、それはどうも実にひどいもんださうだ。話にも何にもならんといふこった。」

   ラクシャンの第三子も

 つい大声で笑ってしまふ。

  「兄さん。なんだか、そんな、こじつけみたいな、あてこすりみたいな、芝居のせりふのやうなものは、一向あなたに似合ひませんよ。」

 ところがラクシャン第一子は

 案外に怒り出しもしなかった。

 きらきら光って大声で

 笑って笑って笑ってしまった。

   その笑ひ声の洪水は

 空を流れて遙かに遙かに南へ行って

 ねぼけた雷のやうにとゞろいた。

  「うん、さうだ、もうあまり、おれたちのがらにもない小理窟(こりくつ)は止(よ)さう。おれたちのお父さんにすまない。お父さんは九つの氷河を持っていらっしゃったさうだ。そのころは、こゝらは、一面の雪と氷で白熊(しろくま)や雪狐(ゆきぎつね)や、いろいろなけものが居たさうだ。お父さんはおれが生れるときなくなられたのだ。」

 

 いつしか明け方となり、ラクシャン四兄弟の夢を見ながら熟睡している楢ノ木大学士の額を、いたずら好きのラクシャン第四子が「光る大きな長い舌を出して」べろりと嘗める。大学士はひどくびっくりして、「それでも笑ひながら眼をさまし」寒さにふるえる。空が晴れ、一面に星がまたたき、まっ黒な四つの岩頸は、再び正しく元の形に戻って、じっと並んでそびえ立っている。

 

 この作品には、宮沢賢治の〈存在への異和〉、とりわけ天変地異の得体の知れない荒々しいカオスの脅威を、科学知識とユーモラスな擬人化の手法を駆使することで、巧みに「解毒」してみせようとする志向がうかがえる。

 それは、何十万年、何百万年という地質学的なタイムスケールにまで拡張されることで、非人間的自然によるケタはずれの破壊と創造の営みを、ものの見事に、人間的なぬくもりをもった生命の光芒の物語へと変容させてみせるのである。

 その生命的な時空の拡張は、もちろん、さらに何十億年という地球の歴史から、はるか無限大の宇宙のかなたにまで及ぼすことが可能である。

 人類の歴史や人間的な営みをはるかに超えた、古生物の興亡や天然現象や宇宙の営みが、人間の存在の本質とは無縁の、単なる物理的な因果律に支配された偶然と必然の繰り返しにすぎないと考える限り、それらに関する科学的探求の累積は、ただ、われわれの虚無感を深めるだけのものでしかない。

 しかし、それらの非人間的自然と人間との間に、存在論的な共通性があると考えるなら、諸々の科学知識も捨てたものではないということになる。

 むしろ逆に、それら非人間的自然の、地質学的・天文学的悠久さの下での生命的な営みを知ることで、われわれは、人類文明のちっぽけさや人間的な我執の浅ましさ・卑小さを痛感し、ほんの一時ではあれ、その息苦しい桎梏から解き放たれ、ほっと息をつくこともできるのである。

 科学知識を巧みに駆使しながら宇宙を含む非人間的自然を人間化することは、宮沢賢治にとって、単なる個人的な嗜好の問題ではなく、己れの〈類的感覚〉を拡張することで〈存在への異和〉を緩和し、同時に、人間的な我執の険しさへの嫌悪をしばし遠ざけてくれる営みでもあったに違いない。

「楢ノ木大学士の野宿」という作品に一貫して流れている空気は、主人公の孤独感の深さである。

 冒頭の「赤鼻の支配人」との会話から、主人公のいでたち、山々に分け入っていく時の寂寥感の深さ、野宿のおもむき、ひとり言、夢幻世界の現出、すべてが、それを物語っている。

 主人公は、野宿の「第二夜」を、石切場の隅にある、人っ子一人居ない、うら寂しい小さな笹の小屋で過ごすが、「こいつはうまい。丁度いゝ。どうもひとのうちの門口(かどぐち)に立って、もしもし今晩は、私は旅の者ですが、日が暮れてひどく困ってゐます。今夜一晩泊めて下さい。たべ物は持ってゐますから支度はなんにも要(い)りませんなんて、へっ、こんなこと云ふのは、もう考へてもいやになる」とつぶやくほど「人嫌い」なのだ。

 そのくせ、第一夜・第二夜の野宿で見る夢や幻覚は、「岩頸」や、体に付着していた花崗岩のかけらの中の「鉱物」たちによる、自然科学的知識と巧みに結びついた、ユーモラスで暖かい「擬人化」の物語なのである。

 ここには、作者の人間への忌避と親和の微妙なスタンスが透けて見える。

 楢ノ木大学士の人間嫌いの裏側には、人間的なるものへの激しい飢渇が疼いている。

 だからこそ、主人公によって人間化された自然たちは、かくも饒舌なのである。

 人間や動植物ではなく、「岩頸」という非生物的自然を主役とする物語を挿入することで、作者は、かえって、人間や動植物を主人公とする作品では表現しにくいような、存在の闇と光のダイナミズムに関する己れの認識を、一切の倫理的・価値的な桎梏を度外視して、のびのびと自在に解き放ってやることができたようにおもえる。

「火」と「水」によって象徴される、ラクシャン「第一子」と「第三子」「第四子」の鋭いコントラストには、破壊と創造、生命的な猛々しさと豊潤さ、燃え上がる歓喜や飛翔と静謐で透明な優しさや憧憬といった、存在のはらむ両義性・重層性のダイナミズムが、軽やかに、いかにも愉しげに形象化されている。

 ここで作者は、「火」と「水」の価値的な優劣に加担していない。

「火」と「水」を決して中途半端に妥協させることをせず、互いに水と油の如く背反させながらも、不可欠の相補的存在として位置づけている。

 賢治童話お得意の自己犠牲や献身の理念による重苦しい倫理臭や感傷のかけらもない。

 とりわけ、きらきら光って笑うラクシャン「第一子」の、乾いた、軽快で澄んだまなざしには、あらゆる人間的な悲惨と不条理を突き抜け、真の善悪の彼岸に立って生命的な飛翔をとげた、ニーチェの「ツァラトゥストラ」の傲然たる風貌すら彷彿とさせられる。

 宮沢賢治という、過剰な倫理的志向に蝕まれた文学者の底に、その息苦しい生真面目さを吹き飛ばしてしまうような生命的な猛々しさや軽やかさが息づいていたことに、私は深い救いをおぼえる。その意味で、「楢ノ木大学士の野宿」は、まことに貴重で異色な童話作品であるといっていい。

 

     15

 

 宮沢賢治は、「楢ノ木大学士の野宿」の他にも、「毒もみのすきな署長さん」という、やはり己れの硬直したストイックな倫理性に冷水を浴びせかけるような、風変わりな作品を作っている。

「毒もみ」というのは、山椒の皮を剥いでつくった粉と木灰を混ぜ合わせた毒薬を水の中へもみ出して、魚を大量に採ったり殺したりするプハラ国の違法行為を指す。

 この作品は、町を騒がせた「毒もみ」の真犯人が実は新任の警察署長だったという、なんとも人を喰った話なのだが、面白いのは、犯人の署長の、妙に人を化かしているような、いたずら好きで人工的な雰囲気を漂わせた風貌と、とぼけた投げやりな物言いである。

 署長は「どこか河獺(かはうそ)に似て」おり、「赤ひげがぴんとはね」て、「歯はみんな銀の入歯」をしており、「立派な金モールのついた、長い赤いマント」を着て、「毎日ていねいに町をみまは」るのである。

 やがて、町の沼からさっぱり魚が釣れなくなり、時々は死んで腐ったものも浮くようになる。町中の山椒の木がたびたびつるりと皮を剥かれるという事件もあり、子どもたちの目撃や証言から、「毒もみ」の犯人は署長だという噂が広がる。

 プハラの町長も、仕方なく、署長に会って真偽を問いただそうとする。

 

  二人が一緒に応接室の椅子(いす)にこしかけたとき、署長さんの黄金(きん)いろの眼は、どこかずうっと遠くの方を見てゐました。

「署長さん、ご存じでせうか、近頃、林野取締法の第一条をやぶるものが大変あるさうですが、どうしたのでせう。」

「はあ、そんなことがありますかな。」

「どうもあるさうですよ。わたしの家の山椒(さんせう)の皮もはがれましたし、それに魚が、たびたび死んでうかびあがるといふではありませんか。」

 すると署長さんが何だか変にわらひました。けれどもそれも気のせゐかしらと、町長さんは思ひました。

「はあ、そんな評判がありますかな。」

「ありますとも。どうもそしてその、子供らが、あなたのしわざだと云ひますが、困ったもんですな。」

 署長さんは椅子から飛びあがりました。

「そいつは大へんだ。僕の名誉にも関係します。早速犯人をつかまへます。」

「何かおてがかりがありますか。」

「さあ、さうさう、ありますとも。ちゃんと証拠があがってゐます。」

「もうおわかりですか。」

「よくわかってます。実は毒もみは私ですがね。」

 署長さんは町長さんの前へ顔をつき出してこの顔を見ろといふやうにしました。

 

 なんとも、ひょうひょうとした、人を喰ったような文章である。おまけに、この作品の締めくくりは、次のようになっている。

 

 さて署長さんは縛られて、裁判にかゝり死刑といふことにきまりました。

 いよいよ巨(おほ)きな曲った刀で、首を落されるとき、署長さんは笑って云ひました。

「あゝ、面白かった。おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな。」

 みんなはすっかり感服しました。

 

 最後の一行がふるっている。

 この作品は、いうまでもなく、オタク的な病理を扱っている。

 この世の一切のしきたりや人生の浮沈や他人への気づかいという奴を、はるか視界の外へ追いやって、身体的にはいわば〈抜け殻〉のような存在と化して浮き世に身を処しつつ、己れの偏愛する対象にのみ異様なまでの情熱を捧げ、執着する。

 それがオタク的な病理であるといってよいが、「毒もみのすきな署長さん」において、作者は、このような、現世的な一切の価値規範や倫理のタガのはずれた幼児退行的な主人公を、単純化され誇張された童話的設定を背景として活かしながら、まことにユーモラスに、ひょうひょうと描いている。

 このいかにも人を喰ったような愉しげな文体は、どこか、「楢ノ木大学士の野宿」に通ずるものがある。

 宮沢賢治もまた、毒もみの署長や楢ノ木大学士のように、己れの生真面目で悲壮な倫理的使命感を笑い飛ばし、余計な人生の荷物や気づかいを何もかも捨て去って、オモチャと無心に戯れる幼児のように、好きな自然科学や文学の世界にひたすら没入しうる生涯を送ってみたいという衝迫を、どこかに抱え込んでいたようにおもえる。

 しかし、彼には、それができなかった。

 なぜなら、彼は、そのようなオタク的な生き方の愉しさの根底に、同時に、恐るべき〈空洞〉が秘められていることをも、痛感していたからである。

 鉱石探しにいそしむ楢ノ木大学士の自然科学へののめり込みの底に陰鬱な孤絶感が秘められていたように、オタク的な生きざまの裏面には、現世への深い幻滅と人間へのぬぐいがたい嫌悪がこびり着いている。

「毒もみ」のマニアである署長さんが「どこか河獺(かはうそ)に似て」いるという言い回しは面白い。カワウソはイタチの仲間で、川・沼・池の近くに住み、水にもぐって魚を獲る夜行性の動物である。

 いうまでもなく、作者は、「毒もみ」という隠微な趣味におぼれて常軌を逸した人間が、まっとうな倫理を備えた生身の人間にちゃっかり成りすましているありさまを、あたかもカワウソが署長に化けているかのような、ユーモラスな妖怪譚的イメージによって、さりげなく表現してみせているわけである。

 署長の風貌にも服装にも、なんとも人を小バカにしたような、芝居っ気たっぷりの「やつし」の姿勢が垣間見えるし、歯が「みんな銀の入れ歯」であるとか、署長さんの「黄金(きん)いろの眼」が「どこかずうっと遠くの方を見て」いたという言い回しにも、現世的な生身の肉体をとうの昔に放棄した、人工的でうつろな匂いが漂っている。

 さしたる証拠もないのに、わざわざ自分が真犯人だと名乗りをあげ、ここらで退屈な人生や人間どもからきれいさっぱりとおさらばしたいと言わんばかりに死に急ぐ、署長のあっけらかんとした最期には、オタク的な嗜好の根底にうごめくどす黒い〈虚無〉のかたちが、いささかも陰惨さを感じさせずに、乾いたブラック・ユーモアとして巧みに形象化されているといっていい。

 たかが「毒もみ」程度の犯罪で死罪に処せられ、斬首の刑を受けるというのもひどい話だが、そのいい加減さが、かえって、この作品の重苦しいモチーフに絶妙の救いを与えているのである。

 極度にシンプルで誇張された童話的設定を活かすことで、作者は、逆に、〈生身の喪失〉という幼児退行的な病理のグロテスクさを、ひょうひょうとした軽やかなタッチで、鮮やかに浮き彫りにしてみせた。

 宮沢賢治は、このような病の痛ましさをどこかで知っていたからこそ、オタク的な嗜好に身をゆだねることを潔しとしなかったのだ。

 既に繰り返し強調してきたように、存在への異和に根ざした賢治の孤絶感、なかんずく人間への嫌悪の深さの裏面には、逆に、〈生身〉の接触と絆への強烈な渇きが息づいていた。冷え切った彼の身体の底には、自然な暖かさへの欲求が渦巻いていた。

 献身と自己犠牲の理念に彩られた彼の痛ましい実践家の営みも、そのような飢渇のしからしめたものであったし、数々の童話作品にもまた、そのような生身の身体性への渇きと夢が表象されていた。

 私たちがその一端を見てきたように、宮沢賢治の文学的営為は、この二元性の鋭い緊張関係の下で、その生命的な光芒の物語を紡ぎ出してきたのである。(この稿続く)

 

 

 

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宮沢賢治童話考(連載第5回) 川喜田八潮

  • 2016.06.30 Thursday
  • 20:00

 

     13

 

 宮沢賢治の自然意識の半面である、生身の身体性への渇きに根ざしたアニミズム的な生命感は、「めくらぶだうと虹」や「おきなぐさ」にみられるような穏やかで親和的な形をとって顕われるとは限らない。自然への強烈な畏怖のおもいと結びついた、ダイナミックで荒々しい闇の感触となって表出されることもある。

 土俗的な伝説を活かした擬人化の手法と、雪景色の多彩でめまぐるしい変貌への優れた客観描写が一体化した「水仙月の四日」のような名作もあるけれども、私はむしろ、この系列のものでは、「種山ヶ原」や「祭の晩」「風の又三郎」のような、擬人化を排したリアリズム的な色彩の強い作品の中に、より魅かれるものをおぼえる。擬人化を排したことで、闇への畏怖感がより直接的でなまなましい手ざわりを帯びて立ち顕われるからである。

 ここでは、「種山ヶ原」を例にとって、その質感をたしかめてみよう。

 種山ヶ原というのは北上山地の真ん中の高原で、この高原のへりから四方に出た幾つかの谷の底には、ほんの数軒ずつから成る部落がある。春から夏にかけて、北上河谷のあちこちから沢山の馬が集められて部落の人たちに預けられ、上の高原で放牧される。種山ヶ原は気象の変化が激しく、放牧期間中ですら霧や雲に覆われていることが多い。

 この、近代化から取り残されているようなささやかな部落の子供である「達二」という少年の、夏休み終了間際の幻想的な体験のひとこまを克明に描いたのが、「種山ヶ原」である。

 資本制の完成と膨張による階層分化とアトム化の病理が急速に進行した日露戦後の明治末年に、『遠野物語』を書いて、内なる闇を喪失した小賢しい「平地人」を戦慄せしめんとした柳田国男と同様に、宮沢賢治は、この「種山ヶ原」や、後にはそれを改作した「風の又三郎」を書くことで、文明世界からやや隔たった生育環境に置かれた素朴な少年たちの、いまだ近代化によって圧殺されていない土俗の闇の息づかいを伝えようとしたのである。

 夏休みが終わり、集団的な学校生活が始まる直前の、あの妙にもの哀しい空虚な心持にある少年達二が、上の原で草を刈っている兄さんとおじいさんに弁当を届け、ついでに牛に草を食わせてくるように、という母親の言いつけで、種山ヶ原に出かける。

「光ったり陰ったり、幾重にも畳む丘丘の向ふに、北上の野原が夢のやうに碧(あを)くまばゆく」その姿をたたえ、「河が、春日大明神の帯のやうに、きらきら銀色に輝いて」流れている。

 種山ヶ原まで来ると、牛がにわかに駆け出し、逃げ去ってしまう。達二は夢中であとを追いかけるが、やがて息切れがして草の中に倒れこむ。

 しばらくして起き上がり、足跡をたよりに牛を捜そうとするが、すぐに路に迷ってしまう。空がどんよりと暗くなり、冷たい風が草を渡りはじめ、霧が立ちこめる。声をからして兄を呼ぶが、何の返事もない。ひっ返そうとするが前に来た路とは違っている。そして、いつしか眼前に、聞いたこともない大きな「谷」が出現する。

 すすきがざわざわと鳴り、谷は霧の中に底知れぬ深淵をたたえて不気味に浮かび上がっている。

 めくるめくような恐怖にかられた達二があわてて引き返すと、沢山の「馬の蹄(ひづめ)の痕」で出来上がっている小さな「黒い道」がいきなり草の中に顕われてくる。達二が夢中になって短い笑い声をあげながらその道をぐんぐん歩いてゆくと、やがて「大きなてっぺんの焼けた栗の木」の前に「野馬の集まり場所」のような円い広場が顕われ、道はぼんやり幾つにも岐れてしまう。

 

 達二はがっかりして、黒い道を又戻りはじめました。知らない草穂(くさぼ)が静かにゆらぎ、少し強い風が来る時は、どこかで何かが合図をしてでも居るやうに、一面の草が、それ来たっとみなからだを伏せて避けました。

 空が光ってキインキインと鳴ってゐます。それからすぐ眼の前の霧の中に、家の形の大きな黒いものがあらはれました。達二はしばらく自分の眼を疑って立ちどまってゐましたが、やはりどうしても家らしかったので、こはごはもっと近寄って見ますと、それは冷たい大きな黒い岩でした。

 空がくるくるくるっと白く揺らぎ、草がバラッと一度に雫(しづく)を払ひました。

(間違って原を向ふ側へ下りれば、もうおらは死ぬばかりだ)と達二は、半分思ふ様に半分つぶやくやうにしました。それから叫びました。

「兄(あい)な、兄な、居るが。兄な。」

 又明るくなりました。草がみな一斉に悦(よろこ)びの息をします。

「伊佐戸(いさど)の町の、電気工夫の童(わらす)ぁ、山男に手足ぃ縛らへてたふうだ。」といつか誰(たれ)かの話した語(ことば)が、はっきり耳に聞えて来ます。

 そして、黒い路が、俄(にはか)に消えてしまひました。あたりがほんのしばらくしいんとなりました。それから非常に強い風が吹いて来ました。

 空が旗のやうにぱたぱた光って翻へり、火花がパチパチパチッと燃えました。

 

「霧」と「谷」によって凝縮的に象徴される冷やかな死のイメージと、疾駆する「野馬」の体液を想起させる「黒い道」の生命的な野性の感触の、鋭いコントラストの中に、少年達二の生のおののきが鮮やかに脈うっている。

 この生死のコントラストは、引用文の描写のように、達二の体内で次第に拡がり彼を包み込んでゆく風景のアニミズム的な感触によって、さらに増幅されてゆく。

 脅威と喜悦、敵意と親和の気配を交錯させながら微妙に変容する空の表情、風の息づかい、草のゆらぎと、「冷たい大きな黒い岩」や「山男」の噂話が喚起する恐怖のおもいがあいまって、存在の織りなす闇と光のダイナミズムが、たよりなげな、それでいて生身の振幅の大きい、少年期独特の生存感覚を通して映し出される。

 達二はいつしか草に倒れてしまう。そこから後は、断片的で夢幻的な描写の連鎖となる。

 少年はまず、夢の中で、夏休み中の出来事の中で一番面白かった「剣舞(けんばひ)」の体験を想起する。「鶏の黒い尾を飾った頭巾(づきん)」をかぶり、「硬い板を入れた袴(はかま)」をはき、「あの昔からの赤い陣羽織」を着て、脚絆(きゃはん)や草鞋(わらじ)をきりっと結んで、「種山剣舞連」と大きく書いた沢山の提灯(ちょうちん)に囲まれて、皆と町へ悪魔払いの踊りに行った時の想い出である。

 

「さあ、みんな支度はいゝが。」誰(たれ)かが叫びました。

 達二はすっかり太い白いたすきを掛けてしまって、地面をどんどん踏みました。楢夫(ならを)さんが空に向って叫んだのでした。

「ダー、ダー、ダー、ダー、ダースコダーダー。」それから、大人が太鼓を撃ちました。

 達二は刀を抜いてはね上がりました。

「ダー、ダー、ダー、ダー。ダー、スコ、ダーダー。」

「危なぃ。誰だ、刀抜いだのは。まだ町さも来なぃに早ぁぢゃ。」怪物の青仮面(あをめん)をかぶった清介(せいすけ)が威張って叫んでゐます。赤い提灯が沢山点(とも)され、達二の兄さんが提灯を持って来て達二と並んで歩きました。兄さんの足が、寒天のやうで、夢のやうな色で、無暗(むやみ)に長いのでした。

「ダー、ダー、ダー、ダー。ダー、スコ、ダーダー。」

 町はづれの町長のうちでは、まだ門火を燃して居ませんでした。その水松樹(いちゐ)の垣に囲まれた、暗い庭さきにみんな這入(はひ)って行きました。

 小さな奇麗な子供らが出て来て、笑って見ました。いよいよ大人が本気にやり出したのです。

「ホウ、そら、遣(や)れ。ダー、ダー、ダー、ダー。ダー、スコ、ダーダー。」「ドドーンドドーン。」

「夜風さかまき ひのきはみだれ、

 月は射そゝぐ 銀の矢なみ、

 打ぅつも果てるも 一つのいのち、

 太刀(たあち)の軋(きし)りの 消えぬひま。ホッ、ホ、ホッ、ホウ。」

 刀が青くぎらぎら光りました。梨の木の葉が月光にせはしく動いてゐます。

「ダー、ダー、スコ、ダーダー、ド、ドーン、ド、ドーン。太刀はいなづま すゝきのさやぎ、燃えて……」

 組は二つに分れ、剣がカチカチ云ひます。青仮面(あをめん)が出て来て、溺死(いっぷかっぷ)する時のやうな格好(かくかう)で一生懸命跳ね廻ります。子供らが泣き出しました。達二は笑ひました。

 月が俄(には)かに意地悪い片眼になりました。それから銀の盃(さかづき)のやうに白くなって、消えてしまひました。

 

 達二の村の先祖たちは、おそらくいにしえより、平地人からは、常人にはない魔的な霊力を備えた、〈異族〉的な匂いを漂わせた存在として畏怖されていたのであろう。

 近代に入っても、そういう伝説的な色彩に染め上げられた「マレビト」的存在としての感覚が衰弱しつつ生き残っており、こういう「剣舞」の習俗が繰り返されていたにちがいない。

 月と大地と風が呼応する土俗の闇の深さと生命的なうねりの息づかいを活写したこの文章を挿入することで、少年達二の生存感覚は一段とふくらみを増し、みずみずしい野性味をたたえたものとなる。

 さらに、断片的な夢幻的シーンが続き、最後に「山男」が出現して達二をさらっていこうとするが、達二は素早く刀を奪い返して山男の横腹を突き刺し、殺してしまう。

 急にまっ暗になって雷鳴が烈しくとどろき、達二は眼をさます。

 すぐ前に牛が立っており、雷と風の音の中から、かすかに兄さんの声がきこえて、達二は無事に連れ戻される。

 祖父と兄に優しくいたわられながら、火にあたり、団子を食べているところへ、雨が上がって霧が切れ、すがすがしい陽光がさしこむ。

 この「種山ヶ原」という作品には、岩手県人宮沢賢治の縄文的ともいえる土俗的なアニミズムの濃密な体液と、一切の知的な小細工を排した生身の野性の息づかいが感じられ、私はなんともいえぬ風通しの良さをおぼえる。(この稿続く)

 

 

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宮沢賢治童話考(連載第4回) 川喜田八潮

  • 2016.05.18 Wednesday
  • 17:53
 
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 前にも触れたように、宮沢賢治の自然意識には、存在への異和に根ざしたヴァーチャルで無機的な関係意識と共に、それを緩和し、修復しうるような生身の身体性への渇きが息づいていた。
「めくらぶだうと虹」は、そのような渇きが、穏やかで親和的な生命感覚となって、幸福な形をとって表出された数少ない作品の一つである。
 
 城あとのおほばこの実は結び、赤つめ草の花は枯れて焦茶色になり、畑の粟(あは)は刈られました。
「刈られたぞ。」と云ひながら一ぺん一寸(ちょっと)顔を出した野鼠(のねずみ)が又急いで穴へひっこみました。
 崖(がけ)やほりには、まばゆい銀のすすきの穂が、いちめん風に波立ってゐます。
 その城あとのまん中に、小さな四っ角山があって、上のやぶには、めくらぶだうの実が、虹のやうに熟れてゐました。
 さて、かすかなかすかな日照り雨が降りましたので、草はきらきら光り、向ふの山は暗くなりました。
 そのかすかなかすかな日照り雨が霽(は)れましたので、草はきらきら光り、向ふの山は明るくなって、大へんまぶしさうに笑ってゐます。
 そっちの方から、もずが、まるで音譜をばらばらにしてふりまいたやうに飛んで来て、みんな一度に、銀のすゝきの穂にとまりました。
 めくらぶだうは感激して、すきとほった深い息をつき葉から雫(しづく)をぽたぽたこぼしました。
 東の灰色の山脈の上を、つめたい風がふっと通って、大きな虹が、明るい夢の橋のやうにやさしく空にあらはれました。
 そこでめくらぶだうの青じろい樹液は、はげしくはげしく波うちました。
 
 書き出しの部分であるが、なんとも息を呑むほどに美しい描写である。
 実り、枯れ、刈り取られた秋のさまざまな植物たちの生死の面影が交錯する、廃墟址の蕭条とした風景の中で、ひっそりとたたずむ「めくらぶだう」の息づかいが、皮膚感覚的な鮮やかさをともなって伝わってくる。山脈に抱かれた城あとの風景全体が深々とした陰翳に包まれ、風の香りやかすかな日照り雨を受けた草のきらめきの表情も、驚くほどみずみずしい透明感をたたえている。
 そして、この生死一如のような、生命的な浄福の光景の中に、大きな「虹」が出現するのである。
 宮沢賢治の主・客融合的、アニミズム的な生存感覚が、ここでは、硬質な客観的・写実的な描写力を活かしながら、比類ない鮮度を保って描破されている。
 作品の冒頭で、作者は、山脈を背景とする城あとの風景全体を視野に収め、無駄の無い簡潔な筆づかいでそのみずみずしい生命感を一気にひき出しながら、同時にめくらぶだうの視線に憑依し、次いではるかなる虹への熱い哀しい憧憬のおもいを語りはじめるのである。
 ここからのめくらぶだうと虹は会話体による擬人化をこうむるのだが、読者は、先に引用した客観的な風景描写による身体感覚の励起を経ているために、他の賢治童話にありがちな、息苦しい人間ドラマへの矮小化の感覚を味わわずにすむ。それが、この作品の美事さの秘密である。
 おまけに、めくらぶだうと虹の会話の中味がまた味わい深い。瞬間の中で燦然と輝く虹の天上的な高貴さに比べて、自分などははるかにみすぼらしい、はかない存在でしかなく、すぐに実や葉は風にちぎられ、冷たい雪の中にうずもれ、枯れ草の中で腐ってしまうのだと嘆き、ひたすら虹に崇拝と思慕のおもいを打ちあけるめくらぶだうに対して、虹は言う。
 
「……本たうはどんなものでも変らないものはないのです。ごらんなさい。向ふのそらはまっさをでせう。まるでいゝ孔雀石(くじゃくいし)のやうです。けれども間もなくお日さまがあすこをお通りになって、山へお入りになりますと、あすこは月見草の花びらのやうになります。それも間もなくしぼんで、やがてたそがれ前の銀色と、それから星をちりばめた夜とが来ます。/その頃、私は、どこへ行き、どこに生れてゐるでせう。又、この眼の前の、美しい丘や野原も、みな一秒づつけづられたりくづれたりしてゐます。けれども、もしも、まことのちからが、これらの中にあらはれるときは、すべてのおとろへるもの、しわむもの、さだめないもの、はかないもの、みなかぎりないいのちです。わたくしでさへ、たゞ三秒ひらめくときも、半時空にかゝるときもいつもおんなじよろこびです」
 
 あらゆる生きとし生けるものの栄枯盛衰・有為転変・無常なるものを貫く存在の本質についての宮沢賢治の理念が率直に語られている。
 存在の一瞬の光芒の内に顕現しうる、時空を超越した大いなるいのちの働き。善悪美醜、光と闇の織りなす混沌とした存在のドラマを司り、そのうねりの中に内在しつつ超越する、霊妙な力の遍在。
 作者は、深々とした陰翳とみずみずしい透明感をたたえた城あとの風景に象徴される生死一如の境位を体現した虹のすずやかな風貌の中に、己れの世界観の核心を、最もシンプルに、てらいなく込めてみせたのである。
 
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 しかし、「めくらぶだうと虹」は後に「マリヴロンと少女」という作品に改作され、そこでは、めくらぶだうと虹の対話は、父親の牧師と共にアフリカへ行くギルダという少女と歌手のマリヴロン女史の対話へと置き換えられている。
 冒頭の風景描写の文章は、ほぼ「めくらぶだうと虹」と同じようにみえるが、実は、微妙に変えられている。 
 
 城あとのおほばこの実は結び、赤つめ草の花は枯れて焦茶色になって、畑の粟(あは)は刈りとられ、畑のすみから一寸(ちょっと)顔を出した野鼠(のねずみ)はびっくりしたやうに又急いで穴の中へひっこむ。
 崖(がけ)やほりには、まばゆい銀のすすきの穂が、いちめん風に波立ってゐる。
 その城あとのまん中の、小さな四っ角山の上に、めくらぶだうのやぶがあってその実がすっかり熟してゐる。
 ひとりの少女が楽譜をもってためいきしながら藪(やぶ)のそばの草にすわる。
 かすかなかすかな日照り雨が降って、草はきらきら光り、向ふの山は暗くなる。
 そのありなしの日照りの雨が霽(は)れたので、草はあらたにきらきら光り、向ふの山は明るくなって、少女はまぶしくおもてを伏せる。
 そっちの方から、もずが、まるで音譜をばらばらにしてふりまいたやうに飛んで来て、みんな一度に、銀のすゝきの穂にとまる。
 めくらぶだうの藪からはきれいな雫(しづく)がぽたぽた落ちる。
 かすかなけはひが藪のかげからのぼってくる。今夜市庁のホールでうたふマリヴロン女史がライラックいろのもすそをひいてみんなをのがれて来たのである。
 いま、そのうしろ、東の灰色の山脈の上を、つめたい風がふっと通って、大きな虹が、明るい夢の橋のやうにやさしく空にあらはれる。
 
  先に引用した「めくらぶだうと虹」の冒頭部と虚心に読み比べてみると明らかなことだが、「マリヴロンと少女」の風景描写の方が、格段に色あせたものとなっている。
 その理由は二つある。
 ひとつは、「めくらぶだうと虹」では、いかにも童話風の、ゆったりとした優しい「ですます体」の語り口調でリズミカルに描写されているのに対し、「マリヴロンと少女」では、童話風の空気を一掃し、現在進行形の「である調」を使って、淡々と事実を記述的に積み重ねていくような、冷ややかな機械的リズムが支配しているという点である。
 同じような風景を客観的に描写していても、表現意識はまるで異なっているのだ。
「めくらぶだうと虹」のみずみずしいリズムを抽き出しているのは、作者の主・客融合的でアニミズム的な身体感覚の鮮やかさであるといっていいが、「マリヴロンと少女」では、主・客は冷ややかに分離され、主体としての作者は、ただ、客体化された美しい風景を写実的に「記述」しているだけなのである。
 もうひとつは、「めくらぶだうと虹」の冒頭部では、風景の客観描写がなされているとはいえ、その中に、わずかに、ひかえめな形で動植物の擬人化が混入されているのに対して、「マリヴロンと少女」では、一切の擬人化がしりぞけられているという点である。
 前にも強調したように、擬人化という手法は、存在に対するわれわれの共感や想起の能力を大幅に希釈し、あるいは封じてしまうという危険性をもっており、自然を擬人化したとたんに、その作品は、自然に対する真の身体的な開放感とは無縁の、単なる人間ドラマの〈喩〉としての寓話的レベルに限定させられてしまうのである。
 宮沢賢治の擬人化の手法にはほとんど常にこの難点がつきまとっているが、「めくらぶだうと虹」は、逆に擬人化が、風景描写に込められたみずみずしい生命的な身体感と共振し、それを励起させる効果を生み出しているという、例外的な作品の一つであるといっていい。
「めくらぶだうは感激して、すきとほった深い息をつき葉から雫をぽたぽたこぼしました」とか「めくらぶだうの青じろい樹液は、はげしくはげしく波うちました」といった表現は、作品冒頭の客観的な風景描写の身体的な喚起力を弱めるのではなく、逆に励起し、それに一層の透明感とふくらみを付与しているのである。
 対照的に「マリヴロンと少女」では、一切の擬人化をしりぞけ、冷ややかな写実的描写とあいまって童話的な空気を一掃することで、風景を痩せ細ったものにしている。
 ここでは、秋の蕭条とした夕暮れ時の風景は生命的なふくらみをもたず、むしろ少女の憂鬱に揺れ動く、孤独な冷え切った身体の喩として立ち現われている。
 さらに、少女とマリヴロン女史との会話も、めくらぶだうと虹のそれとは趣きを変えている。
 自分は父親の牧師と共に明日にはアフリカへおもむき、布教・伝道の仕事に携わらなければならない、しかし本当は音楽好きで、マリヴロン女史のように歌いたかった、自分はアフリカなどに行きたくはない、女史のもとに仕え、彼女の仕事を手伝い、教えを乞いたい。そんな溢れるおもいを抱えながら、少女ギルダは、マリヴロンへの熱烈な憧憬のおもいを訴えようとする。
「あなたは、立派なおしごとをあちらへ行ってなさるでせう。それはわたくしなどよりははるかに高いしごとです。私などはそれはまことにたよりないのです。ほんの十分か十五分か声のひびきのあるうちのいのちです」という女史に対して、ギルダは、そんなことはない、「先生はここの世界やみんなをもっときれいに立派に」なさるお方だと主張する。マリヴロンは少女をさとすように「えゝ、それをわたくしはのぞみます。けれどもそれはあなたはいよいよさうでせう。正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。ごらんなさい。向ふの青いそらのなかを一羽の鵠(こふ)がとんで行きます。鳥はうしろにみなそのあとをもつのです。みんなはそれを見ないでせうが、わたくしはそれを見るのです。おんなじやうにわたくしどもはみなそのあとにひとつの世界をつくって来ます。それがあらゆる人々のいちばん高い芸術です」と語る。
 けれども、あなたは、高く光の空にかかり、草花や鳥はあなたをほめたたえて歌うのに、私は誰にも知られずに巨きな森の中で朽ち果ててしまうのだ、と少女はうちひしがれたようにつぶやく。女史は「すべて私に来て、私をかゞやかすものは、あなたをもきらめかします。私に与へられたすべてのほめことばは、そのまゝあなたに贈られます」と励まし、なおも、私を連れて行ってくれと哀願する少女に、「いゝえ私はどこへも行きません。いつでもあなたが考へるそこに居ります。すべてまことのひかりのなかに、いっしょにすんでいっしょにすゝむ人人は、いつでもいっしょにゐるのです」と語りながらその願いを拒否し、進むべき道を指し示す。
 この会話だけでは、少女ギルダの希いやそれへのマリヴロン女史の対応の仕方が妥当なものであったのかどうかはわからない。ただ、ささやかな私見を言わせてもらえば、たとえそれが親の希望だろうが何だろうが、己れの身体の深奥から立ち昇る自然な渇きの声に抗うものであるのなら、人間は、そんな要求を拒否してみせる権利をもっているということだ。
 牧師の布教・伝道の仕事が己れの魂を圧殺しようとする営みだと感じられるのなら、少女には、それを徹底的に拒む権利があるし、マリヴロン女史は、他人の人生の重大な岐路に当たって、無責任なおためごかしを言うべきではない。
 もちろん、だからといって、女史が、安っぽい同情から少女の身元を引き受け、その教育を肩代わりすることで、己れの精神的な自由を自ら拘束してみせる必要もない。
 女史は、自己欺瞞もおためごかしもなく、己れの孤独な表現者としての道を歩み続けるべきだし、少女もまた、己れの心奥の声に耳を傾けつつ、かけがえのない単独者の道を探し当てるべきなのだ。
 ここでのマリヴロン女史の言葉には、宮沢賢治の生活思想者としての自立の理念が込められている。そのポイントは二つある。
 ひとつは、他人への〈比較〉の視線、世間や他者による〈評価〉の視線をいかに超えてみせるか、という問題である。
 己れ自身の固有の生活史の文脈に則した、自然な身体の渇きに根ざした固有の生の営みがつくり出す、ささやかな哀歓の輝きの軌跡。
 それは、それ自身で絶対的に屹立している、ひとつの〈生活〉という芸術なのであり、比較や評価を絶したものなのだ。
 マリヴロンのいう「正しく清くはたらくひと」とは、どのような存在なのか。この作品には、それがきちんと示されていない。それだけに、このマリヴロンの言葉には、己れの実存を疎外した安直な献身や自己犠牲の理念に横すべりする危険性がはらまれている。
 これは宮沢賢治自身の危うさであると共に、賢治文学を受容する者の陥りがちな危うさでもある。
 だがすでに、「よだかの星」に息づいている、宮沢賢治の誇り高い〈孤〉の絶対的な屹立の場所を知っている私(たち)は、「青いそら」の中を飛んでいく「一羽の鵠」の軌跡がつくり出す深々とした清冽な時間の芸術がいかなるものかを、一切の観念的・倫理的な贅肉を削ぎ落とした形で感受することができるはずである。
 マリヴロン女史の言葉に込められているもうひとつのポイントは、そのような一人ひとりの生の絶対的な固有性の営みの場所が、その孤独さを純粋に守りながら、いかにして、他者の固有性と結びつき、出会うことができるのか、という問題である
「すべて私に来て、私をかゞやかすものは、あなたをもきらめかします」「すべてまことのひかりのなかに、いっしょにすんでいっしょにすゝむ人人は、いつでもいっしょにゐるのです」というマリヴロン女史の言葉は、この問題への解答を指し示している。
 しかし、これらの言葉が生きて成立しうるには、いうまでもなく、「めくらぶだうと虹」で表現されたような、時空を超えて遍在する大いなるいのちの働きに対する作者の信仰心の深さが、きちんと息づいていなければならない。
「めくらぶだうと虹」では、そのような宇宙生命的な理念が、アニミズム的な存在の輝きを象徴するみずみずしい風景描写を前提とすることで、簡潔に、説得的に語られていた。
 しかし、「マリヴロンと少女」では、そういう時空を超越した生命観を生き生きと伝えるような言葉もなければ、その生命観に力を与えるような風景描写のみずみずしさも欠落している。
 だから、せっかくのマリヴロン女史の言葉も、この作品だけでは、ただの観念的なお説教のレベルにとどまっている。独立した作品としては、どうしようもなく痩せているのである。
「めくらぶだうと虹」から「マリヴロンと少女」への改作の姿勢には、宮沢賢治の孤立感の深さと冷え切った身体、その裏返しとしての関係への飢えの激しさと孤立感を代償せんとする観念的倫理的志向の危うさが透けて見える。
 私たちは、ここで、またもや賢治の生き難さの業に直面させられているのだ。
 
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 擬人化の手法が穏やかで親和的な風景描写と共振し合いつつ、美事な生涯の完結感=〈死〉のイメージを造型し得た童話作品に、「おきなぐさ」がある。私は、宮沢賢治のあらゆる作品の中で、これほどに安らかで軽やかな浄福感をたたえた死の感触にめぐり会ったことはない。成長し切った植物の種子が風に吹かれて散っていく時の、最期の生の輝きが描かれているのだが、これと似たモチーフを扱った童話作品「いてふの実」が、思春期の子供の旅立ち前のような、死と孤立の恐怖に蒼ざめた実存的な悲壮さを漂わせているのに対して、「おきなぐさ」にはそういう悲壮さや感傷の匂いが全くない。
「おきなぐさ」は別名「うずのしゅげ」ともいい、「黒繻子(くろじゅす)の花びら」と青白い「銀びろうどの刻みのある葉」をもち、六月には「つやつや光る冠毛」をつける。なんとも神秘で涼やかな風情をたたえた気品のある植物なのである。このうずのしゅげの花をきらいなものはない、と作者は語る。
 
 又向ふの、黒いひのきの森の中のあき地に山男が居ます。山男はお日さまに向いて倒れた木に腰掛けて何か鳥を引き裂いて喰べようとしてゐるらしいのですがなぜあの黝(くろず)んだ黄金(きん)の眼玉を地面にじっと向けてゐるのでせう。鳥を喰べることさへ忘れたやうです。
 あれは空地のかれ草の中に一本のうずのしゅげが花をつけ風にかすかにゆれてゐるのを見てゐるからです。
 私は去年の丁度今ごろの風のすきとほったある日のひるまを思ひ出します。
 それは小岩井農場の南、あのゆるやかな七つ森のいちばん西のはづれの西がはでした。かれ草の中に二本のうずのしゅげがもうその黒いやはらかな花をつけてゐました。
 まばゆい白い雲が小さな小さなきれになって砕けてみだれて空をいっぱい東の方へどんどんどんどん飛びました。
 お日さまは何べんも雲にかくされて銀の鏡のやうに白く光ったり又かゞやいて大きな宝石のやうに蒼(あを)ぞらの淵(ふち)にかかったりしました。
 山脈の雪はまっ白に燃え、眼の前の野原は黄いろや茶の縞(しま)になってあちこち掘り起こされた畑は鳶(とび)いろの四角なきれをあてたやうに見えたりしました。
 おきなぐさはその変幻の光の奇術(トリック)の中で夢よりもしづかに話しました。
 
 春の風景のひとこまが、枯草の中にひっそりとたたずむ「うずのしゅげ」の柔らかな空気を中心に、みずみずしく描写されている。「鳥を引き裂いて喰べようとしてゐる」獰猛な山男も、「黄いろ」や「茶の縞」になって横たわる枯れ野や「あちこち掘り起こされた」畑の荒れた風情も、この植物の優しい繊細な気配の内にごく自然に包摂される。
「銀の鏡」とか「宝石」とか「光の奇術(トリック)」といったような、賢治らしい、金属的でアトミックな感覚を示す言葉もわずかに見られるけれども、ここではそれらの言葉も、生身の身体性を励起させる、「おきなぐさ」の風情を中心とした穏やかで生命的な風景描写の中に、抵抗無く溶かし込まれているのである。
 その鮮やかにひきしまった客観描写の延長に、刻々と移り変わる風景のデリケートな表情にみずみずしい驚異の念をおぼえるふたりの「おきなぐさ」たちの対話が続く。
「めくらぶだうと虹」と同様、ここでも、おきなぐさたちの擬人化の手法は、客観的な風景描写の励起させる生命感を弱めるのではなく、むしろ、それと共振し合っている。
 やがて、二ヶ月が過ぎ、春から夏へと季節は移り、「銀毛の房」をたくわえた二つのおきなぐさたちは、まもなくひとつの生涯を終え、散り時を迎えようとする。
 
「丘はすっかり緑でほたるかづらの花が子供の青い瞳のやう、小岩井の野原には牧草や燕麦(オート)がきんきん光って居(を)りました。風はもう南から吹いて居ました。/春の二つのうずのしゅげの花はすっかりふさふさした銀毛の房にかはってゐました。野原のポプラの錫(すず)いろの葉をちらちらひるがへしふもとの草が青い黄金(きん)のかゞやきをあげますとその二つのうずのしゅげの銀毛の房はぷるぷるふるへて今にも飛び立ちさうでした」
 
 ひばりがやって来て、飛んで行くのはいやですかと聞くと、おきなぐさは、なんともありません、僕たちの仕事はもう済んだのです、僕たちがばらばらになってどこへ飛ぼうと、お日さまはちゃんと見ていらっしゃる、何も恐いことはありませんと答える。
 すがすがとした二本の草は、風の訪れを心静かに待ちうける。
 
 奇麗なすきとほった風がやって参りました。まづ向ふのポプラをひるがへし、青の燕麦(オート)に波をたてそれから丘にのぼって来ました。
 うずのしゅげは光ってまるで踊るやうにふらふらして叫びました。
 「さよなら、ひばりさん、さよなら、みなさん。お日さん、ありがたうございました。」
 そして丁度星が砕けて散るときのやうにからだがばらばらになって一本づつの銀毛はまっしろに光り、羽虫のやうに北の方へ飛んで行きました。そしてひばりは鉄砲玉のやうに空へとびあがって鋭いみじかい歌をほんの一寸(ちょっと)歌ったのでした。
 私は考へます。なぜひばりはうずのしゅげの銀毛の飛んで行った北の方へ飛ばなかったか、まっすぐに空の方へ飛んだか。
 それはたしかに二つのうずのしゅげのたましひが天の方へ行ったからです。そしてもう追ひつけなくなったときひばりはあのみじかい別れの歌を贈ったのだらうと思ひます。そんなら天上へ行った二つの小さなたましひはどうなったか、私はそれは二つの小さな変光星になったと思ひます。なぜなら変光星はあるときは黒くて天文台からも見えずあるときは蟻が云ったやうに赤く光って見えるからです。
 
 このように暖かくはればれとした、しかも透明で深々とした〈死〉の瞬間を、私たちの近代文学は、他に生み出すことができただろうか。リアリズム的な小説技法が逆立ちしてもとうてい真似のできないような、酷薄さや悲壮さというものを完全に突き抜けた、生命的な軽やかさがここには息づいている。
 自然に帰するが如く、とはこのような表現をいう。
 擬人化とみずみずしい生身の風景描写が一体となった「童話」という喩的形式を通してしか、このような死の受容のあり方を描出することは不可能であろう。
 われわれの見ている星は、はるか昔に輝いていた(あるいは滅び去った)星の光がたまたま今われわれのもとに届いて網膜を刺激している物理的現象にすぎないなどという、科学的な因果律のゴタクを並べ立てるような鈍感な愚か者たちには、この「おきなぐさ」の啓示する偉大な真理は、とうていわかりはしない。
 物質的な星の寿命や滅亡などという知識は、われわれが今、この瞬間に見上げ、めぐり会っている星辰の高貴燦然たるきらめきというおごそかな事実にとっては、全くもって何ものでもない。
 そういう因果律的説明は、〈存在の本質〉とは全く別次元に属することである。
 驚くべき事は、因果律的説明それ自体にあるのではなく、はるか昔に輝いていた、あるいは滅んだ星のまたたきを、今、われわれが、ここで、このような天空の配置とたたずまいを通してみつめているという事実そのものにあるのだ。
 その星の輝きは、まさに、今ここで私たち自身と出会うべくして出会ったのであり、私たちの心身に宿りながらも私たちの有限な肉体や意識のあり方をはるかに超えてひろがる偉大なるコスモスの息吹の顕われとして、今ここに私たちの〈本体〉の一部としてその生命を開示してみせているのである。
 私たちの死後の霊のゆくえもまた、この無窮なるコスモスのうねりの中に包摂され、そこで生きる。
「おきなぐさ」の転生のイメージと私の死生観が出会う場所はそこである。
「銀河鉄道の夜」に描かれた透明で冷ややかな、天上の水の如きイメージが、宮沢賢治の〈存在への異和〉に根ざした孤絶感の裏返しとしてのヴァーチャルで無機的な生存感覚の延長上に形成されたものであるとするなら、「おきなぐさ」は、逆に、作者の生身の身体性への渇きが生み出した穏やかで親和的な生命感覚の延長上に成立し得る幸福な臨終のイメージを象徴するものであった。
 私には、この二元性の〈均衡〉のうちに、一切の不自然な悪あがきを排した上で私たち現代人が心静かに死に対座しようとする時の、究極の〈安心〉のありかをめぐる課題の本質が、鮮やかに凝縮されているようにおもえてならないのである。(この稿続く)



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宮沢賢治童話考(連載第3回) 川喜田八潮

  • 2016.04.17 Sunday
  • 16:01

     7
 
「十力の金剛石」にみられるようなヴァーチャルで無機的・金属的な風景描写は、賢治童話の重要なモチーフのひとつである他界イメージにもつながっている。
「ひかりの素足」を例にとって、この特質を検討してみることにしよう。
 
「またたくさんの樹が立ってゐました。それは全く宝石細工としか思はれませんでした。はんの木のやうなかたちでまっ青な樹もありました。楊(やなぎ)に似た木で白金のやうな小さな実になってゐるのもありました。みんなその葉がチラチラ光ってゆすれ互にぶっつかり合って微妙な音をたてるのでした。/それから空の方からはいろいろな楽器の音がさまざまのいろの光のこなと一所に微(かす)かに降って来るのでした。もっともっと愕(おどろ)いたことはあんまり立派な人たちのそこにもこゝにも一杯なことでした。ある人人は鳥のやうに空中を翔(か)けてゐましたがその銀いろの飾りのひもはまっすぐにうしろに引いて波一つたたないのでした。すべて夏の明方のやうないゝ匂(にほひ)で一杯でした。ところが一郎は俄(には)かに自分たちも又そのまっ青な平らな平らな湖水の上に立ってゐることに気がつきました。けれどもそれは湖水だったでせうか。いゝえ、水ぢゃなかったのです。硬かったのです。冷たかったのです、なめらかだったのです。それは実に青い宝石の板でした。板ぢゃない、やっぱり地面でした。あんまりそれがなめらかで光ってゐたので湖水のやうに見えたのです。/一郎はさっきの人を見ました。その人はさっきとは又まるで見ちがへるやうでした。立派な瓔珞(やうらく)をかけ黄金(きん)の円光を冠(かぶ)りかすかに笑ってみんなのうしろに立ってゐました。そこに見えるどの人よりも立派でした。金と紅宝石(ルビー)を組んだやうな美しい花皿を捧げて天人たちが一郎たちの頭の上をすぎ大きな碧(あを)や黄金のはなびらを落して行きました。/そのはなびらはしづかにしづかにそらを沈んでまゐりました。/さっきのうすくらい野原で一緒だった人たちはいまみな立派に変ってゐました。一郎は楢夫を見ました。楢夫がやはり黄金(きん)いろのきものを着、瓔珞(やうらく)も着けてゐたのです。それから自分を見ました。一郎の足の傷や何かはすっかりなほっていまはまっ白に光りその手はまばゆくいゝ匂(にほひ)だったのです」
 
 猛吹雪の中で道に迷い凍死した一郎・楢夫の兄弟があの世におもむき、他の死んだ人々と共に、前生の罪業のために、赤い瑪瑙(めのう)の棘でできた暗い野原を傷だらけになって歩きながら鬼に責められているところへ、突如如来が現われ、風景を一変させて浄土に導いてくれる。
 ここにはその浄福のイメージが、作者の傾倒した法華経の「如来寿量品第十六」による極楽イメージをもとに描かれているのだが、その水晶体のような人工的で無機的な、冷ややかな感触は、まぎれもなく宮沢賢治自身の資質に根ざしたものであるといっていい。
 しかし、「ひかりの素足」に描かれた彼岸的救済のイメージは、「二十六夜」における穂吉の臨終の描写ほどお粗末なものではないにせよ、やはり、いかにも不自然な作為に満ちている。
 作品冒頭の、山小屋での楢夫の、死の予感を暗示するような不吉な夢の与える戦慄的なイメージに始まり、やがて帰途で山道に迷い、猛吹雪の中で兄の一郎が毛布をひろげてマントのまま弟の楢夫を抱きしめながら弟ともども凍死してしまうまでの、岩手弁を活かしたリアルな情景描写や会話は、構成的にも文体的にもおよそ隙のない、自然な手堅さを感じさせるものとなっている。
  死後の世界で、一郎や楢夫をはじめとする夭折した子供たちが受ける地獄の責め苦の情景も、(現世とは一転した標準語によるニュートラルな会話や鞭を振るう鬼の存在といった小細工が鼻につくけれども)読者の痛覚をきちんと励起させる、なんとも残忍な迫力に満ちており、そのリアルで粘着的な描写力は、優に「二十六夜」のそれに匹敵するといっていい。
 現世における兄弟の受難のプロセスと死後の業苦の場面は、内面描写としては完全な連続性を保っており、不条理性の痛覚を漸進的に増幅させようとする、作者の周到な配慮がうかがえる。
 それだけに、その後の如来の出現による彼岸的救済のイメージが、いかにも唐突で白けたものに感じられるのは致し方がない。この点も、「二十六夜」に酷似している。
 現世の不条理性を裏返しただけの、安直で他愛のない〈願望充足〉の世界や、一郎が「にょらいじゅりょうぼん第十六」という言葉を感取すると同時に、それまでの地獄のイメージがヴァーチャルな空虚さをたたえた極楽の風景へと一変するといった、信者の仲間内でしか通用し得ないような、いかにも仏教臭の濃厚な、観念的な構成にへきえきさせられるのである。一郎が、最後まで弟を見棄てず一身を犠牲にして守り通そうとした功徳によって、再び現世へと輪廻転生できるという結末も、説教臭くてかなわない。
「ひかりの素足」や「二十六夜」は、おそらく宮沢賢治の初期童話に属すると思われるが、両作品における他界イメージは、魂の彼岸的救済の造型としては、無惨な失敗に終わっているというほかはない。
 賢治の他界イメージが、芸術作品として真に完成度の高いものになり得るには、主人公の現世における疎外感・孤独感の苦しみが、自然な連続性を保ったままで他界へともち越され、その寂寥の深さが、そのまま、作者の資質に根ざしたある種の透明な生存感覚へと昇華され、静謐な流れと化して宇宙的に遍在してゆくことができねばならない。
 それができた時はじめて、チャチな細工物のような賢治のヴァーチャルな他界イメージは、ヴァーチャルでありながらヴァーチャルではない、ある種のたしかな身体性を獲得しうるのである。
 その完璧な達成は、晩年の「銀河鉄道の夜」までまたねばならない。
 
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 先にも述べたように、宮沢賢治のバーチャルで金属的・無機的な自然意識には、この作者の、存在への冷ややかな異和、孤立感の深さ、生存感覚の希薄さが透けて見える。それは、およそ自然へのアニミズム的な感覚といったような、存在との相互浸透的な、生命的な温かさの匂いをもっていない。
 この宮沢賢治の自然意識の半面は、生得的な要因も含む資質的なものといってよいであろうが、ある意味では、資本制近代のアトム化の病理がひとつの頂点に達した大正後期から昭和初年という不幸な時代に活動期を迎えるという、歴史的な因縁によって強いられたものであると考えることもできる。
 私は、賢治のヴァーチャルで無機的な自然意識に接する時、萩原朔太郎の詩集『月に吠える』(大正六年〔一九一七〕)でうたい上げられた、自然への冷ややかでグロテスクな奇形意識を連想せずにはいられない。一例を挙げてみよう。
 
《その菊は醋(す)え、/その菊はいたみしたたる、/あはれあれ霜つきはじめ、/わがぷらちなの手はしなへ、/するどく指をとがらして、/菊をつまむとねがふより、/その菊をばつむことなかれとて、/かがやく天の一方に、/菊は病み、/饐(す)えたる菊はいたみたる。》(「すえたる菊」)
 
 ここでうたわれた、萎え切った「菊」への同病相憐れむような感受性や、「ぷらちなの手」といった表現に流れている冷え切った生存感覚は、一見、先の「十力の金剛石」や「ひかりの素足」の描写にみられるようなきらびやかな人工的自然とは異質なもののように見えるが、そこにはある共通の感覚が看て取れる。それは、関係意識の障害感の深さに根ざしたヴァーチャルで無機的な、アトミズム的な生存感覚といってよく、両者の作品は、その苦しみの代償表現とみなすことができる。
 朔太郎は、己れの苦しみをてらいも自己欺瞞もなく、ごく素直に自然への投影を通じて形象化しているのに対して、宮沢賢治は、その障害感の苦しみや生存感覚の希薄さを覆い隠し、あたかもアンデルセンの「雪の女王」の城のように、きらびやかな宝石的・造花的・化学的イメージで己れの冷え切った身体を飾り立ててみせたのである。
 『月に吠える』から、もうひとつ作品を取り上げてみる。
 
《わたしは窓かけのれいすのかげに立つて居ります、/それがわたくしの顔をうすぼんやりと見せる理由です。/わたしは手に遠めがねをもつて居ります、/それでわたくしは、ずつと遠いところを見て居ります、/につける製の犬だの羊だの、/あたまのはげた子供たちの歩いてゐる林をみて居ります、/それらがわたくしの瞳(め)を、いくらかかすんでみせる理由です。/わたくしはけさきやべつの皿を喰べすぎました、/そのうへこの窓硝子は非常に粗製です、/それがわたくしの顔をこんなに甚だしく歪んで見せる理由です。/じつさいのところを言へば、/わたくしは健康すぎるぐらゐなものです、/それだのに、なんだつて君は、そこで私をみつめてゐる。/なんだつてそんなに薄気味わるく笑つてゐる。/おお、もちろん、わたくしの腰から下ならば、/そのへんがはつきりしないといふのならば、/いくらか馬鹿げた疑問であるが、/もちろん、つまり、この青白い窓の壁にそうて、/家の内部に立つてゐるわけです。》(「内部に居る人が畸形な病人に見える理由」・斜体字は原文では傍点)
 
 この詩の文脈における、「れいす」(レース)のかげとか、「につける製」(ニッケル製)の犬や羊とか、「きやべつの皿」とか、「粗製」の「窓硝子」や「青白い窓の壁」とかいった言葉の使われ方には、風土から断絶され、人工的で無機的な欧米近代風のライフスタイルに囲い込まれた人間の生存感覚の希薄さが巧みに象徴されている。
「につける製」の犬や羊には、お手玉や日本人形のような、柔らかで繊細な、親和的な質感をたたえた玩具とは対照的な、無機的で規格品的な冷ややかさを感じさせるし、「あたまのはげた子供たち」という言葉には、地域社会の絆の欠落と崩壊した夫婦関係の下にある不自然な近代的養育環境によって、幼い頃から神経症的なストレスを抱え込み、心身症に苦しめられる今日風の子供のイメージを彷彿とさせられる。
 これがおそらく、作者が透視した欧米近代文明の末路のイメージに違いなかった。
 それは、近代文明の先進国である欧米の市民社会の到達しつつある実態ではあろうが、大正期の日本の現実は、まだそこまでは辿り着いていない。
 だからこそ作者は、かの国の病を「遠めがね」で観ているのであるが、しかし、欧米市民社会を蝕んでいる近代の病は日本のそれと本質的には同じものであり、「遠めがね」に映った欧米の姿は、そのまま、日本の将来を予言するものでもあったのだ。
 中流上層家庭に育ったアダルト・チルドレンであった萩原朔太郎は、当時としては、欧米近代文明の病の本質に対して並はずれた感受性をもつことができた文学者の一人であったが、彼の詩作品は同時に、東京を中心とする大都市の膨張と農村人口の流出が急速に進行した明治末年から昭和初年という時代を生きた日本人大衆のこうむった隠微な魂の荒廃を、拡大鏡にかけたように鮮明に映し出すものでもあった。
 その病理の核心を表わすイメージが、先の詩でいえば、「腰から下」が「はつきりしない」という表現によって象徴されるような、〈生身〉の身体性の空洞化の苦しみにほかならなかった。
 朔太郎の『月に吠える』は、大正末から昭和初年における芥川龍之介・横光利一・川端康成・伊藤整・太宰治らの病理の表現と本質的に重なるものであり、その先駆ともなっている。宮沢賢治もまた、彼らと同じ時代の子であった。
 しかし、賢治のヴァーチャルな自然意識には、単なる近代的なアトム化の病、存在への異和に根ざした身体性の衰弱といった要因には解消できないような、この作者の資質に根ざした独特の透明な生存感覚が潜在していた。
 その資質は、「マグノリアの木」や「インドラの網」といった西域仏教風の作品によって他界イメージの冷ややかな透明性となって表現され、ついに「銀河鉄道の夜」に至って全面的な開花をとげるのである。
 
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 例えば、「インドラの網」では、疲れ切って風と草穂の中に倒れ込んでいる「私」が、夢の中で他界のような冷ややかな黄昏の高原を歩き、やがて銀河の世界に入り込むありさまが、次のように描かれている。
 
 湖はだんだん近く光って来ました。間もなく私はまっ白な石英の砂とその向ふに音なく湛(たた)へるほんたうの水とを見ました。
 砂がきしきし鳴りました。私はそれを一つまみとって空の微光にしらべました。すきとほる複六方錘(ふくろくはうすゐ)の粒だったのです。
 (石英安山岩か流紋岩から来た。)
 私はつぶやくやうに又考へるやうにしながら水際に立ちました。
 (こいつは過冷却の水だ。氷相当官なのだ。)私はも一度こゝろの中でつぶやきました。全く私のてのひらは水の中で青じろく燐光(りんくわう)を出してゐました。(中略)
 いつの間にかすっかり夜になってそらはまるですきとほってゐました。素敵に灼(や)きをかけられてよく研かれた鋼鉄製の天の野原に銀河の水は音なく流れ、鋼玉の小砂利も光り岸の砂も一つぶづつ数へられたのです。
 又その桔梗(ききゃう)いろの冷たい天盤には金剛石の劈開片(へきかいへん)や青宝玉の尖(とが)った粒やあるいはまるでけむりの草のたねほどの黄水晶のかけらまでごく精巧のピンセットできちんとひろはれきれいにちりばめられそれはめいめい勝手に呼吸し勝手にぷりぷりふるへました。
 私は又足もとの砂を見ましたらその砂粒の中にも黄いろや青や小さな火がちらちらまたゝいてゐるのでした。恐らくはそのツェラ高原の過冷却湖畔も天の銀河の一部と思はれました。
 
「ひかりの素足」に描かれた極楽イメージの、仏教色の強い、チャチな細工物のような空虚な冷ややかさと比べてみると、格段のひらきがあることがわかる。同じくヴァーチャルな、金属的で無機的な他界イメージではあっても、「インドラの網」では、語り手の「私」のまなざしを通して描かれた作者の寂寥の深さは、そのまま、すきとおった天上的な身体性となって、静謐な水のように、また砂のようにびまんしていくのである。
 このような生存感覚が、「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカンパネルラの他界風景に受け継がれていくことはいうまでもない。
 銀河鉄道に乗ったばかりのジョバンニが、列車の窓から天の川を見る場面を引用してみる。
 
 そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすゝきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立ててゐるのでした。
「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョバンニは云ひながら、まるではね上りたいくらゐ愉快になって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛を吹きながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きはめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとほって、ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のやうにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光(りんくわう)の三角標が、うつくしく立ってゐたのです。遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙(だいだい)や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、或(ある)いは三角形、或いは四辺形、あるいは電(いなづま)や鎖の形、さまざまにならんで、野原いっぱい光ってゐるのでした。ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をやけに振りました。するとほんたうに、そのきれいな野原中の青や橙や、いろいろかゞやく三角標も、てんでに息をつくやうに、ちらちらゆれたり顫(ふる)へたりしました。
 
 もうひとつ、少年二人が「白鳥停車場」の近くにある天の河原に立つシーンを見てみよう。
 
 二人は、停車場の前の、水晶細工のやうに見える銀杏(いてふ)の木に囲まれた、小さな広場に出ました。そこから幅の広いみちが、まっすぐに銀河の青光の中へ通ってゐました。
 さきに降りた人たちは、もうどこへ行ったか一人も見えませんでした。二人がその白い道を、肩をならべて行きますと、二人の影は、ちゃうど四方に窓のある室(へや)の中の、二本の柱の影のやうに、また二つの車輪の輻(や)のやうに幾本も幾本も四方へ出るのでした。そして間もなく、あの汽車から見えたきれいな河原に来ました。
 カムパネルラは、そのきれいな砂を一つまみ、掌(てのひら)にひろげ、指できしきしさせながら、夢のやうに云ってゐるのでした。
「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えてゐる。」
「さうだ。」どこでぼくは、そんなこと習ったらうと思ひながら、ジョバンニもぼんやり答へてゐました。
 河原の礫(こいし)は、みんなすきとほって、たしかに水晶や黄玉や、またくしゃくしゃの皺曲(しうきょく)をあらはしたのや、また稜(かど)から霧のやうな青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚(なぎさ)に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとほってゐたのです。それでもたしかに流れてゐたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたやうに見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光(りんくわう)をあげて、ちらちらと燃えるやうに見えたのでもわかりました。
 
 世界からぽつんと切り離されたようなジョバンニとカンパネルラのわびしく透明な風景が美しく描かれている。
 二人の少年が銀河鉄道の先々で見聞するさまざまな風景が、「ひかりの素足」における極楽イメージと同様、作者の険しい存在への異和、不条理感を単純に転倒してみせただけの、荒唐無稽な〈願望充足〉の世界にすぎないことは明白であるが、それにもかかわらずこの作品が私たちに与えてくれる、なんともいえぬ〈浄化〉の感触は、紛れもなく、カンパネルラと一緒に他界の世界を旅しても決して癒されることのないジョバンニの絶対的な寂寥の深さにもとづいている。
 この寂寥が、銀河世界の暗く深々とした感触と共振することで、青白い透明な天上的身体性を獲得し、少年の遭遇するヴァーチャルな願望充足の風景を静かに冷ややかに包摂しつつ、水のように流れて行くのである。
 
「あすこへ行ってる。ずゐぶん奇体だねえ。きっとまた鳥をつかまへるとこだねえ。汽車が走って行かないうちに、早く鳥がおりるといゝな。」と云った途端、がらんとした桔梗(ききゃう)いろの空から、さっき見たやうな鷺(さぎ)が、まるで雪の降るやうに、ぎゃあぎゃあ叫びながら、いっぱいに舞ひおりて来ました。するとあの鳥捕りは、すっかり注文通りだといふやうにほくほくして、両足をかっきり六十度に開いて立って、鷺のちぢめて降りて来る黒い脚を両手で片っ端から押へて、布の袋の中に入れるのでした。すると鷺は、螢(ほたる)のやうに、袋の中でしばらく、青くぺかぺか光ったり消えたりしてゐましたが、おしまひたうとう、みんなぼんやり白くなって、眼をつぶるのでした。ところが、つかまへられる鳥よりは、つかまへられないで無事に天の川の砂の上に降りるものの方が多かったのです。それは見てゐると、足が砂へつくや否や、まるで雪の融(と)けるやうに、縮まって扁(ひら)べったくなって、間もなく溶鉱炉から出た銅の汁のやうに、砂や砂利の上にひろがり、しばらくは鳥の形が、砂についてゐるのでしたが、それも二三度明るくなったり暗くなったりしてゐるうちに、もうすっかりまはりと同じいろになってしまふのでした。
 
 殺生の罪を犯さずに次々と天の川の砂からできた鷺(さぎ)をつかまえる鳥捕りの姿や、天災や飢饉や収奪から解放されて易々と出来ばえのいい大きな果実や穀物を収穫できる農業のあり方や、タイタニック号の沈没をモデルとした溺死者によって象徴される、不条理な悪因縁に見舞われた人々の鎮魂のイメージといったような設定のヴァーチャルな空虚さを指摘することは易しい。
 だが、それらの空虚な願望充足の風景を追跡する時に私たちが味わうものは、「ひかりの素足」の極楽イメージのような白々しい観念的な空疎さではなく、生身の肉体をしばし離脱することで、生活の疲労感とこの世の生き難さの実感を優しくいたわるように包み込み、すきとおった天上の水脈に全身をさらしてやるような、なんともいえぬ〈浄化〉のイメージなのである。
「銀河鉄道の夜」が造型してみせたこのような天上的なカタルシスのあり方は、ひとえに、現世から他界へと受け継がれていくジョバンニの寂寥の深さと、その〈生身〉の感触を青白い透明な天上的身体性へと転化し拡張させていく、作品の暗く深々とした幻想性のたまものだといっていい。
 私たちが死を極度に恐れるとすれば、それはひとつには、現世と死後の世界との間に〈断絶〉をみているからである。もちろん、死後の世界があるとすれば、それは現世とは全く異質なものであろうから、どこまで行っても死という未知なる対象に対する恐怖を完全に払拭することはできまい。
 だが、それを能う限り緩和し、死の想念にいたずらに心をわずらわせることなく、心静かに老いを迎えようと思うのなら、死後の世界と現世との間に、ある種の〈連続性〉を見出すことができねばならない。すなわち、現世の生活風景の中で、他界的な次元を生きることができなければならない、ということだ。私たちが日々の暮らしの中でめぐり会うことのできるさまざまな非日常的・神秘的な次元そのものが、すでに、ある意味では他界の風景だといってもよいのではあるまいか。
 もちろん、生と死は別ものだが、私たちは、日々の生の中で、同時に死後の次元をさまざまなかたちで生きていると考えることもできる。
 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」も、現世と死後の間に、ある種の〈連続性〉を見出そうとする試みの産物として位置づけることができよう。
 この作品の重要な特質は、主人公ジョバンニの現世における疎外感や孤立感を安直に打ち消すような他界イメージを創るのではなく、逆に、その冷え切った身体性を、青と白と銀色を基調とする自然風景の深々とした清浄な奥ゆきに変換し、類的に拡張することで、美事な癒しのイメージへと昇華させてみせているところにある。
 このような自然な連続性と昇華があるからこそ、私たちは、肉体を離脱し人生の疲労とたたかいから解放されたさまざまな銀河鉄道の乗客たち(死者たち)のヴァーチャルな成仏と転生の形に対して、「お疲れさまでした」と優しくいたわるような心持ちになれるのだし、また、主人公のジョバンニが現世へ舞い戻った時のはればれとした表情に深い共感を抱くこともできるのである。
 ただ、この作品で描かれた他界風景を自らにとっての十全な死後のイメージとして受け容れることができるかということになると、人さまざまであろう。
「銀河鉄道の夜」第四次稿(最終稿)において、作者は、夢から醒めたジョバンニが病気のお母さんのために熱い牛乳をもらい、漁に出ているお父さんが無事に帰りそうだという知らせを一刻も早く届けようと一目散に帰宅するという、貴重な「末尾」を書き加えている。
 私は、この締めくくりの挿話を読み返すたびに、なにかほっとしたものを感じるのである。
 それは、銀河鉄道の乗客たちの険しく冷ややかな業苦の感触や自己犠牲の匂いとはきわめて対照的なものだ。
 宮沢賢治が最晩年に、この末尾の挿話を付け加え、第三次稿まであった「ブルカニロ博士」とその分身の啓蒙的なお説教を抹消したことは、私には、きわめて重要な改変におもえる。
 この地味でささやかな挿話の中で、銀河鉄道に乗る前にジョバンニを覆っていた不吉な影は見事に払拭され、主人公の〈気〉の流れは生命的なものに転じている。
 その変容が、ジョバンニの銀河世界での〈浄化〉の体験によるものであることを、私たちは自然に受け止めることができる。カムパネルラの死のエピソードも描かれているが、その悲しみも、少年たちの旅と別離のプロセスを通じて再確認された、存在者としての本源的な〈孤独〉の宿命によって緩和され、ひとつの成仏のかたちへと昇華されているのである。銀河鉄道による他界体験があって、はじめて、この締めくくりも生きてくる。
 しかし、それにもかかわらず、末尾の挿話に流れる生命的な暖かさの気配がそれまでの物語の青白い冷ややかな感触と鋭いコントラストをなしていることもまた、否定することはできない。
 私は、このコントラストの中に、作者宮沢賢治の生存感覚の両義性と生の均衡感覚を読み取るのである。(この稿続く)




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宮沢賢治童話考(連載第2回)  川喜田八潮

  • 2016.03.30 Wednesday
  • 18:22
 
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 賢治童話における自然描写のアニミズム的性格については、周知のように、作者の仏教的世界観と該博な自然科学的知識の結びついた独自の宇宙論との関連において、多くの論者たちによって取り上げられてきた。しかし、今の私は、洋の東西を問わず、諸々の哲学体系や科学的世界像などには、さっぱり食指が動かないのである。
 今から二十年以上昔の二十代の頃にはそうではなかった。西洋の哲学書の翻訳を貪るように読み耽り、物理学や生物学・天文学などの専門書や啓蒙書の与えてくれる知識を己れの世界観形成のための必須の前提のようにみなしていたし、科学基礎論や認識論の分野にもどっぷりと浸り切っていた。だが、現世への呪詛と社会への嫌悪が昂進し、観念の病に全身を蝕まれて冷え切った身体をもて余し、死の想念に苛まれ続けた二十代後半の日々をくぐり抜ける中で、ある時、転生の契機が訪れた。以来、知的なメッキは急速に剥げ落ちていったようにおもう。
 三十代に入って、生活の試練にもまれる中で、はじめて、生きる上で本当に必要なものは何なのか、わずかずつではあるが、手探りの中でたしかめることができるようになってきた。生きるために痛切に必要とされる、己れの固有の生の文脈に則した手づくりの知と、ただの道楽や気休めにすぎない知的なガラクタとを、きちんと識別できるようになってきたのだ。
 今でも、私は、諸々の哲学や神学を編み出さねばならなかった思想家たちのやむにやまれぬ孤独な衝迫の出所や、そのような知的体系に込められた情念のかたちに対しては、切実な関心を抱くことができる。
 その私なりの固有の切実さの文脈に沿って、出逢いのえにしを得た、過去のさまざまな偉大な哲学者・思想家たちの知的・学的体系は、その意味を組み変えられる。
 彼らの言葉、彼らのコンセプトは、私の固有の生の文脈の中で、新たな意味と表情とを帯び、血肉化された固有の言葉、固有のイマージュとなって甦る。
 科学や医学の知識に対しても、同様のことが言える。
 科学や医学に対する際に特に注意すべきは、科学や医学の知識それ自体が有する、データによって裏付けられた仮説としての蓋然的な確からしさ、すなわち科学的な実証性というものと、その知識の背後にある、なんら実証されてはいない哲学的な世界観を、明確に区別しておくことである。
 私たちが享受している西洋近代科学及び近代医学というものは、なんらかのベーシックな意味をもつ、一連の観念的で記号的な実体概念(実体群)を設定し、それらの実体が従うべき一般法則に基づく因果律と確率論によって、自然・宇宙の事象をメカニックに説明しうるとする世界観、すなわち、要素還元主義的(アトミズム的)な機械論的世界観を、暗黙の前提にしているといっていい。
 私たちが「客観的で科学的な世界像」として受け容れている(受け容れさせられている)諸々の科学知識というものは、実は、そのアトミズム的・機械論的な世界観を作業仮説的な羅針盤として探求され、構築されてきた、巨大な観念的システムのことにほかならない。
 その科学知識なるものは、たしかに、それなりの合理性と実証性を備えた客観的なシステムには違いないが、同時に、前提となる世界観によって、認識論的な〈制約〉をこうむった、偏向的な知の所産であることも、またたしかなことである。なぜなら、それは、「認識する主体」と「認識される客体」とを、あらかじめ存在として「分離」させた上で、すなわち、客体としての世界を、私たちの主体とは何の関係も無い、ニュートラル(没価値的)でメカニックな「客観的自然」とみなした上で、成立させられた観念体系だからである。
 しかし、存在の生生流転の実相とは、本来、主・客が融合し、一体となったダイナミズムの顕われにほかならず、一般法則に基づいた因果律や確率論によって規定された、バラバラな記号的実体の組み合わせによるメカニックな運動などに、一元的に還元できるようなものではない。
 森羅万象の精妙な表情を、主・客を分離させた、科学知識という、ニュートラルで一面的な観念的・記号的システムによって、とらえ尽くすことなどできはしないのだ。
 どんなにささやかな日常風景のひとこまでもいい。
 存在の生ける諸相を、因果律によるメカニックな運動に還元した時、すでに存在の〈意味〉とそれに伴う〈価値〉は見失われ、存在は、風景として「死に体」と化していることがわかるだろう。
 存在の〈意味〉と〈価値〉の諸相というものは、主・客が融合した生ける風景の中で、初めて、たしかな実在としての手応え、リアリティを立ち上がらせるのである。
 それがあって初めて、私たちの生きる手応えも、生まれてくる。
 それは、科学知識の領域ではなく、〈身体〉の領域である。
 存在の生命的な意味と価値の世界は、〈身体〉によって象徴的に感受され、心身が一如となって紡ぎ出されるべき、主・客融合的な認知の領域なのである。
 ニュートラルな科学知識や情報を、どれほど集めようと、存在の生ける実相は、人々の手をすり抜けてしまう。
 もちろん、現代に生きる私たちは、科学技術や医学の成果にお世話にならざるをえないし、科学知識への教養は、私たちにとって、大なり小なり、生きる上での不可欠の必需品たらざるをえない。
 だが、私たちが、情報化社会の中で、マスコミによって、一方的に洪水のように浴びせられている科学知識によって、〈知〉を塗り固め、己れの世界風景を科学一色に染め上げられるとしたら、その時、私たちの魂は、アトミズム的・機械論的世界観という、疑似科学的な非人間的イデオロギーによって蝕まれ、窒息させられてしまうであろう。
 その時、私たちの〈身体〉もまた、存在に対して冷え切り、観念的に硬直した「死に体」と化しているのである。
 だから、私たちは、己れの固有の生活世界を切り拓くというたたかいの中で、心身を呪縛してきた既成観念を打破し、感性をベースに据えた、自らの手づくりの〈知〉を粘りづよく紡ぎ出してゆくという営みに沿って、科学知識を適宜、取捨選択してゆかねばならないのである。
 いかなる知識が己れを毒し、いかなる知識がそうでないか。
 自分にとって本当に必要な知識は、どのようなものか。
 それを単なる知的な判断のみならず、自らの〈身体〉の素直な反応を通して、すなわち、自らの〈無意識〉の微かで精妙なささやき、異和や親和の感覚を通して、嗅ぎ分け、選別しなければならない。
 
 だが、いかなる科学知識を必要としようと、因果律や確率論による事象の科学的・合理的解釈などというものは、しょせん、未知または既知の制約条件の下で蓋然的な正当性を主張し得る、客観化された相対的真理にすぎず、〈存在の本質〉とは別の次元に属するものであるという事実は、正しく認識されてしかるべきことである。
 われわれは、事象を説明しようとする時、因果律に頼らざるを得ないが、それはあくまで便宜的な道具にすぎないのだ。
 なんらかの事象・存在を、それを包摂するより大きな〈全体〉から〈部分〉として切り離し、その部分的事象を、存在の因果関係のリクツで合理的に説明し、再構成したところで、それはしょせん、実在の不完全きわまる〈近似物〉でしかない。存在の本質を説明したことにはならないのだ。
 存在の本質は、常に因果律や確率論を超えており、それらとは別次元のものである。
 存在の本質とは、事象に宿り、事象を事象たらしめ、それに意味と価値とを付与する神秘なる虚空の如き存在である。われわれの生は、この大いなる存在の神秘にその根拠を置いた時、はじめて真の安心立命を得られるのだ。
 前近代の人間は、もちろんこのことを触知していた。だが、近代人という奴は、哀れなことに、こういう素朴にして直接的な真理までも完全に忘却し去ってしまうほどに、科学と合理主義を化け物じみた玉座へと押し上げ、鈍感きわまる観念的存在になり下がってしまったのである。
 前近代的な宗教的世界観と倫理の観念的桎梏を打破し、地上的な肉体の復権と客観的な経験性・合理性の重視を企図した近代は、結局、科学的因果律とアトミズム的・機械論的宇宙観という、もうひとつの観念的桎梏へと人々のまなざしを封じ込めてしまったのだ。
 科学であれ哲学であれ、私は、宇宙をひとつの閉じられた観念体系の内に包摂しようと企てるいかなる知や学の上にも、己れの生の基盤を打ち立てることはできない。
 知的な認識と倫理の小細工の内に生と自然の本質を還元しようとする試みは、しょせん、神秘で不可知なコスモスの懐に抱かれながら、ひとりの〈生身〉の生活者としてこの現世を生き抜こうとする者の畏怖や歓喜の無量のおもいをすくい上げることはできないのだ。
 宮沢賢治の自然へのまなざしを論ずるにあたって、私はまず、哲学的な知や科学的な知というものに対する、以上のようなスタンスというものを、明確に強調しておく必要を感じる。
 このスタンスに従って私は、本稿で、賢治童話の中に込められている作者の科学的・神学的・宇宙論的な認識の構図や、法華経信仰に基づく自己犠牲の精神や浄土信仰の観念的志向などについては、極力触れずに済まそうとおもうし、これまでもそう心がけてきた。
 
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 作品の解読に戻りたい。
 宮沢賢治の自然描写には、するどく矛盾する二つのまなざしがみとめられる。
 作品「十力の金剛石」を例にとって、この問題を取り出してみよう。
 ある霧の深い朝、宝石好きの幼い王子と大臣の子が、美しい神秘な金剛石を求めて野原を駆けていくと、霧がすうっと晴れて、空高く目のさめるような虹がかかる。虹のもとにおもむこうとして、二人は真っ黒な森の中に分け入っていく。小藪のそばを通る時、「さるとりいばら」がたくさんの緑色の鉤を出して、王子の着物をつかみ、引き留めようとするが、王子は、剣を抜いていきなり小藪を切り落としてしまう。まもなく日の光は消え、空がうっそうと暗くなり、再び霧が立ち込め、やがて小雨に変わる。途方にくれた二人の耳に歌声が聞こえてくるが、それは、二人の帽子に飾ってあった二羽の青光りする「蜂雀(はちすずめ)」たちのものだった。
 蜂雀たちは、背中や胸に「鋼鉄のはり金」が入っているので、飛び方がぎこちない。
 そのあとについて行くと、にわかにあたりが明るくなり、小雨は突然大粒の雨に変わる。雨はさらに蜂雀の歌に合わせて「あられ」に変わり、森に囲まれた丘の頂に立つ二人の上から降りそそぐ。
 
「ところが二人は全くおどろいてしまひました。あられと思ったのはみんなダイアモンドやトパァスやサファイヤだったのです。おゝ、その雨がどんなにきらびやかなまぶしいものだったでせう。/雨の向ふにはお日さまが、うすい緑色のくまを取って、まっ白に光ってゐましたが、そのこちらで宝石の雨はあらゆる小さな虹をあげました。金剛石がはげしくぶっつかり合っては青い燐光を起しました。/その宝石の雨は、草に落ちてカチンカチンと鳴りました。それは鳴る筈(はず)だったのです。りんだうの花は刻まれた天河石(アマゾンストン)と、打ち劈(くだ)かれた天河石で組み上がり、その葉はなめらかな硅孔雀石(クリソコラ)で出来てゐました。黄色な草穂(くさぼ)はかゞやく猫睛石(キャッツアイ)、いちめんのうめばちさうの花びらはかすかな虹を含む乳色の蛋白石(たんぱくせき)、たうやくの葉は碧玉(へきぎょく)、そのつぼみは紫水晶(アメシスト)の美しいさきを持ってゐました。そしてそれらの中で一番立派なのは小さな野ばらの木でした。野ばらの枝は茶色の琥珀(こはく)や紫がかった霰石(アラゴナイト)でみがきあげられ、その実はまっかなルビーでした。/もしその丘をつくる黒土をたづねるならば、それは緑青(ろくしゃう)か瑠璃(るり)であったにちがひありません。二人はあきれてぼんやりと光の雨に打たれて立ちました」
 
 あふれるような輝きの中で、しかし、りんどうやうめばちそうや野ばらの木は、「十力の金剛石」の来ないさびしさとかなしみを歌い上げる。
 王子が十力の金剛石とはどんなものかとたずねると、花たちは、十力の金剛石は「ただの金剛石のやうにチカチカうるさく光りは」しないし、「春の風よりやはらかくある時は円くある時は卵がた」で、「霧より小さなつぶにもなればそらとつちとをうづめも」する、ある時は「黒い厩肥のしめりの中に埋」もれ、「木や草のからだの中で月光いろにふるい、青白いかすかな脈を」うつ。そして、「人の子供の苹果(りんご)の頬」をかがやかすのだという。
 要するに、十力の金剛石とは、森羅万象に宿り、それぞれにいのちの固有の形と輝きとを与える、不可視の宇宙生命の化身・転生のイメージをかたどったものといっていい。
 草花の祈りが通じたかのように、にわかに蜂雀が「キイーンとせなかの鋼鉄の骨も弾(はじ)けたかと思ふばかりするどいさけびをあげ」、元通り二人の帽子におさまると同時に、空は生き返ったように新しく輝きはじめ、今度は、本物の十力の金剛石がいちめんに下りて来る。
 すべての草花は、今や人間の言葉など話さず、あるがままの生身のたたずまいをもって蘇り、存在は、自然な輝きに満ちあふれる。
「すずらんの葉は今はほんたうの柔かなうすびかりする緑色の草」となり、「うめばちさうはすなほなほんたうのはなびらを」もち、十力の金剛石は「野ばらの赤い実の中のいみじい細胞の一つ一つにみちわた」るのである。
「その十力の金剛石こそは露でした。/あゝ、そしてそして十力の金剛石は露ばかりではありませんでした。碧(あを)いそら、かゞやく太陽、丘をかけて行く風、花のそのかんばしいはなびらやしべ、草のしなやかなからだ、すべてこれをのせになふ丘や野原、王子たちのびろうどの上着や涙にかゞやく瞳、すべてすべて十力の金剛石でした。あの十力の大宝珠でした。あの十力の尊い舎利でした」
 二人の少年たちは、「つゝましく草の上にひざまづき指を膝に組」みながら、この一瞬の至福の光景に包まれる。二人を捜しに来た家来たちの声が聞こえ、走り出そうとした王子の足を、一本の「さるとりいばら」が青い鉤を出して引っかけるが、今度は王子も切り取ろうとはせず、かがんで静かにそれをはずしてやる。
 
 十力の金剛石が来る以前のきらびやかな宝石的イメージの底に冷ややかで不幸な身体感覚が秘められていたことは、野ばらの木が「赤い実から水晶の雫(しづく)をポトポトこぼしながら」歌う詩の言葉によって明示されている。
「にじはなみだち/きらめきは織る/ひかりのをかの/このさびしさ。//こほりのそこの/めくらのさかな/ひかりのをかの/このさびしさ。//たそがれぐもの/さすらひの鳥/ひかりのをかの/このさびしさ」
 この美しい童話に表現されている二つのまなざし、すなわち、蜂雀や宝石と化した造花的イメージに象徴される無機的・金属的でヴァーチャルな存在感覚と自然な生身の生命感覚の鋭いコントラストこそ、宮沢賢治の自然意識の分裂を示すものであり、それはそのまま、この作者の存在への冷ややかな異和・孤独感の深さ・生存感覚の希薄さと、それを緩和し修復せんとする生身の身体性への渇きの、鋭い緊張関係を資質的に象徴するものとなり得ている。
 
     6
 
  たとえば、「黄いろのトマト」という、地味だが、えもいえぬデリケートな優しさを感じさせる味わい深い作品がある。
 語り手の「私」が「まだまるで小さかったとき」のこと、ある朝学校に行く前にこっそり町の博物館のガラス戸棚に収まっている剥製の「蜂雀」と話をしたことがあった。
「蜂雀」は、生きていた頃に見聞したペムペルとネリという兄妹の子どものささやかな哀しい体験の事を物語る。
 兄妹はこの上もなく仲むつまじく、ふたりで小麦や野菜や花を育てながらお父さんやお母さんといっしょに穏やかに暮らしていた。蜂雀はそんなふたりの姿を毎日楽しくながめていた。
「ペムペルとネリとはそれはほんたうにかあいゝんだ。二人が青ガラスのうちの中に居て窓をすっかりしめてると二人は海の底に居るやうに見えた」と蜂雀は「私」に語る。
 兄妹は畑にトマトを十本植えていたが、そのうちの一本だけがまばゆいくらい立派に光る「黄いろ」のトマトになった。ペムペルは、それを「黄金(きん)」のトマトと呼び、大切に慈しみ、採ることもさわることもしなかった。
 二人はこんなに楽しく暮らしていたのだから、「それだけならばよかったんだ」と蜂雀は繰り返しため息をつく。
 ある夕方、はるか遠くの野原の方から何ともいえない奇妙ないい音が聞こえてきて、ふたりは果樹園を出てその音のきこえる方角に向けて一心に走っていった。すっかり陽がくれた頃、ふたりは、サーカスの見世物小屋にたどり着いた。見物客たちが、入口で番人に何か「黄金(きん)」のかけらのようなものを渡しているのを見て、ペムペルは大急ぎで家に戻る。果樹園からあの「黄いろのトマト」の実を四つとって、再び風のように見世物小屋にとって返すと、番人にトマトを渡して小屋の中に入ろうとした。
 
 番人は『えゝ、いらっしゃい。』と言ひながら、トマトを受けとり、それから変な顔をした。
 しばらくそれを見つめてゐた。
 それから俄(には)かに顔が歪んでどなり出した。
『何だ。この餓鬼(がき)め。人をばかにしやがるな。トマト二つで、この大入の中へ汝(おまへ)たちを押し込んでやってたまるか。失(う)せやがれ、畜生。』
 そしてトマトを投げつけた。あの黄のトマトをなげつけたんだ。その一つはひどくネリの耳にあたり、ネリはわっと泣き出し、みんなはどっと笑ったんだ。ペムペルはすばやくネリをさらふやうに抱いて、そこを遁(に)げ出した。
 みんなの笑ひ声が波のやうに聞えた。
 まっくらな丘の間まで遁げて来たとき、ペムペルも俄かに高く泣き出した。ああいふかなしいことを、お前はきっと知らないよ。
 
 兄妹は、黙って時々しゃくり上げながら元来た道を戻っていった。
 ただそれだけの話なのだが、蜂雀はしゃべり終ると、再び物言わぬ「剥製」の鳥に戻ってしまう。
 この寓話の見事なところは、ペムペルとネリというこの上なく親密な兄妹の、ふたりだけの閉じられた幼児的で自己充足的な世界の甘美な感触と、それが現実の他者や大人の存在によっていや応なく破られていく時の、なんともいえぬ失墜感の哀しさが、兄妹のおもいを伝えようとする「蜂雀」の淡々とした孤独で優しい語り口とそれに無心に耳を傾ける幼い「私」の、これまたふたりだけのひそやかな物語的共有のあり方と、微妙にシンクロナイズさせられているという構成にある。
 この二重化の手続きを踏むことで、兄妹の哀しみの〈伝達不能性〉がいっそう際立ち、作者の孤絶感の苦しみが、さりげない形で、縁ある読み手の元にひっそりと届けられるのである。
 この孤絶感は、また、「私」に語りかけている時の「蜂雀」の優しい生身の息づかいと、「剥製」に戻った時の冷ややかで無機的な表情の〈落差〉の大きさによっても強調されている。
 作品の初めの部分で、蜂雀はいきなり「私」にガラス越しに話しかけ、唐突にペムペルとネリの物語を語り始めるのだが、兄妹が汗まみれになって生き生きと幸せそうに働いている情景を語り終えると急に沈み込み、「ペムペルといふ子は全くいゝ子だったのにかあいさうなことをした。/ネリといふ子は全くかあいらしい女の子だったのにかあいさうなことをした」と言ったなり、黙り込んでしまう。
 いくらガラス越しにそれからどうなったのと尋ねても、蜂雀は向うの四十雀(しじふから)の剥製の方を見たまま二度と答えてはくれないので、「私」はとうとう泣き出してしまう。
 
「なぜって第一あの美しい蜂雀がたった今まできれいな銀の糸のやうな声で私と話をしてゐたのに俄(には)かに硬く死んだやうになってその眼もすっかり黒い硝子玉(ガラスだま)か何かになってしまひいつまでたっても四十雀ばかり見てゐるのです。おまけに一体それさへほんたうに見てゐるのかたゞ眼がそっちへ向いてるやうに見えるのか少しもわからないのでせう。それにまたあんなかあいらしい日に焼けたペムペルとネリの兄妹が何か大へんかあいさうな目になったといふのですものどうして泣かないでゐられませう。もう私はその為(ため)ならば一週間でも泣けたのです」
 
 そこに博物館の番人であるおじいさんがやって来て、優しく声をかけてくれる。
 おじいさんは事情を聞くと、ガラス越しに蜂雀の剥製を叱りつけ、「私」に話の残りをちゃんと伝えるように言い置いて去ってゆく。蜂雀は再び剥製から〈生身〉の鳥に変身し、物語の残りを「私」に語り出すのである。
 この蜂雀の変貌のイメージには、作者宮沢賢治の、他者への、また読者への険しい孤独なスタンスのあり方が鮮やかに象徴されているようにおもえる。
 ペムペルとネリの、人見知りしないですむ閉じられたエロスの世界には、おそらく作者宮沢賢治と妹トシの関係が重ねられているといってよく、ペムペルとネリがこうむった失墜感の哀しみは、そのまま、賢治の他者への(あるいは大人への)関係の障害感の深さを象徴的に表現するものだといってよいだろう。
 このような障害感の深さを抱え込んでいたからこそ、宮沢賢治は「書く」必要があった。そして、賢治にとって「書く」営みとは、一般化された大衆や知識人に向かって物を言うことではなく、〈生身〉と化した「蜂雀」が繊細な子どもである「私」に向かって内奥の秘密を打ちあけるように、選ばれたる魂をもった他者、すなわち、しかるべき資質と内的契機をもった孤独な読者に向かってのみ語りかけることにほかならなかった。
 並はずれた生き難さを背負った孤独な病者が、同じく生き難さを担った己れの〈分身〉としてのもうひとりの内なる他者に向かって語りかけるささやかな営み。
 真の文学や芸術とは、そういうものである。
「剥製」と化した蜂雀の凍てついたような無機質の表情には、内奥の真実を他者に伝えることのどうしようもない困難さ、障害感の深さが象徴されており、この蜂雀のイメージは、そのまま、賢治童話に繰り返し形を変えて顕われる、ヴァーチャルで金属的・鉱物的な自然意識につながるものであるようにおもわれる。ちょうど「十力の金剛石」で、背中や胸に「鋼鉄のはり金」の入った「蜂雀」が、ヴァーチャルな造花的・宝石的イメージに彩られた自然につながっていたようにである。
 すなわち、宮沢賢治の描くヴァーチャルで華麗な風景、無機的で冷ややかな存在感覚の底には、この作者の癒し難い孤絶感が横たわっていた。
 そして、宮沢賢治は、そのような関係への障害感の険しさと共に、「蜂雀」が「私」に向かって兄妹のこわれやすいデリケートないのちの手ざわりをひっそりと手渡そうとしたように、己れの内奥に疼く伝え難い渇きのおもいを、存在にひらかれた生身の身体性の、荒々しくまた優しい鼓動の表現を通して、心ある読者のもとに届けようとしたのである。
 彼の童話作品では、この二つの次元が鋭い緊張関係を保ちながら、時に葛藤し、時には融合しながら、繰り返し立ち顕われてくる。
「十力の金剛石」は、この両次元を、自然意識の分裂という形をとってきれいに象徴的に腑分けしてみせた点において、賢治童話に対する貴重な分析視角を示唆してくれる得がたい作品となっている。
 しかし、作者は、「十力の金剛石」に対して改作を企図し、のちにはそれを放棄して「構想全く不可/そのうちの/数情景を/用ひ得べきのみ」とメモを書き残している。
 何が不満だったかは定かではないが、少なくとも、蜂雀や造花的イメージによるヴァーチャルな風景描写に対して生身の身体性のイメージを対置し、前者に対して完全に否定的なまなざしを注いでいる点は、たしかに賢治の本意を損ねる結果になっているとはいえよう。
 賢治文学の本質からいって、この二つのまなざしのコントラストは、どちらか一方を否定的にとらえるべきものではなく、作者の生存感覚の両義性のあらわれとみなすべきであり、両者の分裂・葛藤あるいは融合の白熱したダイナミズムこそ、おそらくは、賢治文学生成の秘密に触れるものだからである。(この稿続く)



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