〈生き難さ〉のアーカイブス〜「詩を描く」若者たち〜(連載第17回) 川喜田晶子

  • 2018.10.29 Monday
  • 18:48

 

〈狂〉への転調

 

 日常の中の一こまが、突然〈狂気〉としての象徴性を帯びる。

 一見、地味な写生と見える句の中で、次元を変容させられるモチーフたちの表情には、〈個〉の殻を超えた無意識の渇望がさりげない傲岸さで滲んでいることがある。

 

月光に開きしままの大鋏(おおばさみ)  真鍋呉夫

 

 開いたままうち置かれている大鋏が、月光を浴びて、日常生活の道具から舞台上の主役の趣に変貌する。

 人生において、何か大きなものを切断する不吉さと勇断とを月光に晒しているこの主役の表情は、吉とも凶とも決めつけ難い。〈切断〉したことの意味が、ヤヌス神のようにいつでも反転しそうな不穏さを帯びている。

 この大鋏を見つめる作者の内に、むしろ反転したヤヌスの貌を見てみたいと望む、冴えざえとした狂気が息づいているかのようだ。

 

青き夜の猫がころがす蝸牛(かたつむり)  真鍋呉夫

 

 この句においても、作者にわしづかみにされた情景が舞台に上り、その舞台を統べる「青き夜」の力が、猫に蝸牛をころがすという行為をさせているように見える。

 蝸牛をころがすことに愉悦をおぼえる猫の目は妖しくきらきら輝いている。

 ころがされる蝸牛の殻と地面との接地感も、読み手の五感に拡大されて響く。

 それでいてそこには、猫の欲望や蝸牛の苦痛への人間くさい感情移入を許さぬ、風景としての取替えのきかない絶対感が生じている。猫と蝸牛の、互いに魅入られたように離れられない関係のかたちは、一つの冷たい炎がゆらめく風景のようだ。

「青き夜」の次元で眺めるならば、人の世の関係や意味も変容するだろう。幸か不幸かという色彩としてではなく、善か悪かでもなく、〈個〉を超えたものに統べられることで深まる固有の陰影への、作者の暗く透徹した渇きと洞察。

 

狼の滅びし郷(くに)のぼたん雪  江里昭彦

 

 狼がこの国からいなくなったのは明治三十八年だという。

 この句で〈狼〉が象徴するものは、明治近代国家によって滅ぼされた前近代的な土俗共同体としての〈郷(くに)〉の内実、大衆の魂に、有機的で野性味のあるコスミックな陰影を保持させていた世界観、といえよう。

 しかし作者は、単に昔を懐かしんでいるようには見えない。

 狼の生きていた頃のぼたん雪と違って、今のぼたん雪はわびしい、などと言っているのではない。

〈狼〉が滅んだことで、その郷に降るぼたん雪はむしろ、生きどころを失くした〈狼〉の魂をたっぷりと含んで降るようにおもわれる。深々といつまでも降り続き、のっぺりとした現代をあまねく降りうずめてしまおうとする狂暴な意志を秘めているかのような、ひとひらひとひらの湿潤さと重さ。暗い純白の衝動。

 滅ぶことで得た自在感を駆使する〈狼〉の、魂の姿としてのぼたん雪。

 

春の月ゆらゆらと木をのぼる水  原裕

 

 植物がその生存に必要な水分を地下から吸い上げている姿などではなく、その水分の流れへの作者の想像力などでもなく、私たちの存在を支えている〈水〉、この世界を統べる〈水〉が、闇の底深くから汲み上げられて存在の内を巡る姿の具象化である。

「春の月」におぼろに照らされることで存在の輪郭が曖昧になるとき、存在の本質はかえってくっきりと顕ちあらわれる。

 この〈木〉は、私たちの身体そのものである。〈水〉が身の内を巡る体感に素直に浸される幸福感は、この〈水〉を見ることのできない世界観への、静謐で狂おしいアンチテーゼでもある。(この稿続く)

 

 

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