七〇年代の分岐点―初期藤沢周平作品の闇―(連載第1回) 川喜田八潮

  • 2016.06.30 Thursday
  • 22:44

 

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 時代小説作家藤沢周平の初期の傑作に、「ただ一撃」(一九七三年)という小説がある。

 私見では、まぎれもなく藤沢周平の最高傑作であるが、その理由を了解してもらうには、物語の展開を丁寧に追跡してみせる必要がある。

 時は寛永三年(一六二六)の秋、三代将軍家光の治世、舞台は出羽庄内藩酒井家。大坂夏の陣が終わり、徳川幕藩体制の礎(いしずえ)は磐石のものとはなったが、いまだ戦国の荒々しい気風の余燼(よじん)さめやらぬ頃である。藩主酒井忠勝の御前で、仕官を望む浪人清家猪十郎の試技の勝負が行われた。普通ならば試技はひと試合で終わり、勝利を得た者は仕官が許されるのが習わしだが、この日に限っては異例で、よりすぐった腕自慢の藩士四人を次々と打ち負かしてみせたのに、清家の仕官は許されなかった。

 理由は、いささかも手加減をせず対戦相手を一人残らず不具者にしてしまうほどの、戦場生き残りとも思える清家の凄まじい豪剣の殺気と、礼節をわきまえず、藩主の方を見向きもしない上に、手洟(てばな)をかむような傍若無人な態度が、忠勝の怒りに触れたためであった。

 忠勝の命で再度試合が行われることとなり、家老の松平甚三郎と兵法指南役菅沼加賀は、家中の侍の中から是が非でも清家を倒せる力量をもつ武士を選ばねばならぬことになる。

 二人は適当な人材が見当たらず頭を抱えるが、松平甚三郎は、ふと二十年ほど昔の記憶に思い当たる。酒井家がまだ高崎で五万石の小藩だった頃に試技によって召し抱えられた刈谷範兵衛という浪人出身の下級藩士がいた。その人物はただ一撃で相手を倒した精妙な剣の使い手だった。

 範兵衛は今はもう六十ぐらいの耳の遠くなった隠居の老人で、家督を継いだ息子篤之助と嫁の三緒(みお)の三人でひっそりと暮らしており、河原に石拾いに出かけたり、雑木林から苗木を持ち帰って植木いじりをしながら、悠々自適の日々を送っていた。

 彼が優れた兵法者であったことを知る者は、今では、家老の松平甚三郎のほかは、息子篤之助も含めて家中に誰一人いない。

 老人は、謹厳実直だが杓子定木で冷ややかな城勤めの息子に対しては隔たりを感じているが、家のことにこまめに気を配り、舅の洟水(はなみず)まで拭き取り、優しく世話を焼いてくれる嫁の三緒との間に、穏やかで親和的な日常の物語を織り上げている。石や植木の手入れの合い間に、嫁のいれてくれた茶を飲みながら楽しい憩いのひと時を過すのが、今では範兵衛にとって最大の慰藉となっていた。

 しかし、菅沼加賀から半ば命令ともいえる清家との果たし合いの懇願を受けた時、範兵衛の体内深く眠っていた兵法者としての荒々しい野性の血が眼を醒ます。

 藩主の面目のかかったこの試合でもし負ければ、切腹はおろか、刈谷家の断絶にもなりかねないにも拘らず、範兵衛は敢えて息子の猛反対を押し切って果たし合いを承諾する。

 その舅の心の推移を正しく見通していたのは、嫁の三緒だけであった。

「菅沼加賀がやってきた夜に、三緒は舅の表情に、刈谷家に嫁入ってきて以来一度も見なかった、ある耀(かがや)きのようなものをみた。眼を瞠る思いで、三緒はそれを見つめながら、夫の篤之助にそれがまったく見えていないらしいことを歯がゆく思ったのである」

 作品には、父親のことを何一つ知ることもなく、己れの保身と家の利害のみに汲々としている散文的で鈍感な精神の持ち主である夫への疎隔感と、舅との間にいとおしむように二人だけの〈秘め事〉のような物語を紡ぎ出してゆこうとする三緒の寂しい心の傾斜がさりげなく描かれている。

 しかし、範兵衛が願い出た試合までの猶予期間はわずか十日間しかない。

 三日目の夜、範兵衛は、三緒に作らせた握り飯を背負い、単身家を出て消息を断つ。試合の二日前になっても彼は戻ってこない。

 家の対面を憂うる篤之助は、帰宅日も行き先も聞かず黙って舅を送り出した妻を厳しく咎める。

 しかし、三緒には、舅のやろうとしていることがおぼろげながら触知されていた。

「三緒は近頃奇怪な噂を聞いている。

 鶴ヶ岡城下から南に半里ほど行ったところに、小真木野と呼ぶ広大な原野がある。その奥にまた村が展(ひら)け、金峰山(きんぽうざん)と呼ぶ山伏の修験場で知られる山の麓(ふもと)に、高坂、青竜寺などの村落があるが、小真木野の一帯は、高台のために未だに狐狸(こり)が出没する場所である。

 その小真木野で、里の者が天狗を見たという。ある夜鶴ヶ岡から高坂に帰る三人連れの百姓が、月に光る芒の原を分けて疾駆する天狗を見たのである。天狗は東からきて、道を横切り西の原に飛び込むと、みるみる姿は小さくなって消えたが、道を横切るとき、一瞬立竦(すく)んだ三人を見た。口は耳まで裂け、眼は真赤で、ひとりの百姓は、天狗が道から西の原に飛び上るとき、脇の下に羽根が羽摶(はばた)いたのを確かにみたのである。

 また、ある朝は原野を横切る道のほとり一帯に、天狗が喰い散らした野犬が数頭、無惨な骸(むくろ)を横たえていたし、ある夜は、月が落ちたあとの闇に突然赤々と火が燃え上り、その火明りに、巨大な天狗の立ち姿が浮んでいた。(中略)

その話を聞いたとき、三緒は咄嗟(とっさ)にその天狗が範兵衛に違いないと確信した。だがそれは人に言うべきことではなかった。夫にも言えない、と三緒は眼を伏せながら、なぜか頑(かたく)なに思った。範兵衛がいましていることは、おぼろ気にしか解らない。だが、範兵衛がそうしていることを、人に喋(しゃべ)ってはいけないのだ、という気が強くした」

 ここには、範兵衛の内に目覚めた野性の本質が、民話的な怪異譚の形をとって象徴的に表現された前近代的な土俗の荒々しい〈闇〉の感触と重ねられながら巧みに描破されている。

 そして、その非日常的な闇の位相が、篤之助の所属する日常的で可視的な秩序世界のかたちと相容れない、狂暴な〈孤〉の生命のうねりにほかならないことが、三緒のまなざしを通して端的に語られている。

 試合の前日の昼過ぎ、範兵衛はふらりと戻ってくるが、その姿は別人のように様変わりしていた。顔は真っ黒に日焼けし、頬は削げ、物乞いのように髪がほつれ、体からは異臭を放っていたが、「眼は底光りし」て、「三緒を見ても微笑もしなかった」。

 疲れ切って帰宅した範兵衛は、着替えもせずに小刀を抱いたまま夕方まで死んだように眠りこける。

 この作品の圧巻は、そのあとの、眠りから覚めた範兵衛と三緒の対話のシーンにある。

 長くなるが引用してみよう。

 

 三緒が支度した茶を、うまそうに啜(すす)りながら、範兵衛は、

「やはり屋根はよい」

と言った。妙な言い方に、三緒はくすりと笑ったが、慌てて口を押えた。

「だが、長年屋根の下に住み馴れると、人間が懦弱(だじゃく)になる」

「ご修行はいかがでござりました?」

「まずまずだな」

「それはようございました」

 そう言ったとき、三緒は舅とひとつの秘密を分け合った気がした。結果がどうあれ、範兵衛にまかせればいいのだ、と思った。

「どうしてそのようにご覧になります?」

 三緒は訝(いぶか)しげに舅の顔を見返した。全身が荒々しい視線に晒(さら)されている感じがあり、そのことが三緒を不安にしたのである。舅といて、これまで感じたことのない、軽い恐怖をともなった感情だった。

「顔に何かついておりますか」

 三緒は膝でいくらか後退(あとずさ)って言った。微笑した積りだが、笑いは途中で凍った。範兵衛の眼は、容赦のない光を宿して、三緒の躰をなぞっている。

「辰枝が死んでから、女子の肌に触れたことがない」

 範兵衛の声は静かだったが、三緒の耳には雷鳴を聞いたように鳴り響いた。

「男のものも、もはや役に立たんようになったかも知れん」

「もうご無理でございましょう」

 三緒は囁くように言った。

「ん?」

 範兵衛は耳に手を当てて聞き返した。

「もうお年ですゆえ、ご無理でございましょうと申し上げました」

 三緒は少し声を張って言い、自分の言葉で顔を紅くした。

 依然として軽い恐怖が心を把(とら)えているが、嫌悪感はない。

「ところが、さっき奇妙な夢をみてな」

「夢、でございますか」

「夢の中で、嫁女を犯した」

 範兵衛は無表情に言った。三緒は耳まで紅くなった。

「無理かどうか、試したい」

 三緒は顔を挙げた。範兵衛の眼は粘りつくように三緒に注がれ、範兵衛の中に、依然として荒々しいものが動いていることを示している。

「明日の試合はどうなりましょうか」

「まず儂(わし)の勝ちかと思うが、まだわからぬ」

 閉め切った障子に、かさと音を立てたのは風に運ばれた落葉である。おりきは使いに出て、暮れるまで戻らない。

 三緒の顔は血の色を失って、粉をふいたように白くなっている。乾いた唇を開いて三緒は言った。

「それがお役に立つなら、お試しなさいませ」

 翌朝、三緒は懐剣で喉を突いて自害した。驚愕して部屋に飛び込んできた篤之助からそれを聞いたが、範兵衛は眉も動かさなかった。(「ただ一撃」)

 

 この描写は、作品全体の要(かなめ)に相当する。

 ここでの三緒の心の推移をきちんと読み解くことができれば、この恐るべき小説の核心をつかまえたことになる。

 その読み解きは後回しにして、物語の結末について先に語ろう。

 昼過ぎに始まった刈谷範兵衛と清家猪十郎の試合は、あっけないほどの経過で範兵衛の勝利に終わる。この立ち合いの描写がまた美事なのである。

「両者の位置が八間に迫ったとき、範兵衛は突如行動を起した。疾風のように範兵衛は地を蹴って前に出ていた。木剣は、ほとんど肩に担ぐように寝ている。白い鉢巻が一本の筋になった。/気合というよりは、獣の咆哮(ほうこう)に似た喉声が交わされ、二人の姿が激突して擦れ違った。きら、きらと二本の木剣が日を弾いたのを人々は見ただけである。/擦れ違う一瞬範兵衛の疾駆は猪十郎の速や足をはるかに凌ぎ、擦れ違ってなお六間の距離を走った。/振向いてもう一度八双に構えをとった範兵衛の眼に、猪十郎の巨躯がゆっくり前に傾き、膝をつき、やがて斜めに崩折れるのが見えた。猪十郎の額は赤い裂目を見せて割れ、顔面は噴き出す血にみるみる朱盆のように濡れた。/ただ一撃だった」

 きびきびとした無駄のない肉体描写の転換の中に、一瞬の内に交錯し、炸裂する二人の剣客の野性が、灼熱の太陽を背景にひとつの凝縮した生命の曲線として鮮やかにつかみ出されている。

 剣術の素人であるはずの藤沢周平の描く剣劇シーンが感銘を与えるのは、それが、剣客たちの強いられた生のかたちを、ひとつの抽象化された身体曲線として、凝縮的に象徴するものとなり得ているからである。

「ただ一撃」のこの立ち合いの描写は、藤沢作品の数々の決闘名場面の中でも、屈指のものであるといっていい。それは、この立ち合いに生命を与えている刈谷範兵衛の野性のもつ闇のふくらみのせいである。

 しかし、試合の後、範兵衛は急速に老衰してしまう。

「好きな石を拾いに行くこともなく、終日濡縁に出てぼんやり庭や空を眺め、やがて雪が降ると部屋に閉じ籠って、行火(あんか)を抱いてうつらうつら眠った」

 武芸熱心な家中の若侍たちが訪ねても、耳の遠い老人の話はとりとめがなく、いつしか水洟を垂れて居眠りをするというありさまで、やがて誰も訪れなくなる。

 試合の半年後、刈谷家は二十石の加増となるが、範兵衛は、息をはずませる息子の知らせに何の感興も示さない。

耄碌(もうろく)しきった老人がただ一度だけ露わな感情の動きを示したのは、三緒の一周忌が済み、篤之助が家柄の良い家中の娘を後添えに貰うことが決まった時であった。

 七年もいて子ができなかった三緒と違い、今度は孫の顔を見せることもできるし、刈谷家は安泰ですぞと話す篤之助の言葉をよそに、範兵衛は、「三緒が哀れじゃ」とつぶやきながらさめざめと涙を流す。

 作品は、三緒が死んでから老人の洟にまで気を配る者が誰もいなくなったがらんとした屋敷の中で、無機物のような脱け殻となって静かに死の訪れを待つ範兵衛のうたたねのシーンで結ばれている。

 

     2

 

 三緒が舅に体を与え、その後で自害しなければならなかった経緯について、作者(語り手)は、小説の終末部で次のような説明を与えている。

「三緒を抱いたとき、範兵衛は三緒の舅でもなく、刈谷家の当主ですらない野伏せりに似た一個の兵法者だった。清家猪十郎との試合に勝つことだけに、心身は凝縮されて一本の鋭い牙になっていたのである。/その研(と)ぎ澄まされた孤独な視野に、三緒の美しさと温かさは、思いがけなく危険なものに映った。牙の鈍磨を恐れるために、範兵衛は三緒を野伏せりのようなやり方で、荒々しく犯したのである。/三緒が死んだのはそのためではない、と範兵衛は思っている。信じ難いことだが、賢い三緒はそのことを理解していた。手違いはその後に起った。儀式のようにして行なわれたそのことの最中に、三緒の躰は不意に取乱して歓びに奔(はし)ったのである。/─三緒はそれを恥じて死んだ─。/範兵衛の脳裏で、糸が再び切れる。範兵衛はのろのろとしたしぐさで懐を探り、懐紙を取出して、もう一度涙と洟を拭いた」

 舅に勝利を得させるために敢えて身を犠牲にしたあげく、禁断の愛欲に一瞬溺れた己れを恥じて自害したけなげな嫁という、まことに凡庸な、お涙頂戴式の義理人情的解釈というほかはない。

 三緒という女性は、そのような硬直した倫理的人格としては描かれていない。

 のびやかないのちの温かさと繊細な皮膚感覚をもち、内に靭(つよ)さを秘めた、爽やかな色香の漂う魅力的な女として描かれているのである。

 作者の無意識の肉声を伝える小説の言葉は、作者(語り手)の意識的な解釈をはるかに凌ぐ奥行きをもっているといってよい。

 先に引用した試合前日の三緒と範兵衛のやりとりの場面を味読してみよう。

 そこには、範兵衛の内にめざめた荒々しい野性のかたちを正しく触知していた三緒が、舅の戦慄すべき申し出にたじろぎながらも、彼の全身から発散される獰猛な闇の感触に抗い難く呪縛され、吸い込まれていく心の推移が、乾いた抑制された筆致で、的確に描写されている。

 三緒が舅と交わったのは、決して「儀式」のようにして行われた自己犠牲的献身によるものではない。範兵衛の野性によって触発された彼女自身の狂暴なエロス的衝迫のなせる業であった。

 交わりの最中に、三緒の体が「不意に取乱して歓びに奔った」のは至極当然のことであり、その肉の歓びを「恥じる」気持ちなどあり得ようはずもない。

 もちろん、三緒の表層的な自我を呪縛している「武家の子女」としての倫理的な規範意識は、そのような行為を恥じていたに違いない。しかし、彼女の生命は、生まれて初めて味わう燃え上がるような肉の歓喜に、深い充足をおぼえていたはずである。

 それでは、なぜ作者は、あえて体裁をとりつくろったような、陳腐で通俗的な倫理的解釈を与えねばならなかったのか。

 それは、舅でも嫁でもないひとりの男と女の、獣のような交わりの体験によって、新たに目覚めさせられた脱社会的な生のかたちに対する深い怖れの念が働いたためである、と考えるほかはない。

 存在の芯部まで灼き尽くすような性の歓喜と闇の充足を知った女にとって、世界は、もはや今までの世界ではあり得ない。

 俗事に汲々とする散文的で退屈な夫との冷ややかな日常生活を続けていくことには耐えられない。かといって、舅との禁断の愛を秘め事のように紡ぎ出していくことも許されることではない。どこにも出口は無いのだ。三緒の自決は、ごく自然な選択であり、なんの不思議もないことである。

 作品の表出する作者の無意識の肉声に忠実である限り、倫理的解釈のつけ入る余地などないのだ。

 それなのに、とって付けたような当たりさわりのない解釈をすべり込ませたのは、三緒の内に目覚めさせられた野性が要求する新たな生のかたちというものが、さまざまな利害関係や約束事によって支えられている俗世間の家族や人間関係の卑小さを解体し、吹き飛ばしてしまうような反社会的な本質を持つものであることを、作者が鋭敏に察知していたからである。

 そしてまた、そのような非日常的な闇への衝迫が、穏やかな日常風景の連鎖によって織りなされるささやかな生活者的幸福を破壊する危険性をもつものであると感受されていたからでもある。

 

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 三緒が自決せざるを得なかったのは、舅への禁断の愛や夫との生活の不能性のためばかりではない。

 かつてのような、舅との罪のない、穏やかで親和的な日常の交感の物語を永久に失ってしまったからでもあった。

 

 ひとしきり石の色をほめてから、三緒は、

「お茶を召しあがれ」

と舅を縁側に誘った。

「む、む、これは旨(うま)い」

 範兵衛は茶を啜(すす)ったあとで、鉢からつまんだ小茄子(こなす)の漬物を頬張りながら言った。歯が欠けているから、含んだ茄子を口の中であちこち転がしながら噛む。

 範兵衛は小柄で痩せている。頬も痩せて、小茄子を口の中で動かすたびに、しなびた頬の皺がのび、眼だけぎょろりとしているので、水中の魚の顔のように剽軽(ひょうきん)な表情になる。三緒は袂(たもと)を口に押しあてて、くすくす笑った。

 子供がいないから、いつまでも娘のように軽々しい、と範兵衛は思う。だが三緒の笑い声を聞いているのは楽しい。

「何だ、何がおかしい」

「あの、お茄子を切って出せばようございました」

「なに、このままで結構。おりきが漬けたか」

 僅か八十七石の軽輩の家だから、女中一人と、あとは通いの下僕がいるだけである。

「私が漬けました」

「結構な味だ」

「秋茄子は嫁に喰わすな、と言い伝えがあるそうですよ、お舅(とう)さま」

「あん?」

「あのね、秋茄子はおいしいので、嫁に喰わせるものじゃございませんて。でも、私も頂きますよ」

 う、うと範兵衛は唸って、茶碗をつき出してお代りを頼んだ。

 鶴ヶ岡の城下から三十丁ほど離れたところに、民田という村がある。ここで栽培する茄子は小ぶりで、味がいい。春苗を育て、初夏に畑に植えつけて、六月の炎天下に日に三度も水を遣(や)って育てる。このように苦労して水を遣るために皮は薄く、浅塩で漬けた味は格別なのである。茄子の木は次々と可憐な紫色の花をつけて実を結び、七月一杯成り続けるが、八月になると、さすがに木に成る実の数はめっきり減り、水を遣ることもなくなるから皮は硬い。だがその実はまた捨て難い風味を宿すのである。(「ただ一撃」)

 

 まだ清家猪十郎との試合の話がもち上がるより以前の、一見なんの変哲もない牧歌的な日常風景のひとこまであるが、範兵衛と三緒の生活者としての風貌を、淡々としたさりげない筆づかいで的確にスケッチしてみせている。

 藤沢周平は、日常性への深い愛着をもった作家である。

 ただし、その日常性は、現代人が今ではほとんど喪失してしまった、季節のうつろいの気配への繊細な感受性と風土と融合した暮らしの知恵が息づく、穏やかでほの暗い、近世農耕社会的な生存感覚の残滓である。

 範兵衛と三緒のやりとりにも、ささやかではあるが、そのような感性の一端が垣間見えている。

 この作者は、食べ物の描写がうまい。それも、グルメ風の凝った食材や料理ではなく、労働の合い間に茄子の漬物やひときれの梨を頬ばるとか一杯の茶を啜(すす)るといったような、平々凡々たる飲食のひとこまを、実に新鮮な味わいですくい取ってみせる。

 背後に、残照に輝く稲穂のうねりや雑木林の深々とした陰影や蝉しぐれや風や土の匂いのような、ゆったりとした親和的な〈農〉の風景が感じられるからである。

 一九八〇年代から九〇年代にかけての藤沢周平の後期の作品群では、とりわけ、こういう近世以来の成熟した農耕共同体社会の伝統的な香りが濃厚に表われており、それが、多くの生活者の読者を藤沢小説の愛読者たらしめた主な要因の一つとなっていたようにおもわれる。現代人は、均質化した無機的な産業社会的時空の〈空隙〉をすくい取りながら、このような前近代的な〈農〉の時空による癒しの物語を紡ぎ出さねばならないという課題を負わされている。

 藤沢周平が範兵衛と三緒の交わりを肯定的に描き上げることができなかったのも、ふたりの内に目覚めさせられた非日常的な闇への狂暴な衝迫に、穏やかで繊細な日常の交感の物語を破壊する危険な匂いを感じ取っていたからである。

 というより、このような野性の表出を、社会秩序や日常性を解体する危険極まる衝動とみなすような認識があらかじめ存在していたからこそ、作者は、敢えて舅と嫁の禁断の交わりという背徳的な設定を生み出さねばならなかったのである。

 

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 しかし、その悲劇的な結末にも拘らず、「ただ一撃」における男女の交わりの、なんと妖しく甘美であることか。

 具体的な性交描写は何ひとつ無いのに、薄汚いフェティシズムの匂いをぷんぷんさせただけの現代小説の萎え切ったポルノシーンなど足元にも及ばない、むせ返るようなエロスがみなぎっている。

 この小説を読むと、改めて、性の本質をつかみ出すことは、必ずしも性行為を描くことではないという重要な教訓を痛感せざるを得ない。

 われわれの性の根底にあるものは、実は、われわれの世界へのまなざしの問題なのであり、生きることへの根本的な姿勢の問題なのである。

 存在への無機的な触知感に全身を蝕まれた、冷え切った生存感覚しかもてぬ人間には、所詮、死臭の立ち込めるフェティッシュなセックスしか描くことはできない。

「ただ一撃」の性描写がみずみずしい官能性を漂わせるのは、刈谷範兵衛の平々凡々たる日常生活者としての隠居の風貌と変身した孤狼のような老武芸者の発散する野性の血の匂いの劇的な落差のせいであるが、同時に、その野性が、先の引用にもあったように、柳田国男の『遠野物語』を想わせる前近代的アジア的な土俗の闇の深さと重ねられることで、文明に飼いならされる以前の、森羅万象と響き合う原初の孤独ないのちの狂おしい手ざわりをほのかに立ち昇らせているからである。

 この小説の時代設定が、幕藩体制の基礎固めがほぼ終結した寛永年間となっていることは、きわめて象徴的である。

 寛永年間は、戦国期まで残存し得ていた中世的な荒々しい闇の息吹がようやく終熄に向かい、近世的な身分秩序のヒエラルキーが定着し、各藩は、城下町を中心とする都市と領内の大半を占める農村によってひとつの独立した小宇宙としての王国を構成し、武士・農民・職人・商人が各々の共同体における職能分化と棲み分けによって、安定した均衡と分業の体制を完成させた時代であった。

 農耕社会的なゆったりとした時間の流れを背景に、親和的で礼節に厚い温和な人間関係に包まれた成熟した文明社会が到来したともいえるが、同時に中世的なアナーキーで野性味のある猛々しい生命の躍動は著しく衰弱し、封印されつつあったといってよい。

 とりわけ、主君への忠節と家格のヒエラルキーを重視する武士階級の規範意識は強く、息苦しさを増しつつあった。

 清家猪十郎の悲劇は、このような、文明社会に飼いならされつつあった時代における、中世的な闇の圧殺を象徴するものだった。

 作者は、この時代の性格を、家老の松平甚三郎の眼を通して次のように語っている。

「甚三郎は、権威ということを考えていた。藩主も家臣も、そして新たに支配下に入った農民も荒々しかった。だが荒々しさで均衡が保たれた時代が終ろうとしていることを、甚三郎は感じている。/藩主を中心に据えて、折目を正して行く。そのためには、清家という浪人者の不遜な身構えも許すべきではないのだと思った」

 この清家の悲劇は、そのまま、この浪人者によっていや応なく己れの内なる闇を覚醒させられた刈谷範兵衛の悲劇にも重なっている。

 範兵衛が凄腕の剣客でありながら己れの爪をひた隠し、誰にも知られることなく何十年もの間下級藩士としての平凡なサラリーマン的日常に甘んじてきたのも、個の生命的な飛翔を圧殺せずにはおかない、武家社会の巨大な官僚的秩序が形成されてゆく時代の重苦しい空気を鋭敏に察知していたからであった。

 その彼が、己れの死を賭けた生涯最後の燃焼を決意した時、文明という名の秩序は、その原罪を黒々と浮かび上がらせたのである。

 この文明の原罪のかたちは、そのまま近代社会あるいは現代社会の病理のかたちとアナロジカルに重なっている。

 範兵衛と三緒の脱社会的な衝迫のもつ悲劇性は、長年業界紙記者として企業社会の泥水を潜ってきた作者藤沢周平の現代人的な鬱屈の〈喩〉でもあったはずである。

 非日常的な闇への衝迫を、社会秩序や日常性への敵対物として描き上げるという資質は、多くの優れた近代文学者に共通するものである。

 それは、人間の神秘へのまなざしを圧殺し(あるいは衰弱させ)、人々の魂をひたすら卑小で不条理な地上的現実へと緊縛せんとした〈近代〉という時代の痩せ細った生活実体に対する、苦しみの表現にほかならなかった。

 藤沢周平は、小林一茶や長塚節・石川啄木を愛し、アララギ風の写実主義的美意識をもつオーソドックスなリアリズム小説の流れを汲む作家であるが、彼もまた、社会的世俗的な自我の内に己れのアイデンティティーを解消することをいさぎよしとしない、北村透谷以来の、非日常的な狂気を内に秘めた、孤独で誇り高い近代文学者の系列に属する一面をもっていたのである。

 

     5

 

 一九七〇年代後半に書かれた藤沢周平の武家物の連作集『隠し剣孤影抄』『隠し剣秋風抄』には、運命のいたずらによってどうしようもなく日常的秩序を逸脱せざるを得なかった、非日常的な狂気を抱え込む破滅型の人物たちが描かれているが、それも、このような作者の近代文学者的な資質のなせるわざであった。

 代表作としては、例えば『隠し剣孤影抄』に収められた「悲運剣芦刈り」という作品を挙げることができる。この作品は、婚約者がありながら周囲の目をあざむき続け、未亡人の嫂(あによめ)との禁断の愛欲に溺れて破滅してゆく若侍の物語である。この小説のみどころは、不倫を重ねるうちに生ずる、主人公曾根次郎の変貌ぶりにある。

 兄が死んで一周忌も経たぬ内に、自分の寝間に忍んで来た嫂の卯女(うめ)との度重なる交わりに、取り返しのつかない深みにはまり込んでゆく恐怖を感じていた次郎が、やがて藩中に広まった不義の噂にもふてぶてしく居直るようになり、ついには、密通の証拠を握って藩に届け出ようとした婚約者の兄を斬り捨てて出奔してしまうという展開に、社会秩序を転倒し超越せずにはおかない狂おしい非日常的な衝迫の本質が巧みに象徴されている。

 次郎にとって、卯女との交わりは、あくまでふたりだけの秘められた闇の中での燃えるような輝きと充足の体験にほかならず、断じて、世間という白日の下にさらされてはならないものであった。物語は、逐電し江戸に潜伏していた次郎が、討っ手となった親友に倒され、その報を聞いた国元の卯女が後追い自殺を遂げるという心中的な幕切れとなって終わる。

「悲運剣芦刈り」のように、七〇年代後半の藤沢作品には、主人公が卑小な契機によって己れのはからいを超えた悪因縁の泥沼に引きずり込まれたあげく、社会的な規範や平穏な日常性を踏みにじり、彼岸的な〈死〉への渇望へと追いやられるという、近松的な悲劇の構図をとった小説がいくつか存在する。

 近松門左衛門こそは、まさに、日常と非日常の相剋、地上と天上の分裂という近代の病理の本質を、劇的なエンターテインメントの形式を通して喩的に表現した最初の近代文学者であった。近松の世話浄瑠璃が登場する十八世紀の初頭こそ、その意味で、日本近代の序曲の始まりを告げる時代であるといっていい。

 そして、近松が町人社会の内に垣間見た近代の病理の先駆的形態は、すでに、十七世紀初めの寛永年間という、徳川幕藩体制の官僚的秩序がほぼ完成を迎えた時代の武家社会において、中世的な闇の圧殺という文明の原罪の形をとってアナロジカルに浮上していたのである。

 刈谷範兵衛と三緒の悲劇もまた、広い意味では、近松的な心中の一種にほかならない。

 近世社会は、近現代社会とは大きく隔たった、親和的で穏やかな成熟した農耕共同体社会としての側面をもつと共に、近代社会の病理を萌芽的に先取りするという二重性を備えた社会であった。

 藤沢周平が純文学作家の資質をもちながら敢えて時代小説作家としての道を択んだのも、社会的共同的な秩序からいや応なく反りかえってしまう非日常的なエロスへの狂的な衝迫と、温和で繊細な農耕社会的日常への深い愛着という、己れの両義的な資質にとって、近世社会という舞台装置が最もふさわしい表現形態を与えてくれるからであった。

 もし藤沢周平が、刈谷範兵衛や三緒の変貌によって象徴されるような野性=脱社会的な闇の深さを、敢えて肯定的なものとして描き上げ、そういう野性の魂を己れの生の根底に据える主人公を創造し得るだけの力量と勇気をもち、制度的に囲い込まれた惰性的な日常の殻を打ち破り、転生を遂げた場所から、新たな生活を築き上げるような物語を夢見ることができたとしたら、すなわち、日常と非日常の葛藤、地上と天上の分裂を止揚し得るような新たな世界視線を提示し得たとしたら、彼は、大衆的な小説家としては成功しなかったろうが、〈近代〉の枠組を超える方向性を示唆し得る、真に偉大な文学者となり得たことであろう。

 しかしそれは、ひたすら不条理な地上的生活の哀歓を堅固なリアリズム的文体で活写し、風景による慰藉を得意とする、古風なアララギ派的感性の枠組をもつこの作者の資質からいって、至難の業であるといってよかった。

 それに第一、大衆相手の職業作家=売文家として日々の暮らしを支えねばならぬ立場からいっても、そんな冒険は所詮無理な注文というべきであろうし、七〇年代後半に形成され八〇年代から九〇年代にかけて膨脹を遂げた高度消費資本主義の時空そのものも、作者に思想的な脱皮を許すような契機を与えなかったのである。(この稿続く)

 

 

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