七〇年代の分岐点―初期藤沢周平作品の闇―(連載第2回) 川喜田八潮

  • 2016.07.28 Thursday
  • 21:30

 

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 それでも、一九七〇年代前半の藤沢周平の初期作品には、七〇年代後半以後の彼の小説には見られないほどの激しさと純度の高さをもって、脱社会的な妖気が立ち込めていた。「ただ一撃」と並ぶ初期藤沢作品の最高傑作「暗殺の年輪」(一九七三年直木賞受賞)も、そのような作品の一つである。

 ここでは、脱社会的な衝迫は、非情で狡猾な組織悪への強烈な憤りという形をとって炸裂している。

 藤沢周平の武家物には、藩政の実権をめぐって上層部が二つの派閥に分裂し、その抗争のどす黒いメカニズムの渦中に巻き込まれ、道具として利用され、翻弄された主人公が、己れの孤剣=秘剣を頼りに窮地を斬り抜けてゆくというパターンをもつ作品が多い。

 「暗殺の年輪」は、このような構成をもった最初の小説であり、その反社会的=反秩序的な殺気の鋭さにおいて、屈指の出来ばえを示している。

 主人公葛西馨之介(けいのすけ)の父源太夫は、馨之介が三歳の時藩内の抗争に巻き込まれ、何者かから時の権力者である中老の嶺岡兵庫の暗殺を命ぜられるが、失敗し殺害される。事件の真相は闇に包まれたまま十八年の歳月が流れるが、成人した馨之介は、ある時期から、周囲の人間の眼に自分に対する不可解な愍笑(びんしょう)が含まれていることに気づく。剣の同門であり、親友であったはずの貝沼金吾までも、なぜか彼を避けるようになり、冷ややかな態度をとるようになる。

 ある日、馨之介は、金吾の手引きで家老の水尾内蔵助一派から嶺岡兵庫の暗殺を依頼される。薄汚い派閥争いの匂いを感じ取り、いったんは断ったものの、やがて、父の死後、母が兵庫に体を与えることで葛西家の存続を図り自分たち親子の命を救ったことを知り、兵庫暗殺を引き受ける。

 しかし、暗殺に成功した直後、闇の中から不意に襲いかかって来た白刃の群れに、馨之介は、貝沼金吾を含む水尾一派の汚い企みの全貌を悟る。それは、自らは手を汚さず、私怨をもつ馨之介に兵庫を暗殺させた上で、証拠を残さぬように口封じをするという陰湿なやり口であり、十八年前の父の横死も同様の画策によるものであった。

 一瞬にして全ての真相を見抜いた馨之介は、全身からこみ上げる憤怒の発作に駆られ、疲労し切った身体に戦闘的な力を甦らせる。

 物語は、敵の包囲網を斬り抜けた馨之介が闇の彼方へ逃走していくシーンで結ばれている。

 この作品には、息苦しい社会的な規範と序列のシステムに囲い込まれ、アイデンティティーを規定された若者が、卑小な打算と駆け引きと保身に明け暮れる小人どもの充満する社会の邪悪な実体を冷徹に押さえ切り、それを蹴とばし、その外部に己れの生存の根拠を置こうとする獰猛な怒りがみなぎっている。

「星もない闇に、身を揉み入れるように走り込むと、馨之介はこれまで躰にまとっていた侍の皮のようなものが、次第に剥げ落ちて行くような気がした」というラストシーンの言葉は、この小説の底流をなす、作者の孤独な鬱屈の核心を言い表わしている。

 しかし、「暗殺の年輪」に脈打っているこのような脱社会的=反秩序的な殺気は、七〇年代後半以降の藤沢作品においては次第に薄まり、特に、八〇年代以降においては、ほとんど全くといってよいほど消失してしまう。

 藤沢周平を大衆時代小説のヒットメーカーとして一躍成功の座へとのし上げたのは、七〇年代後半に連載された『用心棒日月抄』であり、八〇年代以降、好評に応えてこの続編が次々と書き継がれ、この小説の主人公「青江又八郎」は、八〇年代から九〇年代の大衆小説の一大ヒーローとなった。

 ここでも、藤沢作品では毎度おなじみの藩内抗争で、又八郎は、ある時は討っ手を逃れて脱藩し、ある時は密命を帯びて出奔するという形で、国元から江戸へ赴き、事件解決によって(すなわち藩内上層部の権力の変遷に応じて)再び国元への帰還を許される。

 ここでの主人公は、身に覚えの無い罪や権力の強制によって、いや応なく武家社会の非情なメカニズムから脱出し、一見〈社会〉そのものを己れの内面から遠ざけ、市井に身を投ずる単独者の位相に立つように見えながら、結局それは、ひとつのポーズにすぎず、なんだかんだと武家組織の中に立ち帰り、そこで小市民的なマイホームを作り、組織に忠実な官吏として、慎重に(藩という「永久就職先」を確保しながら)したたかに身を処してゆくのである。

 人間は、どんな手段・仕事であれ、ともかくメシを食ってゆかねばならぬのであるから、その意味で又八郎の生きざまをとやかく言うことはできない。ただ問題は、この主人公が、己れの魂の内から〈社会〉という理不尽で矮小な怪物を分離することができず、その内部に絡め取られ、その空しいメカニズムの中で与えられた相対的なポジションに、己れのアイデンティティーを決定的に拘束されているという事実にある。

 作者は、又八郎の出奔と江戸での市井の生活を描くことで、会社や国家に囲い込まれているサラリーマンやしがない公務員の内部に鬱屈する脱社会的な衝動や非日常性への渇きを、安全弁的な形で、水で薄めながら代償してやっているのである。

 まことにこの『用心棒日月抄』とその連作シリーズほど、八〇年代から九〇年代という、第三次産業の人口が過半数を大きく超え、日本中がサラリーマンだらけとなった高度消費資本主義社会の時代にふさわしい時代小説はない。八〇年代から九〇年代の藤沢作品には、サラリーマン的価値意識をもつ日本人を根底から脅かすようなものは何も無いのである。

 しかし、七〇年代前半の初期藤沢作品はそういうものではない。

 「暗殺の年輪」には、〈社会〉という欺瞞的なシステムの正体をはっきりと見切り、そのちっぽけな底の浅い、密生する毒きのこの群れのようなみじめな寄生的生活を根底から蹴散らすような、デモーニッシュな憤りがみなぎっているのである。

 その脱社会的な殺気の凄味は、とりわけ主人公馨之介の母親に対するまなざしに、鮮烈に象徴されている。

 嶺岡兵庫に体を売って家の存続を図った母の秘密を探るうち、馨之介の脳裏には、突如として、蝋燭の灯りの下で淫らな女の色香を漂わせながら密夫を送り出していた母の乱れた着付け姿の古い記憶が甦ってくる。

 母の波留がある時期一度だけではない関係を兵庫との間にもったことを知った馨之介は、湧き上がる狂暴な怒りを押さえながら冷ややかに波留を詰問する。

 茫然自失した母親は、息子が酒を呑みに外出した間に自害してしまう。

 

 家に戻ると、家の中は闇だった。

 不吉な感じが胸をかすめたのは、やはり虫の知らせのようなものだったのだろう。闇には人の気配が死んでいた。

 玄関を入ったときに血の匂いを嗅いだが、馨之介はいそがなかった。ゆっくり茶の間の襖を開いた。だが、そこには闇が立ちこめているばかりで、人の気配はない。馨之介は行燈に灯を入れると、それを提げて、奥の間との間の襖を開いた。

むせるような血の香がそこに立ち籠(こ)めていて、その中に、膝を抱くようにして前に倒れている波留の姿があった。

 波留は穏やかな死相をしていた。冷たい掌から懐剣を離し、足首と膝を縛った紐を解いて横たえると、馨之介はもう一度手首に脈を探ったが、やがてその手を離して立上った。

 貝沼金吾に会って、嶺岡刺殺を引受けると言うつもりだった。 (「暗殺の年輪」)

 

 馨之介の母親に対するこの冷ややかで肚(はら)のすわったまなざしの中に、押し殺された作者の怒りの凄さが滲み出ている。

 身をひさいでまで権力者の庇護にすがり、武家社会での家名の存続というちっぽけなアイデンティティーを拠り所に、小心翼々と耐え抜いてきた人間に対して、作者の眼はあくまで非情である。

 おまけに、兵庫と波留の密通の挿話には落ちがついている。

 兵庫を暗殺する際、馨之介は、彼の当惑ぶりから、この藩の中老が、葛西という名も、父の源太夫のことも、母親のことすらも、今では何一つ憶えてはいないことを知る。

 やり場のない憤りを込めて、馨之介の刃は兵庫の胸を刺し貫く。

 ラストシーンで侍の皮が剥げ落ちた主人公が走り去ってゆく場所は、元葛西家の忠実な下男で、波留の秘密を知っていながら胸に秘し、今では居酒屋をやっている徳兵衛という老人の棲む土俗の闇の世界である。

 この作品では、闇の描写が重要な意味をもっている。

 それは、制度的な日常の空隙を衝いて立ち顕われる、神秘で荒々しいカオスの象徴であり、禍々(まがまが)しい死の匂いとそれに抗う狂おしい生命のうねりを触知させる。

 主人公は、闇の中で全てを察知し、己れの狂暴な野性を解き放ち、闇の懐(ふところ)深く紛れ込んでしまう。

 「暗殺の年輪」が、個を圧殺する冷ややかで巨大な組織悪のかたちを描いていながら、それに拮抗する主人公の猛々しい脱社会的なエネルギーを浮上させることができたのも、私たちの無意識の深層にうごめく原初の闇の手ざわりをそこはかとなく喚起させることに成功しているからである。

 徳兵衛とその娘で馨之介に好意を寄せる酌婦のお葉が棲むような、ほの暗い下町共同体的な庶民世界こそ、七〇年代の藤沢作品が活写した闇のシンボルであった。

 もちろん、長塚節を愛し、不条理な生活の哀歓を乾いた筆づかいでリアルに描写するこの作者にとって、庶民世界を美化するような視点は全く無い。「暗殺の年輪」と同時期に書かれた「囮(おとり)」とか「黒い縄」といった市井物の小説を見ても、それは明らかである。

 庶民の生活世界もまた、貧困と病苦とひき裂かれた人間関係に翻弄される、逃れようのない不条理な生き地獄であった。

 しかしそこには、武家社会には存在し得ない、深々としたアナーキーな闇の空隙というものがあった。

 そこでは、職人や商人の堅実で忍耐づよい日常性やつつましい幸福への祈りとは裏腹に、己れのはかなく不条理な境遇を自然のように受け流してゆこうとする無常感の深さが息づいていた。それは、一歩身をもちくずすと、世間体や慣習・掟の拘束を無化し、自らの生を塵芥のように霧散させることをもいとわない、投げやりで陰鬱なニヒリズムのまなざしでもあったが、制度的な日常の時空から遠く隔たった不思議な安堵感を伴うものであった。

 儒教的な規範意識や家の存続という観念に拘束された武家社会とは異なり、下町下層社会には、生の無常感の深さと表裏一体となったアナーキーな享楽性がみなぎっていた。

 浮世絵や黄表紙・洒落本・落語の世界などに垣間見られるこういう近世後期の町人社会の空気を、藤沢周平や池波正太郎のような時代小説作家は、現代風にアレンジしながら巧みにすくい取ってみせた。

 忍耐づよい苦労人の生活者である四十代の藤沢周平が作家として遅いデビューを果たした一九七〇年代前半の日本社会には、まだ、そのような近世以来の庶民的時空が都市下層社会の内にかろうじて残影をとどめていたのである。

 「暗殺の年輪」が発表された一九七三年は、その土俗の闇の生命が、最後の輝きを放った年であった。それは、一九七〇年に完了を迎えた高度経済成長によってもたらされた高度産業社会の貪欲で非情なメカニズムに対する強烈な生理的アレルギーの顕われであった。

 この年を境に、土俗的な共同体社会の残滓は、ほぼ壊滅の状態に追い込まれてゆくのである。

 

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 このような時代の隠微な推移は、例えば、当時のテレビドラマの変容に鮮やかに映し出されている。

 ここで、しばらく藤沢周平作品から離れて、一九七〇年代という時代を簡単に振り返ってみたい。

 テレビドラマというものは、もしそれが放映当時の人々の無意識の深部に息づく渇きや不安を象徴的に代償させてやるだけの内実をもつものであれば、たとえどれほど娯楽性の強いエンターテインメント作品であろうとも、時代の本質を読み解く上で貴重な示唆を与えてくれるものである。

 一九七〇年代前半の初期必殺シリーズの名作である『必殺仕置人』(一九七三年)・『暗闇仕留人』(七四年)・『必殺必中仕事屋稼業』(七五年)の三シリーズの娯楽時代劇(朝日放送系放映)はまさにそのような作品であり、七三年から七五年という、七〇年代の隠微で劇的な転換点の本質を鮮やかに象徴するものとなり得ている。

 『必殺仕置人』は、二十年以上も続いた必殺シリーズの中でも、空前絶後といってよいほどのアナーキーな破壊力をみなぎらせた異色の時代劇である。藤田まこと演ずる江戸町奉行所同心中村主水が初めて登場した作品であるが、後の七〇年代後半から八〇年代以降のような、スレッからしてくたびれたサラリーマン的凡庸さのイメージが染み着いた主水ではない。奉行所では上司・同僚の侮蔑の的となっているうだつの上がらぬ「昼行燈(あんどん)」であり、家に帰れば嫁や姑のいびりの対象となる「種なしカボチャ」の婿養子である点は同じだが、この世の仕組を冷徹に見切り、寸分たりとも油断なく、己れの本音を慎重に押し隠し、胸の奥に暗い鬱屈と獰猛な野性を秘めた、殺気ある風貌をたたえた人物として登場する。

 ゼニをもらって、理不尽に殺された者の晴らせぬ恨みを晴らすという主水の裏稼業の仲間であり、檀家の人妻と密通して佐渡送りとなった坊主上がりの骨つぎ師である念仏の鉄(山崎努)、それに、琉球出身の無宿人で、権力に親を殺された棺桶屋の錠(じょう)(沖雅也)といった闇の世界のアウトローたちの漂わす、むせかえるような強烈な土俗のエネルギーと、生きることの一切の贅肉を削ぎ落とした捨て身の肉体の輝きが、このドラマの魅力の源泉となっている。

 彼らの棲む、無宿人たちの通称「泥棒長屋」によって象徴される下町下層社会の、享楽的で騒々しく、投げやりで活気あふれるカオスの匂いこそ、七〇年代前半の土俗共同体社会に残存し得ていた反骨の野性の最後の輝きを表現するものだった。

 それは、消滅に瀕した生き物の、燃え尽きる直前の一瞬のいのちのあかしにほかならなかった。

 藤沢周平の「暗殺の年輪」もまた、このような混沌とした熱い時代を背景として生み出された作品であった。

 そして、翌年の一九七四年には、土俗の生命は燃え尽きていたのである。

 七四年に放映された『暗闇仕留人』は『仕置人』の続編となっているが、そこでは、もはや『仕置人』のような野性のエネルギーは見る影も無い。

 このドラマの中心人物は、高野長英の弟子の元蘭学者で、幕吏から追われ、今では芸人一座の三味線弾きをやって糊口をしのぎながら、労咳の妻と共にひっそりと長屋住まいをしている糸井貢(みつぐ)という浪人者である。

 石坂浩二がデリケートに演じたこの人物は、必殺シリーズではほとんど唯一といっていいほどのインテリの殺し屋であるが、一九七〇年前後に盛り上がりを見せた左翼的な理想主義=社会主義的な革命幻想が挫折し、党派的な内ゲバによる陰惨な自壊の道を辿る中で、政治的な共同幻想のメッキが剥がれ、生活者的な個人と家族の次元に生存の根拠を突き返された当時の若い世代の幻滅と悲哀と空洞を象徴しているといっていい。

 しかし、それは同時に、七三年までかろうじて息づいていた脱社会的な狂おしい土俗の闇の息づかいが圧殺され、社会全体を、均質化された巨大な資本の無機的でメカニックな時空が覆い、人と人、人と風景の繊細な生身の絆が分断されてゆく時代の匂いを象徴するものでもあった。

 『仕留人』の舞台は、ペリー来航直後の幕末の江戸であるが、ここでは、維新物の時代劇にみられる革命への期待感などは微塵もなく、人面獣心の寒々とした世相の中で、やり場のない憤りを抱え込みながら、何も考えず、卑小であてどのない日常を食いしのぎつつもちこたえていく仕留人たちの、わびしく、したたかで享楽的な生きざまが作品のトーンとなっている。

 ちなみに、一九七四年から七五年にかけては、萩原健一・水谷豊主演の『傷だらけの天使』(日本テレビ系)が放映されている。この作品は、大都会をゴミのように浮遊しながら、食うためにしがない探偵稼業のアルバイトを続ける若者たちが、はけ口の無いアナーキーな鬱屈を抱えながら無意味に野垂れ死にしていくドラマである。

 このような、時代の出口の無い閉塞感は、七五年の『必殺必中仕事屋稼業』(緒形拳・林隆三主演)・七六年の『必殺仕業人』(中村敦夫・藤田まこと主演)と、年を追うごとにエスカレートしていく。

 『仕置人』では、下町下層社会の裏長屋に吹きだまりのように集まった無宿人たちの、死と背中合わせになったその日暮らしの生活は、世界を司る得体の知れない混沌とした闇の深淵から、不条理な運命と理不尽な秩序の首かせに全身的に抗う獰猛な野性と、刹那的に燃え上がるみずみずしい生命力をひき出すことができていた。

 近代化による価値破壊の強烈な洗礼を受けた七〇年代にふさわしい、ギラギラした個人主義的な欲望の自己主張とひび割れたニヒルな生存感覚がみなぎっているにも拘らず、このドラマでは、仕置人仲間の絆は、血の通った濃密な共同性の体液を感じさせるものとなっており、地上の生活は、メタフィジカルな闇のふくらみをはらむ風通しの良さをもっている。

 しかし、『仕留人』では、そのような血の熱さやダイナミックな闇の活力は失われ、分断された個人は、冷え切った、死の気配の漂う漆黒の闇の中で、ひっそりとわびしく寄り添うように生きている。光と闇の交錯する華麗で動的な『仕置人』の映像イメージとは全く異なり、『仕留人』は、登場人物の服装から町の景観・路地裏の映像など、あらゆるシーンにおいて、「黒」を基調とした、喪と葬送のイメージを喚起させる配色効果を使っており、音楽もそれに合わせて、どんよりとした重苦しく非哀感の濃いメロディーラインとなっている。

 地上の生活から生命的なぬくもりの気配が大幅に失われ、闇は、ひっそりと生き、ひっそりと死んでいく無数の孤立した男女たちを淡々と無表情に包摂し、回収する巨大な無の静寂として立ち顕われている。

 七五年の『必殺必中仕事屋稼業』になると、そのような死の匂いに包まれた現世への超越的な抗いが、〈賭博〉への破滅的で刹那的な熱狂という表現形態をとって吐き出されることになる。

 賭け事にのめり込む種々さまざまな境遇の人間たちの生態に人生を凝縮的に象徴させてみせたこのドラマは、必殺シリーズの中でも最も文学的な香りの高い異色のエンターテインメントであるが、それは同時に、人々の日常性から闇のふくらみが完全に喪われ、その生存空間が、散文的で実利的な無機質の産業社会的時空へと狭窄されてしまったことの喩でもあった。

 〈賭博〉は、芸術作品の享受やマニアックな耽溺による憂さばらしと同様、貧寒な地上的散文的現実から締め出されてしまった非日常性への、刹那的で断片的な〈超越〉の渇望にすぎない。

 その非日常的な超越への渇きは、それが日常性からはじき出され日常性と対立的に位置づけられている限り、すなわち、日常生活そのものが神秘な闇のふくらみを取り戻さない限り、常に、日常性を破壊する魔力をはらむ毒牙たることをやめないのである。

 『仕事屋稼業』で、常に死や生活の破綻と背中合わせになりながら賭博にのめり込む人物たちの生きざまが、異様な緊迫感を伝えるのも、日常と非日常の分裂と相剋という近代の病を、一種極限的な形でシンプルに凝縮させてみせたからである。

 この一九七五年という年に、日本人の〈日常性〉は、ある荒涼とした極北の地点まで追いつめられたといってよい。

 精神史的にみる限り、この年から七〇年代後半・八〇年代初頭までは完全に地続きだといってよいし、八三年以後九〇年代までの世相は、その荒れ果てた無機質の実存を、ヴァーチャルなイメージ価値の空虚な氾濫と疑似コミュニケーションのヴェールで覆ってきただけにすぎない。

 その意味で、七三年から七五年にかけての日本社会の隠微な変容は、単に七〇年代の性格を決定づけただけでなく、八〇年代から九〇年代という時代の本質を規定するものとなったのである。もちろんその変容は、七〇年前後という高度経済成長の完了によってもたらされた〈土俗性の解体〉という情況の徹底化以外の何ものでもない。

 一九七六年に放映された『必殺仕業人』のオープニングのナレーションは、次のようなものである。

 

 あんた、この世をどう思う。

 どうってことねえか。

 あんた、それでも生きてんの。

 この世の顔を見てごらんな。

 石が流れて木の葉が沈む。いけねえなあ。

 おもしろいかい。あんた、死んだふりはよそうぜ。

 やっぱり木の葉はぴらぴら流れてほしいんだよ、石ころはじょぼんと沈んでもらいてえんだよ。

 おいあんた、聞いてんの、聞いてんのかよ。

 あら、もう死んでやがら……。

 ああ……。

 菜っ葉ばかり食ってやがったからなあ。(宇崎竜童の声による。)

 

 このナレーションは、七〇年代を代表する名脚本家であった早坂暁の作である。

 『仕業人』の中村主水は、「牢屋見回り同心」という、囚人たちの日常生活の監視と死刑囚の首実検や死体処理を行う、奉行所で最下級の役人として登場する。

 姑や妻とともに傘張りの内職を行い、怪しげな下宿人を置かねば暮らしの成り立たないうらぶれた薄給生活の中で、主水は、討っ手のかかった指名手配の脱藩者で今では駆け落ち相手の琵琶弾きのお歌(中尾ミエ)と河原の掘っ立て小屋で乞食同然の暮らしをしている大道芸人の浪人赤井剣之介(中村敦夫)らと共に、依頼人のなけなしの金をもらって、悲運に死んでいった者たちの恨みを晴らす殺し屋稼業を続けてゆく。

 一切の生命的な意味づけを剥ぎ取られた地上的生活の不条理な酷薄さの感触は、このドラマにおいてひとつの頂点を迎える。必殺シリーズ全体においても、また、七〇年代という時代においても、である。

 主水ら仕業人たちの裏稼業は、ここでは、彼らの鬱屈の止むにやまれぬ暴力的な代償表現である以前に、何よりも、食うための、死と背中合わせになったぎりぎりの仕事であるにすぎない。

 生活の最低限度のタガをはずしていない主水とは違って、日々、餓死寸前にさらされている剣之介・お歌夫婦の場合、それは一層痛切である。頼み料のはした金を手にして、飢えた野良犬のようにうなぎにむしゃぶりついたり、殺しの仕事を前に、死を予感しつつ掘っ立て小屋の中で狂ったように互いの肉体を求め合うふたりの生態には、ぎりぎりの瀬戸際まで追いつめられた獣的な本能の絶望的なあがきが形象化されている。

 『仕置人』における主人公たちの〈無一物〉のパワーが、土俗的な闇のカオスによってぬくもりを与えられ、尽きることのない火柱のように膨れ上がっていたのと比べれば、『仕業人』のそれは、なんとわびしく、切なく、狂おしいもがきとして表現されていることだろう。この番組の最後に流れるドラマの主題歌「さざなみ」(荒木一郎作詞・平尾昌晃作曲)は、次のような歌詞となっている。

《誰だかばかに気にしてる、私の書いた落書きを/誰だか変に傷ついた、私の愛に/シラけた季節の匂いがするわ/なぜってことでもないのだけれど/私って、いたずらなのね/私って、子どもなの/退屈な一日が、長すぎるの》

 行き着くところまで行き着いて完全に干上がってしまった日常とひび割れた冷笑の匂い。一切の生の意味と価値を解体され尽くし、あらゆる存在・風景に対して不感症となり、ただ断片的で痙攣的な刺激に対するフェティッシュな惑溺にしか、生きる実感を求められなくなってしまった不能性の身体。

 死臭の漂う均質化された無機質の時空と裏腹のように、ヴァーチャルなエロス的幻想へと退行する幼児的な嗜好性。

 こういった特質こそ、七〇年代後半に拡がり、浸透・定着し得た病のかたちだといってよい。

 一九七七年に放映された『新必殺仕置人』は、このような七〇年代後半のただれた病理を、サド・マゾ的な幼児退行による変態趣味の色彩によってどす黒く染め上げながら、集約的に象徴してみせた、(その手の趣味を持ち合わさぬ人間にとっては)なんとも胸の悪くなるような、毒々しい作品であった。

 八〇年代から九〇年代の高度消費資本主義社会は、ただ、こういう病理的な生存感覚をより拡大させ、華やかで空虚なイメージ価値によって覆い隠してきたにすぎないのである。

 それでも、七〇年代後半から八〇年代初頭にかけては、産業社会の死臭への情念的な抗いは、断末魔の悲鳴のような哀切な〈抒情性〉となって表現されていたが、それも、八三年以後のヴァーチャルな消費文化の洪水の中で見失われ、風化してしまう。

 ここでは、これ以上具体的に言及するスペースはないが、そのことは、七〇年代後半から九〇年代にかけて生み出されてきた実にさまざまな芸術作品やエンターテインメントによって、容易に確かめることができる。

 しかし、このような高度消費資本主義の時空は、二十一世紀に入った私たちの〈現在〉において、今や着実に解体にさらされているといってよい。

 空虚で華やかな消費社会の見せかけの平和の底にどのような地獄が秘められていたかを、私たちは既に、阪神大震災・オウム事件以後の九〇年代後半の世相によってまざまざと見せつけられている。そして、九〇年代末から二十一世紀初頭にかけてのわれわれの社会は、メッキの剥がれた消費資本主義の〈亀裂〉の中から、七〇年代以前の、さらには近代以前の時空の気配が新たな相貌を帯びて静かに滲み出てきつつある情況を迎えているようにおもわれる。

 私たちの〈現在〉は、既に、七〇年前後の高度経済成長の完了によって準備され七〇年代半ばに完成された無機質の産業社会的時空の〈正体〉を完全に見切ることのできる場所に立っている。

 今改めて問われねばならないのは、七三年から七五年にかけて進行した日本社会の劇的な変容によって最終的に何が喪われたのかということであり、その問いかけは、ひいては、高度成長完了以前の社会に息づいていた闇の本質を見極めることにも通じているのである。(この稿続く)

 

 

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