七〇年代の分岐点―初期藤沢周平作品の闇―(連載第3回) 川喜田八潮

  • 2016.08.24 Wednesday
  • 18:42

 

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 ここで再び、藤沢周平の作品に立ち戻ることにしよう。

 「オール読物」一九七三年三月号に発表された「暗殺の年輪」から、同年の六月号に発表された「ただ一撃」への微妙な推移は、以上のような七三年から七四・五年にかけての日本社会の隠微な変容を象徴的に先取りするものであった。

 「ただ一撃」には、脱社会的な野性の生命の息づかいが、藤沢作品中では空前絶後ともいうべきほどの力強さをもって凝縮的に表現されていると同時に、その野性が一瞬の光芒を放ちながら消滅へと向かい、息苦しい恒常的な社会秩序の内部に封印されていく時代の哀切な鼓動を鮮やかに伝えるものとなっている。

 思えば、藤沢周平の小説中最も優れた諸作品が、彼が作家としてデビューして間もない一九七三・四年に集中しているのは、皮肉なことである。

 この作家は、ほとんどデビューと同時に、己れの純粋な文学的衝迫のありかを完全に燃焼し切ってみせたのである。

 そのような燃焼を許すような闇の息吹が、まだ七〇年代前半の日本社会にはかろうじて残存し得ていたのだ。

 しかし、七〇年代後半の彼の小説では、早くも、初期作品に息づいていた殺気は大幅に希釈され、八〇年代以降になると、文学的には、ひたすら水増しと通俗化による大衆作家の道を安定的に突き進むことになる。

 司馬遼太郎と同様に、大衆からインテリまでの巾広い読者から愛好される、押しも押されもしない大作家の虚名を博するようになるのである。

 このような変貌の背景には、もちろん、七〇年代後半に形成され八〇年代から九〇年代にかけて膨脹を遂げた高度消費資本主義の時空がもたらした閉塞感や内的な風化という要因があったに違いないが、それだけではあるまい。

 資質と時代の課する制約の中で、食うために読者のニーズに懸命に対応しなければならぬという職業作家の業に加えて、おそらく老いと死の恐怖に直面する更年期の苦しみとの闘いが、そのような文学的妥協の道を選択させたのであろう。

 四十代以降に中年男女を襲う更年期障害の中で、まず人は、それまでの己れの世俗的な生涯において無意識の奥に封印してきた暗い非日常的なエロスへの渇きが、突如として表現を求めて溢れ出て来るのを感じ、戸惑う。

 世間で最もよく見受けられるのは、長年の家庭の平和を一瞬の内に崩壊させることも厭わないほどの中年男女の激しい不倫へののめり込みであろう。

 藤沢周平の初期作品「ただ一撃」も、ある意味では、四十代半ばという年齢にあったこの作者の更年期の危機を象徴する作品だとみることもできる。

 七〇年代後半の作品集『隠し剣孤影抄』に収められた秀作「宿命剣鬼走り」の主人公、小関十太夫もまた、このような更年期の苦しみに苛まれる四十代の初老の武士である。

 この小説は、若年からの宿命のライバルとして、剣技を競い合い、同じ女をめぐって激しい恋の争奪戦を演じ、やがては藩内の政策と派閥抗争をめぐる宿敵として相まみえることになった二人の武士が、ささいなことから、己れのはからいを超えた不条理な悪因縁の連鎖に巻き込まれて、次々と息子や娘を失い、ついには、この世への一切の未練を断ち切り、同性愛的な〈道行〉のような決闘によって己れの生涯に決着をつけるという、救いの無い物語である。

 この作品の興味深いところは、主人公小関十太夫が、ライバル伊部帯刀(たてわき)の一人息子の卑劣な策略によって長男を殺されたことに端を発する恐るべき不幸の連鎖の根底に、十太夫の生の〈空洞〉が招き寄せてしまった、得体の知れない、どす黒い〈邪気〉の存在が想定されていることである。

 それは、小説の導入部での、長男の死をめぐる十太夫夫婦のいさかいに象徴される妻との冷え切った関係や、やり場のない孤独な鬱屈を抱えた十太夫が釣りに通う青沼で不意に出くわした黒い不気味な巨魚の描写によって暗示されている。

 

 「大きいぞ、これは」

 十太夫は叫んだ。汀(みぎわ)から延びている松の根に足をかけて腰を決め、しっかりと踏んばったが、竿は手もとからもぎ取られんばかりにしなり、半ばは水に没している。そして竿は右に左にはげしく揺れ走った。(中略)

 ……強い引きだった。十太夫は身体を後に倒すようにして糸をたぐったが、鉤をくわえたものはびくとも動かなかった。そして、不意に沼の水がゆらりとひとところ盛り上がり、つづいて無数の泡が浮き上がって来た。それだけで水面の下にいる物の姿は見えなかった。十太夫は突然全身に汗が噴き出すのを感じた。青黒い水の底に、巨大なものがいた。

 そして、また強い引きが来た。両手で握っている竿がもぎとられそうになった。渾身の力を握りにあつめると、今度は十太夫の身体が浮き上がった。沼に引きこまれそうだった。

「竿放さねば、だめだ、旦那さん」

 ただならない様子に気づいたまきが、悲鳴をあげるように叫んだ。(中略)

 十太夫は竿を放せなかった。水中に潜んでいる物は、おのれの運命にかかわる敵に違いない。竿を放せば運命に打ち倒されよう。呪縛されたように、その思いに取り憑かれていた。(中略)

 そのとき、ぷっつりと糸が切れた。十太夫とまきの身体は、仰のけにうしろにはね飛んで倒れた。その衝撃のために、十太夫は、次に起きたことを確かに見さだめたとは言えない。だが、異様なものが眼に映った。

 ごうとまわりの空気が鳴り、不意に空が暗くなったようである。だがそれは、雨のように、二人の上に降りかかって来た飛沫のせいかも知れなかった。

 その飛沫の中に、躍り上がったものがあった。それがどういうものだったかを、跳ね起きて身構えながら、十太夫の眼は十分に見ていない。眼に残ったのは、黒くぬらりとした、小山のような背、そして確かにこちらを見た、透きとおるほど赤い、まるく大きな眼だった。それは、一瞬泡立つ飛沫の中に立ち上がっただけで、音もなく水中に沈んだ。

 そして沼に静寂と日の光がもどった。まだ郭公鳥が鳴いている。だがいま起こったことが、まぼろしでも何でもないことは、沼の水が異様にざわめき、岸に寄せる波がひたひたと音を立てていることでわかる。(「宿命剣鬼走り」)

 

 十太夫がいや応なく巻き込まれてゆく不条理の本質を、個人のはからいを超えた巨大な〈邪気〉の魔力の顕われとして凝縮的に象徴してみせた、鬼気迫る描写となっている。

 この邪気を醸成したものは、冷え切った夫婦関係となって顕在化した、十太夫の生の〈空洞〉にほかならない。

 妻との不和の直接のきっかけは十太夫の浮気にあったが、その根には、昔の恋人で今は仏門に入っている香信尼への断ちがたい慕情と、長年にわたる妻との血の通わぬ不実な生活が横たわっていた。一見平穏な世俗的生活のヴェールに覆い隠されていた生の空洞は、十太夫が更年期に突入した四十代になって浮上してくる。

 作者は、その事情を次のように的確に描出してみせる。

「香信尼を抱きたいと、日夜狂おしく思いつめた時期がある。そのはげしい肉欲は、不思議にも、生涯の終りがかすかに見えはじめた、四十を過ぎたころに来た。気性が合わぬと思いながらも、その妻にも馴れ、三人の子供も大きくなったそのころにである。/人生の大きな忘れ物に気づいたようでもあった。だがそれは、もっと理屈抜きの、暗く奥深いところから来る衝動のようでもあった。十太夫が、初雁町の路地の奥にるいという妾を囲ったのは、そのころである。そして生き物の暗い衝動は通り過ぎて行ったのだ」

 四十代半ばから五十代初めの藤沢周平の作品には、明らかに、老いと死の意識を契機として浮上する狂暴なエロス的衝動という実存的な危機に対する苦闘の跡が見て取れる。

 七〇年代における彼の作品では、その苦しみは、もっぱら非日常的な衝動に駆り立てられて破滅してゆく人物たちの悲哀の物語となって代償的に吐き出されていた。

 しかし、このような更年期のもちこたえ方は、五十代の半ばにさしかかった八〇年代初めの藤沢周平にとっては、もはや限界に達していたようである。

 一九八二年から八三年にかけて新聞連載された市井物の長編『海鳴り』は、更年期を迎えた中年の紙問屋の主人と人妻の不倫を描いた近松的なモチーフの小説であるが、その結末は、〈心中〉という彼岸的な志向へと収斂するのではなく、江戸を逃れて駆け落ちした男女が、昔の乳母以外誰も知る者のいない他国で、二人だけのひっそりとした小市民的日常を再建しようとする、穏和で半ばハッピイエンド的な希望によって締めくくられている。

 作者はこの小説について、最初は物語の結末を「心中」にするつもりだったが、次第に主人公の男女への愛着が深まり、結局「むごいこと」は書けなくなってしまった、という趣旨のことを述懐している。(「『海鳴り』の執筆を終えて」)

 そこには、八〇年代以降の後期藤沢作品への変貌の動機が端的に象徴されているといっていい。

 人は、もし狂気や自死の道ではなく、すこやかな日常生活者として更年期をくぐり抜け、幸福な晩年を迎えようとするなら、己れの狂暴なエロス的欲動を飼いならす術(すべ)を会得しなければならない。

 年中行事の中にさまざまなハレとケのメリハリによる美事なエロス的代償のシステムを備え、老人の経験と知恵に深い敬意がはらわれ、共同体のあらゆる構成メンバーが年齢の階梯に応じてしかるべき役割と位置を与えられていた前近代の土俗社会においては、死と孤立の意識を契機として浮上する更年期障害なるものは、おそらく、大半の人間にとって無縁の産物であったろう。

 だが、近現代の社会に生きる多くの者にとって、それは、老いと共に襲い来る巨大な試練とならざるを得ない。体力の急激な衰えと共に種々の心身症となって表われるこの病の根底にあるものは、死の恐怖にもとづく実存的な切迫感であり、断片化した個の意識を逃れ、母なる子宮に戻りたいという、類的な飢渇感の異常なまでの高まりである。

 現代人の場合、このような更年期の危機を斬り抜ける道は、私の考えでは、大きく分けて三通りあるようにおもえる。

 ひとつは、己れの狂暴なエロス的衝迫になんらかの芸術的な〈表現〉を与えてやると共に、そういう〈表現〉と均衡を保つことのできるような、忍耐づよい世俗人としての生活者的な身体性とリズムを構築してみせるというやり方である。

 このライフスタイルは、基本的に、日常と非日常を次元的に峻別し、使い分けることを意味する。世俗人としての己れの肉体にそれなりの自信と快楽を見出すことのできる人間で、しかも表現の才のあるものなら、こういう生き方も悪くはなかろう。

 しかし、非日常的な夢や美意識の表現への渇きによって、痩せ細った、散文的で殺伐とした日常や疎外された労働の苦役をもちこたえねばならぬ人間にとっては、このようなまなざしは苛酷なものとなる。己れの〈表現〉の質そのものが資質的に険しい、不幸なものである場合には、とりわけそうである。

 もうひとつの道は、己れの非日常的な渇きを、日常的な物語の内奥に繰り込み、〈生活〉そのものを別次元に塗り変えてみせるという生き方である。

 現世と彼岸、日常と非日常、地上と天上というふうに二元的に世界を分裂させ、各々を単色の時空とみなして対立的にとらえるのではなく、〈日常〉という時空そのものを、さまざまな次元が葛藤し合いつつ生々流転する、神秘で不可知なコスモスの顕われとみなすのである。

 このようなまなざしにとっては、芸術=表現も生活の一部であり、生活もまた、ひとつの芸術の表われなのである。

 第三の道は、非日常的な衝迫そのものを再び封印し(あるいは著しく希釈し)、己れのエロス的な欲動を、もっぱら社会的な意義やニーズを有する困難な仕事にふり向け、極力眼を自己の内面に向けないようにしながら、外へ外へと関心を散らし、絶えず忙しく立ち働くようにするというやり方である。

 八〇年代以降の藤沢周平が択んだのは、おそらくこの第三の道であった。

 そういう作者の生きる姿勢の転換は、山本周五郎風の哀切な人情劇の書き割りによって甘く感傷的に処理することのできる市井物の作品よりも、むしろ武家物の中に明瞭に表われてくる。なぜなら、藩という組織に絡めとられてもがき苦しむ武士たちの生きざまは、そのまま、現代のサラリーマン社会の生態に対する作者のまなざしの鮮やかな〈喩〉になっているからだ。すなわち、武家物には、世の中への作者の真向かい方がまことに正直に表現されており、それは作者の更年期のくぐり抜け方と密接につながっているからである。

 七〇年代後半の藤沢周平の武家物においては、先に論及した「悲運剣芦刈り」や「宿命剣鬼走り」のような『隠し剣』シリーズに見られるように、脱社会的な非日常性への渇きは、かろうじて、近松的な悲劇の構図を取って吐き出されていたが、八〇年代以降になるとそれすらも影をひそめてしまう。

 脱社会的な志向は、『用心棒日月抄』とその連作のように、藩と江戸を往還するという微温的で折衷的なごまかしによってすり替えられ、非日常的な渇きは、もっぱら、甘酸っぱくストイックな悲恋の構図と、アララギ派的ないし蕪村的な〈風景による慰藉〉という、隠和な日常性の微小な振幅の次元へと封じ込められてゆく。

 社会と調和した温厚な生活者的英知を備えた大衆小説の大御所藤沢周平が完成するのである。

 それはそれで良きものであり、私自身も、そのような系列の作品を深く愛好する読者の一人であるが、初期藤沢作品に息づいていた、孤独な鬱屈を抱えた野性味のある文学者魂を封印したことの代償は、大きかったようにおもう。

 それは単に藤沢周平の作品のみならず、七〇年代後半以降の私たちの社会が抱え込んだ〈空洞〉でもある。

 

     9

 

 八〇年代以降の藤沢作品の武家物で前面に出て来るのは、さまざまな理不尽な拘束を、日常的な風景を物語的に紡ぎながら、生活者的な忍耐力によってしたたかにくぐり抜けてゆくような主人公の造型の仕方である。

 その原型は、一九八〇年の秀作「孤立剣残月」(『隠し剣秋風抄』所収)によって鮮やかに表現され、八〇年代から九〇年代にかけての後期藤沢作品の中でさらに磨きがかけられてゆく。

 八〇年代以降の藤沢作品においても、〈社会〉は、七〇年代の作品と同様、思いもよらぬ不条理な関係の悪因縁によって主人公を襲い、取り囲み、翻弄する邪悪な牙をもった存在として描かれている。

 しかし主人公は、権力のメカニズムや人間の利害関係の危うさや対人的な接触の皮相さについての細心な洞察と慎重さをもちつつ、家族や友人・師との生身の絆に助けられながら、ひそかに習得された秘剣(これは、主人公の自我の砦=固有の表現世界の喩とみなせる)を武器に、窮地を斬り抜けてゆく。現世を逸脱する非日常的な狂気は影をひそめ、主人公は、〈社会〉を自然のごとき所与のものとみなし、その内側にしっかりと定位しながら、生活者的な英知によってくぐもるように黙々と日常を送ってゆく。

 小林一茶・長塚節・石川啄木への深い愛着を抱いていたこの作者の独特の味わいが出てくる。特に、成熟した近世農耕社会ならではのゆったりとした時間の流れ方と深々とした陰影の息づく繊細な風景描写による慰藉は、重要な意味をもつ。

 このような変貌は、それなりに作者にとっても読者にとっても幸福なことであったろうし、その延長上に、『蝉しぐれ』(一九八六〜八七年に新聞連載)のような後期藤沢小説を代表する名作も生まれた。

 『蝉しぐれ』は、藩上層部の派閥争いの渦中で父を失い、周囲の冷酷な眼に耐えつつ、孤剣を武器に斬り抜けてゆく青年剣士を描いている点で、「暗殺の年輪」と大変よく似た構成をもった小説であるが、両作品における主人公の生きざまは、まことに対照的である。

 「暗殺の年輪」では、主人公は、卑小で俗悪な地上的関係の網の目によってがんじがらめになった藩という組織の枠組みを蹴飛ばし、脱社会的な土俗の闇の世界へと紛れ込んでしまうが、『蝉しぐれ』においては、そのような闇への逃走の経路は遮断され、主人公はどこまでも、藩社会の内部で孤立に耐え、ごく少数の友人や家族の存在に励まされつつ、慎重に身を保ち、剣の修業によって鬱屈を紛らわしながら、日常の風景を塗り変えてゆくことでもちこたえようとする。

 この両作品のコントラストは、いうまでもなく、社会の内部に闇の空隙を生き生きと残存させていた七〇年代前半と、高度消費資本主義の画一化した時空が個人をいや応なく囲い込んでいた八〇年代との、決定的な差異を象徴するものである。

 一九八〇年代から九〇年代前半という時代には、高度消費資本主義の〈枠組〉は、あたかも未来永劫にわたって不変であるかのような堅固な相貌を呈しており、その中で日常生活をすこやかにもちこたえてゆこうとする人間は、『蝉しぐれ』の主人公のように、孤独な自我の砦と、慎重な処世と、風景による慰藉を必須の武器としなければならなかった。

 それは、産業社会的時空の枠組の内部に棲息しながらも、自らの日常風景の〈空隙〉を利用して、農耕社会的なゆったりとした融和的な世界視線を紡ぎ出すことで、システムが強いてくる無機的な生存感覚を繰り返し異化し、解体させようとする試みを含むものであった。

 その意味で、『蝉しぐれ』は、デリケートな生活者的英知を秘めた作品だった。

 また、この小説には、真っ黒に日焼けし、汗まみれになって村々を回りながら、農作業の実態や作物の出来ばえについての認識を深め、村人の声に誠実に耳を傾ける農政官吏としての主人公の姿が、生き生きと描かれている。

 藤沢周平には、農民や職人の「手仕事」に対する深い愛着を感じさせる作品がいくつか存在する。

 『蝉しぐれ』では、そういう労働の手ごたえや民の暮らしの哀歓への深い共感をふまえた社会認識のたしかさこそが、上に立つ者の政(まつりごと)の根本にあるべきものだという理念が一貫して流れている。そこには、近世社会をモデルとしながら現代の政治のアキレス腱を批判しようとする作者のおもいが込められているように思われるし、現代の高度消費資本主義の刹那的な大量生産―大量消費システムに毒された大衆の疎外された労働や生活のあり方に対する暗黙の批判すら感じられる。

 〈政治〉という度しがたいしろものに対する、作者の儒教的ともいえる倫理的な思い入れは、ほほえましいといってしまえばそれまでのことであるが、決して悪いものではない。

 後期藤沢作品の武家物には、体制の強固な枠組の内部に逃れようもなく囲い込まれながらも、その中で懸命に生き抜いた主人公の姿を通して、さまざまな生活者的英知を感じさせるものがあった。

 しかし、そこには、同時に明瞭な限界も存在していた。

 後期藤沢作品の安定した枠組は、そのまま、一九八〇年代から九〇年代前半における私たちの消費社会の枠組にアナロジカルに重なるものであったからである。

 九〇年代後半以降の私たちの社会は、もはやそのような堅固な消費社会の枠組にガードされてはいない。

 巨大な未知の大海にさまよい始めた二十一世紀の世界を、ひとりの個的な生活者としてもちこたえてゆくためには、消費社会の枠組そのものを根本から転倒させるような、全く新たなまなざしを必要とする。

 後期藤沢作品には、そのようなまなざしは存在しないのである。

 端的な例を挙げるなら、かつては恒久的と思われていた終身雇用と年功序列のシステムが崩壊し、一寸先は闇のカオスのただ中で、理不尽極まるリストラの憂き目にあって不安に苛まれる毎日を送る中高年サラリーマンが『蝉しぐれ』を読んだとしても、全く癒されることはないであろうし、何の生活上の指針も得られはしないであろう。

 この小説は、藩という永久就職先を確保し、己れのアイデンティティーの究極の受け皿を組織に求めることのできる若者の、忍耐づよく内に秘められた喜怒哀楽の物語としてしか映らないであろう。

 しかし、「暗殺の年輪」はそうではない。

 一九七三年のこの小説は、何の保証もない将来のイメージと生活苦に苛まれる人間が今読んでも、きちんと生きる手ごたえというものが伝わってくるのである。

 その意味で、この作品は、二十一世紀という激動の世を生きるわれわれにとって、今や『蝉しぐれ』よりもはるかに現在的な小説なのである。

 『蝉しぐれ』を頂点とする一九八〇年代以降の後期藤沢周平作品の抱え込む〈空洞〉が、今や私たちの社会の〈空洞〉と重なり合いながら落とし前をつけねばならぬ地点に追い込まれているのとは対照的に、「暗殺の年輪」や「ただ一撃」によって象徴される生命的な闇の位相は、今後ますます、そのなまなましい現在性をあらわにしてゆくように私にはおもわれる。(この稿続く)

 

 

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