宮沢賢治童話考(連載第8回)  川喜田八潮

  • 2016.09.25 Sunday
  • 15:44

 

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「ガドルフの百合」や「祭の晩」に象徴される生身の接触のイメージが幸福なものであったのに対して、「なめとこ山の熊」は、宿命的な業苦の相の下での不幸なエロスのかたちを描いた、哀切で重厚な作品となっている。

 この作品の主人公、熊取りの名人の「小十郎」は、およそ猟師らしい猛々しさを感じさせない、獲物への深い愛情を抱いた、優しい心根の人物として描かれている。

 ところが、作品の初めの方でスケッチされた主人公の風貌は、次のようなものだ。

 

「淵沢小十郎はすがめの赭黒いごりごりしたおやぢで胴は小さな臼(うす)ぐらゐはあったし掌(てのひら)は北島の毘沙門(びしゃもん)さんの病気をなほすための手形ぐらゐ大きく厚かった。小十郎は夏なら菩提樹(マダ)の皮でこさへたけらを着てはむばきをはき生蕃(せいばん)の使ふやうな山刀とポルトガル伝来といふやうな大きな重い鉄砲をもってたくましい黄いろな犬をつれてなめとこ山からしどけ沢から三つ又からサッカイの山からマミ穴森から白沢からまるで縦横にあるいた。木がいっぱい生えてゐるから谷を溯(のぼ)ってゐるとまるで青黒いトンネルの中を行くやうで時にはぱっと緑と黄金(きん)いろに明るくなることもあればそこら中が花が咲いたやうに日光が落ちてゐることもある。そこを小十郎が、まるで自分の座敷の中を歩いてゐるという風でゆっくりのっしのっしとやって行く」

 

 小十郎の不敵な野性味が、自然のふところ深く抱かれながら、そのひだにぴたっと寄り添うように息づいている。

 明らかに、この主人公は猟師らしい猛々しさを失ってはいない。

 本能的な嗅覚と長年の経験や熟練によって容赦なく獲物を追いつめ、震えるような緊張と血の昂ぶりをおぼえながら首尾よく相手を射とめた時の、歓喜と苦痛のない混ざった、えもいえぬ達成感が決して忘れられない人間であるはずなのだ。

 そのハンターとしての獰猛な闇の血液が、苛酷な小十郎の山暮らしを耐えさせてきた心棒だといってもいい。

 だが、作者は、主人公のそういう荒々しい魂の側面を、決して前面に出そうとはしない。小十郎の威風堂々たる風貌と山歩きの所作をごく簡潔にスケッチするだけにとどめ、主人公の野性味を敢えて後景に退かせている。

 代わりに前面に出てくるのは、小十郎の熊たちへの、たとえようもなくデリケートな愛情なのである。

 

 小十郎はぴったり落ち着いて樹(き)をたてにして立ちながら熊の月の輪をめがけてズドンとやるのだった。すると森までががあっと叫んで熊はどたっと倒れ赤黒い血をどくどく吐き鼻をくんくん鳴らして死んでしまふのだった。小十郎は鉄砲を木へたてかけて注意深くそばへ寄って来て斯(か)う云ふのだった。

「熊。おれはてまへを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめへも射(う)たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰(たれ)も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめへも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ。」

 そのときは犬もすっかりしょげかへって眼を細くして座ってゐた。

 何せこの犬ばかりは小十郎が四十の夏うち中みんな赤痢にかゝってたうとう小十郎の息子とその妻も死んだ中にぴんぴんして生きてゐたのだ。

 それから小十郎はふところからとぎすまされた小刀を出して熊の顎(あご)のとこから胸から腹へかけて皮をすうっと裂いて行くのだった。それからあとの景色は僕は大きらひだ。けれどもとにかくおしまひ小十郎がまっ赤な熊の胆(い)をせなかの木のひつに入れて血で毛がぼとぼと房になった毛皮を谷であらってくるくるまるめせなかにしょって自分もぐんなりした風で谷を下って行くことだけはたしかなのだ。

 

 小十郎の生活の苛酷さと不条理なさだめが、淡々と、乾いたリアルな描写力で見事にすくい取られている。

 宮沢賢治のこういう生の隈取りの仕方には、いかにも農耕社会的な、自然=存在への穏和で親和的な感受性と、あらゆる吉凶禍福を天災や神々の恵みのように受け流してゆこうとするアジア的な無常観や、因果の連鎖の網の目によって一切の生を宿命として俯瞰しようとする仏教的な諦観が透かし視える。

 賢治童話のアニミズム性は、先に論じた「種山ヶ原」のように、一面では荒々しい野性的な闇の息づかいを伝えるが、他面では、わが国の近世以来の成熟した穏やかな農耕社会特有の、植物的で繊細な優しさを感じさせるものとなっている。

 賢治が、しばしば食物連鎖的な視点に己れの存在への異和、不条理感を象徴させようとしたのも、こういう農耕社会的な風土性の伝統のなせるわざであったといってよい。

 この穏和で親和的なアニミズム性は、一面では小十郎の獰猛な野性を後景に追いやり、作品から闊達な生命力を奪い去るという陰鬱な負の役割を果たしているが、その代わりに、たとえようもなく優しい生命の交感の物語を紡ぎ出してみせる。

 この作品の要(かなめ)ともいえる、早春の宵の月明かりの下での母子熊のくつろいだ姿態とそれをこっそり見つめる小十郎の心持ちを描いた名場面を引用してみよう。

 

「どうしても雪だよ、おっかさん谷のこっち側だけ白くなってゐるんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん。」

 すると母親の熊はまだしげしげ見つめてゐたがやっと云った。

「雪でないよ、あすこへだけ降る筈(はず)がないんだもの。」

 子熊はまた云った。

「だから溶けないで残ったのでせう。」

「いゝえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです。」

 小十郎もじっとそっちを見た。

 月の光が青じろく山の斜面を滑ってゐた。そこが丁度銀の鎧(よろひ)のやうに光ってゐるのだった。しばらくたって子熊が云った。

「雪でなけぁ霜だねえ。きっとさうだ。」

 ほんたうに今夜は霜が降るぞ、お月さまの近くで胃(コキヱ)もあんなに青くふるへてゐるし第一お月さまのいろだってまるで氷のやうだ、小十郎がひとりで思った。

「おかあさまはわかったよ、あれねえ、ひきざくらの花。」

「なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ。」

「いゝえ、お前まだ見たことありません。」

「知ってるよ、僕この前とって来たもの。」

「いゝえ、あれひきざくらでありません、お前とって来たのきさゝげの花でせう。」

「さうだらうか。」子熊はとぼけたやうに答へました。小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向ふの谷の白い雪のやうな花と余念なく月光を浴びて立ってゐる母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないやうにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思ひながらそろそろと小十郎は後退りした。くろもじの木の匂(にほひ)が月のあかりといっしょにすうっとさした。

 

 擬人化の手法が導入されているため、多少人間臭いさかしらな養育の匂いがしないでもないが、それを差し引いても、十分におごそかで、かつ何ともいえぬ優しい心ばえを感じさせる印象深いシーンである。

 ここで、小十郎は母子の熊と完全に同じ風景を共有し、しばし己れの心身を熊たちのまなざしの場所に転位させることができている。

 それは、小十郎や熊の孤立した意識野を超えて、どこか、存在そのものの本源的なまなざしを触知させる。

 淡い月光に照らされた青白い山の斜面に銀色に光る、雪のような花の風情は、母子熊の心象風景であると共に小十郎の風景でもあり、さらには、熊も小十郎も超えて拡がる、存在そのものの神秘なめぐり会いの紡ぎ出した一幅の浄福の風景にほかならない。

「銀の鎧(よろひ)」のような花の輝きも、霜を予感させる冴えざえとした氷のような月の表情も、視覚神経の生み出した単なる偶然的な物理的映像でもなければ、熊や小十郎の勝手な主観の産物でもない。

 熊たちと小十郎とそれを取り囲む森羅万象の不思議な縁(えにし)による出会いの場が生み出した、生命的なコスモスとしての風景なのだ。

 同様に、月光を浴びながらうっとりと花を見つめる母子熊の姿を優しく包み込む小十郎のまなざしもまた、彼自身のものでありながら彼自身を超えた、大いなる存在の神秘の顕われにほかならない。

 この浄福の光景の中で、小十郎の魂は、存在を存在たらしめている本源にまで錘鉛を降ろすと共に、その位相を通じて母子熊の魂に重なり合うことができている。

 ここに、小十郎と熊たちの間に形成された眼に視えない絆の深さの秘密が暗示されているといっていい。

 この作品では、主人公と熊たちは、獲る者と獲られる者という血なまぐさい敵対関係の宿命に置かれているにもかかわらず、決して憎み合ってはおらず、むしろ、互いの苦しみを我が事のように感じ取り、深い慈しみの心を抱き合っている。

 それは、彼らが、地上的で可視的な敵対関係の図柄を超えて、存在そのものを成り立たしめているメタフィジカルで本源的な魂の場においてめぐり会えているからである。

 だからこそ、小十郎に命を助けられた熊は、彼との約束を守って、ちょうど二年後のある日、小十郎の家の前で血を吐いて倒れ、自らの死体を供するのであり、小十郎もまた、その熊の心根を全身で感受し、思わず拝まずにはいられないのである。そしてまた、熊に襲われて突き殺される瞬間に、小十郎が、長年の業苦から解放された安堵の吐息をもらすように熊たちへの許しを乞い、その小十郎の死骸を取り囲んだ熊たちが、星辰輝く真冬の山上にひれ伏しながら深々と鎮魂の祈りを捧げ続けるという、あの濃密な畏怖感をたたえた偉大なラストシーンが可能となるのである。

 

 とにかくそれから三日目の晩だった。まるで氷の玉のやうな月がそらにかかってゐた。雪は青白く明るく水は燐光(りんくわう)をあげた。すばるや参(しん)の星が緑や橙(だいだい)にちらちらして呼吸をするやうに見えた。

 その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環(わ)になって集って各々黒い影を置き回々(フイフイ)教徒の祈るときのやうにじっと雪にひれふしたまゝいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸が半分座ったやうになって置かれてゐた。

 思ひなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのやうに冴(さ)え冴(ざ)えして何か笑ってゐるやうにさへ見えたのだ。ほんたうにそれらの大きな黒いものは参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したやうにうごかなかった。

 

 生きる場所の違いから生ずる宿命的な反目と孤絶の業苦をくぐり抜ける中で自ずと育まれた沈黙の絆のかたちが、けだかい魂をもった無名の生活者の大往生の姿を通して美事に祀(まつ)り上げられている。

 

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 熊たちと小十郎の偉大な交わりとは対照的に、この作品では、俗世間の人間たちと主人公の関わりは、まことに貧寒で卑小なありさまを呈している。

 血塗られた悲痛な代償を支払ってようやくの思いで手にした熊の胆と毛皮を、町の荒物屋の主人は、生活苦に苛まれる小十郎の足元を見すかして、平然と二束三文の値で買いたたいてしまう。九十になる老母と孫の子供たちを抱える小十郎は、鈍感で薄汚い、ちっぽけな商人に、毎回、いいようにあしらわれる。

 ここには、いうまでもなく、宮沢賢治の根深い人間への嫌悪、とりわけ、己れの卑俗な器に合わせて相手の境遇と心事を小賢しく推し量ろうとする小人ぶりや計算高さに対する冷笑と毒念が込められている。

 

「いくら物価の安いときだって熊の毛皮二枚で二円はあんまり安いと誰(たれ)でも思ふ。実に安いしあんまり安いことは小十郎でも知ってゐる。けれどもどうして小十郎はそんな町の荒物屋なんかへでなしにほかの人へどしどし売れないか。それはなぜか大ていの人にはわからない。けれども日本では狐(きつね)けんといふものもあって狐は猟師に負け猟師は旦那に負けるときまってゐる。こゝでは熊は小十郎にやられ小十郎が旦那にやられる。旦那は町のみんなの中にゐるからなかなか熊に食はれない。けれどもこんないやなずるいやつらは世界がだんだん進歩するとひとりで消えてなくなって行く。僕はしばらくの間でもあんな立派な小十郎が二度とつらも見たくないやうないやなやつにうまくやられることを書いたのが実にしゃくにさはってたまらない」

 

 思わずほほ笑みたくなるような文章だが、生きる場所の違いがもたらすどうしようもない悲喜劇性の本質が的確に押さえられている。同じ人間という生き物でも、生きる場所の差異によって、その視えている風景は天と地ほども違うのだ。

 作者にとって、己れの小賢しい計算高さを誇り、地上を這いずり回りながら他人を出し抜こうと必死にもがく小人たちは、しょせん触れ合うところのない疎遠な異類にすぎなかった。

 人間ならざる熊という猛々しい誇りたかい生き物と孤独で純潔な魂をもつ人間の偉大な交流を描くことは、作者にとってきわめて自然な象徴的設定だった。

 小十郎は、悲痛な熊殺しの宿命や生活苦の足枷から逃れられないばかりでなく、ちっぽけな世間の小人たちの理不尽な収奪からも逃れられない。

 しかし、その酷薄な不条理性の連鎖にもかかわらず、彼の生涯の軌跡は、少しも、惨めったらしい、物欲しげな哀れさというものを感じさせない。

 まさに、花も実もある、堂々たる生涯の完結感が伝わってくる。

 それは、この作品が、地上的な煉獄の内にありながらそれを突き抜けるようなメタフィジカルな交わりのかたちを、コスミックな身体的拡がりをもって美事に具象化してみせているからである。

「二十六夜」で描かれた、あの陰湿で不条理な因果応報のまなざしと取って付けたようなヴァーチャルで空虚な彼岸的救済の図式を想い浮かべるとき、私は、「なめとこ山の熊」とのあまりの違いに深い感慨をおぼえざるを得ない。

 宮沢賢治は、おそらく生涯をかけた長い修練の果てにこの作品の境地に辿り着いたのだ。

 孤絶感の裏返しともいうべきナルシシズム的なエロスへの渇きという作者の資質は、この「なめとこ山の熊」に至って、一切の不条理を内在的に超越せんとする強靱な思想性を獲得し得ているといっていい。(この稿続く)

 

 

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