宮沢賢治童話考(連載第10回) 川喜田八潮

  • 2016.11.23 Wednesday
  • 19:13

 

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「三人兄弟の医者と北守将軍」の韻文形において、作者は、北守将軍と兵士たちによって象徴される無名の生活者たちの哀切な生涯のイメージを、詩的なリズムを通して、「うたう」という行為の中に包摂してみせている。

 そのことは、一面において、個的な生の不条理性を自然意識の内に解消することで、ある種のカタルシスをもたらすというメリットを生んでいるが、他面では、物語の時空を、生活者の〈生身〉の匂いを大幅に希釈したヴァーチャルな観照者的風景へと変質させてしまっている。

 ところが、「後期散文形」の完成形態である「北守将軍と三人兄弟の医者」(最終発表形)では、最初の将軍の歌の場面は次のように描写される。

 

「番兵たちや、あらゆる町の人たちが、まるでどきどきやりながら、矢を射る孔(あな)からのぞいて見た。壁の外から北の方、まるで雲霞(うんか)の軍勢だ。ひらひらひかる三角旗(ばた)や、ほこがさながら林のやうだ。ことになんとも奇体なことは、兵隊たちが、みな灰いろでぼさぼさして、なんだかけむりのやうなのだ。するどい眼をして、ひげが二いろまつ白な、せなかのまがった大将が、尻尾(しつぽ)が箒(はうき)のかたちになつて、うしろにぴんとのびてゐる白馬(はくば)に乗つて先頭に立ち、大きな剣を空にあげ、声高々と歌つてゐる。/『北守将軍ソンバーユーは/いま塞外(さいぐわい)の砂漠から/やつとのことで戻つてきた。/勇ましい凱旋(がいせん)だと云ひたいが/実はすつかり参つて来たのだ/とにかくあすこは寒い処(ところ)さ。/三十年といふ黄いろなむかし/おれは十万の軍勢をひきゐ/この門をくぐつて威張つて行つた。/それからどうだもう見るものは空ばかり/風は乾いて砂を吹き/雁(かり)さへ干せてたびたび落ちた/おれはその間馬でかけ通し/馬がつかれてたびたびペタンと座り/涙をためてはじつと遠くの砂を見た。/その度ごとにおれは鎧(よろひ)のかくしから/塩をすこうし取り出して/馬に嘗(な)めさせては元気をつけた。/その馬も今では三十五歳/五里かけるにも四時間かゝる/それからおれはもう七十だ。/とても帰れまいと思つてゐたが/ありがたや敵が残らず脚気(かくけ)で死んだ/今年の夏はへんに湿気が多かったでな。/それに脚気の原因が/あんまりこつちを追ひかけて/砂を走つたためなんだ/さうしてみればどうだやつぱり凱旋だらう。/殊にも一つほめられていいことは/十万人もでかけたものが九万人まで戻つて来た。/死(しん)だやつらは気の毒だが/三十年の間には/たとへいくさに行かなくたつて/一割ぐらゐは死ぬんぢやないか。/そこでラユーのむかしのともよ/またこどもらよきやうだいよ/北守将軍ソンバーユーと/その軍勢が帰つたのだ/門をあけてもいゝではないか。』/さあ城壁のこつちでは、湧(わ)きたつやうな騒動だ。うれしまぎれに泣くものや、両手をあげて走るもの、じぶんで門をあけようとして、番兵たちに叱(しか)られるもの、もちろん王のお宮へは使が急いで走つて行き、城門の扉(と)はぴしやんと開(あ)いた。おもての方の兵隊たちも、もううれしくて、馬にすがつて泣いてゐる。」

 

 一見してすぐわかるように、こちらの方が「韻文形」よりリアルな臨場感が漂っている。

 将軍の歌の中身も、たとえば、「塞外のくらい谷」から「塞外の砂漠」に、「百万」とあった軍勢が「十万」に、「一日も太陽を見ない」から「もう見るものは空ばかり」に、「上等の朝鮮人蔘」が「塩」に、といったふうに、韻文形の方より誇張も少なく、軍隊が嘗め尽くした辛酸のイメージが、より自然にデリケートに伝わってくる。

 この文章に続く、将軍と兵たちの町への入場のシーンも、微妙に変容している。

 

「顔から肩から灰いろの、北守将軍ソンバーユーは、わざとくしやくしや顔をしかめ、しづかに馬のたづなをとつて、まつすぐを向いて先登に立ち、それからラツパや太鼓の類、三角ばたのついた槍(やり)、まつ青に錆(さ)びた銅のほこ、それから白い矢をしよつた、兵隊たちが入つてくる。馬は太鼓に歩調を合せ、殊にもさきのソン将軍の白馬(しろうま)は、歩くたんびに膝(ひざ)がぎちぎち音がして、ちやうどひやうしをとるやうだ。兵隊たちは軍歌をうたふ。/『みそかの晩とついたちは/砂漠に黒い月が立つ。/西と南の風の夜は/月は冬でもまつ赤だよ。/雁(がん)が高みを飛ぶときは/敵が遠くへ遁(に)げるのだ。/追はうと馬にまたがれば/にはかに雪がどしやぶりだ。』/兵隊たちは進んで行つた。九万の兵といふものはたゞ見ただけでもぐつたりする。/『雪の降る日はひるまでも/そらはいちめんまつくらで/わづかに雁の行くみちが/ぼんやり白く見えるのだ。/砂がこごえて飛んできて/枯れたよもぎをひつこぬく。/抜けたよもぎは次次と/都の方へ飛んで行く。』/みんなは、みちの両側に、垣(かき)をきづいて、ぞろつとならび、泪(なみだ)を流してこれを見た。」

 

 将軍と兵士たちの満身創痍のくたびれ切った表情が、抑制されたかたちではあるが、やはり、韻文形よりもはるかに哀切に、リアルに立ち昇ってくる。

 「後期散文形」では、この生活者的な〈生身〉の匂いが前提となることで、以後の将軍と馬の〈治癒〉の過程が、「韻文形」では表現できないほどの、深い身体的なカタルシスのイメージを喚起する形で、巧みに描出されるのである。

 将軍と馬は、まず人間相手の医師に診てもらうことになるが、兵たちを待たせた上で大慌てで治療を済ませようとする将軍は、馬に乗ったまま病院に乗り込み、順番を待つように言う医師の弟子の言葉にも耳をかさず、居丈高な態度で、大勢の患者をとばして自分を診るように迫る。

 しかし、医師は彼の方を見向きもせず、順番に患者の治療に専念しているので、腹を立てた将軍は、診ないなら蹴散らすぞとムチを振り上げ、馬が跳ね上がって病人たちがうろたえる。

「韻文形」では、その後の描写はこうなっている。

 

「ところがホトランカン先生は/まるでびくともしてゐない、/こっちを見ようともしない、/助手も全くその通り/馬のくつわをにぎったまゝ/左手で白いはんけちを/チョッキのポケットから出して/馬の鼻さきをちょっとこする。/すると何か大へんな/薬がしかけてあったらしく/馬が大きくふうふうと/夢のやうな息をしたと思ふと/俄(には)かにぺたんと脚を折り/今度はごうごういびきをかいて/よだれも垂らして寝てしまふ。/将軍はすっかりあわて/『あ、馬のやつ、又参った/困った 困った、』と云ひながら/急いで鎧(よろひ)のかくしから/一本の朝鮮人蔘(てうせんにんじん)を出し/からだを曲げて馬の上に/持って行ったが馬はもう/人蔘どこぢゃないやうだ。/『おい、起きんかい。/あんまり情けないやつだ。/あんなにひどく難儀をして/やっと都に帰って来ると/すぐ気がゆるんで死ぬなんて/あんまり情けないやつだ。/おい、起きんかい、起きんかい。/しっ、ふう、どう、おい、/貴さまの大好きの朝鮮人蔘を/ほんの一口たべんかい。おい。』/将軍は倒れた馬のせなかで/ひとりぼろぼろ泪(なみだ)を流し/たうとうしくりあげて言ふ。/『医者さん、どうぞたのみます。/はやくこの馬を診(み)て下さい。/わたしも北の国境で/三十年といふものは/ずゐぶん兵隊や人民の/衛生や外科にはつくしました。』/助手はだまって笑ってゐたが/ホトランカン先生は/この時俄(には)かにこっちを向いて/まるで将軍の胸の奥や/馬の臓腑(ざうふ)も見徹(みとほ)すやうな/するどい眼をしてしづかに云った。/『その馬の今倒れたのは/けして病気ではありません。/しかしあなたの北の方での/医学に対する貢献に/敬意を払って私は/急病人だけ三人診(み)たら、/すぐにあなたをなほしませう。/おい、その馬を起してあげろ。』/助手は軽くはいと答へ/馬の耳に口をあてて/ふっと一っつ息を吹く。/馬はがばっとはね起きて/将軍も俄かにせいが高くなる。」

 

 この部分は、「後期散文形」の完成形態である最終発表形(以下「最終発表形」と略記)ともほぼ一致しており、文体的にも、さほど遜色はない。

 ただし、「最終発表形」では、馬を眠らせた助手は女の子で、花瓶にさした花を一枝とって水につけ、やさしく馬につきつけると、「馬はぱくつとそれを噛み、大きな息を一つして、ぺたんと四(よつ)つ脚を折り、今度はごうごういびきをかいて、首を落してねむつてしまふ」のである。

「朝鮮人蔘」は、もちろん「塩」に改められている。

「韻文形」との一番の相違点は、馬が眠ってしまって、おろおろとうろたえたソンバーユー将軍が「おい、きみ、わしはとにかくに、馬だけどうかみてくれたまへ。こいつは北の国境で、三十年もはたらいたのだ。」と哀願すると、医師のリンパー先生が「いきなりこっちを振り向いて、まるで将軍の胸底から、馬の頭も見徹(みとほ)すやうな、するどい眼をしてしづかに云つた。」というふうに、ただちに続いていく点で、「韻文形」のように、「兵隊や人民の衛生や外科」につくしたとか、将軍の北方での「医学に対する貢献」に敬意を払って、とかいったような言葉が一切見られないことである。

  この点も、明らかに「後期散文形」の方が優れている。

  観念的なところがなく、医師は、明らかに、将軍の「愛馬への思いやり」という、〈生身〉の温かさに着目し、その真情にうたれて、彼の治療を優先してやるのである。

 

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 長年月にわたる苛酷な軍隊生活の中で疲労困憊(こんぱい)し、精神にやや異常をきたしている将軍は、初歩的な算術もままならない。医師はさっそく治療にとりかかる。

「韻文形」では、こうなっている。

 

「『こゝへ頭をお出しなさい。』/プランペラポラン将軍は/馬の上から下にしゃがみ/頭を槽の上に出す。/『エーテル、それから噴霧器。』/すぐ両方がやって来る。/ホトランカン先生は/それをきっきと手で押して/将軍のしらが頭の上に/はげしく霧を注ぎかける。/プランペラポラン将軍の/鼻から雫(しづく)がぽとぽと落ちて/ガラスの槽(をけ)にたまって行く。/それははじめは黒かった。/それからだんだんうすくなり/たうとうすっかり無色になった。/『清洗やめっ。』/ホトランカン先生が/噴霧器をかたかたやるのをやめ/号令するとすぐ助手が/タオルで頭や顔を拭(ふ)く。/将軍はぶるっと身ぶるひして/馬にきちんと起きあがる。/『どうです、せいせいしたでせう。/そこで百と百とをたすと/答はいくらになりますか。』/『もちろんそれは二百だらう。』/将軍はさっきのことなどは/忘れたふうでけろりと云ふ。/『そんなら二百と二百では』/『それはもちろん四百だらう。』/『そんなら四百と四百では』/『もちろんそれは八百だ。』/『よろしい、すっかりなほりました。』」

 

 これに対して、「最終発表形」では、治療過程は次のように描写される。

 

「パー先生は両手をふつて、弟子にしたくを云ひ付けた。弟子は大きな銅鉢(どうばち)に、何かの薬をいつぱい盛つて、布巾(ふきん)を添へて持つて来た。ソン将軍は両手を出して鉢をきちんと受けとつた。パー先生は片袖(かたそで)まくり、布巾に薬をいつぱいひたし、かぶとの上からざぶざぶかけて、両手でそれをゆすぶると、兜(かぶと)はすぐにすぱりととれた。弟子がも一人、もひとつ別の銅鉢へ、別の薬をもつてきた。そこでリンパー先生は、別の薬でじやぶじやぶ洗ふ。雫(しづく)はまるでまつ黒だ。ソン将軍は心配さうに、うつむいたまゝ訊(き)いてゐる。/『どうかね、馬は大丈夫かね。』/『もうぢきです。』とパー先生は、つゞけてじやぶじやぶ洗つてゐる。雫がだんだん茶いろになつて、それからうすい黄いろになつた。それからたうとうもう色もなく、ソン将軍の白髪は、熊(くま)より白く輝いた。そこでリンパー先生は、布巾を捨てて両手を洗ひ、弟子は頭と顔を拭(ふ)く。将軍はぶるつと身ぶるひして、馬にきちんと起きあがる。」

 

 この後の「足し算」の場面は、さして変わらないので割愛した。

「韻文形」と比べてみるとよくわかるが、「最終発表形」では、医師は「噴霧器」という機械に頼らず、自らの手で、薬にひたした布巾(ふきん)を使って将軍の頭をじゃぶじゃぶと洗ってやるのである。

 こびり付いた垢を拭(ぬぐ)い落とすかのような、この丹念な手作業の感覚が大切なのだが、その洗髪の過程で、最初は「まっ黒」だった「雫(しずく)」が、段々と「茶いろ」から「うすい黄いろ」に変わり、最後にようやく無色になって、老将軍の白髪が「熊より白く」輝くまでになる、という描写は、単なる身体的な変貌を意味するだけではなく、その変貌が、同時に、将軍の長年の精神的な疲労・変調の〈治癒〉の表現ともなっていることを示している。

 「韻文形」の機械的で淡白な描写とは対照的に、「最終発表形」を含む「後期散文形」における、生身の身体イメージを喚起する丁寧な治療描写は、生活者の無意識の傷や累積された疲労感に対する、美事な修復の〈喩〉となり得ているのである。

 逆に、「韻文形」では、治療過程を淡々とした軽快な詩的リズムの中に包摂することで、傍観者的に突き放した、ヴァーチャルでユーモラスな風景を紡ぎ出してみせている。

 それはそれで、「後期散文形」にはない、独特の暖かい笑いの世界を現出させてくれる。

 頭のすっきりした老将軍は、医師に、自分と馬をなんとか引き離してほしいと頼むが、医師は、あなたの足をあなたの服と引き離すのは私にもできるし、もう離れているはずだが、ズボンが鞍に付き、鞍がまた馬に付いたのを離すというのは、私の手に余るので、隣に住む馬医の私の弟の病院に行ってもらいたいと言う。それなら、自分の顔から生えたこの植物は取れないだろうかと尋ねると、それも私の手には余るので、隣の隣に住む植物医の末弟の病院に行って下さいと言われる。

 あとは、馬病院と植物病院での治療の描写が続くわけだが、そこでも、前述のシーンと同様、「韻文形」と「最終発表形」の間には、重要な相違がみとめられる。

 馬病院での「韻文形」の描写は、こうなっている。

 

「助手がすぐエーテルの瓶(びん)を持って来る。/サラバアユウ先生は/手ばやくそれを受けとって/将軍の足にがぶがぶそゝぐ。/するとにはかに将軍の/ずぼんは鞍(くら)とはなれたので/将軍はひどくはづみを喰って/どたりと馬から落とされた。/けれどもそれは待ってゐた/助手がすばやく受けとめて/きちんと床の上におろす。/サラバアユウ先生は/そんなことには頓着(とんちやく)なく/今度は馬のせなかから/じわじわ鞍を引きはなす。/間もなく鞍はすぽっととれ/馬は見当がつかないらしく/四五へんせ中をゆすぶった。/『えゝ、お馬の方は/少しリウマチスなやうですから/たゞ今直してあげませう。/おい。電気。』/助手がもうその支度をして/紐(ひも)のついた電気の盤を/ちゃんと捧(ささ)げて待ってゐた。/サラバアユウ先生は受けとって/軽くスヰッチをひねり/馬のもゝに押しつけた。/馬はこはがってばたばたしたが/プランペラポラン将軍が/じっとその眼をみつめたので/安心して暴れ出さなかった。/『もういゝだらう。歩いてごらん。』/馬はおとなしく歩き出す。」

 

「後期散文形」でも、途中まではこれと大同小異なのだが、大幅な改稿が施された結果、「最終発表形」では、次のように似ても似つかない描写に落ち着いている。

 ここでは、馬医の名は「リンプー先生」である。

 

「『ははあ、たゞいま手術いたします。あなたは馬の上に居て、すこし煙いかしれません。それをご承知くださいますか。』/『煙い? なんのどうして煙(けむ)ぐらゐ、砂漠で風の吹くときは、一分間に四十五以上、馬を跳躍させるんぢや。それを三つも、やすんだら、もう頭まで埋まるんぢや。』/『ははあ、それではやりませう。おい、フーシユ。』プー先生は弟子を呼ぶ。弟子はおじぎを一つして、小さな壺(つぼ)をもつて来た。プー先生は蓋(ふた)をとり、何か茶いろな薬を出して、馬の眼(まなこ)に塗りつけた。それから『フーシユ』とまた呼んだ。弟子はおじぎを一つして、となりの室(へや)へ入つて行つて、しばらくごとごとしてゐたが、まもなく赤い小さな餅(もち)を、皿にのつけて帰つて来た。先生はそれをつまみあげ、しばらく指ではさんだり、匂(にほひ)をかいだりしてゐたが、何か決心したらしく、馬にぱくりと喰べさせた。ソン将軍は、その白馬(しろうま)の上に居て、待ちくたびれてあくびをした。すると俄(には)かに白馬は、がたがたがたがたふるへ出しそれからからだ一面に、あせとけむりを噴き出した。プー先生はこはさうに、遠くへ行つてながめてゐる。がたがたがたがた鳴りながら、馬はけむりをつゞけて噴いた。そのまた煙が無暗(むやみ)に辛(から)い。ソン将軍も、はじめは我慢してゐたが、たうとう両手を眼にあてて、ごほんごほんとせきをした。そのうちだんだんけむりは消えてこんどは、汗が滝よりひどくながれだす。プー先生は近くへよつて、両手をちよつと鞍(くら)にあて、二つつばかりゆすぶつた。/たちまち鞍はすぱりとはなれ、はずみを食つた将軍は、床にすとんと落された。ところがさすが将軍だ。いつかきちんと立つてゐる。おまけに鞍と将軍も、もうすつかりとはなれてゐて、将軍はまがつた両足を、両手でぱしやぱしや叩(たた)いたし、馬は俄かに荷がなくなつて、さも見当がつかないらしく、せなかをゆらゆらゆすぶつた。するとバーユー将軍はこんどは馬のはうきのやうなしつぽを持つて、いきなりぐつと引つ張つた。すると何やらまつ白な、尾の形した塊が、ごとりと床にころがり落ちた。馬はいかにも軽さうに、いまは全く毛だけになつたしつぽを、ふさふさ振つてゐる。弟子が三人集つて、馬のからだをすつかりふいた。/『もういゝだらう。歩いてごらん。』/馬はしづかに歩きだす。あんなにぎちぎち軋(きし)んだ膝(ひざ)がいまではすつかり鳴らなくなつた。」

 

 校本全集による改稿の異同を見ると、最後の方にある「するとバーユー将軍はこんどは馬のはうきのやうなしつぽを持つて、いきなりぐつと引つ張つた。」という文章の「バーユー将軍」は、「リンプー先生」の誤りであると考えられる。

 内容的には、コメントの必要はなかろう。「韻文形」の淡白さに比べて、「最終発表形」における〈生身〉の身体イメージの喚起力は鮮烈というほかはない。

 全身から一斉に毒素が噴き出すような、凄まじい「けむり」と「汗」の描写に加えて、「尾の形をした塊」が「ごとりと床にころがり落ち」るというメタファーは、将軍と苦楽を共にし風雪を乗り越えてきた、この愛馬の疲労感の、たとえようもない深さを伝えて余りあるといっていい。

 それはそのまま、兵士たちや将軍自身の疲労感とも重なっているのだ。

 それだけに、このシーンは、「韻文形」では逆立ちしても表現できないような、無類の治癒のイメージを実現しえている。

 植物病院でも、同様である。

「韻文形」では、将軍の顔に生えた「さるをがせ」を、医師がアルコールでしめして剃刀(かみそり)でそるだけだが、「最終発表形」では、次のようになる。

 

「ポー先生は黄いろな粉を、薬函から取り出して、ソン将軍の顔から肩へ、もういつぱいにふりかけて、それから例のうちはをもつて、ばたばたばたばた扇(あふ)ぎ出す。するとたちまち、将軍の、顔ぢゆうの毛はまつ赤に変り、みんなふはふは飛び出して、見てゐるうちに将軍は、すつかり顔がつるつるなつた。じつにこのとき将軍は、三十年ぶりにつこりした。」

 

 先の馬の治療シーンと比べるとあっさりしているが、やはり、蓄積された毒素が体から一斉に噴き出してくるような感触が描かれている。

 以上のように、「後期散文形」、とりわけ「最終発表形」では、「韻文形」に収斂していく「初期草稿」とは違って、生活者的な〈生身〉の匂いが濃厚に立ち込めており、表出の中心は、明らかに、治療過程の描写によって象徴される生活の疲労や傷の〈治癒〉のイメージに置かれているといってよい。

 

     23

 

 これに対して「韻文形」は、〈生身〉の匂いを大幅に希釈した、懐かしい幻灯のようなヴァーチャルな観照者的風景を紡ぎ出すことで、「後期散文形」には見られない、独特のユーモラスな温かさを現出させている。

 特に「サラバアユウ馬病院」や「ペンクラアネイ植物病院」の描写では、後期散文形で排除されている擬人法を取り入れ、なんともひょうきんな童話的空間を演出してみせている。

 たとえば、「最終発表形」では、馬病院の冒頭の描写は「ソン将軍が、お医者の弟子と、けしの畑をふみつけて向ふの方へ歩いて行くと、もうあつちからもこつちからも、ぶるるるふうといふやうな、馬の仲間の声がする。そして二人が正面の、巨(おほ)きな棟(むね)にはひつて行くと、もう四方から馬どもが、二十疋(ぴき)もかけて来て、蹄(ひづめ)をことこと鳴らしたり、頭をぶらぶらしたりして、将軍の馬に挨拶(あいさつ)する。」となっているが、「韻文形」の方では「馬に乗ったプランペラポラン将軍と/青くなったホトランカン氏の助手とは/サラバアユウ馬病院の/けしの花壇をよこぎって/診察室の方へ行く。/もうあっちからもこっちからも/エヘンエヘンブルルル/エヒンエヒン フウといふ/馬の挨拶(あいさつ)が聞えて来る。/診察室のセメントの/床に二人が立ったとき/もう三方から馬どもが/三十疋(ぴき)も飛んで来て/将軍の馬に挨拶する。」と語られている。

「最終発表形」では、そのあとただちに、馬にけられないために「巨きな鉄の胸甲(むなあて)を、がつしりはめてゐる」リンプー先生に、将軍の馬が治療を受けることになるのだが、「韻文形」では、「千疋も集まつてゐる」馬の中を、将軍が「とっとと自分の馬を進め」サラバアユウ先生の前に行く。その時、バアユウ先生は、ちょうど一匹の「首巻」をした「肺癆(はいらう)の年老(としよ)り馬」を診察しており、以下に、その馬とのユーモラスでもの哀しい会話のシーンが続くのである。

「最終発表形」のリアルな手堅さとの違いは、印象的である。

 植物病院の冒頭の描写も、「最終発表形」では「さてもリンポー先生の、草木を治すその室(へや)は、林のやうなものだつた。あらゆる種類の木や花が、そこらいつぱいならべてあつて、どれにもみんな金だの銀の、巨(おほ)きな札がついてゐる。」とあるが、「韻文形」では「ペンクラアネイ先生の/診察室なんといふものは/林のやうなものだった。/あらゆる種類の木や草が/もじゃもじゃ一杯集って、/泣いたり笑ったりやってゐる。」というふうに、ただちに擬人法が使われている。

 前者では、冒頭の描写の後、ただちに、将軍はリンポー先生の治療を受けるのだが、後者では、「眼を光らせて」将軍たちを「通し又見送る」木々の間を抜けてペンクラアネイ先生の前におもむくのである。先生の前には、病気のために「いぢけた」桃の木が一本立っていて、以下に、この木と医師との、これまた哀れでユーモラスな会話が続いている。(「韻文形」では、この会話シーンの原稿数枚が欠落しているが、異稿によって、内容は部分的に復元・推定できる。)

 このような「韻文形」における擬人法の使用とあいまった馬病院や植物病院の独特のふんいきは、先に論じた「楢ノ木大学士の野宿」によく似ている。

 すなわち、作者の人間への根深い嫌悪と孤独感の深さ、それの裏返しとしての自然科学へのオタク的なのめり込みと、人間的なるものへの渇きを自然の擬人化によって代償せんとする幼児性。

「韻文形」におけるサラバアユウ医師やペンクラアネイ医師の造型には、このような「楢ノ木大学士」のキャラクターと同質の匂いが感じられるのである。

 人間を相手とするホトランカン医師や一徹者の老将軍も含めて、この作品では、それぞれに異なった専門領域をもつ人物たちの温かい交わりの物語を通して、ひとつの自己充足的で牧歌的な〈自然分業〉の世界が紡ぎ出されているといっていい。

 三人兄弟の医者も老将軍も、各々の専門領域をひとつの宇宙(コスモス)のように棲み分けているが、それぞれの領域で、まことに温かく、人間味がある。

 苦労人であり、それぞれの世界で日々接触している人や動物や植物に対して深い愛情と共感の能力をもっている。

 それでいて、彼らは、どこか非現世的な、幼児的な純粋さの匂いを漂わせており、はればれとしていながらも孤独な風貌を感じさせる。

 ここでは、「毒もみのすきな署長さん」で表現されたような、オタク的な生きざまのはらむ〈負〉の側面は影をひそめ、あるべき幸福な専門性のかたちのみが強調されている。

「韻文形」は、極度に誇張され単純化されたユーモラスな童話的設定と擬人化の手法に加えて、擬音語の音数律と一体化した、独特の哀愁の漂う詩形式を活かすことで、このオタク的な〈自然分業〉の世界に、なんともいえぬヴァーチャルな牧歌性の匂いを与えることに成功しているのである。(この稿続く)

 

 

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