闇の喪失―ある戦後世代の追憶―(連載第2回) 川喜田八潮

  • 2016.03.20 Sunday
  • 16:43
 
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 一九五〇年代の日本人の生存感覚に息づいていた闇の気配は、六〇年代の初頭までは、たしかにその生命力を保っていた。
 一九六〇年から六一年にかけてテレビ放映され大ヒットした子ども向け冒険活劇ドラマ『快傑ハリマオ』は、そのような生命感覚の最後の輝きを象徴する印象的な作品であった。
 東南アジアを舞台に、帝国主義列強の植民地支配に苦しむ原住民を助けて、解放と独立のために戦う謎のゲリラ隊のリーダー「ハリマオ」(実際は、消息を断った、日本海軍の特務機関の将校「大友中尉」)の活躍を描いたものだが、近代科学兵器による大量殺戮に明け暮れた大東亜戦争の実態とは似ても似つかない、拳銃と生身の肉体のみのアクションによって構成された、素朴な勧善懲悪ものとなっている。
 しかし、この少年向けドラマには、戦時中の多くの日本人が熱烈な想いを寄せていた大東亜共栄圏の理想、すなわち、倫理と友愛をふみにじり、暴利をむさぼらんとする欧米物質文明の世界支配を打倒し、日本を盟主とする東アジア諸民族の独立と道義的連帯を実現せんとする、「桃太郎説話」の如き幼児退行的幻想が、戦後ヒューマニズムのフィルターをくぐり抜けた上で、屈折した形で鮮やかに再現されている。
 ハリマオが原住民の解放のためにたたかうのは、決して日本の国策に奉仕するためではなく、あくまで原住民自身の生活のためであり、そこに戦後民主主義的理念の(まだ観念的な形骸へと堕していない時代の)ういういしいパトスの投影が感じられるのだが、同時にそれは、マレー語で「虎」を意味するハリマオという、原住民の伝承と結びついた天上的な正義と友愛の使者としての〈貴種〉による説話的な救済の物語でもあって、そこに、戦前から五〇年代まで脈々と継受されてきた土俗的な共同性の体液がにじみ出ているのである。
 戦中派である私の父もこのドラマを懐かしさをこめて熱心に見ていたし、私より上の「団塊の世代」の人たちは、私たちの世代以上に、この作品から鮮烈な美意識を注ぎ込まれたはずである。
 特に、主題歌はすばらしいもので、今でも私は、繰り返し口ずさんでいる。
 
《まっかな太陽 燃えている/果てない南の 大空に/とどろきわたる 雄叫び(おたけび)は/正しい者に 味方する/ハリマオ ハリマオ/ぼくらのハリマオ》《空のはてに 十字星/きらめく星の そのように/七つの海を かけめぐり/正義に結ぶ この勝利/ハリマオ ハリマオ/ぼくらのハリマオ》(作詞・加藤省吾、作曲・小川寛興)
 
 三橋美智也の張りのある声で歌われる、雄壮で気宇広大な高揚感に満ちたこの主題歌に沿って、サングラスをかけ日焼けした勝木敏之演ずるハリマオが、首の長いスラッとした筋肉質の雄姿でターバンを風になびかせながら、さっそうと馬に乗って駆け抜けると、なんともいえぬ胸の高なりを感ずる。鞭打たれてあえぎながら強制労働に従事する原住民たちの苦境を救ったハリマオが、かすかに微笑みながら、人々の歓呼にゆるやかに手を振って応える姿が、また一幅の絵のように美しい。
 ここでも、五〇年代のあらゆる子ども向けテレビドラマと同様、登場人物一人一人の個性などというものは問題にならない。ハリマオという主人公はあくまで、われわれの無意識の深層に息づく説話的な美意識の原型に訴えるものであり、地上の不条理な境遇に緊縛された人々にとっての神の使者の如き〈救済〉のシンボルにほかならず、この世にはびこる悪もまた、テレビを見る子どもの眼にとっては、世界の醸成する汚濁の象徴にすぎない。
 そして、これら一連の幼児的な説話的構成に躍動する生命感を与えているのが、〈馬のひずめ〉なのである。
 〈馬〉とは、単なる動物の一種ではない。われわれの内に眠る原始的な血液を目覚めさせ、沸き立たせるメタフィジカルな象徴性をもった神秘な存在なのだ。
 馬のひずめが大地を踏みならし、たてがみが風を切り、その優美で精悍な疾走のさまが天地の気と響き合う時、われわれの全身の血は激しく燃え上がる。「自動車」などという、狭苦しい檻のような「箱」に身体をはめ込んで、得意気にせかせかと動き回っている現代人のぶざまな文明人づらとは、雲泥の差だ。
 この優しく、感じやすい繊細な草食動物のどこに、あのような猛々しい力が秘められているのであろうか。
 哀しいことに、現代人は、競馬の勝敗などに目を血走らせて一喜一憂しているくせに、〈馬〉の躍動が象徴的に喚起するこのような原始の野性の香りをこれっぽっちも感じ取ることができないのだ。
 時代劇などを見ていて痛感するのは、馬のひずめの音もまた、今と昔とではずいぶん違うということである。犬の遠吠えが、今と昔とでまるで違うように。
 五〇年代から六〇年代の馬には、たしかに、今の馬にはみられない、遠くはるかにこだまする生気溢れる響きがあった。
 それは、飼いならされ切っていない、野性の魂の響きだったのだ。
 
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 五〇年代から六〇年代初頭まで息づいていた生命的な闇の香りは、六〇年代に加速度的に進展する高度経済成長の中で急速に衰弱・消滅してゆくが、それでも一九六四年までの六〇年代前半においては、まだ日本社会の内に根強く残存していたといってよい。
 この時代の闇の感触を最もよく象徴し得ていたのは、子どもたちの間で一世を風靡した「忍者物」である、中でも、新左翼系の大学生たちに、マルクス以上に大きな影響を与えたといわれる、白土三平の『忍者武芸帳』をはじめとする一連の残酷忍者マンガと、テレビドラマでは、実写物の『隠密剣士』や白土マンガを原作とするアニメーション『風のフジ丸』を代表的なものとして挙げることができよう。
 白土マンガの特徴は、周知のように、天災や飢饉や圧制や差別によってぎりぎりの生存条件下に置かれた農民や、さらにその農民からも排除された非人たちと、大名などの領主権力の間に繰り広げられる血みどろの階級闘争の地獄図と、生きるための獣的なたたかいの凄まじさと、その闘争の間を縫って跳梁跋扈(ばっこ)する忍者たちの死闘や謀略、忍技の数々のからくりの、ミステリアスな面白さにある。
 だが、白土マンガをイデオロギー的にみる限りは、通俗マルクス主義的な唯物史観と、ダーウィニズム的な適者生存・自然淘汰の原理と、人も含むあらゆる生き物の生態や自然現象を、因果律と確率論にもとづく偶然と必然の運動によってもっともらしく説明しようとする擬似科学的な合理主義以外の何ものでもない。
 それらの根底にある理念は、存在から一切の生命的な意味づけと価値づけとを剥奪した西欧近代的なアトミズム的世界観であるといってよい。
 しかし、白土作品の発散する強烈なエロス性は、実は、そういった底の浅い近代主義的図式性にあるのではなく、存在そのもののはらむ、荒々しい中世的な闇のカオスのエネルギーにある。
 白土マンガの舞台は、戦国末期(十六世紀末)から江戸時代前期(十七世紀)の社会となっているが、これは、中世から近世への移行期に相当する。
 戦国後期から江戸期にかけての〈近世〉という時代は、農業生産力が飛躍的に上昇し、鉱業、林業、漁業などの諸産業が大きく発展し、都市と農村の分業によって商工業が空前の繁栄を迎え、わが国が真に文明化を遂げた時代であった。それは、厳密に言えば、十六世紀後半(戦国後期)から十七世紀前半にかけて形成され、十七世紀後半に成熟し、完成を迎えた、ひとつのユニークな文明のエポックにほかならない。近世は、わが国の農耕社会が真に成熟した時代であり、日本史上稀にみる穏和で礼節に厚い親和的な人間関係と、それに支えられた新しいモラルが形成されていった時代でもある。
 最近出版された渡辺京二の優れた社会史的労作『逝きし世の面影』(葦書房・一九九八)の中でも生き生きと説得的に描写されているように、士・農・工・商という身分制度も、必ずしも理不尽な差別のシステムとみるべきではなく、むしろ、共同体による「職能分化」と「棲み分け」による自己充足的な生の様式とみるべきなのである。
 時に襲い来る天災・疫病・飢饉や乳幼児の死亡率の高さなど種々の暗部を抱え、また、江戸後期には、貨幣経済の浸透による農民層の分解など、さまざまな矛盾を生み出してはいたが、近世社会には、近現代の社会には見られない穏やかさと安らかさの一面があった。
 それは、十三世紀後半から十六世紀前半にかけての三百年に及ぶ〈中世〉の動乱と階級的な軋轢(あつれき)による〈試練〉の時代を経て、試行錯誤の果てに形成された、叡智と成熟の産物であるといってよい。
 生きるための獣的なエネルギーが渦巻く白土劇画の舞台は、階級的な軋轢と共同体間の抗争に明け暮れたアナーキーな状況下で極度の低生産力水準と自然の猛威に翻弄され続けた、不条理で酷薄なカオスの時代である〈中世的世界〉こそがふさわしい。十六世紀末から十七世紀という近世初期は、まだ殺伐とした中世的空気感が濃厚に漂っていた時代であるから、白土劇画のような舞台設定も可能となるのである。
 白土三平の作品世界もまた、登場人物の〈個性〉などというものは問題としていない。
 登場人物はすべて、善も悪もなく、ただひたすら生き抜くために、生存条件の限界ぎりぎりのところでもがきぬく存在であるか、または、あらかじめ己れを囲い込んでいる共同体の課してくる至上命令に従って、即自的に身を犠牲に供すべき存在として描かれている。
 狼や犬や熊や鳥などの動物と完全に等価な存在として人間という生き物を描いているところに白土マンガの魅力があり、それは、一見ダーウィニズム的な自然淘汰や食物連鎖的な視点による非情酷薄なアトミズム的世界観に立っているようにみえるが、その奥にある真髄は、むしろアジア的なホーリズムの世界観であるといってよい。
 恐るべき不条理に抗い、それを超えんともがき抜く登場人物の獣的なエネルギーをひき出している根源は、個人としての存在や人間的な価値や善悪をはるかに超越した、虚無と生命への衝動という、存在の両義性の〈闇〉が産み出す、獰猛な荒魂(あらみたま)のうねりなのである。
 一切の近代主義的なイデオロギーの仮装を剥ぎ取った後に露呈するこのような中世的な荒魂のコスモスこそ、白土作品における不朽の真髄であるといってよい。
 鶴見俊輔によれば(氏との談話による)、白土三平は、今西錦司の生物社会学の信奉者であったとのことである。
 今西は、周知のように「種社会」という概念を唱え、〈個体〉に生命存在の究極の根拠を求めるのではなく、種のレベルにおける進化と種社会の相互適応を重視し、動植物を含む地球全体の進化を、ひとつの生ける生命体とその分岐形態による生成の過程としてとらえようとした。
 白土三平が、今西生物学にいつ、どのような影響を受けたのかについては私は何も知らないが、ダーウィニズムを生涯の最大の敵としてたたかいぬいたこの強靭で感性ゆたかなホーリストの生物学者に対して、彼が深いシンパシイを抱いていたとすれば、それは、白土マンガの背後に潜む生命論的な世界観の本質に対して貴重な示唆を与えると共に、この焼けただれたような不幸な幼少体験と険しい資質を担わされた作家に対して、なにか救いのようなものを感じさせる。
 白土マンガの中世的な荒魂の世界は、寺山修司の短歌世界やりんたろう監督のアニメーション作品などと同様、大戦期前後の不条理をくぐり抜けた昭和初期生まれの世代が強いられた、ひとつの苛酷なたたかいの身構えを感じさせるが、同時に、戦前社会から五〇年代・六〇年代初頭まで脈々と息づいてきた土俗共同体的な闇の深さを強烈に印象づける。
 そして同時に、その闇の生命が、科学的合理主義を至上価値としてふりかざすアトミズムと唯物論的機械論的世界観に立脚した〈近代〉の攻勢を受けながら、懸命にその要求に適応せんとした、痛ましい〈妥協〉と〈歪み〉の産物とみなすこともできる。
 それは、五〇年代の日本社会に息づいていた穏やかな親和性に満ちた繊細な和魂(にぎみたま)を削り落としたところに成立した、偏頗(へんぱ)で肉食的な生の身構えであった。
 真の魂のすこやかさは、荒魂と和魂の微妙な均衡とダイナミズムによって支えられる。神秘に身をゆだねる安らぎの心と獰猛なたたかいの身構えの両義性を物語的に生き、止揚し得るところに、はじめて人は、幸福な良き生を全うし得るのではあるまいか。
 白土作品の偏りは、その意味で、六〇年代という近代化と経済至上主義に急速に蝕まれつつあった時代によって追いつめられた土俗の宿命を暗示している。
 それは、後の八〇年代において、中上健次の文学が、より苛酷で絶望的な情況の下で強いられた歪みと苦渋を、ある意味で先取りするものであったといえよう。
 白土三平が適応を強いられた悪しき近代主義は科学信仰と唯物論であったが、そこではまだ、ヒューマニズムや社会主義やアナーキーな自由という幻想がかろうじて生き続けていた。しかし、中上健次が屈従を強いられたイデオロギーは、ポストモダンという、ありとあらゆる価値を解体し尽くし、生身の実生活と人間らしい自然な情緒までも死に追いやろうとする、近代主義の最後の衰弱し切った観念論的形態であった。
 白土の忍者物が大ヒットした六〇年代には、まだ、日本社会には前近代的・共同体的なぬくもりと大らかさが息づいていたが、中上が精力的な創作活動を展開した八〇年代には、もはや生命的な身体感覚の残滓は完全に一掃され、社会は、空虚な疑似コミュニケーションとヴァーチャルなイメージ価値の氾濫に覆われていた。
 中上健次のような、繊細でエロス的な飢渇感の強い、肉体派の作家の心身を追いつめてゆく諸条件は整いすぎていたのである。
 更年期にさしかかった中上を蝕んだ高度産業社会の病理は、寺山修司や伊丹十三を死に追いやったそれと、おそらく同じ本質をもつものであった。
 
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 六〇年代前半の子どもたちの間で大ヒットした宣弘社プロダクションによる忍者アクションドラマ『隠密剣士』(一九六二年秋から六五年春放映)では、白土マンガとは対照的に、穏やかで成熟した江戸後期の農耕社会を背景とする、ゆったりとした優しい時間が流れていた。
 ロケに使われた森や渓谷や山なみ、街道筋の旅人の姿や町屋など、どれも自然さを失っていない素朴な景観が溢れていて、今見直してみても心がなごむ。
 俳優たちのセリフの中にも、七〇年代以降の時代劇からは完全に消失してしまった、古い伝統的な格調のある漢語や言葉遣いが随所に散りばめられていて、その響きに耳を傾けるだけでも、今の私は万感胸に迫るものがある。
 松平定信が老中首座を勤めていた十八世紀末の寛政年間という穏和な時代に、凄腕の超人的な忍者集団を登場させ、殺伐とした斬り合いを演じさせること自体、全く場違いな設定というべきであるが、それがかえってこのドラマに、妙にうら哀しい喩的効果を与えていた。
 というのは、この作品に登場する伊賀・甲賀・風摩などの忍者集団は、いずれも、謀略や暗殺によって幕藩体制を揺るがし、忍び者を無用の存在たらしめた二百年にわたる平和な世の中を、再び大名の抗争渦巻く元亀・天正の頃の戦国の昔に戻すことで、存分に腕をふるえるような世を招来したい、という狂的な夢想にとり憑かれたドン・キホーテ的存在だからである。
 忍びとは、森羅万象の響きに耳を傾け、己れの気配を断って隠形(おんぎょう)し、さまざまな秘術によって、常人の時空を超越する、闇の化身である。
 子どもにとって、忍者とは、肉体の自在な飛翔を通して非日常的な闇への渇きを満たしてくれる憧憬の対象であり、日常生活の息苦しさからの解放のシンボルにほかならない。
 しかしその一方で、忍者は、常に共同体の理不尽な掟に縛られて上位権力の卑小な目的のためにひたすら奉仕させられ、使い捨てられる哀れな存在でもある。
 忍者という存在には、このように、闇の化身としての非日常的なふくらみや自在感と、制度的なヒエラルキーや共同体にがんじがらめになった地上的な緊縛のイメージという、両義性が込められている。この両義性は、そのまま、前近代的土俗的な共同体社会のもつ両義性を象徴するものである。
 『隠密剣士』では、こういう両義的存在である忍者たちが、場違いな平和な世の中で、昔の夢を追い求めて跳梁し、法と秩序の守り手であり、ヒューマニストでもある公儀隠密秋草新太郎(十一代将軍家斉の異母兄)の手にかかって次々と倒されてゆく。
 それは、高度経済成長に伴う近代化の力によって急速に駆逐されてゆく、前近代の闇のうら哀しい象徴でもあった。
 大瀬康一演ずる秋草新太郎の〈貴種〉の匂いの漂うはればれとした笑顔と、個人の幸せを希う思いやり溢れるヒューマニストの面目躍如たる姿にもかかわらず、この番組を見終わった時の私には、毎回、なにか後味の悪い悲哀感のようなものが残っていた。それは、死んでいった忍者たちの、恨みがましい妄執のようなものの感触であったようにおもう。
 特に、敵(かたき)役の天津敏演ずる風摩小太郎や甲賀の金剛には、そういう気配が濃厚で、なんともいえぬ苦渋に満ちた険しい重厚な存在感が漂っていた。この人は海軍出身で、俳優になったのは大変遅い苦労人の生活者であったが、子ども向け番組だからといって、ささいな所作や表情・メイクも決しておろそかにはしない、恐ろしく芸熱心な役者であった。
 この名優がいなければ、『隠密剣士』は、あのような長寿番組にはならなかったろう。
 今ふり返ると、天津敏にも、かつて『月光仮面』や『ハリマオ』を作った宣弘社プロの制作者たちにも、急速に形成されてゆく戦後市民社会がふりかざす、民主主義とヒューマニズムの光の前にたじたじとなりながらも、おそらく、無意識下には、追いつめられ、消滅へと向かう土俗の闇に対する悲哀と愛惜の念が息づいていたのではないか、と思われてならない。
 特に、一九六四年から六五年にかけてはその想いが濃厚に立ち込めていたようにおもう。
 一九六五年の三月に放映された『隠密剣士』の最終回では、大瀬康一演ずる秋草新太郎は、この世の一切の恩愛の絆を断ち、重傷を負った天津敏演ずる甲賀の金剛とただ二人連れ立って、いずこともなく小舟に乗って海のかなたへ遠ざかってゆく。この同性愛的な〈道行〉のような唐突なラストシーンは限りなく哀切で、ひとつの古き良き時代が終りを告げたことを私たちに感じさせる。(この稿続く)




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