『右大臣実朝』と宿命(連載第4回) 川喜田八潮

  • 2017.12.26 Tuesday
  • 15:40

 

     4

 

 実朝の敬神崇仏の念の厚さや朝廷への赤心の根底には、魂の穏やかさと静謐(せいひつ)さをなによりも重んずる、融和的な世界視線が息づいていたようにおもえる。

 それは、彼の和歌をよく味わってみればわかることだが、太宰治の描く実朝像では、詩歌・管弦や宴を楽しみ、〈軽さ〉や〈笑い〉を好む日常の暮らしぶりに表われている。

『右大臣実朝』には、琵琶法師の『平家物語』の語りに好んで耳を傾ける将軍の姿が活写されている。ここでの実朝は、太宰治自身とそのまま重ね合わせられるかのように、〈滅亡〉に向かってひた走る平家一門の中に、最後まで〈死〉と背中合わせのある種の「アカルサ」が絶えなかったさまに、心ひかれている。

「那須与一」の段で、「扇の要」を鮮やかに射抜いた与一の離れ業に感興をおぼえ、思わず「舞」を披露した粋な平家の兵士の一人を、残忍にも与一に命じて射殺させて喝采する九郎判官義経や源氏一党の姿に、不快の念を隠さず席を立つ実朝の像には、「戦争」という不条理な地上的現実の渦中に平然と身を置き、酷薄なリアリズム的視線によって物事を果断に処理し、勝ったの負けたのと血ぬられた雄叫びをあげている人間どもへの強烈な〈嫌悪〉のおもいが、さりげなく込められている。

 太宰は、生きる切なさへの共感というものを毛ほども持ち合わせていない、こういう、ずさんな神経をもつ残忍なリアリスト・現世主義者の手合いを、心底嫌悪していた。

「平家ハ、アカルイ」「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」という実朝のことばには、幼児退行的な正義への〈憧憬〉と〈希望〉によって、かろうじて、地上的な酷薄さをもちこたえている戦時下の日本大衆への憐れみ・共感の念と共に、大戦末期という時代の暗鬱さ、〈滅び〉の気配に、日常風景の〈変容〉というたたかい方を通して精一杯あらがおうとする、当時の太宰治の苦しみがにじみ出ているようにおもう。

 太宰の希求する「アカルサ」には、単なる幼児退行的な逃避やデカダン的ニヒリズムには解消されないような、生きる哀しみの本体を真にわきまえた者のみが持ちうる、ある強固な実質が含まれていた。その志向が、実朝の生きざまの深部に息づいている純潔な魂の主調音と鋭く共振しうるのだ。

 実朝の「アカルサ」には、モーツァルトの調べのような、不思議な透明感を帯びた非日常的なアカルサが宿っており、いささかも感傷に毒されない、存在の原初的なかなしみの上に軽やかに花ひらいた、みずみずしい赤児のような自然で繊細ないのちの旋律が流れている。

 こういう姿は、とりわけ、歌人としての実朝のあり方に鮮やかににじみ出ている。

 実朝の和歌は、もちろん、生活意識の〈空洞〉を逃避的に代償しようとする趣味・道楽の〈技巧(レトリック)〉の産物でもなければ、現世的な自信に満ちた生活者のエネルギーの〈余剰〉としての芸術でもなく、また、現世・世俗への〈憎悪〉の裏返しとしての〈幻想の砦〉でもない。

 彼の歌は、あくまで、〈生活人〉としての己れをすこやかに全うするための、ぎりぎりの必需品として生み出されたものというべきだ。

 和歌という形式を通じて、己れの苦しみや渇きや祈りの感触を率直にあるがままに吐き出し、そうすることで、おそらくは、己れをとり囲む漠とした陰鬱な妖気に抗い、生死の危うい均衡をかろうじて保とうとするような、痛切な営みであったようにおもえる。

 実朝の和歌は、その意味で、彼の生活人としての身丈にぴたっと過不足なく収まる、生理的に自然体の歌であった。

 小説には、己れの身体的な感興のおもむくままに、さらさらと凝滞することなく作歌する将軍の姿が描かれている。

 今ここで、『金槐和歌集』の諸歌を論ずる気は毛頭ないが、折角のことだから、『右大臣実朝』に引用されている作品の中から一首だけをとり上げておこう。

 

 はるさめの露のやどりを吹く風にこぼれて匂(にほ)ふやまぶきの花

 

「私」は、この歌について、「天真爛漫とでも申しましょうか。心に少しでも屈託があったなら、こんな和歌などはとても作れるものではございませぬ」と語っている。

 世界が「春雨の露」の一瞬の動きの内に完璧に封じ込められ、鮮やかに修復されている。

 この「露」は、未知の領域からやって来て未知のかなたに吹き過ぎてゆく一塵の〈風〉のまっただ中に翻弄されながら、この上もなく安らかに身を横たえている。

 一瞬にして移ろい、消え去るようなはかなさにもかかわらず、それをはかないと感じさせるような「もののあはれ」の美学を微塵も感じさせない、あるたしかな〈いのち〉の転生の揺るぎないかたちが、静けさとなって微(かす)かに息づいている。

 この〈いのち〉の柔らかなぬくもりを沁み込むように伝えてくれるのが「やまぶきの花」の立ち姿だ。「露」のつかの間の宿りと移ろいの内に、〈縁(えにし)〉をとり結んだ「やまぶきの花」の麗しいひっそりとしたたたずまいが、優しく寄り添っている。

 この歌は、私(たち)の痛めつけられた神経と身体に驚くほど素直に沁み込み、自意識の険しさを溶解させ、外界との裂け目を瞬時に修復させてくれる。

 実朝の幼児性が最もみずみずしい形で凝縮された名品であり、『金槐和歌集』には、他に、無常感や悲愁の色彩の濃い重厚な和歌や現世の不条理な険しさを凝視した、ドスのきいた傑作もあるけれども、この作品は、それらとは対照的な極にある、数少ない、優しい秀歌のひとつであるといえよう。

 しかしどのような傾向の歌であれ、実朝の秀歌の多くには、人間存在の本源的な〈孤独〉を基底に据え、その存在の痛覚を、万物の自然なありさまとしてどこまでも静かに受容し、涼やかに微風のように受け流してゆこうとする、限りなく透明なかなしさともいうべき資質が息づいている。

 有限な存在としての人間どもの、ありとあらゆる悪あがきを的確に凝視しつつも、それを〈存在の痛覚〉という一点に凝縮・純化し、透明な〈自然〉のとどこおりの無い流れのうちに浄化してゆく、無類の匂いやかな〈抽象度〉の高さが、実朝の秀歌に固有の〈方法〉だとおもえる。

 こういう実朝の資質と鮮やかなコントラストをなすのが、鴨長明の、世俗的な悪臭の濃厚な、脂ぎった生活者の苦しみである。

 長明と実朝という、生きざまにおいても芸術の質においても、水と油のように相容れようのない両者の出会いと対決は、『右大臣実朝』のひとつの白熱したヤマ場を構成しているといっていい。

 

     5

 

 源平内乱の渦中に相次いだ飢饉・疫病・大地震によって、腐臭に満ちた死者累々の酸鼻な地獄図と化した「末法」の京の都に生きた、長明ら平安貴族層の実存は、どす黒い虚無と不条理の感触によってただれきっていた。彼らは、死の不安に日夜おびえつつ、迫り来る〈終末〉の意識から逃れようとするかのように、富や権力をめぐる欲望のゲームに狂奔し、己れの血族やライバルたちとの抗争に明け暮れていた。

 しかし、仏教や漢学の博識に裏うちされ、当時の突出した近代知識人であった、長明や藤原定家らのようなインテリ貴族層は、繊細で過敏な神経によって肥大化した〈自意識〉を持て余していた。彼らは、こういう世俗的な抗争によって己れの空虚感を埋めることができるほどに、単純で粗雑な神経の持ち主ではなかった。

 知的な意識を細分化し、高度化すればするほど、また、富や権力や名声を求めて欲望のゲームに精を出せば出すほど、彼らは、ますます、他者との対立・疎隔の自覚を深め、神経症的な対人意識にさいなまれ、癒しがたい〈個我〉の孤独地獄の内にのたうち回るほかはない。それは、己れの無力感と虚無感を一層深めるものでしかなかった。

 長明の出家・隠遁・センチメンタルな無常感の表出もまた、自らの我執の強さが生み出す関係の地獄から観念的に逃避したいという、裏返された悲鳴にほかならない。

 彼らインテリ貴族層にとって、和歌の表現世界は、そういう己れの近代知識人的な苦しみを、象徴的な手法を使ってさりげなく吐き出すと同時に、それを逆立ちした新古今風の言葉遣いによる人工的な幻想美の創出によって癒そうとする、ささやかな試みの場であった。「幽玄」だの「有心」だのといった概念で説明される、独特の仏教的な悲哀感のこもった、陰翳に富んだ繊細な美意識も、そういうダンディズム的な虚構による〈つっぱり〉の一形式であった。

 

 春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空(藤原定家)

 見わたせば花も紅葉(もみぢ)もなかりけり浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮(藤原定家)

 白妙(しろたへ)の袖(そで)の別れに露落ちて身にしむ色の秋風ぞ吹く(藤原定家)

 かきやりしその黒髪の筋(すぢ)ごとにうち伏すほどは面影ぞ立つ(藤原定家)

 ながむれば千々(ちぢ)にものおもふ月にまたわが身ひとつの峰の松風(鴨長明)

 枕とていづれの草に契(ちぎ)るらんゆくを限りの野べの夕暮(鴨長明)

 夜もすがらひとりみ山の槙(まき)の葉に曇るも澄める有明の月(鴨長明)

 

 定家と長明では、表現者としての格が違うという気がするが、一見、余裕のある優雅な遊び心で作られたかのように見えるこのような『新古今集』の秀歌も、実は、生身の身体をぎりぎりと締めつけてくる現世的地上的な地獄に、あくまでも、言葉のモザイクがかもし出すヴァーチャルな心象風景の鮮やかな喚起力によって対峙せんとした、凄まじい観念的な膂力(りょりょく)の産物にほかならなかった。

 定家の秀歌には、一貫して、現世的な肉体を完全に突っぱね、言葉の共同的無意識的な伝統美がおのずから喚起する非日常的な身体感覚の精緻な組み合わせによって構築された〈幻想の砦〉に、生きることのぎりぎりの根拠を託そうとするような、傲岸で強靭な芸術至上主義的プライドが脈うっているが、長明のほうは、晩年の『方丈記』に見られるような、この世の不条理と人間の肉体的煩悩の浅ましさを粘っこく凝視する、散文的地上的なリアリストの視線を、中途半端に芸術の中に引きずっており、それを、センチメンタルな無常感の表出によって甘く流そうとする通俗性がつきまとっている。その分だけ、長明の歌は、非日常的天上的な跳躍力が乏しく、散文的な平板さを免れ得ない。

 両者の表現者としての力量の差は歴然としているが、それでも、作歌の新古今的な根本姿勢は共通するものがあるといってよい。

 しかし、容赦の無い地上的な酷薄さによって染め上げられた、彼らのどす黒いひび割れた世界風景と神経症的な孤独地獄の苦しみは、諸々の欲望ゲームによって、また、芸術や隠遁生活によって修復しうるような、生やさしいものではなかった。

〈虚無〉の渦中に幻影の美を打ち樹てることで世俗に「拮抗」しようとする、近代主義的・芸術至上主義的(ダンディズム的)な美意識では到底処理し切れない、絶えず内部発酵してやまぬヘドロのような〈毒念〉から逃れる術(すべ)は皆無であった。

 そういう長明や定家のような近代インテリにとって、実朝の、とらわれのない直截な、透明感のある歌は、ひとつの衝撃として受けとられたに違いない。

 新鮮な驚きをおぼえ、〈不安〉をかき立てられると共に、新たな芸術的境地を求めて、長明は敢えて六十に近い老齢にムチ打って東下する。

 この鎌倉行きは、定家ほどに己れの芸術至上主義に徹することができず、人間らしい生臭い肉体を持てあましていた長明ならではの、それなりに悲壮な決死行だったようにおもえる。

 ほんとは〈自意識〉が強く、ピリピリと身構えているくせに、将軍の問いかけにわざと鷹揚(おうよう)にとぼけてみせる、ひねこびた長明入道と、涼やかでとらわれのない貴公子実朝の、好対照の出会いには、中期太宰治の芸術観の真髄が、隠し味のように、慎重にさりげなく散りばめられている。

「チト、都ノ話デモ」と老師に話しかけるように遠慮がちに語りかける将軍に対して、長明入道は、「は?」と聞き耳を立て、「いや、この頃は、さっぱり何事も存じませぬ」と空とぼけてみせる。

「けれども将軍家は、例のあの、何もかも御洞察なさって居られるような、また、なんにもご存じなさらぬような、ゆったりした御態度で」少し笑いながら「世ヲ捨テタ人ノオ気持ハ」とさらに尋ねる。

 長明は、またも「は?」と聞き耳を立て、それから、うつ向いて「何か口の中で烈しくぶつぶつ」言ったあと、意を決したように顔を挙げ「おそれながら申し上げまする。魚の心は、水の底に住んでみなければわかりませぬ。鳥の心も樹上の巣に生涯を託してみなければ、わかりませぬ。閑居の気持も全く同様、一切を放下(ほうげ)し、方丈の庵にあけくれ起居してみなければ、わかるものではござりませぬ。そこの妙諦(みょうてい)を、私が口で何と申し上げても、おそらく御理解は、難かろうかと存じまする」と、もったいぶった態度で、己れの心境を流暢に申し述べる。

 けれども、将軍家は一向に平気で、「一切ノ放下」とほほ笑んでうなずき、「デキマシタカ」と問いかける。

 今度は入道も、言下に迷いなく、「惣慾を去る事は、むしろ容易に出来もしまするが、名誉を求むる心を棄て去る事は、なかなかの難事でござりました。瑜伽論(ゆがろん)にも『出世ノ名声ハ譬(たと)ヘバ血ヲ以テ血ヲ洗フガ如シ』とございまするように、この名誉心というものは、金を欲しがる心よりも、さらに醜く奇怪にして、まことにやり切れぬものでござりました」と語り、さらに、自分は、世捨人とは言っても、姿は聖人に似ていながら、心は不平に濁って騒ぎ、「すみかを山中に営むといえども人を恋わざる一夜も無く、これ貧賤の報のみずから悩ますところか、はたまた妄心のいたりて狂せるかと、われとわが心に問いかけてみましても更に答えはござりませぬ。御念仏ばかりが救いでござりまする」と正直に胸中を澱みなく吐露してみせる。それでいながら、いささかも悪びれるふうはない。

 この世の人間とは、しょせん、その程度の、煩悩多き浅ましい生き物であり、そういう人間どもの織りなすはかない悪あがき、脂ぎった狂態こそが、この現世のありのままの哀しい地上的実相であって、オレは、そういう現実の痴態をしっかりと踏まえた上で、はじめて、芸術という〈虚構〉の楼閣を構築しているのだぞ、という傲然たる自我意識が秘められているようにおもえる。

 世間知らずの、箱入りのボンボンであるお前さんなんぞには分かりはすまいが、というしたり顔が透けて視えるのだ。

「ドノヨウナ和歌ガヨイカ」と尋ねる将軍に対して、長明は、実朝の歌の爽やかな姿をほめたたえつつも「恋歌」の稚拙ぶりを批判し、将軍家は恋というものをご存じなさらぬと断じ、「嘘」を詠まぬように、ヘタに都ぶりの真似はしない方がよいと苦言を呈する。

 さらに勢い込んで、将軍に己れの歌道を披瀝し、〈指南役〉を買って出ようとする気配まで漂わせるのだが、実朝は、笑いながら立って「モウヨイ。ソノ深イ慾モ捨テルトヨイノニ」と言って、奥へ引き上げてしまう。

 そして、「ナカナカ、世捨人デハナイ」と嘆息する。

 実朝は、己れの魂を「強制」しようとする長明老人の浅ましい魂胆を見抜いている。

 太宰の描く実朝は、長明の「何ひとつ信じてはいない」酷薄なリアリストのまなざしと、その裏返しにすぎない芸術至上主義者としての凄まじい偏執ぶりを誤たず見破っている。

 長明の孤独地獄の険しさと、それゆえに、己れとははるかにかけ離れた天衣無縫ぶりを示す実朝との〈接触〉にいちるの解脱の望みを託して、はるばる鎌倉までやって来た執念の凄みというものを知り抜いているようにおもえる。

 しかし長明は、しょせん、己れのダンディズム的な芸術理念を捨て去ることのできない、我執の強い不幸な近代知識人にすぎず、実朝の和歌に根底を揺さぶられ不安をおぼえながらも、相手を強引に己れの〈器〉の中にはめ込み、〈同化〉させることで、孤独から逃れようともがいている、「さみしがりや」の根無し草でしかなかった。

 実朝の器を、世俗に汚されてはいないがこの世の地獄の実相を知らぬ「無邪気な」子供のような若者だとみくびり、優位に立った気でいる、小ざかしい大人ぶったインテリなのだ。両者の生へのまなざしの隔たりは、あまりにも大きすぎた。

 長明は、その後も、繰り返し御所におもむくが、将軍にはとりつくシマが無いと感じたのか、いつも「あいさつ」だけで早々に退出してしまう。

 その老人の姿に、「信仰ノ無イ人ラシイ」と、実朝はつぶやいている。

 結局、長明は、深い失望を抱いたまま鎌倉を去るほかはなかった。

 ただ、この老人には、本人も言うように、実朝のような資質の人間には完全に欠落していた、凄まじいばかりの現世的地上的な脂ぎった生活欲が生得的に備わっていた。

 帰洛して間もなく書かれた『方丈記』には、無常感をてらう隠遁者的位相のポーズとは似ても似つかぬ、そういう彼の「悪業深い体臭」が込められていると、「私」=太宰治は喝破している。

 

 ただし、長明との出会いは、実朝にとって決して無意味なものではなかったと「私」はみる。

 作品には、長明との対決の後、彼からけなされた「恋歌」はあまり作らぬようになり、和歌の精進に鬼気迫る打ち込み方をするようになる将軍の姿が描かれている。

 

「将軍家は、恋のお歌を、そのころから、あまりお作りにならぬようになりました。また、ほかのお歌も、以前のように興の湧くままにさらさらと事もなげにお作りなさるというようなことは、少くなりまして、そうして、たまには、紙に上の句をお書きになっただけで物案じなされ、筆をお置きになり、その紙を破り棄てなさる事さえ見受けられるようになりました。破り棄てなさるなど、それまで一度も無かった事でございましたので、お傍の私たちはその度毎に、ひやりとして、手に汗を握る思いが致しました。けれども将軍家は、お破りになりながらも別段けわしいお顔をなさるわけではなく、例のように、白く光るお歯をちらと覗かせて美しくお笑いになり、

 コノゴロ和歌ガワカッテ来マシタ

 などとおっしゃって、またぼんやり物案じにふけるのでございました。」

 

 将軍家は恋というものを知らぬと断言した長明の指摘は、実朝の〈幼児性〉の強さ、女性への「淡泊の御性情」を、鋭く見抜くものだった。

 この沈痛な老芸術家との出会い以後、実朝は、己れの表現者的な〈資質〉に、以前にも増してきちんとした自意識をもつようになり、得手でない新古今風の技巧によるヴァーチャル・リアリティの色彩の強いものは排除するようになってゆく。

 ともかく、長明と実朝という印象深い対決は、独特の反リアリズム的な文学理念をベースとしつつ、アジア的な自然思想に根ざした融和的な〈信〉のまなざしによって、時代の滅びの気配と実生活の地上的な酷薄さに精一杯対峙せんとした、中期「後半」=大戦期の太宰治の最高の思想的稜線を、凝縮した形で象徴してみせている。(この稿続く)

 

 

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