〈生き難さ〉のアーカイブス〜「詩を描く」若者たち〜(連載第15回) 川喜田晶子

  • 2018.08.31 Friday
  • 12:49

 

〈生き残り〉の哀歓

 

人はみな鬼の裔(すえ)にて芒原(すすきはら)  木内彰志

 

 何かが一面にひろがる風景の〈無辺〉の感触は、私たちを、どこから来てどこへゆくのか、という問いへと誘うのだが、「人はみな鬼の末裔なのだ」という認識も、〈芒原〉にたたずむことで自然に受け容れられてしまう。

 鬼の領域と人の領域が隣接しながらも険しく排除し合い、切なく惹きつけ合い、混じり合って、いつか人がかつて鬼であったことを忘れ去るまでの壮大な時間が、そこには〈芒〉の姿をとって見はるかされるのだ。

 間歇泉のように突如濃く噴き出す鬼の血を帯びて歴史を揺るがす者もいたであろう。トゲのように、十字架のように、歴史に刺さっている彼らの矜持と哀しみ。あるいは、誰にもその血の濃さを気取られずに一生をまっとうした者の、いぶし銀のような生の充溢や鬱屈もまた、〈芒原〉には沁みていよう。

 遺伝子なるものが〈らせん〉を描いているとすれば、〈鬼〉の血と〈人〉の血、あるいは、〈鬼〉を忌む血と〈人〉を忌む血のせめぎ合いが表現を求めてやまぬからかもしれない。

 

絵ぶみして生きのこりたる女かな  高浜虚子

 

 キリストの像を踏んでみせるか、踏まずに信者であることを告白して処刑されるか。

 この女は踏んで生きのこってみせた。

「生きのこりたる」には、信仰を共にする仲間たちは処刑されたけれども、この女だけは生きのこってしまった、というドラマが簡潔に提示されている。生きのこって、今、眼前に存在している。心を占めるのは悔いなのかふてぶてしい安堵なのか、その両方なのか、詮索されないままがつんと提示された存在の、ひたすらな生々しさもまた、十七音を溢れて迫ってくる。

 正岡子規の〈写生〉理念を受け継ぎ、「客観写生」「花鳥諷詠」を俳句のスタンダードとして樹立した、高浜虚子。伝統という母胎に育まれてこそ〈写生〉の近代性が革新的であり得た子規、その理念を逆説的に支えていたコスミックな世界観が衰微し、空洞化してゆくしかなかった明治・大正・昭和という時代に、〈表現〉が生き残るとはどういうことであったのか。

 虚子の内に、「絵ぶみ」することで生き残る道を択んだけれども、心の底で信じ続けたうらはらな何かが疼くことはあったろうか。

 

方舟(はこぶね)に誰をのこすか霜の声  鈴木明

 

 凍てついた冬の夜。〈霜の声〉だけが世界を領しているような、人の気配の希薄さ。

 ふと、世界が更地になる瞬間の究極のディバイドに立ち会っているような冷気に包まれる。

 方舟に誰をのこすのか。その時、どんな基準が適用されるのか。新世界で役に立つかどうか、美醜、強弱、旧世界での功績、倫理、純・不純、清濁、あるいは偶然?それとも気まぐれ?

 ひとたびこの冷気の選択権が発動してしまえば、人間にとっては酷薄な不条理の風景がひろがるだけなのかもしれない。その酷薄な世界の更新は、人間が握り締めたがっている〈意味〉とは異質な水準で発動する。

 そのような不条理な超越性に身体を開かざるを得なかった者の、不敵な風貌がちらつく。己れと世界の〈意味〉の手触りを冷ややかに拉し去られながら、今一度、異次元の冬の荒野に傲然と着地するような。

 

   幻影     中原中也

 

私の頭の中には、いつの頃からか、

薄命さうなピエロがひとり棲(す)んでゐて、

それは、紗(しゃ)の服かなんかを着込んで、

そして、月光を浴びてゐるのでした。

 

ともすると、弱々しげな手付をして、

しきりと 手真似をするのでしたが、

その意味が、つひぞ通じたためしはなく、

あはれげな、思ひをさせるばつかりでした。

 

手真似につれては、唇(くち)も動かしてゐるのでしたが、

古い影絵でも見てゐるやう―

音はちつともしないのですし、

何を云つてるのかは、分りませんでした。

 

しろじろと身に月光を浴び、

あやしくもあかるい霧の中で、

かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、

眼付ばかりはどこまでも、やさしさうなのでした。

 

 

 詩歌という表現形式を駆使してもなお、中也の中には他者に伝わり切らない〈闇〉を抱えたピエロが棲んでいたようだ。

 現実をサバイバルする能力に乏しい「薄命さうな」ピエロは、「紗」の服を着込んで月光を身に沁ませながら何かを訴えかけている。

 弱々しい手真似の意味は「つひぞ通じたためしはなく」、つまり、中也自身にも己れの無意識を白昼の言語に置き換えることが完全にできたためしはなく、「あはれげな、思ひをさせるばつかり」であった。「唇」を動かしてみても、「古い影絵でも見てゐるやう」。時代の表層からずれている自身の無意識がもどかしくてならない。

 しかし、そのピエロの「眼付ばかりはどこまでも、やさしさうなのでした」。時代と意識は白昼の太陽に照らされており、その光から逃げることを許されないのだが、そこで生き抜くことのできない中也の無意識は、夜の霧と月光に包まれて、「かすかな姿態をゆるやかに動かしながら」やさしい存在であり続けている。

 真昼の太陽でもなく、漆黒の闇でもなく、「あやしくもあかるい霧の中」でやさしい眼をしたピエロの柔和な強靭さを、中也はつつましく遺してくれた。(この稿続く)

 

 

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