〈生き難さ〉のアーカイブス〜「詩を描く」若者たち〜(連載第16回) 川喜田晶子

  • 2018.09.26 Wednesday
  • 17:49

 

〈うそ〉と〈ほんと〉

 

 人は、表層を裏切るものをたっぷりと抱えて生きている。そのことが、危うさや悲哀でもあれば救いでもある。

 

高々と蝶こゆる谷の深さかな  原石鼎

 

 己れの内にざっくりと深く切れ込んだ〈谷〉があることを憶い出させる一句。平らかに穏やかに見える他者の内にもまた、そのような〈谷〉の底知れぬ深さがあるかもしれない。人生の表層の浮き沈みの激しさと必ずしも比例するわけではない、その深さ。

 その〈谷〉が深ければ深いほど、〈蝶〉はより高々と、悠然と、こともなげに谷を越えてゆく。軽やかな飛翔と目くるめく深さとの対比の鮮やかさ。

 このような〈谷〉を一つ、また一つ、越えるたびにこの〈蝶〉の内に育つ〈闇〉の、他者にも己れ自身にも測りがたい重さと、取り替えのきかなさ。

 

無時間の猫抱けば芒また芒  北原志満子

 

 誕生から死までを線分として、終点を意識しながら青ざめた細切れの時間をせわしなく消費してしまう人間と、そのような時間意識の枠外をまどろんだり、時に爪や牙で枠を蹴散らしたりしている〈猫〉との対比。

 線分を蹴散らし、その延長の直線も蹴散らし、くるりと円環を成して〈無〉を獲得する〈猫〉の時間。

〈無時間〉の猫を抱くことで、その〈猫〉の持つ光景が人の魂に映り込む。「芒また芒」の光景は、誕生以前と死後に時空を拡張しながら、万象を〈無〉に抱き取ろうとするような、甘やかなニヒリズムを感じさせる。有限の「線分」意識に疲弊する魂の裏側に潜む、甘美な〈無〉への前のめりな憧憬。

 

たましひのまはりの山の蒼さかな  三橋敏雄

 

 視覚器官としての目がとらえる山の蒼(あお)さではなく、「たましひ」がとらえた山の蒼さ。

「たましひ」と「山」とは、主体と客体として別物ではなく、「たましひ」のありよう次第でその蒼さを変える「山」である。「山の蒼さ」への感動は、そのまま、そのような蒼さを感受し得る己れの「たましひ」への想定外の讃嘆の念でもあろう。

 己れを真に肯定する力を汲み上げられるのは、このような「たましひ」のドラマの水底からである。

 

時計屋の時計春の夜どれがほんと  久保田万太郎

 

 人も風景も真実も、輪郭がおぼろになる春の夜。

 時計屋の時計がどれも別の時刻を告げている。どれか一つを信じるならば、他の時計は全て嘘になる。しかも、その一つが真実だという保証も無い。

 人の人生は、時計屋の時計のどれか一つだけを買い求めるような大ばくちなのであり、その危うくて切ない賭博性という人生の本質を、ゆらりと一枚の絵にして差し出されたような。相対化され、指の隙間をこぼれ落ちてゆく〈生〉の意味を、「春の夜」が甘くけだるく融かし合わせたような。

 

満開のこみ上げてくる櫻かな  安田鈴彦

 

「櫻」の肉体の雄々しさ、みずみずしさ。

 観念を蹴散らして、有無を言わせぬ欲動としての「満開」が、肉体の深奥からこみ上げてくる。

「肉体」がそのまま清冽な魂ならば、どれほど美しく生きられることか。

 満開の後の散りざまの潔さだのはかなさだのに浸食されぬ、素の肉体の雄渾。意味に満ちた「櫻」への讃美。

「桜」として安易に消費されない「櫻」を感受した瞬間の躍動感が読み手を包む。(この稿続く)

 

 

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