闇の喪失―ある戦後世代の追憶―(連載第4回) 川喜田八潮
- 2016.05.18 Wednesday
- 18:18
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一九六七年は、急速に消滅に向かいながらもそれまでかろうじて残存し得ていた、六〇年代前半以来の闇の香りが、最後の輝きを放った年であった。
この年には、幕末社会を舞台とする三本の印象的なテレビドラマが放映された。
一つは、NHK大河ドラマの『三姉妹』(大佛次郎原作、山崎努主演)であり、他の二つは毎日放送・松竹テレビ室制作による『富士に立つ影』(白井喬二原作、中山仁主演)と『鞍馬天狗』(大佛次郎原作、大瀬康一主演)である。
『鞍馬天狗』は毎回一話完結の三十分物で、とりわけ娯楽性が強く、他の二作品と比べるとドラマ性の質はかなり劣るが、三本とも、通俗的なメロドラマ風の設定や勧善懲悪の物語を活かしながら、六〇年代後半の日本社会が直面していた情況の本質を巧みに象徴してみせた、良質のエンターテインメント作品となっていた。
翌年の一九六八年から、大学紛争の嵐が吹き荒れることによってもわかるように、六七年という年には、維新前夜のような、一種異様な政治的熱気がみなぎりつつあった。
まもなく、アングラ・フォーク歌手の草分け的存在ともいえる岡林信康の歌が若い世代の間で一世を風靡する。
《友よ、夜明け前の闇の中で/友よ、闘いの炎を燃やせ/夜明けは近い/夜明けは近い……》という歌詞が同級生たちの間ではやったのは、私が中学を卒業する直前の六八年の春のことだった。
幕末物のテレビドラマが制作されたのも、こういう世相の流れに対する敏感な対応によるものだといってよい。当時の情況が明治維新前夜とアナロジカルに重ね合わせられたのは、高度経済成長がほぼ完了に近づきつつあったこの時期が、〈近代〉の前夜のように感じとられていたからである。
当時の〈近代化〉の主な指標は、封建的な遺制からの個人の解放と、ヒューマニズムにもとづく民主主義的要求と、膨化し、固定化した独占資本主義体制下における階級的収奪へのたたかいという、ブルジョワ市民主義的もしくは社会主義的理念にあったといってよいであろう。もちろん、冷戦構造下における日本の安全保障や基地問題をめぐるアメリカへの反発もあったし、中国・ソ連への社会主義的幻想も、いまだに残存していた。
要するに、戦後の左翼思想・進歩思想がそれまで保持し続けてきた理念が、特に本質的な部分で変更をこうむっていたわけではなかった。科学的合理主義が社会主義思想を含む主要な近代主義的イデオロギーを認識論的に支える中心的な位置を占めていた点も、それまでと変わりはない。
にもかかわらず、当時の情況が、若い世代にとって、あたかも革命前夜の如き雰囲気を漂わせたものとして受けとられたとすれば、それは、六〇年代半ば頃までかろうじて命脈を保ってきた前近代的土俗的な共同体社会の闇の残滓が急速に消滅に向かうことで、なにか、日本社会が、それまでには体験したことのない、質的に全く新しい段階に突入しつつあるという、不安と期待に満ちた予感がみなぎっていたせいであると考えられる。
その予感は、一面では、個人の限りない自由と欲望の謳歌というアナーキーで向日的な近代主義的解放のイメージや、一切の階級矛盾が消滅した社会主義的ユートピアの夢想につながるものであったが、他方では、到来しつつある未知の社会が、個人の幸不幸など歯牙にもかけない、非人間的でメカニックな巨大な制度的構築物にすぎないのではないかという、戦慄的な不安を伴うものであったようにおもえる。
全共闘世代の多くの若者たちが七〇年前後に示したアナーキーな暴発や社会主義的ユートピズムへの非現世的・幼児退行的なのめり込みの激しさには、高度経済成長の完了によって到来した新たな産業社会への極度の生理的不適応の症状がみてとれる。
彼らは、新社会への己れの異和感を、個人の解放や社会主義といった近代主義的イデオロギーによって表現したが、彼らが真に苦しんでいたのは、おそらく、土俗的・生命的な闇の喪失であった。
幼児期に終戦直後の激しい飢えと極貧の時代をくぐり抜けたこの世代にとって、経済的な階級矛盾の問題は、たしかに切実なものがあったろう。
だが、彼らが、大多数の日本人のように高度経済成長の波に乗ってエコノミック・アニマルとなる道を抵抗なく選びとるのではなく、少なくともひとたびは社会人という大人になることを拒否して、幼児が手足をばたつかせながら泣きわめくように学生運動にのめり込んでいったのは、たしかに、物質的な動機以外の痛切な何ものかがあったからである。
幼少年期に土俗の闇の香りをたっぷりと吸い込んで育ったこの世代が、社会人となる直前の大学生であった頃、高度経済成長はまさに完成に近づき、日本社会からは、生身の身体性に根ざした人や風景との深々とした生命的な接触の感覚が急速に消え去ろうとしていたのだ。全共闘世代にとって、己れがこれから出て行こうとする産業社会は、幼児期以来見慣れてきた人間的な暖かさの失われていない社会とは、あまりにも異質なものであった。
私には、彼らのヒステリックな暴発は、このめくるめくような〈落差〉の痛覚がもたらしたものであったようにおもえる。
彼らが、この落差の感覚を鮮明に意識したのが、一九六八年という年だった。
先に挙げた三本の印象的な幕末物が放映されたのは、その前年に当たる。
これらの作品においても、維新に象徴される〈近代〉は、一面では、階級社会の消滅と個人の解放という、希望と憧憬の対象として描かれているが、他方では、革命によって到来する現実の近代社会が、実は、そんなユートピア的志向などとは似ても似つかない、非人間的な制度的虚構にすぎないものであることをアイロニカルに暴露してみせる。
主人公たちは、いずれも、新しい日本の国体を夢みて、身を捨てて国事に奔走したり、名もなき人々のためにたたかうが、結局、到来しつつある世の中に適応することができず、俗塵に埋もれ、あるいは権力の抗争に巻き込まれて非命のうちに倒れる。
世俗的な上昇志向や組織の歯車となることから脱落し、アウトローとして生きる彼らは、己れの魂の自由を求めてやまないと共に、つねに、縁(えにし)をもち得た社会の片隅に生きる無名の生活者の人々のためにたたかう。彼らにとって新しき維新の世の中とは、一切の階級的矛盾が消滅するだけではなく、一人ひとりの人間が己れのつつましい幸せを見出し、明日の生活の不安に心をすり減らすことなく、固有の充ち足りた人生を送り得るような、そんな社会のイメージなのである。
己れのエゴのために、あるいは権力や大義のために、懸命に生きている小さき者の生を踏みにじる者たちを、彼らは断じて許そうとはしない。その熱い血が、これらのドラマに野太い生活思想的な倫理性を与えている。
彼らの抱いたユートピアの本質は、彼らの生を支えるだけではなく、彼らの有限性を超えて生き延びる力をもっている。
彼らは、〈縁(えにし)〉をもち得た少数の人々の生を照らし、またその人々との固有の出会いによって生きる力を与えられる。
そこには、生きることの贅肉といったものが全く無い。
テレビという極度に通俗的なメディアの中で、時代劇のエンターテインメント性を喩的に活かしながら、主人公をこのように造型し得た時代(あるいは年)があったことに対して、私は驚きを禁じ得ないし、いとしさをおぼえないわけにはいかない。
それに、六七年の幕末物には、とりわけ『三姉妹』や『富士に立つ影』には、日陰者や無名の生活者たちの心のひだが、メロドラマ風ではあるが、なんとしっとりと、ほの暗く抒情ゆたかに表現されていることであろう。白黒映像のすばらしさを、いかんなく堪能できる作品となっている。
この二作品には、しばらく見失われていた六〇年代前半までのあの闇の深さが、鮮やかに蘇生しているといっていい。
この闇の香りは、人の表情やしぐさのみならず、背景となっている江戸後期のゆったりとした農耕社会的な時間の流れ方と陰翳に満ちた繊細な風景によって、一層ふくらみを増している。
中でも、『富士に立つ影』の風景映像は、比類のない美しさをもっている。
まず、冒頭に、格調のある古風な毛筆の字体で書かれたタイトルと共に、富士の涼やかな気品に満ちた秀麗な姿が映し出される。
そして、清冽な激流の映像に沿って、六〇年代におけるテレビドラマ音楽の名作曲家であった渡辺岳夫による、人生の哀歓と生涯の重さをしみじみと感じさせる、哀切なリリシズム溢れる名曲が奏でられ、俳優たちの名が、これまた格調のある毛筆体で顕われる。
この始まりの部分を見るだけで、今の私は、己れの乾き切りひびわれた冷笑的な心に、人間的な抒情の水脈が蘇るのを感じ、限りなく癒されるのである。
そして改めて痛感する。
私たちは、このような時空から何と遠く隔たった、酷薄な氷のような世界に住んでいることだろう、と。
歴史の不可避性という美名の下に、あるいは、価値や倫理の桎梏からの解放という愚かしい近代主義理念の下に、なんと痩せ細った、薄っぺらな自我意識の殻の中に己れを閉じ込めていることだろう、と。
だが、どれほど懐かしくとも、私(たち)は、過去の時空にそのままの形で回帰することはできない。
どれほど痩せ細り、険しい神経症的な身構えに苦しめられようとも、いったん極北まで歩み通すことを強いられた己れの近代的自我意識を、まるごと捨て去ることは不可能だ。
私たちが向かうべき方向は、人類史が登りつめることを余儀なくされた〈個〉の先端と、六〇年代の映像が象徴し得ている〈類〉的な身体性との葛藤を、物語的に止揚し得るような生活思想の地平をおいてほかにはない。
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『富士に立つ影』は、毎回約五十分のドラマで、全二十六話から成るが、前半と後半とでは、物語の構成も音楽もがらりと変わる。前半は、富士山麓における幕府の練兵場建設をめぐって築城大軍師の地位を争う、熊木家と佐藤家という二つの由緒ある築城家の確執の物語が中心となっている。
熊木伯典という、善悪をふみ越えた、野獣のような猛々しい気性の悪魔的な人物の奸計によって両親を殺された佐藤兵之助とおゆきという兄妹の受難の物語と、非道な父伯典に激しく反発して、築城大軍師と赤針流第十一代目の地位をかなぐり捨て、市井の人々との自由な交わりの世界に己れの生きる意味を求めてさすらう自然児熊木公太郎(きみたろう)の苦悩を軸にドラマは回転する。
白井喬二の原作の方は、幕末から明治初年にわたる熊木・佐藤両家の三代に及ぶ数奇な愛憎の悪因縁が絡まり合う大変複雑な構成をもった、『大菩薩峠』と並ぶ(日本の『戦争と平和』という異名をとるほどの)大長編大河時代小説であるが、テレビドラマでは、原作を叩き台にしながら、全く別のわかりやすいシンプルなストーリーに仕立て上げている。
しかし、主人公の造型や時代背景には、原作の持ち味が巧みに活かされており、そこには、原作が書かれた大正末から昭和初年という一九二〇年代の世相と、六〇年代後半の高度経済成長完了前夜の価値解体的な情況のアナロジカルな重層性が透けて見えて、大変興味深い。
白井喬二によって生み出された熊木伯典というユニークな人物には、第一次大戦後の大正後期から昭和初年にかけての独占資本主義体制の形成期に登場する、ある種の近代悪の匂いが感じられる。すなわち、伯典は、飼いならされていない前近代的な土俗の野性が、資本制近代との遭遇において挫折し、傷つき、歪みをこうむる中で醸成された、痛ましい庶民的類型を、そのまま幕藩末期社会に移植させたような人格となっているのだ。
それは、私たちの戦後社会が飢えと貧困からの脱出の中で増殖させていった、ある種の獣的なエネルギーをもったエゴイストの類型にも深く通ずるものである。
テレビドラマの舞台となる文政期から天保期にかけての幕藩末期は、〈近代〉の本格的な始動の時代に当たる。伝統的な価値秩序や倫理をふみにじりながら、同時にしたたかにそれを利用することで、己れの欲望を充足させ、エゴを拡充せんとする、特異な近代型の悪党を登場させることは、必ずしも無理な舞台設定ではないのである。
このドラマの前半の主人公は伯典といってもよく、主要な登場人物たちはすべて、彼に鼻づらをひきずり回され、地獄の辛酸をなめさせられる。
いわば伯典は、世界の不条理性の源泉ともいうべき悪の権化としての役割を担わされており、彼によってもたらされるこの世の悪因縁・不条理にいかに立ち向かい、それをいかに乗り越えていくかによって、主人公たちの生きざまは大きく別れ、変転を余儀なくされていく。
熊木家への復讐の念に燃え、どん底の境遇から這い上がり、己れの才覚を武器に権力を握らんとする兵之助(川津祐介)の血みどろの野心と、伯典(内田良平)の邪恋によって入れ墨を入れられ、傷心のあまり己れの許を去ったおゆき(葉山葉子)を慕い続ける公太郎(中山仁)の悲恋が絡まり合って、数奇な運命に翻弄される主人公たちの愛憎渦巻くメロドラマが展開する。このドラマの前半部には、一昔前の日本社会にみられた、家意識と結びついた濃密な血族間の葛藤と、強靭な生身の身体性に裏打ちされた、哀歓の振幅の大きい、メリハリのきいた人生の物語の面影が感じられる。
すなわち、水上勉や宮尾登美子の小説に典型的に象徴されるような、六〇年代前半までの前近代的土俗的な共同社会の濃厚な体液の匂いが残存しているのである。
私たちの〈現在〉からみれば、もちろん、こういった風景は、いささかもリアリティーの無い、膜で隔てられた幻燈のような世界にすぎない。
家族にせよ他者との関係にせよ、互いの生きる場所が隔絶し、生身の共感の根を断ち切られた現在のわれわれの社会においては、かつてのような、精神的な至近距離に置かれた人間同士の生ける葛藤のドラマなど成立しようがないからである。
現在における愛や憎しみのドラマは、むしろ逆に、家族や他者に対する徹底した断絶意識に由来する、内向的で自閉的な精神病理的色彩を帯びるしかない。そこでは、生身の接触にもとづく人間らしい生臭い悲劇など起こりようがなく、生じ得るのはただ、互いの断絶意識によるパラノイア的な妄想を契機とした陰惨な悲喜劇の地獄のみである。
一九六七年は、昔日の土俗共同体的な生身の人間関係に根ざした、濃密な愛憎のドラマが、最後の輝きを放ち得た年であった。
『富士に立つ影』の前半部に立ち込めるこのような前近代的土俗的性格は、先に述べたような、ゆったりとした農耕社会的な時の流れと、気品のある繊細で陰翳に満ちた風景に包摂されることで、実になんともいえぬ艶やかなふくらみを与えられている。
しかし、後半部は、がらりと雰囲気が変わる。
後半では、代官殺しの無実の罪でおたずね者となった公太郎が、各地を転々と逃走しながら、そのつど縁(えにし)をもち得た人々の苦境を救おうと悪戦苦闘する、勧善懲悪的な一種の〈貴種流離譚〉の構成をとっている。その一方で、独学で蘭学を学びつつ、海外渡航の夢を抱く、近代志向の若者としての側面も描かれている。
この二つの側面は、公太郎の中で、一切の階級社会が消滅して、一人ひとりの人間が、個としての自由な生存空間を切り拓き、充ち足りた生を送り得る新世界への夢につながっている。
つまり、このドラマの後半部は、前半とは対照的に、濃密な血縁・地縁の共同体的空間や制度的な秩序から完全に逸脱し、一匹狼のアウトローと化した若者が、ささやかな幸せを求めて懸命に生きようとする無名の生活者たちのために、いかなる報いも求めず、己れの知力と肉体のすべてを賭けてなすべき事をなそうとする、孤独なたたかいの物語となっているのである。
そこでは、もはや前半部のような、哀切な生涯のイメージやゆるやかな時の流れや土俗共同体的なエロスの受け皿の匂いは乏しく、果てしなく続く荒野の中を黙々とさすらう単独者の痩せた背中が視えているだけだ。
この公太郎の姿勢は、あらゆる手づるを利用して立身栄達を図り、家を再興し、幕閣の信頼厚い能吏として頭角を現わしていく兵之助の生きざまと、鋭いコントラストをなしている。
オープニングの音楽も、映像も、前半と後半ではまるで違う。
後半では、黒一色の画面に、公太郎と兵之助の殺気溢れる眼や横顔や太刀筋などが映し出されるだけで、前半にみられたような、抒情的な潤いのある映像は全く見られない。
音楽も、後半では、男性的なマーチ風のメロディーラインとなっている。
要するに、この作品の前半部が六〇年代前半までの前近代的土俗的な闇の香りを鮮やかに蘇生させたものだとすれば、後半部は、片隅に生きる無名の生活者たちを押しつぶす理不尽な権力や人の弱みにつけ込む薄汚い貪欲な悪人たちへの激しい憤りと、〈個〉としての険しい戦闘的姿勢が前面に出た作りとなっているのである。
前近代的な風土性の濃密さと近代的な自我意識の鋭さというこの両義性こそ、一九六七年という印象的な年の本質をなすものである。
一方では、間もなく到来するであろう未知の世の中への期待と人間的な解放の幻に胸躍らせながらも、他方では、その社会が、人や自然への生身の親和性と深々とした抒情性の息づく古き良き伝統社会の香りを抹殺する、非人間的な制度的システムにすぎないことを予感していたからこそ、この年に放映された良質のドラマ作品には、いずれも、なんともいえぬ深い悲哀感がにじみ出ていたのだ。
まさに社会の中から消え去ろうとしていた闇の気配を渾身の力をふり絞って再現しようとする、制作者たちの白熱した力わざは、このような、時代の決定的な変容への予兆に対する鋭敏な対応の所産だった。
『富士に立つ影』の前半と後半の折り返し点に当たる第十三回目のドラマの冒頭では、はるかにそびえる富士の映像をバックに、次のような芥川隆行のナレーションが入る。
富士は今日も変わらなかった
その美しい姿はあくまで冴えて
時の流れをみつめて微笑み
人の世の変転に愁いを含みつつ
黙して語らない
この素朴な力強さをもった、格調のある言葉は、ドラマの前半部と後半部の〈矛盾〉を包摂し、止揚する要(かなめ)のような役割を果たしている。
深い哀愁の漂う重厚な主題曲に沿って、芥川隆行の渋い味わいのある声で淡々と語られるこのナレーションに続いて、街道をただ一人往く公太郎の姿が映し出される。
〈富士〉は、街道を往きかう無数の旅人たちの、それぞれに異なった宿命を担う、固有の生の重さを、どこまでも静かにみつめ、各々の無量のおもいを黙って慈しむように包み込んでみせる。
この奥ゆきのある端正な美しさは、もちろん、近世後期以来の成熟した農耕社会の伝統に根ざした雪・月・花、花鳥風月の美意識であるが、それは、このドラマの後半部に流れる戦闘的な個我意識と決して矛盾するものではなく、むしろ、ささくれ立った険しい個の身構えをしばしなごませ、癒し、それに弾力とふくらみを与えるようなイメージを提供しているといってよい。
主人公の公太郎が強いられている苛酷な試練は、この富士のイメージに凝縮的に象徴される風景の深々とした優しさと静けさによって緩和され、浄化され、ついには一切の我執と傷を呑み尽くす限りなく透明な〈自然〉という、類的な身体性の次元へと昇華される。
通俗的なメロドラマの体裁をとりながらも、この作品では、個と類の止揚という困難な課題が、制作者たちの無意識のレベルで、美事に身体表現的に処理されているのだ。
一九六七年という、高度経済成長完了前夜の、深い喪失感を伴う鋭いきしみの感覚が、このような奇跡的ともいえる力わざを可能にしたといってよいであろう。
ただし、このドラマの最終回だけは、まことにいただけない不自然な作りになっている。
農民たちの窮状を救わんがため一命を投げうった小藩の若き大名との深き縁(えにし)によって、老中水野忠邦の推進しようとした印旛沼干拓の事業に協力し、己れの築城術と蘭学の成果の全てを注ぎ込んで献身した公太郎の労苦も空しく、水野は、反対派の画策によって失脚し、干拓計画は無に帰してしまう。
その「シーシュポスの神話」の如き不条理な痛手に打ちのめされた公太郎とおゆきに追いうちをかけるように、ようやくめぐり逢えた二人を理不尽な死が見舞うのである。
それも、水野をかくまった兵之助の屋敷で、たまたま訪れたばかりの二人が、水野の暗殺を企てる反対派の刺客たちの襲撃に巻き込まれて落命するという、交通事故のような、踏んだり蹴ったりの結末になっているのだ。
なぜ、このような視聴者の神経を極度に逆撫でする、残忍極まる不条理な、しかも不自然この上ないやり口で物語を閉じようとするのか。せっかく、巧みに物語を積み上げてきたのに、最終回で台無しの気分にさせられてしまうのである。
言語道断な悪趣味であると言ってしまえばそれまでのことであるが、この設定の中には、明らかに二つの背景が見てとれる。
一つは、カミュ、サルトル流の、存在の不条理性の認識をベースとした実存主義の流行であるが、より重要なのは、そういう若い世代を中心とする実存主義の浸透を可能ならしめた、当時の世相の内に漂うある種の酷薄な匂いである。
それこそ、先にも述べたような、闇の抹殺の予兆だった。
すなわち、存在との生身の接触に根ざした生命的な交感の物語と意味づけを完全に解体・一掃しようとする、科学文明と産業社会の不可視の圧力が、人々の魂を深く蝕み、その世界風景を、徐々に、無機的でメカニックな死臭の漂う、不条理で酷薄な色彩に塗り変えつつあったということである。
一九六八年にはこの実感はさらに一段と深まり、六〇年代前半までの生命的な闇の香りは、確実に消滅寸前に追い込まれていた。
しかし、科学とヒューマニズムと疑似コミュニケーションによる空疎な〈光の暴力〉の前に、魂の暗がりは封印され、私たちが直面していた真の問題は完全に見失われてしまったのだった。
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一九六八年に放映されたNHK大河ドラマは、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』(北大路欣也主演)であった。この作品には、自由人竜馬のみずみずしい生命力と、ものにとらわれない大胆で柔軟な構想力、いかなる逆境にもめげない楽天的なプラス思考とひょうきんな性格といった向日的な魅力がみなぎっていて、それなりに優れた出来ばえを示していたが、そこには、もはや、六七年の幕末物にみられたような、繊細な魂の暗がりや抒情の匂いは、全くみとめられなかった。
六八年から七〇年代初めという時代には、司馬遼太郎という、近代合理主義と経験主義を最もしっくりとした形で体現した、ウィットに富む、良い意味でも悪い意味でも乾き切った、したたかな関西人の作家を、一躍国民的名士にのし上げていくような、奇妙な向日性の強さがあった。
しかし、この〈光〉は、明らかにまがいものであった。
翌年の一九六九年は、白黒テレビが国民的な規模で一斉にカラーテレビに切り替わった年である。
カラーテレビになることで、白黒時代の終りまでかろうじて保たれていた生身の生の陰翳は、完全に茶の間の映像から放逐された。そして、このカラー映像の白昼のような散文的な平板さは、そのまま、現実の市民社会の風景の感触と地続きのものであった。
この時期、商業・サービス業を中心とする第三次産業の人口は、全就業者数の五十%近くに達し、東京を中心とする大都市に蟻のように群がったサラリーマンたちは、団地・マンションという、何の個性も無い画一的な箱の中にぎゅうぎゅうづめに押し込められ、会社という営利組織に己れのアイデンティティーをゆだね切って、馬車馬のように働いていた。
六〇年代後半に放映され、大ヒットした『ザ・ガードマン』(TBS)という一話完結のサスペンス・アクションドラマでは、疲弊し切ったサラリーマンたちの内攻するストレスと隠微な犯罪的嗜好、留守を預かる団地妻たちの散文的で退屈な日常と不倫への誘惑、子どもをつめこみ勉強と受験競争へと追い立てる高学歴志向の親たちの自己顕示欲のくだらなさなどが取り上げられ、薄っぺらな世相を戯画的に描き出していた。
こういう世相にあって、人々の日常風景の中から排除され、正常な表現を封じられた無意識下の闇のエネルギーは、グロテスクで暴力的な表現形態をとって新たな代償のはけ口を求めるようになる。
一九六六年から六七年にかけて「少年サンデー」に連載された手塚治虫の『バンパイヤ』というマンガでは、主人公のロックという若者が、満月の夜になると狼に変身してしまう、純真な田舎出の少年を操りながら、この世の悪事の限りを尽くして市民社会の平和を震撼させる。ロックは、やがて、息子を悪の泥沼から救出し、必死に守ろうとする少年の母親の狼によって倒され、海に沈むが、最終回の扉絵には、海から上がった狼に変身したロックの姿が描かれ、彼の本体もまた狼であったことが暗示されている。
『バンパイヤ』は、手塚治虫が、それまでのヒューマニズムによる勧善懲悪の図式を初めて自ら破ってみせた画期的な作品であるが、彼にそのような冒険を試みさせたものは、明らかに、この時代の欺瞞的な光に満ち溢れた市民社会的平和に対する激しい鬱屈の念にあったとみてよいであろう。
手塚治虫の中からヒューマニズムや科学的合理主義の理念が失われたわけではないが、この作家の無意識の深みによどむ闇のエロスへの渇きは、それらの理念から乖離(かいり)した場所に、鬱積したエネルギーのはけ口を求めるようになったのである。
『バンパイヤ』では、悪と暴力性の本質は、市民社会によって放逐され表現を封じられた野性の歪んだ代償形態として象徴的に描き出されている。このようなモチーフが、七〇年代以降の闇の表現のひとつの巨大な潮流を形作るのであり、ひいては、現在のわれわれの社会の精神病理や犯罪の本質を照らし出すものであることはまちがいない。その意味で、『バンパイヤ』は、まさに先駆的作品だった。
ちなみに、一九六九年から七〇年には、手塚治虫の『火の鳥』シリーズの中でも、最も不条理感の強い『火の鳥・鳳凰篇』が発表されている。
高度経済成長が完了した一九七〇年前後から二十一世紀初頭の現在までは、ある意味で地続きである。
七〇年代以降、封印された闇は、均質化された産業社会と市民社会の空隙を縫って、さまざまな形式をとりながら執拗な抵抗を繰り返す。それは、悪と暴力性の表現から不条理に抗う獰猛な生命力の追求に至るまで、あるいは、ヴァーチャルな天上的エロスへの憧憬から生身の抒情性への渇望に至るまで、実に多種多様な様式をとって顕われた。
そういう闇の抵抗線についても語りたいことは多々あるが、今は措く。
ただ一言断っておきたいのは、七〇年代以降の闇の表現には、五〇年代から六〇年代前半までの社会に残存し得ていた生命的な奥ゆきと輝きの感触を、全き形で蘇生し得た作品は、あらゆる芸術分野を通じてほとんど存在していないという事実である。
一九六七年は、なにかが決定的に滅び去った年であった。
その事実が、私たちにとってかけがえのない何ものかの喪失であったという認識を、心ある読者といささかなりとも共有できれば、それで私は本望なのである。(了)
JUGEMテーマ:批評
一九六七年という、高度経済成長完了前夜の、深い喪失感を伴う鋭いきしみの感覚が、このような奇跡的ともいえる力わざを可能にしたといってよいであろう。
ただし、このドラマの最終回だけは、まことにいただけない不自然な作りになっている。
農民たちの窮状を救わんがため一命を投げうった小藩の若き大名との深き縁(えにし)によって、老中水野忠邦の推進しようとした印旛沼干拓の事業に協力し、己れの築城術と蘭学の成果の全てを注ぎ込んで献身した公太郎の労苦も空しく、水野は、反対派の画策によって失脚し、干拓計画は無に帰してしまう。
その「シーシュポスの神話」の如き不条理な痛手に打ちのめされた公太郎とおゆきに追いうちをかけるように、ようやくめぐり逢えた二人を理不尽な死が見舞うのである。
それも、水野をかくまった兵之助の屋敷で、たまたま訪れたばかりの二人が、水野の暗殺を企てる反対派の刺客たちの襲撃に巻き込まれて落命するという、交通事故のような、踏んだり蹴ったりの結末になっているのだ。
なぜ、このような視聴者の神経を極度に逆撫でする、残忍極まる不条理な、しかも不自然この上ないやり口で物語を閉じようとするのか。せっかく、巧みに物語を積み上げてきたのに、最終回で台無しの気分にさせられてしまうのである。
言語道断な悪趣味であると言ってしまえばそれまでのことであるが、この設定の中には、明らかに二つの背景が見てとれる。
一つは、カミュ、サルトル流の、存在の不条理性の認識をベースとした実存主義の流行であるが、より重要なのは、そういう若い世代を中心とする実存主義の浸透を可能ならしめた、当時の世相の内に漂うある種の酷薄な匂いである。
それこそ、先にも述べたような、闇の抹殺の予兆だった。
すなわち、存在との生身の接触に根ざした生命的な交感の物語と意味づけを完全に解体・一掃しようとする、科学文明と産業社会の不可視の圧力が、人々の魂を深く蝕み、その世界風景を、徐々に、無機的でメカニックな死臭の漂う、不条理で酷薄な色彩に塗り変えつつあったということである。
一九六八年にはこの実感はさらに一段と深まり、六〇年代前半までの生命的な闇の香りは、確実に消滅寸前に追い込まれていた。
しかし、科学とヒューマニズムと疑似コミュニケーションによる空疎な〈光の暴力〉の前に、魂の暗がりは封印され、私たちが直面していた真の問題は完全に見失われてしまったのだった。
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一九六八年に放映されたNHK大河ドラマは、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』(北大路欣也主演)であった。この作品には、自由人竜馬のみずみずしい生命力と、ものにとらわれない大胆で柔軟な構想力、いかなる逆境にもめげない楽天的なプラス思考とひょうきんな性格といった向日的な魅力がみなぎっていて、それなりに優れた出来ばえを示していたが、そこには、もはや、六七年の幕末物にみられたような、繊細な魂の暗がりや抒情の匂いは、全くみとめられなかった。
六八年から七〇年代初めという時代には、司馬遼太郎という、近代合理主義と経験主義を最もしっくりとした形で体現した、ウィットに富む、良い意味でも悪い意味でも乾き切った、したたかな関西人の作家を、一躍国民的名士にのし上げていくような、奇妙な向日性の強さがあった。
しかし、この〈光〉は、明らかにまがいものであった。
翌年の一九六九年は、白黒テレビが国民的な規模で一斉にカラーテレビに切り替わった年である。
カラーテレビになることで、白黒時代の終りまでかろうじて保たれていた生身の生の陰翳は、完全に茶の間の映像から放逐された。そして、このカラー映像の白昼のような散文的な平板さは、そのまま、現実の市民社会の風景の感触と地続きのものであった。
この時期、商業・サービス業を中心とする第三次産業の人口は、全就業者数の五十%近くに達し、東京を中心とする大都市に蟻のように群がったサラリーマンたちは、団地・マンションという、何の個性も無い画一的な箱の中にぎゅうぎゅうづめに押し込められ、会社という営利組織に己れのアイデンティティーをゆだね切って、馬車馬のように働いていた。
六〇年代後半に放映され、大ヒットした『ザ・ガードマン』(TBS)という一話完結のサスペンス・アクションドラマでは、疲弊し切ったサラリーマンたちの内攻するストレスと隠微な犯罪的嗜好、留守を預かる団地妻たちの散文的で退屈な日常と不倫への誘惑、子どもをつめこみ勉強と受験競争へと追い立てる高学歴志向の親たちの自己顕示欲のくだらなさなどが取り上げられ、薄っぺらな世相を戯画的に描き出していた。
こういう世相にあって、人々の日常風景の中から排除され、正常な表現を封じられた無意識下の闇のエネルギーは、グロテスクで暴力的な表現形態をとって新たな代償のはけ口を求めるようになる。
一九六六年から六七年にかけて「少年サンデー」に連載された手塚治虫の『バンパイヤ』というマンガでは、主人公のロックという若者が、満月の夜になると狼に変身してしまう、純真な田舎出の少年を操りながら、この世の悪事の限りを尽くして市民社会の平和を震撼させる。ロックは、やがて、息子を悪の泥沼から救出し、必死に守ろうとする少年の母親の狼によって倒され、海に沈むが、最終回の扉絵には、海から上がった狼に変身したロックの姿が描かれ、彼の本体もまた狼であったことが暗示されている。
『バンパイヤ』は、手塚治虫が、それまでのヒューマニズムによる勧善懲悪の図式を初めて自ら破ってみせた画期的な作品であるが、彼にそのような冒険を試みさせたものは、明らかに、この時代の欺瞞的な光に満ち溢れた市民社会的平和に対する激しい鬱屈の念にあったとみてよいであろう。
手塚治虫の中からヒューマニズムや科学的合理主義の理念が失われたわけではないが、この作家の無意識の深みによどむ闇のエロスへの渇きは、それらの理念から乖離(かいり)した場所に、鬱積したエネルギーのはけ口を求めるようになったのである。
『バンパイヤ』では、悪と暴力性の本質は、市民社会によって放逐され表現を封じられた野性の歪んだ代償形態として象徴的に描き出されている。このようなモチーフが、七〇年代以降の闇の表現のひとつの巨大な潮流を形作るのであり、ひいては、現在のわれわれの社会の精神病理や犯罪の本質を照らし出すものであることはまちがいない。その意味で、『バンパイヤ』は、まさに先駆的作品だった。
ちなみに、一九六九年から七〇年には、手塚治虫の『火の鳥』シリーズの中でも、最も不条理感の強い『火の鳥・鳳凰篇』が発表されている。
高度経済成長が完了した一九七〇年前後から二十一世紀初頭の現在までは、ある意味で地続きである。
七〇年代以降、封印された闇は、均質化された産業社会と市民社会の空隙を縫って、さまざまな形式をとりながら執拗な抵抗を繰り返す。それは、悪と暴力性の表現から不条理に抗う獰猛な生命力の追求に至るまで、あるいは、ヴァーチャルな天上的エロスへの憧憬から生身の抒情性への渇望に至るまで、実に多種多様な様式をとって顕われた。
そういう闇の抵抗線についても語りたいことは多々あるが、今は措く。
ただ一言断っておきたいのは、七〇年代以降の闇の表現には、五〇年代から六〇年代前半までの社会に残存し得ていた生命的な奥ゆきと輝きの感触を、全き形で蘇生し得た作品は、あらゆる芸術分野を通じてほとんど存在していないという事実である。
一九六七年は、なにかが決定的に滅び去った年であった。
その事実が、私たちにとってかけがえのない何ものかの喪失であったという認識を、心ある読者といささかなりとも共有できれば、それで私は本望なのである。(了)
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